《スピーク・ウィズ・デッド》はその名の通り、死者との対話を可能とする信仰呪文だ。正確には死体に仮初の知性と生命を与え、残された記憶との対話を行うのである。ある程度五体が無事に残っている必要があるが、古い遺体からでもそれなりに情報を得ることができる有用な呪文だ。
術者と死体の属性が異なる場合、術が阻害される場合があるのだが今回の場合は2体のうち1体に対して無事に発動してくれた。クレリック呪文であることから巻物による発動となり、失敗する可能性も高いと思っていたのだが運が良かったようだ。
巨人は俺の質問に対し、短い単語を途切れ途切れに返す。洞窟の内の空気と相まって、死者が言葉を放つその様子はまさに陰鬱そのものだ。自分で殺害した相手の死体からさらに呪文で情報を吸い出すというのは冒涜的な行動に思えるかも知れないが、この呪文自体は[悪]の呪文というわけではない。既に彼らの魂は遺体を離れ、ドルラーへと旅立っている。残った体は現時点ではただの物に過ぎないのだ。
「……厄介な話だな」
引き出した情報は彼ら巨人族の企みの一部でしかないと思われたが、それでも重要なものだった。現在一部の巨人族が勢力を結集しており、彼らは古代巨人族がこの大陸に張り巡らせていた転移装置を使用して各地で戦争の準備を始めているのだという。この洞窟はその転移装置の中でもハブ的な役割を果たしており、周辺の小規模な転移門を繋いでいたのだとか。
何故、今なのか。これまで文明を捨てて生活していた巨人族がどうして団結し、立ち上がったのか。それに対してヒル・ジャイアントの死体はこう応えた。
「偉大なるストームリーヴァーの声が大地に響き渡ったのだ。『我らは再び力を取り戻し、この大陸から敵を一掃する』と。」
最後の問いに応えた死体からは既に仮初の生命力が抜け落ちており、こちらからの問いかけに答えることはない。再びこの術の対象にするには1週間ほど時間を置く必要があるだろう。だがそれまでの間遺体を保管しておくことは難しい。《ジェントル・リポウズ》の呪文で腐敗を防ぐことは出来るが、その間この洞窟やジャングルに住む死体漁り達から遺体を保護し続ける時間を割く必要があるのだ。安全な場所まで持ち帰るには巨人の死体は大きすぎる。これ以上の情報を吸い出すことは考えないほうが良さそうだ。
そしていま得た情報に思いを馳せる。"ストームリーヴァー"とは、かつての古代巨人族文明が栄えていた頃の王である。悪夢の領域との戦いにおいて自らの命を代償に、異次元世界そのものを押し返した大魔術"リーヴァーズ・ベイン"を行使した彼は深い海の底で眠りについていると言われている。ゲーム中では彼の名を騙った巨人族が率いる城塞を攻め落とすクエストもあったが、実際に復活した王自身と戦うクエストもあったのだ。果たしてこれはどちらの流れだ?
だが思索に耽る時間は俺には与えられなかった。《ヒドゥン・ロッジ》で留守番を務めているメイから、小屋に近づく不審な影についての報告が入ったのだ。その特徴的な敵の姿を聞いた俺はこの洞窟の探索をラピスとエレミアに任せ、ルーとフィアを連れて小屋へと急ぎ向かったのだった。
ゼンドリック漂流記
5-5.レッドウィロー・ルーイン3
(しばらくはその石畳に沿って進んでください。今のペースなら近いうちに追いつけますし、焦らずに移動してくださいね)
脳裏にメイのナビゲーションが響く。彼女は小屋の周囲に怪しい人影を見つけた後、《アーケイン・アイ》の呪文でその連中を追跡したのだ。発動に10分が必要となるこの呪文だが、幸い彼らは斥候だったらしく周囲の探索を行った後に撤収していったので呪文の完成が間に合ったのだ。今俺達はその斥候に張り付いているメイの秘術的視覚端末に追いつくべく、ジャングルの中を移動中である。劣化したとはいえ、石畳だけあって足跡の痕跡を発見するのには難儀する。楽に追跡が行えているのはひとえにメイのおかげだと言えるだろう。
「トーリ、そこから先は迂回したほうがいい。遺跡の守り手である"夜蠍"のテリトリーだ」
丘巨人との戦いを開始した黄昏時からは既に十分に時間が経過しており、周囲は夜の闇に覆われている。遺跡の痕跡が色濃く残る石畳を外れ、密林の中を突っ切ろうとしたところで俺はフィアのその声に足を止めた。彼女が手で指し示した辺りは石畳ではなく土が露出した地面になっており、よくよく注意してみれば所々不自然な隆起が見て取れる。おそらくは地表面の下に幾条かのトンネルが走っているのだろう。スコーピオンの巣だ。
「我らがこの大地での戦いを終えた後、力ある者達の遺跡が二度と使われぬように神から特別な力を授かった守護者を放ったのだ。
テリトリーに侵入しなければ干渉を受けることはないが、迂闊に踏みいれば地中に引きずり込まれるぞ」
目を凝らせば周囲には犠牲者のものと思われる血痕や、荷物が転がっているのが見える。散り散りに逃げていた発掘人夫のものだけではなく、ホブゴブリンの兵士のものと思わしき武器が落ちている所を見ると確かに見境なしなのだろう。
戦闘になっても負けることはないだろうが余計な時間と消耗をするのは本意ではないし、地中に引きずり込まれた遺体の回収は至難だろう。ファルコーには後で報告だけを行うことを決めて俺たちは蠍のテリトリーを迂回すると追跡を再開した。
俺たちが追っている斥候は追跡を警戒しているのか、痕跡を消すことに注意しつつ、さらには蛇行しながら進んでいるようだ。一方こちらには彼らを直視で確認しているメイのナビゲーションがあり、最短ルートを使って距離を詰めることが出来ている。先ほどのように若干の迂回をすることがあるとはいえ、その速度の差は密林の中では圧倒的だ。
追跡を開始してから10分ほどが経過した頃、俺たちはついにターゲットを目指するところまで距離を詰めることに成功した。暗闇に紛れる黒い肌。それは染料などでカモフラージュしたものではない、地の色だ。何かの意匠なのか、頬から首筋にかけて銀色の紋様が踊っている。
「確かにメイの言ったとおりドラウだな」
靭やかで丈夫そうなレザーアーマーを身に纏った彼らはクロスボウと剣で武装している。その装備品は全てが魔法による強化を受けているようだ。一目見て手練と判断できる技量。巨人たちのように生来の能力に頼ったのではない、研磨された技術による戦闘力の高さが予感された。
事前にファルコーが伝えてきた話によると、遺跡の発掘を開始した頃に彼にコンタクトを取ってきたドラウの部族が居たという。十中八九はその連中で間違い無いだろう。
彼らは遺跡に興味があり、代価は払うので発掘物を引き渡すように言ってきたらしい。勿論ファルコーの後援者はジョラスコ氏族であり、ジャンダルがそのような行為を許可することはないだろう。だが少人数で発掘に当たっていたため拒否すればどのような妨害を受けるかも解らなかったため、その場では検討する旨を伝えてお引き取り願ったらしい。
だがファルコーはそのドラウの一団についてはそれ以上詳しいことは知らないようだ。俺に先方の申し出を拒否する旨を記した書簡を託し、可能であればそれを渡すように言っただけだ。ゲームでは選択の余地なく戦闘に突入したが、同じドラウであるルーとフィアがいれば交渉の余地があるかもしれない。
(そろそろ《アーケイン・アイ》の効果が切れちゃいます。そちらの様子が確認できなくなりますから、状況に変化があったら念話で伝えてください。
今の小屋を棄てて新しい場所に移動することもできますから、無理に対処しようとはしないでくださいね。時間を置けばエレミアちゃん達も合流できますし)
(了解。それじゃ二人が帰ってきたら連絡してくれ。俺たちは引き続きこの連中を追跡する)
メイに返答を返し、彼女の提案を頭の隅に留め置きつつ前方を進むドラウたちを視界に置きながら俺は小声でルー達に話しかけた。
「あの肌の色、幻術で誤魔化しているわけでもなかったようだしドラウで間違い無いだろう。二人はこの辺りのドラウ部族についてなにか知っているか?」
そう思って問いかけたが、返ってきた二人の返答は芳しくないものだった。
「私たちの部族は自分のテリトリーから滅多なことでは出なかったのでな。他の氏族との交流はほとんどが失われてしまっているのだ。役に立てなくてすまない」
「──最も新しく外界と接触したのは三千周期も前のこと。黄昏の境界は一周期ごとに物質界と交わるけれども、我らの里にたどり着くことができるのは運命に選ばれし者のみ」
なんともスケールの大きな話だ。ここでいう一周期とは彼女たちの暦でいう1年──俺たちで言う13ヶ月に相当する。前に聞いた話から相当に外界と隔絶した部族なんだろうとは思っていたが、その度合いは俺の予想の遥か上をいっていたようだ。この様子では交渉の余地が生まれるとは考えないほうが良さそうだ。
「そうなると情報がない代わりに特に利害関係もないってことでいいのかな。相手の出方次第にもよるけれど、戦闘になる可能性は十分ある。
自分と同じ種族と戦うことになっても大丈夫か?」
俺は随分と克服しているとはいえ、未だに人間やエルフといった自分や仲間と同じ種族の敵を倒す際には一瞬殺さずに無力化して済ませるかどうかの判断に悩むことがある。大抵の場合は性根が悪に染まった連中が相手であり、悩む必要はないのだが。
相手が悪であっても改心させる"高貴なる行い"をするほど俺は出来た人間でもないし、そこまで相手の生命を重んじてやれないのが現状だ。だが彼女たちの場合はどうだろうか。明らかに善に属している彼女たちは同族が敵になった場合どう対応するのだろうか。特に強い信仰を持っている二人だけにそのあたりのスタンスについては確認しておくべきだろう。
「案ずる必要はない、我ら刃の振るいどころを誤るようなことはせぬ。むしろトーリこそ我が同族と思って油断せぬほうが良いぞ。
我らが仇敵である"蜘蛛の女王"は隙あらば同胞の魂を堕落させんと企てている。この周辺のドラウらがその蜘蛛の糸に絡み取られておらぬとも限らんぞ」
フィアのいう"蜘蛛の女王"はおそらく有名なドラウの悪神のことだろう。おそらくこのエベロンでは"上帝"として存在しているデーモンの一柱だ。エベロンという世界に括られている以上、神としての権能こそ有していないはずだがそれでも事を構えたい相手ではない。
本体はカイバーの奥底に封じられているとは思うのだが、その腹心──エグザルフは今もどこかで暗躍しているのだろう。どちらかと言えば他のD&D世界観に属するその存在が何故エベロンにいるのか、その点は非常に気になる点ではある。この仕事が落ち着いたらその辺りの事情というか伝承をこの双子から詳しく聞いてみるのもいいだろう。
「それは怖い話だな、蜘蛛には精々注意しておくよ──さて、そろそろ連中の目的地に到着かな?」
小声で会話を行いながら追跡を続けていると、ターゲットである2つの人影が石造りの高台へ駆けていくのが見えた。そこには複数のテントらしき構造物が見て取れる。おそらくはドラウ達が拠点としているキャンプ地なのだろう。一つのテントの大きさは2,3人用のものと思われる。個数からすると多くて10人が彼らの総数だろうか?
ゲームではドラウのキャンプ地にも焚き火が炊かれていたのだが、今頼りになるのは密林の隙間から零れ落ちる夜空の微かな月明かりのみだ。斥候からの報告を受け取っているのであろう人影が3名。ひょっとしたらテントや物陰にあと数人が潜んでいるかもしれないが、流石にこの距離からではそこまで判断できない。
「さて、どうやら連中の所在は突き止められたようだな。しかしどうやってアプローチしたものか……敵と判断されていきなり攻撃を仕掛けられると面倒だしな」
アプローチの手段をいくつか脳裏に浮かべるが、どれも行き当たりばったりで相手の反応が読めない。
「我らだけで行けばいきなり攻撃されることはないとは思うが──」
茂みで隣に潜むフィアがそう提案するが、俺は首を振ってその意見を否定した。
「いや、ひょっとしたら俺たちがホブゴブリン達と戦闘していたところを見られていたかもしれないし、占術で情報を得ている可能性もある。
そうだな、変に気を回しても相手に余計な勘ぐりをされるだけだろうし真正面から堂々と行くとしよう」
下手な誤魔化しは止め正面から当たることにして、念話をメイに繋ぎ状況を簡単に説明する。倍以上の人数との戦闘になる危険性があるためか、しばらく考えた後にメイから了承の声が届いた。エレミアとラピスの状況を確認していたのだろう、彼女たちは洞窟の探索を終え間もなく小屋に到着するらしい。
追跡の間にメイは新たな《アーケイン・アイ》を用意してこちらへと飛ばしてきていることも考えると緊急の事態になれば皆を連れて瞬間移動で駆けつけるつもりなのだろう。そういったバックアップの状態も確認できたところで、いくつか装備を入れ替えて準備を整えると俺は左右に双子を従えて茂みから立ち上がった。
石畳の上を相手に警戒心を抱かせぬようにゆっくりと歩く。ドラウの暗視能力の有効距離は《トゥルー・シーイング》の呪文と同じく36メートルほど。研ぎすまされた知覚力があれば零れ落ちる星明りでそれよりも長距離を見通すことができるが、どうやら相手にはそこまでの観測手がいないようだ。
目測で相手との距離が40メートルを切ろうとしたところで、フィアの口から鳥が囀るような音が発せられた。チチチ、というその高音は風に乗ってキャンプ地へと届く。密集していた人影がさっと散り、物陰からはクロスボウの弦を引き絞りボルトを装填する音が響いた。
そんな連中に向かってさらに歩みを進めていくと、一人中央に佇んでいる深緑の上衣の男が音の出所を察して注意深くこちらに視線を向けてくる。両手にスタッフとシミターをそれぞれ握ったその姿は、エルフ特有の細い体からも相応の威厳を感じさせている。
「招かれざる客、余所者を連れた黒き肌の同胞よ。何処より参られたか? ここが"古き樹の守り人"の領域であると知っているのか」
滑らかで軽やかな声が男から発せられた。耳慣れないアクセントと早いリズムをもったそれはまるで歌のように聞こえたが、紛れもなく異邦の言語である。幸い俺はその言葉の意味するところを知ることが出来た。エルフ語だ。
「我らは"黄昏の谷"より渡り来た星の歌い手と闇の狩人である。星の導きに従い旅を続け、縁あってこの地に立ち寄った」
対してフィアが足を止め、流暢なエルフ語で返す。言葉遣いが仰々しいのは儀礼的な意味もある遣り取りだからなのだろう。だがその言葉を持ってしても相手の警戒を解くには至らなかったようだ。テントや崩れた柱の影からは殺気を伴った影が見え隠れしている。
「──古い伝承で聞いたことがあるぞ。我らの先祖が"力を持ちし者"の呪縛に囚われし時、大いなる自然の導きによって縛めから逃れた者たちがいると。
既に古き主達との戦いも終わり、我らがこの大陸の主となった今頃になって彷徨い出てきたか。疾く去るが良い、この地は戦いで血を流し我らが先祖が贖ったものだ」
高所から見下すようして投げ返されたのは侮蔑の言葉だった。闇夜に映える紅い瞳が冷徹な光を帯びて輝いている。その強烈な敵意の篭った言葉の投擲は、だが双子の心の水面には小さな波紋すらも浮かべることはなかったようだ。ルーの透き通った声が周囲の木々に染み渡るように広がった。
「汝らが歩いた道があるように、我らもまた違う道を歩んできた。その何れもが父と子らの血を流すに値する誇るべきものであろう。されど今はその道行きを語る時には非ず──」
そこまで語ったところでルーはその瞳を閉じ、口を噤んだ。どうやらこちらの用件を優先してくれたのであろう、相手が余計な口を開く間にこちらから切り出すべく、半歩前に出つつ代わりに口を開いた。
「ファルコー・レッドウィローから手紙を預っている。俺たちはこいつを届けに来たんだ」
そう共通語で言いながら預かった書簡を指で挟んで相手に見せつけるようにヒラヒラと振ってみせる。近づいたおかげで薄明かりの中でも十分視認できたのであろう、刻まれた印章に見覚えがあるようでドラウの男はその細い目を見開いて俺を注視してきた。
「よそ者か。お前はハーフリングではなく、その上あの男の一行の中では見なかった顔だな。だがその手の中にある手紙はどうやら本物のようだ。見せてもらおうか」
どうやら共通語はしっかりと通じたらしい。男が舌を鳴らすと最寄りの物陰から影が一人立ち上がり、こちらへと近づいてきた。先ほどの斥候の一人だ。そのドラウは俺が持つ書簡をひったくるようにして奪い取ると偉そうな男の元まで運んでいった。まったく、歓迎の意思が全く見られない対応である。おそらくは自分がつけられたことを理解しているのだろう。
そして手紙を受け取った男は封筒を念入りに調べ、開封してからも注意深く読み進めているようだった。暫くして手紙を読み終えたドラウは表情に苛立ちを浮かばせてこちらに向き直った。
「あのハーフリングとは幾度が言葉を交わしたが、どうやら我らの慈悲までは理解できなかったようだな。
何人かの増援を得て命が救われたことで思い上がったのか、我等と対等な立場に立ったと考えているようだ。少々この密林での作法を教えてやらねばならないらしい。
お仲間の首でも送りつけてやれば少しは物分りも良くなるだろう」
ドラウの赤い眼に邪悪な光が宿り、手紙が宙へと放り上げられた。そして抜き放たれたシミターが閃くとあっという間に2つ4つと分割され、風に乗って散っていった。支えのない空中で紙のようなものをここまで容易く切り裂くとは、腕前も武器もなかなかに業物のようだ。
「ファルコーはあの遺跡を調査するに当たってスポンサーから莫大な支援を受けている、それを反故にすることは道義にもとる行為だ。
彼の持つ罠や仕掛けを解除する技術が必要なら、その不利益を補うだけの対価を示す必要あるだろう」
俺としてはあくまでジョラスコ氏族に雇われた立場であるのでファルコーが裏切るようならそれを止める必要がある。だがジョラスコ氏族とファルコーが許容できる範囲での交渉が可能なのであれば平和的な解決を模索するのも一つの手段だと考えている。ドラウは密林のプロフェッショナルであり、友好的な交流が得られるのであれば今後の発掘に対して十分な利益が見込まれるからだ。だがそんな俺の思いは歯牙にもかけられなかったようだ。
「たかがメッセンジャー相手に交渉する舌は持たぬ! とにかくレッドウィローの奴は我々の提案を蹴った、貴様にはその死を持ってあの男へ我らが意思を伝える役目をくれてやろう」
シミターが横に振るわれ、月明かりを反射して銀閃を描いた。そのドラウの動きに呼応するように、周囲に潜んでいる連中からも殺気がさらにこぼれ始める。俺を殺してファルコーを追い詰めようという考えのようだ。
とはいえ負ける気は全くしない。呪文攻撃を行えば瞬く間に殲滅することすら可能だろう。いかに鍛えたドラウが高度な呪文抵抗を持つと言っても、それを無効化する呪文というものも多く存在するのだから。
空気が緊張で徐々に張り詰めていき、どうしたものかと双子に視線をやると俺のその心情を察したのか二人は俺の前に立つように前に出て口を開いた。
「お前たちには我らがあるべき定めについて語り継ぐ導き手はいないのか。それとも永きにわたり大地に囚われたことで星々の合間を駆け巡りし時の記憶が失われたのか?
始祖より受け継いだ刃を向けるべき敵を誤つことは不義であり、道を踏み外し悪に堕ちた魂は死後に蜘蛛の女王に絡め取られることになるぞ!」
フィアがエルフ語にしては強い言葉で語りかけるが、相手のドラウ達は嘲りを返すばかりだ。
「我らは4万年の永きに渡って古き主亡き後のこの大陸を守ってきた。汝らの言う蜘蛛の女王だとて蠍神の眷属、一側面でありカイバーより我等を見守ってくださる存在であり、死後もその側に侍り戦うは優れた狩人と認められた証である!
"守り手"カーザンの名により汝らの魂を狩り取らん。女王の慈悲がその身の上にもあることを祈るがいい」
そう言葉を返すや否や、ドラウの男──カーザン・トルコチャがスタッフを振り下ろした。その先端から放たれた小さな指先ほどの光球がみるみるうちに膨れ上がり、ルーとフィアの正面で爆音と共に炸裂する! 威力が最大化された《ファイアーボール/火球》の呪文だ。
だがジャングルの暗闇を切り裂いたその閃光が収まった後、二人のドラウの少女の姿は先刻までと全く変わらない姿でそこにあった。フィアはおそらくその持ち前の機敏さで、ルーは強力な呪文抵抗で火球の威力を無効化したのだろう。
さすがに無傷であるとは思わなかったのか、カーザンの顔に一瞬動揺が走る。その心の隙を突いたかのようにルーが進みでた。
「堕した同胞の魂が蜘蛛の女王に手繰られぬよう、刈り取り浄めるも我が役目。されど汝らには今はまだ正しき道を選ぶ選択が残されている。
自らの心の裡、始祖より受け継ぎし魂へと問いかけよ。蠍神がその鋏と尾を振るうべき相手は誰であったか、神代より伝えられた戦語りはその身に残ってはおらぬのか?
巡る月と降る星の輝きの問いかけに思考を巡らせよ。その血に宿った祖霊の魂は何を求めているか、自らの在るべき姿を思い描くのだ──」
おそらくは説得を行おうとしたのだろうルーの言葉は果たしてドラウの輩にどのように届いたのか、それは人であるこの身には判らないことだった。だがその後の反応は容易に見て取れた。
「古き習わしに縛られる時代は既に終焉を迎え、我等は新たな時代へと踏み出している。
汝らの問い掛けは時代に取り残された世迷言に過ぎぬ! 我等は古き主の束縛を打ち破り、やがて大陸を超え星へと至るだろう。その時をドルラーより見ているがいい!」
カーザンが激を飛ばし、暗闇に紛れた暗殺者たちがそれに呼応した。空気を切り裂く音が立て続けに鳴り響き、黒塗りの太矢が闇夜に溶けこむように翔けるとルーへと突き立った。
「カイバーに棲む大蜘蛛から抽出した毒矢だ! 大獅子をも昏倒させる我が部族伝来の秘術、その身でとくと味わえ──!?」
自信ありげに呟いた射手はだがその言葉を途中で途切れさせた。ルーが軽くその身を振ったかと思うと、全ての太矢が音を立てて石畳に落下したのだ。
衣服の上は勿論、確かに直撃したはずの首筋にすら傷ひとつ見て取ることはできない。おそらくは反発の力場と強力な外皮により、放たれた矢は一本たりともルーを傷つけることが出来なかったのだろう。
「月の乙女が母である蜘蛛の女王との戦いを決意し、その薄絹を脱ぎ捨て戦装束を身に纏ったことが蠍神の伝説の始まり。その加護を受けし我が身に傷をつけることは能わず──」
ルーはそう詠うように言葉を紡ぎながら歩みを進めた。段差を乗り越え、高台へと上がりカーザンの横を通りぬけキャンプ地への中央へと立つその姿に周囲の全員が視線を向けている。雲の切れ間から差し込む月明かりが彼女を照らし、まるでここが彼女のために誂えられた舞台のようだ。
彼女はその場で足を止め、星の光を受け止めるように双手を頭上へと伸ばした。
「思いだせ、かつての祖霊が過ごせし楽園の王土とそこで起こりし戦の顛末を──その地の名は──」
ルーがその聖句を紡いだ瞬間、彼女へと降り注ぐ星光がその強さを増し爆発したかのように視界中を覆い尽くした。眼球から伝わる映像が消去され、その代わりに脳裏に浮かぶのは今まで見たこともない光景だ。
──塔のようにそびえ立つ楓や樺や樫の木の生い茂る森があり、これら巨大な落葉樹が空いっぱいに枝を伸ばしていた。その枝葉の天蓋の下には起伏に富んだ大地があり、ビロードのような苔やシダに覆われている。
森の中には所々に野草の咲き誇る開けた土地や小麦や大麦が風にそよぐ原野、世話をするものがいなくとも実をつける小奇麗な果樹の並木が広がっており、そこでは花の盛りと果樹の実りが同時に訪れている。
水晶のように澄み切った青い空の下では高山の峰や高地を覆っている雪すらもが光り輝き、圧倒されそうな美に満ちているが大地は荒々しさと共に心地良さをも兼ね備えている。
そは情熱と平和の次元界。
そは溢れんばかりの豊かな自然が、重ね合わされた美の中に栄えるところ。
そはエルフの神々のしろしめすところ。
その地の名は気高き緑の大地、アルボレア──
それはエベロンでは有り得ない、異なる世界に連なる次元界の一つ。神話に名高きセルダライン、エルフ神王室のしろしめすところ。太陽神に認められた高貴なるエルフの魂が選ばれし民として死後を暮らす、約束の地だ。
アルヴァンドールと呼ばれるその第一層ではこのゼンドリックの密林とは別種の生命力に満ち溢れた緑が広がっている。日が沈んだ後も星と月の光が大地を照らし、人と獣の中間のような不思議な姿の連中が宴会を続けている。
時折流星のように星空に尾を引いて見えるのは、この次元界へとやってきたエルフの魂だ。ある者はこの次元界そのものへと溶け込み、またある者はセレスチャル種などのクリーチャーへと生まれ変わる。
空を駆けるエラドリン──"ガエル"の集団が迷い込んだ悪のクリーチャーを狩りだしている。そうした諸行を見守る月、それに最も高い山の頂に人影が一つ。薄衣のみを身に纏った長身のドラウの女性が、長剣を用いて剣の舞を踊っている。
月の輝きを写し込んだかのようなその刀身は振るわれるたびに月光を反射し、その光が俺の瞳に飛び込んできたかと思うと視界が埋め尽くされていく──。
視界が戻った時に見えた風景は光が爆発した直前と変わり無い風景だった。石畳に散らばった書簡の切れ端が風に乗せられて飛んでいく様子からして、幻視はまさに一瞬の出来事だったようだ。だがその影響を受けたドラウ達にとっては永遠にも等しい時間だったようだ。
テントの影に隠れてルーを狙い射っていた狙撃手たちが皆倒れ伏し、その命脈を失っていた。唯一息があるカーザンも視覚と聴覚を失っているようで、呆然と立ち竦んでいる。
おそらく先ほどルーが行使したのは《ホーリィ・ワード/聖なる言葉》の呪文なのだろう。かつて俺がシャーンで受けた《ブラスフェミィ/冒涜の歌》の対極に位置する魔法であり、善なる言葉で悪を打ちのめすまさに"聖句"である。
この呪文により悪影響を受けたということは、このドラウ達が悪属性に偏っていたという証左でもある。また悪属性の来訪者を本来の住処へと退去されるという効果を持つこの呪文と直前のルーの台詞からすると、ひょっとしたら星空に見えた流星は彼らの魂が在るべき処へ送られたということなのかもしれない。そして命こそ失わなかったものの、その清冽な幻想に耐え切れなかったカーザンの視覚聴覚は擦り切れてしまったのだ。
「汝の魂には既に強く蜘蛛の女王の糸が絡みついており、我が身に宿りし聖句を持ってしても既に在るべき処に還すこと能わじ。我が手によりせめてその呪縛を断ち切らん」
カーザンに向けてそう言ったルーの手には、いつの間にか1本の長剣が握られていた。但し、それは普通の武器ではない。それは刃も柄も、全てが光で出来ていた。まるで星の光を凝縮したかのように輝くそれは、カーザンの緑衣に吸い込まれるように消えたかと思うと一切の抵抗を感じさせずに貫通し、体の反対側からその先端を現した。
衣服には一切の傷は認められなかったが、その一撃を受けてカーザンの命は失われたようだ。彼の体は武器に宿っていた聖なる力により分解され、燐光となって消えていく。後には彼の着ていた緑衣とシミター、火球を生み出していたスタッフだけが残されている。
ルーがその剣を握っていた手のひらを開くと、光の剣は地面に落ちることなく宙に溶けて消えた。まるで最初からそんな剣は存在しなかったといわんばかりに痕跡を残さない。カーザンの遺体が消えたこともあり、まるで先ほどまでの光景が全て幻だったのではないかと思える。
だが石畳の上に転がる多数のドラウの遺体が現実を教えてくれる。先ほどの光景は幻覚などではない。実際にルーの《ホーリィ・ワード》によって引き起こされた現象なのだ。だがその辺りの事は一切に気にならないほど、今の俺の意識は一つのことに向けられていた。
「今の光景──二人はこのエベロンの出身じゃないのか?」
そう、彼女たちドラウが俺同様、他の世界から訪れた存在かもしれないということだ。"気高き緑の大地"アルボレアはD&D標準宇宙観である"大いなる転輪"に含まれる外方次元界──神々や来訪者の故郷の一つだ。物質界にはこのエベロン以外にも多くの世界がある。
最古の世界"惑星オアース"や小説ドラゴンランスの舞台になった"惑星クリン"、アーケードゲームの舞台になった"ミスタラ"やフォーゴトゥン・レルムを含む"惑星トリル"などが有名所で、他にも様々なものを含めると十を優に超える。その中には作中にて"現実世界"との繋がりを仄めかされている世界もあるのだ。
もしそれらの世界への移動が可能であれば、そこを経由することで帰還が叶うかもしれない!
「我らの主"月の乙女"はかつて夜の女神が蜘蛛の女王に堕した際に、我ら夜の子らにも光の当たる道を歩むことが出来ることを示さんと悪との戦いを決意した。
そして我らは乙女と共に星々の合間を駆け、永劫の時を悪鬼・悪魔と闘いながら過ごしていた──」
ルーがこちらを振り返り、滔々と歴史を語った。それは"九層地獄"バートルに"無限の階層なす奈落界"アビス、"永遠に荒涼たる苦界"ゲヘナなどといった悪神の座す外方次元界との戦いの歴史だ。
「だが、その日々に大きな転機が訪れた。助けを呼ぶ"神蛇"の呼び声が聞こえたのだ。我らはその声に応え、始祖竜が天に穿った裂け目からこの地に降り立つと神蛇と肩を並べて戦い、悪を倒して地の底に大陸を蓋として封じた──」
「それが10万周期ほど前のこと。以来我らは"黄昏の谷"を故郷とし、封印の綻びを修復し、悪を封じてきた。そのかつての記憶を紡ぎ、進むべき道を指し示すが"星詠"の役割──」
ルーとフィアが交互に詠うように語る。
「戦いが終わって元の場所へ戻ったものはいないのか? 天の裂け目っていうのは?」
「始祖竜"シベイ"が世界に刻んだ裂け目は異なる世界とを繋ぐ門となり、頭上に輝く星々の光はその異界の門より投げ放たれている。かつて我らが月と崇めていた輝きもすでに遠く、いまは数多散らばる星の一つに過ぎない」
「そしてその門を通じてやってきたのは我らだけではない。大いなる悪は我らよりも早くその裂け目を通じてこの世界を知り、支配や破壊を望んで戦っていた。我らはその全てを打ち倒す永劫の戦いに身を置いているのだ。
"シベイの天輪"を通りぬけ星へと至る船は定命の存在の手には届かぬ。そして神は強い力を持つが故にその裂け目を通れず、この地には化身が映し出されるのみで全き力を振るえぬ。そしてそれらの化身すら、一度この大地を包むカイバーの呪縛に囚われたが最後、その軛から逃れることは出来ぬ。
星詠に宿る化身の力は一時的に"星の宮廷"への門を開くが、そこを通ることができるのはアルヴァンドールで生まれしエルフの魂のみ。生あるものが現身を保ったままこの世を離れた例は我らは知らぬ」
どうやらルーの力を借りてこの世界を脱出することは出来ないようだ。しかし彼女たちの話を信じるのであれば、空に満ちる星の全てが異世界への門であるということになる。その中にはおそらく俺の居た世界へ通じるものもあるのだろう。
だが、今俺の視界に映る夜空には密林の奥地にいるためか地球の空よりも遥かに多い星が散らばって見える。その数、ざっと万に届くだろう。この中から目的の門を探し当て、さらにそこに至るための手段を模索せねばならない。それにはどれだけの時間を必要とするのか?
"モンク"を極めれば代謝をコントロールするなどして加齢による肉体への影響を抑えることができるとはいえ、それは筋力等の衰えがないというだけで寿命そのものを伸ばすことが出来るわけではない。死からの蘇生を可能とする呪文も老衰による死亡は対象外だ。この世界では時間こそが最も貴重な財産なのだ。
予期せぬところからこのエベロンの世界に関する重要な情報を得たことで、俺の脳内は様々な可能性に対する思索で埋め尽くされる。そしてそれは応答がないことを訝しんだメイがエレミアたちを連れて転移してくるまで続いたのだった。