「ごめんねぇ……不破くん……力になれなくて……」
「───いえ、お手数お掛けして申し訳ないです。それでは、失礼しました」
俺は職員室から退出し、そのまま壁に背をべたりと貼りつけズルズルと地面に崩れるように座りこんだ。
放課後、級友共から開放されてすぐに職員室に顔を出し、先生方に進学先の融通をしてもらいに来たのだが───。
「……案の定、高認の資格持ちだからって義務教育期間すっ飛ばしは無理だったか……」
結局はそういう結論に落ち着くことになった。
自分はどう足掻こうとも貴重な時間を小学校で過ごすことになる。
モラトリアムはあと半分しかない。
───焦燥感ばかりが募る。
「ま、収穫もあった……それで納得しておくか」
全国でも数えきれるほどしか存在しないが、カリキュラムに軍事的要素を多分に取り入れた中学校が幾つかあるという。
先生方は、その中から最も俺に相応しい学校を選別し、推薦してくれるよう取り計らってくれるらしい。
個人的な希望としては帝都より東、または北東に位置する学校ならばどこでもいい。
万事滞り無くいけば、避難先の確保と、襲い来る困難に打ち勝つ為に必要となる心・技・体を一手にできる。
しかしその入学時点で、既に俺は十二歳。
もしBETAの侵攻に遅延がなければ、そこから猶予は……二年。
その二年間でどれだけ動けるか。お世辞にも多いとは言えないその時間で、俺は"なんとか"しなくてはならない
それ以前に困っているのが……両親の説得も必要だということだ。
BETAに蹂躙される場所に置いて行く訳にはいかない。
だが大の大人である両親が、世間的に見ればまだまだ子供な俺の意見にホイホイ従って家族総出の引越しを肯定してくれる訳が無い。
一番の厄介がコレだ。
必要になるのだ、説得するに足る交渉材料が。
一時期は両親の説得なんて簡単だと思った。
父さんも母さんも、俺には甘い。
息子の進学が切っ掛けとなり、家族仲良く東の方へと避難してくれるのだろう、と。
だが、もしかすると手の掛かる話になる可能性が高い。
両親の仕事───公務員、ということになるのだろうか。
難民対策局。
大陸から流入してくる難民の対応を担う為の組織。
最近は徐々に増えつつある難民の対応に日々追われているという話だ。
俺の両親は、その組織の九州地方担当の構成員だ。
難民はまだまだ増える。数年もすれば、猫の手も借りたい状況になるだろう。
そんな状況下で、局員が保護する対象である難民よりも先に避難するというのは───。
「やっぱ、マズいよな」
だが、どうにかしたい。
俺にとっては……申し訳ないが、数千数万の難民よりも両親の命の方が重い。
顔も知らないその他大勢よりも、血の繋がった二人の方に天秤が傾くのは当たり前だ。
そんな比べるべくもない難民達と一緒に、父さんと母さんが踏み荒らされる……冗談じゃない。
逃がしてやりたい……何としてでも。
「……もうケツに火が点いてるっていうのに……ッ」
だというのに、妙手どころか小さな案すら出てこない。
思考が行き止まりにぶち当たり逸れる。
ふと、白銀 武と香月 夕呼の関係が脳裏に浮かんだ。
───あれこそ理想のギブアンドテイク。
盤上を引っ繰り返すジョーカーは持ち主を求め、手札を欠く魔女は切り札を欲した。
そして互いは導かれるように出会う。
自分には降り掛かることのないであろう、運命的と言っていい巡り逢いを妬む。
「……また無い物ねだりだよ。成長しないヤツ……」
自嘲し、みっともない思考を振り払うように立ち上がる。
……頭も身体も重い。鉛でも詰まっているかのようだ。
すっかり慣れたつもりだったランドセルまで、いつもより重く感じる。
帰宅しようと下駄箱へ向かう途中、窓ガラス越しの空を見上げる。
思ったより長く職員室に居座っていたようだ。
太陽は頭上を通り越し、傾きつつあった。
ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認すると、既に三時を超えている。
「はぁ……帰って身体でも動かすか……」
考え事に詰まった時はコイツに限る。
我ながら何と言うか、脳筋というか……。
少なくとも運動の最中は思考にリソースなんて割かなくていい、ということでついやってしまう。
逃避だということは理解出来ているが、閃きとやらは来ないときには来ない、というのもまた事実だと経験則が告げるのだ。
そういう時はスパッと頭を切り替えて、運動に力を注ぐ。
……そうと決まれば後は行動あるのみ。
俺は軽く準備運動をすると、全力疾走で帰路へと着いた。
1990.winter.12/16
「…………」
月詠 真央は目を閉ざし、無言を貫いている。
「…………」
同じく、斉御司 暁も目を閉じて足を組み、備え付けのソファーに身を委ねている。
リムジンの中を沈黙が満たしていた。
二人に会話はない。
勿論、視線を合わせることもない。
真央は合流地点で回収された時から、何かを深く思案し、自分の世界に潜っていた。
二人を乗せた車がそろそろ京都に差し掛かるだろう、という時。
月詠が思考の没頭から現実へと舞い戻った。
閉ざされていた瞳が開き、少女が幼い眼差しを少年に向ける。
暁はそれに視線を返して口を開く。
「別に答えは今直ぐに出す必要もないぞ?猶予はまだ───」
「……ご冗談を。もはや猶予など無いに等しい状況でしょう」
暁の言葉を遮った真央が、揺れる瞳で見つめ返す。
真央の言った通り、彼と彼女には既に猶予期間など無いも同然だった。
正確には、猶予期間は存在した。だが、二人はそれを自ら放棄したのだ。
二人が重要視し求めたモノは、時間ではなく"先手"だったから。
他の誰よりも迅速に行動することによって手に入れることが出来た貴重なイニシアチブ。
同時に、自分達の異常性と有用性……そして危険性を周囲の権力者に伝えてしまう手段であり、他の転生者達への牽制でもあり───。
今後、起こりうる全ての事柄に対する第一歩。
それが『TSF-TYPE88 彩雲』というイレギュラーの投入による歴史改変。
国産派、輸入派、そしてその枠組を超えて純粋に国益の事を考えることの出来る議員達への根回し。
そこから生じる議会での利害関係の調節、将来的に得られる利益と被る不利益の説明……。
周囲の人間、両親までもが化物を見るかのような注目を浴びるというリスクを承知の上で、介入を敢行した。
その末に、何とか間一髪で捩じ込むことの出来たのが彩雲という名を賜った戦術機。
国産派には次期主力国産機の礎、基礎技術向上の踏み台となる為の『吉兆』として。
輸入派には米国に対するパイプを広げる為の『吉兆』として。
国益を重要視出来る議員達には上記の二つに加え、既に見え隠れしていた大陸派兵……また、最悪を想定した本土防衛の為の戦備増強、その『吉兆』として。
そして、二人には道を切り開く為の『吉兆』として、『彩雲』が歴史の一ページに降臨した。
賽を既に投げている。もはや突き進むしかない。
猶予期間を甘受する暇など無いのだ。
「……ご尤も。それでは、早速答えを聞かせてくれ」
「その前に、一つ宜しいでしょうか」
何だ?と視線で先を促す暁。
「貴方は"選べ"、と仰いました……全てを手に取ることは、どうしても出来ないのですか?」
縋るように、月詠が問う。
全てを救う道はないのかと。
だが───。
「無理だろうな……オルタネイティヴ。二者択一、だ。何もかもが手に入る都合のイイ未来があればよかったが……」
暁が苦虫を噛み潰したような表情で、告げる。
慈悲はないと。
無限を超えた先に在る、終幕の御伽話……その題名。
それが意味する言葉。
二者択一。
世界の根底に蔓延る絶対のルール。
そういう因果に囚われているのが、BETAに採掘場として選ばれてしまったこの世界の、この惑星。
「そう、ですか……そうですよね。ええ、解っていました。前世ですら、大なり小なり連続した二者択一を迫られるのが世の常でしたから」
達観、或いは諦観したように眉をひそめて月詠が呟いた。
たっぷり10秒程の沈黙を挟むと再び口を開く。
「……答えを、お伝えします」
「聞こう」
少女はスッと姿勢を正し、少年は自然体のまま互いに向かい合う。
そして、凛とした声で少女が宣言する。
「私は───抗います」
此処に誓いが一つ。
赤を纏う転生者が、抵抗の意志を翳す。
「エイジ、お誕生日おめでとう!」
満面の笑みでこちらを眺めてくる父と母。
俺は今、両親の祝福を受けながら七歳の誕生日を迎えている。
学校から帰宅し、身体を動かしたまではよかったのだが……。
どうやら張り切りすぎてしまったようで疲弊し尽くし、そのまま布団に潜って爆睡。
起き出す頃には既にささやかな誕生日会の用意が終わっていた。
「ありがとう、父さん、母さん」
微笑を自然に浮かべて感謝の言葉を返すと、テーブルに所狭しと並べられご馳走を眺める。
俺の好物───所謂、子供っぽい料理ばかりである。
もう少し成長すれば、味覚も変わってくると思うのだが……。
今はこれが美味しく感じてしまう。
「いただきます」
三人で食事前の挨拶を済ませると、それぞれ料理に箸を伸ばし始める。
団欒が始まる。
やれ学校で何があったとか、やれご近所さんがどうのこうのだとか、やれ職場の上司が部下が云々だとか。
職場の事なんて子供の前で言うことじゃないと母が嗜めると、エイジは賢いから解ってくれるよな?と俺に振ってくる父。
や、解りますけれども。大変ですよね、役所勤めとか上下関係って。
何か、すっかり馴染んだなぁ……こういう全く子供らしくない会話。
「そういえば……本当のほんっとーに、プレゼントはいらなかったのかい?」
「去年は受け取ってくれたけど、引きつった笑顔で来年は本当にいらないからって念まで押して」
「あー、うん。ほら、夏の時に我侭言ってお金使わせちゃったし……」
高認の受験料やらその為の資料やら教材やら。
アレは自分にとって凄く有意義な買い物だった。
「それに、自分だけ楽しめる物贈られるのってあんまり好きじゃないんだ。料理とか旅行とかならさ、お父さんとお母さんも一緒に楽しめるでしょ?」
やっぱり皆で楽しめるモノがあるなら、それが一番いいよな。
俺は美味い飯が食えて、二人に祝って貰えるならそれでいい。これだけでもう贅沢なんだ。
贈る方も贈られる方も楽しめる団欒が出来る……なら、例え特別な贈り物がなくてもそれで充分だ。
「ああ、もう、この子は……今度、職場に連れてって性根の腐り気味な同僚に自慢しようかな……」
「パパ……私、鼻からアガペーが零れ落ちてきたわ……」
「ハッ!?ママ、それは無償の愛じゃなくて鼻血だよ!ティッシュティッシュ!」
毎度のことながら、夫婦漫才が冴えてる。
母さんがちょっと身体張りすぎなような気もするけど。
仲睦まじく母の鼻にティッシュを詰める父。
とてつもなくシュールだ。
言っとくが、俺の母親は割と美人……いや、可愛い方だ。
そんな人が鼻にティッシュ詰め込んで、ふごふご言いながら自分で作った料理を自分で食って自画自賛してる。
鼻にティッシュ詰め込んでちゃ味が判らないだろうマイマザー。
もう一度言うが、かなりシュールだ。
「旅行……旅行、か。エイジ。旅行、行きたいかい?」
「え?」
食事が再開されてしばらくすると、父がそう聞いてきた。
先程、例の一つに挙げた旅行。
行けるものなら行きたい。出来るのならば、三人で色々な場所を回りたい。
だが両親は多忙の身。
それに、どうしても行きたいという、というほど行きたい訳でもない。
「ん……三人でどこか行けたら嬉しいけど、無理はしなくても」
「それがね、早めに行かないと駄目なの……私達、もう来年の今頃は連休なんて取れそうにないのよ。春から徐々に忙しくなるらしくて……」
母が気不味そうにそう言う。
ちなみにまだティッシュ外してないから、声が篭り気味だ。
しかし、春……というと……。
「軍人さん達が、行くんだよね」
「そう。よくニュースを見てるね」
父に頭を撫でられる。
くすぐったい、恥ずかしい……子供扱いはやめてほしいんだけど、無理な相談か……。
諦め、無抵抗でグシャグシャと髪を掻き交ぜられながら思考する。
────大陸派兵。
陸軍から再編された大陸派遣軍は、各地から最寄の軍港に集結し、そこからユーラシアへと向かう手筈になってる。
「それで、今もよく連絡を取り合う軍人やってる昔の友人達がね……揃いも揃って舞鶴の方から出るらしいんだ」
───舞鶴……舞鶴港か。首都京都に存在する、帝国が誇る五大軍港の一つ。
「……京都まで、見送りに行くの?」
「うん正解。ちょっと遠いから迷ってたんだけどね。エイジの一言で踏ん切りがついたよ。ついでになっちゃけど、皆で二泊三日ぐらい……もうちょっと取れるかもしれない。だから、旅行しようか」
「あれ、でも春から忙しくなるんじゃ?」
「それは、見送りが終わって暫く経ってからだね。忙しくなる前に取っておけって事らしいよ」
……そういうことか。
ああ……そりゃ、忙しくなるのも無理はない。
兵隊を送ったその足で、難民を担いで帰ってくる訳だ。
帝国から大陸派兵せざるを得ない状況に陥ってる今の大陸に、大量の難民を抱えながらの戦線維持など不可能だろう。
だから派兵した直後から難民を連れて戻り、戦争物資を送るというピストン輸送を繰り返すことになる。
勿論、大陸から最寄の佐世保軍港はそのピストン輸送の重要拠点だ。
湾を挟んで隣り合わせな熊本の難民対策局も、働かないといけない流れか。
────難民、か。
大侵攻で一体どれだけの難民が、九州のキャンプ地から逃げ切れると言うのだろうか。
父さんと母さんがやっていることは……全部無駄になってしまうのか……?
「エイジ?どうしたの急に」
「えっ!?あ、ああ、ごめん。ちょっとボーっとしてたみたい」
母に声をかけられて思考の没頭から浮上する。
いかんいかん、食事中に何をやってるんだ、俺は。
「それでどうする?僕も母さんも今から申請しておけば、その次期に連休は間違いなく取れるけど」
「うん、それは───」
どちらでも、いいと思う。
その旅行が大局に影響を与えることなど有り得ない。
俺はただの一国民として、出兵する兵隊達を見送るだけ。
そもそも余計なこと等する気もない。
既に変わってしまっている部分がある。
これ以上俺がおかしなことをすれば───因果導体がこの世界に来なくなってしまうかもしれない。
オルタネイティヴⅤ……その足音がこれ以上近づいてくるのは阻止すべきことだ。
俺は、この星から逃げたくない。
故に俺から世界に害を為すことはない。無害でありたいと願う。
だから、どちらでもいい……はずだ。
だけど───。
「……ねぇ、新しい戦術機って、生で見れたりするかな」
「戦術機かい?そうだね……見れると思うよ。確か、陽炎と彩雲だっけ? あそこから出るのは精鋭揃いで、新型機の割合が多いってあいつらも言っていたなぁ」
そうか。
逢えるのか。
F-16J/TSF TYPE-88───彩雲。
生で拝めるのか、あの糞忌々しい凶兆を。
だったら俺の答えは決まってる。
「京都に……行きたい」
ただ一目、歴史を大きく狂わせたその存在を───見てみたい。
それは、義務でも何でも無く、ただそうしたいという欲求だった。
煌武院 悠陽は自室で一人、ただ穏やかに牡丹の花を眺めていた。
その表情は慈愛に満ちている。
「まさか、冥夜も同じことを想ってくれていたなんて」
そう呟くと、先程まで行われていた自分の誕生日会を思い起こす。
幾つもの贈り物が少女の元に舞い込んできた。
ご時世にそぐわない高価なものまで。
だが、悠陽が本当に欲しかったものは、豪奢な宝物ではなく、今眼の前にある花だった。
悠陽は瞳を閉じる。
そして、この花を己の元へと届けてくれた者の事が脳裏に思い浮かべた。
自分が出席すると空気が悪くなるから、と誕生日会に姿を表さなかった少年。
そういう彼自身が誕生日のはずなのに誰からも祝って貰えていないのが不思議だ。
斉御司 暁。
誕生日会が終わり、悠陽が自室に戻るのを見計らって侵入してきた神出鬼没な暁。
その手にあったのは丁寧に包装された牡丹と手紙。
初めは約束を反故にされたと思ったが、それは手紙の中身と暁の説明で誤解だと気づいた。
────冥夜様も貴女と同じ事を考えていたようです────
からかうような少年の声が、少女の中で再生される。
離れ離れの妹が自分と同じことを考えてくれていた。
悠陽は一瞬、目の前に暁がいるのを忘れて舞い上がってしまった。
────ふむ。俺は邪魔者みたいですね。用事も済んだ事ですし、お暇させていただきます────
そこで漸く、自分が相手に失礼な態度を取ったと気づいた悠陽は、退出しようと歩みを進めた暁を引き止めようとした。
その時だった。
暁の纏う空気が豹変した。
あくまで回想にすぎないというのに、今それを思い出している悠陽の身体に悪寒が走る。
────悠陽様。貴女は────
引き止められた暁が、そう言いながら振り向く。
悠陽には向かい合う暁の目が、酷く濁っているように見えた。
そして───。
────逃げてもいい、と言われたら……逃げますか?────
そう、悠陽に問い掛けた。
その雰囲気に飲まれ、何一つ言葉を紡げない少女を見ると、暁は破顔してみせる。
────聞くまでもないですね。貴女は逃げない。少なくとも、"自分"からは。俺がどれだけ逃げろと諭しても────
そして、まるで諦めたように呟きながら、おやすみ、と一言告げると……襖を閉じて去っていった。
瞼を開き、意識を現実に浮上させた悠陽は牡丹の花を眺める。
「……冥夜。暁は一体、私に何から逃げて欲しいのでしょうか」
最愛の妹から贈られた牡丹は、何も答えない。
そんなことは理解できている。
だがそれでも、悠陽は吐露したくて堪らなかった。
途轍もなく大きな運命が自分達に迫っていることを、本能で感じ取ってしまったから。
七度目の誕生日が、終幕を迎える。
各々の分岐点となったこの日。
まだ、未来は定まらない。