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No.12354の一覧
[0] ゼンドリック漂流記【DDO(D&Dエベロン)二次小説、チートあり】[逃げ男](2024/02/10 20:44)
[1] 1-1.コルソス村へようこそ![逃げ男](2010/01/31 15:29)
[2] 1-2.森のエルフ[逃げ男](2009/11/22 08:34)
[3] 1-3.夜の訪問者[逃げ男](2009/10/20 18:46)
[4] 1-4.戦いの後始末[逃げ男](2009/10/20 19:00)
[5] 1-5.村の掃除[逃げ男](2009/10/22 06:12)
[6] 1-6.ザ・ベトレイヤー(前編)[逃げ男](2009/12/01 15:51)
[7] 1-7.ザ・ベトレイヤー(後編)[逃げ男](2009/10/23 17:34)
[8] 1-8.村の外へ[逃げ男](2009/10/22 06:14)
[9] 1-9.ネクロマンサー・ドゥーム[逃げ男](2009/10/22 06:14)
[10] 1-10.サクリファイス[逃げ男](2009/10/12 10:13)
[11] 1-11.リデンプション[逃げ男](2009/10/16 18:43)
[12] 1-12.決戦前[逃げ男](2009/10/22 06:15)
[13] 1-13.ミザリー・ピーク[逃げ男](2013/02/26 20:18)
[14] 1-14.コルソスの雪解け[逃げ男](2009/11/22 08:35)
[16] 幕間1.ソウジャーン号[逃げ男](2009/12/06 21:40)
[17] 2-1.ストームリーチ[逃げ男](2015/02/04 22:19)
[18] 2-2.ボードリー・カータモン[逃げ男](2012/10/15 19:45)
[19] 2-3.コボルド・アソールト[逃げ男](2011/03/13 19:41)
[20] 2-4.キャプティヴ[逃げ男](2011/01/08 00:30)
[21] 2-5.インターミッション1[逃げ男](2010/12/27 21:52)
[22] 2-6.インターミッション2[逃げ男](2009/12/16 18:53)
[23] 2-7.イントロダクション[逃げ男](2010/01/31 22:05)
[24] 2-8.スチームトンネル[逃げ男](2011/02/13 14:00)
[25] 2-9.シール・オヴ・シャン・ト・コー [逃げ男](2012/01/05 23:14)
[26] 2-10.マイ・ホーム[逃げ男](2010/02/22 18:46)
[27] 3-1.塔の街:シャーン1[逃げ男](2010/06/06 14:16)
[28] 3-2.塔の街:シャーン2[逃げ男](2010/06/06 14:16)
[29] 3-3.塔の街:シャーン3[逃げ男](2012/09/16 22:15)
[30] 3-4.塔の街:シャーン4[逃げ男](2010/06/07 19:29)
[31] 3-5.塔の街:シャーン5[逃げ男](2010/07/24 10:57)
[32] 3-6.塔の街:シャーン6[逃げ男](2010/07/24 10:58)
[33] 3-7.塔の街:シャーン7[逃げ男](2011/02/13 14:01)
[34] 幕間2.ウェアハウス・ディストリクト[逃げ男](2012/11/27 17:20)
[35] 4-1.セルリアン・ヒル(前編)[逃げ男](2010/12/26 01:09)
[36] 4-2.セルリアン・ヒル(後編)[逃げ男](2011/02/13 14:08)
[37] 4-3.アーバン・ライフ1[逃げ男](2011/01/04 16:43)
[38] 4-4.アーバン・ライフ2[逃げ男](2012/11/27 17:30)
[39] 4-5.アーバン・ライフ3[逃げ男](2011/02/22 20:45)
[40] 4-6.アーバン・ライフ4[逃げ男](2011/02/01 21:15)
[41] 4-7.アーバン・ライフ5[逃げ男](2011/03/13 19:43)
[42] 4-8.アーバン・ライフ6[逃げ男](2011/03/29 22:22)
[43] 4-9.アーバン・ライフ7[逃げ男](2015/02/04 22:18)
[44] 幕間3.バウンティ・ハンター[逃げ男](2013/08/05 20:24)
[45] 5-1.ジョラスコ・レストホールド[逃げ男](2011/09/04 19:33)
[46] 5-2.ジャングル[逃げ男](2011/09/11 21:18)
[47] 5-3.レッドウィロー・ルーイン1[逃げ男](2011/09/25 19:26)
[48] 5-4.レッドウィロー・ルーイン2[逃げ男](2011/10/01 23:07)
[49] 5-5.レッドウィロー・ルーイン3[逃げ男](2011/10/07 21:42)
[50] 5-6.ストームクリーヴ・アウトポスト1[逃げ男](2011/12/24 23:16)
[51] 5-7.ストームクリーヴ・アウトポスト2[逃げ男](2012/01/16 22:12)
[52] 5-8.ストームクリーヴ・アウトポスト3[逃げ男](2012/03/06 19:52)
[53] 5-9.ストームクリーヴ・アウトポスト4[逃げ男](2012/01/30 23:40)
[54] 5-10.ストームクリーヴ・アウトポスト5[逃げ男](2012/02/19 19:08)
[55] 5-11.ストームクリーヴ・アウトポスト6[逃げ男](2012/04/09 19:50)
[56] 5-12.ストームクリーヴ・アウトポスト7[逃げ男](2012/04/11 22:46)
[57] 幕間4.エルフの血脈1[逃げ男](2013/01/08 19:23)
[58] 幕間4.エルフの血脈2[逃げ男](2013/01/08 19:24)
[59] 幕間4.エルフの血脈3[逃げ男](2013/01/08 19:26)
[60] 幕間5.ボーイズ・ウィル・ビー[逃げ男](2013/01/08 19:28)
[61] 6-1.パイレーツ[逃げ男](2013/01/08 19:29)
[62] 6-2.スマグラー・ウェアハウス[逃げ男](2013/01/06 21:10)
[63] 6-3.ハイディング・イン・ザ・プレイン・サイト[逃げ男](2013/02/17 09:20)
[64] 6-4.タイタン・アウェイク[逃げ男](2013/02/27 06:18)
[65] 6-5.ディプロマシー[逃げ男](2013/02/27 06:17)
[66] 6-6.シックス・テンタクルズ[逃げ男](2013/02/27 06:44)
[67] 6-7.ディフェンシブ・ファイティング[逃げ男](2013/05/17 22:15)
[68] 6-8.ブリング・ミー・ザ・ヘッド・オヴ・ゴーラ・ファン![逃げ男](2013/07/16 22:29)
[69] 6-9.トワイライト・フォージ[逃げ男](2013/08/05 20:24)
[70] 6-10.ナイトメア(前編)[逃げ男](2013/08/04 06:03)
[71] 6-11.ナイトメア(後編)[逃げ男](2013/08/19 23:02)
[72] 幕間6.トライアンファント[逃げ男](2020/12/30 21:30)
[73] 7-1. オールド・アーカイブ[逃げ男](2015/01/03 17:13)
[74] 7-2. デレーラ・グレイブヤード[逃げ男](2015/01/25 18:43)
[75] 7-3. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 1st Night[逃げ男](2021/01/01 01:09)
[76] 7-4. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 2nd Day[逃げ男](2021/01/01 01:09)
[77] 7-5. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 3rd Night[逃げ男](2021/01/01 01:10)
[78] 7-6. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 4th Night[逃げ男](2021/01/01 01:11)
[79] 7-7. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 5th Night[逃げ男](2022/12/31 22:52)
[80] 7-8. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 6th Night[逃げ男](2024/02/10 20:49)
[81] キャラクターシート[逃げ男](2014/06/27 21:23)
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[12354] 6-11.ナイトメア(後編)
Name: 逃げ男◆b08ee441 ID:e6fdff55 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/08/19 23:02
トーリを抱えたマインド・フレイヤーへとエレミアが刃を構え、疾駆する。その踏み込みは目にも留まらず、たなびく金糸のみが残像として残るのみ。だがその刃が振り下ろされる直前、イスサランの姿は消失した。


「上だ!」


エレミアをフォローするように舞っていたスローイングナイフの群れが、そのラピスの声と共に上空へと加速する。しかしその短剣群舞は見えざる壁にぶつかったかのように散らされていく。超能力により張り巡らされた《イナーシャル・アーマー》が鉄壁としてマインド・フレイヤー自身を護っているのだ。脱力したように指一本動かさないトーリを片手に、残った腕で銀に輝くグレートソードをだらりと下げたまま宙に浮かぶ異形の首魁は喜悦の感情を放っている。

先ほどのウォーフォージド・タイタンが変成する際に飲み込まれたかのように見えたのは《フィション》による複製体だったのだろう。そして本体はどこからかで戦いを観戦しており、戦闘が終わったと判断したトーリの心理的な隙を奇襲したのだ。黒いローブをその念波によってはためかせ、マインド・フレイヤーは笑い声を上げる。ローブの中央に銀糸で編みこまれた連なる逆さピラミッドが、異形の信仰を受けて微かな煌めきを返した。それを見上げる形となった者たちは高速で念話を交わしながらもその姿から視線を逸らさない。


──今の奴の動きは何だ? トーリに攻撃を加えた時と言い、直前まで一切前兆を感じなかった。

  瞬間移動ではない、とすればあれも何かの超能力のパワーなのか?


エレミアの問いに、メイが答える。一般的な秘術や信仰といった呪文体系とは異なるサイオニックという超能力について知るものは限られているのだ。トーリが敵の手に落ちた今、それを知るのはシャーンの地下にてその異能に接したメイのみ。彼女は先ほどの現象を自身の持つサイオニック知識に照らし合わせ、推論を伝える。


──おそらくは《テンポラル・アクセラレイション/時間流加速》と呼ばれるパワーでしょう。自身の時間の流れを一時的に加速させる能力です。

  時間流の異なる他の意志ある生物へ影響を与えることは出来ませんので攻撃には転用できないと思いますが、移動には有用です。

  ですがトーリさんにしたように移動直後に時間流を戻して攻撃をすることは可能ですし、楽観視はできません。

  直前の攻撃動作に注意すれば不意を突かれる可能性はなくせるはずですが──問題はトーリさんへ行われた攻撃です。

  《ディスジャンクション/魔法解体》は第九階梯の秘術呪文、それを行使することで魔法の加護を全て砕き、

  そこに《マイクロコズム/内宇宙への放逐》という強力な精神作用を引き起こすパワーを使用しています。

  相手は最上級の秘術呪文と超能力を極めた魔人です。技量も継戦能力も瞬間火力も相手が上と見ていいでしょう。


──そんなことはいい。それよりもその《マイクロコズム》ってのは何だ?

  一刺しされたくらいでくたばる奴じゃない、それが一瞬でまるで紐の切れた操り人形みたいな有様だ。あれでまだ生きているのか?


──精神に作用して、知覚を現実世界から切り離すパワーです。いまトーリさんの五感はすべて捏造された心象世界へ隔離されています。

  その切り離しが行われた時点でパワーは終了していますので解呪は出来ません。放置しておけば死亡するまで衰弱していくだけです。

  治療する手段は再度《マイクロコズム》の対象とするか、最高位の司祭による《ミラクル/神の奇跡》等で精神の混線を取り除くしかありません。


──それは私に任せてほしい。でもそのためには、あのマインド・フレイヤーから彼を取り戻す必要がある。

  触れなければ念威の障壁に阻まれて干渉することは出来ない。


絶望的なメイの返答に対し、ルーが告げた。コーヴェアの文明世界ではシルヴァー・フレイム教会の最高指導者、"炎の護り手"ジャエラ・ダランがその神域内でのみ行使可能といわれる神の奇跡と同等の行為を可能であると言ったのだ。だが仲間たちは今更その程度のことで驚くようなことはない。彼女たち自身もその階梯の一歩前までは至っているという自信がある。ならば自分たちの先に立っているこの少女がそれを為した所で当然のことだと考えているのだ。そして真っ先に動き始めたのは最速を誇るライカンスロープの少女だった。


──成程。アイツをぶち殺してしまえば問題解決ってわけか、話が早い。


ラピスが宙を疾駆する。先ほどのエレミアよりも速く、さらに影と一体化したかのような気配は近づかれる側の距離感を狂わせる技巧が織り交ぜられている。そして一気に詰め寄った彼女が繰り出したのは《魔法的防御貫通》による一撃。例えどれだけ強固な護りをしていようと、あらゆる呪文やパワーの効果を打ち消す解呪の一撃を受ければその全ては無に帰す。この一撃で倒すことは出来なくとも、続く仲間の攻撃でこのマインド・フレイヤーを倒せればそれで良い。予知に近い知覚も視界を捻じ曲げるほどの反発の力場も無効化して、黒塗りの刃がマインド・フレイヤーへと突き立つ。


──手応え有り!


急所でこそないものの、そのローブを貫いて体深くにショートソードを突き刺さしたラピスは自らの攻撃の成功を確信した。突き刺さった刃はその犠牲者に付与された秘術的・超能力的パワーを乱し霧散させる。どれだけ強力な術者であろうとも、《魔道師退治》の専門家である彼女の接近を許せばあとは呆気ないものだ。この攻撃ではマジックアイテムによる守りを無効化することは出来ないが、このマインド・フレイヤーのトーリに匹敵する鉄壁の守護の大部分はその強力なサイオニック・パワーによるものだ。後は続く仲間達に任せればいい。

だがその刃を引き抜いた直後、再びマインド・フレイヤーを中心に暴力的な強度の防護呪文が展開された。その強度は直前までとなんら変わりない。さらに驚くべきことに先ほどの攻撃で与えたはずの傷さえなく、黒いローブに付着していた血液の痕跡すら残っていない。


「ふむ、ダイア・キャットのライカンスロープの脳は未だ味わったことがなかったか──珍味であろうな」


脳喰らいの触手が、驚きに体を固めたラピスの頭部へ巻き付こうと蠢動する。攻防の双方に展開された《プレコグニション》がラピスの退路を断つように触手を誘導し、彼女を拘束する。付与されていたはずの《フリーダム・オヴ・ムーブメント》は《シズム》によって分割された思考から放たれたパワーにより解呪されており、その機敏さは予知に上回られ、彼女は逃れる術を失っていたのだ。


「ラピスちゃん!」


メイが《ディメンジョン・シャッフル》でラピスとフィアの位置を入れ替える。体躯の違いからかライカンスロープを捕えていた触手はドラウの少女に触れることなく宙を掴み、対してフィアの放った斬撃はマインド・フレイヤーを捕えた。それは先ほどラピスの放ったと同様の《魔法的防御貫通》──だが同じ事象が繰り返し、霧散したはずのパワーは時間を巻き戻したかのように再構築される。


──《テンポラル・リーイタレイション》で自分を数秒巻き戻しています。

  《魔法的防護貫通》と同時に攻撃を加えなければ時間を遡ることで無かったことにされてしまいます……!


──了解。僕とフィアで先行する。エレミアは止めを頼む、タイミングを合わせるんだ!


イスサランのパワーを看破したメイの念話を聞き、前衛の3人が再び宙を駆ける。だがマインド・フレイヤーはその初動を制するように動き出す。もっとも近くにいたドラウの少女へとその銀の大剣を振り下ろしたのだ。圧倒的な予知精度に支えられ、最適化された斬撃線はフィアの回避行動を全て網羅し、さらには受けに使用されたショートソードをすり抜けるように少女の体へと斬りこんだ。

肩の正面から入り込んだ剣先は背中をも切り裂きながら少女の心臓を狙う。フィアは咄嗟に体を捻ったが、銀光は彼女の肺を切り裂いて下へと抜ける。その刃が通った部位だけでなく、周辺の臓器すらも食い破って赤い花が咲く。掠めただけの部位すらも重傷を与えうるほどに、剣自体のみならずその周囲の空間すら切り裂くほどの念威が込められているのだ。

だが即死でなければ、彼女の信仰心から発される癒しの力が即座にその体を癒す。間合いの中にマインド・フレイヤーが留まったこの瞬間こそが、逆に好機となる──だが耐えきったと思ったその直後、その細い首から鮮血が迸る。《ヴォーパル/首刎ね》と呼ばれる、現代ではすでに製法の失われた凶悪な剣の異能が彼女を撃ったのだ。頭部を切り離すというその単純にして強烈な効果はドラウの少女の命を即座に刈り取った。

そしてその攻撃の直後、すでにイスサランの姿はそこにない。自らの時間流を加速させ、その場を離脱したのだ。一足の距離からは程遠い間合いを確保してイスサランは元の時間の流れへと帰還する。再び正常な刻みを取り戻した時間の中で、鮮血を撒き散らしながらドラウの少女が首と胴に分かれて墜落していく。


「ここまでの戦力がこの日、この場所に集っていてくれて私は大変嬉しく思う。

 過去この地を訪れたデルキール達も、これほどの素材に巡り合うことは無かっただろう!

 この運命の巡り会わせを、偉大なる我が神に感謝せねば!」


マインド・フレイヤーの喜びの思念が、異界と化した"トワイライト・フォージ"の深淵に響き渡る。時間すら望むままに歪める狂気の使徒が、その歪な感情を振りまいてその牙を剥いて彼女たちに襲いかかった。








ゼンドリック漂流記

6-11.ナイトメア(後編)








そは万物の狭間に横たう空間。
そはあらゆる次元に通づる道なり。
そは汝が何処にも在らざる時に在る場所なり。


澄み切った銀色の空が広がる果てしない世界。大きな管状の雲が遠方でゆっくりと渦を巻き、そのいくつかは入道雲のように見えるものがあれば、灰色の風巻く竜巻のように見えるものもある。

そんな無限の空に漂う船団があった。全長30メートルほどのキールボートが、集団となってこのアストラル界を旅している。複数の船が連結し、居住区画となったその船団の周囲を自由に動き回る単艦の船たちが動き回っている。大地の存在しないこの次元界においては何者もが流浪の民なのだ。時に遭遇する他の次元界からの来訪者や原住のクリーチャーを備え付けられたバリスタや衝角で、または正甲板を担当する乗組員が投射する秘術などの攻撃で打ち倒し、あるいは別の船団と交流して交易を行う。

そうやって自然的な時間の流れを有さないアストラル界においても無限と思えるような時間が過ぎ去った後、その船団は前方に巨大な物体を発見する。いちめんが腐植土と苔に覆われた巨大な土くれの塊。数十キロにも及ぶその発見物──"大地"は彼ら流浪の民の生活に革新をもたらした。無重力のアストラル界において局所的に重力を有し、堅牢で建築物の土台と成りえるそれは彼らに初めて確固たる拠点を持つことを可能にしたのだ。

数多の同族がそこに集結し、共同体は肥大化していった。やがてそこは10万を超える住人を抱える大都市となり、偉大な宗教的指導者である"女王"の元に国家が建設される。過酷な生活に由来する気質は定住によっても変化することなく、日常を訓練と戦闘に費やす軍国主義はアストラル界においてその勢力を拡大し、同じような漂流物を核とした都市、城塞、砦がいくつも築かれていった。

だがその千年王国はやがて潰える。始まりは女王が"大地"に眠る強大なパワーに目を付けたことだった。彼女らが足場としていたのは"死せる神格"の肉体であると考えられていた──だが、実際にはそれは死んでなどいなかったのだ。当時すでにリッチとなり一定以上の強者となった同胞の精髄を貪り食い、競争相手を排除すると同時に永遠の命を得ていた女王はその深淵に眠る神のエッセンスを利用することで自らが神格への階を上ろうと画策したのだ。

しかしその野望は半ばにて潰える。若き英雄が銀の大剣を振るい、仲間を率いて女王を討ったのだ。しかし首だけとなった不死の女王は滅びの間際に呪詛を放つ。それは昇神のための儀式によって接続されていた回路を通じて"大地"へと流れ込み──眠れる神格を蘇らせた。そして万物にとって不幸だったのは、その神が最も古く、そして最も狂った神であったということだろう。

狂える神は未だ眠りについていたが、その状態で放たれた精神波はその体表に存在する都市すべてに影響した。狂気の夢の中で揺蕩う神の思考の揺らぎに応じるように物理法則が歪み、住人の肉体を含めたあらゆる存在が歪んでいく。赤子を抱いている腕は癒着し、あるいは掌に生まれた口が柔らかなその肌を食い荒らす。瞬きするたびに眼は分裂し、収まりきらなくなり溢れた眼球が零れ落ちて割れる。その血と体液のスープからはいずことも知れぬ空間に繋がった口が生まれ共食いを始める。豪奢な王宮を含めたすべての構造物は石か灰へと転じ、耳にする音はすべて悲鳴か狂気に満ちた笑い声のようだ。

その変異は果たしてどれだけの間続いたのだろうか──永遠に続く狂気の抱擁によって肉体が変質してもなお生き延びたのは千に一人に満たないほどの割合であった。似通った姿をしたものは一人とていない、異形の生命体群。そしてそれらはこの都市の上ではお互いが融合し、新たな形質を得て分裂するように増殖していく。やがてその狂気は伝染するようにアストラル界を伝播し、周囲の都市、城塞を巻き込んでいく。


──そう、これが我らが故郷"ゾリアット"の始まり。


脳裏に響いたのは聴き馴染んだ脳喰らいの声だ。若き英雄はその類まれな生命力から命を長らえ、触手の生えた異形へと転じていた。やがて近しい分裂体との融合で生まれた"幼生体"による増殖が可能となったその種は、かつての生活に戻るように船に乗りアストラルの海へと乗り出していった。

狂気の伝播から免れたかつての同胞を捕えては奴隷とし、あるいは幼生体の苗床とし、またあるいは食料として食い散らかした。寿命で、または戦場で倒れた同種の脳を秘術的に結合し〈長老脳/エルダー・ブレイン〉と呼ばれる存在へ生まれ変わらせ、生活の核としたその存在こそがマインド・フレイヤー。アストラル界を蹂躙する無慈悲な脳喰らい達。

彼らはかつての同胞達との争いの中でその勢力を拡大し、やがてアストラル界の渦を通じて別の次元界を見出す。それは夢の次元界。そして狂気の神の感覚器の一つである彼らが発見した渦を通じて、夢へ狂気がなだれ込んだ。


──狂気の神の意識はやがて『夢の領域』へと感染し、その相を悪夢へと転じさせた。


黄昏特有の薄い紫色に包まれた世界が、闇よりもなお深い黒に塗り潰されていく。多くの住民が逃げ出そうとするが、逃げ場所となる別の次元界からの抵抗は激しくその大部分は脱出が間に合わず狂気に飲み込まれていった。そして変質した住人達はその直前まで抱いていた欲求のままに、隣り合う次元界──物質界へと雪崩れ込もうとする。そしてその住人との間で戦争が勃発した。激しい戦いは物質界の住人が放った大魔法──"リーヴァーズ・ベイン"によって軌道が歪められ、『悪夢の領域』が物質界より遥か遠方へと弾き飛ばされるまで続いた。

それにより戦争は終わった──だが、狂える神はその悪夢を通じて物質界へと触れたことでその意識を取り戻し覚醒した。そしてついに目覚めた神は自らの肉体を動かし、物質界──エベロンへと侵攻を開始した。自らの感覚器を端末として送り込み、世界を蹂躙する。


──そして神の御手はついにこの世界へと触れる。


その触覚が触れた物質は石と化し、
その視覚が映した生命はその姿を歪め、
その嗅覚が嗅いだ匂いは万物を腐食させ、
その聴覚が聞いた音は精神を狂わす旋律となり、
その味覚はあらゆる存在を喰らいつくそうとした──


それは受容器であるはずの五感が、逆に世界を捻じ曲げていくという狂気の侵攻。神の一側面を司る感覚器達はその本体が司る権能を存分に発揮した。さらに顕現地帯を通じてゾリアットの中心部で変異を繰り返していた異形の種子がばら撒かれ、それらは現地の生命体と結合して新たな花を咲かせる。そして感覚器によって歪められた生命体として、現地の生物を粘土をこねるようにして混ぜ合わされたドルグリムやドルガントといった新たな異形達が地上を埋め尽くしていく。

当時コーヴェア大陸を支配していたダカーン帝国の英雄たちがその力を結集し、ナイン・ソードと謳われた武技の使い手たちが戦争で多数の異形の王を打ち破るも、彼らが殺す勢いよりも新たな異形が生まれる速度のほうが速かった。大陸西部は食い破られ、住人は生きながらにして異形へと変貌させられていく。最終的に彼らは乾坤一擲の作戦として神の化身達を地下世界"カイバー"へと誘い込み、その間にゾリアットとエベロンの繋がる顕現地帯をオークの秘術の助けによって封印することで侵略を防いだ。だがその戦いからナイン・ソード達は戻ることなく、荒廃した国土を抱え軍閥の長を失ったダカーン帝国は衰退していく──

そして感覚器からの情報が遮断されたことで再び神は眠りについていた。だがそれはかつてのように深く長いものではない。半覚醒のまま、夢の領域に留まるその意識は今もなおエベロンにその魔の手を伸ばしている。なんらかの強い刺激があれば神は再び目覚め、その肉体を動かし始めるだろう。エベロン側に設けられた顕現地帯の封印は容易く弾け飛び、異形の軍勢が世界を蹂躙する。そして1万年の間、カイバーで自らの眷属を増やしていた異形の王や神の感覚器──デルキール達も地上へと溢れかえってくるだろう。


──そしてその時は間もなく訪れる。


脳喰らいの声と共に、視界が切り替わる。異形の軍勢が地上を満たすおぞましい未来から、現在の"トワイライト・フォージ"の奥の間へ。俺の体を肩に担いだままのイスサランが、銀の大剣を振るって仲間達を切り刻んでいる。負傷や解呪を受けても自分の時間を巻き戻すことで無かったことにし、自身は隙あらば《ディスジャンクション》で全ての魔法効果を破壊したのちにサイオニックか剣によって攻撃を加える。《ヴォーパル/首刎ね》が付与されたそのグレートソードはどれほどの呪文で身を護っていても一撃で命を刈り取ってしまうだろうし、《ディスジャンクション》によって精神作用への耐性を削がれてしまえば圧倒的な精神力から放たれる超能力に抵抗することは出来ない──まさにエグザルフの位階に相応しい、一方的な戦いぶりである。


──あの素晴らしい素体達から抽出したエッセンスを注ぎ、私がお前を完全な存在に昇華させよう。

──"ブレード・オヴ・ラグナロク"からは万物を死の宿命に至らしめる斬撃を。

──"ミスティック・シャドウ"からはその幸運と神秘を。

──"デミゴッド"からは神格に至る霊格の火花を。

──"エターナル・ヒーロー"からは永劫に回帰する不死性を。

──そして"チョウズン"からはその宿った神の欠片を引きずり出し、ゾリアットをこのエベロンへと繋ぐ階としよう。


仲間達が骸となって倒れ伏し、その中央へイスサランが舞い降りる。そして視界は沈み、"トワイライト・フォージ"を抜けてエベロンを見下ろす空の高みより落下を続け、地表を貫き地底世界へと進んでいく。次元界の海からエベロンを見下ろした際に感じた厚みを越えてなお続く地底の世界の連なりは無限に連なる奈落を思わせる。そのうちいくつかの層には支配者が蒼い炎に絡まれながらも君臨し、地上に現れる機会を窺っている──


──カイバーに眠る邪魔者共を駆逐し、地底竜が飲み込んだ"究極の一"をこの手に収め、世界を終わらせるのだ──


そこに封じられたどんなクリーチャー達もが立ち入ったことがないほどの地底の奥底。呪縛をその性質とする始原3竜の1柱、カイバーの心臓に位置する究極の深淵、そこにそれは存在した。赤であり、青であり、白であり、緑であり、橙であり──万色であるが故に黒い光を放つもの。欺きであり、憤怒であり、狂気であり、苦痛であり、傲慢であり、強欲であり、憎悪であり、堕落であり、破壊であり、腐敗であり、あらゆるデーモンとデヴィルの苗床であるもの──"シャード・オヴ・ピュア・イヴィル"


「まさか──お前の神は!」


──然り。


タリズダン。
俺の問いかけに即座にイスサランの念が応えた。"鎖に縛られた神"、"古き元素の目"と渾名されるその神は、別の宇宙観世界においてその罪から暗黒の次元牢獄へと封じられたはずだ。他の全ての神を敵に回して策謀を巡らし、敗れて封じられた"狂える神"。その神が"悪の欠片"を再び手にすれば、世界は絞りつくされるようにして消滅するだろうと言われている、生きとし生ける存在にとっての仇敵。それが『狂気の領域:ゾリアット』の正体であり、イスサランの仕える神であると。つまりこの脳喰らいの目的は、この世界そのものの消滅ということになる──。


──生ある限り蓄積していく狂気はやがて肉体に宿る精神を歪めていき、心を歪曲する。

  だがこの世全ての生命に課せられたその宿命から、捕われし全ての存在を解放しよう。

  世界そのものを破壊するのだ!

  全てを終わらせることこそが唯一、この悪と狂気に満たされた世界より解き放たれる術なのだ。


いつの間にか俺の周囲を囲むように3体に分裂したイスサランが立っていた。強烈な思念波がそれぞれから発され、その只中に仰向けに倒れた俺はまるで物理的に押しつぶされそうな圧力を感じる。だが抵抗しようにも永劫に思えるほどの狂気を追体験させられた体にはまるで力が入らない。自分の輪郭が溶け出してしまったかのようだ。果たしてこれは俺の腕であったか? 指は元は何本だった? 左右は思った通りに反応するか? そもそも、目に映る色彩はこんなものだったか? 


──さあ、私にその身を委ねるが良い。あるべき姿、あるべき力を取り戻すのだ。


イスサランの生やす触手が撓めき、その奥に覗くヤツメウナギのような口が露わになる。ヴォイド・マインド化──いや、もっとおぞましい気配を彼らからは感じる。だが四肢には力が入らず、満足に動くことも敵わない──いや、それは本当か? 心臓の鼓動は感じるか? 指先が動かないのであれば掌はどうか? 肘は曲がるか? 上腕はどうだ? 肩は回るか?──動く!


「付き合って、られるかよ!」


仰向けの状態から、肩だけを動かして転がるように移動。すると徐々に自分の体に意識が染み渡るような感覚があり、腹から腰、足へと感覚が繋がっていく。転がった勢いのまま立ち上がり、距離を取ってマインド・フレイヤーへと向き直る。


──まだ抵抗する力を残しているか。狂気を味わい足りぬようだな。


三対の視線が俺を捕えるや否や、タイタンの攻撃を受けても揺るぎもしなかった"トワイライト・フォージ"の床面が俺の足元から解けるようにして崩れると触手となって俺へと伸びてくる。床だけではない。壁や柱といった構造物すべてが解けるようにして触手となり俺へと伸びるその様子は邪悪な原生林だ。あるものは牙や口、あるものは眼球をその表面に散りばめた異形の束縛となって俺へと向かいくる。

切り払おうと腰の剣を抜こうと手をやると、ぬちゃりとした粘液質の手応えが返る。慌てて鞘ごと放り出した武器は見る間に巨大な口をはやした蚯蚓のような姿へと転じ、触手に絡めとられて視界の外へと消えていく。いや、武器だけではない。羽織っているグラブやローブ、レイメントすらも生きているかのように騒めき、不快な感覚が全身を包もうとしている。その違和感に足を止めた俺へと触手が殺到した。

首までを締め上げるように覆い尽くした触手が俺を持ち上げ、イスサランの前へ突き出すように俺を運ぶ。そうしている間も、四肢の指先から徐々に感覚が削られていくのが判る。そこに痛みはない。むしろ甘い感覚が思考を鈍らせる。例えるならば窮屈な空間から大海に放り込まれたかのような解放感と一体感。そこから伝わる感覚は既にないはずなのに、向こう側へいった自分の欠片が挙げる喜びの喝采が聞こえてくるかのようだ。


──逃げ場はないぞ、受け入れるのだ。それが調和。万物を一つとし、最後には無へと帰す──


3体のマインド・フレイヤーからの声が周囲から押し包むように俺を圧迫する。四肢はもはやピクリとも動かず、残る体も徐々に感覚が薄れていっているにも関わらず頭部だけは異常が見られないのはイスサランの温情か、それともこちらの精神を侵食するために五感を残しているためか。だがいずれにせよ、口が動くのであれば言う事は一つだ。


「もう一度言うぜ──お断りだ、タコ野郎。人間がお前の足元に這いつくばると思ったら大間違いだ」


再び拒絶の言葉を叩き付け、少しでも力が通う体の部分を動かしそこから返ってくる感覚の反応を頼りに自我の境界線を引き直す。それは自分の体だけに留まらない。身に着けている装備や絡みつく触手、それらのマヤカシ全てを打ち払い、マインド・フレイヤーと相対する。


──驚くべき精神力だな。だが無意味だ。抵抗は苦しみを長引かせるだけに過ぎぬ。我が支配からは逃れられぬぞ──


あくまで余裕の姿勢を崩さないイスサランだが、こちらも自分の状況を把握している以上抵抗をやめる気などさらさらない。《マイクロコズム》は確かに五感を遮断し、イスサランの創り出した幻想世界に俺を取り込む恐るべきパワーだ。だがそれを俺がそうであると認識できている以上、偽りの感覚で俺の心を折ることなどそうそう出来はしない──そう、俺は五感以外の手段で自分のステータスを確認することが出来るのだから。

レベルアップ作業以外にも閲覧しているキャラクター画面は、様々なデータを伴っている。戦闘ログこそないものの、自分の状態を大雑把に確認するには十分だ。直前に《ディスジャンクション》の呪文で全ての付与呪文が破壊されたことで現実世界でどれほどの時間が経過したのかは解らない。だが現実の肉体が衰弱死しておらず、疲労状態にも陥っていない以上何時間も経過していないことは間違いない。

だが五感の入出力すべてをマインド・フレイヤーに制御された状態でどれだけ抵抗を続けられるかは正直わからない。それにこの仮想空間の時間の流れすら通常と異なるであろうことは明らかだ。先ほど俺はアストラル界を旅するギスの一団が狂気に囚われ、このエベロンを訪れるまでの歴史を追体験させられた。体感時間的にはそれは何万年もの期間に相当するだろう。だが現実の時間は下手をすれば数秒しか経過していないこともあり得るのだ。

であるからには仲間の助けを待つだけでなく、自分に出来ることを探さなければならない。そもそもこのイスサランは、カイバーに封印されたオーヴァーロード達を除けば最も強大といえる悪のエグザルフ、しかもオーヴァーロードではなく実際に神に仕えているという意味ではその中でも突き抜けた存在であると言えるだろう。

彼より強力と言える存在はこの世界を神話の時代から遡ったとしても太古のデーモンの上帝30柱そのものかデヴィルの9君主、そして6体のデルキールくらいのものだろう。いかに仲間達が数で優っているとはいえ、先ほど見せつけられた幻視の通りに一方的に蹂躙されることもあり得るだろう。

だが今の俺は五感を遮断され、体を動かすことはできない。こうして思考することは出来るのはイスサランが俺を懐柔しようとしたためか、それとも狂気を見せつけることで昏迷させようとしたことに抵抗できたためかは不明だ。だが今のこの状態で俺が出来る事は──そして俺の思考に天啓ともいうべき閃きが走った。




† † † † † † † † † † † † † † 




「お前たちの力はそんなものか? 私の手を煩わすほどの価値もないとあれば、すぐにでもメイン・ディッシュに移らせてもらうぞ。

 さあ、文字通りの死力を振り絞って見せよ!」


空中に浮かぶマインド・フレイヤーはまるで余技だとでもいわんばかりの気楽さで最高位階の呪文を乱れ撃つ。それは異なる世界では《モルデンカイネンズ・ディスジャンクション》と呼ばれる、あらゆる魔法効果を破壊する究極の一。一たびそれを受けて精神作用への抵抗を失ってしまえば、巨竜さえも昏倒させる《マイクロコズム》が仲間を撃つだろう。あるいは負のエネルギーへの耐性を失えば《ステュギアン・コンフラグレイション》のパワーにより全ての生命エネルギーを吸い上げられて枯死させられてしまうかもしれない。

その一挙動どころか呼吸一つ、瞬き一つすら見逃すことは出来ない。メイは敵の呪文が放たれるタイミングに割り込んで壁を創造し、味方を移動させることで暴虐の嵐から仲間を守っていた。本来であれば最高位の術者でも数発しか放ちえない第九階梯の呪文を、すでにあのイスサランは十度を越えて使用している。超能力によって分離された意識体と本人、そして高速化された秘術から繰り出される数々のパワーの前に、《豪胆のドラゴンマーク》によって神経伝達を長時間に渡って高速化させることのできる彼女であってすら限界を超えるほどの呪文戦を強いられていたのだ。ルーやラピスのサポートなしでは抗しえなかったであろうことは明らかであった。そのうえで、敵はまるでこちらの実力を見定めようとしているかのように見える──手加減されている、ということが見て取れるのだ。

通常あり得ないほどの高次秘術の連打、そのカラクリは既に判明している。イスサランは呪文を行使したのち、時間を巻き戻すことで『呪文を使用する前の自分』で自分を上書きしているのだ。勿論それほどのパワーを行使するのに少なからぬ代償をマインド・フレイヤーは支払っているだろう。だがこの戦場に置いてはその暴虐が場を支配している。

時間を巻き戻すだけではなく、自在に加速させることでまるで瞬間移動のように任意の位置へ移動を繰り返すイスサランを前衛達は間合いに捕えられないでいる。前線をコントロールする役割を担うフィアが真っ先に落とされたことは、《魔法的防御貫通》を使用可能な人数が減ったこと以上に痛恨である。人数上は圧倒しているにも関わらず、完全に押し込まれている。時間を操作することで何倍もの戦闘力を、こちらよりも遥かに持続的に発揮し続ける。そして放つ呪文を一つでも通してしまえば、そこから均衡は一気に崩れてしまうだろう。

理性的に考えればここまで不利な戦闘であれば、余力のあるうちに脱出して再起を図るべきだ。今であればフィアの遺体を持ち帰って蘇生することも出来るだろう。だが、そういた場合にただ一人の犠牲となる仲間のことが彼女に退路を断たせていた。仲間の誰一人とて、ここから脱出のために転移を行ったとしてもついてくることはないだろう。皆が懸命に今出来る最善を尽くして戦っているのだ。そしてその決定打を為すべきは、戦場のコントロールを任せられた自分である。自らの持つ有限のリソースで維持できる微かな均衡の残り時間を脳裏で計算しながら、彼女は一か八かの賭けに出るタイミングを計っていた。


(1……2……3……4……5……6……)


メイはイスサランの呪文を無効化しつつも、冷静に時を数えていた。イスサランによる自己の『巻き戻し』による上書き、それは正確に6秒前の自分へと遡ることだと彼女は既に看破していた。そして呪文の巻き戻りは6秒であるがほんの一瞬、パワーの行使のための時間がその合間合間に挟まれていることにも気付いていた。

イスサランがパワーの行使を意識するその瞬間。そこに重ねるように《魔法的防護貫通》を浴びせることが出来れば、イスサランの巡らせる『ループ』に割り込みをかけることが出来る。桁外れのサイオニック・エネルギーが費やされた防御陣、それを無力化することが出来なければこの魔人を打倒することは不可能だという判断だ。

それは間違いなく正しいと断言できる──だがそれは同時に極めて困難な挑戦だった。刹那でも早ければそれは巻き戻りと共に無為と化し、遅ければ次の巻き戻りで消えてしまう。当初の予定であった《魔法的防護貫通》の直後に残る1人が攻撃を加えるという作戦はイスサランの《コンテンジェンシィ》からの逃走により失敗に終わっており、通常であればその《コンテンジェンシィ》すら一度きりの仕掛けでしかないにも関わらず、巻き戻る時間はその非常用の備えすら再び脳喰らいに与えているのだ。有限を無限に近いほど引き延ばす時間操作。それを打倒するには、時を止めるほどの精度によって時間の流れに介入する他ないのだ。


(本当であれば非常時に脱出のために預かっていた指輪ですけれど……トーリさんごめんなさい。使わせてもらいますね)


高速化した思考を分割して一方を魔法具から秘術のパワーを引き出すことに、もう一方でイスサランの放つ高次秘術を無効化しながら彼女は時を刻み続ける。


「さあ、手持ちの"パール・オヴ・パワー"は残り幾つかね? 楽しい時間もそろそろ終幕が近づいてきたようだな!」


イスサランの呪文を妨害するために鉄や石が障壁となって林立するも、それらはマインド・フレイヤーが撒き散らす攻撃によって即座に破壊されていく。一瞬呪文行使の狙いを妨げるための壁となれば役割を果たしているとはいえ、それらを行使するためのリソースは有限だ。特に戦場の制御を主とするメイとルーはそういった呪文を多く用意していたが、ラピスはそうではない。魔人の言う通り、限界は近かった。

だが間もなく実行の時は訪れた。薬指に嵌めた指輪に輝く三つのダイアモンド、その一つがメイの願いを受け輝きを増した。《ウィッシュ》──高次秘術が現実を書き換え、あたかも最初からその位置にいたかのようにエレミアをイスサランの背後へと移動させる。呪文が発動する以前からすでに予備動作に入っていたエレミアの斬撃が狙い通りのタイミングでイスサランへと振り下ろされた。一年にも満たないほどの間柄ではあるが、その短期間に数多くの激戦を潜り抜けてきた者同士として、視線を交わすだけでお互いの意思疎通は完璧に行われたのだ。

巻き戻りの直後に隙無く《魔法的防御貫通》が打ち込まれたことでイスサランの護りが剥ぎ取られた。だがその強力なパワーは健在であり、ようやくこれでまともに戦うことのできる条件が整ったという程度に過ぎない。その強力なパワーによる再チャージを許すことなく攻め切ることが出来なければ待っているのは確実な敗北である。

ラピスの操作する短剣が群れをなして飛翔し、急所目がけて降り注ぐ。だがそれらの攻撃は全てイスサランの前で空間が歪曲されたかのように軌道を捻じ曲げられ、込められた秘術のパワーを炸裂させることなく散らされていった──まるで、直前までの護りを取り戻したかのように。


「ふむ、何を狙っているのかと思えば今のがそうだったのかね──残念だったな」


秘術の使い手であるメイには、今イスサランが何を行ったのかを理解することは出来た──だが、同時にそんなことが出来るはずがないとも思う。この魔人はたった今、本来であれば時間流を十数秒だけ加速させるに過ぎない《タイム・ストップ》の呪文を使用して24時間もの時間を加速させたのだ!

消耗した秘術などのパワーを再び準備するために必要な休息時間は一般的に8時間とされている。イスサランは自らの時間を巻き戻したのではなく、刹那の間を24時間へと引き伸ばし、十分な休息を取り、呪文の準備や付与などを終えてなお余裕を持ったまま再びこの時間の流れへと回帰してきたということになる。発動を妨害されぬよう、高速化までして行使されたそれは秘術の階梯に換算するのであれば第十九階梯相当という、知識の神ウレオンや暗黒魔法の神シャドウでもなければ不可能ではないかと思われるほどの文字通りの神技。

それを成したマインド・フレイヤーは今日この場で初めて見えたときよりもさらに力に溢れた状態で彼女たちの前に立っている。そして同じようなことをイスサランはこの先何度でも繰り返すことが出来るのだ。時間を巻き戻すだけでなく、極端に加速させることで一度の戦闘に無限のリソースを投入することが可能な神の代行者──その存在は、彼女の心に敗北を刻むに十分だった。


「そう、その感情だ──深い恐怖と絶望で満たされた脳こそが至高の味わいよ!」


喜悦の感情と共に加速したマインド・フレイヤーがメイの前へと瞬間移動したかのように出現し、その触手を蠢かせた。エレミアを移動させるために一時的な神経加速を行っていたメイは、それに対応することが出来ない。4本の太い触手がハーフエルフの細い首から顎、耳へと回り込みがっちりと頭部を固定する。メイの視界はその触手の付け根にあるヤツメウナギのような凶悪な口が開き、牙が粘液の架け橋を描く光景に埋め尽くされている。マインド・フレイヤーが得意とする脳摘出だ。

その牙が額に穴を開け、そこから吸い出すようにして脳を貪るのに要する時間はほんの数秒と言われる。だが徐々に近づいていくるその咢が迫ってくるのがメイには何十倍にも引き延ばされたかのように感じられた。ご丁寧に妨害が入らぬよう周囲には種々の障壁がいつの間にか張り巡らされている。これでは周囲からの助けも間に合いそうにない。


──だが、救いの手は予期せぬ方向から差しのべられた。


「──何、馬鹿な!」


直前までに迫っていた異形の口が突然驚きの声を漏らした。そして驚いたのはメイも同様である。彼らを突如《アンティマジック・フィールド》が包み込んだのだ──その発生源は《マイクロコズム》によって指ひとつ動かすことも適わないはずの男だったのである。

あらゆる魔法的効果が抑止された状態であれば、術者にしては高い筋力を有するメイもこの異形の触手に抵抗することが出来た。全ての触手とはいわずとも、一部でも振りほどくことが出来れば即死の脳喰らいを避けることが出来るのだ。高次秘術の打ち合いから一転しての原始的な力のせめぎ合い。メイを即座に葬ることが出来ないと判断するや、イスサランは触手を振りほどき脱出を計る。しかし自らが張り巡らせた障壁が密室となりトーリを投げ捨てたとしても《アンティマジック・フィールド》から逃れることは叶わず、またメイがその体を逃がさないようにと逆に抑え込んで来る。

そして、10数秒の後に断罪の刃は訪れた。《ウォール・オヴ・エクトプラズム》はルーが《デッド・フォール》によって創り出された空間の狭間から降り注ぐシベイ・ドラゴンシャードによって破壊され、《フォース・キューブ》はラピスの《ディスインテグレイト》によって砕かれた。そうやって切り開かれた道を通って、エレミアの剣舞がイスサランへと襲い掛かったのだ。

ウォーフォージドタイタン・ナイトメアを葬った剣が魔法抑止下のマインド・フレイヤーを切り刻む。頭部を10を超える断片へと切断し、胴体は心臓を初めとした臓器を徹底的に破壊し、四肢と首をそこから切り離してようやくその剣舞は停止した。切断面からは大量の血だけではなく、まるでイスサランが今まで啜った全ての脳漿を吐き出すかのように異臭を放つ物体が溢れ出す。

それらは外へと放出されたことで何万もの時を数えたことを思い出したのか、イスサランの肉体から離れるや光の粉となって消失していった。そうでもなければこの広間を埋め尽くすほどの流出物となっていたであろうその物量は、今までこのマインド・フレイヤーが喰らってきた知的生命体の犠牲の数を示していた。

そして放り出され、倒れ伏した男の元へとルーが近づいていく──




† † † † † † † † † † † † † † 




幻想の世界から解放され、取り戻した視界には俺に寄り添うルーの姿が映っていた。少し離れた場所にはフィアが無残な姿のまま倒れている。やはり犠牲なしに勝たせてもらえるほど容易い相手では無かったという事なのだろう。しかしすでに戦闘の空気は薄れ、狂気を放っていたマインド・フレイヤーはその無残な骸を晒していた。

どうやら俺の使用した《アンティマジック・フィールド》は無事に彼女たちに勝機を掴ませたようだ。呪文の発動に必要な要素全てを省略することで、念じるだけでその効果を発揮させる《呪文高速化》という技術。それが俺にあの状態での呪文行使を可能とさせたのだ。ショートカットキーに配置したアイコンを押すように意識することで、それは容易に行うことが出来た。イスサランからしてみればまさに想定外の不意打ちだったに違いない。

だが生き残った彼女たちの表情も硬い。何故ならば床にばら撒かれたイスサランであったもの──その破片が未だに不気味な脈動を繰り返しているからだ。断面からのぞく分断された心臓は送り出す体液を失ってもその脈動を止めず、細い枯れ枝のような指先は痙攣を繰り返している。切断された触手は自らの体液に身を浸しながらもビチビチとうねるのを止めない。このような状態になっていてもこのマインド・フレイヤーはまだ生きているのだ。

《ビーストランド・フェロシティ》と《ディレイ・デス》により肉体的なダメージを無視して戦闘を続けることが可能ではあるが、ラピスが《アンティマジック・フィールド》を展開している以上そういった魔法によるものではない。そして俺には一つ思い当たることがあった──それは言うなればゾリアットの呪いとでもいうべきものだ。

幻想世界で俺がイスサランに追体験させられたヴィジョンでは、"鎖に縛られた神"が復活した際に住人はその肉体を変質せしめられていた。明らかに生命活動を行えないほど変形させられたまま、融合と分裂、変異を繰り返すという地獄。それを潜り抜け最終的に残った数十体の異形の始祖ともいうべき存在達は、言うなればその神の呪いが凝縮して誕生した肉体から成り立っているのだ。

定命の存在が操る魔法はアーティファクトと呼ばれる神器や神格には作用しない。イスサランの不死の呪いが神によるものであれば、それは《アンティマジック・フィールド》では抑止できないのだ。だが不死のみが呪いであり、再生は含まれないというのはなんという悪意だろうか。その断片からは、筆舌に尽くしがたい痛みに悶える脳喰らいの感情が迸っている。


「《ディスインテグレイト》も《フレッシュ・トゥ・ストーン》も効きやしない。

 細かく刻むことはできるけど、時間稼ぎにしかならなさそうだよ。どうする?」


既にそういった呪文による無力化を彼女たちは試していたようだ。そして万が一この状態で超能力を発動することが可能だった場合に備えて、《アンティマジック・フィールド》をいつでも行使可能な状態でラピスは待機していた。彼女たちからしてみれば五感を切り離されていた俺が呪文を行使してみせたのだ、それ以上の化け物であるイスサランがこの状態で超能力を発動するかもしれないというのも当然の発想だろう。


──全てを終わらせることこそが唯一、この悪と狂気に満たされた世界より解き放たれる術なのだ。


イスサランの言葉が脳裏に蘇る。この異形は死を望んでいたのだろうか。通常のそれが叶わないがため、世界そのものを破壊するという手段に出るしかなかったということだろうか。

コルソスの封印施設まで運び氷漬けにするという選択肢が思い浮かぶが、頭を振って否定する。この異形が氷漬けにしたことで動きを止めるかが不明であるし、万が一あの災厄級のクリーチャーに呪いが伝播するようなことがあれば島は滅んでしまう。ならばどこかの火口にでも放り込むか、といってもそれも結局はその場に生息する生物に対する影響が発生しうる。この世界にはレッド・ドラゴンを初めとして火に完全耐性を有する存在はそれなりにありふれており、同じようなどんな過酷な環境であってもそこに適応して生きている生物がいるものなのだ。

この場に放置していけばそのうちこの肉片は再生し、イスサランは蘇るだろう。その時、先ほどと同じ手段で彼を倒すことは出来ないだろう。次に相まみえた時に勝ちが拾えるとは到底思えない。

エレミアの『神殺し』が再度使用可能になるまでこの場で休息を取り、それによって彼を滅ぼすことが出来るかどうかを試すというのが最も有効そうな手段であろう。既にウォーフォージド・タイタンの”スキーム”を破壊したことでエベロンにおける脅威は取り除いたと考えていいはずだ。もし時間の流れが歪んでいたとしても、そのくらいの余裕はあるはず──。

そんな俺の考えをあざ笑うかのように、この”奥の間”へと再び狂気の領域のヴェイルが覆いかぶさってきた。ウォーフォージド・タイタンを破壊した際に消え去ったかのように思っていた空間の層が、視界を不明瞭なものへと転じさせる。イスサランがこのような状態になっても継続するということは、これは一時的な変化でなくこの場に起こされた恒久的な変化ということなのだろう。だが少しの違和感が俺に囁く。呪文行使に造詣の深いメイに視線をやると、彼女も同じ考えに至ったようだ。低難易度の呪文を発動し──そしてその制御が先程よりも困難になっていることに気付く。


「この空間はゾリアットに近い位相に変化されられていたのではなく──ゾリアットに向かって移動することでその影響を受けているようです」


メイの言葉が重く響き渡った。どこまで先を読んでいたのか、あるいは備えていたのか──このマインド・フレイヤーは《ジェネシス》の呪文あるいはパワーでこの”トワイライト・フォージ”を支配下に置き、エベロンとダル・クォールの狭間からゾリアットへとこの工廠を動かしていたのだ。おそらくは道中の戦闘も彼にとってはいい時間稼ぎに過ぎなかったのかもしれない。そして俺達がこの工廠に来るときに使用したポータルがその影響を受けて使用できなくなっている可能性は高い。自分が破れても最後には”トワイライト・フォージ”ごと俺たちをゾリアットに突入させることであの狂気に俺たちを晒し、目的を達するつもりだったということなのだろう。その想像が正しいかは不明だが、いずれにせよどれだけ時間が残されているかは定かではない現状では、のんびりと休息をとっている時間がないであろうことは確かだ。

細かく裁断されたイスサランの肉片をホールディング・バッグなどに放り込むというのは危険だ。今の状況だからこそ咄嗟の事態に《アンティマジック・フィールド》で干渉することが出来るが、異空間に放り込んでしまえばそうもいかないだろう。俺のブレスレッドに放り込もうにも、それぞれの肉片が別のアイテムとして扱われるためにとてもではないが全てを回収することは不可能だ。かといって欠片一つ残せばそこから再生してしまう可能性も捨てきれない。

このままゾリアットに突入しその後帰還の方法を模索するか、イスサランを放置する危険を冒してこの場を離れるか。リスクが大きいのは勿論前者だ。『門を護る者』達がゾリアットを遠ざけるために守っている封印が、俺達がエベロンに帰還することを妨げる。帰還する手段は唯一つ、モンスター・マニュアルⅢに記載されているゾリアットに住むマインド・フレイヤー達が有している次元間渡航技術を奪うことのみだ。

だがもし彼等を産みだした神の呪いがまだ残っており俺達にも作用するのであれば、それは目の前のイスサランのように自殺すら許されぬ永劫の苦しみに身を投げ出す行為となる。ならば危険を承知でイスサランを回収し、エベロンに戻るのが今選ぶことの出来る最良の手か。前者の手段は逃げ遅れてからでも取れるのだから。


──既に手遅れよ。我が神の腕が汝らを抱擁する。物質界を包むゲートキーパーどもの結界は優秀だ。

  この工廠を訪れた時点で、汝らの敗北は決定していたのだ──


苦痛を垂れ流していたイスサランの思念波が、突如その意識を覚醒させたかのように明瞭な言葉を為した。


「チッ、もうお目覚めかい!」


ラピスが《アンティマジック・フィールド》を展開し、エレミアと二人で纏まりつつあった肉片を再び細断していく。だがマインド・フレイヤーは苦痛を垂れ流しながらも、その思念波を止めることは無かった。


──我が手によって至高の芸術を創り得なかったのは残念ではあるが、お前たちがどのように変質していくのかを眺めているのも一興よ。


イスサランの言葉を無視して《ウィッシュ》による転移を試みるが、それはダイアモンドの輝きを無為に曇らせただけの結果に終わる。それもそのはず、《ウィッシュ》や《ゲート》の呪文でエベロンに侵入できるというのであれば、物質界は既に侵略者に蹂躙されきっているだろう。すなわちすでにこの”トワイライト・フォージ”は既にゾリアットの領域に完全に囚われてしまっているということになる。

《マイクロコズム》の中で見せられていた幻覚のように、壁や支柱が波打ち始める。人型生物のものに似た口が生まれ、狂気の賛美歌を奏で始めた。最初は一つしかなかったそれは、空間を満たす層が揺れ動くのに合わせるように分裂し、支柱の表面を埋め尽くすように増えていく。それだけではない、壁には眼や耳が生え始め、それらの隙間からは毛のように触手が伸び始めてきた。


──だが、それらは突如広がった星空の輝きの前に消え失せる。


ルーがその身を中心に世界を塗り替えたのだ。冒涜的だった床や柱といった構造物は生命力あふれる森へと上書きされ、天井は消滅し星の輝く夜空が広がる──そしてその星々の中にあってひときわ光を放つ月が天頂に輝いた。


「──この場は私達が引き受けよう。死すべきものにその運命を与え、在るべきものを在るべきところへ送り届けよう」


ルーの言葉を受けて月がその放つ光を強めると、その輝きに呼応するように倒れていたフィアの遺体が暖かな白い光に包まれた。離れていた胴体と首をそれぞれ中心に光は膨らみ、やがて交わるとそこにはドラウの女性があった。倒れていたドラウの少女の面影を残す彼女はフィアの成長した姿なのか。頭一つ分ほど背を伸ばした彼女は右手を振り上げると、月に向けてその掌を突き出した。

頭上に輝く月が、徐々に真円からその姿を変えていく。その放つ光を凝縮したかのように面積を減らし、弧状となった月は空から滑り落ちるようにしてフィアの手に収まった──文字通り、空から切り取ったようなそれは三日月をあしらった柄を有する長剣。


「──月が闇夜を照らすために鍛えた刃。今の身に扱えるは僅かな片鱗に過ぎねども、その身を安らかな夜の抱擁に誘うには足りよう」


一目見ただけで、その刀身が放つ圧倒的なオーラを感じることが出来た。クレセント・ブレード──それは彼女たちの神『イーリストレイ』が母たる蜘蛛の女王『ロルス』を滅ぼすために鍛えた刃、神殺しのアーティファクト。彼女たちの血脈に宿ったそれを剣技に昇華したのがエレミアであるとするならば、そのアーティファクトそのものの片鱗を宿したのがフィアリィル・タールアということなのだろう。その姓の意味する『聖なる刃』という言霊が、彼女の存在そのものを示している。

ラピスの展開する《アンティマジック・フィールド》を切り裂いてなおその光を放ち続ける刃が振るわれる。実際には肉片の上を刃が通過しただけで、触れたわけではない──にも関わらず、不気味な脈動は停止する。それだけではなく、それぞれの肉片は光の粉となって崩れ落ちる。森を駆け抜ける風に煽られてそれらが舞い上がり、宙に溶けて消えるのを見届けてからルーは再び言葉を告げた。


「私が今から物質界へ通じる門を開く。そこを通じて物質界に戻ることが出来るでしょう。

 でも、気をつけて。強い力で開く門は、その繋がる場所を定命の存在の力では制御することはできない。

 強い意志で、自分たちの『戻るべき場所』を思い描いて」


その言葉を終えるや否や、ルーの体の内側から優しい光が膨れ上がった。数多い神格の中でも、『イーリストレイ』と他一柱のみが有する権能。かの女神がこの地にルー達を送り込んだのと同質の力、神が司る『ポータル』の概念が彼女の肉体を通じて奇跡として顕現しているのだ。

イスサランの言葉通りであれば、彼女はその内面に死せる女神の『アスペクト』を宿していることになる。その権能を今ルーは行使しているということになるのだろう。だがそんな力を使用して、果たして彼女は無事でいられるのか?

だがそれを問う暇もなく、広がる光が俺たちを包み込む。その中心に立つルーの横に、成長したフィアが佇んでいるのがぼんやりと確認できる。二人に向かって咄嗟に伸ばした手は、だが何にも触れることはなく虚しく空を掴んだのだった。



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