季節は巡り、七度目の夏を迎えたある日の夕方。
斉御司 暁は自室にて肌を露わにし、剣の稽古で付けられた痣の治療を行っていた。
少しばかりの熱を持ち痛覚へと訴えかけてくるこの感触にも慣れ始め、そしてそんな事に慣れてしまっているという状況にこそ憂鬱になる。
「ぬぅぅぅぅ……おのれグレンタイザー……じゃなかった、紅蓮大佐め。一本も取らせずに年端もいかぬ子供を虐めるだけ虐めるとは、何たる卑劣漢。あのような拷問じみた稽古、俺や月詠のような奇怪な存在でなければ三日坊主だぞ。だが、覚えておれよ……今は負け犬の身に甘んじるが、いつか目に物見せてくれるわ……クックク……」
完全に悪役の捨て台詞だったが本人は至って真面目だった。おそらく根がそういう性質なのだろう。
一通り含み笑いをすると溜息をつき、出来上がった痣に薬を塗り始めた。
鏡に映った己の体を観察してみると、絶妙な手加減を加えられつつ、夏服でも目立たぬところにしか打ち込まれていないのを確認した。
益々暁の顔が歪む。
手加減されているのは当然理解できており、体格差も経験差も歴然。故に敗北は必然だった。
だが、やる事が嫌らしいのではないか?と思わず考えてしまう。
毎度毎度、稽古を始める前には暁の方から防具ぐらい着けさせろと進言しているのだが────。
『痛くなければ覚えませぬ』
というのが信条らしく、それを理由に却下され続けてきた。恐らく今後も解消されることはなさそうだと暁は考える。
そして、どこかで聞いた台詞だな……どこだったか……と呟きながら、ゆっくりと薄れ始めてきている前世の記憶を探り、元ネタを掘り起こそうとしていた時だった。
「殿下、事件です」
スパーン!と襖が開け放たれ、幼少の頃より護衛という間柄で常々行動を伴っている月詠 真央が突入してきた。
「……いきなり開けるなといつも言っているだろう月詠ぃ。それとも何か? やめて、私に乱暴する気でしょう?エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!とか言って欲しいのか?」
「巫山戯ていないで聞いてください……"仕込み"の一つが機能しました」
「……ほう」
月詠のその一言で、暁の雰囲気が豹変し張り詰め始める。
この多重人格じみた切り替えと、かつての大英帝国も斯くやという三枚以上の舌は、既に之まで遺憾なく発揮され続けてきた。
「どれだ。アカ寄りの連中に吹き込んでおいた"16'sファミリー"絡みか。 それとも、純国産機の開発が好転でもしたか。まさか大陸に向かった彩峰先生に丸投げしていた────」
「そのまさかです」
斉御司が時期から察した比較的有り得そうな展開を連ねると、最後に"まさか"という前置きまで付けて言った言葉が月詠によって肯定される。
それに少しばかり面食らいながらも、それが紛う事なき事実なのかと念を押すために聞き返した。
「────馬鹿な。大陸派兵から半年と経っていないのだぞ」
「想像の斜め上を行ったようです。本日未明……我が帝国軍は現地難民の協力を経て、国連軍の立会いの下────中国軍による支援物資の荷抜きを摘発しました」
「……そう、か」
斉御司はその報告を聞いて、張り巡らせていた策が通用した事を素直に喜べなかった。
兵站というのは軍にとって命綱だ。それを一部、他国の軍に委ねなければいけないという現状自体は変えることが出来ない。
大陸で戦う以上、必然的に物資輸送に鉄道が外せなくなる。
そして鉄道を使うという事は、ソレを管轄し強い実権を握っている中国軍の介入を受けるという事に他ならない。
今回の摘発で実行犯や首謀者は首を切られ、第三軍による監視体制が強化され、荷抜きの"頻発"はある程度防げるだろう。
だが中国軍が物資輸送を管轄している限り、"根絶"は不可能だ。
一番手っ取り早いのが、鉄道の権利を国連に譲渡させる事だが────それは内政干渉だ、と吼えるだろう。
ここが限界……ここまでやって漸く最低限の最善か……と、斉御司は納得することにした。
「────これで前線に赴いた我が国の兵士達に掛かる負担が、多少也ともマシになってくれればいいのだがな」
「御心配為さらずとも好転するでしょう……少なくとも重慶を筆頭に"帝国軍"が受け持つ区域においては」
「ああ……一先ず帝国軍は、だがな。自軍だけでBETAを相手に出来れば苦労はせんよ。中国軍に所属する者達もまた兵士であり戦力である事に変わりは無い。……そんな共同戦線を張っている連中からの荷抜きが横行しているという背景を考えると、な。私利私欲の為ばかりという訳ではないだろうよ」
荷抜きが起きる背景にはただ私腹を肥えさせるという以外にも、非行に及ばざるを得ない理由というのは存在しえる。
中国軍内部において物資が"質"も"数"も不足しており、要求しても送られず、補うために已む無く他軍の潤沢な物資に手をつける……という実情があるのを、二人は知っていた。
それを阻止すれば必然、足りない分を補えずに物資の不足に喘ぐのは中国軍だ。
だが、それを有情を持って見過ごせば、当然そのまま帝国軍への負担に直結する。
あくまで日本という国に所属する人間である斉御司と月詠は、全体の物資は有限であるという現実を噛み締めながら、これに"対処"した。
「……先生には、汚れ仕事を押し付けてしまったな。摘発という行為自体は正当なものだが、あの人はしっかりその裏側まで考えてくれる上に人格者だ……中国軍の内情まで考えて苦悩していなければいいが」
「彩峰中将も理解して引き受け、実行に移して下さったのです。必要以上に気に病む事はないでしょう。そもそも、荷抜きをするほうが悪いのですから……こういう言い方は好きではありませんが、因果応報です」
「であろうな。それに、俺達は日本人だ。自国民への贔屓は許してもらおう────時に月詠。此度の摘発、些か想定より早く事に及んだな? 先生も勿論ぐうの音が出ない程に有能なのだが……よっぽど緻密な情報を、現地難民が提供してくれたのか」
「……それに関してですが、気になる情報が……」
そう言うと斉御司に歩み寄った月詠が痣のある肩に手を置き、耳元で何かを呟いた。
「いだだだだ!貴様、今の絶対にわざとだろ!? このドS武家────何だと? 難民のコラボレーターが、俺達と同年代……?」
「はい。情報提供の謝礼にと日本への渡航許可及び日本国内で保護を受ける為の難民IDを要求したそうで、そう遠くない内に来日するようですが……如何なさいましょう。この者の対応をした駐在官の方曰く────"異様に聡い"との事ですが」
月詠の言いたいことは他でもなかった。
────自分達と同類ではないかと。
それを察した斉御司は、カレンダーと机の引き出しから取り上げたスケジュール帳を見比べると、対応を即決した。
「……月詠。月末に、九州の難民キャンプを視察団と共に回る予定があったな」
Muv-Luv Initiative
第二部
──第一話 / 集いの兆し──
1991.August.oneday
中華人民共和国 遼寧省 大連市
大連出張駐在官事務所
自己主張しすぎない調度品で飾られた部屋に、上等なスーツを着込んだ誠実そうな男性が背筋を伸ばして立っていた。
それに相対するのは、キョロキョロと整頓された所長室を見回す、みすぼらしい格好をした少女。
「林 雪路(リン・シュエルー)様。どうか腰をお掛けください」
在中駐在武官である日本人男性が、柔らかな物腰で少女にソファーへと導くように手招きをした。
「い、いえ、結構ですっ。すみません……遠慮しておきます。長い難民生活でお世辞にも綺麗な身形とは言えませんので……」
ピンイン読みで名前を呼ばれた中国籍の少女は、被っていた人民帽をベースに大きめのキャスケット風に改造された帽子を脱ぎながら、頭を下げてそう言った。
帽子の中に詰め込まれていた少し痛んだ長い桃色の髪が、ふわりと広がって重力に従い舞い落ちる。
そして、あまりにも場違いすぎる自分の格好を眺めて、羞恥に頬を染めた。
酷い体臭がする訳ではなく、衣服や靴こそ年季が入りくたびれてはいるが決して不潔という訳でもない。
だが、非常に座り心地よさそうな……有体に言えば高級そうなソファーを見るとどうしても二の足を踏んでしまっていた。
「……日本でも謙遜は美徳とされています。ですが……そう仰らずにどうか。貴女の情報提供のお陰で、中華統一戦線で横行している我が帝国からの支援物資の荷抜きを、早期に摘発できたのです。これは昨今目に余る闇市場への横流しルートを洗い出す足掛かりにもなりました。貴女は賞賛されるに値する行動を起こしたのですよ。我々はそれに礼儀を尽くすだけです」
先日未明。
日本帝国軍は国連軍の立会いの元、中国軍による帝国由来物資の荷抜きの瞬間を捉え、これを捕縛した。
そしてそれを切欠に、ユーラシア大陸東部において兵站を担っていた中国軍の物資輸送体制の見直し、実行犯や裏で手を引いていた高官の更迭、国連による監視の強化が行われるいう大事件に発展した。
この大捕り物の立役者は実際にその場に居合わせた軍人達や、御自ら指揮を執った彩峰中将だ。
しかし、帝国軍の大規模な大陸派兵の実施以前から、「必ず起こる」と今回の事を予見していた影の立役者がいたおかげで、この結果に結びついた。
────その影の立役者が、未だ10にも満たない高貴な血筋のお坊ちゃんらしいという。
実しやかに囁かれている噂だったが強ち間違いではないのかもしれない……駐在武官は目の前の少女を見て、そう考えを改める。
"網"の用意と準備をしたのは、帝国に身を置く者達だったが……"網"を"然るべき場所"へと早々に張れたのは、この大人しそうな中国人の少女のおかげだったのだ。
あちこちに溢れ返っている難民の一人という不利な立場を逆に利用して、闇市やそこで出回っている品の情報を顧客として探り続ける。
その年不相応なタフネスとメンタルに、駐在武官は感心していた。
「ぁ……で、では、お言葉に甘えて……」
加えて、そんな内面の強さなど欠片も感じさせない腰の低さが、彼にとって好印象だった。
控えめに言葉を返した雪路は、駐在武官の言葉に従って腰を下ろすと、ソファーに身を沈ませる。
その感触に少しの安堵と、僅かな郷愁を覚えた。
横から秘書官らしき男性が日本の茶菓子と緑茶も添えてくれる。
……凡そ"八年ぶり"に鼻を突いた香しい匂いに、少しばかり雪路の涙腺が緩む。
「報告で聞いてはおりましたが、そのお歳で随分と堪能な日本語を話されるのですね。何方かにご教授されたので?」
「へぁ!?……こ、これは、ですね────独学です、はい」
雪路は心の中で、"この世界の何方か"に教えてもらった訳じゃないし説明が難しいから嘘を許して下さい……と、自分自身にフォローを入れた。
「独学……そうですか。余りに堪能なのでご家族の方に日本人がいるのかと」
「あはは、家族は日本語なんて話せませんでしたよ。中国語とほんの少しアラビア語を話せるだけでした。しかも不仲でして……ボクはBETAの東進が始まった年に家出したんですよ。それからは身寄りもいないので、難民キャンプを渡り歩きながらここまで来ました」
雪路は"こちら"での生まれ故郷、甘粛省 蘭州市からの道程を思い返しながら言った。
両親からの宗教の押し付けに堪忍袋の尾が吹き飛び、BETAの東進の一報にこれ幸いと便乗したのだ。
それ以降、音信不通でどうなったかは解らず仕舞い。
蘭州市自体はBETAに到達される寸前ではあるものの未だ健在らしく、雪路からすればまぁ生きているんじゃないかなぁ?といった所だった。
「……失礼。個人の事情に深入りした非礼を、お詫びさせて頂きたい」
故に、そこまで深刻な受け取り方をされるとは全く思っていなかったのだ。
余りに不意打ち過ぎて雪路は自分でも驚くほどテンパってしまっていた。
「ぃ、いえそんな!不幸自慢を勝手に始めたのはボクのほうです!御免なさい、雰囲気を悪くしてしまって……あっ!この羊羹凄く美味しいです!こんな美味しいもの久しぶりに食べ────あぁあぁあぁ"あ"!すみません!!」
出された茶菓子を口に運び、わざとらしく喜びながら感想を言って場の雰囲気を和ませようとしたのだろう。
だが見事に口を滑らせ、難民キャンプで碌な物を食べられていない事を露呈させ、墓穴を掘って二度目の不幸自慢をしたことに気づいてしまった。
雪路はもはやどうしていいのか解らず、あたふたと目を回しながら何度目か解らない謝罪をしはじめた。
「……ふふ。それではこういうのはどうでしょう。お互い悪かったということで」
「はは!賛成だ。林様もそれでいかがでしょう?これでは謝ってばかりで話が進まない」
それを見て、我慢の限界に来ていた駐在武官と秘書官は思わず破顔させながら話の着地点を用意してくれた。
「────そ、それでお願いします……」
対して、雪路のほうは縮こまっており、顔からは火が吹きそうだった。
結果として望んだとおり空気は緩くなってくれたが、その代償は大きかったなぁ……と口を滑らせたことを反省する。
「それでは話に戻らせて頂きますが……他でもない、保留になっていた謝礼の件が漸く用意できました。ですが、本当にこんなもので宜しかったのでしょうか?」
「ぁ、はいっ。これがないと日本へ渡れないので……」
駐在武官が接客用の机に差し出したのは、雪路にとって喉から手が出るほど欲しい物だった。
海外へ難民として渡航するための諸々の書類、パスポート、そして────最近日本で設立され始めた難民キャンプで保護を受ける為のIDである。
雪路は通常の申請でこれを入手するつもりだったが、それでは既に故郷を失った人々が優先される事が発覚した。
故郷も家族も未だ健在、尚且つ家出同然の子供が単身で、という雪路の悪条件では気が遠くなるほど後回しにされてしまうのだ。
当初、それでもかまわないと雪路は考えていた……荷抜きの摘発を通じて仲良くなった帝国軍の兵士達から、ある"噂"を聞くまでは。
謝礼に託け、優先順位を無理矢理に上げてまで、日本へ成るべく早く渡航しなければならない理由が出来てしまったのだ。
「……その……先日仰っていた事は、本当なんでしょうか」
雪路は情報をリークした時の事を思い返す。
薄汚い格好をした難民の話などまともに聞いてもらえるのだろうか……といった体の、駄目モトでの接触だった。
だが読みは外れ、想像を絶する丁重さで扱われる事になる。
そして丁重な待遇の理由を尋ねてみれば、然る御方より少しでも有益そうな現地の情報があれば好条件で迎え入れろと御達しが来ていたからだ、と雪路は聞いた。
「ええ。特別隠し立てすることではありません。貴女が関心を示す人物は、九州の難民キャンプへ視察団に混じって赴くとの事です。ですが……本当に"噂"なのですよ? 由緒正しい血の流れる一族を擁する国であれば、どこにでもありそうな、よくある与太話を真に受けるのも……」
「でも、帝国の軍人さん達から聞いたんです。今回の捕り物以外に、F-16J 彩雲 という戦術機についても元を辿って行けば、その五摂家の御方に行き着くらしい……っていう噂を。きっと、未来を見通す御力があるのですよ。素性が確かでないボクのような難民の情報をあっさりと受け入れて検討し、あまつさえこのような好待遇を受けていられるのは、きっと其の御方とは何かの御縁があるのではないかと思いまして……」
『正史』では対応出来ずに、帝国軍の足を引っ張る形になるはずであった荷抜きと横流しに、何故か早期警戒態勢が敷かれている。
自分の知らない戦術機が何故か大陸へと送り込まれ、善戦の吉報を世界へ響かせている。
────そして噂とは言え、その然る御方という全ての元凶が自分と同じぐらいの年齢の、五摂家の少年だという。
生まれてこの方、自らの知る"おとぎばなし"とは確かな変革を見せるこの世界に、"If"という言葉が脳裏を掠めながらも、どこかに引っ掛かりを覚えていた雪路にとって青天の霹靂だった。
所詮は噂、されど火の無い所に煙は立たず、仮に火が無くとも煙が立っている場所は雪路にとって通過点。
ある人物へと接触するために京都────帝都大学へと至る過程にそれがあるのなら、やはり今回の荷抜きと闇市の情報をリークした時のように、駄目モトで肉簿していく。
この考えているようであまり先まで考えていない猪突猛進ぶりは、林 雪路にとって『この世界のこの大陸』で生きていく為に非常に役立っていた。
楽観主義によって紡がれ、動物じみた直感によって後押しされる能動的行動は、時に未来への道を切り開く。
「あ、あのっ! 帝国臣民ではない他国籍の、ましてや難民の身分で恐縮なんですが……斉御司公と謁見させて頂けませんか?」
1991.August.oneday
「ふぁんあっへ!?ふぁえりぁ!?」
『エイジ、口に物入れたまま喋るのはどうかと思うよ』
……キリトさんの仰るとおりで。
駄目だな……仲良くなってくると遠慮が無くなって不躾な行動をとってしまう。
仕切り直そう。親しき仲にも礼儀あり、だ。
俺は歯磨きを中断して口を濯ぐと、再び受話器の子機に向かい合った。
「ふぅ……なんだって!?アメリカ!?」
『別に言い直せって言いたかった訳じゃないんだけどね?』
俺にどうしろっていうんだ。
大体、こんな朝っぱらから電話掛けてくるほうが悪い。
身支度の最中だったから、歯磨きしながら電話に出ることを強いられたんだ。
いや、確かにこの時間なら確実に家にはいるから、タイミングとしては完璧なんだけど。
しかしアメリカ、か……。
「何でこの時期に、っていうのは無粋な質問だよな」
『だね。君から押し付けられた件だよ。ホシとコンタクトが取れたからちょっくら会ってくる』
押し付けられたって所を強調するのはやめてくれ……こっちだって悪かったと思ってるんだからさ。
しかし……あれから一ヶ月か。判明するのが早いのはよかったんだが……嫌な予想が当たっちまったか。
HI-MAERF計画の歪みはバタフライエフェクトじゃなかった。
どういう意図があるにせよ明確な意思の元に行われた改変だった、か。
海の外の転生者にはどういう真意があるのか。
それを探るための接触だとは解ってるが────。
「そんな、コンビニに出かけるような感覚で行っていいものかよ。次期オルタネイティヴ計画候補の一員って自覚あるか? 向こうの腹積り次第じゃ自陣に極上の餌が転がり込んでくるようなもんなんだぞ」
『大丈夫だよ、問題ない。君の悪い予感は"半分"だけしか当たらなかったみたいだからね』
……半分?
『僕は例の転生者に会いに、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所に赴くことになった』
「なっ……!」
もうロスアラモスに潜り込んでいた?
案の定、今までの例に違わず活動的なヤツだったって事かよ……いや、待て。
キリトは、それが解ってて接触するって言ってるのか?
何考えてんだ……アウェイもいいところじゃないか。
「どこが問題ないんだ、問題ありまくりだろう。アメリカの方針はもうG弾運用に傾いてる。ロスアラモスはG元素研究を先導する立場で、云わば本丸みたいなものだぞ? お前が属する陣営とは水と油で……」
『だから、大丈夫だってば。僕は次期オルタネイティヴ計画候補の責任者、香月夕呼の代行者として……"HI-MAERF計画復権派"の代表と接触する事になってるんだから』
「────ってことは」
成程……半分ってそういうことか。
睨んだとおり、転生者はいた。
だが俺が勝手に悪い方向へ考えすぎだっただけで、米国の転生者も……G弾とは袂を別つ道を選んだんだな。
HI-MAERF計画への介入そのものが、意思表示だったって事か。
『そ。G弾強硬派という共通の敵を持った僕達は協力体制を取ることになった。彼女は"後日譚"の荒廃した世界を良しとせず、あくまで日本が主導することになるオルタネイティヴ4を支持してくれるらしい』
「……収まるところに収まったって感じだな」
よかった……本当に。
しかもこれは、快挙じゃないか?
正史じゃこの二つの陣営は、90年代後半になるまではまともに協調出来なかったはずだ。
……出来すぎてるってぐらいには、上手く歯車が噛み合ってきてる。
適材適所ってヤツか……重要なそれぞれの派閥のトップに取り入ることが出来たのは幸い────。
待てよ……HI-MAERF計画復権派、"代表"だって?
「ちょっといいか。何でお前はあくまで"代行"なのに、例の転生者はそのまんま"代表"なんだ」
まさか、本当に派閥を仕切ってる訳じゃないだろうな……そうだとするとどんだけ有能なんだよ。
『ああそれは……幼い少女がテストパイロット達を救った、ってエピソードが周りの人達にえらく"受け"がよかったみたいでね。御輿みたいな扱いを受けてるんだってさ……本人も不自由な訳でもなく利害は一致してるからって引き受けたらしい』
「あぁ……納得した、担ぎ上げられてるのか。確かに、神秘的な存在には違いないだろうし御輿には打って付けか。じゃあ、あくまでオブザーバーの立場に止まるな……派閥を取り仕切ってる権力者は別にいるんだろ?」
『うん。名前聞いたら腰抜かすと思うよ?』
「……聞かせてくれ」
『ウィリアム・グレイ。リストマッティ・レヒテ。カールス・ムアコック』
「なっ……嘘だろ!?」
『いいや、嬉しい事実だよ』
BETA由来物質の第一人者。新発見の元素が"G"の名を冠することになった大元であるウィリアム・"グレイ"博士。
そして、G弾やXG-70シリーズに必要不可欠な抗重力機関……その根幹である重力制御理論を共著した、リストマッティ・レヒテ博士とカールス・ムアコック博士。
凡そG元素に携わった科学者の中でも上から数えてTOP3に入ってる大御所全員が、バックについてるっていうのかよ。
それだけの信頼をどこで獲得したんだ……?大崩海の実証なんて出来る訳がないし……いや、実証は出来ずとも持ってる知識は既に生かされてる、か。
XG-70の死亡事故は周りの優秀な技術者達を持ってしても防げなかった事象だったな。
あとは今年、実戦運用を前提としたG弾の起爆が成功してる……この時判明したG弾の欠点の一つである重力異常も、極めてフレッシュな情報だ。
ここらへんを実験成功前に提示できていたのなら……その三人を味方につけるだけの説得力はあるか。
『と……まぁそんな流れで、3人もの大御所から晴れて身柄の安全を保障されたんでね。あたしは忙しいのよって言い出した夕呼さんから、直々に代行の任を頂いたって訳だよ……はぁ』
「ん? なんで溜息が出るんだ? お前にとっては漸くツキが回ってきた、ってところだろ。協力者としては十分すぎるステータスだと思うが」
『いや……確かに君の言う通りだ。テストパイロット達の命を救い、ロスアラモスに潜り込み、こんなに早く反G弾派を取り込んで派閥を纏め上げた手腕は感嘆に値するよ。協力者としては申し分ない……んだけどさぁ……』
「何の不満があるんだよ? 」
『……組織と組織が協力するとはいえ……結局は、人が顔を突き付けあう訳じゃないか』
「そりゃ……代表が、ましてや人がいない組織なんてありえないんだから、そうなるだろうな」
『その代表である転生者がさぁ……すんごいキャラ濃いんだよねぇ……』
すんごい私的な理由だった。
「……それぐらい我慢しろよ……第一、お前人の事言えるほど自分がキャラ薄いと思ってんのか? 俺……はどうか知らんが、斉御司や月詠さんだって相当濃いじゃないか。今更だろ」
『……エイジ。君や僕、斯衛組の二人を戦闘力5としよう』
同列かよ。しかも低いな。
『米国の転生者は……53万です』
「そんなに!?」
およそ10万倍……ッ!
高い、高いなおい……それにあと変身を二回ぐらい残してそうな数字が恐ろしく感じるぜ……。
そこまで念を押してキャラが濃いと言われると、ちょっと気になってくるじゃないか。
「そのキャラ濃いヤツって、なんて名前なんだ? さっきから彼女だの幼い少女だの言ってるから、女っていうのは解るんだが」
『あ、ごめん。名前聞くの忘れた』
ぇぇぇぇええええええ!?
いや、普通聞くだろ……てか、直接会ってはいないけど、会話する機会はあったんだな。
『弁解させてくれないかな。衛星使って映像通信で会談したんだよ。コッチは僕と夕呼さんと、あと室長の爺さん。向こうはグレイ博士、ムアコック博士、レヒテ博士……そして例の転生者。この時に向こうさんが、その転生者の事"ポリー"で通しててさ。仲良しこよしが目的でもなかったし、大御所の3人はしっかり顔も名前も出してたせいで、一回"協定"の話に移行したらそのまま最後まで聞くタイミング掴めずに解散しちゃって』
「なるほど……周りに事情知らない人もいたし、仕方ないか」
"ポリー"……ね。十中八九、愛称か。
元の名前が解らないな……欧米って日本とはまた違う感覚で愛称が決まるから予測し辛い。
まぁ、急ぎの用って訳でもないし、今は聞かなくてもいいだろう。
一先ず、想定外の人類存亡の危機に関わるような不安要素は取り除けたってことで一件落着、か……。
「それはそうと……アレだな」
『アレって?』
「ほら、女性の転生者の割合が増えてきたよなって」
俺含めて、5人中2人が女子だからな。
いや待てよ。俺は前世でも男だったろ。
考えてみれば、月詠さんも前世は男だったんだろうか。あの人、物腰や口調がしっかり女性的だったからそういうの考えもしなかった。
矯正したんだろうか。そうだとすると、さぞかし大変だったろうに……。
元から女性なら苦労しないんだろうが、前世から女って人は……いなさそうだよな。
皆が皆"知識持ち"っぽいし。ってことは米国の転生者、ポリーってやつも前世は男になるか?
こういうのなんて言うんだったかな……確か、トランスセクシャル?
今はまだいいだろうけど、二次性徴期に入ったら大変そうだよなぁ。露骨に性差が出てくるからな。
……ああ、お父さん、お母さん。男に生んでくれてありがとうございます。
月詠さんや米国の転生者みたいに、ら●まもびっくりな男から女に生まれ変わった人がこれ以上増えない事を願うばかりだな。
現状、40%の確率でTS……今後、男女の割合が逆転してきたりな……。
いや、ないか、ハハ。
『……割合が増えたぁ? 君は何を言ってるんだ』
「は?」
あ。
そういえば、キリトは他の転生者の情報貰ってるんだったな。
自分の事とか調べ物で手一杯で、他の転生者の素性なんて気にも留めてなかった。
知ったところで特に意味は無いって考えで今の今までスルーしてた。
少しは関心を持つべきだったな……俺のこういう愚直な所は改善点の一つか。
斉御司達からリークされた情報は詳細なものだったろうし、性別ぐらい判明してるだろう。
「……完全に忘れてた。国内の全員の事、お前もう知ってるんだったな。今のところ、そのポリーって奴入れて男女比どれぐらいのもんなんだ?」
『3:18』
「────ぱーどぅん?」
何ですって?
さんたいじゅうはちって聞こえたが?
聞き間違いだろ。ハハハ。
ワンモア。
『だから、3:18だって』
「 マ ジ で か !? 」
えっ、3って男だろ。俺とキリトと斉御司だけ?マジ?
えっ、じゃあ後全員女?っていうかTS?マジか?
つ……つまり、あの港で出会った段階で、既に男勢は出尽くしてたって事ですか!マジかよ!?
いかん、混乱しすぎて語彙が足りなくなってきた。
「か、偏りすぎじゃないですかね? もうちょっとこう、バランスよく割り振ったほうがいいと思うんですけど……」
『落ち着きなよ、敬語になってるよ……ていうか、そんなこと僕に言われてもね。僕達に迷惑がかかる訳じゃないし、別に気にすることじゃないだろう?』
えっ、特に気に留めていらっしゃらない?
相当な異常事態だろうよこれ……嫌な汗が出てきたぞ……。
『逆に考えなよ。僕達は貴重な男性枠を勝ち取ったんだと。そう考えなよ』
「いや、そういう問題じゃないだろ……」
まさか、自分がこんな形で少数派になるとは。
唯でさえ、既に転生者なんていう少数派なカテゴリに属しているというのに。
これは肩身狭くなりそうだろ……。
『……なんか、想像以上にショック受けてるみたいだけど、僕は悪くないぞ。君が聞いてきたんだからな?』
「それは解ってるよ、俺が悪い。この結果を想定出来なかった俺が悪いんだ……」
『や、そこは仕方ないでしょ。まさかここまで偏るとは僕も思わなかったし。ただ僕はこの情報を手に入れた時、そもそも転生者が自分以外に大量にいるって嘘みたいな現実に直面して、そっちに意識持って行かれたからね。切り替えは早かったよ。目前に斉御司達との密会も迫ってたし』
……成程、知ったのはその時だったのか。
全てはタイミングと、そして切り替えの早さか。俺も習おう。
既に起きてしまっている事はどうしようもないからな……。
『っと、最後の最後に爆弾投下しちゃった身としては申し訳ないけど、そろそろ出かけないと。フライトの時間までには余裕を持って着きたいからさ』
「ぉ、何だ今日だったのか。悪いな、長電話させて」
相変わらず充実した毎日送ってるな。
スケジュールがとんでもない密度で埋まってそうだ。
『ていうか、エイジも今日はボランティアじゃなかったっけ。親孝行者だよねぇ』
「それを言えば、研究手伝ってるお前だって孝行者だろうが。霧山教授は親じゃなくて祖父だから敬老って形になるだろうけど」
────俺は今、夏休みを利用して難民キャンプでボランティアをしている。
"例の資格"と親のコネを使ったら、あっさりと参加を承諾された。
……自分で言うのも何だが、衛士の道を目指している俺にとっては、寄り道して道草を食っているようなものだ。
だが、決して無関係じゃない。適性検査に落ちれば、厄介になる場所で。
適性があったとすれば……俺が衛る事になる場所の一つで。
そして何よりも、両親が働いている場所だ。
来年の今頃には九州から離れている俺にとって、当分お目にかかれないであろう親孝行のチャンスだった。
『お互い、肉親に敬意を払えているようで何よりだよ。ま、仕事の内容は僕のほうが重いものだけどね』
「畜生、厭味か。いいんだよ、仕事は仕事だし、適材適所だと思ってるんだから……で、どれぐらいアメリカに滞在するんだ」
『んー……9月に差し掛かると思う』
「ざっと一ヶ月じゃないか、長いな。となると、海外から電話させる訳にはいかないし、当分はお別れだな」
『だねぇ。あ、エアメールでも送ろうか?』
「いらねえよ、しっかり仕事してこい」
互いに笑い合い、再開の合言葉、"またな(ね)"の一言で通話が途切れる。
「……さてと」
俺も仕度して奉仕活動に向かうか。
まだ仕事も全部覚え切れてないから、しっかり励まなくちゃな……。
月末には視察団が回って来るっていう話だし、それがなくても難民は右肩上がりに増えてる。
スタッフは一人でも多い労働力を確保したいところだろう。手は抜いてられない。
他の連中も頑張ってるんだ……俺も小さいとこから頑張らないとな。
「しっかし、男女比3:18って未だに信じられないぞ……どういうことだよ……仕事に集中出来るかな……」
だというのに切り替えが遅く、未だに衝撃が尾を引いている俺だった。