「ごめんなさいね、暫くの間、フェイトさんからお手紙を送るのが難しい状態になってしまっていて。
そうこうしているうちに、フェイトさんの裁判がひと段落して、地球に来れるようになったものだから。
それで、どうせだからサプライズで地球まで向かっちゃおうって、私が提案したのよ」
「あはは……そうだったんですか」
アースラの休憩スペースで、リンディが片頬に手を当ててなのはに謝罪していた。
いきなり魔法世界の面々が駆け付けてくれた謎が判明したなのはは、引きつった笑いを浮かべる。
「フェイトちゃんと、さつきちゃんは」
心配げななのはに、リンディは安心させるように微笑む。
「二人とも、ぐっすり寝ているわ。どちらも目立った外傷は無いそうよ。
フェイトさんは……詳しいことはしっかり検査してみないと分からないけれども、恐らくはリンカーコアが異常に縮小しているわ。
でも、それもしばらく安静にしていれば大丈夫」
「そうですか……よかったです」
その返答になのははほっと一安心するが、表情は優れない。
当然だろう、彼女は、一から十まで何一つ把握できていないのだから。
「あの、一体、何が起こっているんですか。
ヴィータちゃんや、シャマルさんは一体……」
「彼女達は闇の書の守護者だよ」
返答は、新たに部屋に入ってきた人物からもたらされた。
その声になのはが振り返ると、クロノがバリアジャケットも脱がないままにこちらに歩いてきていた。
クロノはなのはとリンディが座るテーブルの横に立つ。
「クロノ君」
「なのは、彼女達は人間じゃないんだ」
挨拶も何もなく、申告な顔のクロノから唐突に告げられた内容に、なのはは目を白黒させる。
そんななのはに、クロノは構わず続けた。
「そして、使い魔でもない。
彼女達は、闇の書とその主を守るためにのみ存在する、魔法技術で生成された疑似人格」
なのはが聡くて、そして魔法理論やプログラムにも強いことを知っているから、混乱していながらもその内容は伝わるだろうと判断して。
「主の命を受けて行動する、ただそれだけのためのプログラムに過ぎない……はずなんだ」
クロノの考え通り、なのははその言葉の意味をある程度理解できたようで、信じられないとばかりに息を呑んだ。
考えを整理しようと視線をさ迷わせるなのはだったが、クロノはそれにも構わず、更に話を先に進める。
「だから、彼女達が消えたのは、あるべき所に戻ったに過ぎない。
プログラムが実行されれば再び現れるだろう」
ヴィータ達は死んでしまった訳でも消滅した訳でもない、そのことを理解してなのはは、また一つ安心する。
だが、当然ながらこれだけでなのはの疑問が解消される訳ではない。
「闇の書……」
「ああ。先の戦闘で、彼女達が持っていた本のことだ。今は厳重に封印してあるよ。
なのは、あれはロストロギア……それも、これまで幾多の世界を滅ぼしてきた制御不能の危険な魔導書だ。
正直、その危険性は悪意を持って使用されたジュエルシードを上回る」
そして告げられたその情報が意味するあまりの深刻さに、なのはは再度息を呑む。
そして、何故クロノ達がこうもピリピリしているのかも理解した。
更に、クロノが伝えようとしてくれている話の重要性も。
「守護者たちは本来、純粋なプログラムにすぎないはずだ。
確かに、意志疎通のための対話能力や人格を持たされているのは間違いない。
でも主の命に逆らうことなど決してないし、主の命令や望みなしに行動するということは、過去のデータからは考えられない。
……考えられなかった」
険しい声で言うクロノは、傍目でも苦悩していることが分かる程だった。
黙ってクロノの言葉に首肯するリンディもまた、険しい表情をしている。
「でも、ヴィータちゃん達は」
そこでなのはは声を上げた。
話の内容の重大さを理解しているから。告げられた内容と、自分の見てきたことの違いを伝えようと。
先程のことだけではない。なのはがヴィータと触れ合ってきた日々から、そんな風には思えないと。
しかしクロノはなのはの発言にストップをかける。
「ああ、分かっている。僕たちが駆け付ける前の経緯もレイジングハートから受け取った。
あのヴィータという守護者は、彼女自身の判断で、なのはを助けようと、自身の正体を晒したように見えた」
クロノはなのはの目を真っ直ぐに見つめて言う。
自分のこの態度は、決してなのはのことを軽んじている訳ではないのだと。
ただ、クロノには急がなければならない理由があるのだった。
「なのは、色々なことが急にあって、混乱していると思う。君から質問したいことも沢山あるだろう。
そんな中でこのようなことを聞くのは本当に申し訳ないが、一刻を争うんだ。協力して欲しい。
なのは、君は、守護者達の主に、心当たりはあるか」
クロノから告げられた話の内容。
闇の書の情報、守護者という存在、それらを飲み込んだなのはの頭に、一人の少女の姿が浮かぶ。
「はやてちゃん……?」
八神はやての家の上空で、シグナムとザフィーラが佇んでいた。
険しい顔の二人は、無言で宙を睨む。
唐突に、家の玄関から人の気配を感じた2人は、ハッとして顔を見合わせた。
急いで玄関の前へ降り立ち整列すると、物音がしていた玄関の扉が開く。
開いた扉の奥から、パジャマ姿のはやてが車椅子を漕いで現れた。
「主はやて」
「シグナム、何が起きてるん?」
開口一番、はやてはシグナムに詰問する。
はやてからは気丈な姿を見せようという意思を感じるが、その顔には隠し切れていない不安が現れている。
「闇の書が無い。
ヴィータとシャマルが、感じられへん。
なぁシグナム、一体、何が起きてるん」
誤魔化すことは許さないと、強い口調ではやてが問う。
シグナムはそれに、視線を逸らすことなく答えた。
「主はやて、申し訳ありません。
我々が、時空管理局に捕捉されました」
息を呑むはやて。
その意味するところを、彼女は理解していた。
「っ! ……それで、ヴィータとシャマルは」
「管理局の魔導師と交戦し……敗北したようです」
「――そんな……」
敗北した二人の存在を、主である自分が感じることができない。
最悪が頭を過る。
はやてから血の気が引くが、もう一つ、彼女には絶対に尋ねなければならないことがあった。
気を強く持ち、更に強い口調で、それを問う。
「……それで、2人は何するつもりやったん」
「…………管理局の人間と、交渉を行うつもりでいました」
「なんて」
「我々が大人しく捕縛される変わりに、主はやてには干渉しないようにと。
受け入れられない場合は、悉くを撃退します」
「………」
遂にはやてが俯き、黙ってしまう。
痛々しい主の姿にシグナムは胸を痛めるも、発言を撤回するつもりはなかった。
主とのやり取りをシグナムに任せているザフィーラも、はやてから視線を逸らさず、同じ意思であるということを示す。
「……あかんよ」
ややあって、はやてが口を開いた。
顔を上げ、シグナムの目を見つめ返す。
「管理局さんとの交渉は、わたしがする」
「!? いけません、主はやて!」
慌て、シグナムは反対する。
しかし、はやての意思は変わらない。
「主はわたしや。言うこと聞きぃ」
「――はっ」
言葉に詰まりながらも、シグナムは首を垂れる。
はやては自棄になっている訳ではない。しっかりした意思の元、そのようなことを言っている。
説得も無意味だ。
それまで強い口調だったはやてが、柔らかく微笑む。
「言うたやろ、わたし。
闇の書の主として、守護騎士みんな、きっちり面倒見るって」
はやてが、空を見上げる。遠くの空に、幾人かの人影が見えた。
「ごめんなぁ、我儘な主で。
……いざという時は、お願いな」
震える声に、シグナムが意思を言葉に乗せて、応える。
「はい。御身を必ず御守りします」
近づいてくる人影に、緊張からか、はやては胸の奥に痛みを覚えた。
目が覚めた原因だった息苦しさが、どんどん強くなっていく。
血の気が引いていく。
流石におかしいと、そう気付く前に、はやては自身を襲う苦しみに胸元を抑えて蹲った。
平衡感覚がおかしくなり、悶え、車椅子から落ちそうになる。
主の異常に気付いたシグナムが、くず折れるはやてを慌てて受け止めた。
「「主はやて!」」「はやてちゃん!」
意識が落ちる前に、大切な家族と、自分の知る女の子の声が、はやての耳に届いた。
時は流れ、日が昇る。
海鳴大学病院へ運び込まれたはやては、体調は何とか安定し、現在は個室で眠かされている。
その日の朝早く、駆け付けてくれた石田先生にシグナムが呼び出された。
アースラからも様子をモニターされる中話を聞くシグナムは、信じられないとばかりに告げられた言葉を繰り返す。
「命の……危険……?」
「ええ……」
しかし、その言葉が覆ることはない。
「はやてちゃんの脚は、原因不明の神経性麻痺だとお伝えしましたが……。
この半年で、麻痺が少しずつ上に進み始めていたんです。近頃は、それが特に顕著で……心配していたのですが。
このままでは、内臓機能の麻痺に発展する危険性があるんです。今回の発作も、もしかしたら……」
話を聞いたシグナムから、まさか、と、血の気が引いてゆく。
浮かんだ予感が、考えを重ねる毎に、確信に変わっていく。
守護騎士達は、闇の書と主との繋がりから。
アースラ組は、病院の診断結果と艦の設備からのスキャン結果から、はやての状況を把握した。
そしてその結果は、両者共に一致していた。
はやての脚は、病気ではなかった。
闇の書の呪い。はやてが生まれた時から共にあった闇の書は、はやての体と密接に繋がっていた。
抑圧された強大な魔力は、リンカーコアが未成熟なはやての体を蝕み、健全な肉体機能どころか生命活動すら疎外していた。
そして、はやてが第一の覚醒を迎えたことで、それは加速した。
それは、守護騎士4人の活動を維持するため、ごく僅かとはいえ、はやての魔力を使用していることも、恐らくは無関係ではなかった。
そして、昨夜。
異常ともいえる状況に置かれ、普段通りの動作に不調をきたした闇の書が、主の体を急激に蝕んだ。
そのことが、今回のはやての発作の原因だった。
アースラの中、闇の書の守護者にあてがわれた一室で、シグナムは力の限り壁に拳をぶつける。
部屋の前に見張りはいるだろうが、今この部屋の中に限っては、シグナムとザフィーラしか居ない。
「何故、気付かなかった……!」
震える声を抑えられない程に抱く怒りは、自分へのもの。
もっと早くに、気付けた筈だった。
何か、何か少しでもそのことに気を配っていれば、気付いていた筈だった。
自分達が、主の命を奪っていることに。
「シグナム、我々に、できることは」
ザフィーラの言葉に、シグナムは意識を落ち着かせようと努める。
目を閉じ、考えを巡らせ、しかし、浮かぶ考えに、明るいものはない。
「……あまりにも少ない。
闇の書が主の体を蝕むのは、主はやてが闇の書の真の担い手となれていないから。
闇の書の頁を埋め、完成させることで、主が真の覚醒を得れば」
「主の病は消える……少なくとも、進みは止まる」
「ああ……だが、この現状では……」
そのタイミングで、唐突に部屋の扉が開く。
その先に居たのはこの艦の執務官、クロノ・ハラオウン。
「止した方がいい」
彼は開口一番そう言い、部屋に入ってきた。
シグナムはクロノに向き直る。
「主の安全はそちらに握られていて、残る守護騎士は半数、デバイスも封印されている。
このような状況で反逆するほど、こちらも馬鹿では」
「ああ、そうじゃない」
シグナムの言葉を、クロノは首を振って止める。
「闇の書が完成すると、君たちの主は死ぬ」
続いたクロノの言葉に、シグナムとザフィーラは眉をしかめた。
あまりにも唐突なその言葉に、何を言い出すのかと。
そんな守護騎士達に、クロノは続ける。
「今までもずっとそうだった。
闇の書は一種の時限爆弾だ。
完成した闇の書はその強大な力を純粋な破壊にしか使えない。そして制御もできない。
最後は主をも巻き込んで自滅する」
あまりにも聞く価値の無い内容。
シグナムとザフィーラからしたらそうでしかなかった。
「そのような世迷言、こちらが信じるとでも」
苛立ちを滲ませながらシグナムが詰め寄る。
ここまで、時空管理局の対応は誠実だった。
はやてを病院に連れて行くことも許されたし、石田先生との面談も許された。
自分達も酷い扱いを受けている訳ではないし、この後もはやてが目を覚ますまで病室で看病する許可も得ている。
正直、信じられないくらいの待遇だ。
しかし、そのような嘘で自分達を騙そうとしてくるのであれば、時空管理局に対して失望せざるを得ない。
「僕の父は」
そんな感情を見せるシグナムに、クロノは睨みつけるようにその目を見返した。
「11年前、闇の書の暴走に巻き込まれて死亡している」
シグナムが、目を見張る。
「このことに関して、嘘はつかない。
父さんの生き様に、泥を塗ることはしない」
その顔立ちと、力強い視線に、シグナムは覚えがあった。ザフィーラも、何かに気付いたように、表情を動かす。
はやての前の主に仕えていた時に戦った、ひときわ強者であった青年。記憶に残るその面影を確かに、目の前の少年に見た。
「……元より、こちらの取れる手などもう1つしかない」
クロノから視線を逸らし、俯き、シグナムは言う。
「闇の書を破壊してくれ」
「……それもできない」
その要望に対してのクロノからの返答に、シグナムの苛立ちが更に募る。
「既に闇の書はお前達の手中だろう。
そのまま封印するよりも、転生機能を封じて破壊した方が確実ではないか」
「……それで、闇の書の呪いから主を救うことができると、信じているのか。
君たちは」
そんなシグナム達に対し、クロノはどこか哀れみを滲ませ、言う。
「ついて来てくれ。管理局の持つ、闇の書に関する記録を見せよう」
シグナムとザフィーラは、鬼気迫る表情でその情報を見ていた。
それは、先程クロノから告げられた言葉が正しいことを裏付ける内容のもの。
それに加えて、更に残酷な事実も記されていて。
シグナム達の顔は青く、信じられないと、信じたくないと、どこかに綻びがないかと、それらの記録を追う。
しかし、時間をかければかける程に、それらの記録の信憑性は増していくばかり。
自分達を謀るために用意したにしては、あまりにも精確なそれらの情報。
そして何より、今の今まで疑問にも思わなかった、”何故か闇の書が完成した後の記憶がない”自分達の記憶と、それらの情報に、矛盾がない。
「私達は、闇の書の一部だぞ……!」
藁にも縋るように、ザフィーラから呻き声のような声が漏れる。
闇の書の知識に関して、自分達こそが正しいものを持っている筈だと。
「闇の書の一部だからこそ、じゃないのか」
その悪足掻きも、背後からのクロノの声にバッサリと切り捨てられる。
自分達も薄々感付いていた事実を、突き付けられる形で。
「聞くが、このような記憶を持ったままで、次の主の下でも同じように闇の書の完成を目指すのか。君たちは」
シグナムもザフィーラも拳を握り、テーブルに項垂れ、肩を震わせる。
「君たちの主を救う方法は、力の限り探そう。
こんな状態の闇の書を確保できたのは初めてのことだ。
管理局としても、闇の書を再び転生させる訳にはいかないから」
彼らの目の前のモニターには、闇の書に関する基本的な情報が未だ映し出されている。
クロノは視線を上げ、もう何度見たか分からないそれらを眺める。
シグナム達を打ちのめしたそれらの情報。
闇の書。
魔力を収集することで頁を埋め、666の頁を埋めることで完成するロストロギア。
本体が破壊されるか所有者が死ぬかすると、白紙に戻って別の世界で再生。
次元世界を渡り歩き、守護者に守られ、魔力を食らって永遠を生きる。
破壊しても何度でも再生する、停止させることのできない危険な魔道書。
ここまでは、立場の違いによる表現のずれはあれどシグナム達の知識と相違ない。
問題なのは、その続き。
完成した闇の書はその力を純粋な破壊にしか使ず、主にさえも制御できなくなる。
そして、
闇の書本体が破壊された時、別の世界に転生するその前に、その時の主は闇の書に喰らい尽くされ死亡する。
闇の書の転生を防ぐ方法は、未だ発見されていない。
「主……はやて……っ!!」
震えるシグナムの声が、力なく響いた。
あとがき
ちょっと昼に更新できなさそうなのでこの時間!