「行ってらっしゃい。気をつけてね」
五年間過ごしたおばさんの家を出ることになったのは、高校の入学式を一週間後に控えた日のことだった。
「今までありがとうございました」
四季は小さく頭を下げると、バッグを肩に掛け直した。
「それじゃ、行ってきます」
玄関のドアを開けた。こんな日ぐらいは、青空の下爽やかな別れと行きたいところだったが、生憎空は、ねずみ色に染まっていた。
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「えーっと、あぁ、次の駅か」
新幹線で東京についた俺は、電車を乗り継いで、新宿までやってきた。
そこからさらに電車を乗り継いで40分近く電車に揺られて、やっと目的地の駅についた。
「うわ、雨降ってんじゃん・・・」
家を出たときにはなんとか持ちこたえていた空だったが、今は、そこから雨がシトシトと降っていた。
「うーん・・・」
とりあえず俺は茜さんを探すことにした。今日から俺が世話になる下宿先の管理人さんだ。
自分としては、アパート暮らしが良かったが、おばさんがいきなりの一人暮らしは何かと大変だからと、神奈川に住んでいる妹がやっているという下宿を紹介してくれたのだ。
下宿というものがどういうものかいまいちピンとこなかったが、アパート暮らしよりは多少人間関係がわずらわしそうなイメージだった。
それでも、下手にアパートを借りようものなら物凄い家賃がかかることは承知の上だった。いくら両親の遺産があるからといって、むやみやたらと使うわけにもいかないし、家賃の他にも生活費がかかる。
アパートは大学に入ってからにしようと決め。俺はおばさんの勧められるままにその下宿にお世話になることにした。当然ただというわけではないが、近場でこれ以上好条件の下宿などまずないだろうといった激安価格だった。
「小笠原くん?」
「?」
名前を呼ばれた方に振り返ると、そこには自分とさほど年が変わらない女の子が一人立っていた。
「良かった。小笠原四季くんね?わたしは、瀬川みねの。茜さんの代わりにあなたを迎えにきたの」
「あ・・・よろしくお願いします」
茜さんの名前出てきたところで、事態が飲み込めた。
すごく可愛い人だったのでちょっとどっきりしてしまったが、そういうことなら話は解る。
「それじゃ、早く行こ。ちょっと勝手に車止めてきてるからゆっくりしてらんないんだ」
「え?」
俺はその言葉にちょっと引っかかりを覚えた。みねのさんには悪いが、18歳以上には見えなかったからだ。
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「トランク狭いかから、そのバッグは、後ろに積んでね」
「はい」
一般的な白の軽自動車だったが、確かにそれは車だった。
中には誰も乗っていないし、この車はみねのさんが運転することで間違いはないようだった。
「あの、みねのさん・・・」
「ん、なに?」
運転席に座り、シートベルトを掛けるみねのさんを見て、俺は思わず尋ねてしまった。
「うあー、ショックゥー。四季くんにも言われるなんて・・・」
「スイマセン・・・」
どうやら気にしてたことらしい。俺は思わず謝ってしまった。
「ま、いいけどさ。老けて見られるよりはましだって。もう10年もすれば思えるはずだから!」
そう言うと同時に、みねのさんはアクセルを踏んだ。
そして、いきなりエンストした・・・。
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みねのさんは、県内の大学に通う大学生という話だった。
失礼な話だとは思うが、全然女子大生には見えない。言うとまたショックを受けるだろうから言わないけど、どう見たってよくて高一。下手すれば・・・それ以下だ。
「ねえねえ、四季くんから見てわたしってタイプ?」
「・・・は?」
「だーかーら。私って良い線いってるかな?」
「・・・まあ」
出会い頭に見とれてしまったこともあるし、嘘ではない。
「ありがとう!嘘でも嬉しいっ」
嘘じゃないんだけどなぁ。まあ、みねのさんが上機嫌になってくれたのは嬉しい。
「あ、あそこ。見えるかな、赤い屋根の家」
駅から車で10分ほど走っただろうか、みねのさんが車を運転しながら前方を指差した。
「・・・ああ、あれですか?」
相変わらずの雨で前が見えずらかったが、ちょっとした丘の上にそれは見えた。
「うん。で、四季くんが通う高校はあっち側だから」
と言って、みねのさんは左側を指差した。
けれどそちら側は道路沿いに並ぶビルに隠れて見えなかった。
「毎日坂道歩くのは大変だけど、頑張ってね」
そう言われたけれど、実際坂は大したことはなかった。自転車だとちょっと辛いかもしれないけど、それだって、だるければ押して登ればなんてことはない坂だった。
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荷物持って先に行ってて。
下宿先の前までやってきた俺は、バッグを持って先に下りた。
みねのさんは車を止めるために下宿の裏の駐車場へと向かった。
ピーンポーン。
下宿というものがどんなものか分からなかったが、少なくとも俺が世話になる下宿先は、ぱっと見ただの一軒家だったので、俺は普通の家に入るように呼鈴を押してみた。
「・・・」
少し待ってみたが、誰も出てくる気配は無かった。
どうしようかと思ったが、黙っててもしょうがないので、俺はもう一度呼鈴を押した。
「ごめんー」
今度はすぐに返事があった。
出てきたのはみねのさんだった。
「茜さん、まだ帰ってないみたいでさ。うん、いいから入って入って。濡れちゃうよ」
俺はみねのさんに促されるままに。上がりこんだ。
「コーヒーでいいかな?」
こう言うときはお構いなくというものだと思ったが、みねのさんは俺の返事を聞く前に行ってしまった。
「・・・」
外見も一軒家なら、やっぱり中も一軒家と言うわけで、俺が通されたのは、今日の朝まで住んでいたおばさんの家にもあったようなリビングだった。
いくらか広かったが、何か劇的に違うということは無い造りに思えた。
みねのさんがつけて行ったテレビには、県内のニュースがリポータのオーバーなリアクションで流されていた。
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「ごめんねー。茜さん四季くんが来るって言うから張り切ってたんだけど、急に用事が入っちゃったみたいで」
みねのさんが出してくれたコーヒーはブラックだった。
そこに自分で砂糖とミルクを入れて飲んで言うことだったが、俺の目に狂いが無ければ、みねのさんはそこにスティックシュガー四本分入れていた。
・・・かなり甘いに違いない。
「困ったなー。わたしもちょっと出かけなくちゃいけないんだけどなぁ」
テレビの側にある子犬の形をした時計は、間もなく4時を差そうとしていた。
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「あ、彩ちゃん、うん、ん、あ、ごめん。ちょっと出かけなくちゃいけなくて・・・。うん、あ、来てる来てる。うん、ん。分かった。じゃあね」
電話を切ったみねのさんは、俺の前まで来ると両手を胸の前で合わせると拝むようにして、俺に声を掛けた。
「四季くん、悪いんだけど、彩ちゃんの迎えに行ってくれないかな?傘忘れちゃったみたいで、ほんとは私が行ければいいんだけど・・・」
そんなに可愛く頼まれて断れますかっての・・・少なくとも俺にはできなかった。
あぁ、俺ってばきっと彼女とかできてもいいように使われるんだろうなぁ。
「ありがとぉ。やっぱりこういう時、男の子は頼りになるよね!」
男とか女とかはあんまり関係ない気もするけど・・・。
「えっと、赤いのが彩ちゃんので、あ、四季くんは悪いんだけど私の傘使ってくれないかな」
そう言われたみねのさんの傘は、水色の布地に小さな白い花が布地に溶け込むようにプリントされた女の子向けの傘だった。
「あ、それじゃ、私行かないといけないから」
場所は、来年から俺が通うという高校だった。俺はみねのさんから大体の場所を教えてもらうと、みねのさんと一緒に家を出た。