感知範囲内にいる追跡部隊や遊軍をあらかた片付けた後、俺は単身"セントラル・ブリッジ"へと向かっていた。この嵐薙砦は敷地の中央を渓谷が走っており、それを繋いでいるのが古い石造りの橋なのだ。
この大陸にある他の人族の居留地と同じように、この砦も古代巨人族文明の遺跡を利用して建造されている。地下部分は手付かずのようだが、地上部分は残されていた構造物を活用して強固な防壁を張り巡らせている。地の利を活かせば個体の戦闘力が大きくかけ離れた巨人たち相手とはいえ、そうそう容易に侵略を許すことはないはずなのだが……おそらくは何らかのイレギュラーが発生しているのだろう。
この砦を舞台にしたクエストの内容を思い返しながら歩みを進めること暫し。俺の視界に件の橋が入った。ざっと差し渡し100メートルほどだろうか、断崖といって良い谷を繋ぐ、無骨な石造りの建築物だ。かつては渓流からの爽やかな風を受けていたであろう石橋は、水に変わって流れ始めた溶岩が発する鈍い赤光に照らされてまるで地獄の風景の一角のように見える。その光景に拍車をかけるのが橋の半ばに累々と横たわるトロルやミノタウロスの死体だ。遺体だけではなく彼らの武器も多くが橋の構造物に突き立つように並んでおり、正に死屍累々といった有様だ。
おそらくはその情景を作り出した張本人であるエレミアは、巨人達に合わせた仕様なのか太く作られた高欄の上に立って周囲を見下ろしていた。敵の数はざっと7体といったところだろうか、これらの敵たちは俺の索敵範囲外を回りこんでこの"セントラル・ブリッジ"へとたどり着いていたのだろう。こんなこともあろうかと彼女にはバックアップをお願いしていたのだが、どうやらその読みは当たっていたようだ。
「トーリ、戻ったか。随分と暴れてきたようだな」
俺を確認したエレミアは高欄から飛び降りた。軽やかなその動きからは彼女がここでどのように戦ったのかを想起させられる。今の彼女であれば例えここに転がっている連中が全て同時に襲いかかってきたとしても容易に斬り捨てるだろう。それだけの力量をその立ち居振る舞いから感じさせる。
「こちらに押し寄せた敵の数は聞いていたものの1割にも満たなかったぞ。よもや一人で敵軍を全滅させてしまったのではないだろうな?」
彼女のその問いは半ば冗談なのだろうが、残りの半分は本気を含んでいるようだった。確かの今の俺であれば、戦いようによっては単騎で敵軍一つを潰走させることは不可能ではない。そしてそれは俺の仲間たちにも言えることだ。レベルが10を大きく超え四捨五入で20に届こうかという域に到達すればこのエベロンでは正に一騎当千の猛者であり、行いによっては歴史に名を刻むことが充分十分可能になる。個体でそれだけの影響力を持つことができる、まさに英雄というに相応しい存在なのだ。
「いや、生憎敵の本隊には遭遇しなかったよ。斥候を兼ねた追跡部隊と遊軍をある程度片付けたらそれっきりだ。片付けた敵の数から言えばあまり変わらないだろうさ」
どうやら敵軍は一旦部隊を集結させているようで、次の本格的な戦闘に向けて準備を整えているのだろう。大まかな戦況については推測しているものの、今後の方針を決めるにはより詳しい情報を入手する必要がある。先に本隊に向かったメイ達とは急ぎ合流し、状況を分析すべきだろう。
そういうわけでそろそろこの橋を離れようかとエレミアに提案しようとしたのだが、彼女は橋の遥か向こう、おそらくは巨人族の軍勢の本隊がある方向に視線を向けていた。
「……どうした、何か見えるのか?」
俺もそちらに視線を向けるが、火災が原因と思われる煙や秘術の刻印が刻まれた何本かの柱が見えるだけで敵軍の姿を見ることは出来ない。
「何、思えばまだ私が故国を旅立ってから半年も経過していないのだと思ってな。その頃の私といえばまだ国軍の従卒程度の実力しか持ち合わせていなかった。
こと戦闘に限って言うならば、先程トーリが助けてこの橋を逃げ渡っていたあのデニス氏族の将校のほうが優れていただろう」
どうやら先ほどの男は無事ここまでたどり着いていたようだ。エレミアはそう呟くとダブルシミターを握っていた片方の手を離し、胸の前でその掌に篭る力を確認するかのように拳を握りしめた。
「それが今や、その将兵たちが隊伍を組んでも苦戦するであろう敵兵を苦もなく薙ぎ払っている。この大陸を訪れて以降、戦えば戦うほど心技が研ぎ澄まされていくのがわかるのだ。
剣を振るうたびにより鋭く、より靭やかな剣舞が脳裏に浮かび、次の機会にはその一挙一動が我が物となっていく。昼と夜を越えるたびに技量は練磨され、最早故郷にも私に並ぶものは数少ない」
確かに彼女のいうことももっともだ。エルフである彼女はおそらく今まで100年以上、地道な修練を続けていたはずだ。だがこの数カ月の出来事はその修練の期間に比べものにならないほどの短期間で、大いなる飛躍を彼女に与えた。その成長に戸惑うのも当然かも知れない。
「そうだな……"レヴナンド・ブレード"である君はこの大陸に来て守護祖霊の歩んだ道に自分の運命を重ねたんだ。その祖霊の導きなんじゃないのか?」
エレミアの上級クラス、"レヴナント・ブレード"はエルフの過去の英雄──伝説の巨人殺し達の技能を借りて戦う戦士だ。祖霊との霊的な絆を有し、その英霊の知識や才能を現代に再現する失われた技術の担い手。その中でも彼女はその中でも最も祖霊に近い位置まで歩み寄っている一人だろう。ひょっとしたら彼女は剣技を"習得"するのではなく、"思い出している"のかもしれない。
「──そうかもしれない。だが、私にはその行き着く果てが見えないのだ。かつて理想としていた姿は今や私の過去の中に過ぎ去り、まるで頂きの視えぬ峰に登り続けているかのようだ。
どこまで登ることになるのか、そしてそれほどの剣閃が必要とされる戦いとはどれほどのものなのか。祖霊は私をどこへ導こうとしているのか……」
彼女の苦悩はある意味納得のいくものだった。ルールとしてシステムを把握し、そのレールに乗って成長している俺と異なり、彼女は地道な鍛錬と実戦を通じてその技量を磨いてきたのだ。かつては腕を競う同輩達がいたが、今や双刃剣の使い手としてエレミアに並ぶものはなく、彼女は現在の文明社会においては最高峰の戦闘巧者となった。
その上、その技量は今もまだ高まりつつある。それが祖霊の導きだというなら、やがて訪れる宿命の戦いとは一体どれほどの敵と戦うことになるのか。戦闘力の向上が彼女の知識や想像力を上回ってしまっているのだろう。
「さてね……古代の巨人族は月を吹き飛ばすほどの戦いをしたと言うし、さらに上古の時代、デーモンのオーバーロード達は神に並ぶ力を振るったとも聞くけれど……。
まあどんな連中を相手にすることになったとしても、エレミアは独りじゃない。俺や他の仲間達も一緒にいるし、今まで通りなんとかなるだろうさ。
少なくとも俺は、その果てのない山を星に届くまでは登り続けると決めたんだ。だからエレミアの事は心強く思ってるよ」
そう、彼女の今持つ不安は俺の将来の不安でもある。果て無き道の先に終わりはあるのか、その道に同行者は存在しうるのか。どれだけ戦闘力が向上しても精神面は人間であることを脱却できない。であるならば一緒に歩む仲間は心強い助けとなってくれるはずだ。
「そう言われては是非もない。他の皆とは違って私は剣を振るしか能がないからな、せめてトーリに一太刀浴びせる程度には腕を磨かねばならんか。
まだまだ修練が足りないということだな──」
そう言ってエレミアは仄かな笑みを浮かべた。彼女の剣技は対巨人に特化されていることもあり、俺のような戦い方をする奴とは相性が悪い。だが今のまま成長に差がついていけばいずれ俺も彼女の剣閃に捕われることになるだろう。意外とその日は近いのかも知れない。
「そうだな、街に戻ったら久しぶりに組手でもするか。最近はカルノ達に構ってばかりで模擬戦もしてなかったからな……
だが、今はまずあの巨人たちをなんとかしなきゃな。でなきゃ、帰る家自体が無くなってしまう」
そう言って視線をやった先からは、先程よりも増えている煙が見え、風に吹かれて濃い硫黄の匂いが漂ってきていた。戦争の準備が進んでいるのだ。俺たちはラピスに頼んでこの橋を嵐で封鎖してもらうと、彼女にこの場を任せてデニス氏族の集結している駐屯地へと足を向けるのだった。
ゼンドリック漂流記
5-7.ストームクリーヴ・アウトポスト2
移動した先に待っていたのはまさに野戦病院のような有様だった。露天の至る所に臨時の天幕が張られ、その中には負傷した将兵が収容されている。包帯や水といった物資を抱えて従兵が走りまわり、傷が浅い衛士が自分で行った応急手当そのままに歩哨を行なっている。真夜中に差し掛かろうという時刻であるにも関わらず昼間のような熱気を感じるのは、決して至る所に灯された篝火によるものだけではあるまい。
予めメイ達が話をしておいたのだろう、到着するなり俺達を案内する年若い衛士が現れた。彼の顔にも緊張が見て取れる。これからより激しい戦いが待ち受けていることを判っているのだろう。だが、周囲の誰もがその瞳に強い意思を宿しているのが判る。彼らは自分たちこそがストームリーチの、ひいてはこの大陸に入植している全ての人類の守り手であると自認しており、その任務に誇りを持っているのだ。"歩哨のマーク"を持つデニス氏族、その中でも最前線に立つ剣兵達の士気の高さが今は頼もしかった。
「おお、トーリ! 無事に戻ってきたようで何よりだ。預かった治癒のワンドのおかげで大勢の兵士を危機から救うことが出来たよ、アグリマーのやつも君に感謝しているだろう!」
天幕の一つから出てきてそんな明るい声を掛けてきたのはファルコー・レッドウィローだ。自分もこの砦のために何かしたいと言った彼に、俺は持っていた《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治癒》のワンドを何本か渡し、この本営に送り込んでいたのだ。ファルコーは遺跡発掘を生業にしているだけあってか魔法装置の使用には熟練しており、他にもワンドを使用できる何人かの衛生兵達と手分けして負傷者を癒していたようだ。随分と上機嫌なところからして、どうやらご満足いただけたようだ。
少なからず死者も出ている現状からすれば彼の様子を不謹慎と思うかもしれないが、殊勝な顔をしていても却って空気を陰らせてしまうだけで、それならばいっそ脳天気な姿を見せておいたほうがいい。なにせ戦いの本番はこれからなのだから。
「それは何よりだ。非常用の備えを放出した甲斐があったみたいだな」
そう返した俺の前、先導する案内役の兵士の横へとファルコーは並ぶとそのまま歩き出した。どうやら一緒に司令部に向かおうということなのだろう。そうやって歩き続けることしばらくの後に、靴の裏に伝わる感触が土のものから大理石へと変わった。古代巨人族の遺跡の一部を流用した建築物へと到着したのだ。ここは当時巨人の奴隷種族であったエルフ達に宛てがわれていた区画だったのか、階段などの様々なものが人間でも使いやすいサイズになっている。
「以前この辺りを調べた結果、ここにはかつて壮麗な神殿が建っていたという結論に達したんだ。その名残は遺跡や地下に埋もれている洞窟に見ることが出来る。
特に地下には広い空間に墓地が広がっていて、そこには歴史的な新発見が眠っているに違いないと私は踏んでいるんだ。だが見ての通りここは激戦区でね、万が一にもこの砦の防衛に穴を開ける訳にはいかないということで本格的な調査の許可が下りないんだ」
ファルコーがそう薀蓄を語ってくれた。おそらく彼がこの砦のことを気にかけているのはその遺跡の件もあってのことだろう。司令官や衛士たちへのご機嫌取りも発掘許可を求めてのことであるとすれば必要経費として計上される。強力な後援者を得ているとはいえ彼らの財は無尽蔵というわけではない。そういった理由でもなければ不要な出費を認めることはないはずだ。
そんなことを考えながらファルコーの言葉に相槌を打って歩いているとどうやら目的の部屋に到着したようだ。歩哨が両脇を固める重厚な両開きの黒檀の扉はこの砦が改装されたときに入れ替えられたものだろう、デニス氏族のトレードマークであるキマイラをあしらった紋章が刻まれている。
「ファルコー氏と民間協力者の方々をお連れ致しました」
「伝令から連絡は受けている。入室を許可する」
少年兵が敬礼しつつ用件を告げると、歩哨の二人は素早く返事を返してきた。一人がノックし、室内からの応答を確認してから扉を開く。そこは飾り気の少ない広めの室内で、中央には大きなテーブルが置かれていた。その上にはこの砦周辺の詳細な地形が描かれた地図が置かれ、その上には多数の駒が配置されている。窓のない壁面には一般的にゼンドリックの形として知られている絵が地図として飾られており、部屋の四隅にはデニス氏族とガリファー王国、そしてシルヴァーフレイムの旗がそれぞれ立てられていた。どうやらここは作戦会議室らしい。
室内には扉の脇に別の歩哨がやはり二人、さらにテーブルの周りを3人が囲んでいて、そのうちの1人はメイだった。他の2人はいずれも人間で、見たことのない顔ぶれである。おそらく正面の壮年の男性が件の司令官だろう。短く刈りこまれた金髪に彫りの深い顔、手入れをする暇がないのか口元には無精髭が少し目立つ。腰を乗り出して両腕をテーブルに突き、地図を睨みつけている。その表情は固く、この砦が置かれている現状を示しているようだ。俺たちが入室すると彼は顔を上げ、背筋を伸ばしてこちらに向き直った。
「案内ご苦労。君は任務に戻りたまえ」
「ハッ、承知いたしました!」
短いやり取りの後で俺たちを案内してくれた少年は踵を打ち鳴らしながら敬礼すると退室していった。再び扉が閉じられるとその音を最後に室内は沈黙で満たされた。外界の音の一切が遮断されているのは秘術などによるものではなく、純粋に壁の材質と分厚さによるものだろう。そして外部から切り離されたその部屋で、静寂を打ち破ったのはファルコーの声だった。
「やあアグリマー! 君の部下たちで天幕に担ぎ込まれた者達は皆無事に回復したぞ。彼らは皆戦意に溢れて反撃の時を今か今かと待ち受けている!
良ければ私達にもこの砦を、ひいてはストームリーチを守るその末席に加わる栄誉を与えてはくれないか?」
そう言って彼は部屋の調度品からハーフリング用の脚立を取り出すとそれをテーブルに寄せてその上に乗った。そうでもしなければハーフリングである彼は人間用に設えられたテーブルの上を覗き込むことが出来ないのだ。そんな彼の相変わらずの様子に皆の表情が和らいだ。
「勿論、今はそれこそ猫の手でも借りたいほどだ。君の申し出には感謝するよ、ファルコー・レッドウィロー。
だがその前に私の部下の傷を癒すに充分な量のワンドを供出してくれた冒険者達にお礼を言わせて欲しい」
ファルコーにアグリマーと呼ばれたその男性は、ハーフリングに挨拶を返すと今度はこちらに視線を向けて丁寧に口を開いた。
「初めまして、私がこの"嵐薙砦"を任されているアグリマー・ファイアーブランドだ。治癒のワンドといえば少人数でゼンドリックを切り進む冒険者の君たちにとっては命綱とでも言うべき品だろう。それを提供してくれた君たちの申し出には大変助けられたよ。将兵を代表してお礼申し上げる。
その補償は勿論させてもらう。後でこちらのデルヴァスコンから代価を受け取ってくれ。その上でまだ我らと共に戦ってくれるというのなら、さらに報酬を支払おう。我らはストームリーチ1万の市民の命を背負ってここに立っている。その働きには充分に報えるはずだ」
アグリマーのその声を受けて、彼の右手側に立っていた男が頷きを返した。こちらは黒い髪のやはり男性だが、アグリマーよりもさらに年齢を重ねているように見える。思慮深く知性を瞳に宿しているが、最前線に配置される者の常として十分な実力を有しているようだ。厚手の鋲付き革鎧を着ているが、その下には鍛えられた筋肉が隠されている。
「戦時故にこの場ですぐにお渡し出来る物品には制限が多い。差し支えなければクンダラク氏族の信用状か、デニス氏族の署名入りの書面を用意しよう。ストームリーチの我ら氏族の居留地か、"十二会"へ持っていけば代換の物品を引き出せるように手配しておく。
勿論ワンドの代価とは別に君たちが行った小隊の撤退支援についての礼も含ませていただこう」
どうやら彼らはこちらに対して友好的なようだ。善意の寄付として扱われても構わないつもりで放出したのだが、十分以上の効果があったようだ。そもそも《軽傷治癒》のワンドは俺が持っている回復用ワンドの中で最も安価な品だ。カモフラージュ用に何本か用意していただけで、実際にはもっと効果が高いものを持っている。
だがそれは金貨2万を超える一般的には希少な価値のものであり、そんなものを放出すれば逆に警戒されるかもしれないし、何よりも回復力が大きすぎて過剰だろうと考えたために提供しなかったのだ。《軽傷治癒》といっても一回あたりの回復量が劣るだけで、むしろコストパフォーマンスとしては優れているため、この場においては最も適切な対応だったと考えている。
「心遣いに感謝します。勿論我々もこの危機に背を向けて立ち去るつもりはありません。現在ファルコーの護衛が任務ではありますが、出来る範囲で協力させていただきたい」
そう言って俺達もテーブルを囲む一団に加わった。1辺を占めていたメイの隣へと移動し、地図を見る。ざっと見るに現在デニス氏族が抑えているのは橋から此方側、地図でいう南東方面で面積にして四分の一に過ぎない。渓谷に区切られた残りの部分は既に巨人たちに制圧されていると判断できるだろう。
「状況を説明しよう。今からすればもう昨日の昼になるのか──砦の防壁の内側、この丘の頂上に突然秘術によるものと思わしき転移門が開かれたのだ」
アグリマーはそういって地図の南西のあたりを指さした。そこには赤いビショップの駒が置かれている。
「そこから飛び出してきたファイアー・ジャイアントの一団に周辺の守備兵達は蹴散らされた。そしてその門は次々と敵の増援を吐き出し続けたのだ。事態を深刻なものと捉えた我々は部隊を編成し、その転移門を破壊すべく攻撃を開始した」
おそらく我々がヒル・ジャイアントの洞窟に攻め込むその直前に、巨人たちはこの砦へと転移してきていたのだろう。あのトラベラーの泡が弾けるのがもう少々早ければ、ひょっとしたら俺たちがあの洞窟で敵の軍勢と対面していたのかもしれない。
またそういった戦略的な要地であるからこそ、あそこまで厳重な警備体制が取られていたのだろう。とはいえ既にあの洞窟の転移装置は、探索を行なっていたラピスの手によって無力化されている。再び転移の中継地として活用するには数週間単位での修復期間が必要となるだろう。
「だが二度繰り返されたその作戦はいずれも失敗に終わった。一回目は敵の将軍と思われる強力なジャイアントの手によって。そして二回目は死霊術を操るファイアー・ジャイアントと"メイジファイアー・キャノン"によってだ。
君が出会った小隊はその二度目の作戦に参加した生き残りだ。その報告によると彼らはキャノンを一つは破壊したが、敵軍はさらに複数のキャノンを用意しているらしい。巨大なコンテナが確認されている。おそらくは橋や城壁を越えて我々を直接砲撃するつもりなのだろう、二十年前に連中がストームリーチの街を焼いた時のように」
次にアグリマーが示したのは北東の区域だった。そこにはルークの駒が置かれている。それが予想される"メイジファイアー・キャノン"の配置位置なのだろう。この本営にほど近く、盛り上がった高台になっているその場所は砲撃には都合の良い場所だ。
「早急にこれを破壊あるいは奪取せねばならん。このまま放置しておいては一方的に叩かれるだけで戦いにもならないからな。それにこれを破壊しなければ制空権を得ることが適わない。
キャノンの砲弾は単なる火ではなく、触れたものに纏わりついて持続的に燃え続ける粘度の高い油でかなりの重さがある。魔法で空を飛んでいてもこの砲弾を受ければ死なずとも地上に落とされることになる」
アグリマーは"メイジファイアー・キャノン"についてそのように語った。ドラゴンの中にはそういった粘着性のブレスを吐くものもいると聞くが、巨人族の用意したそれは純粋に錬金術の産物なのだろう。ナパームのようなものだろうか? いずれにしろそんなものを一方的に撃ちこまれては敵わない。
「それに援軍として私の知合いが飛空艇で精鋭の一個小隊を乗せてストームリーチを発ったと連絡を受けている。彼らを受け入れるためにもこれらの排除は絶対だ。
少し離れたところにも発着場はあるが、既にその辺りにも敵の遊軍が入り込んでいると聞いている。直接この砦の中に飛空艇を受け入れることが出来るようになれば補給も捗るだろう」
「先ほどアルシアーナさんという士官の方をお一人、《テレポート》でストームリーチまでお送りしてきたんです。事情を説明して補給の品を受け取るまでの短い滞在でしたが、ドールセン女史にも連絡がつきました。
ファルコーさんはその飛空艇に乗って帰還するように、とのことで復路の経費はジョラスコ氏族が負担するそうです。私たちの任務はファルコー氏をこの砦に連れてきた時点で完遂したものとする、とのことで書状を預っています。
こちらの砦に向かって移動していた発掘団の本隊には一つ手前の補給地点まで引き返すように伝令が飛んでいます。発掘の人夫たちを送り届けた後に護衛部隊がこちらに合流するには3日ほどは必要と聞いています」
アグリマーに続いてメイが説明を加えた。どうやら彼女は一旦街に戻っていたようだ。アルシアーナといえば本来このクエストをストームリーチでプレイヤーに与えるNPCの役割を担っていた女性だ。彼女によって本来の主役がこの戦場に送り込まれるのか、それとも俺達が解決することになるのか。
既に俺の知識は表面的な部分でしか通用しないことが証明されており、事態は面倒な方向に展開するものだと考えておくべきだ。他人任せにせず、自分たちでこの戦場を乗り切るようにすべきだろう。そしてそれが俺の望むことでもある。
「このスカイフォール半島で飛空艇に乗れだって? 冗談じゃない、私はゴメンだぞ!」
そんなことを考えている一方で、ファルコーはメイの伝言に猛反発していた。このあたりは嵐が突発的に起こるなど天候が安定せずまさに"空が落ちてくる"半島だと言われるほどの厳しい航路なのだが、そこで飛空艇を運用するのは相当の実力者か命知らずのどちらかだ。
「安心したまえファルコー、その飛空艇は既に何度かこの航路を往復している実績もある信頼のおけるものだ。船の名前と見てくれは少々不恰好だが、キャプテンの腕前は確かだよ。
高所恐怖症の君には厳しいかもしれないが、ワインでも飲んで半日寝ていればすぐに到着するさ。諦めるんだな」
アグリマーがそう言って笑う。スポンサーの意向を伝えたメイも困ったような表情をしているが、彼女に当たっても仕方ないことはファルコーも理解しているのだろう。彼は不承不承といった様子で脚立に座り込んだ。さて、これでどうやら護衛の仕事については片が付きそうである。
「そういうわけで君たちには"メイジファイアー・キャノン"の破壊をお願いしたい。無論陽動の兵を出して敵の注意を引きつけるつもりだ。具体的には……」
地図を指し示しながらアグリマーは作戦を説明した。簡単にいえば、先ほどの橋からデニス氏族の陽動部隊が出撃して敵に圧力を加える。一方で俺たちは溶岩が湧き上がる渓谷を少数で突破し、キャノンの配置されている高台を背後から強襲するということだ。
空中を高速移動しての襲撃は相手のキャノンに補足されると危険だということと、敵の何らかの儀式魔術によりこの周辺の次元界の境界が不安定になっていることで瞬間移動による移動が危険性を有しているということがメイより報告されており、今回はこのような作戦となったわけだ。溶岩に飲み込まれないギリギリの低空を《フライ》の呪文で突き抜ける。無論敵も無警戒ではないだろうが、そこは臨機応変に対応することになる。
「君たちは既に連戦を続けてきたと聞いているが、あのキャノンさえ破壊すれば当分状況を拮抗させることができるはずだ。そして君たちがファルコーの発掘した遺跡で転移門の中継地を破壊してくれたお陰で、時間は我々にとって優位に働くだろう。
すまないが後僅か、我々が迎える夜明けのためにその力を振るってはくれないだろうか」
アグリマーのその言葉に俺はチラリとメイに視線をやる。すると彼女は唇に人差し指を当てながら僅かに黙考した後、その小さな口を開いた。
「主な敵はミノタウロスにトロル、そしてヒル・ジャイアントにファイアー・ジャイアントですよね。まだ随分と精神力に余裕はありますから、移動と敵の術者の対策をするために呪文の用意をする時間を30分ほどいただければ準備は整いますよ」
誤解されがちではあるが、ウィザードの呪文準備は何も全てのスロットを朝の時点で決定しておく必要はない。その時必要なだけの呪文を用意しておき、精神力に余裕を持たせておくことで変化していく状況に対応した呪文を必要に応じて準備することが出来るのだ。
今朝の場合、予め巨人の洞窟攻略において留守番をすることがわかっていたメイは、支援のために必要なものと緊急対応のために常備している呪文以外は無理に準備せずにおいたのだ。それにより、今のような事態に別途対応することが出来ている。とはいえ、呪文の準備には落ち着いた環境とそれなりの時間が必要になる。彼女のように極めて高い知力と術者としての技量により多くの呪文スロットを有していなければ、滅多に取られることはない方法ではあるだろう。
例えばラピスの場合は日頃から使う呪文がほぼ決まっているためにわざわざそんな風に精神力を余らせておくことはない。準備している呪文の数はそのまま戦闘力に直結するからでもあるし、どんな敵にでもある程度対応できる呪文の構成を整えているのだ。汎用性を重視しているとも言えるだろう。
「それは心強い。我々の方としても部隊の編成にある程度の時間は必要になる。術者殿が落ち着いて集中していただける部屋を用意させて頂くので、そちらで準備に専念していただきたい。早速案内させよう」
その言葉を締めくくりとして、俺たちは司令部を後にした。部屋の外で待機していた歩哨の一人が俺達を先導している。ファルコーはまだ飛空艇に乗せられるのが不満なのか、横でぶつくさと愚痴を呟いているようだ。そんな彼を無視して俺はメイへと話しかけた。
「そういえばルーとフィアの二人はどこにいるんだ? てっきり一緒にいるものだと思っていたんだが」
「あの二人なら幻馬に乗ったまま周辺の警戒に当たってくれています。敵は転移門から現れた以外にも、以前から戦い続けている周辺の巨人部族なんかがいますから。
私達が立ち寄った見張り櫓は戦線を維持できなくなったために放棄したそうなんですが、既にあそこを超えて侵入してきている者達がいるということで目のいい二人が対処してくれているんです。
──今これからの事を伝えたので、すぐに戻ってくると思いますよ。二人も働き詰めでしたし、少し休憩を取ったほうがいいでしょう。橋を封鎖してくれているラピスちゃんには伝令をお願いしておきましょう」
すらすらとメイが状況を説明してくれた。僅かな沈黙はフィアに念話を飛ばして会話していたのだろう。そしてその出自からか占術などへの対抗術を日常的に纏っているラピスにはその念話が届かない。圧縮言語を飛ばす《センディング》などの呪文は力術にカテゴリされるために彼女に伝言を飛ばすことは出来るのだが、それなりに高度な呪文であるからしてこれから戦闘だという時に貴重なリソースを使うわけにもいかず、伝令で済ませるというわけだ。
「巨人たちの動きは今までにはない本格的なもののようだ。我らも全力を持って当たらねばなるまい」
廊下の窓から覗く空を見ながらエレミアはそう呟いた。そこにはこの遺跡の敷地を覆うように広がる不気味な色の雲。突如この辺りの地形を変幻地帯のように変化させた死霊術の強烈なオーラを帯びたその雲は、周囲の生命力を吸収するように植物を枯らし、うっすらと緑に染まっているように見える。あんな効果を持つ呪文は俺の記憶にもない。敵の大規模な儀式魔術によるものか、あるいはこの遺跡に隠された古代巨人族の遺産か。
今回のクエストへの介入は、むしろ遅れてではなく本来よりも早いタイミングで行うことになっている。それが吉と出るか凶と出るか。星に占おうにも空は不吉な雲に覆われていて見えない。だが俺にはその雲を全て吹き飛ばすほどの実力が必要なのだ。そしてそれを手に入れるためには、大量の経験点──他者の命を啜る必要がある。
他者の命を奪うことに抵抗が無くなったわけではない。だがせめて悪意をもちこちらに害をなす存在を討つのであれば、気持ちに整理をつけられる。そんな自分の意志を確認するように、俺は腰にさした剣の柄に強く力を込めるのだった。