12月も半ば。
窓の外は未だ暗い。
流石の太陽も、師走の朝は苦手のようだ。
俺、不破 衛士は早朝特有の寒気に耐えようと温もりを求め、布団にくるまっていた。
「……はぁ……」
気怠げに壁に掛けられた額縁に収められている一枚の紙に視線をやる。
高認の合格通知書。
正直、未だに実感が湧かない。
試験結果の詳細がそれに拍車を掛けている。
今回の受験者で、唯一、俺一人が解答率100%だということらしい。
何かの間違いでは? と思った。
確かに手応えはあった。だが、思った以上に凝った内容で、幾つかの問題は理解の範疇を超えていた。
……が、どうやらマークシート方式に救われたようで、適当に直感任せに塗りつぶした部分も全て正解していたという、稀な現象が起きたらしい。
何はともあれ、俺は運を味方につけてこの難関をまさかのトップで通過した訳だ。
しかし───俺は未だに足踏していた。
「こんなんじゃ駄目なのは解ってるんだけど……これが燃え尽き症候群ってやつか?……違うか……」
あの夏の日、確かに俺は一つ目の山を超えた。
だが、その時の安堵感、達成感、虚脱感が入り交じってしまい、二の足を踏んだのだ。
それが今も尾を引いてしまっている。
「これを切っ掛けに、自分の有用性を周りにアピールしていかないと、いけないんだけどな……」
合格通知書の授与から三ヶ月。
その間、俺は一切の能動的行動を起こすことなく過ごした。
そして今日、遂に七年目の誕生日を迎える。
……捻じ曲った世界を整え直す糸口すら見つけられぬまま。
───俺は、猶予期間の折り返し地点を迎えてしまった。
1990.winter.12/16
「悠陽様。おはようございます。そしてお誕生日、御目出度う御座います」
「……そなたは、なにをしているのですか」
悠陽と呼ばれた少女は、寝床で横になっている己を見下ろす青を纏う少年に、憮然とした態度で問いただした。
ここは少女の個室。煌武院の屋敷の一室だ。
何故、光も差し込まないこんな早朝に、ここに存在しているのかと。
それは当然の疑問だった。
「……いったいどうやって───」
「どうやっても何も、普通に参りました」
少年は有り得ないことを、いとも簡単に答える。
他に方法なんてないだろう、と。
「……またですか? いつもいつも、そんな無茶ばかり。見つかって出入りきんしになっても知りませんよ」
悠陽は呆れたように溜息を吐いた。
この少年は何時もそうなのだ。
厳重なはずの警備を掻い潜り、音も建てずに部屋に侵入し、何時の間にか悠陽の隣で立っている。
「……お説教ならまた次の機会に。時間が押しています……で、お届け物はどちらに?」
「あ、はい。コチラをおねがいしたいのです」
悠陽は寝床から起き上がり、自分の机の上に丁寧に装飾された手紙と───これまた丁寧に包装された見事な花を少年に手渡した。
「───悠陽様。まさか、この花束持って屋敷から警備掻い潜って脱出しろなんて───」
「 お ね が い し ま す ね ? 」
有無を言わさぬ威圧感を、少年は感じた。
流石、未来の征夷大将軍だ、と内心で感嘆する。
「……アイアイマム。承りました。精々、急いで届けるとします」
苦笑しながらそう言うと、音もなく襖を開けて寝室から退出しようとする少年。
悠陽は呼び止めるように、その背中に声を掛けた。
「────妹に……冥夜に、よろしく伝えてください。お誕生日おめでとう、と」
「承知しました。ああ、そう言えば────どうせついでです。花の名前と花言葉も冥夜様に教えておきましょうか?」
少年が振り返りからかうように言うと、悠陽は羞恥の赤で顔を染める。
「~~~~~~ッ! そ、そなた、男児だというのになぜそんな知識までっ」
「ハッハッハッ、それでは───」
再び退出しようと背を向けた少年の袖を、悠陽が掴んだ。
青を纏う少年は、二度引き止められたことで訝しげに自分を引き止めた少女に視線だけを向ける。
「───もう、そなたがからかうから言いそびれてしまうところでした」
「ん?まだ何か……」
「斉御司 暁(アキラ)様。そなたに感謝を。そして───お誕生日、おめでとうございます」
「……ありがとうございます。おかげで、今日は善い一日になりそうだ。いやしかしまぁ、牡丹とは……」
直球すぎるだろ、と心の中で暁と呼ばれた少年が笑う。
「そ、その話をまだ引っ張りますかっ……さぁ、そろそろ去りなさい。真耶さんはしんしゅつきぼつですよ」
花の話を蒸し返された悠陽は顔を赤らめながら、月詠 真耶を引き合いに出して暁を追い出そうと試みる。
暁は彼女がまだ来ないことを知っていたが、時間が押しているのは事実なので話に乗じて撤退を決める。
「仰せのとおりに───それでは、また」
そう言い残し、身に纏った青を翻しながら、アキラは今度こそ部屋から去った。
部屋に一人残り佇む少女は、不思議な少年のことを思う。
自分と同じ日に生まれた、斉御司家の跡取りとなる嫡男、斉御司 暁(アキラ)。
以後、教育係である彩峰 萩閣の元で共に学び……天才と称される能力を見せつける。
その影響は悠陽にも現れ、暁に引っ張られるように、急激にその自我と知識を育てていくことになった。
だが、天才児というのは得てして破天荒なものなのか。
暁は禁忌や掟に触れたがった。
そしてどこで知ったのか、生き別れの妹のことを調べ上げ、それの橋渡しをしてやる、等と宣ったのが昨年のこと。
他所の家の、ましてや将軍家……煌武院家の内情に触れたがるなど、はっきり言って正気の沙汰ではない。
だというのに、自分と、忌児として引き離された妹との橋渡しを、一切の見返りなしに承ってくれる少年。
……噂では、既に政治的な発言力すら持っているとさえ言われるほどの才を持つ少年が、何故そんなことをするのか。
悠陽の疑問は尽きない。
だが───感謝はしているのだ。
誰も、妹について触れることはなかった。
妹なんていなかったように、誰しもが振舞う。
月詠 真那や月詠 真那は例外だが、それでも暁のように橋渡しをするなどと馬鹿げたことは決してしなかった。
身分、位の高さ故の危険もあるだろう。だというのに、事実として少年は壁を乗り越えて、隔たれた二人を繋いだ。
その無償とも言える挺身は、悠陽が彼にある一定の気心を許すには、十分な理由だった。
「そなたに、感謝を」
帝国の未来を担う少女は、明るみ始めた空を見上げながら、型破りな少年の息災を願う。
「───来ましたか」
赤を纏った少女……月詠は暁と合流するため指定されたポイントで待機していた。
大きめの花束を携えてこちらに駆け寄ってくる暁を釣り上がった目で一瞥し、呟いた。
「待たせ───どうした?何故そんなに疲労困憊なのだ」
「いえ、お構いなく。どうぞお構いなく」
月詠は怒りを隠すこと無く、口だけでそう言う。
彼女は誰が見ても解るほど疲労困憊で、足が震えている。
「……迂闊でした。まさか真耶姉様の足止めのためとは言え、早朝稽古だと称した地獄を見る羽目になるとは」
「どうだった? お誕生日プレゼントは」
暁はいかにも面白可笑しそうに、プレゼント、と言い切った。
月詠は笑顔だが、口元がヒクヒクと痙攣しっぱなしである。
「───どうもこうもない。死に際を思い出してしまいました。しかも聞けば私が自ら希望したような言い回しでしたよ、真耶姉様は」
「事前にそう伝えてあったからな」
「ええ……ええ、そうでしょうとも。屋敷に侵入しても真耶姉様から逃げ切れると自信満々に言い切ったのは、この根回しがあったからなのですね」
然り然り、と腹を抱えて爆笑する暁に、堪忍袋の尾が薄皮一枚で繋がっている状態となった月詠が脇差の柄に手を伸ばす。
「───そういえば、暁様。腹筋早く割れねーかなーと仰っていましたね。この場で、私が、今すぐに……割って差し上げましょうか……?」
「あー、悪かった。この通りだ、許せ。それにそいつは腹筋が割れるんじゃなくて切腹だろう。死にとうない、死にとうない」
……この光景を、斯衛縁の者が見れば絶句するであろう。
刀に手を伸ばし、警護すべき対象を威嚇する赤を纏った少女。
その少女に頭を垂れながら、軽口を叩く青を纏った少年。
───尋常ではない。常人には計り知れない関係。
「はぁ……もういいです。それでは参りましょうか。一文字少佐を待たせております故……」
「ああ、そうしよう。さっさと乗り込もうか……あの、60mリムジンに」
二人は視線の先にある車両へと歩き出す。
ここ帝都から東京までを、この無駄に長いリムジンで走り抜けるのだ。
「いやはや。まさか、こちらの世界にもあるとは思ってなかった」
「私もです。エクストラではお馴染みでしたが……やはりこちらで見ると違和感が凄まじいですね……曲がれるのでしょうか?」
不安そうに呟きながら、車の先頭……運転席へと向かう二人。
「すみません、一文字少佐。厄介な役を頼んで」
「とんでもございません、暁様。こちらこそ、久しぶりにコイツを転がすための理由を頂き、誠に有難うございます」
暁が申し訳なさそうに言うと、一文字と呼ばれた男は爽やかに謝礼を返した。
休暇中に呼び出される形になったのだが、どうやら一文字も乗り気だったようだ。
「そう言ってくれると助かります。そなたに感謝を。……ああ、そういえば、今度中佐に昇進するようで。配属先は駆逐艦、夕凪の艦長だと聞いています」
「───有り難き幸せ。この一文字鷹嘴。その名に恥じぬよう、ソラを舞ってみせましょう」
「地上からご武運を祈っております……さて、本題に戻って頂いても結構でしょうか?行き先は────」
「ハッ。東京、御剣家の屋敷と伺っております」
「────耳に入っているようで。では、優雅に且つ速やかに出発しましょう。俺と月詠は二部屋目に。一文字少佐に何か伝える事があればこちらから通信をします。それでは、よいドライブを」
「了解しました!」
暁は月詠を連れ立ち、宣言したとおりに60mリムジンの別け隔たれた二部屋目のドアを開け乗り込んだ。
それを確認し、一文字鷹嘴をゆっくりと車を出す。
「───あの方が風の噂に聞く、斉御司家の嫡男……」
曰く、神童。曰く、麒麟児。曰く……似たような天才を表す言葉。
鷹嘴は相対したことによって、それらがただの妄言でないことを認識する。
立ち振る舞いが、子供が大人を真似てやるソレではない。
「いや、考えても詮ないことだったか。今はただ目的の場所へと送り届けるのみ。この車両は、ただその為に───」
鷹嘴は思考を中断してそう呟き、アクセルを踏み込んだ。
そして───車が……60mリムジンが、一つ目の角をさも当然のように、曲がっていった。
「……なぁ、今普通に曲がったよな」
「……えぇ、普通に曲がりましたね」
リムジンの中で寛いでいる二人の表情は正に理解できない、といった様子だった。
暁が、どういうことなの……と、真剣な表情で悩んでいる。
当たり前のように曲がったのだ。60mのリムジンが、だ。有り得ない現象である。
「……ふむ。つまり、こういうことか? リムジンが曲がったという結果を創りあげてから、ハンドル切って曲がって────」
「暁様。他社ネタはやめてください。其れは最早、因果の逆転です。どこの刺○穿○死棘○槍ですか」
「……ならば、トト○に出てきた猫○スみたいに周りの物質が避けて───」
「暁様────ジ○リは時空を超えて検閲削除してきます。ご自愛ください」
「「…………」」
……沈黙が室内に広がる。
「会話が緩いな。ついでに頭も」
「ええ、緩々ですね。そういう状況ではないのですが……」
空気が、緩んでいる。
このような隔絶された世界で二人っきりという状況は、久方ぶりだったからか。
ピンと張った糸が、解されていく感覚を二人は覚えてしまった。
「最近は張り詰めっぱなしだったしな……たまにはいいんじゃないか」
「たまには……確かに久しぶりですね、こういう……その、はっちゃけた会話は」
「生まれて初めて会って、一晩中語り明かしたとき以来だったか」
二人は通り過ぎた七年間に想いを馳せる。
死と再生。
異世界との遭遇。
互いの存在の認識。
そして、世界改変のための活動。
「月詠。お前がいてよかった。あの邂逅がなければ、俺は状況を正しく理解できなかっただろう」
「同感です、暁様。貴方がいてよかった。おかげで、私という存在が唯一無二でないことを知った」
───転生。
二人は当初、自分達が特別な、唯一無二の存在だと自認していた。
この世界に影響を与えることが出来るのは、自分のみだと。
しかし必然か偶然か、二人は極めて近しい場所に生まれ落ち、巡り逢う。
そして、二人は多くを語り合い……一つの突飛な発想に至る。
「……何という事はない。俺もお前も、特別ではあったようだが唯一無二ではなかった……俺達に準ずる存在が他にも存在したわけだ」
「───この狭い国内、しかも確認出来た者だけで18人……日本に分布が集中している訳ではない場合、全世界で100人を余裕で越すでしょう」
古人曰く、一匹見かけたら百匹いると思え────とのことですし。
と、月詠が付け加える。
「ハッ……まるでゴキブリだ。仮に海外にも俺達みたいなのがいたとすると……ユーラシアの方に生まれたのは大変だろう。何せ、あそこは地獄だ」
「……既に脱落者がおるやもしれません。状況を把握できぬまま、BETAに貪り食われた者がいないとは言い切れませんから。実在したなら、ご愁傷様です」
「全くだ……さて、それじゃ運良く安全な後方国に生まれ、何れは決戦の舞台に立たされる俺達は今のうちに好き勝手やらせていただこう」
暁がそう言うと、月詠は携えていた小さめのアタッシュケースを開き、18枚の書類を暁に突き出す。
「───これを。例の釣り餌……"高認"に掛かるだけの運と行動力を示してきた者達の詳細です」
暁は無言でそれを受け取り、それぞれに目を通す。
その表情は真剣そのものだった。
数分後、吟味するように書類を見つめていた顔をあげた。
「……生まれた場所が見事にバラけているな。これじゃ彼らには、俺とお前のような他の転生者との巡り逢いはこない、か」
「────正史の知識を所持しているという仮定になりますが……彼女らは皆、変わり始めた歴史に対して、真実に到達する糸口を見つけられない……精々がIfの世界だと思い至る程度でしょうか」
「まぁ、俺達が動くまでは正史のソレから逸脱した流れはなかったからな。……クッ。それこそまさか、だろ? まさか自分と同じようなのが他にいて、しかもこんなにも早く歴史に干渉してくるなんて思う訳がない」
心底愉快そうに破顔した暁に、月詠が嗜めるように口を開く。
「暁様、間違っています───そもそも彼等は自分達のスタート地点が同じだという情報すら持ち得ていない。故に、他者の行動が早い、遅いという発想がまず有り得ないのです」
「ああ……そうだったな、いかんいかん。情報量という点に置いても、俺達のアドバンテージは大きい訳、か」
暁は再度、18枚の書類に目を通す。
18人の個人情報はバラバラだ。
苗字も、名前も、家柄も、生まれた場所も、家族構成も、非常にバリエーションに富んでいる。
───しかし何度見返しても、気味が悪くなるほどの一致を見せる項目があった。
「……生年月日、一九八三年」
「……十二月、十六日」
二人は神妙に口を揃える。
─── 1983 12/16 ───
「俺の誕生日だな」
「私の誕生日でもあります」
暁は愉快そうに、月詠は不快そうに顔を歪ませた。
「……この不気味な一致は、一体何なのでしょうか」
「それについてだが、月詠。今日は他に誰かの誕生日だったか覚えてるか?」
暁はなぞなぞでもやるようなノリで、月詠に問うた。
「……悠陽様のお誕生日でしょう」
「ああ、そうだな。ということは?」
「双子の冥夜様のお誕生日でもあられます」
「……もう一人いるだろうに。わざと言ってるのか?」
「む、まだ誰か? 申し訳ないです。私は空覚えが多いので……細かいところまでは覚えておりません」
「あー……そう言えば、そんなことも言っていたか。しかし細かくないんだがな、これは。結構重要な情報の……まぁいい」
心底申し訳なさそうな顔で謝罪する月詠に、暁が虫食いなら仕方ない……と納得する。
「引っ張る案件でもない。とっととネタばらしだ」
暁があっさりと言った。
────『白銀 武』だ、と。
「────な、るほど、成程。失念していました。今日は彼の誕生日なのですね。そして貴方は白銀 武という存在が、私達のような異邦人がこの世界に多数存在する原因かもしれない、と?」
「確証はない。しかし、もし何かを疑うとして、"彼"以外に誰を疑う?」
一瞬の思考停滞の後、疑問の遣り取りを交わす二人。
「……気持ちはわかりますが、因果導体の白銀 武は未だ不在です。今この世界にいる白銀 武は、ただの少年に過ぎない。それに、仮に彼が原因だとして、私達がそれに便乗したとして────2001年の10月22日がスタート地点になるはずでしょう」
「だから、確証はないと言った。これは俺の妄想だ。考証じゃない。これだけ大勢の人数の誕生日が一致したという理由だけでこじつけた、ただそれっぽい妄想に過ぎない」
月詠は呆然とした。
暁はこういった真面目な場面で妄想を口走るような人間ではない。
────その意図が読めない。
「……つまりどういうことだってばよ、とお聞きしていいですか」
「いいってばよ。お前には、俺の妄想を全否定するために、白銀 武を偵察してきて貰いたいのだ」
「何……ですって……?」
今度こそ驚愕の表情を浮かべる月詠。
「そもそも今日はお前にそれをやって欲しくて連れてきた。悠陽から託された届け物の方は俺だけで事足りる」
「……それは、その、今日じゃないといけないことなのですか」
その表情からは、出来れば勘弁してほしいという感情が滲みでている。
「そう言うな。ついで、というヤツだ。柊町は目的地に比較的近いからな」
「───ハァ……諒解しました。偵察任務、承ります。ですが一体、素人の私に何を偵察しろというのです」
渋々といった表情で月詠は問いかける。その疑問は当然だった。
彼女が直接偵察するメリットがないのである。
そういうのを専門に活動している人間に委託することも可能なのだ。
その疑問に、暁は微妙な表情を浮かべながら答える。
「何と言っていいものやら……ああ、そうだな。普通の少年であるかどうかを確認して欲しい」
「普通の……? それはどういう───」
「怪しいところがなければ問題ないということだ。適当でよい。それと、この車両の三部屋目にお前の丈にあった厚手の服が何着か運んで貰った。降りるときに選んで着替えていけ。そしてこれは軍資金だ。好きに使え」
「あ、あの、これは一体……?」
状況を飲み込めずに、思わずそう聞き返す。
怒涛の勢いで説明し、この年齢の子供が持ち歩くには明らかに多すぎる金の入った革財布を手渡してくる暁に、月詠は動揺を隠せない。
わたわたと慌てている姿は、どこからどう見ても、そこら辺にいる年相応の少女に見えた。
「……真那さんや真耶さんから聞いている。"働き過ぎだ"、とな。いい機会だ……街中でもブラついて、息抜きでもしてこい」
それを聞いて、漸く彼女は理解した。
────これは、彼からの誕生日プレゼントなのだと。
しかし何も用意しておらず、それどころかそういう発想すら持っていなかった月詠は、自分自信に対して酷い自己嫌悪を覚えた。
「……わ、私は暁様にプレゼントを用意できておりません。ですから、これを受け取ることは────」
「お前の挺身のおかげで、俺は十分に楽をさせて貰っている。その日頃から積もり積もったお前への恩を、今回の一回で済ませてくれと言ってるんだ。酷いヤツだな俺は」
いいから黙って受け取れ、と遠まわしに告げた暁の顔はやや羞恥で赤みがかっていた。
自分のキャラじゃないのを理解しているのだろう。なんか暖房効きすぎではないか? と態とらしく愚痴を零している。
……これがツンデレというヤツか、と月詠は笑みを浮かべながら内心で思う。
いつのまにか彼女の心を覆っていた自己嫌悪は霧散していた。
「───貴方に、心からの感謝を。正直、ギャップのせいでちょっと子宮がキュンとしましたよ」
「女児が子宮とか言うでない。というか、嘘をつけ。初潮もまだの癖に……解っているだろうが、白銀 武の偵察もしっかりこなせよ?」
「ええ、諒解です。前金は頂きました。勤めは果たしま、す……っ」
「……どうした?」
とても周りに人が居るときには出来ない下品な冗談を二人が言い合っていると、突如、月詠の反応が鈍り、目も虚ろになり始める。
そのまま体をゆっくりとソファーに倒して、完全に眠る体勢に入った。
「申し訳ありません……地獄の早朝稽古で、想像以上に消耗したみたいです……」
「……よい。それについても申し訳なく思ってる。その分も今日は楽しんできてくれ。柊町に着けば起こす。寝ていろ」
「……変なこと、しないでくださいね……」
「せんわ! ケダモノか俺は……そもそも精通がまだ、って何を言わせる!?……む?……もう寝たか。のび太君か貴様は」
暁はヤレヤレだ、と口にして立ち上がると、月詠の隣に腰を下ろし毛布を掛けてやる。
「……黙って眠っていれば、美少女なんだがな……」
呟き、規則正しく寝息をたてる少女の髪を壊れ物でも扱うように掬い上げる。
黒髪を眉の辺りで切り揃え、肩にかからない程度のボブカット……正しく、日本人形のような美少女、と言っていいだろう。
「だがな……信じられるか……?これで、中身は前世の歳も合わせると四十路超えたおっさんとはな……全く、世の中解らないことだらけだよ」
そう。
おっさんなのである。
おっさんのような、ではない。
おっさんなのである。元、がつくが。
暁が今ほっぺをぷにぷにしながら遊んでいる少女は、おっさんだったのである。
悪夢でも見ているのか、真耶姉様の笑顔超怖いです、と呻き声を上げている目の前の美少女が、だ。
彼女は転生者。
そして転生というからには前世がある。
例え今は美少女だとしても、前世ではおっさんだったのだ。
「……あの人格矯正は、ほんと、大変だったろうな」
暁は思い返す。
担当はハトコ関係の月詠 真耶と、月詠 真那が受け持った。
それはもう見事に……口調から一人称までガッツリ変わったのだ。
前世の一人称だった僕は私になり、喋り方も丁寧なものに矯正された。
一部始終を見ていた暁は、その余りのスパルタっぷりに同情を禁じ得無かった。
そしてその結果出来上がったのは何処に出しても恥ずかしくない、下ネタもどんとこいなユーティリティ性を持つ日本の精神が凝縮されたような美少女である。
───ここだけの話、暁は、君が望む永遠の結末の……平行世界の一つ、緑の悪魔に完膚なきまでに人格を破壊された鳴海 孝之を連想した。
「人格の矯正というか……全部壊してゼロにして、そこからまた築き上げたような……そんなノリだったからな……」
あの時、暁は心の底から同情した。
そして、理解したのだ。
初めて邂逅したとき、マブラヴの好きなキャラや戦術機について熱く語り合った、あの時の中身おっさんの幼女は……もういないのだ、と。
「トランスセクシャルは……簡便だな。ああ本当に────異性に転生しなくてよかった」
暁はほっぺをぷにるのに飽きたのか腰を上げ、車に乗り込んだときに座っていた場所へ戻る。
そして通信回線を開き、運転席の一文字 鷹嘴に連絡を繋いだ。
「一文字少佐。斉御司です。予定が変わりました。先に月詠 真央を柊町で降ろします」
『ハッ、了解しました』
「目的地までのルート選びは一任します。頼みました」
必要な事だけを伝え、通信を終える。
暁は深い溜息を吐き、如何にも高級そうな備え付けのソファーに体を沈めながら、双眸を閉ざして思考に没頭する。
───複数の転生者。
───不自然な一致を見せる生年月日。
───物語の核となる少年。
ゆっくりと目を開き、暁は静かに眠る月詠 真央に視線を向け、間違っても起こさぬよう、優しく語りかける。
「……なぁ、月詠。俺達はとんでもなく非常識な存在だ。オマケに他にも似たようなのが大勢おり、伏兵までいるかもしれないとキテいる……これ以上イレギュラーが増えるのは頭痛の種だ」
そのための白銀 武の偵察だ、と付け加える。
暁が思い浮かべるのは荒唐無稽な二つの単語。
────逆行。
世界を救う英雄の少年が、過去へと舞い戻り、新たなお伽話の幕が上がる───。
「……転生なんて馬鹿げた前例がここに居る。全面的に否定が出来る立場ではないな」
────憑依。
世界を救う英雄となる少年の同位体に、違う何かが憑き、異なるお伽話の幕が上がる───。
「……同じく、全面的に否定は出来ないだろう。誰か違う"ヤツ"が武の身体を乗っ取っている……有り得ないことじゃない。俺もお前も、似たような者だ……」
暁はこの二つの不確定要素を、完全に排除したかった。
その為に、白銀 武との接触は遅かれ早かれ必要だったのだ。
「とは言ったものの、十中八九ないだろうが……そのためにも確認が必要というのが七面倒だな」
月詠 真央を、白銀 武の偵察に向かわせるのもその為だ。
「まぁ、俺が行ったほうが確実なのだが───俺は俺で、用事がある」
暁は丁寧に固定されて安置された花束と手紙に視線をやる。
こればっかりは他人任せには出来ないよなと、苦笑する。
「気晴らしのショッピングもいいが、この世界の白銀 武がどういった存在か見極めてもらうのがメインイベントだ。月詠、お前なら事足りるだろう」
最も個人としてはこれ以上の厄介事はお引き取り願いたいものだ、と心の中で切実に思う暁だった。
「───ああ、言い忘れていた。寝てる時で悪いが、ハッピーバースデーだ相棒。厄介で長ったらしいプロローグではあるが……もう少し付き合ってもらうぞ」
暁はやがて来る、そう遠くはない将来を思う。
序章が終わり、物語が真の意味で始まるとき、どれだけの転生者が立っていられるのか、と。
既に行動を起こし、その存在を一部の人間に知らしめた18名の転生者。
未だ把握しきれていない、海外にもいるかもしれない伏兵的な未確認転生者。
「……どこにいようとも、そろそろ各々の分岐点に差し掛かるだろう……精々、くたばらないことを祈る」
暁は日本に存在する、そして世界中に存在しているかもしれない転生者達に語りかけるように────。
「────誕生日おめでとう。悔いの無いよう行動してくれよ───希望が未来を焼き尽くす前に、な」
同じ日に生まれ落ちた、全世界の"兄弟"達に向かって、そう告げた。
ここに一つの戦場があった。
人類の剣を収める場所であり、その刀身を研ぎ澄ます場所。
戦術機ハンガー。
整備士という名の戦士達は、この戦場を縦横無尽に駆けずり回る。
彼らの熱気はこの極寒の地に位置する基地にあって尚、フル稼働している暖房設備のソレに劣らない。
しかしそんな中、周囲から異常なほど浮いている存在があった。
戦術機の前に幼い少女が一人、後膝部まで届く長い銀髪を揺らし、佇んでいる。
余りにもこの場にそぐわないその妖精のような少女を、通りすがる整備兵達が訝しげに一瞥していく。
整備パレットに備え付けられている柵にもたれかけ、眼前に聳え立つ無骨な鉄の巨人と相対する少女。
彼女は何を思うのか。その表情は無造作に伸ばされた前髪で完全に隠れ、周囲の人間には伺うことが出来ない。
「F-14 AN3 ロークサヴァー……」
可憐な、それでいて冷たい声でボソリと、型式番号と名称らしきものを呟く。
それが目の前の戦術機に与えられた名前だった。
「実物大を生で見てみると、センサーのゴテゴテ具合が最悪だな。これじゃ空力特性もクソもねぇだろ」
その見た目からは想像もできないよう口調の悪さで目の前の機体を酷評する。
揺らめいた前髪から覗く青い瞳が映すのは、戦術機の頭部、肩部、腕部に搭載された複合センサーポッド。
だが、この元来の機体コンセプトを無視した装備が、己の能力のサポートをする為の物だと、少女は理解できていた。
「……最悪の誕生日だ、ド畜生。ああ、嫌な予感はしたさ。ハンガーにプレゼントが届いてるなんて素っ頓狂な事伝えられた時からな……ッ!」
忌々しげにそう言うと自らの肩を抱き、目前の戦術機から目を背け、俯く。
……やがて来る現実からの逃避の許しを、頭を垂れて乞うように。
「───スワラージ作戦まで後二年。後二年で、オレはこいつに乗せられて……軌道降下でボパールハイヴに飛び込む……」
自分のことをオレと呼称した少女は、その未来を思い浮かべたのか、恐怖に震える。
必死で肩を掻き抱き、抑えこもうとするが、一向に止まらない。
「生還率、6%」
あまりにも絶望的な数字を、か細い声で搾り出すように口にする。
「……トリースタが参加しないから、自分も参加させられるはずがない……そうやって油断した結果がこれか────」
少女は思う。
こんなはずではなかったと。
自分はスワラージ作戦になど参加せず、トリースタと一緒に第四計画へと接収されるために動く手筈だった。
だがその希望した展開は、一手目から粉微塵にされたのだ。
「例えそれが、十にも満たない少女でも……使えるものは使うってことかよ……ッ!」
吐き捨てた言葉が、整備の音に掻き消されて宙に消えていった。
少女は後悔する。
優れた知性と落ち着きを、幼児の頃から周囲の人間に見せつけた事を。
少女は憤慨する。
既に積み上がっていた人生経験とESP能力が結びつき、凄まじい潜在性能が何故か発揮されてしまった事に。
少女は懺悔する。
───調子に乗って、寄り善い未来をその手に掴めるかもしれない等と夢想していたことを。
全てが完全に裏目に出た。
戦争をナメてかかった代償が、払わされる時が来たのだ。
「……悪ぃ、トリースタ。オレ……お前と一緒に日本にいけないかもしれない……」
少女は自分に懐いてくれている、未だ幼くも聡明な三〇〇番目の番号を割り振られた妹のことを思う。
暇があればトリースタに未来のお伽話を断片的に語り聞かせた。
日本のことや、不器用ながらも養母になってくれるであろう天才博士のこと。
世界を救う、一人の少年のことを。
すると、トリースタは少女に答えてくれたのだ。
にっぽんに、いってみたいです、と。
舌っ足らずに。
───ねえさんといっしょに、と。
少女は顔を上げる。
その瞳には、絶望に抗い、希望を求める光が宿っている。
「……嫌だ。そんなのは嫌だ。死ねない。オレは嘘つきになりたくない。だってもう、オレは答えを返してるんだよ───」
───いっしょに、日本に行こうって───
人工ESP能力者として二度目の人生を歩む転生者の、生きるための戦いが───今、始まった。