「よお、トーリじゃないか! 久しぶりだな」
俺がケイジ達に再会したのはシャーンから戻って間もない頃、『チャプター・ハウス』で特製のケーキに舌包みを打っている時だった。
シャーンで美食三昧を繰り広げていた俺は娯楽の少ないこの世界での楽しみを食事に求めることにし、結構な頻度でこの酒場の店内限定ケーキを食べに来ていた。
夜は冒険者が大勢屯しているこの店も昼過ぎのこの時間はスイーツ目当てのご婦人たちが中心であり、演奏されている楽曲も落ち着いた雰囲気のものになっている。
丁度目当てのものを食い終えた俺は機嫌も上々にケイジに向き直った。
「そうだな、二十日ぶりってところか? お互い元気そうで何よりだ。
まあまずは再会を祝して一杯やろうか」
テーブル正面の椅子を彼に勧め、近くにいた可愛らしい感じのハーフリングのウェイトレスを呼んで飲み物をオーダーする。軽くグラスを合わせてソヴリン・ホストへの感謝の言葉を唱え、グラスを傾けた。
ケイジの服装は単胴衣に丈夫そうなズボンと革のブーツといったラフな格好だ。宿を拠点にする冒険者は、大抵その財産価値の大半を占める装備品を肌身離さず持っているものだが今日の彼は違うようだ。
「随分と身軽な格好だけど、いつの間にか一山当てて足を洗ったのか?
この間の儲けは装備に回すっていってたが、あれを元手に商売でも始めたとか」
人当たりの良いこの男であれば、常に命の危険と隣合わせの冒険者などよりも客商売でも始めたほうがいいのではないかと思う。だが残念ながらケイジの答えは違っていた。
「トラベラーの気まぐれ屋め! 聞いてくれよトーリ。この前の稼ぎで注文した装備の納品までの間に黒鉄亭の向かいにある『フェニックス・タバーン』に宿を取ってたんだよ。
暇だったもんで酒場で話の合ったオッサンの仲介で仕事を一つ引き受けたんだが、そこで酷い目にあっちまったんだ!」
彼は暗黒六帝の一柱、混沌と欺きを司る無貌の神に悪態をついてから何があったかを話し始めた。
失せ物を探しに下水に潜り込んだらそこはクイックフット盗賊団の隠れ家で物陰に姿を隠したローグ達にしこたま矢を撃ち込まれたらしい。
今の格好も武器と鎧を再起不能にされてしまったためのようだ。
「なんとか目当てのボロい指輪は回収したけど、鎧はハリネズミみたいになった上に連中の飼ってた犬どもに噛みちぎられてボロボロさ。
割りに合わないことこの上ない仕事だったぜ……」
その話に俺は思い当たるところがあった。「スワイプド・シグネット」というそのクエストはジョラスコ氏族の印章指輪を取り戻すクエストだが、難易度が高いことで有名だった。
表示されている適正レベルで挑もうものなら、待ち構えている盗賊たちに簡単に全滅させられてしまうこともある罠クエストの一つ。それでいて報酬だけは表示レベルの安さとあって、名声稼ぎくらいにしか行かなかった覚えがある。
指輪自体もジョラスコ氏族の印章が刻まれているということで、ひょっとしたら元は価値があったのかもしれないが宝石は失われ台座はひび割れて、とひどい状態のシロモノ。依頼人の態度が悪いこともあって疲労感ばかりが溜まるクエストだ。
「ま、五体満足にもどってこれただけまだ運があったんじゃないか?
"クイックフット"といえばそれなりに名の売れた連中だし、そんな奴らのアジトを一つ叩いたってんなら名前も売れただろうさ」
思い出すだけで疲れたのか、テーブルに突っ伏すケイジを慰めながら彼に追加の飲み物をオーダーしてやる。
あそこで遭遇する敵の数はやたら多かったはずだ。どの程度がゲームと同じかは解らないが、そこを生き延びたケイジは大きくその実力を伸ばしたはず。今回損をした分はその実力で十分に取り返せるだろう。
「ありがとよ。でも当分下水はコリゴリだぜ。コボルドに盗賊団、臭くてジメジメしたところでの殺し合いなんて気が滅入って仕方がない。
次はお天道様の下で気分よく仕事をしたいもんだ」
ゼンドリック漂流記
4-2.セルリアン・ヒル(後編)
「クソッタレのカイバーめ! あんなゴツいのがあと何頭いやがるんだ?」
獅子の咆哮の尾を踏むようにケイジが悪態をついた。神殿の廃墟に見える敵の数は今のところ先ほどと同じ数の3頭。だがこの咆哮の主2頭と先程倒した3頭を合わせても8頭。
TRPG版の基本ルールブック、モンスターマニュアルの記載では一般的なライオンの群れは6~10頭からなるとされていたはずだ。それは例え"フィーンディッシュ種"テンプレートを付加されていても変わらないはずだし、ゲームでの遭遇も同じようにデザインされていたはずだ。
そう考えると最大で残り2頭の行方が知れない。神殿の中に伏せているのか、あるいは……。
「やむを得ん、突っ込むぞ。ここで連中の姿を眺めていたところで状況は良くはならん」
エンダックが俺と同じ考えのようで全員に呼びかけた。皆も同意し、素早く行動に移り出す。そう、あの咆哮は狩りに出かけている連中の仲間に呼びかけたものである可能性がある。もしそうであった場合、ここで待っていたら遮蔽物のない丘で挟撃されることになるだろう。
先程の敵は瞬殺だったとはいえウルーラクの負傷を考えればギリギリの戦闘だったのだ。あと一頭増えていれば彼が倒され、回復の手が足りずにジリ貧になっていただろう。
「ウルーラク、ゲドラの武器にソヴリン・ホストの祝福を願ってくれ。その後は回復と支援に専念して欲しい。
瓦礫を遮蔽に使えば多数に囲まれることを避けられるはずだ、ウルーラクを囲むようにして戦うぞ」
手早く指示を飛ばすエンダック。皆もそれに問い返すようなことはせずに、テキパキと準備を整えていく。ケイジは落としていた弓を拾い、背中に固定して手には二刀を構えた。
「俺が先頭で斬り込むぜ。エンダックの旦那は連中の頭を抑えてくれ。トーリ、援護を頼む」
準備に時間を掛けることが出来れば様々な支援呪文を使うことができるが、今はその余裕はない。頭の中で優先順位を瞬時に組み上げると無言で巻物を取り出し、《ヘイスト/加速》の呪文で皆の機動力を向上させる。
一瞬だが全身に痺れるような感覚が走るが、それは神経が呪文により加速されたことによるものだ。まずは皆で神殿跡地に辿りつくことが第一だ。最も足の遅いウルーラクは移動に専念し、エンダックは威嚇射撃を行ないながら全員一塊となって丘を駆け上がる。
このパーティーの中でも最も足の早い俺は、移動しながらもアイテムから別の呪文をケイジに発動させた。《ヘイスト》のおかげか、あっという間に崩れた神殿が目の前に迫ってくる。次の呪文の準備をする間もなく獅子の一頭が身を潜めている支柱へと接近した。
「来いよ獅子モドキ!」
ケイジが臆すること無く獅子の潜む物陰へと飛び込んでいくが、無論その隙だらけの動きを見逃す敵ではない。
無防備に飛び込んだケイジに対して、姿を見せた獅子は大きく顎を開くと彼の胴体を横向けに咥えるように噛み付いた。巨体から繰り出される膂力は圧倒的で、獅子が首を捻っただけでケイジはまるで風船のように振り回されると地面へと叩きつけられた。
噛み付かれたまま横向きに倒されたケイジの体を、抑えこむように鋭利な爪が襲った。だがその爪はまるで岩に叩きつけたかのような音を出して弾かれる。直前の噛み付きも含め、獅子の攻撃がケイジに触れる直前に展開される障壁が彼を覆い肉体に届くことを許さない。
俺が付与した呪文がケイジに対する物理的な干渉を防いでいるのだ。まるで一瞬肌が白く染まるような外見と効果から《ストーンスキン/石の皮膚》と呼ばれるそれはゲーム中でも被ダメージの軽減に随分とお世話になった秘術呪文である。
流石にあれだけの大きな猛獣の攻撃を全て無効化することは出来ていないようだが、その大部分は仮初の石の皮膚に吸収されている。体勢こそ崩されたものの、ケイジは戦闘に支障のあるような傷を負うことはなかった。そして彼の両手にはしっかりと武器が握られている。
抑えこまれていても振るうことに支障のない軽い武器であることが幸いし、自らの体を囮にして肉薄したケイジの二刀が翻り獅子の両目を紫電を纏った刃が抉った。
悲鳴のような咆哮を上げて堪らずケイジから離れる獅子だが、その叫びは直後に断末魔となる。床に伏せているケイジの上を、遅れて突撃したゲドラの振るうスパイクト・チェインが通過していったのだ。ケイジによって釣り出された獅子に向かって蛇が這うような軌道を描いてそれは宙を進む。
彼の信仰するトーテムの加護を受け、棘鎖は瞬く間に三度繰り出された。それは本来槍と同じように刺突する攻撃であるはずが、彼の膂力によってもはや爆発とでも言えるほどの破壊をその着弾点を中心に撒き散らした。
頭部を狙ったその初撃は獣の本能かそれとも両目を失った痛みによるものか、首を振ることで初撃の直撃こそ避けたもののそれは肩に命中し腕を付け根から吹き飛ばし直後に下顎、上顎へと炸裂した連撃によって巨獣は瞬く間にその頭部を失い絶命した。
その体格からも大型の武器を振り回すことが可能なゴライアスという種族の特性と、さらに攻撃力に特化した"バーバリアン"というクラスの特徴が相乗効果を発揮している。
「随分と派手な斬り込みだったな。カイバーまで真っ逆さまに突進して行ったのかと思ったぞ」
最後尾から後方を警戒していたエンダックがウルーラクを伴って追いついてきた。彼が近寄ってきたのを確認し、入口付近の瓦礫を繋ぐように《ウェブ》の呪文を発動させる。ゲームと違い、支えるものがない空間にこの蜘蛛の糸を発生することは出来ない。
もう少し高位の呪文を使用すれば容易に敵を封殺することもできるのだが、現時点では術力を上昇させる指輪の力を借りてもこの程度の呪文の発動で精一杯。チラスクを葬る際に行った偏った成長の代償だ。
《魔法的防護貫通》を取得するために術者としてのLvが8も減少しており、他の特技や装備で補ったもののそれでも術者としては3Lv低い状態だ。6Lv-3lv=3Lvということで術者としての能力はコルソスに居た頃と大差ない。
自前で用意できる呪文はあまり効果が期待できないため、そのほとんどを巻物やチャージ品に頼ることになる。
勿論次のレベルアップを行うことが出来れば修正できるのだが、残念なことにドラゴン・シャードの手持ちが足りない。新たなクラスが追加されたこともあってレベルアップごとに必要なシャードの数が増えているのだ。
ドラゴン・シャードに不自由しなくなるにはカロン達が行う沈没船のサルベージを待つ必要がある。
「ふむ、大した怪我はしとらんようじゃの。強力な防御術のおかげじゃな。トーリ、この秘術はまだ使えるのかの?」
ケイジに駆け寄ったウルーラクが彼の具合を簡単に確かめた後そう尋ねてきた。この呪文自体は地下での戦いの際に既に使用しているため、ここで秘密にするようなことではない。可能であれば全員に配っておくべきだろう。
だが付与を行う時間は与えられなかった。瓦礫を踏みしめる大きな音を立てながら、獅子が一頭回りこんできていたのだ。ウルーラクは激怒の反動で疲労が蓄積しているゲドラからその負荷を取り除いており、その二人を守るように俺とケイジは前に出た。
「来やがった! トーリ、いっちょ景気のいい奴を頼むぜ!」
既に先程の呪歌の効果は消えている。再びバンドールに手を伸ばし、気分を高揚させるメロディーに魔法の力を乗せて周囲の空気を震わせた。正面から突っ込んでくる獅子の咆哮にも掻き消されずに皆に届いた旋律は、再び戦士の体を活力で溢れさせた。
ケイジとの距離を僅かに開けて迎え撃つと軽装な俺のほうが与し易いと判断したのか、異形のライオンはこちらに向かって飛び掛ってくる──こちらの狙い通りに。
速くはあるが鋭くはない、そんな見え見えの挙動から繰り出された攻撃を紙一重の見切りで回避した俺は反撃とばかりに距離を詰めた。確かにこの連中はライオンとしては規格外の大きさではあり、重さも相応だ。
だが規格外の筋力ということであれば俺はその遥か上を行く。2トン程度までであれば持ち上げることができる非常識な筋力、その力を戦闘経験とシステムの補助により研ぎ澄まされた技術に乗せて解き放つ。
攻撃を回避されたことで不安定な体勢となっていた敵は、自らの体重を支えていた後脚を蹴り飛ばされて地に伏せた。腹這いになったことで射程距離にやってきた頭部目掛け、反対側に立つケイジと示し合わせて挟撃を加えるために武器を抜く。
再び炎を纏ったシミターを鞘走らせようとしたが、その直前に感じた違和感に応じるように俺の右手は腰に吊り下げていた『ドワーヴン・スロウアー』を抜き放ち別の目標へと投げつけていた。
後方のゲドラ達の頭上を超えて飛んでいく投げ斧は、5メートルほどの瓦礫の山を超えて飛びその先に顔を出していたもう一頭のライオンの頭部に吸い込まれていく。奇襲するつもりが逆にカウンターを食らったことで憎しみに猛る獅子が自分の存在を誇示するように唸り声を上げた。
「上から来るぞ、気をつけろ!」
投擲の隙を狙って振り上げられた爪を身を捻って回避しながら注意を呼びかける。通常のライオンならともかく、ダイア種(巨大生物)であるこいつらには瓦礫の山は大した遮蔽にはならないようだ。
「まとめて抑え込まれたら不味いぞ、散れ!」
頭上からの攻撃に対して三人は散開してそれぞれ武器を構えようとしたが、足の遅いウルーラクが僅かに逃げ遅れた。そんな彼に向かって跳躍して飛びかかろうとする獅子の足にゲドラの放った鎖が絡みつく。
再び激怒により身体能力を強化したゲドラの筋力は俺ほどではないものの、獲物の有利さも相まって敵を引きずり下ろすことに成功したようだ。ここぞとばかりに矢を射掛けるエンダックに続いて、俺も《リターニング》の魔法付与により手元に戻ってきていた手斧を再び投擲した。
目の前の獅子が先程から起き上がっては攻撃をしてくるがその隙をついて再び転倒させ、伏せた状態から繰り出される単調な攻撃は全てローブに触れされることもなく封殺している。
そうやってこちらに注意を引きつけていた間に、懐に潜り込んだケイジが無防備な喉に二刀からの斬撃を見舞った。強靭な生命力故かその程度で即座に死ぬことはないが、魔法の武器で刻まれたその傷は再生することはない。
出血こそ周囲の筋肉が膨張することで止まったようだが、大した抵抗が出来るわけでもない。ようやく身の危険を感じたのか逃げ出そうとしたようだが、その判断は遅すぎた。
「おっとカイバーへの帰り道はそっちじゃねえぜ!」
跳躍のために力を込めた足を俺が叩き折り、崩れた体に再びケイジの二刀が閃くとその獣は二度と起き上がることは無かった。
ケイジが武器への付与として選択した「電撃」という相性は異次元の魔物など相手には無効なこともあるが、こういった魔獣や動物相手には有効だ。
俺の持つ武器に多い酸や炎の付与は強力すぎることもあってか死亡して抵抗力を失った遺体を消失させてしまうことも多いが、やはりこれは一般的な事象ではないようだ。
ケイジに止めとなる攻撃を受けたこの獅子は電撃か肉体を貫いたことによる影響か、一際大きな痙攣を発した後も変わらずそこに存在し続けている。
これが付与された術の強度によるものなのか、それともゲーム武器独特の効果なのか今のところ不明ではある。今までは精神衛生上むしろ有効に働いてはいたが、ひょっとしたらこれも自重すべき点だったかもしれない。
そんな思考に意識を一瞬向けている間に後方でも決着がついていた。エンダックが機敏な動きで射線を確保しつつ次々と矢を撃ちこみ、ゲドラが棘鎖が縦横に振るい頑丈な外皮を持つはずの獅子の肉体を削り落としたのだ。
瓦礫が多く決して広くはないこの戦場でも長射程の武器の効果を最大限に発揮するとは、流石にその武装に熟練したスペシャリスト達だ。最初の遭遇ではぎこちなかった動きも既に消えている。
一度実戦を行ったことでお互いの役割をはっきりと認識したのだろう、もはや打ち合わせの必要もなくその場その場で最善の行動をお互いが取れるようになっている。
「まだ群れの主達が残っているはずだ。気を抜くなよ」
矢筒から二本の矢を取り出しながらエンダックが警戒を呼びかけた。ウルーラクを中心に陣を組み、周囲への警戒を行いながらジリジリと慎重に歩みを進める。
あまり時間に余裕が無いことは解っているが、奇襲を受ければ容易に分断されてしまう。逆に先手を取ることが出来ればほぼ封殺することが可能なはずだ。そうやって移動しながらも皆に支援の呪文を次々に付与していく。
全員に配った《ストーンスキン》は優秀な防御呪文だ。クリティカル・ヒットを貰わない限りは相当な回数の攻撃を吸収してくれるだろうし、これで誰かが瞬殺されるという事態は回避できるはずだ。
緊張感を維持したまま俺達は神殿跡地の奥へと進んでいった。かつては大勢の信者を集めていたであろう集会所の奥、そこには未だに原型を留めている神々の像が残されていた。ゲームでは回復と復活を司るオブジェクトだったそれは、女神アラワイとその兄弟神であるバリノールを表しているようだ。
そしてその二柱の間からは、赤く輝く四つの眼球が招かれざる客として侵入した俺たちへと殺意を送り込んできていた。外にいた獅子達よりも倍近く大きく、立派な鬣を備えたカイバー産の雄ライオン。
その最大の特徴は、一体の体から生えた二つの頭部。ゲームでは"ツイン・ファング"という名前を冠していたネームド・クリーチャーはこの世界では"マルチヘッデッド・クリーチャー"として存在していたのだ。
「呆けている場合じゃないっ! 来るぞ!!」
皆がその異形を目にしたことで一瞬動きを止めていたが、その僅かな立ちすくみの隙に獅子は突撃してきていた。《ナーヴスキッター/神経加速》の呪文により反応速度を上げた俺の警告は皆に届いただろうが、獣の俊敏性はさらにその上を行っていた。
集団の先頭へと飛び出した俺の目の前に、巨獣の顎が大きく開いて視界を覆い尽くす。疾すぎる!
巨体からすれば僅かな首の振りになるのかもしれないが、全長10メートルもの巨体がそれを行った場合その動作はとんでもないスピードを伴ったものとなる。
俺の立っていた空間全てを攫う勢いで行われた"口撃"を俺は横っ飛びに回避する。だが俺の斜め後ろに立っていたケイジは反応しきれず、もう一方の頭部による噛み付きにより咥えあげられた。そして獅子王は喉を鳴らすとそのままケイジを飲み込んだ。
「……ケイジっ!」
巨大生物が時折持つ「飲み込み」という攻撃方法だ。体内に放りこまれたクリーチャーは咀嚼胃による叩きつけと分泌される酸によって継続的にダメージを受ける。自力で食道を這い上がるか、胃壁と腹を切り開いて脱出しない限りそのまま消化されてしまうことになる。
無論そうなってしまえば死体など残らない。そうなればこのエベロンで通常行いうる手段での蘇生は不可能となる。勿論ケイジも脱出を試みるだろうが、その行為が実を結ぶ確率は残念ながら低いだろう。
「うおおおぉぉっっ!」
裂帛の気合を乗せてゲドラが放ったスパイクト・チェインの先端が一方の頭の眉間へと向かって突き進むが、ツイン・ファングが僅かに首を動かすとその切っ先は立派な鬣に弾かれて力なく落下する。
どうやらあの鬣は盾のような効果を持つらしい。分厚い外皮と巨大な図体に見合わぬ俊敏な動きに加え、そんな能力まで持っているとは非常に厄介な敵だ。
(最大限まで強化されたダイア・ライオンにフィーンディッシュ種とマルチヘッデッド種の二つのテンプレートを付与……特殊能力の追加も考えれば脅威度は15~16ってところか?)
紙一重の攻防を繰り返しながら相手の能力を観察する。幸い敵は目の前をちょろちょろと動く俺に注意を引かれており、有効打を与えていない他の皆のことは無視している状態だ。
回避ざまに振り抜かれた前肢を引っ掻くように傷をつけ、獅子王の意識を俺に集中させながら情報を集める。
(その場合HPは300~400くらいか。動物系クリーチャーの弱点である意志力は呪文抵抗の高さで補っているし、エネルギー抵抗も高いだろうから呪文で攻撃しても効果は低いな)
敵の攻撃の鋭さは狂乱前のゼアドを上回る程だ。そこから想定される敵の能力は同種のクリーチャーの中でも最高峰だと思っていいだろう。HPの見積りも素の状態であり、《追加HP》などの特技を取得していればさらに増えることになる。
(すぐに倒すことは無理だ。かと言ってケイジを見捨てることもしたくない……)
向かってくる敵を斬ることに躊躇いはもはや無いが、仲間を見捨てることは出来ない。文字通り虎口に飛び込む決意をした俺は皆にそのことを伝える。
「ケイジを救出する! なんとか10秒持ちこたえてくれ!!」
そう叫んだ直後に獅子王の顎が開かれ、俺は眼前に迫るその暗闇へと自ら身を躍らせた。天地がひっくり返り、巨大な牙による刺突と舌による圧迫が体全体を襲う。
だがこの口腔の主はケイジの時同様咀嚼に時間を掛けるつもりはないのか、僅かな蹂躙の時間の後に俺はさらなる喉奥へと運び込まれた。残虐なその性質からして、踊り食いの犠牲者となった者たちが胃の中で暴れる感触を好んでいるのかもしれない。
そんな事を考えている俺の周囲から、酸と周囲からの圧迫が襲いかかってきた。それ以外にも強烈な刺激臭が嗅覚を破壊しようとしてくる。どうやら咀嚼胃に辿り着いたようだ。
まるで渦潮に放りこまれたように攪拌される中、先客だったケイジを発見する。《トゥルー・シーイング》の効果を持つゴーグルにより、全くの暗闇でも見通す事ができるのだ。彼は傷を負いながらも胃を切り開こうと山刀を胃壁に突き立てている。
最初に受けた噛み付きこそダメージを受けたものの、その後の咀嚼は《ストーンスキン》によりある程度防げているおかげだろう。まだまだ戦意を失ってはいないようだ。
俺とは違って光のないところでは目が見えないだろうに、胃壁を切り刻んで脱出しようとしている彼の行動は非常に的確なものだ。ひょっとしたら以前にも似たような経験をしたことがあるのかもしれない。
とはいえケイジの装備では胃酸による攻撃を防ぐことは出来ないし、《ストーンスキン》の防護も長くは持たない。一刻も早く脱出する必要があるだろう。
「転移するぞ、呪文を受け入れてくれ!」
ケイジに一声かけた後、取り出した巻物を使用して《ディメンジョン・ドア》により体外へと瞬間移動する。ブレスレットの能力により直接俺の掌中にアイテムを取り出せるからこそ可能な芸当である。
獅子の背後側に胃酸塗れになって出現した俺達の視界に入ったのは非常に厳しい戦況だった。
今まで遭遇したこの群れの獣達を肉片に変えてきたゴライアスの勇士の攻撃が、傷一つつけること出来ずに撃ち落される。返礼とばかりに放たれた爪の一振りは未だ宙にあった彼の得物を捉えるとズタズタに寸断してしまう。
鉄の鎖をまるで紙細工のように引き裂いたその爪はさらに薙ぎ払うようにゲドラへと襲いかかった。硬質の物同士がぶつかる音が鳴り響いたが、ツイン・ファングの爪は展開された石の防御を打ち破り胴を襲った。
一瞬勢い良く血が吹き出るが、事前に付与していた《エイド/助力》の呪文がその効果を発揮し傷口を覆う。だがそれでも無傷というわけにはいかなかったようで、彼の胸板には大きな傷が刻まれている。
エンダックは後列で弓を構えてはいるものの、規格外の大きさを誇る敵に対して既にその立ち位置は爪と牙の射程距離内。矢を放とうとした瞬間におそらく爪か牙による洗礼を受けるだろうし、本人にもそのことが解っているので攻撃に移ることが出来ない。
隙を窺いながらジリジリと移動し、敵の攻撃範囲から逃れるように動くのが精一杯のようだ。ウルーラクもジリジリと移動している。だがその掲げられた盾もあの巨体を前にしては非常に頼りなく感じられてしまう。
まるで猫がお気に入りの玩具にするように、その鋭利な爪の先で引っ掻くように攻撃を続けるその姿は遊んでいるようにしか見えない。だが実際に獲物の側になってみればこれほど恐ろしい物はないだろう。
「俺が注意を引きつけている間に立て直せ! 近づいたら喰われてお終いだぞ!」
このままにしておけば、あっという間に全滅しかねない。そう判断した俺はいつものように《高速化》などにより短縮発動された攻撃呪文を放ちながら獅子の背後へと距離を詰めた。
チラスクに放ったときは一瞬で腹部を溶かしつくすほどの破壊力だった酸と火が混合された矢も、術者としての力を大きく減じた今は奴の体表の一部を焦がすだけに留まった。何十発と撃ちこめば倒せるだろうが、今は皆を逃すために注意を引ければそれでいい。
狙い通りこの戦闘で初めて傷らしい傷を受けたツイン・ファングは怒りの咆哮を上げながらこちらへと向き直る。横合いから大理石の床面を削りながら迫る爪を《シールド》呪文による障壁を利用して上手に逸らし、体捌きやローブの発する反発の力場など持てる全ての防御能力を活用して回避する。
敵の注意がこちらに集中したことを確認したのか、ケイジと合流した他の皆は来た道へと姿を消した。視界には入っていなくても動物特有の鋭敏な嗅覚でこいつもそれには気づいているだろう、だがそれよりも痛みを与えた俺のことが気に入らないようでそれぞれの顔が憎々しげに俺を睨みつけている。
先程まではおそらくこいつにとっては遊びの範疇だったのだろう。だが傷を受けたことで本気になったようだ。四つの瞳に込められた殺意が俺を射竦める。
(防御重視で戦っていればまず被弾することはないし、《フリーダム・オヴ・ムーヴメント》を帯びた靴に履き替えたおかげで飲み込まれることもない。時間を稼ぐことは十分に可能だ)
脳内で弾きだされた分析結果に愚痴りながらも体は動きを止めない。一瞬でも動きを止めれば飲み込みこそ避けられるとはいえ噛み付きを受けるし、鋭い爪を受ければ相当な痛手を被るだろう。
実際には《ストーンスキン》のおかげで1割も削られないだろうが、迂闊にバランスを崩されようものならその後に連撃を叩き込まれることにもなりかねない。嗅覚が鋭いために視覚を誤魔化す幻術の類も効果がないので地道に回避を続けるしか無い。
(体格差がありすぎて急所には手が届かないし足払いは無理だし、朦朧化打撃も通りそうにない。地道に削るしか無いか)
1分ほどそうやって攻撃を回避しながら何通りかの攻略手段を考え、そのうちどれを実行するか悩んでいたところで変化が訪れた。
「よしトーリまだ生きてるな! 時間稼ぎはもう十分だ、こっちに来い!」
瓦礫の隙間から顔を出したエンダックが大声を張り上げて指示を出してきたのだ。チラリ、とそちらに視線を飛ばして確認するが彼の表情はこれから逃げようという者が浮かべるものではなかった。どうやら場所を変えての戦闘を行うようだ。
先を行くエンダックは取り出したポーションを飲み干すと、ものすごい勢いで駈け出した。おそらくは《ヘイスト》の効果を持つ品だったのだろう、
俺も遅れを取らぬよう、ツイン・ファングの攻撃範囲を軽業を駆使して突破すると一気に走り始めた。どうやらエンダックは神殿正面へと通じる中央回廊のほうへ向かったようで俺も彼を追って足を動かす。
すぐ後ろにツイン・ファングが迫っているのを感じる。どうやらこの程度の瓦礫はあの巨体には障害にはならないようだ。基本的な移動力では優っているが、不利な足場のせいで実質の移動能力は五分五分といったところか?
瓦礫の合間を縫うように移動しながら目的地へと向かうと、他の区画とは異なって崩れておらず当時の面影を残している長い廊下が広がっていた。
どういった意味があったのか、50メートルほど続くその一直線の道の先には瓦礫で作られたバリケードに身を隠したケイジ、そしてその前に立つゲドラとウルーラクの姿が見える。
俺の先を行くエンダックはそのバリケードに駆け込み、ケイジが大声で俺を呼びながら手招きを行っている。
(まさか、あんなチンケな障害物に拠って戦うつもりなのか?)
頭に浮かんだあんまりな想像を打ち払いながら全力で疾走する。真後ろに迫ったツイン・ファングも獲物が集まっているのを見てその残虐性に火が付いたようだ。最後の直線を舞台に追いかけっこが始まった。
終点に待つゲドラは破損した鎖の代わりなのか、巨大な石柱を両腕に抱えている。1トン近い電柱のようなそれはこうして見るととんでもない迫力だが、武器としての実用性があるとはとても思えない。
時間があったのだからウルーラクの信仰呪文で武器を修理していると思っていたのだが、どうやら俺の予想とは全く異なる時間の使い方をしていたようだ。
「トーリ、そこで立ち止まるなよ!
ゲドラ達に任せてバリケードのこっち側まで来るんだ!」
追いかけっこを続ける俺を助けるためか、ケイジとエンダックはバリケードの向こうから援護射撃を行ってくれている。
いくら強固な外皮と鬣を持っていようとも鼻頭や眼球といった矢の刺さる箇所はあるがために、そこへの直撃コースを取る矢を防ごうとしてツイン・ファングは勢いを殺されがちだ。
実際にはほんの数秒である追いかけっこは終わり、バリケードまで辿り着いた俺の後を追って巨獣がこちらへと殺到する。頭部を狙った二人の射撃を掻い潜るような低い姿勢で迫った巨獣の爪が振るわれる直前、ゲドラが動いた。
"山の激怒"と呼ばれる特殊な能力により大幅な筋力強化を果たした彼が大上段から振るったそれは、破壊的な音響を伴ってツイン・ファングの鼻先へと叩きつけられた。
見切られたというよりは奴の動きを押しとどめるために放たれたように感じるそれは、だがもう一つ別の効果を表した。その一撃は大廊下の床を破砕し、ツイン・ファングに反応する暇を与えずに階下へと叩き落としたのだ。
「ふむ、次はワシの出番じゃな」
ウルーラクがそういって足元の床と瓦礫に手を触れバリノール神への祝福の言葉を唱えると、溶け崩れるように形を変えたバリケードがあっという間に廊下に生まれた穴を塞いでしまった。《ストーン・シェイプ/石材加工》の呪文だ。
穴自体は完全に塞がれたわけではなく、1.5メートル四方程度の穴が残されたままになっている。そこから下を覗き込むと思ったより深い穴の底にツイン・ファングが閉じ込められているのが見える。
深さは15メートルほどか? うち5メートルほどは石壁であり、廊下の床部分となっているがそこから下は神殿の地下部分にあった部屋のようだ。巨体を収めるにはやや狭い部屋のようだが、拘束には丁度いい。
赤い四つの瞳がこちらを見上げているが、オーバーハング気味になったこの壁面を登れたとしてもこの覗き穴はあの巨体が通り抜けることが出来る大きさではない。
「……どんな作戦かと思ったら落とし穴か。よくもまあこんな時間で用意できたもんだ」
今考えればケイジやエンダックの射撃はあの獣に跳躍させないようにと考えてのものでもあったのだろう。奴の運動能力であればバリケードごと俺たちを飛び越していくこともあり得たはずだ。
ゲドラのあの不恰好な武器は床を破壊するというよりも、跳躍の邪魔として印象づけるための効果を狙っていたのかもしれない。あの瓦礫は事前にウルーラクが《ストーン・シェイプ》で床から抜き取った残骸だったのだろう。
おそらくは奴の自重だけで床が抜けるようにはしていたはずだ。かなり行き当たりばったりではあったが、即席にしては有効な罠だ。
「ま、あんなの相手にわざわざ真正面から殺り合っても仕方ないだろ。連中がパワーに優れている分、俺達はアタマを使って戦わなきゃな」
穴から下にいる獅子に向けて矢を射込みながらケイジがそう話してきた。彼としては時間があれば倉庫の床に槍衾を仕掛けたりしたかったらしいのだが、まさかそんなものを用意できるはずもないので若干の不満があるらしい。
「しかし、こんな短時間でよく地下にある部屋のことに気づいたな。誰の手柄なんだ?」
どうやら罠自体は元腕利き猟師であるところのケイジの発案だったらしいのだが、こんな床が厚い建築物の地下の構造を察知できるなんて人間業とは思えない。であれば、何らかの仕込みがあったと考えるべきだろう。
そう聞くとケイジからはエンダックの旦那だよ、という言葉が返ってきた。
「元々、ここの神殿跡地の調査に寄ることは考えていたことだからな。予め過去の資料から建築当時の図面に目を通しておいたのが役に立ったということだ。
とはいえこんな派手な落とし穴に使うことになるとは想像もしていなかったが。あの部屋からの出口はあのデカブツが通れるほどのものはないし、壁も登りづらいようにウルーラクに加工してもらった。
奴があの地下室に大穴を開けるよりは、俺達の矢で射殺すほうが早いだろう」
エンダックもケイジに並んで一方的な射撃を開始した。例えば同じ脅威度のドラゴンであればブレスや呪文といったこの状況でも厄介な能力を持っているが、ツイン・ファングは所詮獣に過ぎない。
その分近接戦闘では破格の戦闘力を有していたが、その一点を発揮できない状況に追い込んでしまえば状況を覆しようがない。もはや完璧に詰んでいると言っていいだろう。
「まあここの構造が全部石造りだったのが幸いじゃったな。そうでなくてはバリノール神の祝福があったとしてもこのような策は行えなかったじゃろうし。
おそらくは天の主上らもあのような忌まわしい獣がこの地を穢していることを憂いておられたのじゃろう」
床を薄くすることや壁を登りづらく加工した前準備に加え、罠の発動後に穴を塞いだことで彼は複数回の《ストーン・シェイプ》の呪文を使ったと思われる。
普通に考えて、《ストーン・シェイプ》のような呪文を複数個準備しておいたとは考えにくい。おそらくは《領域呪文任意発動》によって"地の領域"から発動させたのだろうが……。
このエベロンではこの領域を司っているのはバリノールだったか? そうであれば確かにウルーラクの話にも合点が行く。
ゲームのほうでは実装されていない"領域"という特性、その中でも特典が微妙なためにTRPGでも自分では実際に使ったことのなかった"地の領域"であるが、彼がその使い手だったことは幸運だ。
ご都合が過ぎる気もするが、天の配剤ということにしておくべきだろう。
「先手を取られなければ真正面からでもなんとかなったかもしれんが、ちょっとした偏りで犠牲がでたかもしれん。
無事に済んでなによりじゃよ」
ウルーラクはそう話しながらも、今度は先程の戦闘で破壊されたゲドラのスパイクト・チェインを《メイク・ホウル/完全修復》の呪文で修復していた。
ツイン・ファングの爪によって切断された破片が微かな光を放ちながら浮き上がり、自ら繋がり合って元の形状を取り戻していく。こびりついていた獅子の体毛や血といったものも取り除かれ、ゲドラの武器はほんの数秒で新品同様となって復元された。
普通の人間では持ち上げることも出来そうにないその武器を受け取ったゲドラは少し離れた場所へ移動すると何回か振り回して異常がないことを確認していたが、やがて問題ないと判断したようでこちらへと戻ってきた。
「……状態は万全だ、感謝する」
こうして見ているとやはり信仰呪文が使えるのは羨ましい。秘術呪文にも《メンディング/修理》という初級呪文があるが、同じことをしようとすれば千切れた鎖の輪一つずつに呪文を使っていかなければならないだろう。
《リペア・ダメージ》という人工物を修復する呪文を使えば代用できるが、相応の"製作"技能を持っていなければきちんとした修理を行うことが出来ないのだ。そのあたりを不可思議なパワーで補っている信仰呪文には秘術呪文にはないアドバンテージがあると言える。
今は《メイク・ホウル》の呪文が封じられたワンドを買ってチートアイテムの修理を行っているが、そのうち残りのキャラクタースロットを解放することを考えなければならないだろう。
そんな事を考えながら周囲の警戒に当たっていると、長く聞こえていた唸り声が断末魔の声に変わった。一時はどうなるかと思われた危地をどうやら乗り越えることに成功したらしい。
安心したことで大きめの息を吐き出した俺は、念のため双頭の獅子王の死亡を確認するためにケイジとエンダックの元へと歩み寄った。
「ふう、随分とタフな奴だったな。矢筒の中身が空になるんじゃないかって心配しちまったよ」
ケイジが弓を背中に固定し、矢を放ち続けて硬直した肩をほぐすように腕をグルグルと回していた。ろくに身動きの取れない落とし穴に放りこまれたとはいえ、頑強な外皮と厄介な鬣は健在だったのだ。
照明替わりに放りこまれた陽光棒の灯りだけを頼りに延々と射撃を繰り返すのはよっぽど神経を使ったのだろう。随分とお疲れのようだ。
「しかしこの連中は一体どこからやってきたんだろうな?
この辺りにカイバーへの穴が開いたって言うなら大事だぜ。街の外壁から歩いて1日ってところだろうしな」
とはいえ彼の口は相変わらず滑らかに動くようで、話をこちらに振ってきた。
……少しの間考えてみるが、特にゲーム中にそのことに関する設定はなかったように思う。本国のフォーラムなどに目を通していれば違うのかもしれないが、日本語化されたリソースしか見ていなかったのでその点はどうしようもない。
「どこかから迷いこんできたんだろうが……
そういえば少し西に行ったところに廃坑があったはずだから、気になるならその辺りを調べてみればいいんじゃないか。
カイバー・ドラゴンシャードの鉱床だったんならタラシュク氏族の管轄だろう、エンダックは何か知らないのか?」
落とし穴をのぞき込みながらも記憶を探ってみるが、直接的な情報は思い当たらない。
ただこの神殿跡地以外にもこれら異形のライオンが出没する場所があるということは確かだ。鉱山自体は随分昔に閉鎖されたような描写がされていたが、思いつくことはそれくらいしかない。
「そうだな、トーリが言ったことに思い当たるところがある。我らの氏族が手をつけた鉱山があったとは思うが、廃棄にともなって厳重に封じられたはずだ。
とはいえこんな連中が出てきているようだし、念のため見回ったほうがいいだろうな」
エンダックはそう返事をすると移動の準備をするように促した。とりあえずオークの集落へ報告を行わなければならない。
神殿をこのままの状態にしていくのも気が引けるが、人の手が入るようになれば復旧も行われるだろう。ひと通り敷地内を探索し、討ち漏らしがないことを確認してから俺たちは移動を開始した。
その後は地味な作業だった。オークの部族に報告を行った後、目的の廃坑へと移動。途中に現れる賊を薙ぎ倒しながら進むと、やはり廃坑の入り口には残党と思われる2頭の雌ライオンが彷徨っていた。
あのツイン・ファングを見た後ではもはやこの程度の相手で手間取ることもなく、ゲドラのスパイクト・チェインが唸りを上げてあっという間に連中を葬った。先手をとって数秒、まさに瞬く間の出来事だ。
その後廃坑の入り口を調べてみたところ、どうやら最近人の手が入ったような痕跡を発見する。どうやら何者かが封を破ったようだ。
「大方この辺りに隠れ家を構えている盗賊団の連中が、新しいねぐらにしようと藪をつついて蛇を出したってところだろうな」
入口付近を調査していたエンダックはそう語った。採掘用の搬入口も兼ねているため、あのような大型の獣でも出入りできる広い通路が伸びているようだ。
とはいえ今の俺達は地下空間を探索する準備が出来ていない。とにかくこれ以上厄介な連中が出てこないように、ウルーラクの《ストーン・シェイプ》呪文で入り口を塞ぐ。何メートルにも及ぶ石壁だ、しばらくの間は時間を稼げるだろう。
やむを得ず調査はそこまでで打ち切り帰路についたのだが、その途中で発見したクイックフット盗賊団のセーフハウスを叩き潰した所、手に入った内部文書からエンダックの推論を裏付ける記載が発見された。
ハーバーの治安向上に伴いジンの許可を得て中央市場に流入する冒険者の数も増え、彼らがコインロードから受けた仕事をこなしていったことで盗賊団は随分と窮屈な思いをしているらしい。
そんな彼らが一体廃坑に何を求めたのかは不明だが、結局のところその思惑に反して地底から出てきたのは彼ら自身をも引き裂く牙の主達だったというわけだ。彼らも随分と被害を受けたらしいことがその文書には書かれていた。
「自業自得もいいところだな。清々するぜ!」
鎧を穴だらけにされた件を余程根に持っているのだろう、連中の失策を知ったケイジは非常に上機嫌である。
追加の危険手当について大幅なボーナスをエンダックが約束してくれたこともあってか、舞い上がらんばかりの軽い足取りで先頭を歩いている。勿論それでも警戒を怠っていないのは流石一人前の冒険者というところか。
何はともあれ出発してから5日目の夕方頃。俺達は巨壁のアーチを潜りぬけ、無事ストームリーチへの帰還を果たしたのだった。