ゼンドリック漂流記
幕間.バウンティ・ハンター
ストームリーチを流れるコロヌー河を上流へと遡ると、まもなく両岸は切り立つ崖へと変わり急峻な谷が姿を現した。時折川幅が極端に狭くなっている箇所では水流が荒れ狂い、所々でその激流に未だ耐えている強靭な石柱にぶつかって大きな渦を作っている。
そういった辺りでは水の流れは縦方向にも激しく、一度足を掴まれてしまえばそのまま深い水底へと連れ去られてしまうような面も持ち合わせている。これは何もこの河に限ったものではなく、大陸に流れる全ての河川に言えることでもある。強力な魔法の加護を付与された氏族の船で無ければ、この大陸で水運を活用することはできないのだ。
だが何事にも例外というものは存在する──そして腕のたつ冒険者はその最たるものだ。そのコロヌー河の支流の一つ、その水面の上をまるで整備された街道を行くように進む3頭の馬とその背に乗った冒険者の姿があった。
近くで見ればその乗騎が自然のものではないことに気付くだろう。体の毛並みは染めぬいたような黒色だがたてがみと尻尾は灰色であり、なによりその蹄は煙で彩られたかのように霞んで見える。その蹄は水面に波紋一つ広げず、数センチの高さを持って浮遊しているのだ。
これは《ファントム・スティード/幻の乗馬》と呼ばれる秘術呪文によって生み出された擬似生命体だ。呼び出された状態で既に鞍や手綱といった装具を纏っているこの幻の乗騎は術者の技量次第では空すら駆けるという。
疲労を知らぬその乗騎を駆る一行は、競技用の馬が出す最高速度に近いスピードを維持しながらも軽々と河を遡っていく。谷を超え、両岸が植物に覆われ始めると岸辺からの襲撃を警戒してか河の中央部を一列になって進んでいく。
人の手の入っていない自然からはその生命力が匂うように漂っており、全ての枝葉がその姿を誇示するかのようにピンと張っているように見える。この光景だけを見ればコーヴェア大陸でも秘境に赴けばお目にかかれるものだっただろう。だが、さらに進んだところでゼンドリックの洗礼が彼らに襲いかかる。
冷たい風が吹き抜けたかと思うと、上流から霧が流れてきた。その霧を追いかけるように水面が凍りつき、木々の表面に霜が降りたかと思うとやがて周囲は一面の雪景色に覆われてしまった。立ち込める霧と降りしきる雪で視界は悪く、真っ白な影に包み込まれてしまったかのようだ。
白の世界に閉じ込められた一行──ケイジ達はお互いの存在を確かめるべく小さく隊列を纏めるようにお互いの馬を寄せ合った。
「いきなり雪だって!? さっきまで真夏の天気だったっていうのに、どうなってやがるんだここの気候は」
馬上で手綱をとったまま、周りの雪を吹き飛ばすような勢いで先頭のケイジががなり立てた。雪と風に遮られているため、大声を出さずにはいられないのだろう。
「河が溶岩に変わらなかっただけマシでしょ。流石のこの子達も浮かんでいられるといっても高熱に晒されたら無事じゃいられないでしょうし、そうなったら別のルートを探さないといけなくなるでしょうね」
次の馬に乗るアンが肩から広がる外套を胸元で閉じるようにしながら男の言葉に応じた。《エンデュア・エレメンツ/寒暑に耐える》と同様の効果を持つ装身具のおかげで寒暖差による影響は受けないものの、雪が入り込むことを嫌ったのだろう。
「それよりこうも視界が遮られていては危険です。先頭を交代いたしましょう」
最後尾で盾と手綱をそれぞれの手で握っていたアロイが進み出た。その鋼の装甲は所々銀の煌きが覆っており、馬上にいることもあってまるで全身鎧を身に纏った騎士のようだ。だが実際にはその外装こそ彼の肌であり、銀は魔法の護りと破邪を与える錬金術の産物である。
彼らは一刻も早くこの雪嵐地帯を抜けることを選んだようだ。隊列を組み替えると一団となって今や氷河となった支流を再び遡上していく。時折視界を割って現れる障害物を巧みな手綱捌きで回避し、1時間ほどの間雪が入り込むことを嫌ってか無言の行軍が続いた後、突如雪のカーテンが左右に別れたかと思うと再び周囲は熱帯雨林のジャングルと化していた。
「ようやく抜けたか。しかし街の道具屋で防寒具が大量に飾られてるのを最初に見たときは驚いたもんだが、こうして体感してみると確かに必需品だな。
しかもこんな気候だってのに辺りにゃしっかりと植物が茂ってるときてる。何度か街の外に出たことはあったんだが、街道沿いじゃないとここまで環境の変化が激しいなんてな。巷の伝聞は誇張されてるわけじゃなかったみたいだな」
最初に口を開いたのは再びケイジだった。あっという間に溶けていった雪の雫を払うようにマントをばたつかせ、通り過ぎた後方の雪嵐を振り返っている。
「街や街道はおそらく安定している土地を選んで広がっているのでしょう。そうでなくてはとても生身の体で生存できる環境ではありません」
やや馬の歩調を緩めて再び最後尾へと移りながらアロイが応えた。先程のケイジと比べると対象的に、機械仕掛けの瞳を前方に向けて警戒を行っている。腰元にはボルトが装填されたままのハンドクロスボウが吊るされており、危険な獣などを発見すればまずそれを一射してから距離を詰めようというのだろう。
「昔この大陸を支配していた古の巨人族達は夢と現実の境界を歪めるほどの力を使って戦争を行っていたらしいわ。おそらくこれはその戦争に因る呪文荒廃の影響なんでしょうね。
さっきの雪原も昨日までは草地だったのかもしれないし、明日には砂漠になっているかもしれない。残滓ですらこれだけの影響を持っているなんて、"ストーム・リーヴァー"っていうのは物凄く強力な術者だったんでしょうね」
アンがそういって首もとを緩めると、乗騎が進むことによる風を受けて外套がはためいた。そこから覗く腰元には秘術構成要素を収めたポーチと、立派なロングソードを納めた鞘が見える。
多くの術者にとっては呪文こそが武器であり、扱いに修練を必要とする近接武器の訓練を行うくらいであればその分の時間を研究に費やそうとするものだが彼女はどうやら例外のようだ。柄に巻かれた革製のグリップには随分と使い込まれたように見える跡が見て取れる。
「おいおい、そんな環境の変化に巻き込まれたらどうなっちまうんだ。そんなんじゃろくに植物だって育ちそうにないもんだが、その辺の木とかは随分と年季を重ねて見えるぜ」
対してケイジは両腰に大振りの山刀を吊るし、背には矢筒と長弓を背負っていた。筒に納められた矢は末端の筈と呼ばれる部分に凝らされている象嵌によりいくつかの種類に分けられているようだ。秘術的知覚を有している者はそのうち何本かが魔法のオーラを帯びていることに気付くだろう。
「そうね、聞いたところでは旅人がその影響を受けることは普通は無いらしいけれど……虎が次の瞬間にはサーベル・タイガーに変わっていたなんてことがあるらしいわよ。
せいぜいそんな間の悪いタイミングにかち合わないことを祈ることしかできないわね」
ケイジの疑問にアンが答える。ゼンドリックの悪名高い"変幻地帯"の噂はコーヴェア大陸にも伝わっている。そこでは"現実"そのものが安定しておらず、環境と共にその場の動物相や植物相を変化させてしまうのだ。
秘術を教える大学で幅広い知識を習得してきた彼女にとっては、今言ったことは教科書の内容を諳んじるようなものだ。だが知識として知っていても実際に体験したことが衝撃だったのだろう、彼女の声音には隠しきれない動揺が現れていた。
だがそれを吹き飛ばすようにケイジは声を上げる。
「でも流石だな、この馬のおかげで川の上だろうが雪の中だろうがお構いなしだ!
我等がアンデールの誇る幻影騎士団の十八番なだけはあるぜ、どんな難所もスイスイ~ってなもんだ!」
そういって手綱を操ると眼前に迫っていた大岩へと乗騎を差し向けた。ほぼ垂直に近いその壁面にぶつかる直前、手綱が引かれたことにより前駆を大きく持ち上げたその幻馬は蹄を打ち付けるとその壁面を駆け上がっていった!
「ヒャッハー! ヴァダリス氏族の競走馬でもこんな芸当は出来ないだろ!」
景気良く叫んだその台詞を発するに十分な時間を滞空した後、重力に引かれて落下した馬体はしかし落水の直前に自らの重さのことを忘れたかのように勢いを失うと、ふわりと水面に僅かばかりの隙間を残して停止した。
「ちょっと、その《ファントム・スティード》はともかくアンタは水に浮かばないんだし、落馬したらこの急流に飲み込まれてあっという間に溺れ死ぬわよ!
馬鹿やってないで大人しくしてなさい!!」
突然の奇行にアンが慌てて静止の声を掛けた。相方のそんな剣幕にもケイジは悪びれずに笑みを浮かべるが、手綱を緩めて歩速を合わせる。
「いやー、どうもワクワクが止まらなくってな! 南の大陸で宝の地図を頼りに冒険だなんてガキの頃思い描いてた夢物語そのまんまじゃねーか。
酒場の賭け事の代金替わりってあたりが胡散臭いけどよ、地図自体が古いものだってことは確かなんだ。その道中で興奮するなって言われても無理ってもんだぜ!」
抑えきれない気持ちを言葉に乗せて解き放つようにケイジは声を上げて笑う。
「地図は確かに古いものだっていうのは間違いないようだけれど、その中身までは解らないのよ?
碌でも無い生き物が住み着いてないことを祈るわ」
相方に比してアンは落ち着いたものだ。冷めた声でケイジに呼びかけ、上がりすぎているテンションを下げようとしているようだ。だがその成果が上がるより先に、後ろからアロイの声がかかった。
「どうやらその答えも間もなく明らかになるようです。地図に記されていた湖が近づいてきました。
水の流れが穏やかになってきましたし、ここからは水中からの奇襲も警戒する必要があるでしょう。幸いこのあたりは立木も少なく視界が通っていますし、そちらから迂回するように移動するのが良いと思われます」
彼の言うとおり、目前には川の流れを生み出している広大な水場が広がっていた。視界一杯に広がるその大きさはかなりのものだ。スカイフォール半島の北端から連なる山脈から流れだした渓流のいくつかがこの湖へと流れこんでおり、それが一つの流れとなってコロヌー河へと流れ込んでいるのである。
アロイの提案の通り、三人の操る幻の馬は湖岸沿いに進むとしばらくして現れた開けた空き地で歩みを止めた。ケイジが周囲の警戒を行っている傍らでアンは馬から降りて背嚢から古い羊皮紙を取り出し、地面の上に置く。そこにはこの周囲の地勢が描かれ、湖の上に大きく×印が刻まれている。
屈んだアロイがその地図の上に黒い石を置き、さらにその周囲に特殊な素材で構成された棒を配置していく。ウォーフォージドがその手を止めた次の瞬間、最初に置かれた石から緑色の光が放たれ周囲へと広がっていった。そしてその光は現れたとき同様、唐突に収束するとアロイの二つの眼へと吸い込まれていく。
いまや彼の瞳にはその古い地図に重なるように周囲の地勢が詳細に浮かび上がっていた。湖の深さや付近の動物がねぐらにしている穴ぐら、丘の向こうにかつて開拓者が開いた廃村、そして彼らの目的地である地下へと向かう坑道。
《レイ・オヴ・ザ・ランド/地勢》と呼ばれる周囲の地形を把握する呪文を秘術技師としての能力で再現したのだ。今は"カニス西家"と呼ばれるドラゴンマーク氏族は最終戦争時代に様々な能力を持った特殊なウォーフォージドを産み出そうとしていた。彼はその最中に生み出された特異な試作型であったのだ。
自身をメンテナンス可能な秘術技師と、前線で戦う戦士としての二つの側面を持つ知識をインストールされた数多くの同型機は自らの中でその二面性を解消されずに自壊するか、一切の行動を起こさない物言わぬ置物と化した。
唯一自我を維持していたアロイであったがその技術は未熟であり、研究自体が廃棄されたところで戦争で活躍した将軍の一人に引き渡されたのである。今は彼を引き取った軍人の最後の命により、その孫の護衛として仕えている。
かつては形を得ていなかった技術がその子供が進んだ秘術学校で過ごした時間により磨き上げられ、今では独自の道を歩み始めていることが彼にとっては感慨深いものであった。
「どうやら目的の場所は近いようです。妨害がなければ小一時間ほどで到着できるでしょう。幸い崩落や地形の変化による水没などは免れているようです。
この辺りの気候は安定を保っているようで、大規模な"変幻地帯"に見られる痕跡は確認できません」
秘術を行使するたびに脳裏に浮かぶ思考を別の窓に追いやりながら、アロイは淡々と状況を説明した。
「そう。じゃあ案内をお願いするわね、アロイ。湖の底に入り口があるとか、洞窟を出ようとしたら溶岩流に埋め立てられたなんてことがないようで少し安心だわ」
地図を拾い上げたアンはそのまま折りたたむと背嚢へと放り込んだ。呪文の効果時間が終了しても、得た知識は残る。いまやアロイの脳内には周囲80Km圏内の詳細な地図が出来上がっているのだ。その先導に従えば目的地を誤ることは有り得ない。
「水場周りの様子からすると、結構大型の動物がこのあたりを縄張りにしてるみたいだな。そいつらと鉢合わせしないようにさっさと目的地に向かうとしようぜ」
ケイジの指し示した先には水場の泥濘にはっきりと刻まれた複数の足跡があった。その大きさは人間のものとは比べものにならないほどのものだ。この大陸の魔法的性質と地形及び気候の多様さはそこに住む動物たちにも強く影響を与えている。
コーヴェアでも見られる種が環境に適応したものから他の大陸では絶滅してしまった大型恐竜など、希少動物を狙ってこの大陸に足を踏み入れる研究家は後を絶たない。だがそのうち目的を達成できる者はほんの一握りに過ぎない。
ストームリーチの街には希少動物専門のハンターなどもいるが、専門家を装った追い剥ぎなども多く紛れているのだ。信頼できない案内人を選んだ探索者の末路は言うまでもない。そういった先人が遺した研究誌なども好事家の収集の対象品であり、冒険者にとっての臨時収入となっている。
馬から降り、地下へと向かう坑道を進み始めた一行の前に姿を現したのはそういった先人の亡骸だった。完全に白骨化した上に黴に覆われてはいるが、湖から放たれる不思議な冷気のためか原型を未だ留めている。慎重に罠を確認しつつ亡骸に歩み寄ったアロイが検分を行う一方、ケイジとアンはこの遺体を生んだ原因の襲撃に備えて周囲を警戒した。
「……特に仕掛けはないようです。人間の男性、背丈は平均よりもやや下といったところでしょうか。遺体の状態は少なくとも数年は経過しているようですが、詳しい期間を知るには持ち帰って検査を行う必要があるでしょう。
死因は背後から鋭利な刃物で肩口から斬りつけられた傷だと思われます。他にもいくつか傷はあるようですが、最後の一撃を受けてそのまま絶命しここで倒れたのでしょう」
彼に与えられた知識の中には〈治療〉に関するものも含まれていたのだろう。その言葉は淀みなく流れていく。一部遺骨に貼りついている衣服の残骸などにも注意を払いながら、アロイは解説を続ける。
「目ぼしい持ち物が見当たらないことから殺された後に荷物を奪われたのでしょう。既に足跡を追うことは出来ませんのでどこからどこへ向かっていたのかは不明です。
少々お時間を頂ければ死者との会話を試みることも可能ですが」
《スピーク・ウィズ・デッド/死者との会話》は第三階梯に属する信仰呪文である。その効果は死体に一時的な知性と生命力を与え術者の実力にもよるが若干数の質問を行うことを可能とするものであり、いくつかの条件はあるが情報収集の手段としては有用なものだ。
だがこのアロイの申し出はアンによって却下された。
「やめておきましょう。この死体が私たちの向かう先について役に立つ情報を持っているか解らないし、貴重な呪文のリソースを割り当てる判断をするにはまだ早いわ。
この先にも似たような死体は一杯転がっているかもしれないんだし、それに話を聞くのは行き詰ってからでもいいでしょう。とりあえず今は先に進むことにしましょう」
ひらひらと不規則に手を振りながらアンは靴の先で死体の近くに落ちている小さなベルトポーチを転がした。時間の経過ですっかり緩んでいたようで、その拍子に中身が零れ落ちて慌ててアンは足先を引っ込めた。
「う、確かにこうなってから随分経過してるみたいね。それじゃアロイの盾に《ライト/光》の呪文をかけるから先導をお願い。
私は中央でランタンを持つわ。ケイジは側面と後方の警戒をお願いね」
アンはバツが悪そうにつぶやいた後に探索の方針を指示していった。彼女が一摘みの物質要素を指先に、力ある言葉を唱えると触れていたアロイの盾が松明のように輝き始めた。目を凝らせば10メートルほど前方までは見通せるだろう。
アロイが愛用しているのは、大柄な彼本人と同じ程の高さがあるタワー・シールドと呼ばれる品だ。あまりに大きすぎるため冒険者の中でも特に専門の訓練を受けた者でなければ扱うことは出来ないし、また自身の攻撃手段も限られるためどちらかといえば避けられる類の装備だ。だが彼は自らの役割に相応しいこの大型の盾を好んで使用していた。
続いてアンは片手で投光式のランタンを背嚢から取り出し片手で持ち上げた。肘から先ほどの高さを持つその金属製の筒は前方にシャッターがついており、その内側は鏡のように磨かれている。筒の中央で油が燃える光を一方向に投射することで松明よりも遠くへ光を伸ばすことが出来る。
彼女は容量一杯まで油を注ぐと、シャッターを開いて火口箱で火をつけた。すると先程の《ライト》の呪文の何倍も強烈な光が前方を照らし出す。坑道はゆるやかなカーブを描きながら地下へと向かっており、30メートルほど進んだところでランタンの光が壁面にぶつかっている。
一定の区域ごとに木製のアーチが支保として用いられており、またそこにある程度の装飾が成されていることで明らかに人の手が入っていることが解る。奥からはひんやりとした冷気以外に泥と黴の土っぽい匂いが漂ってきており、僅かに風が流れているようだ。
「ま、この様子なら妙なガスの心配はしなくてよさそうだな。それじゃ宝探しと行こうか!」
アン達が準備をしている間にケイジも光源を用意していたようで、彼の背中では陽光棒が2本その灯りを放っていた。二刀流の使い手であるケイジにとっては両手を確保するために必要な措置なのだろう、背負い袋の側面にはしっかりと陽光棒を挿し込むためのポケットが設けられている。
既に抜き放たれている二本の山刀は使い手の心情を汲み取ったのか、時折火花と共に用意された照明の数々とは異なる種類の光を放ち今か今かと出番を待っているかのようだ。このままでは隊列を無視して先行しそうなケイジの様子に呆れたようにアンは出発の号令を下す。
「さ、それじゃ胡散臭い宝の地図の冒険の始まりね。ストームリーチ成立以前にこの海域を荒らしていた海賊王の隠れ家って奴を拝見するとしましょう」
アンの掲げたランタンの光が揺らめき坑道を覗き込むように照らし、その光の道を盾を構えたアロイが歩む。はるか昔に何者かによってくり抜かれた坑道は地面だけではなく壁面や天井に到るまでかなりの強度に固まっているようだが、だからといって警戒を解くことは出来ない。
この世界には土の中をまるで水中を行くが如く泳ぎ渡るクリーチャーが珍しくないし、そういった連中の奇襲以外にも穴掘りによって移動するクリーチャーがすぐ真下を通り抜けていたりなどすればそれは天然の落とし穴となる得る。
上下左右、全周囲を警戒しつつも決して鈍重ではないペースでウォーフォージドは進んでいく。その機械の体に宿る心の特性故にかあるいは蓄積された経験の恩恵か、適度な警戒心と着実な移動速度が調和し彼は一行を先導する。
そうして地上の光の届かぬ距離まで坑道を進んだ一行の前にはやがて巨大な漆黒のうろが広がっていた。前方を照らすアンのランタンの光もその奥に届くことはなく、アロイはその広大な暗闇に踏み込む直前で歩みを止めた。
「お待ちください。罠です」
そう言って彼が目前の地面へ周囲に転がる瓦礫の欠片を蹴りこんだ。2つ3つと、転がされた石の重量が重なると目前の地面が僅かに沈み込んだ。その直後、前方2メートル四方ほどの床面から天井に向けて幾条もの鋼の煌きが走った。金属が擦れる音が空気を揺らし、坑道内をこだまする。
それぞれが大人の四肢ほどの太さもある鉄杭が10本、偽装されていた射出口を貫いてその姿を現したのだ。犠牲者の血を何度も吸ったことによるものか、赤茶けた鋭い切っ先は2メートルを超える高さまで勢い良く突き上げられた。
現れた時よりも僅かに鈍い速度で床面の下へと沈んでいったそれは、さらに続けて2回鋭い動きで天を衝いた。計3回の挙動の後、カチリという歯車の噛みあう音と共に数センチ沈み込んでいた床面が元の高さに戻る。
罠の発動の切掛となった石は粉砕され吹き飛ばされており、坑道内は元の静寂を取り戻したかのようだ。だがよく目を凝らせばその床には磔の鉄柱が吐き出される窓が見て取れ、侵入者に対する殺意がそこから零れ出しているように感じられる。
「典型的な感圧式のトラップです。先程の範囲に足を踏み入れなければ発動することはないでしょうが、念のため解除しておきましょう。しばしお待ちください」
アロイは盾を置くと先ほど歯車の音がした方向を見やり、巧妙に偽装された操作装置を発見すると専用の道具を取り出し、歯車の一つを手早く取り外す。床面に掛かった重量が一定になると足元から杭が打ち出される仕掛けのようだが、その重量を射出装置に伝える仕掛けを無力化したのだ。
彼に与えられたアーティフィサーとしての知識にはこういった罠への対処も含まれている。こういった機械式の罠だけでなく、魔法の罠の仕組みにも習熟しているのだ。技術と秘術を組み合わせた"秘術技師"の職名に相応しい技能である。
「ま、これで単なる古い坑道って線は無くなったな。罠が生きてるってことは、ここから先のお宝が手付かずで残ってる可能性があるってことだ。そうだよな?」
「残されているのが罠だけなんてことが無ければ良いのだけれど。こんな大仰な仕掛けを残すぐらいなんだもの、この先もきっとトラップだらけに違いないわ。
時間は掛かっても構わないから慎重に行きましょう。アロイ、頼りにしてるわよ」
アンの言葉を受けてアロイは半歩足を進めた。彼が盾を上方に掲げると、アンはその影に隠れるようにして身を乗り出してランタンの光を上方に向けた。この広間の入口付近は縦方向への広がりはそれほどでもなかったようで、アロイの盾が発する松明程度の灯りでも充分に天井に届いている。
湿気を含んでぬめる苔に覆われた土肌が見え、光に照らされることを嫌った小型の蝙蝠が小さな鳴き声を上げて飛び去る。すぐ頭上にはこの地下空間に住人が居た頃にランタンを吊るしていたのであろう金属製のフックが天井からぶら下がっている。
不安定なランタンの光に照らされるたび、壁の凹凸が蠢いているように見える。小型の生物が踊っているようであり、腕を振り回しているようでもあり、またそれらは実際に物陰に隠れた存在を照らしているのかもしれない。
だがその不気味な光景にも心揺さぶられることはなく、アンはランタンの光で舐めるように周囲の様子を探り地形の把握に努めた。秘術と共に暗闇に潜む恐るべき生物たちについても学んだ彼女は、こういった場所での身の処し方も心得ている。
天井沿いにランタンの光を動かしていくと、20メートルほど先で天井が消えている。そこから一気に天井が高くなっているのだろう、灯りに映るのは巨大な石筍が上から下へと伸びている様子だけだ。
その辺りは地面も抉れているようで、この広間の中央部は左半分が崩れ落ちているようだ。右手側にも充分な広さがあるため行き来には支障がなく、そちらから奥へと進むことができそうである。
石筍を伝って落ちる水滴が水面を揺らす音が静かに響いている。おそらく床が崩れ落ちた先は水場になっているのだろうが、ここからでは視線が通っていない。
「……天井が高いのは厄介ね。いきなりウーズやスライムが落ちて来るってことはなかったけれど今後もその幸運が続くとは限らないし。
奥行きもかなりありそうだけれど、ひとまずは壁際を移動して全体を把握することにしたほうが良さそうね」
アンが慎重な方針を提案し、アロイを先頭に立てるべく後ろへと下がる。だがそれに対応したのは彼女の予想を外し、ケイジだった。
「こうまで広くて照明もないんじゃ警戒も容易じゃないだろ。ランタンの光が向いてない方向から何かが近寄ってきたのに気づいた頃には手遅れだ。
俺にちょっと考えがあるから見てなよ」
ケイジは自信あり気にそう言うと、両手の武器を鞘に収めバックパックを下ろした。彼がそこから取り出したのは、紐で束ねられた陽光棒の束である。
10本が纏まったそれを両手で持ったケイジが束の先端部分を壁面に擦りつけると、衝撃を加えられたことで鉄芯を覆っている被覆物が光を放ち始める。全ての陽光棒に一度で光を灯したその手際は中々見事なものだ。
「ちょっと、何勿体無いことしてるのよ! 大量に使ったからって光の届く距離が増えるわけじゃないのよ!?」
ケイジの意図を測りかねたアンが批難の声を上げたがもう遅い。消耗品とはいえ1本あたり金貨2枚という、一般的には高級な消耗品は纏めて発光を開始している。その特性上、一度開始した発光を止めることはできず使い切りとなっているためやり直しも効かない。
だがケイジはそんな相方の言うことなど気にした風もなく、マイペースに行動を続けた。
「そんなにカリカリすんなよ、ここ暫くの賊退治と依頼で十分稼いでるし大した出費でもねえだろ? それに無駄遣いってわけじゃねーさ」
そう言ってケイジは陽光棒を束ねていた紐を解くと、脇に束を抱えながらそのうちの1本を抜き出しおもむろに正面の暗闇の中へ放り投げた。
「そーれ、っと。もういっちょ!」
掛け声を出しながら次々と投擲されていく陽光棒。放物線を描きながら飛来していくそれは硬質な音を立てながら地面に落ちてもその役割を放棄せず、周囲に明るい光を放ち続けている。ケイジがその全てを投げ終える頃には、広大な空洞の大部分が光に覆われていた。
1本の陽光棒は半径10メートル近い空間を明るい光で照らす。大量に放りこまれた光源により、先程までは無明の暗闇だった広間は一気のその有り様を変えていた。恐怖を煽った壁の凹凸も、こうなってはただのオブジェに過ぎない。
視角の関係で奥の天井などは依然として確認できないとはいえ、探索や警戒が段違いにやりやすくなったことは間違いない。
「へへっ、どーよ? 一気に見通しが良くなったろ。随分と楽になったんじゃねーの」
得意げに二人の連れを見るケイジ。
「確かに松明じゃこんな扱いした時には長持ちしないだろうけれど……あんまりだわ。私が呪文書の記述に必要な構成要素とインクを買い揃えるのに苦労しているっていうのに!
それにここで陽光棒使い切っちゃってどうするのよ!」
冒険中でなければ倒れ伏しそうな表情を浮かべてその成果を見やるアン。秘術の探求には莫大な研究費が必要とされ、高位の呪文ともなれば前衛が用いる魔法で強化された武器の価格と比べても遜色の無いことがほとんどである。
その上アンの場合は自身も前衛に立って武器を振るうこともあるため、慢性的な金欠状態なのだ。研究の合間を縫って作成したスクロールを、学生時代の恩師の伝手で得たルートで秘術商店に卸しているものの原価率からしてみれば良い稼ぎとまではいかない。
眉唾物であった宝探しに彼女が頷いたのは色々と理由があるが、そのなかの一つには勿論地図が本物であった場合に得られるメリットのこともあったからだ。
「ああ、まだ小分けになってるのがいくらか残ってるし十分持つだろ。それに下手に怪我して治癒のポーションとか飲むのに比べたら安いもんだ」
そんな彼女に付き合って決して経済状況が良いとは言えないケイジではあるが、彼は気楽そうに笑みを浮かべながら再び二刀を抜き放った。そして残るアロイもケイジと同意見のようだ。
「命を金貨で買えるならそうすべきですお嬢様。それにおかげで頭上の心配もどうやらそれほど気にせずともよさそうです。
もし天井にウーズらがいたのであれば今の動きに反応して飛び落ちて来たでしょうし、そもそもこの辺りにはその手の生物が存在しない可能性が高くなりました。
先ほどの遺体もそうですが、この広間にもいくつかの遺体が転がっているのが見えるようになりました。スライム達がこういった餌を放置しているとは考えられません」
そう言ってアロイが指し示す先には、ケイジの放った陽光棒に照らされてその姿を表した先人達の亡骸があった。
入り口にあったものと違い骨が散らばっていて元の形を留めているものは少ないが、それでも頭蓋骨から見て中型の人型生物のもので間違いないと見て取れる白骨がいくつも転がっている。
その眼窩の奥深くは陽光棒の光も届かぬ暗闇をたたえており、既にドルラーへと送られたその魂と同じくどこか虚空を見つめているようだ。
「あーもう、わかったわよ! これで実入りが無かったら承知しないんだからね!」
やり場のない感情を込めて力強くランタンの持ち手を握りしめたアンの勢いに、先に行かれては不味いとアロイは再び盾を前方に向けて広間へと入り込んだ。
右手の壁沿いに広間を進み、地面の崩れた部分に差し掛かるとアンがランタンで前方を走査する。崩落部分は10メートルほどの深さがあり、底は予想通り水場に変わっていた。沈んだ陽光棒が水面越しに柔らかな光を発しているところを見ると水の深さは腰までも届かない程度だろう。
だがその水たまりは広間の左手側の足場を抉るようにして先へと続いている。少なくともランタンの光が届かない程度の奥行きはあるようで、これ以上の探索には下に降りる必要があるようだ。幸い瓦礫の一部が均されており、スロープのように使われていたようで昇り降りには苦労せずに済みそうである。
崩落部分を迂回するように移動すると、入り口から見て正面と左奥にも坑道が伸びている。それらの奥へとランタンを向けているアンの後ろで、ケイジは無言で周囲の様子を伺っていた。
二本の坑道の中間点を正面に捉えた彼の視界には、5メートルほどの高さまで積み上げられた土塊が映っていた。この広間の壁面にはまるで螺旋を描くようなかたちで地層が描かれているのだが、その一部は壁面より突出しておりうまく足を運べば天井まで登っていけそうに見える。
「そちらの斜面にはあまり近づかれぬよう。不要に近づくと刃が飛び出す罠になっております」
ケイジの視線を確認したのか、アロイが注意を促す。彼の無骨な瞳には自然の堆積物に見せかけた土砂の中、罠の起動と停止を司る機械仕掛けのトラップを映し出していた。
おそらく地面を突き破って飛び出た複数の刃が回転する種類のもので、ゼンドリックの遺跡で良く見られるタイプだ。かつてこの大陸を支配していた巨人であれば足を切られるだけで済むかもしれないが、人間であれば腰までミキサーにかけられてしまう凶悪なものだ。
「……なるほど、言われてみれば俺にも違和感って奴がなんとなく理解できるな。このくらいの罠だったら俺も注意していれば見つけられそうだ。
仕掛けをどうすればいいかはさっぱり解らねえけど、引っ掛かるのは避けられそうだな」
高度な罠の発見には専門の訓練を積む必要があり、ケイジはそれを行っていない。とはいえレンジャーとして鍛えられた彼の知覚能力は鋭く、この洞窟のような悪環境下に置いても隠蔽程度の低い罠であれば察知することが出来る。
とはいえ罠の無力化についても訓練が必要であり、彼に出来るのは大まかに把握できる罠の影響範囲を避けることくらいだ。
「勉強熱心なのは結構だけど、今は周囲の警戒に集中してよね。それに今更その手の訓練を始めるっていうのは良くないんじゃないかしら?
無理に色んな技術に手を出しても、今まで蓄積してきたものを台無しにしちゃうだけになるかもしれないわ」
わかってはいるでしょうけれど、と続けつつもアンはケイジに釘を差した。軽装を旨とし、2本の軽刀剣を使用する彼の剣技は確かにローグの技術との相性は悪くない。
だが、生物の急所に攻撃を加えることに重きをおいたその術理はいま真っ直ぐに延びている彼の剣筋に軌道修正を強いるだろう。そして不死者や人造、一部の魔法の加護を受けた存在には実質急所というものが存在せず、その技は効果を発揮し得ないのだ。
「いやー、俺もそろそろ色んなことを模索したほうがいいかなと思ってさ。二刀の扱いは自分でも中々のもんだと思ってるんだが、そこにさらに何かを加えたいんだよ」
彼らが最近通うようになった冒険者仲間の屋敷では、前衛同士で手合わせを行うことがあるのだがそこでの彼の成績は芳しくない。相手によってはカスリ傷一つ与えることが出来ず封殺されてしまうことも多い。
アンも秘術の研究者としての情報交換を主としながらも時折手合わせに混ざることはあるのだが、白星を収めた試しがない。
「《トゥルー・ストライク/百発百中》の洞察の上を行く先読みやら身のこなしやらは天与のもので、私たちが今からどう頑張っても得られるものじゃないわ。あの人達を基準に考えるのは止めておいたほうがいいわよ」
うんざりしたような表情でアンが言葉を返す。故郷では同年代の間で負け知らずであり大学でも優秀な成績を修めていた彼女にしてみれば、この街に来てからの出来事はその慢心を捨てるに充分だった。
そしてそれは確かな糧となり、彼女を成長させている。特にそれぞれ専門を異とする二人の秘術使いとの会話は彼女の技術の伸長に大きく寄与していた。
「──さて、どうやらこの辺りには他にトラップなどの仕掛けはないようです。先に進むのであればいくつかの通路がありますが、どちらから参りましょうか?」
二人がそんな会話をしているうちにもアロイは周囲の探索を終えていた。この広い空洞には来た道を除いて3つの行き先が見えている。
「そうね。とりあえず水場のルートは後回しにするとして、入り口に近い方からでいいんじゃないかしら。順番に片付けていきましょ」
アンがそういってカンテラを坑道の一つへ向ける。投光式ランタンの灯りをもってしても行き止まりを照らすことは出来ない。少なくとも40メートル先まではこの通路は続いているようだ。天井の高さは10メートル以上あり、この坑道の規模を暗示しているようだ。
ランタンを下げていない方の手には針金が握られており、それが腰のポーチに吊るされた鈴を擦った。中空には音を鳴らすための玉が入れられていないのか、揺れたそれから音が漏れることはなかった。
「まあ異論はないぜ。一応一本投げ込んでおくか」
アンがなにやら行っているその横で、ケイジは足元に転がっている陽光棒を一本拾い上げておもむろに前方へ放り投げた。放物線を描いたそれは見事に天井ギリギリを掠めるように飛ぶと、ランタンの照らす距離の倍ほど進んで硬質の音と共に動きを止めた。
遠目に照らし出されたそれは、ゼンドリックの遺跡によく見られる形式の扉である。おそらくは巨人族が一定の規格として採用していたのであろう、分厚い金属製の円盤で通路を遮断している様子が見て取れる。同じ形式の扉は巨人族の文明が影響を与えた様々な土地で見ることが出来、カニス氏族らも同じものを採用している。
一説ではこの扉を創造する専用の呪文がこの大陸の探索の際に見出されているとかで、創造のマーク氏族はその秘密を独占しているのだという。突拍子も無い話ではあるが、自然の坑道に突如こういった扉が現れることは珍しくないことからそれなりに知られている噂話の一つだ。
「おっ、奥に扉があるみたいだな。とりあえずあそこまで進むとしようや」
そのケイジの声を切掛に、一行は再び隊列を組んで進み始めた。それなりに踏み固められたのかしっかりとした足場は重装備のウォーフォージドが歩いても僅かに沈み込む程度だ。周囲の暗さも相まって、その痕跡を発見することは相当に難しいだろう。
とはいえ警戒を怠るわけには行かない。罠などの危険がないことを確認しつつ、100メートル先の扉まで進むには5分の経過を必要とした。
「特に鍵や罠といった仕掛けはありません」
手早く調査をしたアロイの声を聞いて、アンとケイジがその立ち位置を入れ替えた。
「それじゃ開けるぜ……せーのっ!」
手前の地面に据え付けられた巨大なレバーを操作すると、歯車の噛みあう音と共に円盤が横へと転がり出す。その隙間に盾を押しこむようにしてアロイが前進し、アンは奇襲に備えて後方で精神を集中させながらもランタンを掲げた。
だが、どうやら彼らの警戒は空振りに終わったようだ。轟音と共に円盤が動きを止め、向こう側への視線が通るとそこには無人の空間が広がっていた。鉄柵によって仕切られた3つの部屋から成り立つその区画はどうやら居住空間として使用されていたようだ。
動物を閉じ込める檻のように隙間のある鉄柵だが、正面の部屋を仕切る柵には切れ目が設けられており出入りに支障はない。一方、左の部屋とを区切る柵には戸口が設けられており、簡易な鍵で閉鎖されているようだ。大型の木箱が天井付近まで積み上げられていることから、物置部屋だったのかもしれない。
空洞自体に手を入れているようで、周囲を取り囲む壁面はその凹凸を削られ部屋を綺麗な正方形に形作っている。正面奥の部屋には巨大な二柱の像が立っており、その一つにはどうやらこの部屋の空気を清浄に保つ魔法が仕掛けられているようだ。扉を開けたことにより、広間側からの湿気た空気が流れ込んだはずだがそれらは一呼吸もしないうちに浄化されている。
残る一方の像は部屋中に灯りを発しているようだ。この空間は魔法による熱を持たない光で満たされており、先程までの暗所に慣れていた一行にはやや眩しく感じられるほどだ。
「あら、仕掛けも待ち伏せも無しね。魔法の効果はまだ生きてるみたいだけど、ずっと無人なのかしら?
まあ一時的なセーフハウスってことならこんなモノなのかもしれないけれど……」
床の一部には焚き火台があるなど過去にこの空間で誰かが生活していたのであろう痕跡を見ることができる。だが、無論それが熱を発していることなどはなく最近使われた様子はどこにもない。
「なあ、このデカイ像の必要な部分だけでも切り取って持って帰れないのか? 空気を綺麗にする奴って結構な値段がするって言ってたよな」
正面奥の部屋へと入ったケイジが彫像を調べながらアンに尋ねた。ケイジは人間の中でもやや背が高い方だというのに、二柱の像の大きさはその倍を優に超えていた。石造りということもあって、とても持ち運びのできる重量ではない。
「駄目ね。大抵の場合、呪文っていうのはその起点となった物体が破損した時点で効果を失うものよ。その像の事は忘れるしかないわね、どうやってここまで運び込んだのかって事は気になるけど。
唯一収穫になりそうなのはそこの物置らしきスペースかしら。アロイ、そちらの様子はどう?」
鉄柵の前で解錠を行っていたアロイにアンが声をかけると、やや間を置いてウォーフォージドが振り返った。その手には鍵として取り付けられていたU字型の金属が握られている。
「鍵は問題なく取り外せました、お嬢様。捜索にはもう暫くの時間を頂戴いたします」
そう言って畏まるアロイに向かってアンは歩み寄る。
「そうね、それじゃちゃっちゃと取り掛かって片付けちゃいましょ。ケイジ、一応そっちの入口側の警戒をお願い。
分岐部に《アラーム/警報》を仕掛けておいたから何かあったら解るはずだけど、念のためね」
「あいよ、任された。収穫を祈ってるぜ!」
受け渡されたランタンを地面に置き、角度を調節した後ケイジは弓を手に持って弦の調子を確認し始めた。指で何度か弾いて異常が無いことを確認すると、矢筒から矢を取り出して番える。
ここから広間までは彼の構えたコンポジット・ロングボウの標準射程を上回っており、命中精度は若干落ちるものと考えられる。もし侵入者が現れたとしたらある程度引きつけたほうが命中率は上がるだろう。
だが相手の移動速度が早かった場合に抜刀が間に合わなければ無防備な姿を晒すことになる。状況次第では発見したら即座に矢を射掛けて双刀を抜くべきだろう。そういった状況判断をとっさに正しく行うことが生き延びるために必要なのだ。
ケイジはランタンに照らされた坑道を睨みつけながら、仮想敵の動きをシミュレーションする。今まで戦った敵や、肩を並べた戦友たちならどう動く? 自分はその動きに対応できるか?
「終わったわよー、そっちの扉閉めてこっちに来て!」
後方遠くから投げかけられた声を受けて、ケイジは弓を背負い直すと部屋の内側にも備え付けられているレバーを操作した。扉が閉まったことを確認後、レバーの噛み合わせ部分に楔を挿し込み開閉出来ないように細工する。有り触れた扉だけに、先人によって様々な工夫が行われておりこの楔もその一例である。
扉を挟んで両側に存在するレバーは互いに連動しており、片側の動きを止めればもう一方も操作不能になるのだ。そういった細工を可能にする小道具が色んな店で販売されている。準備を入念に行う冒険者であれば当然持っている品であろう。
「どうよ、なんか目ぼしいものはあったのか?」
そんなルーチンワークをこなした後、ケイジは物置部屋へと足を踏みれた。積み上げられていた木箱はいくつかは地面へと下ろされており、釘で打ち付けられた木板は手斧で破壊され中身を物色されていた。
「ある程度価値がありそうなのは小剣が一本といくつかの宝石、あとは金貨が少々ってところかしらね。ほとんどの木箱は石が詰められてるだけで碌なもんじゃなかったわ。
武器はカニスの刻印がされてるし、魔法が掛けられてるみたいね──"ixen"」
アンがその刀身に刻まれたコマンド・ワードを唱えると柄から炎が吹き出した。不思議と握り手には熱を伝えないその魔法は"フレイミング"と呼ばれる武器に付与される魔法効果だ。斬りつけた相手に火による傷を付加するその能力は一般によく知られたものだ。
「へえ、魔法剣か! 強化以外の付与付きでカニスの印もあるなら結構な価値がありそうだな。半値で金貨四千とは言わねぇが、三千は固いだろ」
ケイジは口笛を吹きながら手渡された小剣を手にとって振ってみる。彼の普段の愛刀は斬撃を主とするククリであり、刺突用の小剣は扱いが異なる。
だが互い違いの武器を双手に構えた彼はなんら違和感なくそれぞれの武器を操ってみせた。剣閃が幾度か空を切った後、左手のククリを納めたところでアンから小剣の鞘が放り投げられた。柄で上に弾くように受け止めた後、空中で水平に浮かんだ鞘に向けて右手の小剣の刀身が吸い込まれるように消えていく。
金属と革がぶつかった軽快な音の後、場にはアンの拍手が響き渡った。
「相変わらず器用なものねぇ。ソードベルトが一個余ってたでしょ? とりあえず腰裏にでも差しておきなさいな」
「そうだな、とりあえずは預かっておくか」
ケイジは背負い袋から剣帯を取り出すと腰上に巻きつけた。腹の上で鞘の留め金を帯に固定すると、ぐるりと反対側に回して背中側へ移動させる。何度か鞘からの抜き心地を確かめた後、帯を締めて固定した。
「お二人とも、こちらに隠れていた扉の調査が終了いたしました。罠はありませんが鍵が掛かっていましたが、どういたしましょう?」
装備が整うのを見計らっていたかのように木箱の向こうからアロイの声が聞こえてきた。二人がそちらへ移動すると、先ほど潜ったものと似た形式の円盤扉が木箱の山に隠れるように存在していた。
扉の形自体は似ているが、円盤の中央部の仕掛けを操作することで開閉する仕組みだ。多くの場合操作できるのは一方からのみで、この場合反対側からは操作を受け付けない仕掛けとなっている。
誰かが大変な手間をかけて鍵のかかったこの扉を隠そうとしていたのだろう。この中のものを守るためか、それとも外のものを守るためか?
「まあ少なくともさっきの品だけじゃ海賊王の隠し財産っていうにはお粗末すぎるでしょ。勿論開けるわよ」
アンのその声に一行はそれぞれの武器を構え、隊列を整えた。先ほど同様ケイジが扉を開き、アロイが先陣を切った。ドアの向こうをアンのランタンが照らすと、10メートルほど先に壁があり通路が右手へ伸びているようだった。
壁には様々な軍旗が飾られているがそれは彼女たちの知る五つ国のいずれのものにも合致しない。そして何よりもそんな映像よりも彼らを刺激したのは、圧倒的な悪臭だった。
その正体は直ぐに明らかとなった。通路の奥の闇から彼らを見る一対の赤い瞳。人間より遥かに高く、3メートル近い位置にあるその目は暗がりに潜む緑の巨人のものだったのだ。
「来るぞ、トロルだ!」
即座に反応したケイジがその言葉を言い終えるよりも早く、奥から巨体が駆けこんでくる。そしてその勢いで上段から振り下ろされた巨大な棍棒は、5メートル近い高所から一瞬で獲物へと叩きつけられた。
その人間の大人ほどの大きさのある木材をアロイは盾で受け止める。先程まで静寂に包まれていた坑道に打撃音が響き渡る。付与された光に照らされ、巨体の姿が露となった。体躯に比して四肢は長く、手のひらと足はさらに不恰好に大きい。
足の指は三本で地面を踏みしめており、棍棒を握る指先には凶悪な爪が生えており武器を用いずとも充分な殺傷能力を有していることが窺える。底なしの食欲が久々の獲物を見つけたことで刺激されたのか、広げられた巨大な口からは大量の涎が撒き散らされていた。
「こいつらは火か酸じゃないと倒せないわ! さっきの武器を使いなさい!」
アロイの横をすり抜けるように移動するケイジはアンの声を聞いて腰と背中から武器を引きぬく。それぞれの刀身を覆う紫電と炎が洞窟の暗闇を照らす新たな灯りとなった。彼はトロルの横をもすり抜け、背後へと回ることで挟撃を狙う。
戦士として高い素養を持つ巨人は無論そんなことを許すことはないが、ケイジを狙おうとしたその意識は正面に立つアロイによって引きつけられた。盾を開いてその姿を曝したウォーフォージドもその手に彼らに弱点である炎を纏った剣を持っている。
軽装の戦士であれば自らの一撃で叩きのめせると信じた巨人はひとまずは先ほど自分の攻撃を生意気にも受け止めた存在を放置できぬと考え、今度は息もつかせぬ連撃で仕留めようと棍棒を振りかざした。
無論それはケイジに無防備な背後を晒すことになる。彼の構えた両手の武器が襲いかかり、付与された炎がトロルの体に引火する。刃を通して送り込まれた電撃も僅かに動きを鈍らせる役には立っているようだが、切り傷は見る間に再生によって塞がれていく。
失った四肢すら数分で取り戻す恐るべき再生能力を停止させられるのは火か酸によるものだけだ。それ以外のあらゆる効果はトロルに致命的な負傷を与えるには至らない。
とはいえ与えられた痛みは感じるようだ。その激情を雄叫びに乗せ、トロルは棍棒を振り下ろした。流石にアロイも真正面から受け止めるような事はせず、盾に傾斜をつけて受け流す。だが強かに地面を打った棍棒は今度は跳ね上がるようにして襲いかかってきた。
膂力の違いに吹き飛ばされそうになるも、戦士としての経験を付与されたウォーフォージドは巧みな体重移動と盾捌きで攻撃をやり過ごす。彼の役割は敵の攻撃を引きつけ、時間を稼ぐことなのだ。無論、相手の注意を引きつけるべく攻撃を行うことはするがそれは決定打ではない。
「《スコーチング・レイ/灼熱の光線》!」
アンの指先から放たれた二条の熱閃が接近戦を繰り広げる両者の隙間を縫ってトロルの体幹に突き刺さった。だが人間なら即座に炭化するその熱量を受けても巨人はまだ止まらない。秘術使いを最大の脅威を認識し、残された力を振り絞るように棍棒を握る手に力を込める。
だがそれが振り下ろされることはなかった。背後から延髄に差し込まれた小剣が脳を焼き、眼と鼻からも炎を吹き出しながらトロルは崩れ落ちた。だがケイジはまだ気を抜かない。彼の鋭敏な感覚は通路の奥からやってくる巨人たちの足音を察知していたのだ。
通路の奥、彼の視覚では赤く輝く目しか見えないが少なくとも3体。いずれも先程のトロルよりも大柄と思われる連中が駆け寄ってきている。
「アン、まとめて焼いちまえ!」
奥へと向き直りながらも声を掛けたケイジの横へとアロイが並ぶ。そして巨人の群れが目前まで迫る直前、一粒の光弾が二人の間を通り抜けたかと思うと火球へと転じ灼熱の火炎となって荒れ狂った。
アンの片手に握られたロッドによって、呪文の持つポテンシャルを最大に発揮した《ファイアーボール/火球》の呪文が巨人の群れの中央で炸裂したのだ。まるで火にくべられた枯れ木のように、その五体を炎上させながら崩れていくトロル達。ゴムを焼いたような異臭が炎に炙られて流れてくる。
だが、最も奥にいた緑肌の巨人は崩れ行く仲間の炭化した体を踏み越えながらも一行へと肉薄してきた。その肌の表面では火が弾かれるように飛び散っている。《プロテクション・フロム・エナジー/エネルギーよりの保護》を予め自らに付与していたのだろう。
暗黒六帝の聖印を首から下げたトロルの司祭は距離を縮めつつその口を開く。その瞬間、三人の周囲で強烈かつ不快な音が炸裂した。鼓膜から脳を揺さぶる音響の波が三半規管を殴打し、その意識を刈り取る。《サウンド・バースト/音響炸裂》の呪文だ。
アンとケイジの手から握っていた武器が落ち、眼の焦点がずれる。ほんの数秒であるが集団の意識を奪うこの呪文はこの残虐な種族の司祭が好むものである。彼らは危険を感じて反応しようとするが、ショック状態で上手く体が動かせず逃げることが出来ない。間近に迫った惨劇に心を踊らせ、トロルの司祭は舌なめずりをしながら棍棒を振り上げた。この巨体と長い四肢から繰り出される一撃は容易に二人を薙ぎ払うだろう。
だが、その間に巨大な盾を構えてアロイが立ちふさがる。彼自身も音波の衝撃の範囲に含まれてはいたが、生まれ持っての強靭な体が呪文効果への抵抗を可能としたのだ。盾を叩きつけんばかりの勢いで前進した彼はその影から剣を突き出した。不意を付いたその剣先は確かにトロルの腹を切り裂いたが、依然として司祭の体を包む魔法の防護が弱点である炎を散らしてしまう。
焼かれなかった傷口は瞬く間に塞がり、怒りを募らせたトロルは再び呪文を行使した。隙なく唱えられた呪文により、握っている巨大な棍棒から凶悪な棘が生える。盾の上から叩きつけられたにも関わらず、それはアロイの全身には突き刺さるような衝撃を伝えてきた。明らかに殺傷力を増したその棍棒の猛攻にアロイはただ耐え忍んだ。
「助かったぜアロイ。今から加勢するからな!」
朦朧状態から回復したケイジが足元の武器を拾い上げると敵の背後へと回りこんだ。立て続けに振るわれる双剣の連斬は巨人の背中に深い傷を残す。通常の攻撃からは再生するといっても限度はある。それ以上の速度で細切れにしてしまえば活動を停止させることはできるのだ。
さらにアンがトロルを指さしながら呪文を唱えると紫色の光線が放たれた。それが命中したトロルは先ほどまで余力を持って振るっていた棍棒が突然重さを増したように感じた。弱体化の魔術がその巨体から力を奪ったのだ。
目に見えて鋭さを失ったその棍棒を二人は余裕を持って回避する。まともに直撃すれば一撃で戦闘不能に陥らされる凶悪な武器とはいえ、当たらなければどうということはないのだ。
一方小さい者たちの予想以上の反抗にトロルの司祭は焦りを感じていた。一対一であれば余裕を持って相手にできる者たちとはいえ、流石に今の状況は多勢に無勢だった。特に攻撃の届かない後方から呪文を放ってくる秘術呪文使いが気に障る。3体の同胞を瞬時に焼いた炎の呪文は厄介だ。
あれほど強力な呪文をそう何度も放てるとは思えないが、万が一ということもある。乱戦状態であるうちは安心だが、味方が劣勢となれば自らの身を守るために危険な手段に出る可能性もある。
そう考え最大の脅威を秘術使いと判断した巨人は前後を挟む五月蝿い者たちを無視して一気に駈け出した。隙だらけのその動きに反応して武器が体に突き込まれるが、火は魔法の守りによって散らされ刃の与える傷は再生する。
自らの射程に獲物を捉えた司祭は自らの神に祈りを捧げ、棍棒を振り上げた。すると先ほど弱められた力を補って余りある暴虐なエネルギーが武器へと集中する。《破壊》の領域を司る神の司祭が得る凶悪無比な攻撃だ。
これを受ければ人間などひとたまりもない。目の前の華奢な雌などぺちゃんこになるだろう!
振り下ろされた棍棒は頭部に炸裂し、そのまま勢いを緩めず大地を穿つ。大音響が坑道を揺らし、その衝撃に地面に置かれていたカンテラが跳ね上がった。だが危うく倒れそうになるその品を横合いから伸びた手が拾い上げる。
「あら、危ないわねぇ。これ以上無駄な出費はしたくないのよ、あなたはそこで這いずり続けなさい」
確かに叩き潰したはずの雌が今もなお言葉を放っている。そして秘術使いがランタンで塞がっていないもう一方の掌で司祭の足元に何かをばらまいたかと思うと、突如地面は脂で覆われた。突如不安定になった足場に姿勢を維持しようとするが、後ろから向かってきた小物たちが加える執拗な攻撃を受けついには転倒してしまう。
刃の傷自体は大したことがないとはいえ、幾度も斬りつけられバランスを維持することは出来なかったのだ。転倒の衝撃を堪え開き続けた眼には、幾重にも重なって見える術者の姿が映る。《ミラー・イメージ/鏡像》、あるいはその上位呪文だ。先程の棍棒の一撃で消し飛んだのはこの呪文により生み出された虚像の一体に過ぎなかったのだろう。
「突っ込んできてくれて助かったわ。奥に逃げられたら厄介だったものね──」
先ほど呪文を行使した腕が今度は腰の剣を抜いた。その刀身は見るも鮮やかな紅蓮の炎に彩られている。本能的な恐怖が巨人の心に巻き起こり、体を起こそうとするが周囲から間断なく降り注ぐ攻撃がそれを妨害する。
我武者羅に棍棒を振り回しても、その凶悪な棘は空しく虚像を貫くのみで術者自身には届かない。やがて再生を上回る深い傷が彼の体を蝕み始め、呪文の護りが限界を迎えたことで魔剣の炎が肉を焼き始める。
窮地を脱するために呪文を行使すべく精神を集中させようとするが、目の前の術者はその度に炎の剣で斬りつけてくる。明らかに呪文の詠唱を狙っての行動だ。司祭はようやく自分が誘い込まれたことを理解した。そして動きを止められ呪文を封じられた今、彼に出来るのは無念の雄叫びを上げることのみ。
やはり彼の読み通り、最も警戒すべきはこの魔女だったのだ。だが何もかも手遅れである。トロルの司祭はそのまま先程の彼女の宣告通り、二度と立ち上がることなく焼き尽くされたのだった。
「あら、また魔法の武器ね! ドワーヴン・ウォーアックスってところが減点だけれど、付与されている魔法の効果は意匠からして"人造破壊"かしら?
ウルーラクに譲ってもいいのだけれど、使いどころが無さそうだし売ったほうがいいかもしれないわね。金貨も500枚近くあるし、さっきのと合わせればそれなりの収入になりそう。切り札をきった甲斐はあったみたいね」
戦闘終了後、一行はトロルの悪臭のこもった奥のエリアを探索し隠されていた宝物を発見していた。住人の体には不釣合なその品々はおそらく元々この周辺に置かれていたのをトロルたちが奪っていたのだろう。
「いやー、さっきのもそうだが本当に実入りがあるなんて驚きだぜ。どうやらあの地図は本物だったってことか。こいつらがなんでこんな狭い穴蔵に住んでいたのかは知らないけど、ラッキーだったな」
道は簡単な分岐の後にいずれも行き止まりになっており、トロルたちがこの空間に閉じこめられたことを示していた。おそらくは信仰呪文によって生み出される食料や虫などで食いつないでいたのだろう、行き止まりの一つには暗黒六帝の祭壇が作られていた。
「この手前にあった魔法剣はおそらくトロル達への備えだったのでしょう。あの扉と木箱のバリケードで閉じ込めたはいいものの、それだけでは安心できなかったというところではないでしょうか。
しかし現時点では無人になっているということは結局ここは放棄されてしまったようです。それがどういった理由かは解りませんが……」
周囲を確認していたアロイが自分の考えを述べた。
「そういやアロイ、腕は大丈夫なのか? 盾の上からとはいえかなりキツいのを貰ってたろ」
ケイジが彼を心配して声を掛けた。先程の戦いでは攻撃を直撃されることはなかったとはいえ、巨人の破壊力は圧倒的である。1トンを超える体重とその自重を支える筋力、そこから繰り出される攻撃は掠めるだけでも骨を砕き、盾の上からでも充分に人を圧殺せしめる。
「若干の不具合は発生しましたが、既に自己管理により修復されております。戦闘に支障はありません」
アロイは丁重に返すと自分の右腕を見た。ウォーフォージドである彼の前腕には秘術の力を封じ込めたワンドを埋め込むことが出来、そこに《リペア・シリアス・ダメージ/中損害修理》という、最近自らの手で創り上げたワンドを装備していた。
それにより両手に武装を保持したままワンドを使用することが出来る。"ワンド・シース"と呼ばれる追加パーツを取り付けたウォーフォージドだけに可能な術であり、それにより自らの負傷を癒したのだろう。
「さて、それじゃさっきの部屋で小休憩したら他の通路も探索してみましょう。
どうやらこの拠点はお宝の回収をしないまま放棄されたみたいだし、他のところにも価値のあるものが眠っている可能性は高いわ。
魔法の武器がもう何本か見つかったら家の設備も随分と整えられるでしょうし、研究の予定も随分と前倒しに出来ちゃいそう!」
アンの表情は川面を幻馬で駆けていた時と異なり喜色満面だ。現時点で上手く売りさばけば金貨1万枚を超える実入りがあるのだ。半日の稼ぎとしては破格以外の何物でもない。
上機嫌の彼女に率いられ、一行は来た道を引き返していくのだった。
† † † † † † † † † † † † † †
清浄な空気に包まれたエリアで小休憩をとった後、彼らは再び吹き抜けのある空洞へと戻ってきた。周囲に散らばった陽光棒は未だ充分な光を放っており足元を照らしている。先ほどと変わった様子のない広間の中央を通りぬけ、そこから伸びる通路の先をアンが掲げたランタンで照らす。
やはりそちらも奥行きが窺えないほど長く続いているようだ。しかしそれは水場の奥に続いている道も同じことである。彼らは予定通り、次の進路を隣の通路へと定めると移動を開始する。
最後尾を行くケイジは何気なく周囲を見渡していたが、一瞬感じた違和感を何か理解するよりも早くその体を動かしていた。
抜身で握られていたククリが彼の後ろ上方の空気を薙ぐと、正にその後頭部を射ぬくべく放たれていた矢が軽い音と共に両断される。そしてケイジの動きはそこで止まりはしなかった。
アンの背中を蹴りつけて彼女をアロイの構えた盾の影に放り込みながらも自身は次の矢を迎撃すべく両手の武器を振り回した。先程の矢に続けとばかりに殺到したその数は20を優に越えている。
天井近く照明の届かぬ高所から包囲していることを誇示するように、360度全周から矢が打ち込まれた。その射出点を見極められない上に視界が悪く、目視したときにはもう手遅れというそんな状況。
ケイジは守りが薄く急所となる頭部への直撃を避けることだけに専念し、僅かに聞こえる弦を引く音だけを頼りに我武者羅に剣を振った。一太刀で3の矢を落とし、二の太刀がそれに続く。そして半数の矢が目立つ光を放つ盾を構えたアロイへと向かっているといってもまだ4本の矢がケイジへと向かっていた。
1本はつま先を掠めるように地面に刺さり、1本は肩当てに弾かれた。迫る次の矢は頭蓋に吸い込まれるように落ちてきたところを上体を反らし胸当てで受けた。だが思いの外強弓であったらしく、貫通こそしなかったものの衝撃により肺が圧迫されたことで生まれた一瞬の反射の空白に差し込まれた一矢が太腿を抉った。
「っっっ!!!………」
漏れそうになる声を噛み潰し崩れる姿勢を自ら加速させてクルリと前転し、立ち上がる勢いで附近に転がっている陽光棒を蹴り飛ばす。一方的に射られる原因は自分たちだけが光源に照らされているせいだと判断してのことだ。
先程の矢傷が熱を帯び、もっと自分を労れと抗議の痛みを発するが幸い骨に達するようなものではなく、動きに大きな支障が出ないことから黙殺。
しかし1本程度を動かした程度では周囲に転ばる多数の光源が薄明かりを届け、彼ら一行の姿を浮かび上がらせるのを止めることは出来ない。探索のために設置したそれらは、今となってはそれは彼らを降り注ぐ矢の的として目立たせるものでしか無い。
だがケイジが切り伏せ、アロイが盾で護った時間は確かな結果となって彼らの前に現出した。彼らを中心に円筒状の不可視のカーテンが現れたのだ。その厚さ50センチを超える空間は強力な風で満たされており、通過しようとした矢弾を絡めとるとその尽くを見当違いの方向へ吹き飛ばした。
「逃げるわよ!」
アロイの盾の影から現れたアンの手から、込められた秘術回路を起動させたことで燃え落ちる巻物が零れ落ちた。発動した呪文は《ウィンド・ウォール/風の壁》、第三階梯に属するこの呪文によって生み出された不可視の壁は矢弾やブレスといった攻撃への良好な防壁となる。
持続時間は30秒程度の限られた時間とはいえ、それはこの状況において万金の価値を持つ。だが急ぎ入り口に駆け戻ろうとした一行の視界には、無効化させたはずの鉄杭の罠がその全貌を露にして停止している姿が写った。通路を塞ぐように立ち並んだ鉄柱はとても通り抜けられそうに見えない。
「塞がれたか……転移するわよ、掴まって!」
アンはそう言って背負い袋のサイドポケットに手を突っ込んだ。収納物の中から所持者の望む品をその手に運ぶ効果を有した"便利な背負い袋"が彼女の求める巻物を差し出し、無造作に紐解かれた紙面に踊る秘術回路がアンの魔力を浴びて活性化を始める。
発動された《テレポート》の呪文は一行の肉体を物質界からアストラル界へと運び──そして即座に吐き出した。不自然な現界によりアストラル体が重複する状態で物質化された3人は全身を苛む衝撃を受ける。
「そんな、呪文の発動は完璧だったはずなのに!」
転移事故の衝撃で姿勢を崩したアンは膝立ちの状態で、信じられないといった様子で手元で崩れ落ちる巻物を見ている。ケイジはその手を引っ張ると彼女を起こし、移動を開始した。
彼の鋭い視覚には、微かに照らされた上方の薄暗がりから何物かが近づいてくるのが映っていた。壁面をぐるりと伝う出っ張りを下りてくる姿は四足の獣のようだ。その足は早く、どうやら先ほど確保した通路に戻っている余裕はありそうにない。
「とにかく移動だ。ここにこのまま居たんじゃ蜂の巣にされちまうぞ!」
なんとか彼らが降り注ぐ矢の殺し間から逃れた直後、未だ持続している風の壁を食い破って追っ手が地面を駆けてきた。光源を塗りつぶすような黒い毛並みに獰猛な牙。人間ほどの体長を有したブラック・ウルフだ。訓練された捕食者である彼らは2匹の組となってそれぞれが一行に襲いかかるとしてくる。
平時であれば容易に処せる相手ではあるが、広間から離れたことでかろうじて薄明かりが射すに過ぎない視界に加え暗闇に溶け込む敵の姿は捕え難く、対して敵はその鋭敏な嗅覚で確実にこちらを捕捉しているという不利な状況。
執拗にこちらの足の腱を狙ってきたかと思えば、突然首元に跳びかかるように飛びついてくる。相手のほうが重量があるため、乗りかかられただけで組み伏されかねない以上敵の体全体を回避するしかない。炎の魔剣を恐れず、死ぬまで襲いかかってくることを止めない厄介な敵だ。
機先を制して1体を瞬殺したケイジは残る1体も労せず仕留めたが、他の二人は狼の連携に苦戦させられ敵を倒すにはケイジの助力を待つ必要があった。そして狼を排除するのに僅かな時間とはいえ足止めを受けた一行に、再び矢嵐が襲いかかろうとしている。
ブラック・ウルフの後を追って降りてきた弓手らが彼らを射界に捕らえたのだ。ランタンを携えたアンの姿は暗がりの中でも目立つが、灯りを手放して先に進めるはずもない。弓を構えた10人程度の人影は一行からも見ることが出来たが、散らばった連中を呪文で一網打尽には出来そうもない。
その状況を見取ったアンは一瞬で判断を下すと、ポーチから一つまみの石英を取り出し放り投げた。その欠片が地面に触れると同時に彼女は"力ある言葉"を発し、その指の指示した範囲が氷の壁で埋め尽くされた。《ウォール・オヴ・アイス/氷の壁》の呪文である。
「さっきの風の壁よりは持続時間も長いし、破壊されても冷気は残って通過した相手を傷つけるから十分足止め出来るはずよ。
今のうちに先に進んで、少しでも迎え撃ちやすい場所を探しましょう。こんな一直線の通路上で多勢相手に撃ちあいなんて私の趣味じゃないわ」
彼女の声を合図に一行は通路の先へと進む。咄嗟の反応に優れたケイジを先頭に、アンが中央から前方を照らしアロイが殿を務めた。
だがその時間も長くは続かなかった。ほんの20メートルほど進んだ先で、通路の床が崩落していたのだ。所々足場となるところは残っているものの、点々とした足場への跳躍を続けなければ対岸へと進むことは出来ない。ケイジが足元の小石を放りこんでみたところ、暫くして水面に落下する音が聞こえてきた。
床の崩落は随分と長く続いているようだが、その先には仄かな灯りを放つ苔が群生している通路が見えている。緑色の光がまるで彼らを拒絶しているように感じられた。
「結構高さがある上に底は水たまりになってるみたいだな。水の深さは分からないけど何か危険なのが棲んでるかもしれねぇ。
まあこれくらいの幅ならジャンプして渡っていけそうだとは思うが、皆はどうだ?」
足元の暗闇を覗き込みながらのケイジが皆に問いかける。
「まあこれくらいなら私も大丈夫よ。でも重装備のアロイにはきついんじゃないかしら?」
「十分な助走の距離を取れるのであれば問題ありません。ですが、不要に飛び込むのは危険です。どうやらこの足場ごとに罠が仕掛けられているようです」
そう言ってアロイが石を放ると通路の壁面に隠れていた仕掛けが発動した。髑髏の口から強烈な冷気が吹き出したのだ。何も考えず足場へと飛び降りていれば、今の冷気の直撃を受けていただろう。
「チ、追い込まれたってことか。流石に背水で戦うわけにもいかねーしな。これなら引き返して正面から撃ち合ったほうがマシじゃねぇか?」
状況を分析してケイジはぼやいた。一方的に撃ち込まれるのではなく、同じ地面に足をつけてのぶつかり合いであれば勝ち目がないわけではないのだ。
無論それは先手を取れれば、という条件はつく。一番効果的な位置に攻撃呪文を打ち込み、その後にケイジが突っ込むのだ。乱戦に持ち込んでしまえば一方的に攻撃されることはない。
無論無傷だなんてことは考えられないが、このままこの場所に留まっては無為に死ぬだけだと解っている。だがアンはその意見には反対した。
「いえ、ここを渡るわよ。先の通路は曲がり角になっているみたいだし、この足場であれば連中も一気に大勢で押し寄せることは出来ないでしょう。
なにより身を隠しながら渡ってくるところを一方的に攻撃できる機会だってあるはず。幸い時間にはまだ余裕があるわ」
アンの提案は簡単なものだった。飛行能力を付与する呪文により、向こう岸まで一気に飛んでいくというものだ。だが無論高度な呪文を全員にかけることは出来ない。
最も力に優れたアロイに呪文を付与し、彼にアンとケイジを一人ずつ運んでもらおうというものだ。不慣れな空中機動にややもたつきつつも、ほんの数分で彼らは罠で満たされた崩落地帯を渡りきった。
「さてと、連中ここまで追ってくるかね? 来てくれればいい的になるんだが」
壁を遮蔽にしながら弓を構え、ケイジは通路を睨みつけていた。未だに氷の壁の効果時間は残されており、手を出しあぐねているのか壁が破壊された音も聞こえてこない。
「こちら側に伏兵がいなかったことからも、あそこの罠で仕留めるつもりだったのかもしれないわね。随分甘く見られたもんだわ。
どうやら人間中心の集団だったみたいだから追いかけてくるのには灯りが必須でしょうし、さっき撃たれた分はしっかりお返ししてやりなさいよ」
その後ろでアンも様子を窺っている。既にカンテラは仕舞い込まれ、彼女の手には呪文の威力を強化する効果を持った短めのロッドと剣がそれぞれ握られている。専門の訓練を積んだ彼女は剣により呪文の動作要素を満たすことができるため、片手を開けておく必要がないのだ。
「しかし、このまま追撃が来ない可能性もあります。その場合ここでずっと待っているわけにもいきませんし、脱出の手段を探す必要があるでしょう。
この先の通路が外に続いている可能性は低いでしょう。お嬢様、やはりこの坑道から秘術で脱出することは不可能なのでしょうか?」
アロイは念のため奥側の通路を警戒しているが、今後のことを考えたのかそう質問してきた。それに対しアンは渋い表情で応えた。
「噂で聞いたことがあるだけで実際に体験したのは初めてだけれど、おそらくここは"フェアズレス"と呼ばれる特徴を持った地下空間なんだと思うわ。
その範囲を起点もしくは終点とする瞬間移動の呪文は余程の高い制御力がない限り大失敗に終わるんだとか。歴史に名を刻むような大魔術師ならともかく、今の私じゃまず無理ね。賭けの要素が大きすぎるわ。
たぶん入り口に転がっていた死体もここで襲われた秘術使いだったんでしょう、秘術構成要素のポーチを持っていたもの。
なんとか呪文に頼らず逃げ出したんだけれどあそこで力尽きたんでしょうね……」
この坑道に足を踏み入れた際に見た遺体のことを思い出したのだろう。苔の放つ光のせいだけではなく、彼女の顔色は悪く見える。
「術者殺しの空間ってことか。吹雪を抜けてまともな土地になったと思ったがとんだ勘違いだったみたいだな。本当ゼンドリックは魔境だぜ」
呪文による脱出が封じられたのであれば、歩いて脱出するしか無い。往路で使用した幻馬は戦闘には不向きであり矢が数発当たれば消えてしまうため、速度を活かして逃げきることも出来ない。
「おそらく、土地自体が特徴を有しているがために"変幻地帯"の災いを受けずに済んでいるのだと思われます。
また、瞬間移動が出来ないということは術者による不意の侵入を防げるということでもあります。おそらくそのことを考えてここに拠点を築いたのでしょう」
アロイが自分なりの推論を述べた。確かに今はケイジ達にとって苦境を生んでいる環境ではあるが、利用価値が無いわけではない。実際に大富豪などの邸宅には大金を払って瞬間移動を封じる呪文の効果が付与されていることもあるくらいだ。
賊のような後ろ暗い者たちにとって、この天然の坑道はまさにうってつけの隠れ家だったのだろう。
「なるほどな……不便な土地なりに使い道はあるってことか。しかしそうなるとやっぱりあの広間を抜けなきゃ脱出出来ないってことになるな。
連中が追いかけてきてくれれば楽なんだが」
ケイジもうんざりとしたような顔をしているが、その眼は未だ強い意志の光を宿しており彼がまだ諦めていないことを示している。今か今かと敵の追撃を待ち受けている今の状況はむしろ彼らこそ優位に立っていると考えているのだろう。
瞬間移動が出来ないのはお互い様である以上、周囲に気を配っていれば奇襲は防げる。ケイジは先ほど射られた矢の返礼をするつもりでその心を猛らせていた。
「そもそも連中は何者なのかしら。待ち伏せしようとしていたのなら、最初に私たちが広間に出た時点で仕掛けても良かったはず。
トロルにぶつけて消耗させるのが狙いにしても、もっと上手いやり方はあったはずよ」
状況に整理がついたところで、今度はアンが疑問を呈した。相手の正体や狙いがわかれば選択する手段を絞り込むことが出来る。特に知性ある生物が相手であればそれは非常に重要な要素だ。
「放たれた矢にはいずれもストームリーチで流通しているカニス氏族の刻印が刻まれた品でした。狼を飼い慣らしていることなどからして、ここをねぐらにしている賊の一派ではないかと思われます」
アロイの冷静な瞳は、あの奇襲の際にも降り注いだ矢の特徴をしっかりと捉えていた。
「上の方の様子は分からないけど、そっち側に住んでる連中が俺達の侵入に気づいて仕掛けてきたってことか?
それにしちゃ対応が半端な気がするな。俺ならこの辺りに伏兵を置いておくし、そもそも逃げ場を全部潰しておくけどな」
「今となってはあの地図が怪しいわね。過去の話は本当だったとしても、今は目障りな連中をおびき寄せて仕留めるためにここは使われているんじゃないかしら。
私たちであの街の盗賊団を相当叩きのめしたし、恨みに思っている連中の数は両手両足の指の数じゃ足りないでしょう。
ボスを倒した私たちの首をとった奴が組織を纏めるとか、そんな馬鹿な事を考える連中がいたって可笑しくないわ。私たちを普段は使われていない洞窟で不意打ちする。三下の考えそうなことよ」
アンのその推測にケイジは頷く。ストームリーチに来てからというもの、彼が戦った敵はあの街に巣食う悪漢が多かった。そしてその傾向はアンが加入したことで一気に加速している。
「あー、そういやそうかも。"早足団"に"船底鼠"、それにこないだはシャーンから来たなんとかクランだっけか。
他にも名前もわからねぇような集団も一杯潰したもんなぁ……。だいぶ稼がせてもらったけど、その揺り返しが来たってことかね」
ケイジの脳裏を、今まで戦った多くの犯罪組織の構成員達がよぎっていった。一張羅の防具を台無しにされたり彼ら一行の隣人の住居を地上げしようとしたり、ここ数カ月の彼らと犯罪結社たちの過ごした密度は非常に高いものだ。
「なるほど、そうであれば相手の対応に隙があるのも理解できます。おそらく、彼ら自身もこの土地について詳しいわけではないのでしょう」
アロイも得心がいったように頷いた。最初の奇襲こそ驚かされたものの、その後の敵の対応はお粗末に過ぎる。連携が取れていないといっていいだろう。お互いが足の引っ張り合いをしているのかもしれない、と彼は判断する。
「フン、何回来てもその度返り討ちにするだけよ。さーて、そろそろ呪文の効果が切れる頃よ。誰に喧嘩を売ったのかしっかりと教育してやんなきゃね」
アンのその言葉を合図に小声での会話を打ち切って一行は前方へと集中した。氷の壁が消滅したことで広間の陽光棒の灯りが見えるようになった。
敵襲に備えて緊張を高め、微かな兆候も逃すまいと睨みつけるケイジ。アロイは矢に、アンは投射されるかも知れない呪文に対して精神を研ぎ澄ませている。今まで戦っていた賊の中には、油断できない呪文の使い手も存在していたのだ。
暫くすると人だかりが近寄ってくるのが見えた。複数人が崖の手前で立ち止まり、なにやら作業をしたかと思うと隠されていた縄梯子を取り出して一人が下へと降りていく。
そして下側から出された何らかの合図を受けて、残りの連中は次々と足場へと飛び込み始めた。罠の発動がないことを見るに、おそらく解除のための仕掛けが下の方にあったのだろう。
隙だらけな状況であるが、ケイジらは敢えて仕掛けずに敵を十分に引きつけた。取り逃して広場に逃げこまれると厄介なことになる。数多くの修羅場を潜ったケイジは自らの気配を操る術を十分に心得ている。優れた狩人にとって自らの存在を感じさせないことは当然の技術だからだ。
目の前の通路の奥に弓を構えた男がいるというのに、賊達は気づかずに近寄って来る。敵の先頭が崩落した通路を半ばまで渡ったその時、ついにケイジは弓の弦から指を離した。空気を切り裂く音と共に飛来した矢は狙い通り命中し、哀れな盗賊は姿勢を崩して水場へと落下していく。
速射された矢は次々と賊へと襲いかかり、不安定な足場で身を翻すことも出来ない人影を射ぬくとその衝撃で一人また一人と突き落としていく。重い物体が水面に衝突する派手な音が立て続けに響いた。
何人かが破れかぶれになったのか、手にしたダガーを投げてきたが無論そんなものに被弾するケイジではない。1分にも満たぬ間に彼の視界からは賊の姿が消え失せていた。
上で起こった異常に気がついて縄梯子を登ってきた賊は、持続時間の残っている飛翔の呪文により対岸へとたどり着いていたアロイによって腕ごと梯子を切り落とされて落下した。水気によるものかこの辺りの壁面は苔に覆われており、とても道具なしで登ることは出来ないだろう。
前方の安全か確保されたことで、ケイジとアンは悠々と足場を渡って向こう岸へと辿り着いた。足元からは即死を免れた賊たちが痛みに呻く声が聞こえてくるが、一顧だにしない。
「さっきの広間で奇襲してきた連中はこれで片付いたかしら。まだ残ってるとするとさっきの広場でまた待ち伏せされてるかもしれないわね。
アロイ、出口を塞いでいる杭は何とかできそうかしら?」
アンが前方の広間を睨みつけながら問いかけた。陽光棒で照らされた空間には人の姿は無い。骸となったブラック・ウルフが転がる以外、彼らが先ほど通ったときと変わっていないように見える。
「おそらく、部屋のこちら側にも罠を操作する仕組みがあるはずです。それがなくとも、時間を掛ければ杭を一本ずつ破壊して通ることは可能です。
ですが、いずれにせよ戦闘中にそのような事を行っている余裕はないでしょう。まずは周辺の脅威を取り除いてからにすべきです」
アロイの見立てではあの杭はそれなりの純度の鉄だ。彼が予備武器として持ち歩いている隕鉄製のメイスであれば容易に破壊できるし、同じくケイジが持つ隕鉄製ナイフであれば豆腐のように切り裂けるだろう。
隕鉄──アダマンティンとも呼ばれる不思議な金属は鍛造に高度な技術を要するため非常に高額だが、自らより硬度の低い物質を容易に切り裂くという恐ろしい特性を有しているのだ。このため比較的少量の素材で作れる小型武器を非常用のツールとして携帯している冒険者は多い。
とはいえ排除すべき鉄杭の数は多く、敵に背後を向けてそんな作業をしている余裕はないだろう。アロイの提案は理に適ったものだ。
「そうね……少しでも不意打ちを避けるのに、姿を隠していきましょう。それで戦闘を避けて脱出できれば余計な出費も嵩まないし。自作とはいえ巻物代だって馬鹿にできないんだから!
二人とも、あまり私から離れないようにね」
アンがそう言って呪文を行使しようとした瞬間だった。広場のほうから一人の男が現れ、一行の方へ向かって近寄ってきた。鎧も纏わず手ぶらで無造作に歩いて来るその姿を警戒し、アンが呪文の詠唱を中断して半歩後ろに下がると替わってアロイが踏み出した。巨大な盾を構え、壁のように立ちふさがる。
「そこで止まりなさい! それ以上近づくと敵対の意思ありと見なして攻撃するわよ!」
相手が敵かどうか判断しかねたのだろう、アンが警告を発すると男は不敵な笑みを浮かべて立ち止まった。お互いの距離は15メートルほど。薄明かりではっきりとは見えないが、男は無精髭を生やした顎を擦りながら三人のほうを観察しているようだ。値踏みするようなその視線は一般人のものではありえない。
少なくともここを根城にする賊に攫われた被害者ではありえないだろう。そう判断したアンは続けて口を開いた。
「アンタもさっきの連中の一味かしら? 降伏するって言うなら命までは取らないわ。そこで膝をついて両腕を頭の後ろに回しなさい」
彼女がそう呼びかけると男は心外だとでも言うように肩を竦めてみせた。
「おいおい、馬鹿な連中と一緒にしてもらっちゃ困るな。どっちかというと俺は連中の商売敵ってところだぜ。俺は賞金稼ぎだ」
予想外の返答を受けてアンは考えを巡らせる。先ほど彼女たちに襲いかかった有象無象達が賊の残党だというのであれば賞金がかかっていてもおかしくはない。
「そう、残念だったわね。さっき私達が相手した連中の中にお目当ての人物がいたんだとしたら、今頃そいつは水の中でドルラーへと渡っている最中でしょうよ。
水泳が得意なら飛び込んでみたら捜し物が見つかるかもしれないわよ?」
軽口を叩きながらもアンは警戒を怠らない。相手からは術者特有のオーラを感じないとはいえ、ワンドやスタッフなどの手段を隠し持っていないとも限らない。
物理的な攻撃であれば立ちふさがるアロイが対処してくれるだろうと信じて、いつでも呪文を解呪相殺出来る脳裏に秘術回路を描く。
「いや、それには及ばねぇよ。俺の目当てはお前らだからな」
男は不敵な笑みを浮かべたまま挑発的にそう言ってのけた。明らかな敵対宣言だ。その言葉を受けて即座にアンは後ろ手に隠し持っていたワンドを振り抜くと込められた呪文を解き放つ。
飛び出した豆粒ほどの光弾が互いの中間点を通過すると急激に膨れ上がり、男の直前で炸裂した。《ファイアーボール/火球》の呪文だ。ワンドに予め準備されていたそれは先ほどトロルの群れを薙ぎ払ったものよりは殺傷力は劣るものの、並の相手を戦闘不能にするには十分な威力で炸裂した。
一切反応する素振りを見せなかった男は直撃を受けたはずだ。だが、爆風によって巻き上げられた土埃が収まった後に見えたのは先程まで同様の姿で立っている賞金稼ぎの男の姿だ。一歩たりとも動いた様子は見えないが、なんと無傷のようだ。
「おいおい、随分なご挨拶だな。小娘のほうは生け捕りって話だがあんまりおイタが過ぎると手足の半分位を切り落としちまうかもしれないぜ?
達磨にされたくなきゃ大人しくしてろよ」
いつの間にか男の両手には刃物が握られている。レイピアとダガー、不揃いの武器を握った両腕をだらりと下げたまま男は物騒に呟く。
「それじゃ望みどおり俺が相手してやるぜ!」
無論ケイジとアロイは黙って見ていたわけではない。叫びながら飛び出して男を挟撃すると、烈風の如く斬撃を叩き込んだ。ケイジの両手のククリが水平に並んだ軌道で閃き、タイミングを合わせて反対側からアロイがロングソードで掬い上げるように斬り上げた。位置関係を活かし逃げ場を奪う連携攻撃だ。
だがその全てはまるで男の体を摺り抜けたかのように宙を薙いで終わった。まるで空気を相手にしているかのような感覚。冒険者仲間との模擬戦の時に感じたような異様な相手の身のこなしにケイジの直感が最大限の警鐘を鳴らす。
しかしその直観すらも既に遅かった。男のダガーが閃き、それを防ごうと剣を振り上げたときには既に相手のレイピアの切っ先がケイジの左腕に突き刺さっていた。ねじり込まれるように動かされたことで傷口が広がり、引き抜かれる際に外側の肉が切り裂かれる。
「………っっっっっぁぁぁああああああ!」
脳髄をかき回すような激痛にケイジが叫び声を上げる。
「おっと、思ったよりは鍛えているようだな。今ので腕一本貰うつもりだったが」
男が何かを言っているが確かに耳に入っているはずなのにその意味が理解出来ない。最初熱さを感じたかと思うと直後そこから体温が逃げ出していくような悪寒。切断までは至らなかったようだが動脈を傷つけられたことで勢い良く血が吹き出す。
幸い神経は無事なようで、辛うじて武器を取り落とさずに済んだケイジだが指先に入る力は頼りなく、思い通りに動かすことが出来ない状態だ。よろめくように半歩後退するが即座に賞金稼ぎが距離を詰めてくる。
牽制にアンが放った《スコーチング・レイ/灼熱の光線》は男の直前でまるで不可視の壁に遮られたかのように消えた。アロイの振るう剣もまるで後ろに目がついているかのように振り返ることすらせず回避してみせた。
間近に迫った死を避けるべく思い切り地を蹴ってケイジは大きく移動した。背中を斬りつけられたが幸い致命傷には至らない。何故かそれ以上追撃を加えてこなかった男を睨みつけながらも武器を捨て、背嚢から高級なポーションを取り出すと一息に飲み込んだ。
喉を過ぎた治癒の秘薬はたちまちその効果を発揮し、傷を塞いで失われた血液を補充した。彼の視界に映るのは追いすがるアロイをまるで雑草を刈るように無造作な動きで切り刻んでいる男の姿だ。
体全体の動きはさほど早くはない。ただ、その腕の動きだけがまるで切り離したかのような速度で閃くのだ。辛うじて視線で追うことの出来るダガーが絶妙なフェイントとなって意識を引きつけ、対となるレイピアが正確無比に急所を抉るのだ。
黒手袋に刺繍された黄金の豹が宙を駆けるたびアロイの装甲板を突き破り、血の代わりにオイルが噴き出る。一廉の勇士といって差し支えないウォーフォージドの戦士が、僅か十数秒で解体寸前まで追いやられていた。完全に破壊こそされていないものの、身動きできるような状態ではない。
「変幻自在の二刀流と金豹の黒手袋──アンタまさかドロッグ・クルデイカーか!」
距離を置いてその戦いぶりを見たことで、ケイジの脳裏にかつてアンデールの王都で見た光景が思い出された。王家主催の剣技大会、そこで無傷で優勝を果たしたアンデールのチャンピオン。その栄誉により女王から授けられた魔法具に因んで"ブラック・ハンド"と恐れられ、最終戦争でもその名を轟かせた英雄だ。
その声を聞いて賞金稼ぎが振り返る。その顔は凶相に歪んでいるものの、確かに当時の──10年ほど前に見た剣技大会の優勝者の面影が残っている。
「おお、流石はオストレン家の跡取り息子は博識だな。それが今や賞金首になって名を捨て追われる立場とは、落ちぶれたもんだ。ご先祖さまもドルラーで嘆いてるんじゃねぇのか」
両腕を大きく横に広げて"ブラック・ハンド"はケイジに向き直った。そのトレードマークである黒手袋はまるで周囲の光を吸い込むように暗闇に溶けこんでおり、まるで宙に武器が浮かんでいるようだ。
「決闘で相手を殺して逃亡だなんてバカな真似をしたもんだ。頑固で融通の効かない性格はあの父親譲りか?
どうせ逃げ出すのならおとなしく継承権を売るなりしていりゃ今頃不便なく暮らせただろうに、名誉だかなんだかに拘ってその日暮らしとは馬鹿丸出しだな。
とはいってもそのおかげで俺が小遣い稼ぎが出来るんだからな、ありがたい話だぜ」
よほど余裕があるのだろう、賞金稼ぎはケイジが剣を拾って向き直る間も立ち止まったまま話し続けた。
「あんたこそこんなところで何をやってるんだ。戦争中だってその活躍は聞いていたぜ。国に戻っていれば将軍だって夢じゃなかったろうに、賞金稼ぎだって?!
俺はあんたの名前を国の合同慰霊碑で見たんだ、死んだものだとばっかり思っていたのにこんなところで出会うだなんてショックだね。それに親父を知っているのか?」
ドロッグは戦中その実力を買われて最前線──サイアリへと派遣されていたはずだ。同じく部隊を率いていた彼の父親が戦争終結から1年経過しても帰らず、MIAと認定され墓石に名が刻まれたときケイジは同じ石碑の中にドロッグの名を見つけたのだ。
「民兵団のガキには解らねぇだろうがな、あのクソッタレな戦争を味合わされてもまだ国のために働こうなんて考える連中は脳までイカれた夢想家だ。
あの"悲嘆の日"をサイアリで迎えた人間は一握りも生き残っちゃいないんだぜ。その上あの女王はまだコーヴェアの覇権を諦めちゃいねぇんだ、またあんな悪夢の只中に放り込まれるなんてゴメンだね」
最終戦争集結の引き金となった"悲嘆の日"──突如五つ国の一つ、かつて"麗しのサイアリ"、"ガリファーの王冠に輝く紫の宝石"と謳われた国を襲った魔法災害は一夜にしてその国を地図上から消し去った。
地面はひび割れ、炎に包まれ、そして抉り取られた。あらゆる生物の死体が転がっており、腐敗せずに永遠にその姿を晒している巨大な野外墓地と化したのだ。そしてその多くは150万のサイアリ国民だ。
各国はその原因を探るために調査員を旧サイアリ──"モーンランド"へと送り込んでいると言われているが、アンデールは特に積極的であることで知られている。
「メトロールを囲んでいたお前の親父さんは何をトチ狂ったか、爆発の後で生き残りの救助とかいって1部隊を率いて街の中に突入して行って帰って来なかったよ。
傷も癒えず、何もかもが死に絶えた環境で残された連中はお互いの食料を奪い合うしかなかった。なにせ死人の肉を食った奴は皆即座に発狂して死体の仲間入りだったからな。
"死灰の霧"を抜けた頃には400人いた部隊の生き残りは俺一人だ。他は皆死んだ。そんな状況でまだお国のために働こうだなんて考えられるわけ無ぇだろう?」
情感たっぷりにそう語りながらも徐々に間合いを詰めてくる男に対しケイジは待ち受けつつ話に聞き入っていたが、一方でアンはその間にも呪文を幾度も放っていた。だがその全てが男に効果を及ぼさずに霧散しているのを受けて不機嫌そうに舌打ちし、剣を構えてケイジの隣に並んだ。
「見事なまでに負け犬の台詞ね。同情でもして欲しいのかしら? こんな大陸まで追いかけてきた犬らしさくらいは褒めてあげても構わないけれど」
相手に呪文をかけることを諦めたアンは用意している補助魔法で自身とケイジを強化した。隙があれば離れたところで倒れているアロイの破損を修復してやりたいが、その為には目の前の男をやり過ごす必要がある。アンはせめて挑発的な台詞を吐くことで少しでも相手を揺さぶろうとする。
「そいつは違うぜ、俺は小遣い稼ぎに依頼を受けただけだからな。犬はフェアヘイヴンのバウンティハンターさ。
酒場でそいつらと意気投合してな、故国を同じくする者として手を貸してやろうと思ったのさ。
熱心なその猟犬も流石に一時は坊ちゃんを見失ったそうだが、アンタを追うことでこの街まで辿り着いたって話だ。
皮肉なこったな、国を捨ててまでして守ろうとした女はこんな僻地まで追いかけてきた上にそいつは追っ手まで連れてきたんだからな」
だが舌戦すらも相手が上を行くようだ。返された言葉にアンは一瞬言葉を失った。ケイジが撒いた賞金稼ぎを自分が連れて来てしまった!
「継承権の証であるその指輪を持ち帰れば賞金がたんまり、全く楽な仕事だ。おまけに小娘まで連れ帰ればボーナスまで出るんだとよ。
ついでにお前らの装備も結構な値打ちがありそうだ。ガキどもにゃ過ぎた品だろ」
ドロッグはそういってケイジの左手に目をやった。先ほど切断しそこねたその腕の先には飾り気のないリングが見える。プラチナの蔦が絡み合ったような家紋が刻印されたそれは彼の実家に伝わる品だ。
薄明かりを照り返すその指輪を視認できる距離まで既に近づいてきている。お互いがあと一歩の間合いに相手を収めており、洞窟の空気が緊張で張り詰める。
「さて、最後通牒だ。指輪と女を置いて回れ右するなら命だけは助けてやるぜ?」
「ぬかせ、直ぐにそのよく回る舌を引っこ抜いて首から上を奇怪なオブジェにしてやるよ」
その交わした言葉を皮切りに再び互いの武器が閃いた。だが互いの結果の齎した結果は大きく異なる。ケイジとアンの攻撃は空を切る一方で、対してドロッグのレイピアは振るわれるたび肉を切り裂き血を流した。
左右を挟まれた状態にも関わらずその動きには些かの乱れもない。幻惑するように動くダガーの輝き以外は視界に映ることすら無く、体に伝わる痛みだけが相手の攻撃を伝えてくる。
辛うじて倒れずに済んでいるのは、目の前の男の剣技を良く知っていたためだ。アンデール人はその華麗な剣技で知られており、鈍重そうな市民ですら"ドラゴンホークの突き返し"などの剣術の試技をゆっくりであるが真似ることが出来る。
いわんや目の前にいるのは一世を風靡した剣技の使い手、ケイジやアンも子供心に憧れてその剣を模倣しようとしていたその人そのものなのだ。判断が追いつかなくとも体に染み付いた模倣剣技の修練による反射が致命傷を避けている。
だが傷は確実に増え出血は徐々に体力を奪っていき、空振りを繰り返すたびにじわじわと集中力が削られていく。アンがアロイを修復すべく一旦戦列を離れた際には1対1になったことで受ける圧力が倍加し、もはやケイジの体で傷のない部位を探すことが困難なほどだ。
流石に二本目のポーションを飲む隙は与えられず、ついに失血でふらついたケイジはベルトポーチを切り裂かれた衝撃で転倒してしまう。ポーチの中身がこぼれ落ち、保存食替わりに詰められていたクッキーが周囲に散らばった。
「さあて、そろそろ神に祈りを捧げたほうがいいんじゃねえか? ガキにしちゃ十分な腕前だったが相手が悪かったな、潜った修羅場の数が違うってこったな」
相変わらず無造作に歩み寄るその姿に迫る死を感じたのか、ケイジは体を支えるために地面に付けていた手に触れていたものを咄嗟に投げつけた。目潰し狙いで投げられた土混じりのクッキーは振るわれたダガーにより真っ二つに切り裂かれ──直後、雷球となって弾けた!
「うおっ!?」
予想もしない事態に驚いたのか、突如眼前で炸裂した秘術のエネルギーに体を焼かれた賞金稼ぎは咄嗟に反応し後ろに下がろうとするが、生まれた雷球は何故か男から一定の距離を保ち追走し続けた。
「チッ、鬱陶しい呪文だ!」
グロッグは胸元から紐につながれた小さな立方体を取り出すとその一面を押し込む。すると雷球は動きを止め、もう一度グロッグが違う一面を押しこむと今度は男の動きに押しのけられるように遠回りに動くのみとなった。
「あれは《ボール・ライトニング/球電》の呪文? どこからそんな高等魔法の発動体を……いやそれよりも今は相手のことが優先か。魔法が通じない絡繰が理解できたわ。"キューブ・オヴ・フォース"か」
アロイを助け起こし、自分のポーションを飲ませていたアンがその様子を見て呟いた。"キューブ・オヴ・フォース"とは押した面により特定の作用を遮断する不可視の壁を発生させる高等な魔法具だ。
おそらく魔法のみを遮断する力場の壁を発生させることで呪文から身を守っていたのだろう。
「突破口が見つかったわ。まだ戦えるわよね?」
「勿論です、お嬢様。ご指示を」
機械仕掛けの眼に光を取り戻し、鋼鉄の戦士が立ち上がった。アンは彼にワンドを渡し作戦を伝えると姿を消す。《インヴィジビリティ/不可視化》の呪文を唱えたのだろう。そしてアロイは自身の任務を果たすべく、主の敵へと突進した。
「なんだ、さっきのポンコツか。まだ動けたとはしぶとい奴だな。だがお前なんざ邪魔にすらならねえよ」
ドロッグがアロイを無視してケイジへと向かおうとするが、アロイは無言で駆け寄ると盾の替わりに構えたワンドを起動させた。アロイとドロッグの至近距離で発動した《火球》の呪文が炸裂し、二人を焼く。
"キューブ・オヴ・フォース"は一定距離に遮断防壁を発生させる魔法具であり、その内側で発動させた呪文の効果を阻害したりはしない。その点を突いたアロイの自爆攻撃だ。
しかし先ほどまで瀕死であったアロイと雷球で僅かに削られたドロッグでは体力が違いすぎる。相手の攻撃を避けきれないところから考えても間もなくアロイは再び倒れるものと思われた。
だがそんなドロッグの予想を打ち破り、二度三度と火球が炸裂する! よく相手を観察すれば、不可思議なことに火球で焼かれたそばからその損傷が修復していくのが見える。
アロイが生まれた際に二つの知識を結合させるために付加された太古の叡智──"竜の預言"の一節とも呼ばれる知識が生み出すトランス状態が、彼の右腕に込められた修復のワンドの効果を励起し続けているのだ。
それにより実質2本のワンドを同時に使用し、自爆攻撃を行いながらも傷を癒してるのだ。さらに力場の立方体に囲まれているために熱と炎が拡散できず、通常の爆発半径の半分に圧縮される火球が容赦なく二人を傷つける。
「チ、こんな馬鹿げた真似に付き合ってられるか!」
冒険者の心得として低位の火抵抗を衣服に付与しているドロッグではあるが、流石にそれは《火球》呪文のダメージを受け流しきれるものではない。
先程の雷球と合わせ、この火球の連打により随分と体力を消耗させられている。一旦の仕切り直しを行おうとアロイから距離を取り障壁の種類を変更しようと胸元からキューブを取り出し──そこで立方体を結びつけている紐が切り裂かれ、アイテムは転がり落ちた。
退路を予想し待ち受けていたアンが、《不可視化》から《百発百中》の呪文により"武器落とし"の要領で彼の手からアイテムを取り落とさせたのだ。
「あら、やっぱりその出鱈目な回避力は随分と視覚に頼ってるのね。それなら、その目を塞いじゃえばどうなるのかしら?」
続けてアンが呪文を発動させると、ドロッグの視界は眩しい光の爆発に包まれた。《グリッター・ダスト/煌く微塵》、魔法によって生み出された金粉が周囲に撒き散らされ彼の目に飛び込んでくるためとてもではないが目を開けていられない。
そして視覚を奪われたせいか鋭敏になった聴覚が、先ほど瀕死にまで追い込んだ獲物が立ち上がり近寄ってきた事を伝える。
「アンタの技術と速度は大したもんだよ、俺の知り合いにも突出した連中がいるがそいつらに見劣りもしねぇ。
でも手数を重視しすぎたせいか攻撃が軽すぎる。もう少しでも深く傷つけられていたら今頃俺もアロイも死んでただろうさ。
そして何よりもアンタが間違ったのは、仲間が作ろうとしなかったことだ──一人で生きていくにはこの大陸は厳しすぎるぜ」
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「──つーわけで暫く家を留守にするわ。金目のものは残ってないから物取りの心配はないんだが、妙な連中に居座られても困るんで出来れば定期的に様子を見ておいて欲しいんだ。
一応デニス氏族のブレードマーク・ギルドに警備の依頼はしてるんだけどな」
俺がコルソスから戻ってきて久しぶりに会ったケイジは、日課を終えた後の夕食の場で冒険譚を語り終えたかと思うと突然そんなことを言い出した。
「ええと、行方不明になった父親を探しにメトロールまで行かれるんですか。シャーンまでリランダー氏族の帆船で11日、そこからライトニング・レイルで国境沿いのヴァシロンドまで3日ですね。
国境まで向かうにはそれが最短経路なんでしょうけど、そこからメトロールまでは500マイルもありますしその距離を移動するのは現実的じゃありませんし……
船でヴァラナーに向かってからブレード砂漠とタレンタ平原を超えて、国境の東側から探索したほうが時間はかかりますが堅実だと思います」
メイが目的地までの経路を分析しているが、概ね俺も同意見だ。旧サイアリの首都メトロールは縦長の領土を持っていたサイアリにおいて、東端に位置していた。
"悲嘆の日"の災厄によりかつての地図がまったく信用ならない魔境に成り果てたとはいえ、大都市の位置が極端に変わっているということもないだろう。
「そうね、私も同じ考えよ。一旦ギャザーホールドで準備を整えてから現地入りって形になるでしょうね。
それでエレミアさんにヴァラナー国内のことを教えてもらいたくて。交通網とかどうなっているのかしら?」
「そうだな……ここからピラス・マラダルまでは定期船も出ているし問題ないだろう。その先は街道も整備されているが、それもブレード砂漠に差し掛かるまでだ。
時間を急ぐのであればティアー・ヴァレスタスから飛空艇に乗ってギャザーホールドを目指すのがいいだろう。
私が懇意にしている友人もいるし、紹介状を書いておこう。きっと良くしてくれるはずだ」
アンはエレミアにアドバイスを求め、ヴァラナー国内の情報を聞き出していた。コーヴェア大陸中央部が"モーンランド"と化したことで東西の物流は大幅に制限されており、情報も中々流れてこない。
特にヴァラナーやタレンタ平原は戦後に独立した国家であるため国内の事情についてはそれほど知られていない。特に大陸の反対側であるアンデール出身の三人にとってみれば尚更だろう。
「"悲嘆の日"から四年も経っているし、それだけの間無事で居られるような状況だとはとても思えない噂しか聞こえてこないけど……まあ自分の命なんだ、好きなように賭けりゃいいさ」
ラピスはいつも通りの興味なさそうな表情でデザートの果物をつついている。だが最近その表情の中にある程度の感情を見つけることが出来るようになってきたと考えるのは思い上がりだろうか?
「悪鬼の大陸にかかる雲は厚く、ここからでは貴方達の星の輝きを見通す事はできない──特に貴方達が"悲嘆の地"と呼んでいる土地は深い悪夢に覆われてしまっていて、常世の理は通用しない。気をつけて」
「お前たちは私が知る中でも中々に腕の立つほうだ、油断をしなければ早々不覚を取ることはないだろう。とはいえ慣れぬ土地では何が障害になるか解らない、準備は十分にしていくことだ」
双子はそれぞれ独特の言い回しで激励を送っている。
「ま、俺たち三人だけだとちょっと不安だったんだがゲドラとウルーラクも助けてくれるって話だし、なんとかなるだろ。
向こうの状況次第だが1~2ヶ月の探索を予定してるから往復合わせて4ヶ月ってところか。その間土産でも期待しておいてくれ」
そう言って数日後、彼らは船に乗りストームリーチから旅立っていった。精霊捕縛船の輝くエレメンタル・リングを見送りながら、俺は彼らの幸運を祈るのだった。