1991.summer.one day
日本帝国 九州
熊本難民キャンプ
キャンプ地 ~ コンパウンド
「……今日は、太陽が煌めいてやがるな……」
頭が沸いてるような台詞を吐きながら空を仰げば、突き抜けるような青が広がっていた。
晴れて欲しい時には曇ったり雨降らすくせに……嫌がらせか。
内心で愚痴りながら、俺は自転車を走らせる。
だが、絶好のサイクリングシチュエーションに関わらず、ペダルを回す足は鈍い。
いつもなら軽く感じる車体が、今は重くて仕方がなかった。
……やはり、完徹なんてするものではない。
比較的緩やかなはずの朝日すら強く感じてしまう寝不足の目が憎い。
まぁ……目を窄めてしまうのは眩しいからだけではなく、単純に睡魔に襲われて眼蓋が重いだけなのだが。
正直、もし道のりが上り坂なら自転車を漕ぐ気力すら沸かなかったかもしれない。平地で助かった。
それほどまでに俺は疲弊しきっており、目下……根性だけで足を動かしている状態である。
しかし昨夜の出来事は……この様な醜態を晒すに見合う実入りがあったのは確かだ。
不破 衛士にとっても……きっと、林 雪路にとっても。
今頃、シュエルゥはぐっすり眠っているだろう。
寝落ちする瞬間を見届けたから、間違いない。重要な事は一通り済ませて、お喋りモードに入っていたのだが、限界がきたのだろう。
しかし、仕方がない事だ……俺から教えたのは膨大な情報だった。切り替えは得意とは言っても、飲み込むには骨だっただろう。
……まぁ膨大と言っても一言で表すならば……"あらすじ"に尽きるのだが。
黙っていた俺自身の行動や"他の連中"の活動を知りうる限り解禁し、今までの出来事に加えて時系列順にまとめつつ、現状を改めて認識してもらっただけだ。
そして、お返しにと彼女から教えられた情報だが……隠し事等はほぼなく、正体を明かし合う前にほぼ全てのエピソードは語り終えていたようだ。
……たった一つの、非常に衝撃的な事件を除いて。
────シュエルゥは、統一中華戦線で横行していた"荷抜き"に、楔を打ち込んでいた。
紛う事なき、英断だろう。
これで……帝国軍の大陸での活動に際して発生するはずだった摩擦を、大きく軽減したのは間違いないのだ。
正史にて、当時頻発していた荷抜きはとある戦場に多大な影響を及ぼすこととなる。
重慶撤退戦……いや、今は"まだ"……重慶攻防戦と呼ぶべきか。
大陸へと派遣された帝国軍が、最初に迎えることになる激戦区……"だった"。
だが……状況は目まぐるしく変化している。凄惨な結末を約束されていた場所だが……揺らぐかもしれない。
端的に言えば、正史において大陸派遣軍は当時、撃震しか運用していなかった。
戦力としては、衛士の連度こそ高いが他国軍に比べて大幅なアドバンテージがあった訳ではない。
しかも、荷抜きのせいで兵站の要諦が機能不全に陥るという八方塞がりに陥ってしまった。
その結末は……単純な戦力不足と補給不足に悩まされた挙句、"それでも尚"有能であったせいで敗退が確定した総軍の殿……撤退時のドンケツを任されてしまうという凄惨たる結末だ。
多くの軍人が、逃げ遅れている難民を逃すために玉砕した……整備兵等の、非戦闘員に至るまで。
だがその悲劇も……この世界では、その筋書き通りにはいかないだろう。
────其処は、"この世界"では……斉御司や月詠さんによって導かれた戦術機……TSF-TYPE88/F-16J『彩雲』が、集中配備されている要所なのだ。
そして、隣人によって着けられるはずだった足枷も……林 雪路の活躍によって既に壊されている────。
米軍に頼れない現状では、圧倒的な状況改善となるだろう。
そう、重慶には……頼みの綱の米軍が展開していないのだ。
内地なので戦艦等の投入も出来ず、陸上戦力だけで対応するしかない……軌道爆撃も、まだない。
そして、主な防衛戦力は中華統一戦線、帝国軍、韓国・ベトナムの義勇軍だ……現状この中で、まともに第二世代機を運用できているのは帝国と中華統一戦線に所属する台湾の、二国だけ。
しかも台湾の所持する二世代機、F-CK-1『経国』や純正F-16は、まだ配備開始から1年程で、国力の問題もあってか機数が揃わず、本土に優先配備されるのみに留まっている。
第二世代機を3年間運用し、海外派兵を行える程の機数を調達し、練度を維持して戦闘へと投入出来る帝国軍は……極めて貴重な戦力だ。
更に、北海道札幌の第七師団から援軍として1個大隊が派遣される。
帝国軍は険しい越冬戦を見越し、最も寒冷地での任務経験が積まれる場所から選別された最精鋭達と、相応しい装備一式を送り込む準備をしている。
……88式の"寒冷地仕様"は、冬の重慶を地獄に変える寒波と豪雪の中でこそ輝くだろう。
これだけの"因"が揃ったならば、それに応じて"果"も変わるはずだ。きっと、事態は好転する。
シュエルゥは難民の身でありながら、大きな事を成し遂げたのだ。
自覚もなく、遠く離れた斉御司の思惑に同調し、兵站レベルでの連携を取ることによって────。
本当に、凄いヤツだと思う。
「……だっていうのに……偶然の一言で済ませちゃうんだからなぁ、あいつ」
謙遜か、はたまた興味がないのか……。
……そもそも、シュエルゥが荷抜きの一件に介入することになった発端そのものが……な。
打算、義務感、自己保身、自己顕示欲……そういったものからは程遠い、異質なものだ。
彼女が闇市でとある物を目撃してしまった事が原因だ。
それは日本から送られてきた、帝国軍人の家族や友人からの手紙や写真……所謂、"心の篭った唯一無二の慰問品"だったのだ。
然して林 雪路は奮起し────。
『根刮ぎ潰さないといけないと思いました』
と、なったらしい。
……余りにも過程をすっ飛ばした発想、且つ、真っ当な正義感だった。
まさか元締めの連中もこんな子供みたいな理由で潰されるとは思いもしなかっただろう。
しかし、林 雪路は……自己犠牲を厭わぬ聖人君子などではない。
保身を考え、危機感も持ち、己を取り巻く環境が悪ければ悪事に手を染めるのも吝かではない……という、割とフレキシブルで長生きするタイプだ。
これは俺の勝手な想像ではない。彼女の語った事を分析し総合しただけだ。
恐らく的中していると思われる……虚飾の情報が混じっていなければだが。
そもそも彼女は当初、摘発を目的として闇市に潜入したのではないのだ。
むしろそういった違法な物品を手に入れるためにこそ、潜り込んだ。
食料品や医療品は今の自分に必要であり、そういう裏市場の存在も仕方ない……という認識でいた。
尤も、資金不足で結果的には手を出せなかったようだが……資金調達のツテがあれば自分はきっと買っていた、と暗い顔で告白していたのを思い出す。
更には戦術機の予備部品や、弾薬や燃料などといったものまであり、流石に驚きつつも呆れたようだ。
……そしてその情景を見ても、特別何も感じなかったらしい。むしろ、元締めの権威の強大さに恐れ慄いたのだとか。
だが、そんな人間の負の面も相応に持つシュエルゥを、刹那にして義憤に駆らせた光景があった。
────本土に置いてきた家族や友人や恋人の写真。大陸で闘う大切な人の安否を気遣う手紙。子供が父親に似せて作ったであろう、軍服を着た小さな縫い包み。
……そういった物達が、まとめて売られていた────二束三文の、はした金で。
シュエルゥにとって、起爆剤としてはこれ以上ない出来事だったのか。
こうして初志から180°内心の方向転換をし、闇市と仕入れルートを明るみにする為、顧客を装いつつ精査し、国連や帝国軍の調査機関を介入させ、兵站を正常化へと向かわせる事となる。
「……よく五体満足で帝国軍に保護されてくれたもんだ。本当に、バカだよな……」
酷い言葉を吐きながらも、俺の胸中にあるのは尊敬の念だけだった。
シュエルゥは利害を超えたところで判断し、宿った激情と正義感を寄る辺として行動に移したのだ。
誰にでも真似のできることではない。が……賢くはない。運が良かっただけで、命知らずな事には変わらない。
臆病風に吹かれたとは言え、一度は危険だと冷静に看做してみせた事を、勇気と無謀の狭間で断行した……これは博打に等しく、決して褒められたモノではない。
それでも────俺はそれが正しい行動だったのだと、"感じた"。
そして、運が絡んだとは言え結果に結びついたのなら……その働きに相応の報酬があってもいいのではないか。
しかしシュエルゥの中で、この一件は終わったことらしい。
早期渡航の段階で融通してもらっているから、既に対価は払われていると言う認識でいる。
彼女らしい謙虚さだ、と褒めるべきなのだろうが……。
────なら此処に居る……何の対価も支払わず、当たり前の日常を享受してしまっている者は……シュエルゥにどう顔向けすればいいのだろう────。
……独善的ではあるが、俺から何かをしてあげられないだろうか。だが独りよがりが過ぎても意味がない。
押し付けがましくなく、正当性があり、シュエルゥの望みとも一致している……そんな報酬が用意できれば……。
……交渉の余地はあるはずだ。この件を正しく理解し、また便宜を図ってくれそうな人間を、俺は丁度知っている。
しかも────。
「一週間後の……8月が終わる日。その張本人が此処に来る、ってシュエルゥも言ってたしな……」
視察団が来るってのは聞いていたが……来入者一人一人なんて気にも掛けていなかったんだよな。
ほんと、驚いた。あの日とは逆になってるな。大陸派兵の日は俺が出向いたが……今回はあっちから来るらしい。
────五摂家にして現将軍家である、"斉御司"の一員。そして転生者でもある、斉御司 暁。
シュエルゥがいち早く渡日……いや、"帰国"した理由の一つに、彼との謁見を希望した……という事も含まれると言っていた。
だが本人曰く、俺からの説明で9割方目標を達成できてしまった、との話。
少なくとももう斉御司に対して何かを問い質すつもりはなく、糾弾する事もないらしい。やや聞き分けが良すぎる気がするが、難民として過ごしてきた経歴から、彼の介入行動には同情を覚えるようだ。
そしてその同情こそが残りの一割の目標に関する……傘下に入るか否かという話に繋がる。彼女の難民という立場が選択の余地を狭めてしまっているのだ。
難民という立場は、著しく自由を制限される。特筆すれば、現行法では日本帝国の公的機関に所属する事が出来ない等がある。
そしてまた……シュエルゥは、自分の分を弁えている。歴とした、中国籍を持つ難民である事を、しっかりと理解している。
故にそんな己を庇護下に置き贔屓する事は、斉御司の外聞的な悪影響等の迷惑がかかるだろう、と……こんな時でも彼女は他人優先だ。
恐らく、一週間経っても考えは変わらないだろう……何とかフォロー出来そうならしてみよう。
「……そういえば、月詠さんはどうするんだ? やっぱり付いてくるんだろうか……となると、御礼がしたいところなんだが……」
────まだ適性検査通るかどうかも解らないのに、斯衛軍衛士養成学校の詳細な資料とか……都合して貰ったからなぁ。
加えて、疎開先の件まで……俺はあの人に頼りっ放しだ。本当に、頭が上がらない。
まぁ……まさかここまで親身になってくれるなんて、考えても思ってもみなかったんだが。
顔を突き合わせたのは、港での一回きりだぞ……?
あの時より音沙汰もなく3ヶ月が経ち、渡してくれてあった番号へと俺から唐突に連絡したにも関わらず、この好待遇だから不思議で仕方がない。
……ていうか電話かけた時、取り継ぎで出てくれたの多分、鎧衣さんじゃねーかな……割と若々しい感じがしたけど、俺のダメ絶対音感がそうだと告げている。
信頼できる人に繋がると聞いていたんだが……鎧衣さんって……いや、まぁいいか。胡散臭くても悪い人じゃなかったしな。仕事はちゃんとする人だし。
そんな鎧衣さんから「5秒待て」と告げられて、5秒じゃ無理だろと思いつつも待っていたら、本当に5秒で月詠さんに継がったから意味が解らない。
其の後は、何故か若干テンションの高い月詠さんに電話の理由を聞かれ、学校の資料が欲しい事を話した。
すると何故か更にテンションの上がったようで、他に何か用はないかと聞かれた。
ここぞとばかりに半ば諦めつつも、帝都内で疎開の住込み先と"軍事"に精通できる環境の紹介をして欲しい旨も伝えた。
こうして……結局、どちらも了承された訳だが。正直、今でも不思議で仕方がない。
確かにはっきりとした返事はしなかったが、請求した資料、そして帝都での疎開先や軍事に慣れ親しめる環境の紹介……事実上『あの日の返事』のOKサインだ。
しかし、資料のほうは俺の要求から察してくれたのだと納得するとして……。
こんな早い時期からの疎開や環境の件まで引き受けてくれるってのは、どういう了見だ?
青田買いじゃ済まない……耕して整えるところから始めるようなものだ。
オマケに、一週間足らずで親と学校にも連絡が行き、来年春からの唐突な疎開がスルスルと一切揉めずに決まった。
ただ住込み先の件では、文句は受け付けない、と言われた。当然、二つ返事で了解したが。
多分、問題はないだろう。実家から通えとかそもそも無理だし、これは京都じゃないと意味がない。だから、どんな厳しい環境だろうと耐える所存だ。
そういえば……両親・学校の双方には事前に相談してあったとは言え……お小言一切なしどころか、褒められもしたな。
やっぱり、武家の影響力は強いのか……転校とか結構揉めそうだと思っていたのに。尤も、俺が持ってる例の高認の資格も関係あったりするらしいので、今まで積み重ねてきた諸々の条件が重なったのか……。
父さんと母さんなんて、よくやった!って喜んでたんだよな……"上洛"なんて時代錯誤な単語まで飛び出してきたし。
……それも、武家なんて存在が未だ残っている世界だから、今更の話か。東京と京都……どちらも異りつつも同等に栄えてるんで、呼び分けられる事もあるのだとか。
上京と言えば東京・京都のどちらにも当てはまるが基本的には東京を指し、帝都に限定するならば上洛のほうが明確に通じるようだ。
この世界ならではの言い回しというか……らしくはある。
────上洛、か。
今度は成り行きじゃない。
己の意思で、帝都へと踏み入る。
……その前に、斯衛の二人に出会える機会が再び巡ってきたのは僥倖だ。
一週間後、彼らが訪れた時に伝えよう。誠意を尽くし、自分が何を成したいのかを。
「……まぁ、もう察してくれてそうだけど、一応な」
あの日あれだけ煽られて、時間を空けて、改めて斯衛軍隷下の訓練校の資料を請求。
この流れで気づけないほど鈍くはないだろう。
まぁ、バレていようがいまいが……。
「何はともあれ……どうかこのまま八月が終わるまで、何事も起きませんように、っと」
心の中で祈りながら、ペダルを回した。
ピークに達した眠気を振り払うように、自転車の速度を上げていく。
1991.summer.one day
日本帝国 九州
熊本難民キャンプ
コンパウンド
────俺、帰ったら……寝るんだ。
そう心に誓って、ペダルを漕いできた。
今日は夕方前の、各種施設の点検作業ぐらいしか俺の仕事はない。
だから眠れる。眠れるのだ。シュエルゥとの貫徹での語らいだって、これを踏まえてのもんだ。
それだけを希望に、全身全霊を掛けて、俺はコンパウンドへと帰還したのだ。
眠りそうになるのを堪える為、今後の事について必死に思考を途切れさせないようにしたりと、自分なりに努力しながら。
でも……努力が報われない時だって、あるよね……。
Muv-Luv Initiative
第二部/第四話
『因果連鎖』
「……あの、それ、本当ですか」
「ええ……娘から電話でね。あっちで友達になったんだって」
……勘弁してくれ、と。
俺はその時、心の底から思った。
疲弊しきってるんですよ、こっちは。
寝不足の頭は思考を放棄したがってる。
昨日から色々ありすぎて、とっくの昔に限界だ。もう保たない。
だが目の前の女性、アシュリー・スーさんの言葉は、到底無視できるモノではなかった。
「……キリト・キリヤマは、確かに俺の友人の名前です。俺に告げた行き先や滞在期間から考えても、同一人物なのは間違いないです」
どうやらそういうことらしい。
コンパウンドへ踏み入った直後、アシュリーさんに物凄い勢いで捕縛された。
そして今の状況である。世界が狭すぎる気がする。
俺の友達と、目の前の人の娘さんが、海外で友達になってるってどんな確率だよおい。
「偶然ってあるものなのねぇ。どこで人が繋がってるのか、予想もつかないわ」
想像しろってヤツか。
でもごめんなさい、今は無理です。
頭が怠い。痛かったりはしないが、鉛が詰まってるようだという表現が正に当て嵌った。
脳みそこねこねコンパイルだ。相当、参ってる。
しかも、さっきから嫌な予感がビンビンする。
柄にもなく「何事も起きませんように」と祈ったのが不味かったのか。
フラグが立ったとでもいうのか。
回収早すぎだろふざけんな。
「……珍しいですよね。アシュリーさんが自分の家族のこと話してくれるなんて」
少し震え声になりながら言った。
そもそもどうしてこんな話をしているのか。
何でもアシュリーさんの娘さんが、アメリカで霧斗のヤツと友達になったらしいとのこと。
あの野郎アメリカに何しに行きやがった……。幼女と仲良しごっこに講じてる暇はないはずだが?
自分の容姿がガキだからってセーフだと思ってるんじゃないか? 今の内に去勢しとくべきか……。
「そんなことないでしょう。何回か話したことあるわよ?」
「いえ……でも俺、娘さんの名前すら知りませんよ。いるってことも又聞きですし。俺がいないときに、他の職員さんと話してたんじゃないですかね」
基本的には公私混同はしないタイプだしな、この人。
何かと気にかけてくれてはいたが、それはキャンプ内に携わる教育の範囲内でだ。
昨日の夜、プライベートな事に突っ込んで話をしたのが始めてなぐらいだし。
「……あら? "ポリー"の事、一回も話したことない? 本当に? 聞き逃したとかじゃなくて?」
「────……ポ、リー?」
その響きに、覚えがる。
間違いなく、かつて聞いた重要な名前だ。
……衝撃が強すぎて、一瞬意識が飛んでしまいそうになった。
眼蓋がより一層重くなるのを歯を食いしばって耐えつつ、聞き返す。
「……ちなみにポリーって、愛称ですよね。本名は────」
「メアリーって言うの。素敵でしょう? ちょっと待ってて写真があるわ。どこだったかなぁ……」
デスク周りを漁り出すアシュリーさんを尻目に、俺は鈍った頭で今しがた聞いた娘さんの名前を分析した。
メアリー。
そうか。メアリーは、ポリーと省略されるのか。一つ勉強になった。
あぁ……何て、何て素敵な名前なんだろう……そう、"単体"なら。
その名前単体なら、俺はその名前を素敵だと豪語しただろう。
だが、姓が問題だ。
スー。
綴りはSueで「告訴する」って意味もあるんだよな。
裁判沙汰は米国人のお家芸だしな……って、いや、まぁそれは置いといて。
姓の方も単体ならいい。問題ない。短くてシンプルだ。いい姓だ。
さて……お待ちかね。
ここで名前と姓をドッキングさせてみようか。
やったぜ、フルネームが完成だぜ。
"メアリー・スー"
" メ ア リ ー ・ ス ー "
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………ッッ!!」
何だこの破壊力……ッ!?
T.K.Oだよ。リングに沈んだよ俺。
真っ白だよ、眠いよもう。限界なんだよパトラッシュ。
……俺もさ、時々あるよ? 名前をネタにされることはさ。
でもな、あえて言おう。
酷いフルネームだ……ッッ!!
メアリーもスーもそれぞれ単体じゃ全く問題ないのに、組み合わさってしまったばかりに化学反応が起きてしまっている……ッ!
洗剤だって別けて使うだろう? 細心の注意を払うだろう? 混ぜるな危険なんだろう!?
「あっ! あったあった。これよこれ、私の愛娘の写真。なんだか写されるのが嫌いらしくて、あまり撮らせてくれないのよね……」
普段より饒舌だ。実は結構、こういう話が好きなんだろうか。今まで解なかった。
珍しくはしゃぎながら、アシュリーさんがデスクの引き出しから取り出したのは、写真立て。
そこに入れられた一枚には一組の母娘が。
ふむ。こちらの美しい女性がアシュリーさんなのは一目で解った。
となると消去法で、隣で引きつった笑みを浮かべている親譲りの美少女がメアリーちゃんだろう。
衣装は青のドレスに白いエプロンと、典型的なアリス風だ。金糸の如き輝きを放つ髪がマッチしすぎている。
その不服そうな笑みからは無理矢理に着せられてる感が滲んでいるが、いい一枚だ。
常日頃、一緒にいられる訳ではなさそうなのに、二人の家族仲が非常にいい事が窺える。
ああ。
でもさ。
左目が灰色で、右目が琥珀色なのは────何なんだ、これ。
────ああ、うん。知ってた。
自分を騙すのは良くないよな。ちょっと現実逃避しちまった。
認めたくないもんだな、厳しすぎるリアルってヤツは……いや……待てよッ!?
まだカラーコンタクトという選択肢が────ないない。アシュリーさんの性格から言って絶対ない。
「……娘さん。虹彩異色症なんですね」
目の色素に異常が出る症状……遺伝か事故か……恐らく前者だろう
ヘテロクロミア、バイアイ────または、"オッドアイ"とも呼ばれる。
なお、視力にも影響が出る事例があるらしいが、衛士適正には関係ないもよう。
「ええ……よく知ってるわね。そうなの、君の言う通り……でも今のところ視力には異常がないし、本人も全く気にしてなくてね。お祖父様……あぁ、旦那のお父様ね。スーの家に嫁入りしたから、私。で、そのお祖父様やお祖母様も目に入れても痛くないってぐらい可愛がってるし、私も全然責められたりしなかった。なのに私ばかり気に病んでる訳にはいかないでしょ?だから、今はただの一つの個性として捉えてる。まぁ、ポリーも必要以上にひけらかすつもりはないみたいで、普段から眼帯を着けてるみたいだけれど」
いい話だ。
いい話なんだ。
でも、何故だろう……聞いてるこっちは正直、心が折れそうっていうか……。
いや……まだだ。
まだメアリー・スーって名前でオッドアイなのが確定しただけだ。
最後の砦がまだ残ってる。
「……こ、子は親に似るとはいいますけど、やっぱり母親に似て可愛いですねー。思わず一目惚れしちゃいそうになりましたよ……ところで。やっぱり頭の方もいいんでしょうか? アシュリーさんに似て……」
震え声で最後の質問を振り絞った。
……これさえ外れてくれれば……。
「一目惚れ? ふふ。ありがとう。でも、そうね……頭がいいっていうのは語弊があるけど……ギフテッド認定されてるから、一応そうなのかな」
「へ、へぇ~……。ギフテッド、ですかぁ……す、凄いですねぇ~……あはは……は……」
オワタ。
ギフテッド……かなり大雑把に言って、米国での公認天才児の事だ。
しかし、日本でいう天才とはまた異なる概念なので、そのまま日本でもギフテッドという言葉を用いるのが妥当だろう。
IQの高低だけでは判別が出来ず、知性、創造性、リーダーシップや芸術的素質……果ては特定分野での潜在性にまで抵触する概念だ。
もう重箱の隅をつつく必要はないだろう。
ていうか隅がどうこうどころじゃない。
重箱が爆発した。
完全にオワタ。
此処に、メアリー・スー × オッドアイ × 天才(転生) のコンボが完成した。
ロリータハントとか言って悪かった、キリト。心の底から謝る。
お前が言ってたポリーと、この人の娘さんのメアリー・スーちゃんが同一人物だって事はもう疑いようがない。
後を頼む。しっかり手綱握っとけよ。120%偏見で申し訳ないが、何しでかすか解らねーぞその子。
「君も、米国に行けばそういう扱いを受けたかもしれないわね」
……いや、それは多分ない。
純粋な天才と、イカサマな早熟……この二つは、俺の中ではハッキリと区別されている。
俺はキリトのように専攻し、かつ優秀な成果を上げている分野もないしな……でもまぁ、高く評価されているというのは悪い気はしない。
「……お褒めに預かり光栄です」
声が上擦ってる。脈拍もおかしいような気がする。呼吸も心なしか乱れている。
立ってるのもきつくなって来た。座らせてもらおう。
「勿論、君の友達のキリトって子もね。あの子と会ってるって事は、ロスアラモス国立研究所に居るみたいだし……何がしかの"特定分野"で認められていなければ、立ち入りなんて出来ないわ」
パイプ椅子に座り、デスクにぐったりと上体を預け、正に昨日アシュリーさんに起こしてもらった時と同じような体勢になる。
出しっぱなしにしていた資料も、顔の下に敷いている。昨日の再現だ。外は晴天だけどな。
……さて。今の説明と渡米する前の電話を照らし合わせれば、もう解った。
この人の娘、メアリー・スーは間違いなく転生者で、かつG元素に噛んでおり、表向きにはギフテッド待遇でアメリカ合衆国の至宝"ロスアラモス国立研究所"で英才教育を施されているようだ。
普通こんな所にぶち込まれるはずないんだが、G元素に積極的に絡みに行くならここしかない。彼女自身が希望したのか、上手く取り入ったのか……。
そして、キリトは貴女のお子さんと合うために渡米したようなもんですよ、アシュリーさん。……他の思惑もあるやもしれんが。
あいつの"特定分野"もG元素絡みだしな……ALⅤへの対抗手段を模索していたようだし、その為にはG元素研究で最先端を行くロスアラモスへ赴くのは必然の流れだった。
……丸く収まったと、言っていいのかこれは。
未来を引っ繰り返そうって言うんだ……相応の場所に、相応の意志や覚悟を持って臨む人間が集うのはおかしいことじゃない。
それでも……どうしてこうまで巡り合い、繋がり合う?
いや待てよ……嬉しくない経験則だが、次は────。
「……あの、一つ、お聞きしていいですか。メアリーちゃん……パスポート……作ってます?」
「あるわ」
「あっ……」
察してしまった。
────集まるんだろうなぁ、これ……。
嫌な予感が頭を過ぎった次の瞬間。
ゴンッ、とデスクに頭を打ち付け、俺は落ちた。スリープ(眠)。
1991.August.last day
日本上空
航空機内 ファーストクラス
旅客機の最上級客席は、閑古鳥が泣く寸前だった。
ゆとりのある空間に、機内用の絨毯が敷かれている。
座席は最新のモノで、床に対してフルフラットにこそならないが、かなりの可動率を誇るシートだ。
占有スペースは非常に大きく、個人では持て余すほどに広い。
タイミングが良かったのか、そもそも運航路線に人気がないのか……そんな贅沢な空の旅を満喫できる場所には、二人の子供しかいない。
「Fish or chicken ?」
二人のうち一人の少女が、キャビンアテンダントの真似事をするように隣で座る少年へと声をかける。
「……てぃきん、ぷりーず?」
心底呆れた風にわざと日本語訛りで、少女の流暢な英語に返す一人少年。
こんな態度なのは他でもない。この遣り取りのオチを知っているからだ。
「 F i s h , o n l y 」
聞いておいて、それはないだろう、と。
少年……霧山 霧斗は頭を抑えた。
解っていてCMネタに乗ったのだが、想像以上にダメージが大きかったようだ。
「……ポリー……バカなのかお前は。エコノミーじゃあるまいし……無いなら初めからそう言えばいいだろう。労力の無駄だ」
「何でそんなに不機嫌なのです? キリト君。折角のファーストです。気を安らげなさいな」
ポリーと呼ばれた少女……メアリー・スーは、癖のない真っ直ぐなベビーブロンドを指で梳きながら、不機嫌そうに振舞う霧斗を窘める。
「折角のファーストクラスで魚と鳥の二択迫られる訳ないだろ。格ゲーの起き攻めでももっと選択肢あるよ。ていうか、機内食はもうとっくの昔に食ったろ。むしろ、もう着くだろ────日本にさぁッ!」
周りに自分達以外の客がいないのをいい事に、本物のCAに窘められない程度に霧斗が声を張り上げる。
仕切られたビジネスクラスにはギリギリ届かない、絶妙な怒声だった。
「着いて貰わなくては困るのですよ。間に合わなくなるでしょう」
「何にだよ……それは、帰国を予定より一週間近くも早めさせる程の理由なんだろうな……?」
霧斗は9月を跨いで米国に滞在するつもりだった。
持ち帰る資料を纏めるのも勿論だが、G元素に関する知識を蓄える為にはこの分野に最も精通した者……カールス・ムアコック、リストマッティ・レヒテ、そしてウィリアム・グレイと言った偉大なる先達に教鞭を取ってもらえる機会は貴重なものだ。
しかし、唐突に片方の作業が丸々消失してしまう事になる。
「無理言ってる自覚はありましたよ。だから資料纏めは一手に引き受けてあげたじゃないですか」
「ああ、そうですね役に立ちましたよ。でもな、そもそも頼んでないし、急かせた原因もまだ知らないんですが? ……まぁ、引き伸ばしても無益なのは解るし、短縮できるならばと僕から折れたけど。さぁ、もう日本に着くぞ。急いだ理由を言ってもらおうか」
「ほい。どーぞこれを」
メアリーは機内に持ち込める程度のサイズのバッグから、封筒を取り出し霧斗に手渡した。
「……? 何だよこれ……手紙? 読めって?……ったく。なになに……」
『アシュリー・スー国連職員によって聞いたのだが、そちらにいらっしゃる娘さんのメアリー・スーちゃんが気紛れで日本に来日するらしい。
ちなみに、俺と新しい同類の子と、例の二人が謁見する日を完全に狙いすましたかのような日程だ。
偶然なのか必然なのかは正直考えたくないんで、ひとまず置いておく。
兎も角、間違いなく糞面倒な事になるの請け合いなのでそっちで9月まで足止めしといてくれ。
この最後の希望という名の手紙が、君に届く事に全てを託す。君ならできるよ(笑)
国際電話はこっちからそっちへ繋いでもまずお前に取り次がれないだろうと考え、国際スピード郵便まで使ってのギリギリのタイミングでの報告になってしまったことは私の責任だ。だが私は謝らない。
メアリーちゃんを連れてきたらお前、しめやかに爆発四散な。
サヨナラ。
不破 衛士より』
「────おいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!! 」
絶叫した。
CAが驚いて振り返ったのを彼は認識したが、もう遅かった。注目の的である。
霧斗が手に持つそれは、友人である不破 衛士が遥々日本より送ったモノだった。
しかも内容はネタに塗れてはいるが、紛う事なき警告文だ。
「ごめんあそばせ。もう来てしまったのですよ」
あっけらかんと言ってのけるメアリーに、霧斗は憤慨する。
新しい同類の子……転生者とは一体? 例の二人……斉御司と月詠の二人が何故、難民キャンプに?
憤慨はそういった事に対するリアクションではなかった。
それらは驚きこそすれ、怒るポイント足りえない。
問題は────。
「お・ま・え……! 何勝手に僕宛の手紙読んでんだ!? 普通に犯罪だろ!?」
注目された事を恥じ、再び声のボリュームを落とす代わりに距離を縮めようと体を寄せた。
肩が触れ合う間隔で、霧斗はメアリーを問い詰める。
「ちっちぇー男ですねぇ……博士達も私も、君の事をクールだと評価していましたが……改める必要があるようですね」
「限度があるだろ……ッ!? くっそ、もう日本上空だぞ。おい……ポリー。これから帰る気は」
「望み通りの言葉が返ってくるとでも?」
「……だろうね。はぁ……いつの間にこんな事になってたんだよ、クソ」
霧斗は手紙を見返してみると、恐らく4,5日ほど前には母親にそちらへ行くと報告したのだろうと推察した。
何故かというと、その事を不破 衛士がアシュリー・スーより聞いてすぐに、国際スピード郵便を出して米国へ届くまでの期間から逆算しただけだ。
そこまでは偶然だったのだろう。問題はそこからだ。一人で先行すればいいのに、何故己を連れ出したのか?
霧斗は、それにも見当を付けていた。彼女に彼の事を話してから、妙に彼にご執心なのだ。
メアリー・スーは、霧山 霧斗に、不破 衛士との間を取り持って欲しいのだと。
「……で? 何でエイジにそこまで執着する。僕がお前にエイジの事を話聞かせてから、随分とご熱心じゃないか。何度も言ったが、彼は……既に政治的・戦略的遣り取りの段階に踏み込んでいる君からすれば、人畜無害な"一般市民"なんだぞ」
「ハッ────本気で言ってるのですか? "一般市民"だからこそ気になるのですよ。何故、平凡過ぎるほどに平凡なエイジ君が、舞鶴港で君や武家の彼等と出会い、剰えまたもや転生者と巡り合い、そして私ともお母様を通じて繋がっているのです?」
「……偶然だろ。そういう事もあるさ」
「"因果律量子論"に於て、強い意思を以て最善を手繰り寄せ、偶然を必然へと替える者。その重要性は────香月夕呼に最も近い場所に在る君が、転生者の中でも一番理解できているはずなのですがね?」
「何が言いたい」
「"使える"のでは、と。 武家の彼等の御手並み次第では、"第四"の重要なファクターとなる"彼女"の入手経路が不明瞭なのでしょう?」
「……言いたい事があるなら、はっきり言ってくれないか」
「既に理解できているのに私に言わせるなんて、意地が悪い────A-01と同じです……"素体候補"としてリストアップしてはどうか、と言ってるのですよ」
「────……ッ」
グシャリと音を立て、霧斗の握り拳の中で手紙が潰れた。
メアリーの言葉は、彼の心情を深く掻き乱す。
「……落ち着いてください。別に エイジ君をA-01に放り込もうって話をしているのではありません。そもそも、彼は自分の意思で衛士になりたがっているので。その為の将来の展望も見えているらしいですよ? 私達の思惑に無関係な所で"番外"として勝手に素体候補になってくれるというのなら棚から牡丹餅なのですよ」
「番外? 勝手に? どういうことだ」
「────帝国斯衛軍、衛士養成学校。ま、捻りはありませんが早期に且つ高度な軍事教練を受けるなら、此処が最適解だったのでしょうね」
「……ッ! それは事実か。騙りじゃないだろうな」
「えぇ、母から頂いたフレッシュな情報です。よかったですねぇ、ここに受かればより早い段階で戦線へと投入されますよ? そうなれば、後は"素質"さえあれば勝手に運を手繰り寄せ、勝手に生き残る。受領される機体や斯衛軍の性質上、A-01並に"ハード"な戦場に立たされるのは目に見えているので」
メアリーの言葉が、霧斗に想像を促した。
連隊規模で第三世代機……不知火を優先配備されたA-01ですら、最終的に残ったのは一個中隊。
しかし仮に、不破 衛士が順調に任官した場合……更に劣悪な状況に追い込まれる。
まず所属の関係で、瑞鶴に搭乗する事となるだろう。
強化されているとは言え、所詮は1,5世代機……仮に、彼の"名"が"体"を表したとしても、たかが知れているだろう。
加えて斯衛軍は……魁であり、また、殿であれ、と……その要求の厳しさは有名だ。
不破 衛士は────理不尽な状況下によってのみ選定される、"00ユニット素体候補"として、十分すぎるほどに恵まれた環境を目指してしまっているのだ。
そしてそれは、彼の命を極端に軽くする行為に他ならない。
「────……バカ野郎ぉ、生き急ぎ過ぎだろ……! アイツには兵役の義務なんてないんだぞ……なのに、斯衛の養成学校だって……!? それじゃ最悪────」
「大侵攻に間に合いますねぇ……丁度いい"篩"です。そこを生きて乗り越えれば"素体候補"としてこれ以上ない逸材になるでしょう。……ま、死んだらそこまでですけどね。しかし、元手はタダです。斯衛軍が勝手に育ててくれるようですし、此方が一方的に期待しておく分には問題ないのでは?」
涼しい目で、気負わぬ態度で、メアリーは言い放つ。
一瞬納得しかけながらも、霧斗はほとんど反射的に言い返していた。
「────……その必要はない」
「はぁ?」
「エイジを素体候補として扱うつもりは、毛頭ない。何故なら、その役割はA-01だけで間に合っているからだ」
「……あっはははは! ちょっと笑わせないでほしいのですよ、キリト君。友情も結構ですがね……今吐いてみせた台詞を、これからやって行くことと照らし合わせてみなさいな。不公平だとは思いませんか? A-01は良くて、エイジ君は駄目だと? "スペアプラン"は幾つあっても損にはならないでしょうに」
メアリー・スーは、鑑 純夏の代替として機能しうる存在を求めている。
予定調和が崩れている今、その模索は急務だ。A-01内部での選定は物議を醸すだろう。
また、A-01の"本来"の存在意義……それを、外部の衛士にも押し付けるつもりだ。
被験対象は多ければ多い方がいい。
そんな事は、霧山 霧斗が一番理解している。
だが────。
「いいや、必要ない。まさか彼が徴兵を待てずに志願するとは思ってもいなかったけど……それでも、帝国に依ってくれた事に変わりはない。これでいいんだ。コチラには、絶対に付き合わせない」
────あの日港で、真っ直ぐな眼差しで戦術機を見つめていた、他の誰よりも少年らしかった転生者。
そんな彼に、命を危険に晒す衛士の道を諦めさせる事が出来ぬのならば……せめて。
せめて……陽のあたる場所で、正義の旗のもとに戦って欲しいと────。
「お前には何度も言ったと思うけど……彼は無能だ。既に個人では何も出来ない、影響力のない部外者だ。転生者という特異な存在でありながら、非力な家柄に生まれ落ちた人間は……その時点で、00ユニットとして相応しくない」
理論は破綻している。屁理屈にもなっていない。
むしろそんな立場に生まれ落ちたにも関わらず、今も霧斗達に食らいつくように藻掻く姿は、比類なき"適性"かもしれない。
それでも……霧斗は断定するように言い切った。
「……成程。まぁいいです。君に従うのですよ。もとより其方の方針に対して出しゃばって口出しするつもりはありません」
「……助かる。今は、そういうことにしておいてくれ」
霧斗の言葉を流しながら、メアリーが窓から広がる景色を見つめていた。
その色違いの瞳の下には、日本列島が広がっている。そう遠くないうちに目的地の空港へとたどり着くだろう。
「さて、君から聞いてはいましたが例の3人と会うのは始めてなので、楽しみなのですよ。あー、そもそも、私は母親が恋しくて難民キャンプに行くだけですし? その過程でその場で働く人と出会ってしまうのは仕方ないことですしぃ? 今更止めないですよね?」
「別に予防線張らなくても……此処まで来ちゃったんだから、好きにすればいいよ。そこまで拘束される謂れはないだろう……ただし、僕も一緒に行くからな」
霧斗はメアリーを連れてくるなと言われた手前、阻止こそ出来なかったが彼等と出くわした後の暴走だけは抑えるつもりだった。
変なことを言い出せば、猿轡を付けてでも海外へ引き摺り戻すのだと、たった今決めた。
「どうぞどうぞ。むしろ、端っからそのつもりで君の帰国準備を急かしたのですから、来てもらわなければ困るのですよ」
「……帰国、ね」
霧斗も窓の外へと目を向ける。そこには故郷が広がっていた。
すると、ふと、隣にいる転生者はこの情景にどういう感想を抱いているのかを聞いてみたくなった。
「……そう言えば。メアリー、どんな気分だい? もう日本へ着くけど」
「なんなのです、 藪から棒に」
「いや……ちょっとした好奇心だ。"故郷"に帰ってきたという感覚はあるのかな、と」
彼は知りたかった。彼女がどういうスタンスで入国するのか。
法的な意味ではなく、心は、魂は、どう感じているのか。
そして之から此処で起こることに、どういう視点で立ち向かうのか
────メアリー・スーの立脚点が、どこにあるのか。
「あぁ……実は自分でも肩透かしというか────そういう感覚がさっぱり、ないんですよね。多少は感じ入るものがあると予想していたのですが……異国に迷い込んだ気分なのですよ」
"大陸からの異邦人(エトランゼ)”は、そう告白した。
「────そうか。じゃあ……ようこそ、日本帝国へ」
こうしてまた一人。
"アメリカ人"に転生した者が、這い寄るように────運命が集う場所へ踏み込む。