薄暗い格納庫に四つの子供の人影が伸びる。
背後の正面扉から差し込む僅かな光が、目の前に立つ紅と蒼の斯衛服を照らす。
斉御司 暁、月詠 真央。
一連の歴史改変……その元凶。
俺───不破 衛士は、そんな二人と向き合っている。
真横に並び立つ少年、霧山 霧斗と共に。
自分は招かれざる客で。
俺を除く三人もまた、異物である来訪者で。
そして……斯衛の二人は、世界の歪みの元凶で。
そういった余りにも規格外すぎる連中が、この場所に集っている。
御伽話が始まる前の……この瞬間に。
──── Encounter ────
「俺達と協力して────武と純夏を救わないか」
「なッ────……」
斉御司が、力強くそう言い切った。
救う。
死にゆく運命の、少年と少女を。
その身を引き裂かれ、この星の未来の礎となることを否応無く決定づけられている二人を。
あの日憧れ、またその存在の消滅を嘆いたヒーローとヒロインを────救済する。
彼の発した誘いの言葉が、残酷なほど甘美な響きに聞こえた。
差し伸べられた手を取り、ただ只管に武と純夏の救済に奔走する。
そうすれば、転生などという荒唐無稽な過程を経てまでこの世界に、あの瞬間に再びの生を受けた異端極まりない自分の存在が……全肯定されるような気がした。
その手に縋りたい。一瞬、そう思ってしまった。
だが、理性がその判断を迅速に否定した。
二人を……白銀 武と鑑 純夏を助ける。
それは────。
「悪いけど、断らせてもらうよ」
意識が思考の海に沈み始めていた俺は、霧山の強い意志を持って返した拒絶の言葉に反応し、ゆっくりと現実へ引き戻される。
「理由を聞かせて頂いても、宜しいでしょうか」
「────……」
一歩こちらに進み出た月詠が、拒絶の意を示した霧山に理由を問い質した。
その質疑を黙殺し、霧山が怒気を混じえて口を開き始める。
「……質問に質問で返す無礼を承知で言わせてもらうけどね……君達こそ一体どういうつもりだ。武と純夏を救う……それはつまり、オルタネイティヴ4の妨害を意味している事になる」
霧山の放った言葉と、つい先程まで俺の考えていたことは同じだ。
彼らの発言は、オルタネイティヴ4の妨害宣言に他ならない。
人道的だ、清廉潔白な正義だといった側からの観点を省き、ただオルタネイティヴ4の完遂という大義を行うに際して、その二人の犠牲は必要不可欠なのだ。
因果導体である"白銀 武"をこの世界に導き、数式を回収し、因果流入を発現させ、00ユニットを完成させる。
この一連の流れ全てに、この世界の武と純夏の『死』は密接に関係してくる。
故に、彼らの思惑は限定される。
俺や霧山には想像すら出来ないような、大団円を可能とする切り札があるか。
或いは────。
「それとも……君達は初めから、オルタネイティヴ5の完遂を念頭に置いていたのかい?」
────彼らが、地球の放棄を前提として行動しているかだ。
空気が張り詰めていくのを、肌で感じ取る事が出来る。
オルタネイティヴ4に同調し尤も近い場所に立っている者と、オルタネイティヴ4に牙を剥かんとする者達。
……霧山は最早、彼らと手を組むということは考えていないだろう。
これからどのような弁明が行われようと、だ。
事実、既に『断る』とはっきり協力を拒んでいる……向こうの口上を聞く以前の段階でだ。
考えなしの拒絶ではないだろう。
────状況を覆し『大団円』を可能とするような切り札など、彼等にはない、と。
霧山は恐らく……いや、間違いなくそう踏んでいる。
大陸派兵の今日、この場所に誘き出される段階で、彼の中では此度の一連の流れと答えは出ていたのかもしれない。
「……俺達は武と純夏を救う。例えその過程に、君が望む形である第四計画に対する妨害があるとしても。全て承知の上で決めたことだ」
「────ッ」
やはり……か。
だが何故だ。何故そんな簡単に────まさか。
もしかして彼等は The day after の情報を持っていない?
だから、00ユニットが無くとも『XM3』でもばら蒔いておけばG弾で押し切れると、そんな楽観視が出来るんじゃないか?
視線だけで霧山の方を見ると、彼も横目で此方を見ていた。
目と目が逢う。眉間にシワの寄った余裕のない霧山の表情を見るに、俺と同じくその可能性に辿り着いたのだろうか。
俺がここで流れを切って出しゃばる理由もない。
霧山に後に続く言葉を任せる。
「……言っておくよ。例え『XM3』が世界中に行き渡ったと仮定しても……バビロン作戦の先に未来はない。君の二人を救うという言葉……G弾の大量投下による結末を知った上でのモノなのかい?」
「ああ、知っているとも。ユーラシアの完全海没も、塩の大陸も、想像を絶する異常気象も……地球は地獄になるだろうな」
「ば……ッ」
馬鹿な────。
知っているのか。無限の先、その後日譚。
アレに描かれていた激変した世界を知って尚、承知の上だと言い張るのか。
駄目だ。
彼等は全て解った上で、事を起こしている。
どのような結果が待っているか……それを理解した上で、これまでの介入を行って来ているのだ。
説き伏せ止める事は、出来ない。
「……成程。良しとすると。そういう未来へと行き着く可能性すらも良しとすると……そう言いたい訳だ」
「元より、その未来へと至る可能性は俺が出しゃばらずともこの世界に内包されていたモノだ。二人を救った先に、その未来に直面してしまうというのならば……致し方ない」
斉御司が霧山の問に、全ては理解の上での行いだと淡々と返す。
霧山はその言葉を受け、覚悟を決めたような表情で地面へと視線を落とし、呟いた。
────ここに、彼らは対立した。
「……全く。そこまではっきり言われると罵る気にもならないよ。もとより、武と純夏の犠牲を前提としたオルタネイティヴ4を積極的に支持する僕に、君達を罵る権利が在るとも思ってないけどね……」
霧山の自嘲を含んだ思いの吐露に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
彼の言うとおりだ。結局、オルタネイティヴ4もオルタネイティヴ5も、何かを切り捨て何かを手に入れる計画なのだ。
違いがあるとすれば、一体何を、どれほど切り捨て、何を拾い上げることが出来るか……その項目に差異が在るだけ。
自分が心より求めるモノが手に入るのは、どちらか。
突き詰めれば、個人がどちらかを支持する理由はその一点に集約される。
そして霧山は第四を、斉御司と月詠は第五を各々の価値観から選んだ。
俺も、この場で選ばないといけないのだろうか。
今この瞬間、目の前で出来上がった対立構造。
二者択一、二律背反である二つの派閥。
第四計画か、第五計画か────そのどちらか一方を。
……一つの方法として、優勢な側に付くという小狡いやり方もある。
そう言った所謂、日和見的に見れば────。
現状において霧山は不利だろう。流れは完全に斉御司達にある。
彼等はその無謀とも取れる行動力によって、既に正史では有り得ない帝国の戦力増強を確立させてしまっている。
大侵攻において、帝国が稼ぐことの出来る時間は増大し、其れに伴ってBETAの進撃は阻害されるだろう。
このアドバンテージ……もはや覆す事の出来ない絶対的な差となっているのではないか?
BETAは武と純夏に辿り着かず、故に二人は生き延び、第四計画は前提要素を欠き、失墜する。
この流れが、既に出来上がってしまっているのではないか。
霧山は、ここからどう挽回する……?
「さて、どうする。このまま、君が些か不利な状況のまま対立するか。それとも、先の言葉を撤回して俺達と一緒に来るか」
「……確かに、それもいいかもね……早くも敗色濃厚だ。君達が真っ当な国防をすればするほどに、国土の半分と多数の人命を犠牲にすることによって成立する第四計画は不利となり……そして真っ当な国防を君達がやっているが故に、僕はその計画に対する満足な妨害行動を起こせない」
「霧山……ッ」
……認めた。
オルタネイティヴ4が封殺されているという状況を。
最善の未来を知り、オルタネイティヴ4に尤も近しい場所に在る転生者が、認めてしまった。
────そう。"真っ当"なのだ。斉御司と月詠がやっていることは。
迫り来る驚異に備え、軍備を整える。彼等がやっていることは、至極真っ当な『国防』なのだ。
批判すべき場所なんて、本来一つ足りとも無い。
ああ。未来の顛末さえ……これから先起こる世界の命運を掛けた二つの極秘計画の結末さえ知らなければ、だが。
彼等がやっていることを批判する。
その行為は、未来知識のない人間からすれば『真っ当な国防』の妨げに他ならない。
霧山が……既にオルタネイティヴ4に触れてしまっている人間が、そのような下手を打てば国家反逆罪で第四計画まで煽りを受けかねない。
だから彼は、斉御司達の『真っ当な国防による第五計画支持』という余りにも不条理な計略を止めることが出来ないのだ。
────なんという矛盾。
帝国が誘致し、支持すべきはずである『第四計画』は帝国が真っ当な国防をすればするほどに瓦解し、忌むべき『第五計画』の助力となる……。
これが矛盾じゃなければ、何だというのだ。
終わりだ……霧山は、オルタネイティヴ4は、封殺されてしまった。
この逆境を覆す切り札なんて────。
「……とまぁ、一見するとオルタネイティヴ4が君達に封殺されてしまっているこの状況……君達がここまでやって、漸くイーブンだよ」
「ぇ……?」
霧山があっさりとそう言った。
その言葉は、苦し紛れで出た……という訳ではないようだ。
纏った空気は真剣味を帯びているものの、決して重くはなっていない。
「お前、何を言って……」
斉御司達がここまで手を打っておきながら……イーブン?
オルタネイティヴ4は……霧山は、既に封殺された形になっているはずじゃないのか?
今の時点で彼等は戦力増強を実現させている。そして現状からの妨害は極めて困難。
故に霧山は手を出せず、後は強化された軍事力でBETAを迎撃されてしまえば……BETAの停滞が西へとずれ込んでしまう可能性は圧倒的に高くなるはずじゃないのか。
「不破君。そもそも、オカシイとは思わなかったのかい? 武と純夏を救う。その目的の為、彼等がこんな早過ぎる時期から戦力増強と言う遠回しな手段を講じなければいけなかったことに」
「────待ってくれ。どういうことだ。戦力の増強が、遠回しな手段……? 真っ当で順当なはずのそれが何故、遠回しになるんだ」
霧山のその言葉に、思わず俺は疑問を口に出していた。
彼等のやっていることは、確りとその目的に沿った手段の筈だ。
武と純夏を救う。その為にはBETAを食い止めなければならない。
だからこそ、戦力の増強に努めたのだろう?
それが……遠回し?
「……いいえ、霧山殿の言う通りです。確かに私共が行使した軍事力の増強は遠回しな手────より簡潔で、より迅速な……『近道』が存在します」
「近、道?」
その回答は思わぬ所から聞こえてきた。
正に渦中の人である月詠が、自分達の行動が遠回しな手であると認知している……?
それどころか、『近道』等という上等なモノすら存在していると言う。
ならば何故、それを知っていながら遠回りだと理解している手段を────。
「そう、近道だ……ただ二人を死なせたくないだけなら、柊町から他所へ移してしまえばいいのだからな」
「…………ぁ」
────確かに。
確かに斉御司と月詠の言うとおりだ。
それは、とてもとても、簡単なことだった。
BETAが攻めて来ようが、そこに武と純夏がいなければ彼等の目的は達成される。
オーストラリアでもいい、アメリカでもいい。
そこへ守るべき対象を移してしまえばいいんだ。
イレギュラーな戦術機すら帝国に導いてみせた二人だ。
その気になれば、実現できるだろう。
彼等の有利が際立つ。
────だというのなら、何故それを理解していながらやらないんだ。
彼等は何を躊躇しているんだ?
「不破君。思い出してごらん」
「思い出すって────」
「正史にて、BETAの日本侵攻は第二帝都……東京直前で止まる。だけどBETAはね……軍に、力によって止められたんじゃない────『勝手』に、止まったんだ」
……そうだ。
俺の記憶でも、そうだ。BETAは軍に止められたんじゃない。
米国は既に撤退し、帝国軍も損耗が酷く、立て直しが出来ないという状況にまで追い込まれていた。
あのタイミングでBETAが進撃を選択していれば……日本全土が蹂躙されていたであろうことは誰の眼にも明らかだった。
米国の撤退の判断は、それが極めて高確率で実現する未来であると断定し、日本陥落を皮切りに起こるであろう第五計画への移行を予期してのモノだった。
だが米国の予測は外れ、事実としてBETAの軍勢は第二帝都────東京を目前にして原因不明の撤退を行った。
そう、"横浜"に撤退したんだ。
────何故?
「BETAは何故、止まったんだろうね」
そんな/理由。BETAが停滞した理由が。
「もし、柊町に武と純夏がいなくても……BETAは帝都前で止まったと思うかな」
まさか/戦力でも、時間でも、距離でも……偶然ですらもなく。
「BETAは1995年の段階で、既に人間に興味を抱いていた。歩兵級の生成に置ける人間の再利用がそれを顕著に物語っている。日本大侵攻において、研究対象である『サンプル』採集の優先度が高いとすれば?」
それは/ただ『欲しい物』があったからだとすれば────。
「────不破君。彼等が二人の移住に踏み出せないのは他でもない。白銀 武と鑑 純夏は……BETAの進撃を横浜で必ず停止させる、最終『絶対』防衛点と成り得る可能性が高いからだ」
横浜で死ぬのが……この世界の二人に課せられた『より良い未来の選択』……そういう因果に縛られているってことかよッ!?
「……BETAは柊町にて最高のサンプルを発見し、日本侵攻に置ける最優先事項を達成した。ならばそれ以上、無闇矢鱈に『未知の災害』である人類へと歩みを進めるのは愚策だと結論付けた────……と言ったところか」
沈黙で支配された格納庫の中、口火を切ったのは斉御司だった。
重苦しく息を吐きながら、霧山の推察に一切の否定をせず、同意を示す。
「先ずは、一つ目の不安の種は取り除けたよ。君達が利己的に保身を考えられる人間である事は不幸中の幸いだった。もし失敗した時、"他の誰か"に後を任せられる可能性を残す程度には、先見の明があったようで何よりだよ」
「……お褒めに預かり光栄だ。別に、ドゥームズデー・カルトに嵌っている破滅主義者という訳ではないのでな。目的遂行が不可能という状況に陥っても、その尻拭いを他所へと丸投げ出来る……此方としては願ったり叶ったりだ」
その会話に、違和感を覚えた。
武と純夏がBETAの侵攻目的に見合った存在である可能性が高いということは理解できた。
だが、何で……どうして。何故、斉御司達は全ての手を尽くさない。
彼等は最初に『武と純夏を救う』と言った。
ならば────。
「斉御司……俺はまだ納得できていない。戦力の増強をし、尚且つ二人を横浜から離すという手もあるはずだ……何故それをしない」
そう。彼等の目的が徹頭徹尾、二人の救済ならば……BETAの停滞は、二の次の筈だ。
BETAを止める為の戦力は彼等が既に用意した。だが、それが力及ばず、無駄になってしまったときの事を考えていないのは何故だ。
俺が提案する形になった二重の策なら、"保険"が出来る事になる。
これならBETAを横浜より西で止めるための戦力を編成しつつ、それでも最悪止まらなかった場合、日本全土が陥落しようとも絶対に二人を逃がすことが出来るんだ。
その後にでもオルタネイティヴ5で宇宙へと逃がせば、彼等の目的は達成出来る。
彼等の目論見通り、白銀 武と鑑 純夏は救われる……この星の未来という、大きすぎる犠牲を代償として。
「それは出来ない」
だが、俺の疑問は否定の言葉で返された。
「……何故だ」
「────仮に、だ。もし仮に、俺達が用意した補強戦力が無意味に終わり、BETAが止まらず、横浜から二人を離していた場合……極めて有力なBETA停滞条件を欠く事になる。そうなってしまえば、米軍が予見していた通りにBETAは日本全土を蹂躙するだろう。それは即、オルタネイティヴ5の台頭を許すことに繋がるからだ」
……そんな事は、解っている。
第四計画を誘致した国が陥落し、亡国となれば発言力の低下は免れない。
そうなれば強制的に第五計画へと移行してしまう可能性だって出てくる。
だが────。
「だが、どの道お前達は武と純夏を助けた後、第五計画で宇宙へと逃がすつもりなんだろう。 なら、地球の未来や環境なんて二の次の────」
「違うな、間違っているぞ」
「……間違いだって?」
何を惚けたことを……。
武と純夏が生存した先にあるのは、オルタネイティヴ4の失墜とオルタネイティヴ5の台頭だ。
「抑々だ。俺は一度足りとも、積極的に地球を放棄します……等とは宣言していないはずなんだがな」
「……っ」
馬鹿げた事を……遠回しにそう言っているも同然じゃないか。
まさか……白銀 武と鑑 純夏をオルタネイティヴ4に利用せずとも、オルタネイティヴ5の発動を阻止し、地球上のBETAを駆逐する青写真が出来ていると言いたいのか。
無理だ、絶対に。そんな機械仕掛けの神めいた采配は不可能だ。
それが出来るのならば、正史で彼女がやっているんだよ────……ッ!
「────お前は、香月夕呼にすら用意する事が出来なかった"最高の切り札"を持っているとでも言うのかよ……ッ?」
武と純夏の犠牲なくして、オルタネイティヴ4の完遂は有り得ない。
いや……その二人の犠牲が在ったというのにも関わらず、気の遠くなるほどのループを繰り返した末に漸く成功に至ったんだぞ。
それだけ勝ち目の薄い計画なんだ、オルタネイティヴ第四計画……この星に蔓延した絶望を払うのは……ッ!
その流れを覆す切り札なんて────。
「在るんだよ、不破 衛士。君には与り知らぬ事だろうが……在るんだ、切り札が。それは未だ俺達の手の内にはなく……しかも未完成というお粗末な物だが、な。そうだろう? 霧山 霧斗」
「────っ!?」
俺は驚愕を隠せず、隣に立つ少年へと振り返る。
どうして……何で、そこで霧山の名前が出る。
持っているのか。彼が、その切り札を。
「……ふむ。それは僕なら知っているだろう、と言いたいのかな。しかし"未完の切り札"、ね……僕には、やはり『XM3』を指す言葉にしか聞こえないけど」
斉御司の言葉に、特に取り乱した様子もなくそう返す霧山。
確かに……『XM3』の存在は人類の戦力の底上げに大きく貢献する。
斉御司達は、それを突破口に徐々に劣勢を覆していく事から、XM3を切り札と称している……?そう、だよな。
もしもXM3以上の切り札が存在しているのなら、霧山が彼等からの誘いを頑なに断る理由がない。
「XM3、ね……まあいい。話が逸れてしまった、謝罪する。不破 衛士……質問の回答だ。俺達は積極的な地球の放棄などは望んでいない……だが、二人を救いたくもある。それでいて、講じた手段の全てが無駄だったときの保険も欲しい……戦力の増強を行いながら、武と純夏をあの場から動かさないのは矛盾ではない。挑戦と、抵抗と、妥協と、譲歩を……限界まで織り交ぜた俺達なりの折衷案だ」
「……つまり、お前等は」
斉御司達の求める未来……それを手に入れる為の勝利条件は。
「この世界の白銀 武と鑑 純夏を救い、二人を"未だ見ぬ未来"を切り開く為の……新たな『御伽話』の象徴にするとでも言いたいのか……ッ!?」
「────あぁ。其の通りだ」
嘘だろ、と。
自分で問い質しておきながら思ってしまった。
今この世界を歪ませている異変の全てが、ただ武と純夏の二人を護るために起こされた……?
俺達が見た『御伽話』とは全く違う……"この世界の武と純夏"を中心とした、それでいて未知なる新たな『御伽話』を創造する為の、布石とする為に!?
「そんな……ッ」
それがどういうことか、理解できているのか。
途轍もなく強大な存在に挑むということなんだぞ。
人が企てた作戦や、計画なんていう計り知れる存在じゃない。
BETAという計れずとも眼に見えている敵性存在でもない。
お前等が相手取ろうとしているのは────それは世界の流れ其のモノだ。
『運命』と呼称していい存在なんだぞ。
そんな目にも見えない、絶対的なモノを相手取り、人類滅亡なんてリスクまで背負い込んで。
「無責任過ぎる……ッ。ループの起点を壊してまでやるべき事なのか? 今までが思い通りに行ったから、この先も同様に事が運ぶとでも思っているのか……ッ? そんな、夢物語のような事が……ッ!」
「だが、香月夕呼が"他所の世界の未来"で言っていただろう。そう、『ラプラスの悪魔はもう存在しない』。未来は不確定だ────お誂え向きに、俺達やお前達みたいなイレギュラーもいる……もしかすれば、そういう未来もあるかもしれんぞ」
「────……ッ!」
本気だ。
ハッタリなんかじゃない。直感でも理屈でも解る。
彼等は、本気で武と純夏をBETAから……いや、『運命』から護る心算でいる。
そして、死に至る運命から脱却した二人を、未だ見ぬ"新たな未来"を切り開く為の象徴とし、戦っていく気だ。
「……不破君、無駄だよ。止せ、と言って聞届けるようなタマじゃないんだ。いいさ、白銀 武と鑑 純夏を柊町に置き続ける……それさえ守るのならば、後は好きにすればいい」
「霧山、お前────」
「……此処まで来てしまえば……後はもう天秤がどちらに傾くか。それ次第だよ」
「それは……」
例え彼等に封殺され、妨害すら出来ないこの状況でも……横浜にさえ二人が居ればいい。
そう言いたいのか、霧山。
つまりBETAが止まるか、進むか。全てはそこに掛かっていると。
お前の言った『状況は"イーブン"だ』という言葉。その意味を、漸く理解出来た。
全ては運……どれだけ手を尽くそうとも、最後の最後で全てを決するのはBETA次第。
BETAのみぞ知る未来────。
「ああ……だからこそ、これだけは改めて言っておくよ。僕は君達に絶対に協力はしない」
「……残念です。貴方には将来的に『XM3』の早期提供を都合して頂きたかったのですが────」
「悪いね月詠さん……敵に塩を送れる程、人生に余裕がないんだ。どれだけ政治的な圧力を掛けてきても無駄だよ。そもそも『無い物』を提供するなんて出来ないからね」
霧山への協力要請は、それが主な狙いか。
『XM3』
搭載するだけで戦術機の性能を引き上げ、その真価を発揮させる……御伽話から零れ落ちた、魔法のような代物。
無量大数のループの先に、一人の若き英雄が聖母と共に創り上げた奇跡の産物。
霧山が『XM3』の提供を断ったことにより、彼等は劇的な戦力の底上げを望めなくなった。
天秤はまだ、どちらにも傾かない。
その瞬間まで、未来は解らない。
────ラプラスの悪魔はもういない。
「さて、誘いは断わられたが……これからどうする心算だ、霧山」
「どうもこうも、当初の予定通りさ。"正史"通りのオルタネイティヴ4完遂に挺身するだけだよ────君達の失敗を心底渇望しながら、ね」
「……残念だが、その望みは叶いそうにない。BETAは止まるからな」
「いいや、止まらない。BETAは二人を求めて突き進むだけだよ」
斉御司と言葉を交わしながら、踵を返す霧山。
もうここに用はないと言わんばかりに俺達に背を向け、唯一の光源となっている格納庫の出口へと歩みを進めて行く。
「斉御司君、月詠さん……どうか気張らずに事へと当たって下さい。例え失敗してもお構い無く。その時は『正史』通り────オルタネイティヴ4が、全てに片をつけますから」
逆光の中、此方に振り返らずに手を掲げ、挑発とも取れる台詞を残し……霧山がこの"密会"から立ち去った。
俺はただそれを黙って見送る事しか出来なかった。
「…………ま、こうなるか。あまり期待はしていなかったが」
「残念ですが、想定の範囲内です。しかしこれで不知火により注視せざるを得なくなりました。ここで転べば、戦力の大幅な底上げは望めません。やはり斯衛に───」
霧山が去るのを見届けた彼等は、暫しの静寂の後、今後についての予定を練り始めた。
俺が聞いているのもお構い無しなのは、俺に妨害行為が出来ないのを理解しているからだろう。
例えこれを聞いているのが霧山だとしても、彼等の『真っ当な国防』に口は出せない。
俺も、帰ろう。
此処にこれ以上いても、意味はない。
……俺の存在そのものに、もはや影響力がない。
既に状況は政治的な遣り取りに移行していた。
俺に権力はない。干渉する術が、ない。
だから、もう過程に対して何も出来ない。
そして、最後の最後で全てに決着を付けるのはBETA次第────つまり計り知れない『運命』次第といってもいい。
俺は……過程にも、結末へも、手を出せない。
だから────ここでドロップアウトだ。
「…………邪魔して悪かった。俺も帰るよ」
この『密会』は本来、彼等と霧山だけのモノだったはずだ。
突然の乱入で場を混乱させた事を侘び、俺も踵を返した。
「……お待ち下さい。貴方への要件が、まだ済んでいない」
月詠のその言葉に、思わず足を止めて振り返った。
────俺への、要件だと?
至って真面目な表情で、斉御司も月詠も此方を見ている。
冗談では……ないようだ。
だが、俺には霧山の様に彼等に差し出せるものはない。
斉御司達のように、帝国の上に食い込んでいるわけでもない。
放っておいても障害にすらならないような存在に……ただの一般人である俺に、何の用があるというんだ。
「いや何、要件というのは他でもない。遠路遥々、今日というこの日に此処へとやって来て俺達と巡り逢う……これも何かの縁だ。不破 衛士、俺達と一緒に来ないか」
「────なッ」
斉御司から飛び出した言葉に、俺は驚愕を禁じ得なかった。
勧誘……? まさか、それこそ冗談だろう。
俺は彼等にとって無価値も同然だ。
手助けなんて以ての外だ。
「……俺はお前等に何も提供できないんだぞ。そんな事ぐらい、解っているだろう」
「確かに、其方から此方へは何も提供出来ない、かもしれない。今はな。だが────此方から其方へは出来る。不破 衛士……"保険"が欲しくはないか?」
何……?
"保険"、だと?
「BETAを止めることに成功し、武と純夏が生き延びた先に……敗北が待っている可能性もある。オルタネイティヴ5の発動を止めることが出来なかった……そんな時、両親と一緒に宇宙へ逃げたくはないか?」
「ッ────それ、は」
「選りすぐられた10万と少し。脱出枠は、それだけしかない。だが、君の持つ『例の資格』は武器になるぞ。それを基点に俺達の元、今の段階から相応の環境で、相応の努力を積み重ねれば……優秀な人間であるという証明が出来れば……俺達も君を『枠』に捩じ込みやすくなる」
「……ッ!!」
揺れる。
心が揺れる。
最悪のカードを、切られた。
正に悪魔の囁きだった。
知ってるだろう、俺は。
これからこの国が、星が、地獄と化していくことを。
其れを見越した上で、そこから逃げていいと。
その為の道を用意すると。
目の前の悪魔は、天国への片道切符を呉れて遣ると言ったのだ。
「……『契約』しないか。俺達と一緒に来てくれれば、運命に挑んだその先に敗北が待っていようと……君と、御両親の脱出枠を、武や純夏と同じ優先度で確保すると誓う」
馬鹿な。所詮は、所詮は口約束だ。
守らなければいけない、なんていう絶対的な制約はない。
そもそも大前提として、事が上手く運べばという想定の上での提案だ。
彼等の思い通りに行く保証なんて、現段階では、ない。
『契約』を蹴ったところで、彼等の思惑が外れてしまえば────俺にデメリットはない。
だけど、それでも……思ってもいなかった、望外の待遇には違いない。
彼等との共闘の先に、敗北が待っていれば……ループによるやり直しは出来ない。
もしそうなった時……逃げることが出来る。地獄と化した地球から。
父さんと母さんと一緒に、遙かなる宇宙への旅路へと。
産んでもらった、育ててもらった義理もある。
一方で、あの人達の子供に、転生という形で"俺"のような異物が混じったという罪悪感もある。
そして何よりも……親愛を抱いている。
出来れば、平和な暮らしを送る事の出来る星へと送り込んであげたい。
それに俺自身……どこかで逃げたいと、思っているんじゃないか……?
────理性は、「抵抗」を囁いている。
運命に抗え、と。そう言っている。
武と純夏がBETAに殺されるという運命に抗い、新たな未来を切り開く為に彼等と共に闘う。
だが、もしも力及ばず、その先に敗北が在り……宇宙へと上がることになってしまえば……その時は、共に逃避行へと身を寄せる。
挑んだ先に待っているのが勝利だろうと、敗北だろうと、俺の安全は確保される。
彼等と共に行く。それは……その選択は、決して間違っている訳じゃないんじゃないか……?
「俺は……」
彼等の手を取ってしまっても……いいのではないか。
そう思ったとき、斉御司の差し出した右手へと、ほとんど無意識に俺の左手が伸びていった。
だが、その左手を、俺の右手が無意識に掴み止めた。
────本能が、「享受」を叫んでいる。
運命に従え、と。そう言っている。
彼等の語る未来は、夢物語だ。同調する等以ての外だ。
既知の『御伽話』を……二人の死を肯定し、最小の犠牲を以って世界を救う。
徹底したリスク回避の先に、最善の未来を掴む……「享受」こそが真の「抵抗」に繋がるのだと。
不破 衛士は……彼等と共に行くべきでは無いと。
「俺は────……」
掴む右腕が。掴まれた左腕が。
震えて軋んだ。
もう、自分を騙せそうにない。
死んでもいいなんて有り得ない。
仕方ないなんて有り得ない。
オルタネイティヴ5の遂行によって取り残される人達は、『その他大勢』でも『有象無象』なんかでもない。
オルタネイティヴ4の遂行によって生贄となる白銀 武と鑑 純夏は世界を救うための『舞台装置』なんかじゃない。
そんなことは解っていたのに……それでもBETAに殺されるなら仕方ないと、自分の無力を盾に自分を騙してきた。
だけどもう無理だ。
ああ、そうだ……俺は選んですらいなかった。
何かを切り捨てようとする事も、何かを救い上げようとする事も。
ただ時間に流されていただけで────。
けど、彼等は違った。
霧山は────悲劇のヒーローとヒロインを切り捨てて、大勢の人々と地球を救う『正史』に準ずるオルタネイティヴ4を完遂する道を選んだ。
斉御司と月詠は────悲劇のヒーローとヒロインを救い、ループの基点を壊し、『正史』を覆すためにオルタネイティヴ5へと抵触するリスクすら背負い、新たな未来を切り開く道を選んだ。
「……俺は────ッ!」
俺は、どうしたいんだ。
駄目だッ……頭の中が滅茶苦茶で……考えが纏まらない。
俺みたいなのが、それを選べる立場にあること自体が、間違いなんじゃないのか?
勝手に外から迷い込んだ俺が……そんな上から目線で、この世界の未来を選んでいいのか?
そもそも何で……何で、こんな事になった────?
マブラヴが好きで、A3揃えて、外伝網羅して、雑誌掻き集めて、メカ本出たのを喜んで買って読んで悦に浸って……戦術機に乗る事が出来ればなんて馬鹿なこと考えてたのが……何で、こんな事になって……────ッ。
クソ……何で"前世"なんて思い出す。
過ぎた事なんて……どうせ戻れない世界の事なんて、思い返しても意味はない。
参ってる証拠か。頭ん中が、相当煮え滾ってる。
だけど、それでも選ばないといけないんだ。
今此処で決めなきゃ、また今感じてる焦燥を忘却して、時間に流されていくかもしれない。
こんな宙にぶら下がった状態で、何時迄もいられないなんて解ってんのに……ッ!
「あの、不破……君。まだ、世界は分岐点に差し掛かっていません。不破君の御両親については今すぐには無理ですが、難民キャンプでのノウハウを蓄積してもらった後、東へ退避させるのは今の時点で決定しています。一先ず、落ち着いてください。まだ七年……七年あるんです。其れまでに、選んでくれればいいんですよ?」
「────……」
混乱してるのが気取られたのか。
見兼ねた月詠が、心配そうな表情で此方に優しげな声を掛けてくる。
────有り難い。
本当に、有り難かった。
今のその言葉で、かなり落ち着く事が出来た。
彼等は……そこまで先の事を企てているんだな。
霧山へのバトンタッチも考慮した上での選択だという訳か。
考えてみれば、それはとても理にかなっている。避難民を正史よりもより多く逃がす。
それに伴って、難民キャンプの運営に精通している人員もまた、より多く必要となる
偽善や自己満足ではなく、彼等にとっても求める結果への効率に直結しているから、その行動の信頼性の保証はされている。
足元に人々が大勢いる状況で、衛士達が全力で戦えるはずもない……そこにもメスを入れるのは、BETAを少しでも効率的に阻止したいのであれば必要不可欠な部分だ。
父さんや母さんが……難民対策局が、今年から実行に移す九州での難民キャンプ。
そこで培われた経験を、関東の方に持ち帰るのは初めから織り込み済みだった。
だったら、二人が大侵攻で逃げ遅れることはない。
死んだりしない。
そう思ったとき、心が一気に軽くなった。
頭もクリアになっていくのが解る。
自分が思ったより、両親が心の中を占めてるということなんだろうか。
思わず熱くなってしまっていた自分を恥じる。
尤も、冷静になれたところで直ぐに考えが纏まるというものではない。
しかし……自分が二つの何方かを判然と選べない理由は、理解出来た。
決定打と成り得る"立脚点"が、俺にはないんだ。
奇しくも12.5事件……クーデターの時、白銀 武が苦悩することになった立脚点……それが俺にも、ない。
因果導体の白銀 武とはまた『違う外』から来た自分。
正史を、未来を知っている自分。
武とは違い、ここ以外に帰る場所のない自分。
一般市民という立場に生まれ落ちた……『不破 衛士』という存在。
霧山のように、オルタネイティヴ4の近くに寄り添うように生まれた訳じゃない。
斯衛の二人のように、帝国の上に……『真っ当な国防』に干渉出来るような場所に生まれた訳でもない。
どちらからも、等しく離れている。
どちらへも、何某か思うところがある。
それ故にどちらにも偏らず、どちらにも手を伸ばすことを許されている。
自由意志によって其れを選ぶ事が、俺には出来る────。
「────ありがとう、月詠……さん。それと、ごめん……今は頭の中がこんがらがってて……正式な返事を返せそうに、ない」
謝罪する。
差し伸べられた手を、握り返すことも、振り払う事もしない優柔不断さを。
「ぃ、いえ!むしろ謝るのは此方です……内のバカ殿が、非道にも人質を取り、弱みから突き崩すような下衆な交渉をして申し訳ありません。よく言い聞かせておきます」
「ぅおい、バカ殿ってちょっと……月詠ぃ……お前なぁ……こういうのは交渉だと基本だろう。何故俺が怒られる……」
青が紅に、尻に敷かれているのか。
俺もだけど、複雑なんだな……お前等も。
「……月詠さんの言葉に、甘えさせて貰っていいかな。時間が欲しい……一年でいいんだ。その間に、必ずどちらかを選ぶから」
七年とは言えない。それはタイムリミットに差し掛かってる。
だから、一年……されど一年。これでも、貰い過ぎなぐらいだ。
今すぐにでも決めないといけない。そんな問題に、年単位の猶予期間を要求している。
情けない限りだが、自分にはこれぐらい必要だと思う。
自分の立場は、余りにも"普通"すぎるから。
「諒解しました。一年間、答えをお待ちします……私達の手を取るか、払うか。それは、貴方の自由です。自分で判断して、自分で決断してください」
「ごめん、ありがとう……斉御司も、それで納得してくれるか……?」
「ちょっと待て……何で月詠がさん付けで俺が呼び捨てだ。俺は五摂家だぞ。頭が高いぞ平民」
「……な、何?」
快く受け入れてくれた月詠さんに対し、渋い顔をしながら訳の解らない事を俺に向かって言ってくる斉御司。
凄くどうでもいいことで機嫌悪くなりやがった。
まさか身分や位を盾にしてくるとは……駄目だコイツ、器が小さい。
こんなヤツにさっきまで交渉で押されまくってたのか俺……。
「暁様……何ですかその、俺は親善大使なんだぞ、みたいな言い方は。底が知れるので、お願いですから自重してください」
「ぐぬぬ」
手も足もでないとはこう言う事か。
一言も言い返せずに、凹んでる。
…………だが、それが酷く不自然に見えた。
さっきまで圧倒的に優位に立ち、俺を追い詰めていた斉御司。
今、月詠さんに詰られている斉御司。
この乖離の激しい二面性……どちらが本当の彼だ。
彼は、彩雲を帝国に誘致した原動力のはずだ。
子供というハンデを背負って、現役の政治家や軍人と渡り合ってるはずなんだ。
横の繋がりがあるとは言え、並大抵のことじゃないんだぞ────。
やはり、演技や道化か……?
油断は禁物か……霧山は、斉御司にギリギリまでやり込まれてるんだ。
気を許していい相手じゃない。
……いや、今はそこまで警戒しなくてもいいか。
"まだ"味方になるか敵になるかも解らないからな。
何れにせよ……これで一年の猶予期間が出来た。
その間に、逃げずに選び抜かないといけない。
「じゃあ、今度こそ戻ります。両親と来てるから、そろそろ心配して探してそうで────」
「お待ちください、コレを」
そう言って丁寧に折り畳まれた紙を手渡された。
「私共の連絡先です。此度の返答や……よっぽどの緊急の用があれば、何時でもここに。信頼出来る人に通じるので、そこを一度通して頂きたい……色々と面倒事もあるので」
「解りました。何から何まで……助かります」
"貴方の自由です"
……月詠さんはそういった。
そうだと、俺も思う。
俺は自由だ。俺だけじゃない。
────白銀 武も、鑑 純夏も、自由なはずだ。
BETAという途轍もなく大きな脅威に狙われているかもしれない。
そんな残酷な因果に縛られていようとも……自由だ。
その前に何が立ちはだかろうとも。
立ちはだかった何かが、どれほど強大であろうとも。
────関係ない。
例え、それが『運命』や『宿命』なんて代物だとしても。
それに従うか、抗うか……自由なんだ。
「俺は、貴女達と敵対することになるかもしれない。それも、自由?」
「……ええ、自由です。私共も何故、此処にいるかは解りません。ですが、此処に生きている限り、自由です。本来死ぬべき者を救わんと……足掻くのもまた自由です」
「好きにするといい。確り考えたその上で自由に行動した結果、目的が擦れ違い対立したのなら仕方ない」
「────……」
俺はその答を聞いて、彼等に背を向ける。
今度は止められなかった。
降って湧いた、巡り逢い。
運命に抗うか、運命に従うか────それを突き付けられた。
今度こそ、目を背けられない。
一年だ。一年間……それを直視し続けろ。
「……選んでくれ、不破 衛士」
「願わくは、共に歩む未来があらんことを────」
背中を押すように、二人の声が響いてきた。
……ああ、言われなくても悩んで選ぶさ。
人類が必死で稼いでくれてる、貴重な時間の中で。
二人から離れて格納庫から外に出ると、強い日差しに目が眩んだ。
まるで場違いな世界から解放され、元の場所に戻ってきたような安心感。
殆ど無意識で、来た道を戻る。
ただ今は、空と海の交わる青を、無性に眺めたかった。
時間感覚が馬鹿になっている。天を見上げれば、日が高い。
どれほど歩いたのか……一般人が数多く目についた。
俺は知らぬ間に、立ち入り禁止区域から一般解放区まで戻ってきていた。
────酷い倦怠感が纏わり付く。
備え付けのベンチを探し、揺ら揺らと足を引きずりながら辿り着き、倒れこむように体重を預ける。
「はぁー……」
深く、深く、溜息を付いた。
我慢してきた精神的疲労をゆっくりと抜いていくように。
力なく顔を伏せながら、横目で海のほうを見ると人がまだ群がっていた。
それは、俺がこの港に来た時と何ら変りない風景だった。
ただ、一点を除いて。
「……アレは……」
視線を上げる。
その先には、戦術機母艦の上に悠々と立つ、鉄の巨人がいた。
────TSF-TYPE88/F-16J 彩雲────
頭部しか見えなかった時とは違い、母艦内のリフトが上がってその全身を日の下に晒していた。
中隊規模の彩雲が、群がる人々を見下ろしている。
「日本向けに、改修されてる」
遠目にも解った。
通常のF-16より、肩部装甲と下腿部が大きい。
日本で運用するに際し、耐久性の向上と稼働時間の延長の為、全長こそ変わらないが部分部分での大型化が施されている。
……この仕様、内装は発展途上だろうが、外装だけで言えば正史におけるブロック52/Dに相当する。
イニシャルコストは若干高くなるが、後々改装を必要に迫られる事を考え、ランニングコストを重視したのだろう。
十中八九、斉御司達の入れ知恵だ。
「……本気、なんだな」
あれは象徴だ。
決して場当たり的な思いで引き入れたモノではない。
戦って、戦い続けて、その先に武と純夏を救う。
そして救った後も戦い続ける。
もし救えなくても……それでも戦い続ける。
そんな思いを物語るように、あくまで長期的な運用を考えて改修された機体だ。
不知火が配備された後も、最前線で運用され続けていくのだろう。
現状における斉御司達が重ねてきた行動……その集大成だと言っていい。
「俺にも……」
彼等のように、何かを成すことが出来るんだろうか。
例えば、視線の先に立つ異端の戦術機のように。
何かを形にすることが出来るだろうか。
俺に、出来る事────。
そこまで考えたとき、頬にひんやりとした物が押し当てられた。
「つっっっめたっ!?」
みっともない悲鳴を上げて飛び上がり、ベンチから転がり落ちる。
だ、誰だ! いきなり人の顔に冷たい物押し付けやがったのはッ!
驚いた心臓が、凄まじい勢いで血液をポンプしている。
きっと心拍数は三桁の大台に乗っているだろう。
受身を取りながら、犯人らしき人影を睨みつける。
しかし、そこに立っていたのは────。
「や」
犯人が缶ジュースを両手に持ち、当たり前のように挨拶をしてきた。
「……お前……先に帰ったんじゃ」
思わぬ襲撃者は、俺よりも早くあの場から去ったはずの霧山 霧斗だった。