眠りから目を覚ましたさつきは、いつもとは違う、自分を包みこむ柔らかくて暖かな感触に頬を緩めた。
「んー」
満足げなうめきと共にベッドの中で体を丸める。
寝間着の浴衣特有の、布団の中で動いたら簡単にズレる現象で浴衣がはだけ、脱げていくが布団に包まっているさつきには関係ない。元々個室だし。
むしろあらわになった肩や背中が直接シーツに触ってそこはかとなく気持ちよかった。
さつきは、忍が今日話を聞くと言っていたのを思い出すが彼女も吸血鬼である。ならばそれは夜になるだろうと考える。
と同時に、自分の体が特別製で、今のうちは昼でも動けるということを伝えておくのを忘れていたことにも思い至った。
まぁ、それは左程問題にはならないだろう。どうせ相手方にとって就寝時間でのことなのだから。
ということはだ。つまりはさつきはこのままずっと布団の中でぬくぬくぐだぐだしていても何の問題もないということである。
……であるのだが、他ならぬさつきがそうは問屋が卸さなかった。
―― ぐぅ~
「……お腹すいたよぉー」
何度も言うようだが、今のさつきの体は人間のもの、血では腹は膨れない。
昨日あれだけボロボロにやられて、体の一部も丸々欠損した状態から回復して、そっから恭也の血を少しばかり飲んだだけで何も食べていないのだ。
エネルギー切れであった。
さつきはその温もりを惜しみながらももぞもぞと布団から這い出ると、昨日廃ビルから持ってきた着替えにいそいそと袖を通し始めた。
さて、とさつきは悩む。起きたら呼び鈴でノエルを呼ぶように言われていたのだが、向こうは自分がこんなに早く起きるとは思ってないだろうしなー、と。
もしかしたらノエルも今は寝てるかも知れない。
とはいえ、誰かを呼ばなければご飯にありつけないのだ。
廃ビルに戻ればそこら辺はあるにしても、一日泊めてもらった立場で何も言わずに外に出る訳にもいかず、かといって無断で食料を漁るなどもってのほかである。
さつきは空腹を訴えるお腹に観念して呼び鈴のボタンに手を伸ばした。
結論から言って、さつきの心配は杞憂だったらしい。さつきが呼び鈴を押してから、時計の秒針が一周するよりも早く部屋の扉がノックされた。
早すぎるだろうとさつきは驚く。慌てたような足音も聞こえなかった。
こちらの返事を待ってから開けられた扉の向こうのノエルは寝間着姿でもなく、しっかりと仕事着であるメイド服を着こんでいた。
そして、おはようございますと堂々とした礼をするその姿に、さつきは根拠もなく「流石」と思わされた。
さつきはノエルに連れられて食堂へと向かう。朝日が昇って明るくなった屋敷の中は、やはりというべきかとても立派なものだった。
窓の位置はちゃんと通路まで日光が直接差し込まないように工夫されているようだ。
その道すがら、さつきは「今自分は少し特殊な方法で日光の下に出ても大丈夫になっている」ということをノエルに伝えたのだが、その反応はといえば、
「……? はい」
と何やら芳しくないものだった。しかもその後少しして何やら優しい目でさつきのことを見始めたため、さつきとしては冗談として扱われた気しかしなかった。
少し不満だったが、まあいい。一応伝えたことは伝えたのだし、後で忍の方にもしっかりとした説明をすればよいのだ。
「ひぁっ!?」
と、ある通路とT字で交差する部分を通り過ぎようとした時、その向こうからそんな悲鳴が聞こえてきた。
ん? と、さつきとそれに先行していたノエルは足を止める。
さつきがそちらを向くと、なのは達と同じくらいの背丈の子供が胸元を抱きながら怯えたようにしていた。
更にさつきと目が合うと一歩後ずさるが、道の影からノエルが出てくると少し安心したような、しかし困惑したような、そんな様子を見せる。
その様子でさつきは察した。
そりゃ朝起きて、自分の家の中を見知らぬ子供が歩いていたら怖いだろう。
が、ノエルはその少女の様子に眉を潜めていた。
「おはようございます、お嬢さ――「すずかちゃんごめんなさーい。言い忘れてたこと……が……」
会釈するノエルの言葉を遮る形で、少女の更に向こうの曲がり角から、さつきの知らないメイドの女性が姿を現す。
そしてその場の状況を見て一瞬で固まった。まるでやらかしてしまったと言いたげな……いや、実際にやらかしてしまったのだろう。
「ファリン、全く貴女という子は……」
ノエルの表情は澄ましていたが、こめかみの部分が引きつっていた。コワイ。
そんな彼女らの様子を見て、少女の方も何やらを察したらしい。新しく出てきたメイド、ファリンに一度だけ批判するように視線を向けて、ノエルに尋ねた。
「えっと、お客さん?」
「はい、こちら弓塚さつき様といわれまして、諸事情あり昨晩からこちらでお泊りに」
「あ、えっと、弓塚さつきです。お邪魔してます」
「月村すずかです。さつきちゃんって言うんだ。ごめんね、ちょっと驚いちゃって」
すずかの謝罪に、さつきは首を横に振って応えた。
さつきの存在を知らされていなかったすずかが驚くのは当然だ。
「ファリン、後でお話があります。今はまず、お嬢様の部屋の片付けを済ませてきなさい」
「はいぃ~」
ノエルの言葉に、ファリンはすたこらと出てきた道を引き返していった。
そんな様子にノエルは息を吐き、さつきに対して一礼する。
「うちの者がお見苦しいところをお見せしました」
そんなノエルに、さつきはいえいえと手を振るばかり。
「では、こちらでございます」
そう言って、再び先に進むノエルにさつきが続き、更にその後ろをすずかが歩を進めた。
「ここが食堂となります」
左程進まないうちに食堂に着いたさつきは、ノエルに促されるままにそこに入ろうとする。
と、さつき達の後ろを歩んでいたすずかがそこを素通りしたため、さつきはつい視界の端でその姿を追う。
別に行き先が同じという訳でもなかったのだから、それもそうかと思いつつもそのまますずかの姿を目で追っていると、彼女は隣の部屋へと入っていっていた。
さて、そのすずかが入った先、そこもまた食堂であった。
「おはようお姉ちゃん」
「おはようすずか」
すずかは椅子に座りながら、先に座っていた忍に挨拶をする。テーブルの上には既に料理が並べられていた。
すずかが部屋に入って少しすると、再び扉が開いてノエルが部屋に入ってきた。
しかしノエルはテーブルの方までは来ずに扉の前で立ち止まる。
「忍様、さつきお嬢様がお目覚めになられました。
朝食をご所望でしたので隣の食堂にお通ししました」
「そう、ありがとう。ならこっちはいいわ」
ノエルの言葉に忍がそう返すと、ノエルは一礼して部屋から出て行った。メイドがもてなすのは客人が優先である。
こちらにもすぐにファリンが来るだろうが、このことを考慮してかあらかじめ並べておいても冷めてしまうことのないよう、今朝の主食はパンだった。
本来なら客人は家主である忍直々に食事の席に誘うべきなのだが、さつきにそれは硬苦しいだけだろう。それに忍には朝一ですずかに言っておきたいことがいくつかあったのだ。
「「いただきます」」
まぁそれは置いておいて、まずは腹ごしらえである。
食事が終わって一息ついたところで、忍は切り出した。
「ねぇすずか、貴女今日どこか出かける予定ってある?」
「え? 特に決めてあることはないけど……」
忍からの問いかけに、すずかはなんだろうかと思いつつも答える。
「そう、じゃあ悪いんだけれど、今日一日は家に居てくれないかな?」
「いいけど、今日何か用事あったっけ」
すずかの疑問に、忍は申し訳なさそうに答えた。
「それがね、今、私達の一族の関係でちょっとごたごたしてるの、すずかも気付いてるわよね?」
すずかの心臓が跳ねる。
「……うん」
「それで、そっちの過激派がなんか嫌な動きしてるみたいで、まだ詳しいことははっきりしてないんだけど、すずかも狙われる可能性がある……って」
あまり詳しく分かっていない話を、忍は多少誤魔化してというか軽く脚色して話した。
「………」
思わずすずかは押し黙る。嬉しくないことに、実はその類の話はこれが始めてではないのであった。
過去、すずかの誘拐未遂というのは実は実際に起こっているのだ。
すずか自身に接触する前に忍や恭也達の尽力で叩き潰されたが、そのこと自体はすずかも知っていた。だからその話に何の疑問も持たない。
だが、しかし。
「ねぇお姉ちゃん。それなら、今何が起こっているのか、私にもちゃんと教えて。
もう私も部外者じゃないのなら、狙われる可能性があるのなら、私、ちゃんとしたことを知りたい」
だからこそ、こんな決意に満ちた言葉が返ってきた。
そのことに忍は目を丸くして驚く。何か言おうとして口を開くが、何も言えずにそのまま閉ざしてしまう。
今までは、すずかはこんな強い娘じゃない筈だった。
夜の一族のことなんて、自分とは関係ないと。何で巻き込まれなくちゃいけないのと。何で自分は普通じゃないのと。
すずかはそうして、夜の一族から自分を遠ざけてきた。
そのことを誰も責めることなんてできない。9歳の女の子にとってそれは、とても重いものだから。
それを受け入れなければならない責任も、すずかにはない。少なくとも今はまだ。
だから忍もそれをよしとしてきたし、すずかが一族の関係に極力巻き込まれなたりしなくていいようにとしてきた。
それがこんなにもはっきりと向き合う意思を見せるなんて、忍は予想もしていなかった。
確かに先日、ここ最近の夜の一族関係の事件に興味を持っている様子を見せていたが、まさかここまでの意思があるとは思っていなかったのだ。
それ自体はとても喜ばしいことである。すずかが夜の一族のことで悩んでいるのは、忍にとっても心苦しいものだった。
それが目に見えて前進しているのだ。少なくとも前進しようとしている。嬉しくないわけがない。
だから忍としても、是非すずかの問いに答えてあげたかった。その気持ちに応えてあげたかった。
だが、
「ごめんねすずか。今はまだ、私達でも殆ど何も分かってないのよ。殆ど憶測ばかりで」
何と間の悪いことにその肝心の答えを忍自身が全く持っていない有様だった。
忍は申し訳なさそうに言うが、勿論すずかがそれで納得する訳がない。
「………」
しかしすずかはそれで押し黙ってしまう。
忍の言に不満を抱いていない訳では勿論ない。だが今まで自分が散々夜の一族のことから逃げてきたことから強く言うことができなかったのである。
今までの事を考えればこういう対応をされるのも仕方ないと考えてしまうのだ。
二人の間に訪れた気まずい沈黙を、二人は紅茶を飲んで流すと共にしゃべって乾いた口内を潤す。
カップを置くと、忍が続けて口を開いた。
「それとね、実は今一人お客さんが来ているの。さっきノエルが言ってたさつきちゃんって子なんだけど」
「うん、さっきそこで会ったよ」
「………えっ」
忍から意表をつかれたような声が上がった。
そして続けて渋顏を作る。
「そっか、そうよね。しまったわ」
どうやら自分たちが会ってしまうのは不味かったらしいと、それを察したすずかは更に機嫌を悪くした。
このタイミングでそんな風に言われるということは、つまりはさつきは夜の一族の関係者であるということ以外考えられないだろう。
「それでね、そのさつきちゃんのことなんだけれど。もうなのはちゃん達に写メとか送っちゃてたりする?」
「ううん、まだ軽く挨拶しただけ」
すずかのそのこたえに忍は安心したようにほっとした。
「そう、よかったわ。
実はあの子、秘密のお客さんでね。うちにいるって他の人に知られちゃ駄目なのよ。
だからすずかも、少しの間他の人にさつきちゃんのことを言わないで欲しいの」
勿論、これはなのはにさつきがここにいると知られることのないようにとの方便だった。
さつきがなのはの探し人であるという話は既に恭也から伝えられており、相談した上で決められた方針だった。
忍としても、こんな物騒な事態になのはを巻き込むつもりなど勿論ない。
そしてすずかも、その頼み自体には何の疑問も持たない。だから少しむすっとしながらもそれに頷く。
「……うん、分かった」
朝食を終えたさつきだが、当てられた部屋に戻ってさてこれからどうしようかと考えていた。
部屋に戻るまでノエルが付いてきていたが、別にここに拘束されている訳でも何かしら指示されている訳でもない。
屋敷の外に出たい時は声をかけてくれとノエルに言われてはいるが、それは当たり前だろう。そしてそれ以外の行動は自由が許されている。
しかし、それでは忍が起きてくるであろう夜まではどうすごしたものかというのが彼女の悩みだった。
館内での過ごし方に関して自分に何の指示も説明もなかったのも、向こうはこちらも夜まで寝ていると思っているからだろうとさつきは考えている。
とそんな時、さつきのいる部屋の扉がいきなりそっと開いた。さつきが驚いて視線を向けると、そこからひょっこりと中を覗き込む先ほどの少女の姿が。
その少女、すずかは部屋を覗き込んでさつきの姿を認めるとほっとしたように顔を緩める。
「やっぱりこの部屋だったんだ。今時間空いてるかな?」
「えっ、うん、丁度暇してたところだったけど」
「よかった。ねぇ、入っていい?」
ノックもなしに扉を開けておいて今更な質問だったが、さつきがそれに頷くとすずかは素早く部屋に体を滑り込ませて扉を閉めた。
そんなどこかこそこそとしているような様子にさつきは内心首をかしげるも、小さな子のすることである。どんな理由があっても不思議ではなかった。
「えっと……すずかちゃん、だったよね?」
「うん、月村すずかです」
そう言って、再度自分の名前を言って挨拶をするすずか。礼儀正しい娘だった。
この時間から活動しているということは死徒ではないのだろうか。
しかし、先程は流してしまったが今気付くと月村といえば忍と同じ苗字である。つまり彼女の家族として扱われているということだ。
さつきの中に細々とした疑問が浮かんだが、まあ人様の家庭の事情にいきなり踏み込むほど礼儀知らずではない。
「実は、今日一日は家にいてくれって言われちゃって、それで私も暇なの。
だからどうしようかなって思ってたんだけど、さつきちゃんのことを思い出して。
だから、一緒にゲームして遊べないかなって」
そして続けてすずかから言われた言葉は、さつきにとっては願ったり適ったりのものだった。
ただ一つ心配な点としては、見たところ小学生くらいの女の子が中身高校生の自分とまともにゲームができるのかというところだったが。
まぁ、ゲームの種類にもよるがその場合は小さな子と遊ぶような、要するにそのまんまの感覚でいけばいいだろう。
しかしそれでも死徒の館にいる少女である。普通でない可能性の方が高いだろうし、それに誰かと一緒に遊ぶなど本当に久しぶりのことである。
単純に凄く楽しみだった。
嬉しそうに了承したさつきに、すずかも嬉しそうに笑いかける。
「よかった。うちには沢山テレビゲームがあるから、好きなゲームで遊べるよ。
いつも遊ぶときに使ってる部屋があるの。こっちだよ」
一方その頃、月村忍は悩んでいた。
「うーん、どうしようかしら」
何に悩んでいるかと言えば、さつきからどうやってこれ以上の話を聞きだすかだ。
というのも、昨日は時間がおしていた関係で結構ズケズケと聞いてしまったが、さつきは見たところまだすずかと同年代程度である。
彼女が発見された時は怪我は無くても血まみれ汚れまみれのボロボロだったのだ。相応の体験をした筈である。襲われたとの証言もあった。
そして自分たちが知りたいのはその襲われた内容やそれに関連する諸々なのである。
そんな相応の恐怖を覚えた筈の体験について、あんな小さな子にどのように切り出して尋ねるべきか。
勿論尋ねないという選択肢は無いため仕方のないことなのだが、今は恭也もいないことだしと忍はさつきへ諸々のことを尋ねにいくことに二の足を踏んでいた。
「忍様」
そんな忍に声をかけたのは、さつきの様子を見ているように頼んであったノエルだった。
「どうしたのノエル」
「はい、先ほどすずかお嬢様がさつき様に一緒に遊ばないかとお誘いになられまして。
今、いつもの部屋でゲームをし始めたところです」
「えっ」
しまった。それが忍が思ったことだった。
確かにすずかにはさつきと接触してはいけない等のことは言ってなかったし、さつきにも今日話を聞くとは言っていたが具体的な時間は何も言ってない。
あのくらいの子なら同年代の子に遊びに誘われたらそれは付いていくだろう。
(……まあ、いっか)
だが少し考えると、忍はそう結論を出した。
どっちみち二の足を踏んでいたのだ。
恭也が帰ってくるまでにはまだ時間があるだろうし、さつきが楽しく遊んでくれれば後に話を切り出すのも気が楽になるというものである。
打算的な考え方もすればすずかと親しくなってくれれば色々と話しやすくもなるだろう。
しかし、と忍は今度はすずかについて思いを馳せた。
まさか、状況的にあからさまに夜の一族の関係者なさつきに自分から近付いていくとは思わなかったなーと。
そのすずかだが、ものすごく普通にゲームを楽しんでいた。
「やった!」
「ま、また負けた……」
そしてコントローラーを握って喜んでいるすずかの隣では、さつきが真っ白になってうなだれていた。
ガッツポーズをしていたすずかはそんなさつきの様子に気付いて慌ててフォローする。
「そ、そんなに落ち込むことないよさつきちゃん。私の方がこのゲームに慣れてるってだけだし」
「ううう……」
確かに、さつきがこれまで連敗してきたのはそのせいというのが露骨にあるだろう。
特にアクション系のゲームなんかになると反射神経よりも操作技術の方が重要になってくる。上手くコマンドが打ち込めない以前に、ボタンを間違えて思う通りに動かせないとか茶飯事だ。
だがしかし、それがあるにしてもこんな小さな子に負けるというのはショックだった。
例え相手の方が慣れているゲームだとしても、反射神経と思考速度、判断の速さで普通勝てるだろうという意識があったのだ。
普通じゃないかも知れないと思ってはいても、見た目が当てにならないと知ってはいても、相手は本来の姿での半分の身長ぐらいしかない少女なのである。
とはいえそんなことを口にする訳にはいかないさつきはうめくしかない。
というか当然のことながら年上の自分がこんな態度で空気を悪くする訳にはいかないのである。
さつきは気を取り直し、コントローラーを握りなおし、再びすずかに宣戦布告する。
―― 少しして、またもやすずかの喜びの声とさつきのうめき声が聞こえることになった。
まぁ、さつきの考えは間違っていない。相手がすずかぐらいの子なら、大抵は大人の方が勝つ。
なら何がいけなかったのかというと、すずかが所謂ガチゲーマーであったことだった。
そも、何故相手が小さい子ならゲームに勝ちやすいかというと、それはゲームへののめりこみ方にある。
小さい子は、ゲームを触ってて楽しければその時点で満足してしまいがちなのだ。
だから時には操作技術も乏しいまま、ということもままあるし、そのゲームに慣れていなくても大人の思考速度と経験で十分喰らいつけるのが大抵である。
しかしガチゲーマーとなるとそうではない。やりこみ、考え、自分を高めることも楽しむことに含める。
そうなると年齢なんてほぼ関係ない。思考速度や判断はゲームへの慣れにより最適化され、同じように訓練をした者でないと太刀打ちできなくなる。
そこに操作技術まで加わればもうさつきに勝てる道理などなかったのだ。
勿論、そこら辺はさつき以上にすずかが分かっていた。
そんな状態で何故勝って喜びの声を上げるかというと、実はこの二人これが中々いい勝負をしていたのである。
さつきにとっては小さな子に負けたというだけで落ち込んでいたので関係なかったのだが。
すずかがあまり自分が慣れていないゲームを選んだということもあるが、さつきの反応速度と判断の早さがすずかの予想以上であったため一応対戦の形にはなっていたのだ。
まぁ、反射神経は死徒のもので判断の早さは大人のものである。
例えさつきの操作が上手くいかなくても、変な動きをしてしまっても、目では見えていて体の反射も追いついているのにキャラが技硬直でどうしようもない隙を晒していても。
それでもすずかも中々ヒヤッとする場面の多い対戦となっていた。
本来なら1、2回やって無理そうならすぐ他のゲームに交換しようと思っていたすずかだったが、そのまま熱くなって何戦もしてしまったという訳であった。
とはいえ何連戦かして何連勝、何連敗かすればお互いに実力が分かるというもの。流石にこのままではさつきに負けないと確信したすずかは今度は協力型のゲームをしようとお目当てのものを探し始めた。
そして暫く後――
「さつきちゃん、そこ、その下のところお願い!」
「えっ、あっここね、うん分かったわ!」
すずかの真剣な声が飛び、さつきの焦ったような声もして――
「やったぁ!」
「あ、あぶなかった……ありがとうすずかちゃん」
二人の喜びの声が上がった。
一息ついた二人はファリンが持ってきたお菓子を食べてジュースを飲む。
いつの間にやらノエルも同じ部屋の片隅で佇んでいる。さつきの気分はお嬢様だ。本当のお嬢様は隣の少女なのだろうが。
そんな折、すずかがふとさつきに尋ねた。
「そういえば……ところでさつきちゃんは、いつまでうちに居るの?」
「え? えっと、忍さんに色々と話を聞かせて欲しいって言われてるから、少なくともそれまではかな」
意図せぬタイミングで自分の気にかかっていることに繋がる情報が出てきて、すずかは軽く狼狽する。
「そっかぁ」
すずかは宙を見つめてそう気の抜けた声を出すと、何か難しい顔をする。しかしすぐに真剣な表情をしてさつきへと向き直った。
そして、問いかける。
「さつきちゃんは、今何が起こっているのか、知ってるの?」
「……えっと? 何がって……何が?」
勿論、すずかはさつきのことを夜の一族の、ひいては近頃のごたごたの関係者であると確信している。
昨晩は居なかったのに今朝起きると家に泊まっていたという非常識さに加えて、今朝の忍との会話の流れからしてまず間違いない。
だがしかし、関係者であることとそれを知っているかは別物だし、何よりまずいきなりこんなこと尋ねられても尋ねられた側からしたら何に対して言われているのか分かる訳がなかった。
自分の中で変な確信があったために何の脈絡もない質問をしてしまったことに気付いたすずかは、慌てて改めて何を尋ねるべきなのかを考え始めた。
「あっ……うーん……と……」
最近、私たち夜の一族の回りで、間違いなく何かが起こっている。
お姉ちゃんは、私に何も教えてくれない。でも私は、何が起こっているのか知りたい。
「だから、お姉ちゃんが話を聞かせて欲しいってさつきちゃんに言ってるなら、さつきちゃんは何か知ってるんじゃないかなって……」
要約するとそうなる事情を、すずかはさつきへと語った。
すずかのそれらの話を聞いたさつきは、なるほどなぁと納得顔。腕を組んで、考えこむ。
しかしさつきの知っている情報で、彼女達にも関係のある事柄と言ったら例の集団に吸血鬼として命を狙われていること以外に思いつかなかった。
「うーん、でもそれならわたしがすずかちゃんに教えてあげられることってないかも」
「えっ、そうなの」
「うん、口止めされてるとかそういうのじゃなくてね。すずかちゃんが知ってるのって、今夜の一族が何者かに狙われているってことなんだよね?
忍さんがわたしから聞きたがってるのって、その人達の特徴だから……」
それは事件解決に必要な情報であって、すずかの欲するような"何が起こっているのか"の情報とは違うのである。
「そっかぁ……ごめんね、こんな話しちゃって」
「ううん、わたしも大したこと教えられなくてごめん」
さつきは謝りながらも、気落ちするのを禁じえなかった。
すずかの期待に応えられなかったから、ではなく、結局この少女が遊びに誘ってくれたのは、それらを聞き出したかったからなのだと悟って。
世界からの孤独感、それから開放された安堵と歓喜、そんな中で大人げなくかなり楽しんでいたさつきにとって、その真実は心に重くのしかかった。
「ううん、そんなことないよ、ありがとう。
じゃあ次はどのゲームやろうか」
「うん……うん?」
「え?」
「………」
あれ、この少女、すずかにとっては今の質問が目的なのであってそれが終わったのだからこれでもう終わりではないのと、さつきは面食らった。
「あ、もしかしてお姉ちゃんとの約束の時間がそろそろなの?」
「え、ううん、そうじゃないけど」
「ああそっか。次はどんなゲームをしたいかなって。さつきちゃんが選んでくれていいよ」
どうやらすずかはさつきがさっきの言葉を聞き損ねたのだと判断してくれたらしい。
事ここに至って、さつきは自分の勘違いに気付いた。
自分に尋ねたいことがあったのは間違いないだろう。だがしかし、それだけではなかったのだと。
さつきは先程浮かんだ自分の考えが恥ずかしく感じられた。
だが何のことはない。ただすずか自身がそんな打算だけで人に近づける程器用ではなかっただけなのである。
すずかがさつきを遊びに誘ったのは、さつきと仲良くなりたいと思ったから。
その動機にさつきに聞きたいことがあるというものだっただけで、仲良くなりたいと思ったことに嘘はないのであった。
ちなみに、すずかは自分が何かを意識してこそこそした動きをしていたことに全くの無自覚だった。
別に、目立たないようにこっそりとドアを開けたりした記憶がないという訳ではない。普段の自分なら普通にドアをノックして外から呼びかけるなりしていたということに気付いていないだけである。
忍から何も話を聞けなかったすずかは、なら関係者で間違いないはずの少女のことを思い出し、そして何か話を聞けないかなと考えた。
しかし事が事だけに碌に話もしていない、出会ったばかりの自分に話してくれるか不明だったし、もし話してくれなかったとしてそのことを忍に知られたら何かしらの対策をされてしまうかも知れない。
そんな警戒心から取らせた行動だった。
だがさつきは今のやり取りで一つ違和感を覚えることとなる。
会話の流れからして、お姉ちゃんというのは忍のことだろう。だが彼女は死徒である。
その彼女との約束の時間が何故こんなまだ昼にも遠い時間だと思ったのか。
そんなさつきの違和感は、それから更にすずかとゲームをしていって、色々と雑談をするうちに増えて、大きくなっていくことになった。
弓塚さつきは焦っていた。それはもう焦っていた。
どのくらい焦っていたのかというと、今日会ったばかりのすずかに
「何か、忘れてたことあったりした?」
と訊かれるくらい挙動不審になっていた。幸いにもすずかの方からそう訊いてきてくれたためそれにあやかって一緒に遊ぶのを切り上げることはできた。
しかしその後ノエルへ忍に会えるかどうかを尋ねると、あっさりと確認を取ってくるという旨を返されその焦りは加速した。
一方ノエルからその要求を伝えられた忍はそれに戸惑う。もしやすずかとの間で何かあったのかと思うも、ノエルによればそれは仲良く遊んでいたらしい。
まさか自分と話をする約束を忘れていて、それを唐突に思い出したから焦っているのかと思うが、本当のところは分からない。
しかし彼女自身話を聞く切欠に悩んでいたこともありそれを快く受け入れた。
忍からの了承の意を伝えられたさつきはうめき声でも聞こえそうなくらいに顔が歪む。心臓が痛い。
これでまだ、忍が寝ているところを起こされた感じであれば……という希望は、ノエルに連れられてたどり着いた忍の待つ部屋のドアを開けると共に砕け散った。
しかしまだ、死徒ならそれ程睡眠を取らなくても大丈夫という希望がある。何なら四六時中起きててもエネルギー効率的に非効率極まりないが別にそこまで驚きではない。
そんな現実逃避をしながら、さつきは開口一番忍に言う。
「忍さん、確認したいことがあるんです、幾つか。……幾つも」
さつきと忍の両名は小さな机を挟んで座る。
そうして幾つかの問答の後、両者共に頭を抱えることとなった。
すずかとの会話でさつきの抱いた違和感、それは端的に言えば「あれ? もしかして夜の一族ってわたしの思ってる死徒とは別物?」である。その通りである。
さつきのそんな予感は忍に幾つかの問いかけをし、そしてそれに何を当たり前のことをというように怪訝な様子で返されたことで確信へ至った。
痛いのを我慢してちょっと前腕の一部を切り裂いたら大いに慌てられたし、魔眼を使ったらしっかり魅了がかかったしもう間違いなかった。勿論魅了は一瞬で解いた。
というか今朝普通に人間の食事を出された時点で何かがおかしいと思うべきだったのである。ずっと人間の食事を取り続けていたので全く違和感を覚えていなかったさつきだった。
そうしてさつきは自身の今まで考えていた吸血鬼、"死徒"について忍に告白した。隠すなんて考えもしなかった。というかこの認識の齟齬を隠して諸々の現状を乗り切るなんて無理ゲーである。
いきなりそんなことを告白された忍は、当然のことながら懐疑的である。物語等に出てくるようなまんまな吸血鬼が世界に存在するなど今まで聞いたこともない。
一般人ならまだしも、アンダーなことにもそれなりに巻き込まれることも足を突っ込むことも多い夜の一族に属する一家の当主が、である。
さつきの語った内容は、忍からすればまぁ普通に考えてただの子供の勘違いである。
しかしさつきの語った内容を裏づける状況証拠がありすぎるのだ。
あれだけ汚れに塗れて穴の開いた服を着ていたのに体には傷一つなかったこととか、今までの事件の大体が夜に発生していたりとか、恭也の証言となるが胸にある筈の傷痕がなかったりとか、恭也の言っていた身体能力だとか。
全部さつきの言った内容通りならば説明がついてしまう。おまけに腕を切り裂いて肉が見える状態からそれが直る様を見せられてしまった。勿論夜の一族にそんな芸当はできない。
大きな血管を傷つけなければ肉が見える傷でも血が勢いよく噴き出したりしないとかこんな方法で知りたくなかった。
だがしかしだ。やはり胡散臭い。とんでもなく胡散臭い。
「今の自分の体は特別で、他の死徒達とは違って日の光も大丈夫だし流水も大丈夫」なんてさつきの説明がそれに拍車をかけている。
『夜の一族の秘密組織による人体実験の末に生み出された、治癒能力と身体能力を大きく強化された少女』なんて非現実的な話の方がまだ現実的であった。
そんな体の自分を、大衆の想像するような吸血鬼のイメージと重ね合わせて考えてしまったと考えた方が納得がいく。
そんなあり得ないと思えるような妄想も、さつきの語った内容やノエル達といった自動人形という実例と比べればあり得る気がするのだから頭が痛い。
だがどちらにせよ超弩級の爆弾であった。
そんな中、部屋の扉がノックされる。
少し前にチャイムの音がして、ノエルが対応に部屋から出ていっていたので彼女が帰ってきたのだろう。
「忍様、恭也様がお戻りになられたのでお連れしました」
案の定、扉の外から聞こえてきたのはノエルの声。更に恭也も戻ってきたらしい。
忍が返事をして、扉が開かれる。
部屋に入ってきた恭也は、頭を抱えている2人の先客を見て、困惑しながら問いかけた。
「……どうしたんだ二人とも」
あとがき
私は帰ってきたああああああああ!
いやほんと、待たせてしまって申し訳ないです。信じられるか? 12話、10月の時点で「よし今月中に投稿できる!」とか言ってたんだぜ……。
とある要素に気付かず、危うく詰みルートに入りそうになっていた(というか入っていた)ことに気付いた時はいやー焦った焦った。
待たせた割に全然話進んでなくてすいません。
この話中に行き着くつもりだった展開まで、分量で3話分以上になることに気付き、ここで一旦投下することにしました。
後2話は僕がラストクロニクルに嵌っていたり変なことでモチベが落ちてしまったり会社勤めの準備でてんてこ舞いになったりしない限りはある程度早めに投稿できると思います。元々そこまで書く予定だったんだし。
しかしその後は、申し訳ないです第二部完結まで書き溜めさせてください。書き溜めないと絶対途中で変なことになる……。
でもこれ下手すると1年以上間開くかも……
まぁ社会人になってどんな生活になるか全然分かってませんし、そんな状態の先のこと言ってても鬼が笑いますけども。