「それじゃあ、わたしの家はこっちだから。また明日、学校で会おうね。ばいばい」
わたし、弓塚さつきは今、とても幸福な気持ちに包まれていた。
今現在わたしがいるところは学校からの帰り道、大きな坂を少し過ぎたところ。
その坂の上には、遠野くんが新しく住むお屋敷がある。
そう、遠野くんだ。
中学二年生の冬休み、体育倉庫に閉じ込められてもう駄目だと思っていたところを、何でもないように助けてくれて、何でもないような顔で、
「早く家に帰って、お雑煮でもたべたら」
なんてことを言ってくれた。
その当時の中二と中三、今現在の高二と、計三年間クラスメイト。
あの体育倉庫の事件のときから、ずっと思いを寄せていた男の子。
今日、やっと話をすることが出来た――想い人。
当の遠野くんは、体育倉庫でわたしを助けたことも、それどころかわたしと中学が同じだったことも覚えてなかったけれど、それでも、あのときの事について、お礼を言うことは出来た。
……まだ、想いを伝えることは出来ないけれど。
下校の時に、偶然にも遠野くんとバッタリ出会って、今日から下校の方向が一緒になるということを知った。
なので思い切って、
「一緒に帰ろう」
と、誘おうとしたのだ。
――そう、“した”のだ。
ただ、実際に言おうとしてもすこしだけ固まってしまって、上手く言葉が続けられなかった。
言えたのは、
「わたしの家と、遠野くんの家って、坂に行くまで帰る道が一緒、なんだ、けど……」
だけ。しかし遠野くんは、そんな私の言葉に対していたっていつも通りに、
「そうなんだ。それじゃ途中まで一緒に行こっか」
なんて応えてくれた。そして、冒頭に至る。
その通り、今わたしがとても幸せなのは、もしかしたら嫌われているのではないかと不安に感じていた遠野くんと、今朝やっとお話ができて、その日の下校時にあの時のお礼と、わたしの気持ちをちょっとだけ……ほんのちょっとだけだけど伝えることが出来たからだ。
だが、気を抜いたらしたらスキップしそうな感覚の中ふと疑問が沸いた。
今日の昼放課に、遠野くんにした質問と、その元になった噂。
『遠野くん、このごろ夜になると繁華街のほうを歩いてない?』
『わたしが聞いた話だと、零時を過ぎてるっていうんだけど』
遠野くんにこんなことを訊いたのには当然、理由がある。
最近、夜の繁華街で遠野くんらしき人物がうろついているいう噂が、大きくはなっておらずとも少なからず耳に入って来ていたのだ。
遠野くんは否定したが、火のないところに煙は立たない。
別に遠野くんを疑ってる訳ではないが、やはり気になる。
よし。今日の夜にでも、繁華街の方に行ってみよう!
……後にして思えば、この時はテンションが変な方向に上がっていたのだろう。でなければ、こんな軽はずみな行動はしなかったはずだ。……多分。
夜。両親には適当なことを言って、家を出てきた。わたしは今繁華街にいる。面倒くさいので、制服のまんまだ。
12時はついさっき過ぎた。家に帰ったときの言い訳は考えてないが、まあ、何とかなるだろう。
12時になる少し前から繁華街をうろついているが、遠野くんらしき人影は見当たらない。
話に聞いたとおり、こんな時間でも出歩いているのは酔っ払いと警察ぐらいのものだ。
連続猟奇殺人が勃発しているこのときに、こんな時間に出歩いているのを警察に見咎められると面倒くさいため、わたしの足は、自然と更に人気の無いところに向かった。
しかし、それでも噂に聞いたような人影は見当たらない。
そしてやはりデマだったのだろうかと思い始めたとき、急に、体が引っ張られる感覚がして、
――――わたしの記憶は、ここで途切れる。
―――目が覚めた。
――――暗い。
―――――寒い。
――――――痛い……!!
「あ゛……が……」
体中が、痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い寒い痛い寒い痛い寒い痛い寒い痛い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い暗い寒い痛い――――――――――――――――――――っ!!
あれから、どれくらいの時間がたったのだろうか?
とにかく、もの凄く長い時間に感じられた。
相変わらず体中が痛いが、不思議なことに、自分の体について色々なことが分かるようになってきた。
まず、わたしの体が痛いのはすごい勢いで崩れていっているからだ。太陽の光をあびるとそれが早まってしまうから注意しないといけない。
体の崩壊を止めるには同じ生き物……わたしだったら人間の遺伝情報が必要。それを得るためには人間の血を吸わなければならない。
他にも、寒いと感じるのは体温が無くなったからだとか、
体中が痛いのは体が崩壊しているからだけじゃなくて、体中の血管がまだ人間のままだから、身体能力の上がった体の血液の流れに耐えられなくなって、あちこちがすぐ破裂してしまうからだとか。
――なんだこれは。これではまるで、吸血鬼みたいじゃないか。
これでは、死んでいた方がまだマシだったかもしれない。
だが、とりあえず、このまま消えてしまうのなんてイヤだ。理屈はさっぱり分からないが、やらなければいけないことは簡単だ。
わたしは倒れていた裏路地から体を起こし、所どころ乱れて汚れているが特に損傷は見られない制服の乱れを直し、ぱんぱんと埃を払ってから、食事をするために獲物を探し始めた。
最初の食事は、すごく美味しかった。適当な人を捕まえて血を吸ったのだが、体の痛みも薄れてもう何だって出来る気がした。
あまりにも美味しかったから、その人の血は残らず吸ってしまった。干からびてミイラみたいになっちゃったその人を見て、すごく後悔したが、生きていくためにはそうしないといけない。
結論から言うと、わたしはやっぱり吸血鬼になってしまったみたいだ。
でも、これではまだその場しのぎにしかならない量だった。
気がついたら、裏路地で血を吸っていた。
周りから悲鳴が聞こえる。そのまま回りを見渡すと、合計3人の男女がいた。今自分が吸っているのを含めて4人。
どうやら体の飢えに耐え切れなくなって、途中から意識が朦朧としたまま血を求めて歩き回ってたみたいだ。
とりあえずせっかくの獲物を逃がすわけにはいかないので、今吸っているものを投げ捨て、他の3人に襲い掛かった。
「ぎゃっ!」
「き、きゃあああぁが……」
凄い。昨日も思ったけど、身体能力が格段に上がってる。ある1人と一瞬で距離を詰めて、腕を横なぎに力を込めて振るうだけでその人の体は変な方向に真っ二つ折れ曲がり、もう1人の首めがけて腕を振るうと、刃物で切られた訳でもないのに首が飛んだ。
――アア、ナンダカ、タノシクナッテキタ……
「ひ……ひ……助け……」
残った1人が逃げようとする。
その背中を追いかける。
直ぐに追いついて、その体をバラバラにした。
わたしは裏路地を歩きながら、さっきのことを考える。
殺した後の体から血を吸ったが、何だか酷く胸やけがする。血に相性でもあるのだろうか。
最初のうちは心が痛んだが、今はそれ程でもない。所詮、自分は食事をしただけだ。人間達が他の動物を食べるのと同じだ。
それがだんだんと分かってきた。
――でも、なんだか自分が恐くなってしまう。このままいけば、そのうち、人の命なんて何も考えないバケモノになってしまいそうで。
――そして、そういう考えが、時間が経つにつれて、だんだんと薄くなっていくような気がして……
だが、嬉しいこともあった。
今まで近寄りがたかった遠野くん。その原因は、彼が常に身に纏っていた、何だかよく分からない不思議な空気だった。
でも今は、その空気の正体がわかる。
あれは今、わたしが纏っている空気だ。そこにいるだけで死を連想させる、死神の空気だ。
でも、遠野くんのまとうそれは、わたしのよりも遥かに濃い。
きっと、彼はわたしと同じ世界にいる、わたしより凄腕の殺人鬼なんだ。
――そういえば。
最初に吸った一人の血を吸ったとき、何かいつもと違う様な感じがあった。
それを思い返してみると、もしかしたら、自分の血を送り込んでしまったかもしれないということに思い至った。
人間の体に吸血鬼の血を送ると、その人間は死に切れなくなり、自我の無い血を送った吸血鬼の使い魔のような立ち位置の、人を襲う化け物になってしまう。
それは今のわたしとはまた少し違うのだが今は置いておこう。
気になって引き返してみると、何とそこに遠野くんがいた。
遠野くんはわたしに背を向ける形で、ついさっき作り上げた惨状の前で、わたしが血を送ってしまった死者に襲われていた。
幸いその死者は上手く作れていなかったため、すぐに死んで灰になった。
こんな時にこんなところにいるなんて、普通の人ならまずない。じゃあやっぱり、遠野くんはわたしの思った通りの人だったんだね。
でもまだ危険が残っていないとも限らない。
わたしは、血で染まっている肘から先を体の後ろに隠してから、遠野くんに呼びかけた。
「遠野くん。それ以上そこにいると危ないよ」
「――――!」
遠野くんが振りかえった。わぁ、結構驚いてる。
「弓、塚―――?」
何だか、無性にからかいたくなってきた。
「こんばんは。こんなところで会うなんて、奇遇だね」
「弓塚、おまえ……おまえこそ、こんな時間に何してるんだよ」
「わたしはただの散歩。でも、遠野くんこそ何をしてるの? そんなにいっぱいの人を殺しちゃうなんて、いけないんじゃないかな」
「人を殺したって―――え?」
遠野くんが周囲を見回した。
どうやら自分がどのような状況の中にいるのかを再確認したようだ。
「ち、違う、これは俺じゃない……!」
「違うことはないでしょう。みんな死んでいて、生きてるのは遠野くんだけなら誰だってやったのは遠野くんだって思うわ」
「そんなワケないだろう! 俺だってコイツに襲われかけたんだぞ……!」
遠野くんは、さっきまで死者のいた場所を指すけど、そこにはもう何もないのに気づいて、呆然となった。
「あ――――」
困ったな。想像以上に楽しいや、これ。
「ち、ちがう―――俺じゃ、俺じゃない、んだ」
あーあ、遠野くん、もう完全に混乱しちゃってる。もうそろそろ許してあげよっかな。
「弓塚さん、俺は―――」
「うん、ほんとは解ってるんだ。遠野くんは食事中に出くわしただけなんでしょう? いじわるなこと言ってごめんね。わたし、いつも自分の気持ちと反対のことをしちゃうから、遠野くんにはいつもこんなふうにしてばっかり」
遠野くんは、やっと落ち着いてきたみたいで、ようやく何かがおかしいと思いはじめたみたいだ。
「弓塚、おまえ――――」
「どうしたの?恐い顔して、ヘンな遠野くん」
――なんでだろう。そこまで面白くないはずなのに、何故かクスリと笑みが漏れる。
何だか、わたしじゃないみたい……
「弓塚―――なんでおまえ、手を隠してるんだ」
「あ、やっぱりバレちゃった? 遠野くんってば抜けているようで鋭いんだよね。わたしね、あなたのそういう所が昔っからいいなあって思ってたんだ、志貴くん」
わざとらしく志貴くん、と強く発音した後、わたしは両手を前に出した。
真っ赤に染まったわたしの両手を見て、遠野くんが固まる。
「弓塚、その手―――」
「うん、わたしが、その人たちを殺したの」
「な――――」
「あ、でもこれは悪いことじゃないんだよ。わたしはこの人たちが憎くて殺したんじゃないもの。生きていくためにはこの人たちの血が必要だから、仕方なく殺したんだから」
――――あれ? わたし、いつの間にそこまで割り切るようになったんだっけ?
まあ、そんなことはどうでもいいことよね。
あは。遠野くん呆然としちゃってる。
「殺したって―――ホントなのか、弓塚」
「嘘だって言っても信じてくれないでしょ? それともわたしみたいな女の子じゃこんなコトできないと思ってくれる?」
また、クスクスと笑みが零れる。
なにがそんなに面白いのか解らなかったが、愉快でしかたがないのだからしょうがない。
「どうして―――こんな、酷い事を」
「ひどくなんかないよ。さっきも言ったでしょう、わたしはこの人たちが憎くて殺したんじゃないもの。志貴くん、生きるために他の生き物を殺すことはね、悪いことじゃないんだよ」
そう。これは正論だと思う。どう考えても人間は、わたしがやったことより酷いことを他の動物たちにしてきているじゃないか。
「なにを―――! どんな理由があったって、人殺しは悪いことだろ!」
「そんなコトないけどね。あ、でも悪いことも一つだけしちゃったみたい。
わたし、今日が初めてだから加減ができなくて、血を吸う時に自分の血もおくっちゃったの。そのせいで逝き残ったのが出てきて、志貴くんが襲われることになったわ。
ごめんなさい。わたし、あうやく志貴くんを巻き込むところだった。そいつが成りきれないで死んでくれて、本当によかった」
「なにを―――なにを言ってるんだ、弓塚」
「今は解らなくていいよ。わたしもまだ自分自身のことを把握しきれてないから、うまく説明できないわ。
けど、何日かすればきっと志貴くんみたいな、立派な――――」
言いかけて、未だに痛み続けている体の痛みが急に酷くなって、喉が苦しくなって。
また、吐血した。
「いた――――い。やっぱり、お腹が減ったからって無闇に吸ってもダメみたい。質のいい、キレイな血じゃないと、体に合わないのかな―――」
コホコホとせきが出る。その咳も赤かった。
「ん――――く、んああ…………!!!」
苦しい。早く新しい血が欲しい。早く血を吸わないと……
「おい……苦しいのか、弓塚……!?」
わたしの様子を見て、志貴くんが駆け寄ってくる……!!
「――――だめ! 近寄らないで、志貴くん!」
今近寄られると、わたし、志貴くんを襲っちゃう!!
「……ダメ、だよ、全然大丈夫じゃないよ、志貴くん」
「弓……塚、おまえ―――
どうしたんだよ、いったい。人を殺したって言ったけど、そんなの嘘だろ、弓塚……? そんなに苦しいんならすぐに病院に行かないとだめじゃないか」
……まったく、志貴くんはいつでもどこでもお人よしだ。
わたしがこれをやったってことは理解《わか》ってるはずなのに、それを必死に否定しようとしてくれる。
「弓塚―――そっちに行くけど、いいな?」
志貴くんがどこまでも優しい声で話しかけてくれるけど、それだけはダメだ。絶対、ダメだ!
苦痛が続く中、とにかく激しく頭を振って志貴くんを拒絶する。
「どうして―――苦しいんなら、すぐに病院に行かないとダメだろう……!」
「……ダメなのは志貴くんのほうだよ。ほんとに、いつもいつも、わかってくれないん、だから」
「ばか―――それを言ったらさっきから何一つわからないよ、俺は―――!」
「あ……は、そっか、そうだよね……それでも、わたしに付きあってくれてるんだ―――」
また、血が出てきた。
とにかく、早いとこここから離れないと……
「……痛いよ、志貴くん」
体を後ろの方に持って行きながら、ついつい弱音が口を突いて出てきてしまった。
「……痛くて、寒くて、すごく不安なの。
ほんとは、今すぐにでも志貴くんに助けてほしい」
ほんとに、何をいってるんだろ、わたしは。
こんなこと言っても、ただ志貴くんを困らせるだけだっていうのに。
と、だんだんと痛みが薄れてきて……
「―――けど、今夜はまだダメなんだ」
まだ体中が痛むけど、さっきまでの痛みがウソのようだ。元気が出てきた。
「―――待っててね、すぐに一人前の吸血鬼になって、志貴くんに会いに行くから!」
後ろを向いて、走る。志貴くんがきちんと反応できる前に、わたしはその裏路地から消えていた。
ふふっ。この体は本当に便利だ。こんなに早く走れるし、力も強いし。今からやる食事も、比較的楽に終わるだろう。
数時間後、わたしは一人、裏路地で震えていた。そこは、昼間でも太陽の射さない、睡眠にはうってつけの場所だった。
そこを睡眠場所にしようと決めたのだが、今のわたしは、到底眠れる心境じゃなかった。
今日の自分は、明らかにおかしかった。
今までだったら絶対に考えなかったことを、普通に考えていた。
人を殺すのを楽しいと感じたり、誰かの命を奪うことに何の抵抗もなくなってたり。
挙句の果てには、志貴くんとの別れ際、志貴くんを……
それは、今の自分が考えても魅力的な衝動だったけど、絶対にそんなことはしてはいけない。しちゃ、いけないのに……
その日は、いつの間にか眠っていた。
そして、次の日。
わたしは志貴くんに太ももを切られて、いや、切り取られて、公園にしりもちをついていた。
志貴くんはその間に逃げてしまっている。
わたしは切り取られた部分をもとの場所に押し当て、急いで再生を促していた。
―――えーと、何でこんなことになったんだっけ?
まず、目が覚めたら喉が渇いてて、血を吸おうとしたけど誰も歩いてなくて。
公園で一人苦しんでたら、志貴くんがわたしを探しに来てくれて。
最初のうちは自分を押さえ込んでいたけど、なんだかどうでも良くなってきて。
戯れ程度で、わたしのこと好き?って訊いたら、
たぶん、好きなんだと思うって言われて。(まったく、今までの自分が馬鹿みたい)
で、昨日も考えていた、志貴くんに吸血鬼《こっち》側に来てもらって、ずっと一緒にいてもらおうって考えを実行しようとして。
何故か上手くいかなくて。
そこまでされたのに、もう無理だって言ってるのに。まだ、わたしを元に戻したい。助けたいって志貴くんが言うから、じゃあ、おとなしくわたしの言うとおりになってよって飛びかかったら、志貴くんの予想外の身のこなしと、どこからともなく取り出したナイフで太ももを抉り取られた、と。
っと、修復完了。
じゃ、追いかけっこ、行きますか。
前を行く志貴くんを追いかける。こっちの方が断然早い。この分なら、すぐに追いついて……
繁華街に入ったところで、酔っ払いのおじさんにぶつかった。
「………………………………………!
……………………………………………………!
…………………………!」
とりあえず、煩い。
そのおじさんの口を引き千切って、次に首を引き千切った。
そして、体を志貴くんに向かって投げる。
――見事、志貴くんの背中にクリーンヒットした。
そこに倒れこんだ志貴くんは、自分にぶつかって来たものを見て固まっている。
その間に、わたしは志貴くんの近くに着いた。
「あーあ、当てるつもりはなかったんだけどなあ。運動神経が上がったのはいいけど、狙いが正確になりすぎちゃうのって困りものだよね」
「あ―――」
志貴くんは、まだ倒れこんだままだ。
「ごめんなさい志貴くん、痛かったでしょう? ほんとは志貴くんが走ってく先に投げつけて、ちょっとビックリしてもらおうって思っただけなんだよ。ごめんね」
「弓塚、今の、は―――」
「うん? ああ、ソレのこと? 志貴くんを追っかけてる時にぶつかっちゃったんだ。
なんだかんだってうるさいから、口と体を引き千切ったの。ペロッて血も舐めてみたけど、お酒で肝臓がやられてる男の人の血ってすごくまずいんだ。志貴くんも相手を選ぶ時は若くて健康な体にしなくちゃダメだからね」
志貴くんの雰囲気が変わった。
「人を殺して―――なんとも思わないのか、弓塚」
「思わないよ。話をする人間と食用の人間は別物だもん。志貴くんだって、友達用の人間と殺し用の人間は別なんでしょ?」
そう。志貴くんが凄腕の殺人鬼だっていうことは、もう疑いようもなくなってる。
「そりゃあわたしだって、初めはそんなふうにわりきれなかった。昨日の夜だって、自分自身がすごく嫌いだったんだから。
でも、体中が痛くて、痛みを和らげるためには血を飲むしかなかった。だからたくさんの人を殺したわ。一人殺すたびに、カラダの痛みが和らぐかわりに、ココロが痛かった」
うん。最初は、ね。
「でも、だんだんと分かってきたんだ。今はまだチクンって痛むけど、そのうちそれもなくなっていくはずだよ。だって―――人を殺すっていう罪悪感よりも、命を奪うっていう優越感のほうが、何倍も気持ちいいんだから。
言ったでしょ? すぐに志貴くんと同じになるからって。安心して。わたし、志貴くんみたいに人殺しが楽しめるような、立派な吸血鬼になるから」
「―――――うそ、だ」
志貴くんがうつむく。
再度上げた顔には、何か決心したような表情があった。
「――――弓塚。俺は、おまえを助けられない」
「そんなことないよ。志貴くんが大人しくしてくれれば、それでわたしも志貴くんも幸せになれるんだって」
「――――――
けどな、それでも約束したから。―――俺は別の方法で、おまえを助けてやらなくちゃ」
志貴くんが、かけていた眼鏡をはずす。と、志貴くんから今までとは比べ物にならないくらいの殺気が漏れ出した。わたしが今までなんとなくで感じていた空気も、分からないほうがおかしいぐらいになっている。
「――――そう。やる気なんだ、志貴くんってば。でもだめだよ。おいかけっこはもうおしまい」
言って、一瞬で志貴くんの横まで移動する。
志貴くんは全く反応出来てない。そのまま、横腹を殴りつける。
「―――――!?」
志貴くんは、隣にあった建物の壁まで吹っ飛んでいく。
壁に背中を打ちつけて、とても苦しそうだ。
でも、ナイフを握り締めてふらふらになりながら立ち上がった。
「あれ、まだ動けるんだ。志貴くんってわりと頑丈なんだね。いつも貧血をおこしてるから、病弱なのかなって思ってた」
志貴くんに近づいていく。
「はあ―――はあ、はあ」
志貴くんは、荒い呼吸を繰り返している。
「だめだよ、そんなナイフになんか頼っちゃ。志貴くんの動きなんて止まって見えるんだから、てっぽうを持っててもわたしには敵わないのにね」
ちょっと大げさだけど、それでも間違ったことは言ってない。
「く―――」
それでも、志貴くんはまだ抵抗しようとする。
「―――もう。仕方ないな、少し荒っぽくするからね。だいじょうぶ、頭と心臓だけ生きてれば、あとはなんとかできるから……!」
志貴くんの腕を握って、そのまま引きずるように裏路地に向かって放り投げる。
うん。狙い通り。
「あ―――ぐ――――!」
背中から落ちて、そのまま悶えてる志貴くんに、
「ほら、そんなところで寝てるとタイヘンだよ、志貴くん……!」
「――――!」
追撃……って言ってもただ叩こうとしただけだけど、志貴くんはとっさに横に転がってこれを回避した。
びきっ、って音がして、地面に亀裂が入る。
「はっ―――く………!
………こ…………の」
志貴くんは立ち上がって、こっちにナイフを構えるが、もう、立ってるのもやっとって感じだ。
「もう、無駄だって言ってるのに、どうしておとなしくしてくれないのかな、志貴くんは!」
志貴くんの体に、腕をぶつける形で突っ込む。
だが、人間では反応できないくらいの速度だったのに、志貴くんはその腕をすり抜けた。
「―――――うそ」
もう、なんて往生際の悪い!
「このぉ―――おとなしくしてって言ってるのに!」
体を反転させ、志貴くんを殴りつける。
と、そこには、志貴くんが闇雲に振ったナイフが……!
「きゃあ―――!」
びしゃり、というおとがして、わたしの腕から血が流れる。
「しまっ―――弓塚、大丈夫か……!?」
さっきの痛みとその言葉で、わたしの中でなんだか分からない感情が渦巻いて…………
志貴くんの体を殴りつける。はじかれたように飛んで行く。
裏路地の壁に寄りかかる感じで、志貴くんは止まった。
そこへ、わたしは近づいていって……
「うそつき―――!」
思いっきり叫んで、手を振り上げる。
「……………」
志貴くんは、動かない。
そして、その腕を――――――――――――――――――――――――――――――壁に、打ち付けた。
「…………………え?」
そんな声にも、イラッっと来る。
「うそつき―――! 助けてくれるって、わたしがピンチの時は助けてくれるって言ったのに!」
やりようの無い憤りを、ただただ、そこら辺の壁にぶつける。
「どうして? わたしがこんなになっちゃったからダメなの? けど、そんなのしょうがないよ……!
わたしだって、すきでこんな体になったんじゃないんだから……!」
もう、自分が何を言っているのかもわからない。
「……こんなに痛いのに、こんなに苦しいのに、どうして志貴くんはわたしを助けてくれないの!?助けてくれるって約束したのに、どうして――」
ただただ、感情のままに、叫び続ける。
「志貴くん―――志貴くんがわたしの傍にいてくれるなら、この痛みにだって耐えていけるのに。どうして、どうしてあなたまでわたしの事を受け入れてくれないの……!」
……………思考が、戻ってきた。
顔をあげる。そこには、ボロボロになった……いや、わたしがボロボロにした、志貴くんの姿…………
「―――志貴くん、わたし、……こんな、つもり、じゃ―――」
声が、震える。いまさら何を言っているのか。
志貴くんをこんなんにしたのは、完全に自分の意思だ。言い訳なんて、言える立場じゃ無い。
志貴くんを傷つけたのも、志貴くんに吐いた言葉の数々も、明らかに自分の意思で起こした行動だ。
なのに。
「………いい………んだ」
何で、そんなことが言えるの?
「……いいよ、弓塚さん」
「志貴……くん?」
「俺の血でよければ吸っていいよ。
約束だもんな……キミと一緒に、いってやる」
…………何で……何で、この人は、こんな時に、こんな優しい言葉で、こんなことが言えるんだろう。
わたしは、志貴くんの膝元に跪いて、志貴くんをだきあげた。
「――――ほんとに、いいの?」
ささやく様に言う。
なんて事だ。結局は、その欲望に耐え切れなくなるんじゃないか。
その証拠に、今の声にも、明らかに喜びが滲み出ている。
「……なんだよ。今までそうしたくて散々追い回したんだろ。なんでここで遠慮するのかな、弓塚さんは」
「だって―――――わたし、本当にそうしたいけど、でも―――」
―――それをしたら、もう、本当にダメになってしまいそうで―――
泣きそうになりながら、聞こえるかどうかわからないぐらいの声を、呟いた。
昨日だって、今回だってそうだ。何とか今の自分に戻ってこれたけど、こんなことをしてしまったら、もう、ずっと吸血鬼のココロのままになってしまいそうで……
「…………」
志貴くんは、黙ってしまった。今の声が、聞こえたのかどうかは、わからない。
「―――痛いんだろ。なら、いいよ。俺はキミを助けられない。だから、弓塚さんの言う方法で助けるしかないじゃないか」
「………志貴………くん」
うん。と、頷く。
彼の優しさが、心に染み込んで、もう、胸が一杯で。
志貴くんの首筋に、唇を当てて、血を吸う。
「あ――――――」
志貴くんの体から、力が抜けていく。
志貴くんがだんだんと死に向かって行くのが、分かる。今さら、また、怖くなってきた。
「―――――――ぁ」
志貴くんの口から、声が漏れる。
「―――――――」
死に向かって行った力が、留まるのを感じる。
「■■―――■」
その時、遠野くんの体がいきなり不自然に傾いた。と、ほぼ同時に、左胸に衝撃が走り、少しして、痛みに変わった。
「っ……遠野……くん?」
「あ……弓……塚……」
遠野くんがそう呟くのが聞こえ、少しだけ体を離し、自分の左胸を見て、次に、遠野くんの顔を見た。
わたしの左胸には、ナイフが刺さっていた。
遠野くんは、罪悪感と、失敗したと言う様な緊張と、泣き出しそうな感情が混ざったような、見ているこっちの胸が締め付けられる様な顔をしていた。
「弓塚……ごめん。……俺は、こんな方法でしか……弓塚を、助けられない……」
途中から、遠野くんの顔を、涙がつたっていった。
――ああ……、そうか。
わたしは、遠野くんから体を離した。左胸からナイフが離れ、遠野くんの右腕が、地に落ちた。
ぬっくりと立ち上がり、後ろに一歩、下がる。
心臓を貫かれた左胸から、トクトクと血が流れていた。でも。
――でもね、遠野くん。吸血鬼になっちゃったわたしは、もう、心臓をナイフで刺された程度じゃ、死ねないんだよ。
これぐらいの傷なら、一晩もかからずに再生するだろう。血が足りなくなるので、何人かから吸わなくちゃいけないだろうけど、直前まで遠野くんの血を吸っていたので、そんなに多くはいらないはずだ。
「そっか――――やっぱり一緒には行ってくれないんだね、遠野くん」
「弓塚……俺は……お前を……」
遠野くんは、わたしを裏切るようなことをしたことに罪悪感を感じているのだろうか。
いや、遠野くんのことだ。そうに違いない。
そんな、気にすることないよ、遠野くん。
「でも、うれしかったよ。ほんの少しの間だったけど、遠野くんは、わたしを選んでくれたんだもん。」
だって、わたしの胸は、いま、とってもあったたくて、穏やかなんだから。
「それが出来るなら、きっとそれが一番いい方法だったんだよね。
―――でも、無理なんだ。
もう、わたしはそんなに簡単には死なない。遠野くんじゃあ、わたしを殺すことは、無理だよ」
「違う……弓塚……俺なら……」
結構な量の血を抜かれて、たいして動けないだろうに、まだ、わたしを救おうと必死に動こうとしてくれてる。
やっぱり、やさしいなぁ、遠野くんは。
「……わたし、もっと遠野くんと話したかった。ほんとうに普通に、なんでもないクラスメイトみたいに話したかった。」
さあ、お別れだ。
「それじゃあ、わたし、もう行くね。このままここに居ると、また、遠野くんの血を吸おうとしちゃいそうだし。
安心して。この町からは、出てくから。ばいばい遠野くん。ありがとう―――それと、ごめんね」
今度は、『またね』が言えないことに、悲しさを感じながら、わたしは、吸血鬼のスピードで、その場を離れた。
人気の無い通りを、走る。走る。走る。
まったく、あの場所では、もう、死んでもいいかなとかも思ったのに、再度一人になると、また、生への執着が蘇るなんて……自分の図々しさに腹が立つ。
胸の傷からは、まだ血が流れているが、既にそれ程でもなくなっている。隣町ぐらいで人の血を吸えば、すぐに良くなるだろう。
目からも、何か流れ出したが、そんなもの、これからどこに行くか考えてる間に、渇くだろう。
今夜中に、出来るだけ遠くの町まで行こう……。
あとがき
こんにちは。
気づいた方は気づいたと思いますが、最後のほう以外の全ての台詞は、全部、月姫の中から直で、一語一句変えずに書きました。いやー、しんどかった;;
まあ、一番しんどかったのは、遠野くんと志貴くんの使い分けでした。
それと、さっちんの一人称が私じゃなくてわたしだってことに気づいた時の衝撃はもう……^^;;
さて、一人称で書き始めたこの作品ですが、実は一人称、この回だけです(殴
次スレからは、三人称で書きます。変則的で申し訳ないこんな作品ですが、読んでやってください。
それと、第0話_bとこの回の間の時間の流れがおかしいです。原作設定と矛盾してますほんとうにすいません。
では。
誤字、修正しました。