いたるところを炎が取り囲んでいる。地面は灰と瓦礫によって出来た、常に形を変え続ける高密度の炎の板へと転じた。それはマグマの河のようにゆっくりと動きながら形を変えており、足の踏み場を過てばまるで沼地を歩いている時のように足を取られてしまうことだろう。
丘の地表に散らばっていたスケルトンの残骸達はその黒い遺骨を火に覆われ、まるで松明のようにあちこちで燃え盛っている。そして周囲を満たす大気すらも高温だ。それは周囲の熱を吸収してではない。空間そのものが熱を放っているのだ。
火の元素が優勢である"炎の海フェルニア"という次元界は、それそのものが莫大な熱エネルギーを発している。その熱は人間であれば一呼吸の間に焼き尽くしてしまうほど。魔法で保護されていない水分はあっという間に沸騰もしくは蒸発し、あらゆる食料は黒焦げとなる。この世界で生きていくためには、炎そのものを糧とする能力が要求されるのだ。
「贄の血で器は満たされた。星辰の並びは未だ揃わねど、機は充分に熟した。今再びこの大陸は炎の王の名のもとに一つとなるのだ!」
この煉獄を現出させた巨人、ザンチラーはその高い視点から周囲を睥睨している。並のファイアー・ジャイアントを倍したその巨躯の右腕には長大な黒光りするファルシオンが握られ、額にはその位を示す鮮やかな宝冠が収まっている。いままでに見た四つの秘石の色彩を織りまぜたかのような怪しい光を放つ巨大な宝石が、額の第三の目のように鋭い光を放っているのだ。俺の手元にあった破片は、おそらくあの宝冠に共鳴しているのだろう。
その巨人を視界に収めながらも周囲に気を配ると、広がった空間に境界があることに気付く。麓付近ではカタニ率いる騎兵達が丘へ殺到する巨人達の軍勢と激しい戦いを繰り広げていたはずだが、状況が変化したことで今は双方戦いの手を止めて距離を取っている。そしてそのことが現状についての理解を助けた。
メイの付与した強力な《レジスト・エナジー》に保護されている俺達と異なり、彼らがこの炎の中で生き延びることは不可能と言っていい。つまり炎熱地獄と化したのは丘とその周囲の僅かな空間に限られているようだ。とはいえそれはあくまで現時点での話である。この巨人を放置していればどうなるか判ったものではない。そしてその俺の思考を裏付けるように、ザンチラーが動き出した。
先程渦から突き出していた腕を、今度は天に向けて伸ばす。その先にはルーが操った天津風により引き裂かれた雲の海が広がっている。そのぽっかりと空いた緑の雲の隙間が、どんどんと赤い雲によって埋め尽くされていく。
「見よ! 今こそ我はこの地に"黄銅城"を呼び下ろす。この地より始まった炎が嵐を駆逐し、再び我ら火の一族がこの大陸を統べるのだ!」
さらにザンチラーの声と共に、巨大な建造物が逆しまに赤い雲を突き破ってその姿を現した。数百を超える黒い塔の群れ。それはシャーンのような無秩序なものではなく、一定の規則に従った芸術品のように見える。それぞれの塔は炎が垣間見せる様々な表情のように1つとして同じものはなく、それでいて全体の調和を崩さずに自己を表現している。中央に見える最も高い塔の周辺には炎の噴水が見え、玄武岩の階段と炎の河が規則的に配置されている。塔群の全体を見れば、かすかに先端同士が広がっていることからこれらの建築物は半球状の土台の上に立っている事が分かるだろう。雲を突き破ったのは一部分でしか無いが、伝承からすればこの城の幅は50kmを超えているはずだ。
それが火の元素界の住人であるイフリート達の住まう城にして次元界の首都、黄銅城。ならば今見えているその中央部は火の次元界を支配する大君主が住まうという、"炎上宮"だろうか。それを察した俺は、視界に映っている光景への認識を改めた。赤い雲と思っていたそれはただの自然現象ではなく、文字通り雲霞の如く群れたファイアーメフィット達であり、川を流れる炎は火のエレメンタル達なのだ。
あまりの威容に動きを止めた俺達の前で、ザンチラーの伸ばした腕にそって空間そのものを変容させるエネルギーが迸り天へと向かっていく。それを見て俺の脳裏に浮かんだのは呼び水──この巨人は接近したフェルニアと同じ属性の空間をこの丘に展開することで、一気に”炎の海”をこの物質界へと引き寄せようとしているのだ!
空に浮かぶ黄銅城は今はまだ物質界に映し出された影に過ぎない。だが一度フェルニアとの接続が確立されれば、あの大量のメフィットを始めとした火の元素界の住人達がこの場へと流れ込み、やがて大陸全体を焼き尽くすだろう。そしてその契機となる架け橋が、今ここで接続されようとしている。
光の柱が天へと登り赤い雲に触れると、まるで決壊したダムから溢れ出す水のようにメフィットの軍勢が動き始める。その数は千、いや万単位だろう。比喩ではなく天を覆いつくす来訪者達。一体一体の能力はたいしたことないとはいえ、この物量差は絶望的だ。
最悪に近い状況でのザンチラーとの邂逅、そして今まで討ち果たした敵の数など誤差に過ぎないほどの大増援。それどころか、倒した敵たちはどうやら儀式の生贄として捧げられたのだという。俺の思考はここで踏みとどまった場合の勝率と退いた際に起こるであろう災禍について、絶望的な計算を繰り返し目まぐるしく回転する──そうやって空を見上げる俺の視界を、微かな光が駆け抜けた。
流れ星が赤光を切り裂き、その軌跡から群青が広がり空を染め上げていく。流星の尾から散らばった光はそのまま天に留まり、星空を形成した。だがその模様は見慣れた夜空のものではない──このエベロンとは異なる物質界、そこに結ばれたエルフの聖地。アルヴァンドールの"星の宮廷"。
新たに生まれた天球の中央には一人のドラウの少女の姿。ルーがその"導き手"の力により、丘の上空にアルボレアの一部を現出させたのだ。その範囲はザンチラーを中心とした炎の海を押し包み、天のフェルニアとの接続を断ち切っている。
「ほう、副官共を倒したのはどこの馬の骨かと思っていたが、黄昏の谷のドラウであったか。
時代遅れの骨董品どもめ、前王を害したその血と肉こそが我が大望の成就を祝う宴への捧げ物として相応しい!」
天に向かって雄叫びを上げるザンチラーに対し、俺は戦うことを決意した。ルーが稼いでくれる時間と機会を逃すわけにはいかない。ここでこの巨人を討ち、この砦での戦いを終わらせるのだ。
ゼンドリック漂流記
5-12.ストームクリーヴ・アウトポスト7
ザンチラーの周囲は未だ炎が渦巻いている。異界を身に纏う能力はルーのそれと同質のものなのか、お互いの中間点を境界として競り合いを続けているようだ。密度の一定しない地面に足を取られぬよう、俺は地表スレスレを飛んで移動する。
この巨人の将軍は今まで倒した副官達が有していた秘法の加護を全て有しているはずだ。つまり物理攻撃は通じず、呪文を打ち消し、高速で再生し、触れたものを焼き尽くす炎を纏っているのだ。ゲームの中では副官たちが落とす秘石の欠片を用い、秘法を破るギミックが決戦の場に用意されていた。それによってそのうちのいくつか、あるいは全てを打ち消すことで付け入る隙を見出し、勝利する筋書きだ。
だが、勿論この丘にそんな仕掛けはない。つまり万全の状態のザンチラーをそのまま倒さねばならないのだ。事前知識がなければたやすく蹂躙されてしまっただろう。だが俺はこの将軍がこういう能力を有していることを想定しているし、そのための手段も用意していた。ブレスレットから取り出した剣を手に、敵へと向かう。敵の増援が無い状態であるならば勝機は十分にあるのだ。だがその行く手を遮るように、地面から火柱が上がる。
「巫女の走狗どもめ、王の前に立ち塞がろうなどとは、身の程を知れ!」
そう吠えたザンチラーが呪文を発動させた。《スペル・エンハンサー/呪文強化》という秘術回路の強度を上昇させる呪文を織り込んで編みあげられた呪文が、巨人が抜き放ったロッドの先端に刻まれた呪印の干渉により分裂。本来は単体を目標とするはずの術が俺達全員へと牙を剥く。高位の呪文と最高級のマジックアイテムを組み合わせた強烈な合わせ技が、接近する俺達へと放たれたのだ。
「──炎の渦に飲まれよ!」
ザンチラーの呪文を受け、俺達を取り巻く"炎の海"はその様相を変えた。吹き上がった火柱が鞭のようにしなりながらこちらに迫り、俺達それぞれを個別に包むように切り離していく。メイが解呪のために《グレーター・ディスペル・マジック》を放ったが、ザンチラーの呪文構成は一瞬揺らぎを見せたものの即座にその強度を取り戻した。妨げるものが無くなった呪文に操られ、荒れ狂う火柱が俺の視界を覆い尽くす。そうしてザンチラーが産み出したフェルニアの一部が、周囲の空間ごと俺達を丘から切り離した。
異空間に対象を捕える《メイズ/迷宮》の呪文。ファイアー・ジャイアントであるザンチラーが使用したからか、その異空間は炎に満たされた紅蓮の世界だった。どうやら個別に隔離されてしまったようで周囲に仲間の姿はない。周囲の空間ごと切り取る目標指定型の効果だけに、目視されてしまえば逃れられない悪質な呪文だ。唯一の防衛策は高度な呪文抵抗により空間そのものへと干渉し呪文の効果を霧散させることなのだが、ザンチラーはかなり強力な術者のようだ。間に合わせで装備している俺のアイテムなど意味を成さなかった。おそらくはフィアすらも同じような空間に取り込まれているだろう。今あの丘に残っているのは効果範囲の遥か上空のルー、そして《アンティマジック・フィールド》を展開していたラピスのみだろう。
ここから脱出する方法は2つ。10分あるこの呪文の効果時間切れを待つか、この異次元空間に存在する空間の"ほつれ"を看破し紐解くことだ。呪文によって一時的に構成された異空間だけに、この空間には特異点とでも呼ぶべき箇所が複数存在している。その点をしかるべき手順で結び、繋ぎ合わせることでこの仮想世界を崩壊させ元の空間へ戻ることが出来るのだ。
(おそらくザンチラーは前衛ではなく秘術型の後衛、それなら一人残ったラピスが即座に危険に陥る可能性は低い──《アンティマジック・フィールド》が彼女の身を守る)
焦る心を落ち着け、周囲の空間に意識を浸透させる。時間切れを待つ気など毛頭なく、この異空間から直ぐにでも脱出するためだ。燃え盛る炎、その揺らぎの澱みを探り当てる。1つずつ順番に、新しいものから古いものへとその澱みを繋げていく。一度でも過てば、澱みはその位置を変え工程を最初からやり直す羽目になる。丁寧に、だが大胆に決断を下し、特異点を結びあわせていく。そうするとまるでフィルムを逆戻ししたかのように周囲の空間は火柱へと解け、元の位相を取り戻した。外に広がるは星空と燃える丘。どうやら首尾よく《迷宮》を脱出出来たようだ。
だが、脱出に要したわずか10秒ほどの間に舞台上の配役は大きく変化していた。レイピアを構えたラピスに対し、向かい合っているのは二体の異形だった。暗色の鱗が体表の大部分を覆い、歪な角が頭部から生え、瞳は赤く輝いている。何よりも目立つのは背中から広がったコウモリ状の翼。ハーフフィーンド、悪の来訪者と物質界の生物の間に生まれた不浄の子。だが俺はその二体に見覚えがある。彼らはインスガドリーアとヘロス、姿は変わっているがかつて俺達が打ち倒したザンチラーの副官たちだ。よく見れば残る二人も距離をおいて呪文の準備を行なっており、4人が揃い踏みのようだ。その副官たちの戦う様を、丘の頂上からザンチラーが見下している。
死んだはずの連中が、しかも新たな力を持って蘇ってきた理由は解らない。だが今はそれを解き明かしている余裕はない。ラピスは未だ《アンティマジック・フィールド》を纏っている。それは後ろに控える高位術者を警戒してのことだろう。だが、その破魔の陣は同時に彼女の得意とする防御術や、その身体能力さえも抑止しているのだ。結果として盾とライカンスロープとしての俊敏さを失った彼女の動きはその最大値に対してひどく見劣りするものだ。それでは重量級の戦士たちの攻撃を凌ぎ切ることは難しい。
窮地の彼女を援護すべく、即座に呪文を選択し魔術式を発動させる。幸い、今なら広範囲を薙ぎ払ってもラピスを巻き込む心配はない。俺の口から放たれた単音の音声が指向性を持って圧縮され、副官達へと放たれた。《カコフォニック・バースト/不協和音の爆発》、文字通り音速で伝播した俺の声が指定座標に辿り着くと、その周囲の空間を爆音で攻撃する。最大限に強化されたその呪文は発動すれば範囲内の敵を破砕するだろう。
パイアス・グルールやオルターダーは俺が《メイズ》をこれほどの短時間で突破するとは思っていなかったのか、呪文相殺の用意を怠っていた。その隙を突く形となった音波の炸裂がインスガドリーアとヘロスを蹂躙する。連鎖する衝撃の波に触れた箇所の鱗は割れ、外皮は波打ちながら体から剥ぎ取られる。範囲内の骨は粉々に砕け、あとに残るのはひしゃげた肉塊だけだ。
普通であれば確実に殺害したといえる負傷。だがそれでも彼らは戦闘不能にはならない。既に術者が《ディレイ・デス》と《ビーストランド・フェロシティ》を使用しており、彼らを死から遠ざけているのだろう。砕かれた肉体は信仰呪文の加護に支えられ、まるで不可視の力によって操られているように四肢が動いている。だがラピスの援護にはそれで十分だ。ヘロスが彼女を攻撃するには《アンティマジック・フィールド》の範囲に踏み込む必要があるし、インスガドリーアの槍の間合いは広いとはいえ彼女から一足の間合いであることには違いない。その範囲内に捉えられることは彼らに付与されている呪文群が抑止されることを意味する。致命傷を負った状態でラピスに接近戦を挑むことはしないだろう。
その読みを裏付けるように、彼らは間合いを詰めようとしたラピスの機先を制して彼女から距離をとった。その再生能力により瞬く間に傷の癒えたインスガドリーアが壁となり、後退したヘロスを《ヒール/大治癒》の呪文によって回復させた。傷の塞がったヘロスは即座に反転、俺の方へと向かってくる。
「我自らの仇を討つ機会が訪れようとはな! 契約により授かりし力、その身でとくと味わって死ね!」
ヘロスはそう叫びながら、コウモリのような翼を広げこちらへと滑空してきた。その額の中央から伸びた三本目の角へと、悪しき力が収束していくのが解る。振動する凶角から、怖気を振るう音波が発される──彼らが"ハーフフィーンド"となったことでその肉体に宿った擬似呪文能力、《ブラスフェミィ》だ。仮初の魔術回路ではなく肉体を媒介とした呪文の構成は非常に強固で、俺の実力では解呪は不可能。だが先程の呪文攻撃の意趣返しか、音波攻撃を選択したヘロスの行動が俺に余裕を与える。ブレスレットから《サイレンス》の付与された小石を取り出して周囲を静寂で囲い、不快の旋律を遮断する。周囲の高熱に晒され小石はすぐに崩れていくが、それでも《ブラスフェミィ》の音がこちらに響く一瞬を抑えるには十分だ。そうやって敵の攻撃を凌ぎ切った後に待っているのは、こちらの反撃の番である。
呪文能力を持たず、今擬似呪文能力を一つ消費したヘロスは後回しで構わない。まずは最も厄介なオルターダーに狙いを定め、ガラス片を媒介とした雷球を放った。《シンティレイティング・スフィアー》、シャーンの地下空洞で数多くのガーゴイルを叩き落とした攻撃呪文だ。彼が前回の死因である雷撃呪文を警戒し、呪文による耐性を得ている可能性を考慮して酸属性を上乗せしたそれは巨人一人を葬るには十分以上の火力だ。だがそれは相殺呪文を待機させていたパイアス・グルールによって呪文構成を乱され、霧散していく。相手の手数を消費させたことを確認しつつさらにもう一度同じ雷球を《呪文高速化》により放つも、こちらもオルターダーにより解呪されてしまう。どうやらこちらの呪文攻撃は相当に警戒されているようだ。
「我らは死によってさらなる力を得たのだ。今やお前たちの流す血と悲鳴こそが我らの糧となる。
さあ、逃げてみせろチビども。物影に隠れ、恐怖に震えたところを喰らってやろう!」
「お前たちの肉を骨から引き剥がし、目を抉り出そう。その魂を永劫の炎にくべ、魂殻が粉々になるまで砕いてくれよう!」
術士二人がこちらをマークし、一撃で戦況を覆す呪文攻撃を封じる。そうやって手数で押さえつけながら、ヘロスとインスガドリーアにより徐々にこちらを削っていこうという作戦なのだろう。その場合ラピスの状況は深刻だ。《アンティマジック・フィールド》により、一度傷を受ければそれを癒すことも出来ない。幸い周囲を包む炎の海すら抑止されていることと、敵の武器が銀製ではないことからライカンスロープである彼女は未だ致命的な負傷は負っていない。しかし、長期戦では不利に働くことは明らかだ。
「我が牢獄よりかくも早く解き放たれるとは、脆弱で愚かな種族としては稀有な強者のようだな。
さあ、その小さな体に宿った魂を今際の際に燃え上がらせ、我を楽しませるがいい!」
ザンチラーが《ヘイスト》を唱え、部下へ指示を飛ばす。ラピスを放置しひとまず俺を叩くということなのだろう、ヘロスに加え呪文によってその動きを加速させたインスガドリーアもが槍を構えこちらへと突進してくる。動物の相棒を失ったとはいえ、本人の戦闘能力が損なわれたわけではない。死んだ時に身に纏っていた装備そのままに、魔化された肉体をもって敵はこちらへと襲いかかってくる。
「ドルラーから迷い出てくるにしちゃあ随分と早いじゃないか。だが、すぐにでも叩き返してやる!」
術者2名が呪文相殺のために待機しているのを横目で確認しながら、俺は双剣を構えた。呪文が封じられた以上、武器で戦うしか無い。両手に構えた剣はそれぞれが緑鋼鉄という特殊な金属で鍛えたものだが、今回俺が取り出したのはその中でも特別な品だ。その表面は錬金術の儀式により薄い力場の膜で覆われている。迫るヘロスの大斧に向けてその刀身を差し伸べると、刃は透過せずにその切っ先に干渉した。それにより力を加えることで俺の思い通りに敵の攻撃の軌道を逸らすことに成功する。
(よし、いける!)
剣先から伝わってくるベクトルが、ヘロスの情報を俺へと伝えてくれる。それは目に映る以上に力の支点や体重移動、続く攻撃の軌道を俺に洞察させる。自身の防御能力に絶対の自信があったのか、無防備に突進していたその肉体の勢いは最早止まらないようだ。隙だらけのミノタウロスと交差する瞬間、側面をとった俺は剣を腕の延長のように扱ってヘロスの体勢を崩した。剣を覆う力場は薄いため斬りつけても一撃で深手を負わせることは難しい。だが相手の体に触れられるのであれば、そのバランスを崩すことは容易なことだ。
転倒し、炎と化した大地にめり込んでいくミノタウロスを横目に今度は迫り来る槍を切り払いつつ前へ。突き込まれた槍が戻されるより早く、その柄に曲刀の刃を擦らせながら踏み込む。金属同士の摩擦が生み出す火花を後に残しながら得た足場はヒル・ジャイアントの至近、その頭部を間合いに収めた空中だ。そこから横薙ぎに振るった剣は側頭部から切り込み、耳を半ばで切断しながら頭蓋骨へと食い込んだ。巨人のそれはさすがに人間とは比べ物にならないほど強靭であり、一撃で頭部を破壊するには至らない。だが的確に打ち込まれた衝撃はインスガドリーアを朦朧とさせるには十分な威力だ。
対巨人の近接火力という意味では俺はエレミアには遠く及ばない。だが相手が無防備状態であるならば話は別だ。幸い敵は以前戦った時に比べ、明らかにその身に付与されている防御術などの類が少ない。俺が不在だった10秒の間に呼び出され、最低限の呪文付与のみをした状態でラピスとの戦闘に突入したためだろう。"フォーティフィケーション"を持った敵には手数優先の素手打撃に頼っていたが、それが付与されていない今ならば殺傷力の高いコペシュによる連撃で彼らに十分なダメージを与えることが可能だ。致命的な負傷を与えてからラピスの《アンティマジック・フィールド》で包めばこのヒル・ジャイアントを殺害可能なのは先刻の戦いで証明されている。まずは一体、その頭数を減らす。
首を切り落とし、返す刃でその頭部をさらに十字に刻む。それと同時にもう一方の剣により胴体を正面から腰半ばまで断ち割ると、そこで刀身を抉り込むように捻り、斬撃の方向を転換し横薙ぎへ。それによって刀身は側腹から飛び出した。剣に込められたエネルギーはその切断面全てで炸裂しており、残された肉体を蝕んでいく。だがそれでもインスガドリーアが死ぬことはない。最も大きく残った肉片が大きく炎をあげ、切断された体の断片を飲み込んで再構成を始めようとしている。己の体だった部分を炎に変え、その中から再生していく様は不死鳥のようだ。だが、その仮初の再生を止めるべくラピスが駆け寄ってくる。チェック・メイトだ。
しかし彼女のフィールドが巨人を捉える直前、インスガドリーアの姿は掻き消すように消えていく。死んだのではない。パイアス・グルールの使用した《リグループ》の呪文が、危機に瀕した仲間を術者の側へと転移させたのだ。複数の次元界の様相が入り乱れたこの環境下で瞬間移動系の呪文を使いこなすとは、やはり高度な呪文制御能力を有しているようだ。俺は武器に付与された魔法力で火力を底上げしているため、《アンティマジック・フィールド》下ではインスガドリーアを倒すことは出来ず、死亡するまでダメージを与えてからラピスに干渉して貰う必要がある。その間隙を突かれたのだ。
《リグループ》によって密集する形になった副官たちに向かって攻撃呪文を放つが、今度はお互いの中間で地面が突如隆起し壁となって雷球を受け止めた。《ウォール・オヴ・ストーン》の呪文だ。壁そのものは炸裂した雷と酸によりたちどころに破壊されるが、攻撃は見事に止められている。どうやら一旦仕切りなおしになったようだ。
この10秒ほどの戦闘でお互いが使用したリソースの量はこちらのほうが少ないだろう。だがこちらが手数で押されていることに変わりない。相手は空いた手を強化呪文の使用に回すことで戦力の強化を図っている。やはり初手に《メイズ》で分断されたのが効いている。戦場のコントロールを相手側に委ねた状態では、圧倒的な能力で相手を蹂躙しなければ勝ち目はない。だが、敵は俺の火力を十分に受け止める能力をそれぞれが有している。楽な相手ではない。
「我が眼前で無様な真似は許さぬぞ。汚名返上の機会である、これ以上我が手を煩わすこと無く自らの仇を討って見せよ!
我が玉座に侍る将たらんとするのであれば、その役目に相応しい実力を示すのだ。あの者どもを殺し、頭上の巫女にその死に様を見せつけてやれ!」
王の号令を受け、部下たちが咆哮をあげながら動き出した。その再生能力により傷の癒えたインスガドリーアが、半魔と化したその肉体に宿した忌むべき力を解放する。炎の海の熱気に当てられ、ただでさえ干からびていた大地がさらに強制的に水分を奪われ枯渇していく。土は砂に、砂は塵へと転じ、気流にあおられてそれらが巻き上げられていく。《ホリッド・ウェルティング/恐るべき枯渇》と呼ばれる高位呪文、強制的に体内から水分を奪うその効果は火球による熱波と異なり、効果を完全に無効化することは出来ない。ただ全身に力を込めて少しでも呪文に抵抗するよう踏ん張ることで、受けるダメージを減らすだけだ。
体から強制的に水分が奪われていくことで脱水症状が引き起こされ、頭痛と目眩、脱力感に襲われる。だが敵の攻撃はそれで終わりではない。まるで共鳴を起こすように残った副官達も同様の力を解放したのだ。俺を打ち据えるように不可視の波動が広がり、それが水分とともに生命力を奪っていく。《擬似呪文能力最大化》《擬似呪文能力威力強化》された高位呪文の四連奏。立て続けに脱水を受けたことで指先は震え、意識に反して各部位の筋肉が痙攣を起こす。赤を通り越して黒に染まった視界の先、憎しみに染まった瞳でこちらを睨みつけながらロッドを振りかぶるインスガドリーアの姿が見えた。
ヒル・ジャイアントが質素な装飾の施された杖を振ると頭上の空間が歪み始める。術式の構成を肩代わりさせることにより呪文の高速発動を可能とする最高級の魔具、"メタマジック・ロッド─クイックン"により《デッドフォール/落とし罠》と呼ばれる呪文が放たれようとしているのだ。発動すれば空間の歪みから大量の朽ちた大樹が回避を許さぬ密度で降り注ぎ、範囲内の生物を圧殺し地形を塗り替えるだろう。ご丁寧に《即時呪文威力最大化》を受けて破壊力も十分なそれは、固定値で今の俺を屠る火力を有している。
それぞれの呪文一つが一流の冒険者チームを壊滅に追いやるに十分な威力だというのに、俺一人を殺すために躊躇いなくその能力を全て叩きこむ判断力。どうやらこれまでの戦闘で相手の能力を測っていたのは敵も同様だったらしい。今まで初見の敵は俺のレベル不相応な戦闘能力にどこか油断しており、その隙を突いて打ち倒してきた部分がある。だがこの副官達は一度そうやって敗れたものばかりだ。全身全霊を懸けて俺を殺しにかかっている。だがそれでも敵はまだ見誤っていることがある。その要因が俺を窮地から救い、敵を追い詰める一手となる。
「──そこまでです」
その優しげな声は後ろから響いてきた。呪力を帯びた声は俺を通り過ぎて天に届くと、開こうとしていた空間のほつれを塞ぎ正常な状態へと修復する。そしてさらに後方に位置する副官達へと届くと、パイアス・グルールを除く副官3人の姿がかすかにゆらめいた。傍からみて何の変化もないようなその現象。だが俺の秘術的知覚はその効果を確かに捕らえていた。副官たちに付与されていた全ての呪文効果は失われ、また彼らから呪文行使能力が奪われたのだ。
「遅くなりました、ごめんない──でも此処から先は、敵の呪文は一つたりとも通しません!」
ふわり、と三角帽子におさまらない金髪をなびかせながら俺の隣にメイが降り立った。その手には先程ザンチラーが《メイズ》を放った際に使用していたロッドをそのまま人間用のサイズに縮めた同型が握られていた。《呪文連鎖化》された《アンティマジック・レイ》。ラピスが纏っている破魔の力場を不可視の光線にして撃ち出し、強制的に対象に纏わせる高位呪文だ。この閃光に打たれたものはその超常の能力の一切を失う。定命の存在では干渉できない巨人族の秘法はこの呪文をもってしても停止することは出来ないが、通常の術理に沿った能力はその全てが無効化されるのだ。
「よくぞ吠えた、だが先程異界に放逐されたばかりだというのにもうそのことを忘れたと見える。
もう一度わが迷宮の中へと送り込んでくれよう。次に戻ってきた時には仲間の死体との面会だ!」
彼女の言葉を不遜に感じたのか、先ほどまでは副官を援護するに留めていたザンチラーが再び呪文の構成を開始した。俺達を分断した《スペル・エンハンス》と《メイズ》の連携呪文。先程メイはこの呪文を解呪し切ることは出来ず、敵に戦場の制御権を奪われてしまった。その呪文に対して彼女は再び《グレーター・ディスペル・マジック》を展開して挑む。
「馬鹿な!」
その結果はザンチラーの驚愕の声が物語っているだろう。確かに《スペル・エンハンス》で強化された呪文はメイの解呪能力を上回る。そこをメイは、2つの解呪呪文で《スペル・エンハンス》と《メイズ》のそれぞれを別個に相殺することで呪文発動を抑止したのだ。《セレリティ》呪文による複数呪文の同時高速展開。本来であればそのような無理を通せば神経系への一時的な過負荷で幻惑状態に陥ってしまうところだが、胸の奥に刻まれたドラゴンマークが彼女に通常有り得ざる強靭さを与えている。それによりメイは何ら変わること無い状態で複数の呪文を行使しているのだ。これはおそらく彼女にしか出来ない芸当だろう。
「閣下の呪文を偶然止めただけで終わらせたつもりか、まだ我が秘術は封じられてはおらぬぞ!」
そう言って吠えたのはパイアス・グルールだ。編み始めたのは《リミテッド・ウィッシュ》の呪文。《ウィッシュ》の下位呪文であり、強力な秘術のパワーで限定的ながら現実を直接書き換える強力な呪文だ。おそらくはメイが先ほど命中させた《アンティマジック・レイ》の効果を打ち消そうというのだろう。アンティマジック系の呪文はその名の通り呪文の効果を受け付けないため、通常の解呪が功を奏さない。それを《リミテッド・ウィッシュ》で無かったことにする──なかなかに妙手である。
だが、その”望み”が叶えられることはない。突如空間を切り裂いて現れた影がまさに電光石火の速度で死霊術師へと肉薄したのだ。その小柄な影はドラウの剣士、フィア。《メイズ》から脱出した彼女は周囲の状況を即座に看破するや否や、"サドン・リープ"という独自の歩法により一気に跳躍して間合いを詰めたのだ。先ほどと異なり《アンティライフ・シェル/対生命体防御殻》を展開していない巨人へと迫るとそのショートソードを振るう。彼女の剣の向かう先を先導するかのように薄ぼんやりとした白い光が揺れ動き、その導きが剣閃を巨人の急所へと導く。
体当りするようにして膝へ武器を挿し込み、引き抜きざまにその膝を蹴り胸元へ跳躍。落下するまでの合間に体重をかけた強烈な突きで左右の肺と心臓を抉る。柄まで潜り込んだ深い刺突が引き抜かれる際には、体を切り裂きながら傷口を広げることも忘れない。"シャドウ・ハンド"と呼ばれる古代エルフの剣術流派の名に恥じぬ、抜く手の影すら見せぬ精緻にして痛烈な攻撃。
満身創痍となったパイアス・グルールはそれでも呪文を放つべく精神集中を開始しようとするが、その時目の前のドラウの少女が発する独特の気を察した──《魔道師退治》。その間合いの中で詠唱を行うことは相手の剣で斬られることを意味する、呪文使いの天敵の気配。それでも自らの活路を見出そうと半歩後ろへ後退しようとする死霊術師だが、彼女の積んだ修練はそれすら許さなかった。
その間合いからは許可無く逃れること能わず──"チケット・オヴ・ブレーズ/斬撃許可証"と呼ばれるその構えは巨人の退こうとする気配の揺らぎを鋭敏に察知すると、まるでその気の乱れに溶けこむように攻撃を滑りこませた。そしてそれが致命の一撃となる。死霊術師の肉体がその最後の意思に従って後ろ向きにゆっくりと倒れ、地面に激突すると肉体は炎の塊へと転じた。巨人の秘法による呪文無効化の影響は味方からの付与呪文にも及ぶため、パイアス・グルールは《ディレイ・デス》などの恩恵を受けていなかったのだ。
「──我は汝ら悪魔を討つ刃。剣霊の導きにより、その身を滅する者なり」
朗々と口上を述べるその姿にはまさに威風堂々という言葉が似合う。小兵に過ぎない彼女が体格で遥かに優る巨人達の只中に切り込み、押し負けるどころか瞬く間に敵を切り倒してしまうのだ。その存在感は眼前の敵等よりも余程大きなものだろう。
副官たちが見誤っていたのはこの仲間たちの存在だ。俺一人に拘泥し、他の皆への注意を怠ったために一瞬で戦況は逆転した。残る3人の副官は呪文を抑止され、巨人の秘法に護られただけの木偶の坊に過ぎない。ザンチラーが先ほどの呪文詠唱後の硬直で干渉できない隙に、俺は接近して致命の連撃を叩きこむ。その攻撃は彼ら副官の命を刈り取り、パイアス・グルール同様崩れ落ちる肉体は炎と化して丘の表面を彩る風景の一部となった。これで丘に立つ巨人は一体のみとなった。王を僣するファイアー・ジャイアントは、そのオレンジの体毛を猛る炎のように震わせている。
「さて、奈落から呼び戻した取り巻き達は全員いなくなったね。これでついにアンタは裸の王様ってわけだ、気分はどうだい?」
俺達が異空間に飛ばされた間もザンチラーと対峙を続けていたラピスが挑発するように言葉をぶつける。俺からしてみれば突然現れていた副官たちだが、彼女はその再出現の経緯も目にしているはず。"ハーフフィーンド"化していたことからして今の『奈落から呼び戻した』というのも言葉通りの意味なのかも知れない。だがその真意を問う余裕はなかった。残された一人のファイアー・ジャイアントは先程打ち倒した4人を合わせたよりもさらに強敵なのだ。
「抜かせ、ヒト族ごときに二度も遅れをとるような惰弱な者たちなど我が配下には不要。むしろ貴様らは十分に選別を果たしてくれたというものよ。
やはりこの時代の同胞の中には真に価値ある者たちはいないようだ。我が戴冠した暁には、この大地の上に住む全てのものを焼き払ってくれよう。
率いるに値する軍勢はすでに我が頭上にあり。この地の者達は生贄の役割を果たしたことで、我が偉業の一端を担う栄誉を得たのだ」
ザンチラーはそう言い放つと地面に突き刺していたファルシオンを引きぬいた。刃の先端から丘の一部であった重い炎の塊が舞い散る。どうやらこの炎巨人にとって、全ての配下は"炎の海"を顕現させるための道具に過ぎないようだ。しかも血を流させることでその儀式の触媒とするための消耗品。副官達はその中でもお気に入りのもので装身具のように近くにおいていたが、俺達に敗れたことでその価値が失われたのだろう。
「お前たちを排除し、あの巫女を引きずり下ろすのは我自らが行うことになったようだ。
だが我が与える死はお前たちを解放しない。貴様らは骸となった後もこの丘から大地が燃えていく様を見続けるのだ。
終焉も忘却も認めぬ。我が覇業を永劫にその瞳に焼き付け続けるのだ!」
その宣言と共に、ザンチラーは両手でファルシオンを握りしめ構えた。この巨人の体躯はかつて戦ったミノタウロスの戦士、ゼアドの狂乱した時の姿に並ぶほどだ。秘法が秘術的視覚をも妨害してしまうため推測ではあるが、さらに相当数の呪文で強化もされているはずであり、それらの呪文は巨人の秘法に保護されているため解呪には時間切れを待つしか無い。
「精々悲鳴を上げる事だ。そうすればあの巫女がお前たちを救いに降りてくるかもしれんぞ──どうあれ、結果は同じだがな!」
ザンチラーがその足を踏み出したかと思うと、お互いの間の距離は一瞬でゼロへと近づいた。巨体に見合わぬ俊敏さ。その動きは鈍重さなど一切感じさせない。巨人の狙いは横に並んだ俺とメイだ。黒光りするアダマティンの刃が、炎をまき散らしながらこちらへと迫ってくる。その間合いは俺達とは比べ物にならないほど広く、"にわかの移動"で逃げ切れるものではない。メイは咄嗟に《ディメンジョン・ドア》を発動させる。彼女の手が俺へと伸び、転移への同行を勧められたが俺はそれを拒否。迫る巨人を迎え撃つ。
射程内からメイが消えたことにより、俺のみへと狙いを定めた刃が迫る。体の運びといい、その斬撃の鋭さといい神がかった技量を感じさせるものがある。やはり《ディヴァイン・パワー》かそれに類する呪文で戦闘能力の底上げをしているようだ。他にも様々な呪文で強化されたであろう攻撃は、俺が展開している秘術の《シールド》に衝突。その力場の干渉を容易く突き破った。さらにその先にある反発の力場を物ともせず食い破り、勢いを緩めることがない。俺が構えた緑鉄の刃がアダマンティンの刃と交錯した時、研ぎ澄まされた集中力が時間の流れを停滞させた。
刃同士が触れ合うその一点を通じて、お互いの力の拮抗と直後の展開、それぞれの手札が応酬される。自分の動きに対してさらに変化する相手の対応、将棋やチェスのように相手の手を読みきった先の果て。そこに生まれた空間目掛けて体をねじ込むと直前の空間を死の颶風が薙ぎ払っていく。ひとまずは攻撃の回避に成功した。だがそれで終わりではない。ファルシオンを振り切ったザンチラーは既に剣から片手を離し、その腕を腰後ろに納められたロッドへと伸ばしている。
《早抜き》されたロッドが秘術構築を肩代わりし、展開された呪文は《ホリッド・ウェルティング/恐るべき枯渇》。先ほどの副官が使用した擬似呪文能力から、その呪文が俺に対して有効であると判断したのだろう。だが転移を終えたメイが即座に展開した《グレーター・ディスペル・マジック》がその構造式に干渉し、霧散させる。その動きを見てザンチラーは即座にロッドを手放し、武器を構え直す。放り出されたロッドは不可視の力に支えられ、背面へと戻っていく。どうやら《アンシーン・サーヴァント》に似た不可視の力場による従者を展開し、落とした装備を拾い上げさせる役割を与えているようだ。それらが起こったのはわずか数秒の間のことだ。一瞬の気の緩みも許されない決死の戦場。だが、その瞬間を積み重ねていかなければ勝利はない。
「さあ、どこまで保つのか? 足掻け、抵抗してみせよ!
お前たちの燃えあがらせる魂の輝き一つ一つが我をさらなる高みへと至らせるのだ!」
ファルシオンを潜るように前に出ることで回避した俺にとって、ザンチラーの声は真上から響くように聞こえる。目前の巨人の足はまるで巨大建築物の支柱のように太い。剣を振り切った姿勢から次の行動へと移る体重移動に合わせてその下肢に剣を叩き込んでみるものの、まったくそのバランスを崩すことは出来ない。お互いの圧倒的な質量差が技巧を一切無効化しているのだ。例え飛翔して頭部に近づいたとしても、今までの敵のように平衡感覚や意識を奪うことは不可能だろう。
(使用した呪文レベルから考えて最低でもウィザード15レベル。種族としての巨人は竜ほどの頑強さは持たない。
最大値を見積もって、秘術の付与を見込んだ場合800点ほどのヒットポイントか──)
戦士系の技術的特徴──《特技》と呼ばれる能力群には隣接する対象の現在ヒットポイントを知るという特殊なものが存在するが、あいにくそれを俺は習得していない。そのため敵が明らかにしている能力から推定するわけなのだが、そう大きくは外れていない自信がある。それよりも問題なのは、限られた攻撃手段でザンチラーの生命力を削りきらなくてはいけないことだ。
(エレミアが《メイズ》から帰還するまでの間メイの《ディスペル》の数が足りるか不明だ。
それにラピスやフィアが集中して攻撃を受ければ命が危うい。ここは畳み掛けるしか無い、か)
判断を下した俺は大きくバックステップしザンチラーから距離を取る。同時にハンドサインを飛ばしながら皆に行動を伝達。攻勢に出ることを伝える。
「そのような蚊の一刺しにも満たぬ攻撃では、未来永劫このザンチラーを倒すことは出来んぞ!
それとももう諦めたのか? そのまま頭を垂れ、地面に額を擦りつけて許しを乞うのであれば優しく踏み潰して楽にしてやるかもしれんぞ?」
ザンチラーは傷を受けた事に対して機嫌を悪くした素振りも見せず、こちらに向き直る。先ほど俺が与えた傷は一瞬で癒えており、自身の不死性が損なわれていない自信があるのだろう。だがそれは承知の上だ。ヘロスが力場の壁を透過する事が出来なかったように、ザンチラーも力場による攻撃で傷つけることが出来る。今の攻撃はそれを確かめるためのものだったのだから。
"力場"──マジック・ミサイルやウォール・オヴ・フォースに代表される、不可視あるいは一定色を纏ったエネルギーによって構成されるもの。原書では"Force"だったか。本来であれば呪文によって行使される種別の力であるが、このザンチラーには呪文は通用しない。であれば、武器に付与された"力場"によって傷を与えていくしかない。
とはいえゲーム中に登場した"力場"ダメージを与える武器は限られており、さらにそれはクリティカル・ヒット時に1d10点やヒット毎に1点といった頼りないものでしかない。それで目の前の再生能力を有した巨人を殺すのは大海の水を柄杓一本で掬い続けるようなものだ。ザンチラーの自信の程にも頷けるというものだ。だが今俺に与えられている選択肢はゲームの頃とは比較にならないほど多い。その手札を最大限に活かすべく脳内でレベルアップの処理を行い、その終了処理にともなって白い翼が俺の体を包み込むエフェクトを感じながら切り札の一つ、弓を取り出した。
動物の角や骨を張り合わせたコンポジット・ボウと呼ばれる弓の中でも特に高級な、魔獣の体組織を材料とした品。人間サイズでありながらも巨人が扱うような強靭な筋力に耐える特注品、何張か発注したその中でも今回取り出したものには言葉通り"Force"と呼ばれる効果が付与されている。それは俺が取り出した矢弾を力場のエネルギーへと射出する、まさに今の状況におあつらえ向きの品だ。この世界では知られていないレシピを元に、ラース・ヘイトンが製作したこの世界で唯一無二の特注品。
足を止め、"束ね撃ち"による全力射撃に意識を集中させる。レンジャーの弓術、ファイターの精密攻撃、バーバリアンの破壊力、ローグの攻撃回数──身に宿る攻撃職の全能力を行使し、指に保持されたのは三本の矢。レベルが上がったことにより同時に放てる矢の数は増え、さらに攻撃速度も飛躍的に上昇している。この一呼吸で、あの巨人の全生命力を穴だらけにして削り切る──!
放った矢は三条の力場の閃光と化し、ザンチラーの肉体へと突き立った。常識外れの破壊力を有したその矢弾は突き刺さったその周辺の体組織を巻き込みながら体の反対側から飛び出していく。先ほどの剣による攻撃と異なり、その痕跡は開いた拳大の穴から反対側が覗ける程。体の輪郭に沿って燃え上がる炎だけが残り、その射線上にある巨人の肉体は完膚なきまでに破壊し尽くされている。
「なんだと!?」
予期せぬ攻撃により痛手を受けたファイアー・ジャイアントは割りこむように風の壁を展開した。吹き上げる強風が矢弾を逸らす《ウインド・ウォール》の呪文、パイアス・グルールと同じ防衛手段だ。呪文使いにとって、矢弾による遠隔攻撃は呪文一つで無効化できる単純な攻撃手段だ。数ある専門職の中でも確かに弓職を選んだ経験は俺の中でも少ない。しかし咄嗟の出来事に判断力が低下したのか、とった防御策に陳腐なものに過ぎない。それに対しては既に対応を織り込み済みだ。待ち構えていたラピスが《アンティマジック・フィールド》を伴ってその只中へと飛び込む。
「お生憎様、その手にはもう飽き飽きしてるんだよ」
無論そのためにはザンチラーの構える剣の間合いに飛び込む必要がある。フィールドによりポーションなどによる回復すら不可能なラピスにとって、この巨人の前に立つことは命を投げ出すような行為だ。数度剣が閃けばその体は両断され、周囲の黒骨の仲間入りを果たすことになるだろう。だが彼女は俺の合図に応え、その命を掛け金に乗せた。俺がザンチラーを葬らねば反撃で彼女の命は失われる。失敗は許されない。
彼女の献身により風の障壁は溶け崩れたかのように勢いを失い、霧散していく──こちらの攻撃に対処する貴重な一手をザンチラーに消耗させた。ラピスの位置取りは完璧で、俺がザンチラーとの間に開けた間合いに飛び込みながらも決してその封魔の結界をザンチラーにはギリギリで触れさせていない。そうやって出来た道筋へと、俺は引き続き矢を打ち込み続けた。この呪文の効果は魔法や超常といった種別の効果を解呪ではなく、抑止する。つまり矢弾もその範囲内では風の障壁が掻き消されたのと同様、通常の矢へと戻る。だが、それはアンティマジック・フィールド内に限った話だ。
勢いを殺されること無く飛び出した矢はザンチラーの体の直前でその特性を取り戻し、力場のエネルギー体へと転じると巨人へと突き刺さる。3、6、9、12、15、18──一瞬の間に二桁を超える回数ファイアー・ジャイアントの肉体を抉った。それぞれがショック死を引き起こすほどの痛烈な一撃。
最後の三矢がその頭部を射ぬき、想定した最悪のヒットポイントを100以上超えてダメージを振り切った瞬間ザンチラーの体に仕掛けられた《コンテンジェンシィ》が発動した。死の間際を発動条件として設定された《セレリティ》が、今際の際のザンチラーに呪文の発動を許す。巨人が選択した呪文は《リミテッド・ウィッシュ》。限定的ながら現実を改変し、あたかも《ディレイ・デス》呪文が発動したかのようにザンチラーの命をこの炎の丘へと繋ぎ止めた。
「クッ、殺しきれないか!」
当然《コンテンジェンシィ》の備えは想定していた。それが回復や脱出を図る能力であればどうにか対応する策は考えていたものの、高位の術者だけに呪文の取捨選択も憎らしいほどで的確だ──それはつまり、こちらにとって最悪な選択ということである。呪文の効果時間はおそらく2分。その間ザンチラーをダメージによって殺すことは不可能となったのだ。束ね撃ちの効果時間が30秒、再使用までのインターバルが3分あることを考えればその時間は絶望的なものだ。
だがまだ打つ手はある。《ディレイ・デス》の効果は死亡を防ぐだけであり、瀕死状態での行動を可能にするものではない。インスガドリーアがその肉体を破壊し尽くされてなお行動していたのはもう一つの呪文、《ビーストランド・フェロシティ》により実現していたもので、先ほどの《リミテッド・ウィッシュ》により現実改変ではひとつの呪文効果を模倣しただけ。つまり、このまま致死量を超える攻撃を続ける限りはザンチラーの行動を防ぐことができる。その間に非常用の手段を打てばいい。
「補助します!」
メイが俺を連れて転移、《ウインド・ウォール》に妨げられない射撃位置を確保した後にラピスがザンチラーの付近から離脱。フィアも有事に備えて俺の近くへと移動してくる。俺は数秒毎に完全にその肉体を復元するザンチラーへとひたすら矢を打ち込みながら、続く一手の準備として呪文を高速化して行使する。《束ね撃ち》の有効時間は既に残り20秒を切っており、その間が俺達に残された猶予なのだ。
発動した呪文は《サーヴァント・ホード/従者の群れ》。シャーンで最初に出会ったサイアスが使用していた呪文だ。複数生み出された不可視の従者、彼らに命じてブレスレットから取り出したアイテムを一対となるように運ばせる。残り時間のカウントが徐々に減っていく中、不可視の従者たちは手にした荷物を抱えながらザンチラーへと近づく。そして火巨人を包囲するように隣接した瞬間、従者は手にした布切れを鞄の中へと押し込んだ。その瞬間、彼らの位置を起点として万物を吸い込む虚無の空洞が開く──。
物質界の壁が破られ、アストラル界へと入り口が開かれたのだ。"バッグ・オヴ・ホールディング"と"ポータブル・ホール"、人工的に創造された異空間同士を重ねることで発生する物質界の壁に穴を穿つ──禁忌の重ね合わせがブラックホールのように周囲のあらゆる存在を吸い込み消滅する世界の欠落を生み出す。そう、俺の狙いとは、殺せないのであればこの物質界から追放しようというものだ。
このエベロンという世界では、物質界は強固な殻に包まれており他の次元界から干渉することは非常に困難なのだ。アストラル界へ追いやればそのうちいずれかの次元界に漂着するだろう。だがそれが物質界である確率は低く、またそうだとしてもこの場からザンチラーを取り除くことが出来ればフェルニアの顕現を防ぐことが出来る。強すぎる敵と相対した際に考えていた裏技の一つ。問答無用に敵をこの世から追放するこの攻撃を防ぐ術はない。
──だが俺の目に映るのはその考えを裏切る光景だった。虚無の空洞は瞬く間に炎によって塗りつぶされた。次元界に穿たれた穴はザンチラーを吸い込むより先に、巨人の周囲を"炎の海"へと書き換える能力により掻き消されたのだ。既知のルールという知識に縛られた俺の想像を超える現象。神話の領域に踏み込んだ存在にのみ可能な、世界法則の蹂躙。目の前の巨人は、自惚れではなく真に神という超位の存在へと昇りつめようとしているということか。
「──肝を冷やすとはこの事か。よもや我が秘法の護りを掻い潜り、ここまでの傷を負わされるとは想像だにせなんだぞ。
見事な技量とそれに相応しい武具。まさに当代随一の使い手であろう──だが、運がない。我が同胞の血脈に生まれていれば、なんとしてでも我が配下に加えたものを」
空間の裂け目が消失すると同時に《束ね撃ち》の効果が切れ、矢嵐が収まりザンチラーがその傷を復元する。高い位置にあるその瞳は力強く俺を捕らえており、一挙手一投足も見逃すまいとしているようだ。
「もはや侮ることはせぬ、我が全力を持って葬らせてもらうぞ!」
巨人が吠えた。その言霊は秘術の鼓動を伴い、ザンチラーに一瞬だが未来予知に近い洞察を与える。秘術の初級呪文《トゥルー・ストライク/百発百中》、単純だが効果の高い呪文。だがメイはその呪文の相殺に動かない──いや、動けなかった。通常であれば呪文相殺を行うために必要な秘術回路の構築、その発動から効果の付与までが完全に秘法による防護の内側で行われ、外部からの干渉が行えないのだ。
秘法による防護は、巨人の体を覆う薄い一方通行の膜のようなものだと考えればいい。外部や周囲に向けて発動する呪文はその回路が少なくとも一部は秘法の外に置かれ、そこに干渉することで相殺することが出来る。だが今のようにザンチラーを目標とし、術者自身にのみ効果を与えるような呪文の場合はその呪文自体が秘法によって隔離された内部のみで完結してしまうのだ。
接近したラピスの《アンティマジック・フィールド》でパイアス・グルールやザンチラーに付与されている呪文の効果が抑止されなかったことから判断して、秘法の遮断能力は定命の存在に干渉できる範囲を超えている──つまり俺達は、ザンチラーが自己強化のために使用する呪文を一切止めることができないのだ。
「砕け散れ!」
肉厚なアダマンティンの黒い刃が俺へと迫る。一見先ほどの焼き直しに見えてその実、攻撃の質は全く異なっている。その軌道は俺が取りうる回避行動を全て蹂躙するように未来の軌道を描き、俺を封殺している。辛うじて持ちうる刹那の猶予を利用して弓を放棄、構えた剣をザンチラーの巨大な斬刀と俺の体の間に挿し込むことに成功する。
錬金術の秘儀により同じアダマンティンの硬度をエッセンスとして吹きこまれたはずの緑鉄製武器が悲鳴を上げるように軋む。そして新幹線と正面衝突したかのような衝撃は同時に俺の肉体へと深いダメージを与えてくる。手首、肘、肩と武器を支えている関節が歪み、骨は折れるまではいかないもののヒビが幾条も走る。
停滞した時間流の中、痛みという危険信号はまだ俺の脳には届いていない。だが既に防御に回した腕の機能は削がれ、常のような精密な動きは期待できそうもない。だがここで動きを止めれば待っているのは胴体の両断だ。敵の攻撃、膨大な質量と運動エネルギーを逸らすことは出来そうもない。だが自分の体を無理やり動かしその軌道上から外すことはまだ不可能ではなさそうだ。筋肉の断裂を感じながら武器の交差する箇所を支点に自分の体を回転させるように上へ。追撃の切り返しを受けぬよう、敵の剣の軌道を追うように飛び込んだ。
だがそこも安住の地ではない。一見距離を詰め間合いの内側に潜り込めば、円運動を基本とする斬撃の殺傷圏からは遠のくと思うかも知れない。だがそれはお互いが近い体格同士で戦った場合の話だ。180cmに満たない俺と10メートルを超える巨人。その腕の位置は遥か高く、また肩の付け根まで接近したとしても敵が半歩体軸をずらせばそこは一気に致死の斬撃空間に早変わりするのだ。自分の有利な位置を求め、空間の制圧をただひたすらに応酬する。それが俺に与えられた唯一の活路だ。
勿論間合いの外へと脱出することも可能ではある。だがそこまでして俺が接近戦を続けるのは勿論理由あってのことだ。他の仲間が狙われればともすれば一撃で命を奪われかねないため注意を引き付ける必要があることと、もう一つ──ザンチラーの持つ武器を破壊する機会を窺っているのだ。
見たところザンチラーは今手にしているファルシオン以外には呪文を強化するロッドの類しか持っておらず、アイテムを収納する効果を持つ道具なども身に付けているようには見えない。おそらくはその異界を展開する能力が異次元空間を恒常化するアイテムと相性が悪いのだろう。先程はこちらの想像を裏切って敵に優位に働いたその能力が、今度はこちらに攻め口を与える。巨人の膂力はそれだけでも凶悪だとはいえ、両手武器と素手では殺傷力に雲泥の差がある。攻撃呪文はメイが封じてくれる事を期待し、武器による攻撃を止めるためにあのファルシオンを破壊するのだ。そうすれば《ディレイ・デス》の効果が失われるまでの数分の時間を耐えきる可能性が飛躍的に向上する。
先ほどの交差の瞬間、俺を切り裂こうとした大剣は確かに僅かな力場に覆われただけの武器と噛み合ったのだ。インパクトの瞬間、透過を止めた瞬間であれば通常の武装でも武器破壊を試みることが出来るはず。己を鼓舞するように喉を震わせ、さらにその声に呪文の詠唱を紛れさせる。それはザンチラーが先ほど使用した《トゥルー・ストライク》。奇しくも全く同じタイミングで、巨人も再びその呪文を使用している。再び先ほどと同等か、上回る攻撃が俺に向かって行われようとしているのだ。殺意に満ちた必殺の斬撃。だがそれこそが俺が狙う機会となる。
戦闘巧者であるザンチラーに対して武器破壊の機会などそうそう訪れるものではない。俺の狙いに気がつけば他の仲間へと狙いを変えるだろう。そうなっては逃げに徹さない限り、瞬く間に蹂躙される。チャンスは一度きり。敵の攻撃が自分の体を抉るその一瞬、実体化したその刃を叩き折るのだ。肉を切らせて、骨ならぬ刃を絶つ。こちらに向かってくる剣に対し、ギリギリまで俺は回避を続けながらその瞬間を待つ。
呪文によって与えられた洞察力が数瞬後の未来を切り取ってこちらの知覚へと割り込ませてくる。ザンチラーの全身を構成する黒鉄のごとき筋肉はアダマンティンの刀身に恐るべき加速を与え、その刃はこちらの未来を切りとらんと迫ってくる。集中力が引き伸ばした時間の果て、その武器は確かに今度こそ俺の体を捉えるだろう。俺は自分の体へとその刃がめり込み、胴体が寸断される様を確かに幻視した。
だがそうはさせない。ウィザードとして脳内に準備しておいた呪文の回路に火を入れる。《セレリティ》、思考と神経伝達を加速させ、常軌を逸した反応速度と行動力を一時的に得る呪文だ。先程よりもさらに間延びした時間の中。アダマンティンの刃が俺の左腕の皮膚に薄く重なった瞬間に実体化し、表皮を切り裂いた刹那の瞬間。その一瞬を数秒にも感じられるほど引き伸ばし、その中で自分だけはいつもどおりの速度で動いている。手にした武器を構造物破壊に適した緑鉄製の戦鎚へと変え、呪文によって得た余力の全てを、一滴でも多くの重さを攻撃に乗せるために転用する。
永遠の闘争に明け暮れる次元界──"戦いの場シャヴァラス"で産出される希少金属を鉄と混ぜあわせ、さらにその住人である悪魔の肉体を大量の媒介として鍛えあげられた異界の武装。インパクトの瞬間犠牲として捧げられた悪魔たちの苦悶の声が響き、それは物質を崩壊させる《ディスインテグレイト》の呪文に似た効果を発する。不協和音はファルシオンを構成するアダマンティンの結合を分解し、ザンチラー愛用の武器はその半ばから削り取られる──はずだった。
火巨人の刃が突如目を覚ましたかのように動き始めたのだ。加速された時間の中、それは再び実体を捨てることで緑鉄製武器の発する破壊の一撃を透過し、さらに俺の肉体をすり拔けて──その途中で再び実体化した。体内に突如異物を挿し込まれたような感覚。咄嗟の反応で胴体全てを両断されることは避けたものの、右脇が抉られその傷口は炎で焼かれた。チリチリと痛みを伝える信号が腰のほうから沸き上がってくる感覚。そして時間の加速が唐突に終わりを告げた瞬間、それは俺の脳へと殺到した。《セレリティ》による反動で神経系が半ば麻痺していてもなお脳そのものが沸騰したのではないかと錯覚する激痛。魔法具の制御を失い、燃える地面へと叩きつけられる。
まともに身動きさえも叶わない幻惑状態の中、先ほどの出来事について僅かな思考で分析する。おそらくはザンチラーは俺が反撃に転じたその瞬間、同じく《セレリティ》を使用して行動を割りこませたのだ。俺の行動は読まれていた。武器は破壊できず、逆に腹を三分の一ほど裂かれ腎臓を片方持っていかれた。傷口が焼かれたことで出血がないのがまだ幸いか。だが呪文による加速の代償か、体を満足に動かすことができない。一方で巨人の秘法による再生は《セレリティ》の反作用さえも癒すのか、ザンチラーはその動きを止めず再びその剣を振り上げようとしている。一刀両断の危機──だが俺は仲間の手によってその窮地を脱した。メイの《ディメンジョン・ドア》による転移が、巨人と俺達の距離を大きく開けたのだ。駆け寄ってきたフィアが俺の傷口に手を触れると、聖戦士の持つ癒しの力が傷口を塞いでいく。
「──あのタイミングでよくぞここまで傷を抑えたものだ。だが、それでも深手には違いない。私の"癒しの手"では塞ぎきれぬな」
フィアの助けにより表面の傷は塞がったものの、未だ体内で黒い炎が暴れまわっているような痛みを感じる。おそらくはまだ臓器が傷ついているのだ。体を動かそうとする度に火花が散るような刺激が起こる──だが動きまわっても傷が悪化しない程度には回復している。それはつまり戦闘には支障がないということだ。とはいえ、次に同じような攻撃を受ければ今度こそ瀕死ではなく即死まで至ることは間違いない。まずは攻防の合間を縫って一手を治療に裂かざるを得ないだろう。だが勿論ザンチラーはその攻め手を緩めず、こちらへと詰め寄ってくる。
「どうした人間、出し物はもう打ち止めか。先ほどの矢は尽きたのか? 小賢しい秘術は使い尽くしたのか?」
ザンチラーは《アンティマジック・フィールド》を解除したラピスが時間稼ぎに創り上げた《ウォール・オヴ・フォース》をその両手剣で薄紙を斬るように一撃で破壊し、こちらへと迫ってくる。やはりあの剣も相当なアーティファクトなのか、それとも巨人の秘宝による加護の一種なのか。物理攻撃に対する完全耐性を有する力場の障壁を断ち割るとは想像以上だ。これでさらに俺の考えていた策が潰えたことになる。後は博打のような手段しか残っていない。だが俺が悩む時間よりも先に、仲間の声が戦場に響いた。
「ならば次は私が芸を披露するとしよう──貴様が最後に目にする光景を、しっかりと目に焼き付けておくがいい」
中空を切り裂き、エレミアが《メイズ》を脱出して戻ってきたのだ。彼女は視線でタイミングを合わせるようにこちらへ伝えると、ザンチラー目掛けて駆け始めた。彼女の戦闘力は接近戦に特化されている。その能力を最大に活かした攻撃を見舞うつもりなのだろう。
「素直に囚われの身でいればまだ暫くの生にすがりつけたものを、わざわざその首を差し出しに来たか!
では望みどおりお前から叩き潰してくれよう。肉片となってこの丘の業火に焼かれ続けるがいい!」
ザンチラーはエレミアに向き直りその黒剣を構えて迎え撃つ様子を見せつつも、こちらに注意深く意識を向けている。そんな巨人に向けてエレミアは間合いの違いを物ともせずに先手を取った。トリッキーな動きを交えつつ距離を詰めることで手を出す隙を与えなかったのだ。そして直前で宙を駆け上がる。ダブルシミターが美しい弧を描き、ザンチラーの頭へと襲いかかる。
彼女の剣は俺の武器のように力場を纏っているわけではない。それは巨人の秘法の加護により、体を傷つけることなくすり抜けた。何の効果もない攻撃──だがその一撃はザンチラーの顔を驚愕に歪める。一体何が起こっているのか。ダブルシミターの対の刃がさらに反動をつけて襲いかかる。ザンチラーは何を恐れてか、必死に首を仰け反らせてその攻撃を避けようとしたが完全には間に合わない。刃の先端が微かにその皮膚へと抉り込み、すり抜ける。
今度の変化は俺の目にも顕著だった。突如、ザンチラーの体を包むように複数の防御術や変成術を中心とする呪文のオーラが現れたのだ。それから想定される事は一つ。エレミアは、ザンチラー本人ではなくその身に纏う巨人族の秘法を斬っている。初太刀が何を斬ったのか不明だが、二の太刀が魔法効果に対する完全耐性を無効化したのは明らかだ。
「馬鹿な、一体どんなペテンだ? この身に宿るは神に等しい力だぞ──」
その言葉が大気へ溶けるより早く、エレミアの次の攻撃が繰り出された。ついにそれは先程のように透過することはなくザンチラーの黒鋼のような皮膚を切り裂き、分厚い骨を抉った。確かにその体からは物理効果への耐性が失われている。
「我が肉体に宿るは古の祖霊の技、我が血に受け継がれてきた宿命の一撃──巨人よ、貴様が炎の王を僣するのであれば、我が刃にて討たれるがその運命というものだ」
「馬鹿な、貴様、まさか"神殺し"か──!」
ザンチラーは驚愕の声を上げながらも反撃のために呪文を紡ごうとする。だがそれは《魔道師退治》の技術を持つフィアがその間合いにザンチラーを収めたことで悪手となった。精神集中を乱された巨人の隙を突いて、さらに彼女たちの攻撃が巨人を襲ったのだ。さらにメイが唱えた《グレーター・ディスペル・マジック》によってその体を覆っていた数々の強化呪文を吹き飛ばされている。
だがエレミアの攻撃はそれらの援護すら不要と思えるほどの苛烈さだった。まるで時が静止した中で彼女だけが自由に動いているのかのように剣が舞う。討つべき宿命の敵へと、殺戮者の刃が振るわれる。毎秒5発を超える剣閃。それだけの攻撃を続ければ、未だ巨人の纏う炎に焼かれて彼女自身の肉体も無事では済まないはず。だが、まるで炎は彼女を飾り立てるようにその周囲を踊るだけで決してその身に届くことはない。故郷の砂漠の風を身に纏うように、エレミアは炎をその支配下において死の舞踏を続ける。
それは先程の俺の放った矢の嵐を超える破壊をもたらした。ザンチラーというファイアー・ジャイアントを形作っていた肉体がこそぎ落とされていく。肉と骨が飛び散り、その巨体は見る間にその体積を減じていった。そしてその傷が癒えることは無いのだ。もはや首だけとなり残る部分は全て炎と化したザンチラーは崩れ落ち、その頭部は丘の斜面へと転がった。
「馬鹿な、こんなことが認められるものか──」
掠れたその声に応じるように、周囲に展開されている"炎の海"が徐々にその範囲を狭めていく。ザンチラーの死により、この物質界を侵食していた異界の法則が消えていこうとしているのだ。丘を染め上げていた炎はザンチラーの元へと集まっていき、そこで天に伸びる柱と化すと夜空を突き破って伸びていく。
その火柱の中はまるで地獄の狂宴のような有様だった。一際密度の高い炎の塊から小鬼にコウモリの羽を生やしたような悪魔──"インプ"が生まれたかと思うと、彼らは火柱の中に映るザンチラーやその副官の肉体を象っている炎を一つまみずつ引きちぎって笑いながら天へと登っていくのだ。次々と現れるインプの数はすぐに数えきれないほどになった。
「止めろ、契約は無効だ! 私の魂を持って行くんじゃない!」
苦悶の表情で悲痛な叫び声を上げるだけ副官達とは異なり、ザンチラーはインプ達へと罵声を叩きつけている。だが自らの任務に忠実であり、現世での魂の回収を役割とする悪魔にその言葉が聞き入れられることはない。
先程エレミアに切り裂かれた時よりも時間をかけて、徐々に啄まれるようにその炎の肉体を減らしていったザンチラー。その残された頭部に一際鋭い爪を生やしたインプが爪を立て、両の眼を抉り取るとさらに頭部の宝冠を奪い取っていく。もはや呪いの言葉を吐く口と喉をも失った巨人はただその空洞となった眼下から血の涙を流し、萎れるようにその顔を細めると火柱の残滓と共に天に登っていった。
仮初の夜空に開いた巨大な穴からは、その火柱を供物のように受け止める巨大な炎の掌が突き出ている。それは最後の一欠片を受け取るとその指を閉じ、穴の向こうへと消えて行く。そして残されたのはルーが展開する異界の星空のみ。それもルーが地上に降り立つと同時に消え去る。現れた昼空は不気味な雲など一欠片も存在しない清々しいものだ。そしてその眩しさが、戦いを終えた俺達の心を癒すように燦々と降り注ぐのだった。