頬に残るのは、押し当てられた缶ジュースから伝わった冷気。
しかしその感触も、体温に掻き消されて瞬く間に霧散した。
「や」
地面に尻を付いた状態の俺に軽く手を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべてフレンドリーに挨拶してくる少年。
オルタネイティヴ4に尤も近い転生者……霧山 霧斗。
「お前、帰ったんじゃ……」
「……そんなに驚く事もないんじゃないかな」
それは俺が思わぬ冷たさに飛び退いた事か、それともその実行犯が先に帰ったはずである霧山だった事か。
どちらにしても────無茶を言う。
気は緩みきっていて警戒なんて以ての外、心構えすら出来ていなかったのだから。
そんな状態であんなことされたら一溜まりもない。
驚きすぎて心臓が口から電磁投射砲のような初速でスッ飛んでいくかと思ったんだぞ……。
俺は立ち上がり抗議の意を視線に込め、霧山を睨みつけて苦言を申し立てる。
「……何の用だ」
「いや、あんな場所で長い間喋ってたからさ。喉乾いてないかなって」
霧山は両手に一本ずつ持っている缶ジュースのうち、俺の頬に押し当てた方を、ほらっ、と言いながら突き出してくる。
まさか、くれるのか。
「驚かせたお詫びだと思って、どーぞ遠慮なく」
「……わざわざ俺の分まで?……悪いな。ありがとう」
初めからそういう親切目的な意図があったのでは、一方的に攻めるのも悪い。
元を辿れば善行だったのだから、少しばかりの悪戯でいつまでも不機嫌になっていては大人気がないだろう。
邪険に扱ったことに謝罪を、施しに感謝の言葉を述べ、差し出された缶ジュースを受け取るとベンチに腰を戻す。
「丁度、自分の分を買いに行った時に君が覚束ない足取りでこっちの区に戻ってくるのが見えてね。どうせついでだからって思ってさ……隣、いいかな?」
「え? ああ」
何て律儀な奴。
俺のベンチじゃないんだから、承諾を得ずとも構わないのに。
────既に、他人という間柄でもないのだから。
「よっ、と。全く、やられたよ……。どうしてなかなかやるもんだねぇ、彼等は」
霧山は肩に下げていた大人びた革鞄をベンチに下ろすと、自らもドカッと隣に腰を据え、愚痴るように呟きながら遠くを眺めた。
彼の視線は彩雲に向けられている。
「……本当にな」
同意の言葉を返し、俺も視線を彩雲に向けた。
極力、正史からの逸脱を望まない霧山にとって、あの機体は忌々しいものであるはずだが……恨む、憎むといった感情だけで物事を捉えている訳じゃないようだ。
目的を違い対立したとは言え……霧山からの彼等に対する評価が一定の高さに至っている事を伺える。
「で、どうだったんだい?」
俺にそう問いかけながら、缶のプルタブを開けようと試みる霧山。
だが、力がないのか深爪しているのか……哀しいかな、アルミを引っ掻く音が響くだけで一向に開く気配がない。
「どうって何が……ほら」
今一要領を得ない質問に解説を求めつつ、その苦戦っぷりを見かねた俺は缶を引っ手繰り、プルタブをこじ開けて手渡してやる。
「ありがとう……流れを考えるに、君だって誘われたんだろう。条件もよかったんじゃないの?────脱出便のIDの都合、とかさ」
霧山の感謝の言葉に続いた次の一言で、俺は既に口を開けて飲み始めていたジュースを思わず吹きそうになった。
聞き耳でも立ててたのか、コイツ。
「何であの場にいなかったお前に解る」
「ビンゴ。騙して悪いけど、彼等が切ってきそうな手札を適当に言ってみただけだよ……はぁ、君もあちら側かぁ」
────ここでブラフかよ。
というか待て……ちょっと待て。
何で既に向こうに付いたことになってる。
確かにとんでもなく豪華な餌だとは思うし、釣り上げられかけたが。
「言っておくが、誘われはしたけど返事は保留にしてもらったぞ」
「えっ」
「えっ、て……」
何だそのリアクション。
もしかしなくても、餌で釣られれば間違いなく向こうに付くと思われてたのか。
ちょっとショックだぞ……。
「……保留、ねぇ。それはまた何で? 即決で向こうに付いても可笑しくない条件だと思うけど……引っ掛かる事でもあった?」
「まぁ、それもある。あるけど……一番デカい理由は────俺には何も無いから、だな」
そう。今の俺には、本当に何も無い。
正確には今日というこの日に全て無くなってしまった。
元から企てていた想定は、世界が歪んだ時に放棄した。
そこから今までに頭の中で組み立ててきた未来図も粉々に砕け散った。
権力と無縁な俺にとって唯一のアドバンテージであった正史の知識も、他に所持している人間がいる。
尤も重要視していた『不破一家』の当面の安全すらも、俺が斉御司達に付く付かない関係なく、彼等の求める結果への過程において確保されてしまうという始末。
結局のところ、未来の主導権は……とうの昔に俺の手から離れていたんだ。
「何も無いって……そこまで自分を卑下しなくてもいいんじゃないか? 君にだって────」
「慰めてくれるのは嬉しいが……今は、何も無いよ。国防に携われる帝国には斉御司と月詠さんが。オルタネイティヴ4を主導する国連へはいずれお前が。揃ってるんだよ、それぞれの陣営に未来を知るブレインが。そこに俺が入っても、大きな変化はない」
「それは……」
俺は判然とした口調でそう告げた。
それを聞いて口篭り、視線を逸らす霧山。
斉御司と月詠さんは言わずもがな、霧山も既に研究所に入って香月夕呼と接触していると、斉御司が出会い頭に口から零していたのを思い出した。
……真偽など、聞かずとも解る。霧山は香月夕呼に付き従い、国連へと身を投じるつもりだ。
そしてそれは決して夢物語などではなく、現実のモノとなるだろう。
彼が単身、この場所に誘き出された事が何よりそれを物語っている。
放っておけば不確定存在に。そして味方につければ有益に、断られれば障害になると斯衛の二人に判断された。
だから……出る杭が打たれた訳だ。ま、斉御司達にとって何故か出てもいない余分な『杭』までくっついて来たのは想定外だったようだけどな。
ご覧のとおり毒にも薬にもならない一般人だが。
何はともあれ、そんな存在が国連の上層部にいる。ならば俺がそこに加わっても意味はない。
「……────」
しかし痛いな……この沈黙は。
何で当人の俺じゃなく霧山の方が辛そうな顔してるんだか。
霧山は申し訳そうな顔をしたまま、視線を地面に縫いつけて口も一切開かない。
自虐で言ったわけでもないし、当て付けのつもりでもなかったんだけどな。
"そういう風"に取られてしまったか……嫌な空気にしてしまった。
俺は責任を感じ、この重くなってしまった雰囲気を払いのけるために、なるべく明るい声を意識しながら口を開いた。
「悪い、ネガティヴに聞こえたか? でも自棄になってる訳じゃないんだ。現状を見つめ直しただけさ……で、手段も目的も無いって解ったから────後は探すだけだな」
「え……?」
「だから探すんだよ。月詠さん達への返事……保留期間は一年でな。その間に、一体俺はこの世界で自分に何が出来て、何をしたいのか……見つけなきゃいけない。遅かれ早かれBETAが来る事に変わりはないし、徴兵の事もある。コイツはオルタネイティヴの4とか5とか抜きにしても、いつか答えを出さなきゃならない問題だったんだ。だから前向きに探す事にした。くよくよしたってBETAは止まってくれそうにないしな」
「……」
両親の移住の問題は、既にこの手を離れた。
重く嵩張っていた肩の荷を下ろせたんだ。
だから一先ず俺は、俺自身の問題に専念出来る。
後は、悩んで探して選ぶだけだ。
……幸いと言っていいかは解らないが、既に目の前に二つの道……"目的"が敷かれている。
一つ。月詠さん達と共に行く道。
そして……────。
「不破君」
そこまで考えた時、霧山に肩を掴まれ彼の方へと振り向かされ、そして。
「こちらに、付いてくれないか」
俺の目をしっかりと捉えながら、彼はそう言った。
────二つ。霧山 霧斗と共に行く道。
時がくれば自分から話を持ち掛けようと思っていたのだが、先手をうたれてしまった。
これで手間が省けた事になる。
だが────。
「……悪い。今は俺からそっちに出せるものがない。月詠さん達からの誘いも、一度はそうやって断ろうとしたんだ」
向こうから誘ってくれたのは素直に嬉しい。
嬉しいが……しかし何の力も持たず、それどころか何をすべきか、何をしたいのかすらも解っていない伽藍堂な状態では答えを返す事が出来ない。
先に話を通してくれた月詠さん達への返答すらもまだだというのに、それは不義理な事だと思う。
何よりも────余りにも大勢になる人の生き死にを、上からの目線で語り左右していくという大事に携わるには……今の俺では役者不足が過ぎる。
「────……確かに、今はまだ、君から出せるものがないかもしれない。けどそれは問題じゃない。利害が一致していれば人は手を組める。僕には君と組むことによって発生するデメリットなんてないよ」
「ああ、デメリットはないな……でも、メリットもないよな」
ノーリスク・ノーリターン。
居ても居なくても変わらない有象無象の類。
月詠さん、斉御司。そして、霧山……その双方に不要なお荷物。
それが今の俺だ。
故に、悲観でも被害妄想でもなく、現実問題として彼にメリットは発生しな────。
「あ、ある!メリットならあるよ!斉御司達と違って、僕は独りだろ?こんなぶっちゃけた会話だって、七年振り……っていうか、この世界に生まれて始めてなんだよ!もうハッキリ言うけど、寂しいんだ。滅茶苦茶寂しいんだよ。夕呼さんとは主従っていうかパシリみたいな関係で仲も結構いいんだけど、こんな会話流石に出来ないし、殆ど秘密にして接してる。勿論両親にも、室長の爺ちゃんにも。この状況、かなりストレス溜まるんだよ!いや、パシリ扱いはいいんだ、納得できてるし。ただ、この先どうなるかって事を黙っていないといけないっていうのがね、今教えてどうこうなるものじゃないし、必要以上に警戒されるだけだしで兎に角もう罪悪感が凄くて、九州に住んでる君になら同じ感覚があると思うんだよ。だから、同じ境遇の人が近くにいてくれるだけで凄い嬉しいんだ僕は!もうそれだけでハイリターンっていうか、僕にとって望外のメリットが───ッ!」
「 落 ち 着 け 」
物凄い勢いで捲し立てて、俺がいかに必要かを語ってくる霧山を制止する。
余りの饒舌っぷりに思わず圧倒されてしまった。
だけど、なるほど……そういう観点からメリットが発生するという価値観も……アリといえばアリなのか。
月詠さん達からはなかったアプローチだ。向こうは既に同一の目的を共有する"同志"で、傍目に見ても喧嘩が出来る程度に仲がいい、といった具合だった。
加えて、既に圧倒的なアドバンテージを有し、イニシアチブを握っているという事実もあってか……そう、"余裕"を感じる事が出来た。
そして余裕があるからこそ、俺を勧誘するときにギブ・アンド・テイクの対等である関係ではなく……"向こうが一方的に施す"という、此方にばかり都合のいい条件を出してきたのだ。
恐らく……俺個人に対して、悪意や悪気といった類の感情はなかっただろう。
故に、正に"飼われる"と言っていい契約内容に心が傷む。
それは、現状において自分が……冷静に分析して一般人程度の影響力しかない、と第三者から冷酷に告げられたという事実に他ならないからだ。
ハッキリと、『お前は庇護対象だ』と。
「……悪い。そう言ってくれて嬉しいんだけどさ……やっぱり、今の俺にはどっちも選べない」
だからこそ、今だけは答えを返せない。絶対に。
だって、それは"フェア"じゃない。
一般人と大差ない存在だというのなら、彼等に身を寄せるべきじゃない。
大人しく一国民……または一難民として、世界の中心から離れたところで彼等の武運を祈っていればいい。
俺には、地位も、権力もない。運も、多分ない。役に立つことが……出来ない。
……それでも共に行きたいと願うのならば、庇護対象に甘んじていては駄目なのだ。
彼等が所持するような力がないというのなら、其れ等に類し代替として機能する力を求めろ。
何でもいい……それが決して折れぬ頑強な意思であろうと、何かに特化した才能だろうと、構わない、選り好みはしない。
彼等へと身を寄せるならば、既にスタートラインからして違う彼等に追従し、対等な存在として傍に立つ事を誓い、果たさないといけない。
────ソレに値する"何か"を探し、手に入れないといけないんだ。
「だから、今は……ごめん」
「……解った。今すぐなんて言わないさ、待つよ……君が、自分がどうしたいのか解るまで。もしも悩み抜いた先に、正史通り『おとぎばなし』の幕を上げるべきだと思ったのなら……その時は僕と共に来てくれないか。必ず歓迎する……何も、出せないけどさ」
霧山は俺の言葉の先回りをするかのようにそう言うと、此方へ右手を差し伸べ握手を求めてきた。
強制ではない。何か弱みを握ってくるわけでもない。脱出便のIDのような、保険や見返りも提供出来ない。
それでも来てくれないか、と……そう言ってくれている。
「ああ。まだどうなるか解らないけど……その時は、宜しく頼む」
告げて、俺も右手を差し出し、強く握り合う
これで仮契約成立だ。
……『今は無理だがその時は頼む』、か。
どう考えても、こちらに有益なばかりで向こうには無益な予防線。
申し訳ないとは思う────だけど、有難い存在であることに変わりはない。
今だけは甘えさせて貰おう。
「うん、承った。あー……それと、烏滸がましいかなとは思うんだけど……プライベートな事でちょっといいかな」
「何か聞いておきたい事でもあるのか?」
……ん? 言ってから気付いたんだが……。
コイツ俺の名前知ってたし、斉御司達から情報リークされたって言ってたよな。
大抵の情報はもう揃ってると思うんだが……何を聞きたいんだろうか。
「その……僕と友達になってくれないか」
「─────────────────あ"?」
トモダチ……友達? Friend? 何故に? Why?
「……ごめん、変なこと言った。忘れてくれないか」
やっちまった……と言いたげな顔を片手で抑え、申し訳なさそうに謝罪してくる霧山。
思わず唸るような声を出して固まってしまった。
霧山の言ったことは変、とは思わないが……急過ぎはしないだろうか。
「ぁ、いや、余りにも脈絡が無かったからさ。何で急にそんな事を」
「……友達なら、利害や戦略に関係なく連絡とりあったり話をしても許されるだろ? それに、僕らは生まれの事情が事情だからさ……君もいないんじゃない?友達」
「────ぁ」
そう言われてみれば、いない。
学校でも級友とは基本的に精神年齢が合わない、話題も合わない。
そのせいか正直な話、俺の方から積極的に話しかけることは殆ど無い。
まだ先生達との方が波長が合う。ただ、それですら色々隠した状態での会話となるが。
家族にだって……割と素直に接してるけど……本当の意味で自分を晒したことなんて、一度もない。
思えば俺は今日……この世界に生まれて以来初めて、本音をさらけ出して誰かとぶつかり合ったのだ。
そんな俺に、胸を張って友達だなんて言える存在が居たわけがない。
「……ああ、俺も友達いないな……はは、気にもしてなかった」
思わず笑ってしまった。
自分しか未来を知らない。自分しか何かを変えることは出来ない。
そう思い続けていた先に己の知らぬ世界に直面し、今度はIfならどうする、どう出るべきだ。
そんな事ばかり考えて……友達作ろうなんて余裕が全くなかった。
「僕も友達なんて別に作らなくてもって思ってたんだけどさ……今日、君や月詠さん達と接触して……人恋しさ、っていうのかな。それに火がついちゃって」
「ああ……七年ぶりに本気で人とぶつかった気がする……けど、お前は俺よりマシなんじゃないか? 俺なんて大人と接触する機会すらあまりないからな……研究室に入るの許可されてるって言ってたけど、周りにいる大人達との関係はどうなんだ?」
「かなり強引に入室したんだけど、皆優しいもんだよ。大人だし、分野が同じだから会話もしやすい。初めは気味悪がられたけど、誠意を見せてパシリとアシストしてる間に順応したみたい」
「あぁ……やっぱり大人とは話しやすいよな。小一の語彙力じゃないから慣れてもらうまで変な目で見られたけど、慣れてくれれば普通に会話出来てさ。いざ会話が始まれば筋道立ってて、いきなり話が脱線したりもないし」
「僕らと同年代の子達は次々興味が移っていくからね。五秒後に話題が変わってるなんてザラで大変だよ。あれはあれで傍で観察してる分には楽しいもんだけど、着いて行くのはちょっと、ね……どうも精神年齢が合わなくてさ。サボりがちな小学校じゃ完全にボッチだよ」
「ハ、ハハ……俺は何とか合わせてるぞ。小学校に拘束されてる時間が長いんでな……妙に懐かれて、纏わり付いて来るんだよなぁ……休み時間にアウトドア派とインドア派に取り合いされたりさ……」
「あー、解る解る。君さ、妙に面倒見良かったりするだろ。そのせいじゃない?子供はそこらへん敏感だからね。この人は構ってくれるって解るんじゃないかな。さっきも僕が缶ジュースに苦戦してたら黙って助けてくれたし」
「それは……別にアンタの為にやった訳じゃないんだからね? 隣でアルミ引っ掻く音が延々と鳴り続けるのが嫌なだけで────」
「ツンデレ乙。いや……何もかもが懐かしく感じちゃうね。まさかそのテンプレをこの世界で耳にすることになるとは思わなかった」
────新鮮だった。
俺達本当は大人なのに子供の身分って大変だよなー、なんてファンタジーかSFかといった突飛もない話題で盛り上がってる。
あり得ない会話だ。ずっと、それこそ一生出来ないと思っていた……墓まで持っていくかもしれなかった秘密を織り交ぜた会話だ。
それが今、成立してしまっているという奇跡。
この繋がりは……無碍にしていいもんじゃないだろう。
大切にしておくべきだ。
その後も他愛ない会話が続き、気付くとお互いの缶ジュースは完全に空になっていた。
「……やっぱりいいな。"友達"と会話するってのは」
「へ?」
「キリト。俺の事はエイジって呼んでくれ。そっちのが壁感じ無くていいだろ」
「……そうだね。君の言うとおりだ。それじゃ改めて……宜しくエイジ」
「あぁ、宜しくなキリト」
顔が熱い。
普通に友達になろうって言えばいいのについ遠回しな言い方してしまった。
何か変な感触だ。こそばゆいっていうか……。
照れくさくて言えないよな、友達になってくれなんて。
お互い、中身何歳なんだか……。
もしこっちの世界で過ごした年月分も含めるのなら、互いにおっさんと呼ばれても反論出来ないような年になるのではないだろうか。
今更、面と向かって告げる事が出来るような年齢じゃなさそうだけどな。
……あぁ。
今日は紆余曲折あったが……総じて良い日だったと思う。
振って湧いた巡り合い。
眼の前に開かれた二つの道。
そして、思いがけない友人の獲得。
────しかし、その初めて出来た友人に、これだけは伝えておかないといけないだろう。
「……一応言っておくが。友達になったからってお前の方に付くって訳じゃないからな?」
「えっ」
「おい」
「はは、冗談だよ解ってる。公私混同は良くないよね……でも、待ってるし、歓迎もする。それは本当だから」
「……まぁ、一年後には答えが出てるだろ。過度な期待はしないでくれ」
「ああ、期待しないで待ってる。出来ればこっちに付いて欲しいけどね」
笑いながらそう言ったキリトを見て、俺は溜息を付く。
……それを、期待してるって言うんだよ……全く。
全く────どうするべきか。
キリトは俺に、自分に付いて欲しいと言った。
勧誘になるのだが……月詠さん達がやったソレとはアプローチが正反対だ。
彼女達はまず方針を提示し、目的と手段を晒してきた。
その上で俺を誘ったのだ。未来の一定の保証……保険なんてものまで付けて。
晒した情報を持ったまま敵対することすら考慮し、断っても構わないと念を押した上で、俺に自由な選択権を譲渡してきた。
正直……彼らの真意は図りかねる。
全てを晒したところで、俺には何も出来ないと踏んでいるのか。
どれだけ悩もうが、最終的には彼らに下るだろうと思われているのか。
はたまた────俺達に晒した情報は氷山の一角で、得体の知れない思惑が渦巻いているのか……。
俺には、それが解らない。
だがそれでも……彼らがいの一番に、部外者の俺にある程度の情報を晒してきたのは事実だ。
その行動に、俺は一定の信用を覚えている。
────彼、霧山 霧斗からはそういった『業務的』なアプローチが未だ一切無いのだ。
今し方言ったように、俺は公私を混同すべきでないと考えている。
此の場で、キリトから聞き出すべきだろう。
俺に『初めての友達』という特殊な枠を用意してまで、共に進もうと誘うほどの針路を。
「……催促して悪いんだが……良ければ、お前の方針を聞かせて貰えないか。誘ってくれたってことは固まってるんだよな?」
俺の方から口火を切る。
友達と言ってもこういう暗い話になってしまえば、どういう形であろうと彼の傘下に入る俺の方が、立場はほんの少し下だ。
こちらから聞きに行くのがスジというものだろう。
「方針って、何の?」
「いや、何の?ってお前……」
だが彼はどこ吹く風か……こちらの質問の意図が伝わっていないようだ。
……そこは話の流れで察してくれると助かるのだが。
キリトはあの格納庫で斉御司達に────『好きにすればいい』、と。確かにそう言ったはずだ。
しかしそれは方便で、額面通りのモノではないだろう……と俺は考えた。
つまり弱気の姿勢を見せておき、影で何がしかの妨害に出るのだろう、と。
妨害しない、等とは一言も口にしていないのだから。
譲れないこの状況で、大人しく封殺されてやる訳がない。
────そう思って、いたのだが。
「あぁ……方針って斉御司の『真っ当な国防』に対して? 特にないかな」
……どうやら、俺の深読みしすぎだったようだ。
「ないって……お前……」
つまりあの場で言った通り、好き放題させるという事か。
それは事実上の敗北宣言にならないか?
おいぃ、ちょっとぉ……選択肢次第じゃキリトに着いて行くことになる訳だが……。
コイツ、本当に大丈夫か?
「な、なぁ、キリト。七年だ……七年でこれだけ変わった。それも、まだ折り返し地点のこの段階でだ。今後どれだけ状況が斉御司達へ有利に───」
「ならないよ」
しかし、俺の提訴した不安要素を、キリトは一言で否定してきた。
揺るぎ無い自信を持って放たれたその言葉に、逆に俺は不安を抱く。
「何を根拠に……月詠さん達には実績があるんだぞ。俺達の視線の先に聳え立ってる彩雲がそうだ。未来は俺達の行動で大小あれど変わる……変わってしまうって証明だろ」
そして、それはオルタネイティヴ4を全面肯定するキリトにとって望まぬ展開へと傾いていくだろう。
行動を起こさなければ彼等は更なる変化をこの世界に呼び寄せる……ジリ貧なのは明確だ。
「────それでも、だよ。彼等との別れ際に言ったと思うけど、BETAは二人を求めて這い寄るだけだ」
「そうは言うが……斉御司達の頭を抑えない場合、向こうの思惑通りに彩雲を起点とした戦力向上が実現してしまう。そうなればBETA侵攻に遅延が────」
「……まぁ多少の遅延が発生する可能性は否めない、というか、むしろ高い確率で起きると僕も思う。でも、それがどうかした?」
「ど────」
どうかだって?
何だ……その危機感どころか、余裕すら感じさせる言葉は。
「まさかとは思うけど……君はその程度の誤差が、BETA侵攻を横浜以西で停滞させる決定打に成り得ると思っているのかい?」
「誤、差……?」
あれだけ異彩を放つイレギュラーな戦術機を、誤差と言い張るのか。
それは、BETAにとって日本への侵攻が……今までのソレとは大きく意味合いが異なる事に起因すると考えられるからか。
────BETAは今まで、資源の回収が出来ればそれでよかった。その過程として領土を広げ、人類と戦闘に突入していただけ。だが日本侵攻は違う。人類の調査という新たに芽生えた目的の為に、より優れたサンプルを欲しての侵攻である可能性が極めて高い。そして、その大きな目的を持って侵攻するBETAの前には、多少軍備が増強された程度では誤差も同然……ってところか。
そしてBETA侵攻の到達点となる最有力候補が、鑑 純夏。
だから……彩雲を起点とした戦力の向上が実現されていようとも……侵攻に遅延こそ発生せど、BETAのお眼鏡に叶うサンプルの回収までは止まらない、か。
「軍備の増強"程度"でBETAが止まる、という斉御司達の思考は浅慮が過ぎる……彼等の手際や功績は認めざるをえないけど、第二世代機が一種類新たに戦線へと参加したぐらいでBETAが止まる、ってのは暴論だ。あり得ないね。その程度のテコ入れでBETAが止まってくれるなら、21世紀にあそこまでの絶望感が世界を覆ってる訳がない。多分に彼等にとって都合のいい"希望的観測"が入ってるのは間違いないよ」
……BETAを甘く見ている、って言いたい訳だ。
第二世代機が一種類増えた程度じゃ止められない、と。
正史にて中華統一戦線と日本帝国は、1994年からそれぞれ殲撃10型と不知火を戦線へと送り出してるはずだ。
だが、止まらなかった……それが事実。ああいう結果になってしまっている。
それを多少マシに出来たからといって……過程は変わるかもしれないが、結果は大きく揺るがない。
確かにそういった事情を踏まえると、彼らがBETAを甘く見てるという節が在ることは否めない。
いや……甘く見ているというよりは、ありとあらゆる可能性を踏まえた上でそうなって欲しい、という願望か。
キリトの主張をまとめると『斉御司達の戦略は希望的観測、願望が先行しすぎており、放っておけば勝手に自壊する。国家叛逆のリスクを追ってまで介入する必要性はない』、ということになる。
だが────。
「キリト……それは介入しないんじゃなくて、介入"出来ない"事に対する自己弁護とも取れるぞ」
こいつの今言ったことは、裏を返せば……全て自分に返ってくるものだ。
キリトは、介入出来ないことを斉御司達の戦略が端から破綻しているという希望的観測を持ちだして、介入しなくても問題ないと自分に言い聞かせているに過ぎない。
「────そうだね。君の言うとおりだ。偉そうに言ってみたけど、実際問題として介入が不可能なのは認める。やらないんじゃなくて、出来ないんだ。こればっかりは夕呼さんでも無理だと思う。メリットとデメリットを天秤に掛けてみて、どうしても後者が重すぎるんだ────国防の妨害なんて最早テロだよ。だからBETAがそれぞれの思惑に都合のいいように動いてくれるって事を信じ、天運に任せるしか無い……っていう絶妙な膠着状態に陥ってるんだ。僕も彼等も……お互いにね」
「……まぁ、結局はそこに落ち着く、と」
どれだけ思案を巡らせたところで、賽は投げられた。
しかも、出目が俺達の眼に映るのは七年後。
『ラプラスの悪魔はもういない』
その言葉を胸に刻み、自分なりの"最善"を信じて選び続けていくしかないようだ。
しかし、キリトにとってはきっと良くない環境になるな……。
「……どっちにしろ、お前にとって辛い時間が延々と続くのは、間違いないみたいだけどな」
我慢。只管の我慢を今後およそ七年間続けさせられる。
キリトの立場、状況、思考、目的。
全ての要素に置いて彼は常に受け身だ。
「だねぇ……彼等が精力的に軍備増強に取り組んでいく一連の流れを、僕はBETAが止まってしまうかもしれないという恐怖に常時苛まれながら見ていることしか出来ない……胃に悪そうな耐久レースだよ、全く」
『真っ当な国防』……改めて思う。
なんとも厄介な作戦だ、と。
正当性は完全に向こうにある。妨害≒悪と世間には映ってしまうだろう。だから手を出せない。黙って見ている他ない。
故に、斉御司達は能動的に、霧山は受動的に。これからの七年を過ごすことになる。これは覆らない事実だ。
状況はBETA次第、運次第……つまるところ『イーブン』。
されど……この能動、受動の立場の差は、モチベーションに多大な影響を与える。
「でも、収穫はあったよ。彼等は後先の事を考えられる……それだけが不幸中の幸いだった。武と純夏の移住の否定は、僕に何よりの希望を与えてくれた」
……それがあったから、何とか状況を『イーブン』に持ち込めた。
あの時、斉御司達に二人の移住を敢行する意向を示されていたら、その時点でキリトは……オルタネイティヴ4は問答無用で失墜が確定していた。
薄皮一枚で、首が繋がっているという状況だ。
だが未だ主導権は向こうにある────。
「……今後、その確約を反故にされるって可能性は考慮しないのか」
「万が一にもないとは思うけど、反故にされないようプレッシャーは掛け続けるし、監視もする心算だよ……僕に、いやオルタネイティヴ4にとって生命線だから、こればかりは譲れない。彼等にとっても『保険』として機能しているから、そう易々と反故には出来無い筈だしね……」
流石に此処は少し行動に出るみたいだな……。
なら後はアレだけか。
「────XM3、っていうよりかは、例の超高性能CPUか。あれはどうするんだ? 今回は退いてくれたが……また、せっついてくるぞ」
戦術機の劇的な能力向上を実現させうる……十年以上先を行く革新的電子機器。
10年後の最新鋭戦術機に搭載されているCPUですらマトモに動かせないと言わしめたXM3を起動させた挙句、即応性の三割増しという副作用までも発現させた驚異的な性能を持つ奥の手。
最悪ソフトが要している全機能のドライブが叶わずとも、このCPUを搭載するだけで現行機よりも反応性が跳ね上がる。
斉御司達にとって、是が非でも手に入れたい代物。
「突っ撥ねる。あの場でも言ったけど、無いものを提供するなんて出来ないから。まぁ、万が一、よしんば雛形が出来上がっているとしてもあれこれ理由を付けて丁重に断らせてもらう。試作型ってのは何よりも軍人が嫌うものだからね……そこら辺を盾に何とか死守するさ」
妥当な判断か。
日本大侵攻は俺達の知る2001年より始まる"おとぎばなし"より三年近く遅れているというタイミングだ……戦時における三年間というのは想像以上に大きな技術格差を引き起こす。
開発が間に合うのを前提とするのは早計だ。例え雛形が出来ていようとも、やはり未完成。
現行機に搭載されているCPUよりも上の性能叩き出すという可能性もあるかもしれないが……十中八九、軍において重要視される"信頼性"の問題が出てくる……提供の授受は互いに慎重になるだろう。
結局────武と純夏は柊町に留まり続け、XM3の拡散は非現実的。
BETAが求めるものは動かず座し、BETAを食い止める矛は兵に行き渡らず。
世界の明日は、ゆらゆらと揺れて未だ定まっていない。
……これだけ情報が出れば十分か。
両陣営のブレインから方針を聞くことは出来た。
────状況は、可もなく不可もなく、だ。
月詠さん達か、キリトか……どちらかを選ぶ決定打に成り得る情報は掴めず。
改めて何もかもが"運次第"ということを思い知らされた。
違いがあるとすれば……積極的に世界に干渉していくという状況で、モチベーションの維持が容易そうなのが斉御司側。
逆に、痩せ我慢を続けなければならず、モチベーションの維持や胃薬の消費量に悩まされそうなのがキリト側。
特筆しておくべき箇所は、そんな所だろうか。
……俺の心は、まだ固まらずに揺れたままだ。どちらにも傾いていない。
まぁ、そもそも『目的』の前にまず探さないといけない事があるしな……。
それを見つけない限り、胸を張って『目的』は選べない────。
「……悪かったな、根掘り葉掘り聞いて」
「気にしないで。質問はそんなところかな?」
「ああ、助かったよ。ありがとうな」
さて……堅苦しい話はおしまいだ。
後は全て自分だけで解決すべき問題。
そろそろ父さんと母さんを探して合流しよう。
「……それじゃ、そろそろ戻るわ」
「あー、そういえば実家から随分遠いし流石に保護者同伴だよね。どうする? 一緒に探そうか?」
ベンチから立ち上がって別れを告げると、キリトも俺に声を掛けながら立ち上がって革鞄を提げていた。
どうやら俺のプロフィールを頭の隅から掘り起こし、思考を先回りさせて此の場にいない両親の安否を気遣ってくれているようだ。
「いや大丈夫だ。予め、迷子になった時の集合場所は両親と相談して決めてあるから」
「あはは、迷子って────いや……どう考えても僕のせいだよね。ごめん」
笑おうとして、初対面の時に自分がしでかした事を思い出したの引きつった顔になるキリト。
……まぁ、どう考えても俺が拉致られた形になるからな。少し後からは任意同行だったが。
「だから気にすんなって。言っただろ? あの時お前が引っ張ってくれなかったら、今も俺は何も知らないで蚊帳の外に放り出されたままだったんだ。感謝してるよ」
「先走ってやったことに変わらないからね……素直に受け取れないんだよなぁ」
「結果オーライって被害者の俺が言ってるんだから、無罪放免でいいんだよ」
会話を交わしながら、既に俺達は歩き始めていた。
……何故か、肩を並べながら。
自分は向かう先に予め決めておいた両親との集合場所があるからだが────。
「で、何で付いて来るんだ?」
「いや、付いて行ってるわけじゃないよ。行き先が同じだけ。僕も見送りするつもりだったし」
……なんだ、見送りもするつもりで来てたのか。
誘き出された原因については一応の解決を見せたし、キリトはこのまま帰るもんだと勝手に思っていた。
「そう言えば、エイジは何でわざわざ京都くんだりまで? 大陸派兵は他所の軍港からも出るけど……最寄りの佐世保でよかったんじゃ」
「……ダメだったんだよ。佐世保には"アレ"が配備されてなかったからな」
「"アレ"?……あぁ、なるほど。"アレ"見たさもあったからここまで来たんだ。他所にはまだ配備されてないからね……」
俺は母艦に聳え立つ戦術機────TSF-TYPE88/F-16J 『彩雲』を指差すと、キリトは納得したように頷いた。
もしも彩雲を一目この眼で確認することに拘らなければ、この日この場所に俺はいなかっただろう。
キリトの言ったように佐世保軍港にでも出向いていたはずだ。
「しかしよく親の了承得て同行までさせたね。何て言って説き伏せたの?」
「まさか……元々、親の知人が舞鶴から出兵するって話で、それに便乗しただけだよ。去年の誕生日に今度まとまった休みとれたら旅行に行こうって話も出てて、諸々全部重なったんだ。で、大陸派兵の日に京都に着くのを見越して、数日掛けて道中色々と観光しながらここまで来たって訳」
「────へぇ。諸々の事情が重なって、ねぇ」
大雑把に此処に至るまでの事情を掻い摘んで説明すると、急に真剣な表情になって何かを含むように俺の言葉を反芻をするキリト。
「しかし、旅行……か。このご時世にそれは、ちょっと嫉妬するレベルで羨ましいね」
「はは、だろうな……実際はそんな洒落たもんじゃなかったけど。BETAに蹂躙される前に一目、って思いが先行しちまってさ……」
最後だ。恐らくこれが最後の観光になるだろう。
西日本は完膚なきまでに蹂躙される。
例え斉御司達に軍配が上がろうと……近畿までは保たないだろう。
もしキリトに軍配が上がるならば被害は尚更だ。
BETAに踏み荒らされた後、国を奪還し、オリジナルハイヴを攻略したとしても……復興に何年掛かるだろうか。
いや、そもそも復興など可能なのか……。
そんなことばかり考えながら道中、西日本各地の名所を回ってきた。
目に、瞼に、いずれ消え去る"在りし日"の日本を焼き付けるように。
「そんな気持ちで観光したって、感傷的になるばかりで全然楽しくないだろうに。切り替えは大事だよ? それに必要以上に疲れるでしょ、そういうの」
「……ああ、そうかもな。意識はしてなかったけど、結構疲れが溜まってるみたいで……実は今、かなり怠い。とっとと帰ってゆっくりしたいもんだ」
「それには同感……今回の事は堪えたよ。まぁ僕の場合は家が都内だし帰るのはすぐなんだけど、帰っても休み無し。研究室に顔出せば、夕呼さんに扱き使われるのは目に見えてるからなぁ」
そう言う彼の台詞とは裏腹に、その口調からは本気で嫌がっているという感じは受け取れない。
……どうやら香月博士とは順調にいい関係を築けているようだ。
「そっか、お前は香月博士の傍にいるんだよな……」
「?……うん。実は僕が今取り掛かってるヤバい一品物を見られてさぁ……完全に目付けられてるんだよねー……多分、解放されそうにないと思う」
羨ましい、と素直に思う。キリトは、自分にはコレだというモノを持っているから。
ダウナーな見た目からは想像出来ないが、相当頭がキレるし、純粋に頭もいい。何より……行動力もある。
それぐらいでなければ、後押しがあったとは言え研究所に入り香月夕呼に目を付けられる訳がない。
適切なポジションに付き、既に積み始めている研究者としての経験を生かし、香月博士のフォローに徹頭徹尾尽くすのだろう。
そして正史で起きた、今後この世界でも起こり得る可能性のある未来情報。
其れ等を随時、適切なタイミングで、香月博士に開示・指摘する。
……一部、伝えるタイミングを間違えれば大問題に発展する情報もあるのが七面倒臭い事だが……。
キリトなら大丈夫だろう。最善を超えた更なる最善の為に、手札を切るタイミングを見誤らないはずだ。
「……俺は……」
小声で呟き、視線を地面へと落とす。
彼の能力を冷静に分析すればするほどに、自分はどうするべきかとまた悩むのだ。
少なくともこれで、"香月夕呼を更なる高みへ導くアドバイザー"という『役割』は失くなった。
俺の……『役割』。
何か、何かないだろうか。
政治でもない。知識でもない。其れ等と比較されても色褪せない"何か"が。
他人からの評価はどうだっていいんだ。馬鹿だと蔑まれようと、無謀だと罵られようと、そんなのは構わない。
────ただ、自分で自分を納得させる事が出来るだけの"手段"が────。
「ん?」
「……どうした?」
横目に見えていたキリトが、声を上げたと思ったら視界から突然に消失した。
俺は思考を中断し足を止めて振り返ると、キリトが目を丸く見開き、少し離れた場所に何かを見ていた。
「何かあったのか」
「いや、アレ」
「アレって……」
キリトが目を外さずにそう告げて、小さく指を刺す。
そして俺は、彼の指し示した場所に視線を移すと────色鮮やかな"山吹色"が、俺の瞳に飛び込んできた。
「────何で此処に」
「記念すべき第一回目の派兵だ。思えば、斉御司や月詠さんも、わざわざ僕らに身分を証すためだけにあんなド派手な服を着る訳がないか。メインイベントである此方の為に召していた衣装だった理由ね」
成る程。
流石にあんな目に優しくない服を普段着として着てる訳ないか。
それにしても……。
「つくづく、今日は巡り逢うな……重要な人物と」
武家が総出になっているのか知らないが、よく見ればチラホラと視界に点在する"特別な色"。
これだけいる中から、ピンポイントで"彼女"を見つけることが出来るなんてな。
「同感。山吹色の武家って数だけ見ればそこそこ居る筈なんだけど……よりにもよって"お姫様"を見ることが出来るなんてね」
俺達の視線の先で、山吹色の斯衛服を纏った少女が一人で歩みを進めている。
少々危なっかしいな、と俺が思ってしまうのは無理も無いだろう。
年は俺達と殆ど変わらないはずだ。幾ら名家の生まれだからと言って、あの年頃の少女をこんな人がごった煮返した場所で独り歩きさせるなんて……。
顔を緩やかに周りへと回しているのは、保護者を探しているのだろうか?
親は鬼籍に……いや、この時期だとまだ入っていない、か。
俺の知り得ない突発的な事故や病気にでも襲われない限りは……98年の大侵攻までは存命のはずだ。
"あの人"が後見人になってしまうかどうかは────まだ解らない。
そこまで考えた時、少し離れた場所で話をしていた軍服を着た男性グループの内の一人が、少女に駆け寄っていく。
「ぁ─────」
俺は、確かにその男性の姿を……見たことがあった。
見間違える、はずがない。
「……あれ、この時期ってもう斯衛じゃなくて陸軍だったっけ……陸軍の服だよねあれ」
キリトもあの人が誰か理解できたようだ。
当たり前か。これだけ状況が揃っていて解らない理由がない。
あの人は瑞鶴を開発した────。
「伝説の衛士」
口にして、胸が熱くなった。
あの日、ブラウン管越しに見ていたんだ。
どう贔屓目に見ても勝てる見込みなんてなかった、一対の鉄の巨人が織り成す闘争を。
だが、結果は逆転する。第一世代の瑞鶴が、最強の第二世代機『F-15』を打ち破ってみせたのだ。
結果を知っていても、無理だと思った。駄目だと思った。
それでも……その衛士は、俺の目の前で"最善"を掴んで見せたのだ。
俺は、それを見て────。
「……あぁ、そうだった」
────憧れたんだ。
「キリト。マーカー持ってないか」
「……あったと思うけど、一体何に使うのさ」
「決まってるだろ、サインしてもらうんだよ」
「サイン……?まぁいいや。えーっと、ちょっと待ってねここらへんに……じゃーん。見てこれ、高性能油性染料インクを使ったボードよし紙よし布よしの────」
「パーフェクトだ。ちょっと借りるぞ」
言って、キリトが薀蓄を語りながら革鞄から取り出したマーカーを、半ば引っ手繰るように手にする。
そのまま俺はマーカーを掴んだ方の腕をキリトの肩に回して密着し、耳元に口を寄せて小声で囁いた。
「……なぁ、キリト。お前さ……Need-To-Knowについてどう思う」
「な、何だよ藪から棒に……どう思うって言われても、機密漏洩の為には致し方ないことだって認識だけど……」
周りに人が増え、流石に話題が若干物騒なものということもあり、俺に習って小声でそう言い返すキリト。
……ああ、そうだな。機密漏洩の問題が出てくる。
そして、取り分け階級が低くなると「知る権利」がないと判断され、重要な情報を秘匿されることも珍しくない。
あの"A-01"でさえ、一部の情報を秘匿されていた。
だが────。
「そうだな、致し方ないで済むし、それが妥当だと俺も思う……政治や平常時の段階ならな」
「……それは、どういう────」
「お前は将来、A-01に命令下す状況に立ち会う事になると思う。そんな時、Need-To-Knowなんてモノに拘れるか?実働部隊の戦闘中において、"お前の望む最善の未来"へと至る為に必要な判断材料を……意図的に伝えないなんて非効率的な事出来るのか?」
「そ、れは……だけど、やっぱり仕方ないじゃないか。ほぼ命令系統の最上位に位置するからには伝えられる事にだって限度が出てくる。それに最終的な判断は副司令である夕呼さんが────」
「じゃあ……初めから全部知ってるヤツが実働部隊にいればどうだ」
「─────なッ!」
俺はキリトの台詞の途中に割り込み、"本命"の話を繰り出す。
……そうだ。より効率よく実働部隊に臨機応変を求めるならば、初めから誰かが全部知っていればいい。
ソイツが凄腕で、現場での指揮権なんて持っていれば御の字だ。
「初めから教える必要がないぐらい重要な事を全部知っていて、尚且つ"戦う事が出来る"……そんな優秀な人材に育つことが出来れば────お前にとって……斉御司や月詠さん達にとって、価値があるか? ソイツは、お前らの役に立てるか?」
「ま……、待ってくれ、君は……ッ」
「待てないね。漸く見つけたんだ……お前らがそうしたように、俺も勝手にさせてもらう」
肩に組んでいた腕を解いて軽くキリトの体を押し出し、その反動で走り出した。
手に握られている黒のマーカーは、どうやら布に書いても大丈夫らしい。願ったり叶ったりだ。
まだ少し肌寒い春先なのが幸いした。上に羽織っている白いジャケットにならば、サインがさぞかし映えることだろう。
「ちょ……!おい、待て!エイジ─────ッ!!」
背後から聞こえる、大音量の声。
だが待てと言われて待つ馬鹿は、もういない。
ヒントなんて幾つもあった。何かを成すならば最早これしかないことも解っていた。
なのに保身ばかりに気を取られ、気づかない振りをしていた。
……それも、もう終いだ。
悪いけど待てないんだよ。
俺はもう、憧れの"衛士"に向かって走りだしてるんだから。
「叔父様、どこにいっていたのですか!」
「はは、そう怒るな唯依ちゃん。少しの間だったじゃないか」
山吹色の斯衛服を纏った少女が、帝国陸軍の軍服を纏った男の腰に縋り、頬を膨らまして怒りを発露させていた。
その怒りは尤もだった。唯依と呼ばれた少女は未だ幼く、余り足を踏み入れぬ港の地理にも詳しくない。
そんな折に保護者となるモノに離れられれば、不安になるのも仕方ない。
軍服の男────巌谷は流石に自分に問題があったな、と考え素直に少女に頭を下げた。
「此の通りだ、許してくれよ」
「むぅ……いなくなる時は、ひとこと声をかけてくださいね?」
「……ああ。次は、そうするよ」
巌谷はしゃがみ込んで唯依と視線を合わせ、少女特有の極め細やかな頭髪を撫でながら、今し方エールを送った軍人達の事を考える。
大陸派兵、その先陣を受け持つ者。
地獄の戦場へと、帝国軍の誰よりも早く赴く獅子達。
そして、今はまだこの国でやることがあるが……いずれは自分もその場へと向かう。
その為に、帝国陸軍へと鞍替えをしたのだ、と。
巌谷は自らが今身に纏っている軍服の意味を、再び噛み締める。
……だがこの瞬間、もう一つ考える事が出来たな、と巌谷は苦笑した。
(────いなくなる時は、ひとこと声をかけろ、か)
大陸へ向かう時、目の前にいる姪っ子はどういう顔で見送ってくれるのか。
巌谷はまだ見ぬ未来へと、想いを馳せる。
その時だった。
「…………ッ!……、待て!エイジ────ッ!!」
辺りに響き渡る絶叫。
経験豊富な軍人たる巌谷も思わず立ち上がり、声が響いてきた方へ顔を向ける。
振り向く動作は何の警戒もなく、至極スムーズな流れで行われた。
それと同時に、彼の頭の中には疑問が溢れていた。
……巌谷の反応も、頭に浮かんだ疑問も、当然だった。
誰しも、『自分の名前』が大きな声で呼ばれたならば────そちらへ振り向いてしまうモノだ。
ましてやそれが、甲高い子供の声とあっては、何故自分の名前が?と疑問に思うのも自然なことだった。
振り向いた巌谷の目に飛び込んできたのは、此方へと力強く駆け寄ってくる少年と、それを追う少年の二人。
そして────この後は、多くを語る必要は無いだろう。
────巌谷たい……ぁ、今は少佐なんですね!昇進おめでとうございます!ずっと憧れていました!サインを下さい、このジャケットに!
────おい、エイジ!ちょ、やめて!お願いだから!フラグが、変なフラグが立つから!唯依姫……じゃない、ほら、そこの譜代武家の子もすんごい困ってるから!ついでに僕も困ってるから!
────あの、叔父様。いまわたし、そこのお方になまえを……それに"ヒメ"って?
────キリト、ちょっと黙っててくれ!あの、俺、不破 エイジっていうんです!巌谷少佐と同じ名前の読みで、漢字は……こう書きます!!
────ハ、はは、わははははは!そうかそうか、俺と同じ名前で……漢字は衛士と書くのか!それで君は────
────はい、俺────衛士になりたいんです!!
────フラグがあああああああああああああああああ!!!
────叔父様……このひとたちダレですか?
これが────不破 衛士の転機となる、巌谷 榮二との出会いである。
誓いを此処に。
七年の停滞を終え、エイジは『衛士』となる為に────胎動を始めた。
─第一部・完─