弓塚さつきは、窓から入る日の光を感じながら心地よいまどろみの中にいた。
「おーい、弓塚ー」
「んー……?」
聞こえてきた自分の名を呼ぶ声に、意識を浮上させる。
突っ伏していた机から顔を上げたさつきは、まだぼやけている視界で自身に声をかけた人物を確認した。
「おはよう、乾くん」
「おいおい学校の優等生たるさっちんが放課後まで居眠りとか、先公が泣くぜ」
「あはは……」
にやけ顔の有彦に、さつきは苦笑する。
今日はどうにも眠気が抑えられなかったのだった。
「弓塚もお前には言われたくないと思うぞ有彦」
と、隣から聞こえてきた声に、さつきはびくりと、肩を震わせる。
「……遠野くん」
「帰ろうか、弓塚」
”いつものように”、夕暮れの道を二人で歩く。
他愛のない会話に花を咲かせて、2人で笑い合う。
「それにしても、今日はぐっすりだったな弓塚」
「あはは、恥ずかしいなぁもう。
ちょっと、悪い夢を見ちゃってたかな」
「そっ……か。
俺も夢見が悪い時結構あるからなぁ、何とかなるなら何とかして欲しいよな」
「へー意外――では全然ないね。遠野くん、いつも貧血で倒れてるし」
「……遠慮なくなってきたよな弓塚」
「そうかもね!」
そうこうしているうちに、2人の帰宅路が分かれる場所にやってくる。
「じゃあ、またね、遠野くん」
「ああ、また明日」
手を振って別れ、家に帰る。
ああ、本当に。
「ただいまー」
幸せな日常だ。
武器のように振られるデバイスを、なのはが防御魔法で受け止める。
「ヴィータちゃん! 何で!?」
なのはには、戦う理由がある。
さつきを助けるため、ヴィータ達とお話をするため。
でも、ヴィータ達の方から積極的に攻撃を仕掛けられる理由は、なのはには分からなかった。
「グラーフアイゼン、カートリッジロード!」
なのはの疑問には答えず、ヴィータはデバイスの機構を発動させる。
それは、なのはやフェイトが知らない技術。
デバイスの一部がスライドし、薬莢のようなものが押し込まれると共に、膨大な魔力のプレッシャーが発せられる。
ヴィータの持つ鉄槌の形状が変化する。
シールドに打ち付けている側には突起が飛び出し、その反対側には、噴射口のノズルのような機構が出現する。
噴射口から炎が噴き出し、その推進力により突起が押し込まれると、数舜の拮抗も許されずなのはのシールドは破壊された。
「っ!」
ヴィータがもう一歩踏み込めば、その鉄槌をなのはの体に叩きこむこともできただろう。
しかしヴィータはそれをせず、なのははシールドを破壊された衝撃で地面に向かって吹き飛ばされるに留まる。
「アークセイバー!」
ヴィータにフェイトの飛ばした魔力刃が迫る。弧を描くように迫る刃を、ヴィータは惑わされずにシールドを合わせ、
「――!」
その刃が、盾に噛みつくことに気付いた。
数瞬だが片手を封じられた隙を、反対側に回り込んだフェイトが突く。
「フォトンランサー」《Multishot》
更に、地上からは、なのはが。
「ディバイーン」《Buster》
片や魔力弾の連打、片や砲撃魔法。
それが避けられないタイミングで同時にヴィータに迫り、
「グラーフアイゼン! カートリッジロード!」
《Panzer Hindernis》
爆発が、起こった。
タイミングは完璧だった。どうなったかと、フェイトが魔素の煙幕によって見えない向こう側を確認しようと身構えていると、
《Pferde》
その向こうから響く、ヴィータのデバイスによる魔法の起動ワード。
そして、煙を突っ切って、ヴィータが突撃してくる。
その体に、ダメージは見られない。何かしらの防御魔法の発動に成功していたらしい。
フェイトは迫りくるヴィータから逃げようとする。しかし、
(速い……!?)
ヴィータの軌道が、伸びる。喰らい付く。
鉄槌に搭載された噴射口から噴き出す炎と、ヴィータが自身に使用した機動力強化の魔法で、ヴィータは距離を取ろうとしたフェイトの懐まで潜り込む。
振り下ろされる鉄槌を、フェイトはバルディッシュを盾に防御するしかなかった。
アイゼンの突起が、バルディッシュの柄を直撃する。
持ちこたえることなどできず、バルディッシュが半ばで粉砕されるのを目の当たりし、フェイトは戦慄する。
(あからさまな程の近接特化のパワー型。なのに!
それ以外の能力も、訓練に付き合ってくれた管理局の人達を上回ってる!?)
ヴィータの追撃が、フェイトを襲う。
バランスを崩したフェイトに、グラーフアイゼンの柄が迫る。
フェイトは右手に残ったバルディッシュのヘッドを咄嗟に突き出す。
2つのデバイスが激突し、本来打撃の用途としても扱える設計であるバルディッシュのヘッドに、罅が入った。
「っ!?」
フェイトが吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
ヴィータが追撃を入れるルートを妨害するように、桜色の魔力弾が割り込んだ。
その数6。動きを見たところ、それぞれの魔力弾は完璧に制御されている。
ヴィータは一瞬だけ感心したような視線をなのはに向け、身を翻し、それらの魔力弾の間を搔い潜り、なのはに肉薄する。
「っ!」
なのはの眼前にデバイスを突き付けたところで、ヴィータは止まった。
「これ以上手荒なことはしたくない。
黙ってあたし達に付いて来てくれないか」
問答無用だったヴィータからの、突然の勧告。
なのはは困惑しつつも、それに応じる。
「……フェイトちゃんは?」
「あっちは、もう終わってる」
「……! フェイトちゃん!」
なのはの見る先、倒れこむフェイトに、さつきを取り込んだ本を突き付けるシャマルがいた。
地面に叩きつけられたフェイトは、その衝撃でふらつく体を起こそうとして、体を襲う違和感に再び膝を付いた。
並行感覚を失う程の、強烈な不快感。
内臓を直接圧迫されているかのようなその感覚。
(体内に、直接的な干渉……!?
こんな、戦場の只中で!?)
崩れ落ちそうになるフェイトの眼前に、頁を開かれた本が付きつけられる。
フェイトの意識が、闇に落ちていく。
その直前、
「フェイトォ!」
「あいつら……!!? あれは、闇の書!」
アースラからの増援が、結界内に突入し。
《Absorption》
しかしそれは僅かに遅く。
フェイトが、光の粒子となり、闇の書に吸収された。
「ブレイズキャノン!」
なのはにデバイスを突き付けているヴィータに、武装局員を引き連れたクロノが速射で砲撃魔法を放つ。
増援の出現に動揺したヴィータはそれを避け、その隙になのはの隣にユーノとアルフが降り立った。
「お前ら! ヴォルケンリッター!」
鬼気迫る様子で、クロノが叫ぶ。
彼はヴィータ達について何かしらを知っている様子で、突き付けたデバイスを下ろさない。
「ユーノ君! アルフさん! クロノ君!」
「助けに来たよ、なのは」
「久しぶりだねなのは。アタシとパスが繋がってるから、フェイトはまだ無事だよ!」
心強い増援と、アルフの言葉に、ほっとしたような様子を浮かべるなのは。
なのはのことは武装局員達に任せ、クロノがヴィータ達へと告げる。
「ヴォルケンリッター! 主に伝えろ!
こちらは時空管理局次元航行艦「アースラ」所属、クロノ・ハラオウン執務官!
武器を捨て、投降すれば、話し合いの用意がこちらにはあると!」
「ちくしょう! ちくしょおおおおおおおおお!」
間に合わなかった。
その現実に、ヴィータが叫び声を上げる。
しかも、現れたのは明らかに自分達のことを知っている手合い。
このままでは、自分達だけではなく、はやての平穏も壊れてしまう。
≪ヴィータちゃん、私の張った結界の外に、もう1枚結界が張られているわ!
これをどうにかしないと!≫
≪……そのレベルのもんを張れる結界魔導師か、設備かが出張って来ている訳か≫
並の結界であれば、何も言わずともシャマルが解除できるし、なんならヴィータも力業で破壊できる。
なのにシャマルがこのような報告をするということは、その結界が並ではないということ。
そして仮に結界を突破できたとして、なのはからはやてのことが管理局に伝わる以上、事態が最悪なことは何も変わらない。
≪なあ、シグナム≫
≪ああ≫
≪今の時点で投降すれば、はやては見逃してもらえるかな。
闇の書も丁度ここにあるしさ≫
≪…………≫
≪ははっ、ごめんシグナム。馬鹿言った。
管理局の奴らなんて信用できる訳がねぇ≫
弱気になった心を奮い立たせ、ヴィータは覚悟を決める。
≪来るんじゃねぇぞ、シグナム、ザフィーラ。
あたしらだけで乗り切れなかった時は、はやてを頼む≫
シグナムとザフィーラが増援として駆け付ければ、この状況を乗り切れる可能性はぐっと高くなる。
だけど、時空管理局にはやてのことが伝わることが避けられない以上、仮にそれでこの場を乗り切れたとしてもはやてを連れて身を隠さなければならない展開は変えられない。
相手の底も見えていない状態で、全滅のリスクを負っての得られるメリットが少なすぎる。
守護者が全員居なくなれば、はやてがどれ程悲しむか。その後、はやてがどんな目に合うことになるか。
自分とシャマルを救うためだけに、その選択をさせる訳にはいかなかった。
ヴィータは手のひらに収まらない程の大きさの鉄球を取り出すと、眼前に構える。
「こいつら全員ぶっ倒して、絶対、帰ってやる!」
それを打ち出すことが、開戦の合図になった。
フェイトが目を覚ますと、そこは心地よいベッドの中だった。
まだ覚め切らない意識で視線を動かすと、その大きなベッドに、もう一人眠っていることに気付く。
「……ぇ」
見覚えのあるその金髪、その小さな後ろ姿に、フェイトの心臓が跳ねる。
意識が一気に覚醒し、周囲を見渡す。
日の光が差し、明るくなった寝室。見覚えのある景色。
「ここは……」
次元空間を旅する前の、時の庭園のフェイトの――アリシアの寝室。
――コン コン
扉からノックの音が鳴り、フェイトはビクリと肩を震わせる。
「フェイト、アリシア、アルフ、朝ですよ」
扉の向こうから聞こえてきたのは、信じられない言葉。
「まさか……」
「んん……おはよ、フェイト」
もう一人の少女が、起きる。
その姿は、フェイトと瓜二つで。そして、フェイトよりも少し幼くて。左手で、寝ぼけ眼を擦っていた。
「―――」
「みんな、ちゃんと起きてますか?」
扉を開けて、猫耳の女性が入ってくる。
その人物も、フェイトは知っている。自身の教育係だった、プレシアの使い魔。
「はーい」
アリシアの気だるげな声がする。
「ふぁあ、眠いぃ」
狼状態のアルフが、大きな口を開けて、自分のベッドから這い出してくる。
「二人とも、また夜更かししてたんでしょ」
「ちょっとだけだよ」
「ねー」
「早寝早起きのフェイトを見習ってほしいですね。
アリシアはお姉さんなんですから」
フェイトが、恐る恐る、女性に話しかける。
「あの……リニス……?」
「? はい、なんですか。フェイト」
視線を巡らせて、隣の少女を見る。
「アリシア?」
「ん?」
更に視線をずらすと、アルフもいる。
「んー?」
呆然と自分達を見回すフェイトの様子を見て、リニスは呆れたように肩を竦めた。
「ふーむ、前言を撤回します。
今朝はフェイトも寝ぼけ屋さんのようです」
リニスの言葉に、アリシアとアルフもおかしそうに笑う。
そんな、穏やかな光景。
「さあ、着替えて。
プレシアはもう食堂ですよ」
「――!!」
そして、リニスの口から零れた名前に、フェイトは身を固くした。
「――母さん」
フェイトのプレシアとの対面は、ベッドの中からだった。
「フェイト、具合が悪いそうだけど、大丈夫?」
「はい、母さん。
ちょっとだるいだけ」
昔の記憶でしか知らない、穏やかな顔のプレシア。
それでもフェイトはどうしても、怯える心と固くなる体を抑えられなかった。
リニスに言われて着替えようとした時、フェイトは自身の体の不調に気付いた。
酷くだるく、体の内側が重い。
熱は無かったが、フェイトは再びベッドに寝かせられていた。
「今朝は夢見が悪かったみたいですよ。
体調のせいかも知れませんね」
「そう。ほら、ゆっくり休みなさい、フェイト。
あなたは私の、大事な娘の一人なんですから」
「……!」
向けられる笑顔と、優しい言葉に、フェイトはやっと実感できた。
優しかった頃のプレシアが、目の前に居ること。
そして自分のことを、娘と、言ってくれている。
(違う……これは、夢だ……)
フェイトは、溢れる涙を抑えきれなかった。
(母さんは、私に、こんな風に笑いかけてくれたことは、一度もなかった)
プレシアとリニスの戸惑う声が聞こえても、フェイトの涙は止まらない。
(アリシアも、リニスも、今はもう居ない)
扉の影から、アリシアとアルフが心配そうに覗いているのが見える。
(でも、これは)
悪い夢はもう覚めたのよと、プレシアがフェイトの頭を撫でる。
(私がずっと、欲しかった時間だ)
せめて泣き顔を見られないようにと、毛布で顔を隠すことも、フェイトにはできなかった。
(何度も、何度も、夢に見た時間だ)
毛布を被ると、目の前の光景が、消えてしまいそうな気がしたから。
前線で戦うヴィータのサポートをしながら、武装局員数名を相手取っていたシャマルは、自身の持つ闇の書の異常に気付いた。
「闇の書……? っ! 待って闇の書! それは!」
≪どうしたシャマル!≫
シャマルの尋常ではない慌てように、クロノ、アルフ、ユーノといった能力の高そうな者達を相手取っていたヴィータが呼びかける。
「闇の書が、勝手に頁の蒐集を! 多分、さっき取り込んだ子から!」
「なっ、それは駄目だ!」
返ってきた回答に、ヴィータも動揺を露わにする。
それは、はやてとの誓いを、はやての願いを、汚してしまう行為。
「分かってるけど……! 止められない!」
そのやり取りを耳にして、ヴィータと対峙するクロノが、眉をひそめた。
フェイトの寝ているベッドに両肘と頭を乗せて、アリシアが膝立ちの足をパタパタさせている。
プレシア達の姿は既になく、今この寝室はフェイトとアリシアの2人っきりだ。
「リニスは夜更かしすると健康によくありませんよーっていつも言ってたけど、アテにならないねーフェイト。
私達じゃなくてフェイトが調子崩しちゃうんだもん」
リニスから「フェイトにあまり無理させてはいけませんよ」と忠告されていたアリシアだが、お構いなしにフェイトに話しかけている。
「うん、ごめんね。心配かけて」
アリシアはにんまり笑うと、寝かせていた頭を起こした。
「今はぐっすり眠って、幸せな夢を見て、元気になったら皆でピクニックに行こ。
母さん、サンドイッチ作ってくれるって」
フェイトはそんなアリシアから視線を外し、天井を見上げた。
「ねえ、アリシア。
これは、夢、なんだよね」
「…………」
アリシアも、フェイトにより近づくように体を反転させ、ベッドを背もたれにするように座り込む。
フェイトが、続ける。
「私とあなたは、同じ世界には……居ない。
あなたが生きてたら、私は……生まれ……なかった」
「そう、だね」
「母さんも、私には、あんなに優しくは……」
「優しい人だったんだよ。優しいから、壊れたんだ。
死んじゃった私を、生き返らせるために」
「……うん」
「ねえ、フェイト。夢でもいいじゃない。
ここに居よ。ずっと一緒に」
明るい声で、優しい声で、……悲しそうな声で、アリシアが言う。
アリシアがもう一度体を反転させると、アリシアの顔がフェイトの真横に現れる。
フェイトは顔を傾け、アリシアと視線を交わす。
「私、ここでなら、生きていられる。フェイトのお姉さんでいられる。
母さんと、アルフと、リニスと、皆と一緒に居られるんだよ。
フェイトが欲しかった幸せ、皆あげるよ」
恐らくはここが、最後の分岐点だった。
フェイトは不調を訴える体を起こし、しかし、アリシアの目を見ることはできなかった。
「ごめんね、アリシア。
だけど、私は行かなくちゃ」
「……うん」
俯くフェイトの目の前に、小さな手のひらに乗せられた、傷ついたバルディッシュのコアが差し出される。
フェイトが息を呑み、ばっと手の主へと振り返る。
そこには、涙を浮かべながらも、柔らかく微笑むアリシアがいた。
言葉に詰まりながらも、フェイトは差し出されたバルディッシュの上に、自分の手を重ねた。
「ありがとう、ごめんね、アリシア」
「いいよ。私は、フェイトのお姉さんだもん。
応えなきゃなんでしょ? フェイトを、助けてくれた子達に」
アリシアが立ち上がる。
繋がった手に引かれるように、フェイトもベッドから抜け出し、立ち上がる。
「現実でも、こんな風にお姉さん、したかったなぁ」
手を繋ぎながら、フェイト達は寝室の真ん中まで歩を進めた。
そこで立ち止まると、繋いだ手の中から光が溢れ、フェイトがバリアジャケットを身に纏う。
アリシアが、フェイトを抱きしめた。
「フェイト、帰るなら、一つ、伝えたいことがあるの」
抱きしめたフェイトをゆっくりと離し、一歩、二歩、後ろに下がるアリシア。
フェイトの目を見つめて、アリシアはあることを告げる。
「フェイトの世界の母さん、生きてるかも知れない」
フェイトが目を見開く。
「私を生み出しているこの世界の知識が、そう言ってるの。
少なくともあの時の、時の庭園では、母さんは死んでいないって」
「母さんが……」
今度はアリシアが目を伏せる番だった。
「ごめんね、こんな事知らせても、フェイトを苦しめるだけだって、分かっているんだけど」
「アリシア……ううん、姉さん。ありがとう。
不甲斐ない妹だけど、任せて」
顔を上げたアリシアは、再びフェイトと視線を交わす。
フェイトの顔を見てアリシアは、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、フェイト」
倒れ伏す武装局員達の中で荒い息を吐いていたシャマルは、自身の持つ闇の書から溢れ出す黄色の魔力光に気付いた。
シャマルの背筋が凍る。
「! これは……まずっ!」
気を取られたシャマルは、飛び出してきた緑色と橙色のバインドを避けられなかった。
「なのは! 今だ!」
ユーノがなのはに呼びかける。
シャマルの周囲で倒れていた武装局員達が、転送魔法で後方へ退避させられる。
「スティンガーブレイド!」《Execution Shift》
クロノの展開した巨大な魔法陣から生成される魔力刃の雨が、シャマルに迫った。
シャマルを守るため、ヴィータが割り込み、その魔法を防御魔法で防ぐ。
威力よりも手数と持続を重視しているようで、魔法の規模の大きさにしてはヴィータは問題なくそれを防ぐことができた。
しかし、その雨が止む様子はない。
あからさまな次の一手への布石に、相手の狙いを看破しようとしたヴィータ達は、それより先に、悪寒で身を震わせた。
振り向く先は、交戦区域の、更に後方。戦闘区域として認識していなかった程の位置。
管理局からの増援が現れてからこっち、局員達によって避難させられたと思っていた高町なのは。
彼女が、デバイスを頭上に掲げ、シャマルに狙いを定めていた。
「二人とも、お話聞かせてもらうし、お話、聞いてもらうから!」
戦場中から、色とりどりの魔力素が、桜色にその色を変え、なのはの元へ集う。
なのはの頭上には、既に巨大な魔力の塊が生成されていた。その密度が、更に大きくなっていく。
ヴィータ達を、絶望が襲う。
「おい、なんだよそれ……」
「収束砲撃……いけない! ヴィータちゃん逃げて!」
「スターライトォ……」
「アイゼン、カートリッジロード!」
ヴィータが更に強力な防御魔法を展開し、
「ブレイカー!」
「うあああああああああああああああ」「きゃああああああああああああああああああ」
全てが、桜色に飲まれた。
その日も、さつきの学校生活は充実していた。
家族におはようを言って、行ってきますを言って、登校して。
先生とは程よくコミュニケーションを取って、友達と会話を弾ませて。
そして……。
「遠野くんっ!」
「ああ、弓塚。おはよう」
遠野志貴を見つけたさつきは、女友達との会話を切り上げて、志貴の元に向かってゆく。
さつきは志貴に物欲が殆ど無いことも引っ越しをしてからそれ程日が経っていないことも知っているため、話題は自分の方から提供していく。
さつきが友達との会話から集めた話題で志貴と話していると、ふとある集団がにわかに盛り上がっていることに気付いた。
さつきと志貴が2人揃ってそちらを見ると、その、先ほどまでさつきが混ざっていた集団がさつきに向かって頑張れーとでも言いたげなジェスチャーを繰り返していた。
さつきが顔を赤くして俯き、志貴が若干引いていると、不意に志貴の肩に腕がかけられる。
その男、乾有彦は志貴の首をガッチリホールドし、体重をかけたり緩めたりしながら話しかけた。
「だから言っただろ遠野、さっちんは学園のアイドルで、人気も人望もあんだよ」
「それは分かってるって。ただ、弓塚とは本当に気楽に話せるからさ、俺としてはそっちの印象のが強くて」
「まっ、それが弓塚の人望の成せる技かもな。弓塚もまんざらでもねーみてーだぜ」
有彦の言うように、弓塚の頬は志貴の言葉に緩み切っていた。
「えへへへへへへ……。
あっ、乾くん、最近よく学校来てるよね、珍しいな」
さつきはその頬を取り繕うように有彦にも話題を振るも、有彦はとてもいい笑顔でそれに返す。
「おっ、気付いた? いやー最近急接近してお似合いになってきてる男女がいましてね?
そいつらの進展が気になってしょーがないのよ」
「えっ、その男女ってもしかして……へへ」
「おまっ、適当な事言いやがって。
お前がそんなことで真面目に学校に来るタマかよ。
弓塚、気にしないでいいぞ。どうせ今のうちに講義に出といた方が楽な理由がなんかあるだけだ」
「ふふっ、わたしは別に、その理由でも嬉しいよ?」
「そうか? まぁ、弓塚がいいならいいけど」
そんな、学校での一幕もあり。
そして学校が終わると、さつきと志貴の2人きりの時間が始まる。
「最近、遠野くん調子良さそうだよね」
「そうかな。俺としては、あまり自覚はないんだけど」
「だって、毎日遠野くんと一緒に帰れてるもん。
貧血で倒れちゃった日は、心配だし寂しいしなんだよ」
「ああ、なるほど。
そういう弓塚は、最近特に楽しそうだよな」
「うん、楽しいよ。
わたしね、この楽しい時間が、わたしの望む限りずっと続くような気がしてるんだ」
「そっか。
うん、根拠なんて何もないけど、それはきっといい事だ」
「ねえ、遠野くん、わたし」
その、幸福な現実が、
「――ぇっ」
黄色と桜色の光に、呑み込まれて、消えた。