太陽が沈み、夜の帳が落ちている寒空の下、さつきは椅子の上で膝を抱えて空に浮かぶ月を見上げていた。
(………やっぱり、夜と月は落ち着くなぁ)
何故さつきがそんなことをしているのかと問われれば、無性にそうしたくてたまらなかったからというのが回答になるだろう。
さつきにはもう何がなんだか分からなかった。
並行世界の死徒と出会えたと思ったら、それは勘違いで。
絶望して、自分の正体を伝えたら、それでも受け入れられて。
話が終わって、ある程度落ち着けるような環境になって、今のさつきは自分の心が荒れていることを自覚できるくらいにはなった。
さつきが荒れているのを察してか、この日の話し合いの大部分は月村家がさつきをサポートするにあたっての必要な情報の整理に留まった。
とはいえそれでも話し合いは難航したのだが。
さつきも月村家から血を譲ってもらうという分には納得してしまったため、それに必要な分の話し合いはする必要があった。
更に、単純に忍達側の欲しい情報が増えた。
さつきに血を分けることになったことで必要になる情報として、どの程度の怪我で血が必要になるのか、どの程度の量が必要になるのかといった部分から忍達は知らないのだ。
加えて、怪我をしたら血が必要になるのだから襲われる頻度やら吸血鬼を狙う勢力やらにまで話は広がる。
当然、話を進めていくにあたって忍達にとっての新情報も増えていく。
それだけでも十分話が逸れてしまうのに、さつきがそれを忍達にとって詳細を知らない情報と気付かないまま話を進めてしまっていたり、
お互いに常識だと思い込んでいる部分に相違があって話がすれ違ってしまっていたりするともう大変なことになる。なった。
やり取りの中、本当にこの二人は自分の危険性が分かっているのかとさつきは何度憤ったか分からない。
そしてその考えは、今日の話し合いの中で告げられたある内容にも大きく関わってくる。
端的に言うと、さつきのことを月村の屋敷にしばらく匿うのはどうかという提案だった。
さつきは元々、これからもずっと月村の家に住まわせてもらう気はなかった。
これ以上無関係である月村家を巻き込むつもりはなかったし、死徒でもないのだから守ってもらうつもりもなかった。
それに、すずかという存在のこともあった。
一時的ならまだしも、同い年の他人がいきなりひとつ屋根の下に住み着くことになるというのは精神的負担が大きい筈だ。
その懸念については忍達も同意見ではあった。
すずかは優しい娘だから、恐らく不満等言わずにさつきを受け入れてくれるだろうとは忍達は思っている。
しかし、優しい娘だから精神的負担を抱えないという訳では決してない。
むしろ、自分の精神的負担を隠して、我慢できてしまう娘が、優しい娘と周囲に認識されるのだ。
しかし、そんな事情も呑み込んだ上で、そんな提案を忍はしてきた。
最終的な決定は保留にしてあるが、その流れで、さつきは未だに月村の屋敷にいる。
そう、さつきが今居る場所は月村邸の広い庭の一角であり、座っている椅子はそこにポツリと置かれた丸机に並べられたものの1つだった。
何故さつきが寒空の下にぽつりと座っているのかということに再度言及するのであれば。
用は、さつきは自身の荒れた心を落ち着けることに必死なのだ。
彼らは人間で、自分は死徒。
さつきが月夜を求めた一番の理由は、それに包まれることによって落ち着く自分を認識して、改めて自分が死徒であるのだと――人間とは違うのだと実感したかったのだった。
自分にそう言い聞かせたかったのだろう。
事実として月夜に安心感や力強さを感じることができるため、さつきの心持ちはかなり落ち着いてきている。
(………)
落ち着いてきてはいる……のだが、さつきは今だに憮然とした表情をしていた。
その様は何か不満があるかのようで、さつきは原因であるその手の中にあるものを握り締めた。
そう、さつきに不満があるとすれば、今の自分が毛布に包まっている状態だということだろうか。冷えるからと渡された物である。
昼間の話し合いを経ても変わらない気遣いを受けたこともそうだが、さつきにとってはとても不服なことに、人間の体である現状で寒空の下は普通に寒いためこの毛布は実際はかなり有難かったりする。
それがまた今のさつきには腹立たしいのだ。
さつきは悩む。これから自分はどうするべきなんだろうと。
今回の話し合いでさつきにとって大失敗だったのは、渡された事件の資料を自身が起こしたものであるものとそうでないものに分けただけでなく、残った分を真相を知っているものと知らないものにも分けてしまっていたことだった。
そしてその真相の大半はジュエルシードが原因のもの。明らかに何かしらの意図があって分けられた2つの資料、それにも話の内容が飛び火するのは当然のことだった。
幸いにも今日は、それらの事件の話は後日聞かせてという流れになったが、さつきはどうしようと頭を悩ませていた。
当時はこんなことになるなんて思っておらず特に考えもなく分けてしまったが、前述した通りジュエルシードについて話し始めると一気に話がややこしい方向に広がってしまう。
今回のことには一ミリも関係の無いことであることを知っているさつきとしては出来る限り避けたいところだった。
更に、今回の話し合いの後に告げられた情報が、事態を更にややこしくしていた。
恭也――高町恭也が、なのは――高町なのはの兄であるという情報が。
完全に不意打ちだった。
恭也から、「高町なのはって名前に聞き覚えはあるかな?」と訊かれた時は、少しの間本当に何を言われているのか分からなかった。
やがてなのはという名前が自分の知る少女の名前と一致して、あからさまな反応をしてしまったさつきを目の前の人物がその兄であるという更なる衝撃の真実が襲ったのだった。
しかも、恭也が魔導師の存在を知らないことを再度確認したため、なのはが魔法関係を秘密にしているパターンであると推察できてしまった。
恭也から尋ねられたのは、なのはと一体どんな関係なのかということと、さつきの方からなのはに会う意志があるのかということ。
会うつもりかどうかというのはきっぱりと首を横に振ったが、困ったのはなのはとの関係だ。
魔法関係を内緒にされているのに一体どんな経緯でなのはと自分との繋がりを知ったのか疑問には思ったさつきだったが、当時のさつきはそんなこと二の次である。
そりゃ自分の知らないところで妹がこんな物騒な生物と関わりがあったら追及する。そんなことはさつきにも分かる。
だがさつきはなのはに対して少なからず負い目を感じているのだ。
なのはが魔法関係を内緒にしている以上、そこに触れると今以上にややこしいことになるのは分かりきっていたのもあるが、それ以上になのはの隠している(かなり重大な)ことを勝手に暴露とかできなかった。
だが流石に無理矢理血を吸ったりとか殴りかかったりした関係ですとかも言える訳もない。というかそれこそモロに恭也が心配しているような内容だろう。
それに自分の負い目を再認識するような発言は極力したくないのは人の性。
しかし当然これに関しては恭也も引く訳がなく。
そのまま問い詰められて、結局……
「はぁーーーーー」
「さつき様、やはり冷えますでしょうか」
思わず深くため息をついたさつきに、その素振りを見咎めたノエルがそう声をかけた。
今の状況でさつきを一人きりで室外に居させて欲しいなどと許可される訳もないのである。
さつきの座っている椅子の後ろには彼女に付き合う形でノエルが控えていた。
さつきはその問いかけに憮然とした表情をする。
「そういうノエルさんは毛布も持っていないじゃないですか。
こんな夜中に外に連れ出されて、そんな状態で何をするでもなくぼーっとさせられて、腹立たしくないんですか」
我ながら酷い返しだとさつきは思った。
問いかけには返さない、自分の行動で迷惑をかけていること分かってますよというアピール、加えて挑発。役満である。
だがそんなさつきの発言にもノエルは嫌な顔一つしないどころかピクリとも表情を変えずに涼しい顔のまま返答した。
「私は人間ではありませんので」
さつきの機嫌が更に悪くなった。
「わたしから言わせてもらうと、夜の一族だって普通に人間の範疇ですよ」
「あ、いえそうではなく」
なんだ。
「私、自動人形ですので。睡眠時間の調整も可能ですから、好きなだけさつき様にお付き合いできます」
「………は、い?」
忍と恭也はさつきから得た情報をまとめていた。
結論から言って、さつきの必要な血液の量は話の通りならば月村家のルートで何とかなりそうであった。
そもそもが血が必要な程の怪我というものが人間基準で自然治癒が見込めない程のものらしい。
普通に生活している分には、不幸な事故がない限り中々そんなことにはならないだろう。
当たり前の話なのだが、今を健常に生活できている人間はほぼほぼ全員がそういう事態に陥らなかった者達なのだから。
その”普通に生活している分”というのがネックだったが、
『血を飲めば傷が治るからと言って、怪我をするのも構わない行動ばかりとったりしないよね?』
との恭也の言にも、
『してません。直ると言っても、痛いものは痛いんですよ』
という返答が帰ってきた。なる程道理である。傷が治れば問題ないのならば誰だって注射も親知らずの抜歯も躊躇わない。
そして自然治癒が見込めない怪我なんてのはどこをやらかしても普通に激痛である。そんな痛みを受けるのも厭わない行動など早々取らないだろう。
先程目の前で自分の腕を切りつけるのを見た忍が疑わしげな視線を向けていたが、さつきはそれに心外だと唇を尖らせていた。
実際、切り傷1本なら刺激さえ与えなければ少しくらい深くてもそんなに痛くはないことを恭也は知っていた。
だが、それとは別に、恭也達には気になることがあった。
―― この少し前から、さつきの表情の変化が大げさになっていた。
それは、さつきの本来浮かべてしまいそうになっている表情を覆い隠そうという意図が丸見えで。
そもそも、さつきの態度がとてもよそよそしくなった、なんてことには恭也達もすぐに気付いた。
というか、なんとも分かりやすい。
顕著になったタイミングは、さつきが自分を”人を殺す化け物”だと宣言した前後から。
「……さつきちゃん、かなり動揺してたわね」
「ああ、何にそんなにショックを受けているのか、なんて推測はいくつか勝手な想像はできるけど。
まぁ、今はそれにあからさまな態度を取ったりしないのが一番だろう。
そこを解き明かしたところで、得られるのは俺達の自己満足くらいしかないしな」
別に、恭也達はさつきの語ったことを信じていない訳ではない。
さつきが他人を犠牲にしたことがあるという言についても、忍は兎も角、恭也は十分にあり得ることと認識していた。
何しろ、昨晩路地裏でさつきに出会ったのが恭也ではなく一般人であったのなら、その者は死んでいただろうと確信しているからだ。
それでも、だ。
恭也は吸血衝動を知らない。しかし、そんなことを知らなくても察することはできる。
死にそうな程の怪我を負って、痛くて、苦しくて。
そしてそれを何とかできる手段があって、でもそれが他の大勢を傷つける手段であった時。
それをしてしまうことは、責めるべきなんだろう。咎めるべきなんだろう。"人間社会の在り方"としては、その方が正しい。
しかし、それをしてしまうことを理解もできてしまう。理解できない者なんていやしないだろう。
それに、あれが正常な判断ができるような状態じゃないなんてことは説明されなくても分かる。
無論、”だからこそ”危険なのだということも理解した上で、それでも、だ。
「あんなに辛そうな顔で笑われちゃあなぁ……」
恭也も忍も、昨晩自分達相手に朗らかに接してきたさつきを知っている。
さつきの正体を知ったところで、それまでに感じた人柄を忘れてしまう訳ではない。
「とにかく、どっと疲れたわ……」
忍がぼやく。
話の内容が内容な上に、そんなやり取りを交わす相手が小さな女の子であることに対する精神的疲労はとても大きかった。
一つ安心できることと言えば、さつきの語っていた「教会」についてだろうか。
さつきはこの町でその者たち会ったことはないというし、忍も恭也も聞いたこともない組織だった上、
さつき自身こちらからの接触の仕方も知らないような者たちということで、あくまでではあるがひとまずは気にしなくてよさそうだった。
今回さつきを襲った者についての追加の情報は得られなかったが、これについてはどの道さつきの言だけで全てを判断する訳にはいかないのだ。
今日さつきから詳細に語られたとて、明日以降も調査に飛び回ることに違いはないためそこまで問題ではなかった。
一方で、悩みの種が想定外に大きくなったのは恭也である。
なのはとの関係をさつきに尋ねた結果、関わりがあることは確認できたもののそれ以上のことは聞き出せなかった。
その上、恭也達が調べた不可解な事件のうち、いくつもの事件になのはが関わっているらしい。
さつき曰く、『なのはちゃんが黙っていることを、わたしから話せない』ということだが。
自分となのはの関係についても、海鳴で起こった事件についても、自分の話せる内容は全部なのはも知っているからと、なのはから聞き出してくれと突っぱねられてしまった。
何とかしてさつきから聞き出すにしても、なのはから聞き出すにしても、兄としてなんとも頭の痛い展開になってしまっていた。
……なんとなく、ではあるが。
恭也はある程度、なのはとさつきの関わりが見えてきていた。
それらの事件が起こっていた時期と、なのはが色々と慌ただしくしていた時期。
何が「正しい」なのか分からないとなのはが言っていた、あの日。
友達になりたい子がいるとなのはが力強く宣言していた、あの日。
ユーノ・スクライアとフェイト・テスタロッサがその子達なのかと思っていたが、その中に弓塚さつきもいたのだとしたら。
そうなれば、リンディ・ハラオウンさんもこのことに関わっていることになる。
確かにあの頃のなのはは頻繁に夜遅くに出歩いていたり、やっていることはそれなりの危険があると告白もされてはいた。
しかし、友達になりたい子達のために、こんな奇怪な超常現象もかくやな事態におもいっきり関わっているとまではちょっと想像できていなかった恭也であった。
そうして時は過ぎ、その翌日のこと。
私立聖祥大附属小学校の教室で、今日も今日とてすずかとアリサとなのはは一同に会していた。
その日のなのはだが、二人の前でどうにも釈然としないという様子を見せていた。
「なのは、どうしたの?」
「……お兄ちゃんの様子が、どうにもおかしいの」
アリサの問いに、なのはが困り顔でそう返す。
「昨日の夜にすずかちゃんの家から帰ってきてから、なのはに対してなーんか……うーん」
なのははそう言いつつすずかに視線を向ける。どうやら恭也との間に言葉にしづらい違和感を感じる何かがあったらしい。
「すずかの家から? 忍さんと何かあったの?」
「それだとなのはに対して何か変なのは納得できないの」
そうしてアリサの視線も、何か心当たりはないかとすずかに向けられる。
「……うーん、お姉ちゃんと恭也さんの間には、特に気まずくなるような出来事や雰囲気はなかったけど……」
「それなら、まぁいいかなぁ。別に困ってる訳じゃないし」
すずかの返答に、なのはは肩をすくめながらもそう返した。
別に不満があるとかいう訳でもなく、本当に釈然としないだけらしい。
そんな一幕もありながら会話を続けていると、ふとすずかが提案した。
「今日だけど、私の家で遊ばない?」
放課後になって、月村邸の一室。
壁のほとんどがガラス張りで、日当たりのよいその部屋は、いつも屋敷の住人達がお茶を楽しむ時に使っている場所だ。
学校帰りのすずかはそこの机でお茶をしており、ファリンがその傍に仕えていた。
と、そんな折、月村の家のインターホンが押された音が鳴り響いた。
忍はまだ学校だし、ノエルはノエルで街中に出て諸々を調査していて屋敷には居ない。
そのため自分が出るために部屋を後にしようとしたファリンは、すずかの声に引き留められた。
「あっ、ファリンごめん。言い忘れちゃってた。
今日アリサちゃんとなのはちゃん、うちで遊ぶ約束してるから、今来たんだと思う」
「ええっ!?」
突然の情報にファリンは焦る。
「では、すぐにお通ししますー」
すずかにそう告げ、ファリンは急いで屋敷の門へと向かう。
月村のメイドとして、予めアポイントメントのあったお客様を待たせる訳にはいかない。
その道中、ファリンは自身の取るべき行動を急いで纏める。
何しろ今のお屋敷にはさつきがいる。
さつき自身がなのはと会うことを拒否しているのもあるが、それがなくとも、彼女をなのはと会わせるのは騒動が落ち着くまで待った方がよいということになっていた。
すずかはさつきのことを「秘密のお客さん」としか聞いていないため、そこまで気にしていなかったのだろう。
例えなのは達が彼女と会ってしまっても、彼女達が初対面の赤の他人であれば「秘密のお客さんだから詳しくは紹介できない」とでも説明してしまえばそれで十分秘密のお客さんである。
(なのはちゃん達を案内したら、さつきちゃんを探して部屋から出ないようお願いしないと)
さつきは割り当てられた部屋にいる筈である。このことについては確実ではないが、幸いにも月村の家は広大だ。
人と人とが出会うのにも結構離れている時点で人影には気付けるため、なのは達を案内する最中に出会ってしまいそうになっても如何様にでも誤魔化せる。
ファリンが屋敷の門を開けて外に出ると、門の横に黒塗りの高級車が停まっており、その前にアリサの執事の鮫島が立っていた。
2人は軽く挨拶を交わすと、鮫島が車の扉を開け、そこからアリサとなのはが降りてくる。
「いらっしゃい、アリサちゃん、なのはちゃん」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
アリサ達が降りると、鮫島はファリンと手早くやり取りを交わし、一礼して去ってゆく。
なのは達はファリンに連れられて、月村の家の扉を潜り、玄関を通り、すずかの待つ部屋へと案内されていった。
道中何事もなく、一同はすずかの待つ部屋までたどり着く。
ファリンは扉をノックし、それを両手で押し開けながらすずかに報告した。
「すずかちゃーん、なのはちゃんとアリサちゃん、お連れしましたー」
「ファリン、ありがとう。
いらっしゃいアリサちゃん、なのはちゃん」
「えっ?」
「えっ!?」
返ってきたすずかの言葉の後に、困惑と驚愕の声が2つ届いた。
一つは、すずかの待つ部屋の中から。もう一つは、なのは達を案内してきたファリンから。
「……え」
そして、なのはの口からも同じ音が漏れた。
なのは達の前に開いた扉の先、そこに、すずか以外にもう一人の少女が戸惑いながらこちらを見ていた。
「……さつき、ちゃん?」
あとがき
メルブラ新作やりたい
ただ自分格ゲー適正0なんよなぁ……横入力のコマンド入れようとしてぴょんぴょん飛びよる