戦場を縫うように、白い影が駆ける。その手に握られた、八十斤もの重量を持つ双鉄戟が軽やかに、風を切って奔り………
「敵将馬玩、討ち取ったり」
敵将の首が、宙を舞った。
「これで、あとは西涼に一直線ですね」
あちらも既に国境に兵力を集めていた韓遂軍を真っ向から蹴散らし、俺たちは西涼の南東、天水に入城していた。
戦争が起きた事への不安はともかく、ここも不思議と北郷軍自体への忌避感はほとんど皆無だったと言っていい。
「何か、随分呆気なかったな」
その天水の玉座の間にて、うまく事が運びすぎると不安、という散の言葉を図らず体感している俺である。
「韓遂の強みは、西涼の屈強な騎兵隊。とはいえ、それは西涼出身の元董卓軍が主力になっている北郷軍騎兵隊も同じですから」
雛里が、そんな俺に言って聞かせるように言う。こういう時は、雛里が外見より少し大人っぽく見えない事も無い……かも。
「まあ、正直ここまで練度を保っているとは思っていませんでしたよ。期待以上、と褒めておきましょうか」
馬騰に仕えていた散にそう言ってもらえるのは、実に心強い。
「訓練法とか、役立つ部分は積極的に取り入れてるよ。……それにうちには、騎馬訓練に妥協しないやつもいるから」
「……ふむ、神速の張文遠ですか」
「正解」
ほう、と感心げに自分の顎を撫でる散。
「元々、数も質もこちらが上なのだ。慢心は不要だが、敵を過大評価する必要も無い」
星までがそう言うなら、確かに俺の考えすぎか。考えてみれば、俺は前の世界の時から、圧倒的優位に立って戦った事がほとんどない。
開戦前の俺たちの兵力は八万五千。対する韓遂軍は四万。馬は向こうの方が全体の比率としては多いだろうが、そもそも全軍の数が違うし、練度ならこっちも負けてない。
極めつけに、こっちには星、恋、散っていう大陸最強クラスの武将まで揃ってる。確かに、戦力差ははじめから歴然としていた。
とはいえ………
「散、韓遂ってどんなやつ?」
被害を最小限に止めるに越した事は無い。まだ、韓遂当人とは戦ってないから、判断材料は多い方がいい。
「そこそこ腕は立ちますよ。一刀じゃ相手にならないでしょう」
散は、わざわざ要らん前置きを入れてから……
「ただ、あたし達三人には遠く及びません。むしろ、用兵の方が得意でしょうね」
つらつらと、韓遂について話し始めた。
何事もそれなりにこなしていける有能な将。常に他者を表に立てて、自身は裏で物事を動かしていた。馬騰とは義姉弟の契りを結んでおり、反乱を許してしまったのも、そこに大きな要因がある。
「……まあ、あたしは韓遂は信用ならない、と前々から言ってましたので、女将の自業自得でもあるかな、とも思いますけどね」
さばさばとした様子でそう言って、散は両手で丁寧に持ったお茶をすする。
「……そんなやつが、どうして大々的に反乱なんか起こしたんだ?」
常に他者の影に隠れて物事を動かしていたなら、何で今さら義姉を裏切ってまで君主の座を狙ったのか、そこに疑問が残った。
「そこはまあ、韓遂の性格の話になりますが……不快なので流す方向で」
おいっ!?
「漢王朝に忠実で正義感の強い、真っ直ぐな青年。それが韓遂の本質です」
はぐらかしたと思った直後にあっさりそう言う散。しかし、その内容は腑に落ちない。
「どういう、意味だ?」
韓遂の反乱と本質、それが結び付けられない俺を、
「自分で考えてみましょうか」
散は助けず、
「それより、西涼攻略を話し合いましょう。実を言うと、この時のために色々と根回ししてたので」
星と雛里に向き直って話をさらっと変えた。
「ほう、根回しとは?」
「元々、馬騰に叛旗を翻して領内で争いを起こした韓遂には住民の不満が募ってましたから。比較的簡単に仕掛けられたかな、と」
根回しという単語に食い付いた星によって、話は西涼攻略に移っていく。
「………むにゃ」
退屈な作戦会議に眠くなってしまったのか、俺の横の席に(ぴったりと)座っていた恋の頭が、こてんと俺の腕に寄り掛かる。
「(正義感の強い、真っ直ぐな男………)」
散の発案をきっかけにして、雛里や星が質問や補足しながら、俺と恋を置いて話はどんどん進んでいく。
「………………」
恋の頭を撫でながら、俺は散に言われた通り、自分で考えてみる。
「(星や雛里は、わかってる……のか?)」
さっきの会話に何も突っ込まなかった星たちの様子から、そんな事を勘繰りつつ、
「(漢王朝に忠実で真っ直ぐな男が……馬騰に反乱)」
俺は作戦ではなく、考え事に没頭していた。
「それでは、せいぜい派手に暴れてください」
進軍の布陣を整えた軍を待機させた今、白馬に乗った一人の少女が、その集団から離れて行こうとしていた。
「韓遂の評価、意味がわかりましたか?」
昨夜の問いの意味、それを、まさに出陣しようとする今訊くのは、きっとわざとやってるんだろう。
「俺なりに考えて、解は出したよ。そして、それが韓遂に限った話じゃないって事も」
「よろしい」
俺の解に満足がいったのか、散は白馬を動かして背を向ける。その背中に、
「………散」
俺の方も、訊きたい事があった。
「初めて会った時、散は“ああ”言ったけど、俺を連れてこれた今は……どう?」
『西涼の民の事を考えれば、今はあんなのでも太守に据えといた方がいいようなので』
韓遂に対して、暗殺を“しなかった”散は、そう言った。でも、今は?
「……………」
前の世界で、翠は父親を華琳に殺された。それでも………
『前までは故郷のことしか考えてなかった。だけどご主人様たちと過ごすようになって、大陸の平和とか、街の人たちのことを考え出したんだ』
『父上を殺されたことに対して、恨みはあるにはあるんだけど、でもそれって結局、大義の前では小さな出来事なんだなって。そう思えるようになった』
それより大切なものを見つけて、白装束に操られていた華琳を、助けようって言ったんだ。
「韓遂を殺したい。それが、戦う理由か……?」
復讐は悪い事です。なんて言えやしない。今さら現代日本の倫理観なんて持ち出すつもりもさらさらない。
けど、俺はあの時の翠の言葉は大切に持ってるし、そんな翠を誇りに思ってる。
だから、だろうか……。仲間が復讐心を理由に戦うのが、どうしようもなく嫌だった。
もっとも、あの時は魏全体との殲滅戦を避けるって理由があったけど、今回、韓遂を生かす理由はない。
昨日の散の言葉を聞いた後じゃ、投降して力を貸してくれるとも思えない。
だから、散が復讐だって言っても、俺は否定なんて出来ない。……結局、全部俺のわがままなんだから。
「……………」
散は、相変わらず何を考えてるのかわからない表情で俺をじーっと見てから、ちょいちょい、と手招きをした。
「………?」
馬の首の向き的に、俺が行く方が早い。俺は馬をゆっくり歩かせ、散の白馬と並んで………
「うぇっ!?」
散の、包帯を巻かれた左手が、ポンと俺の頭に乗せられた。若干背伸びするような不自然な姿勢で、ぐりぐりと俺の頭をかき回す。
「あの……散?」
「見えないかも知れませんが、あたしはこれでもお姉さんなので。子供が変な気遣いするもんじゃない、と思いますよ」
完全に出来の悪い弟に言い聞かせる口調でそう言った散は、撫でてた手を突然止めると、そのままパカンと俺の頭をはたいた。
「って!」
「お前だけは許さない! とか、死んだあの人の無念を! とか、そういう暑苦しいのは苦手なんですよ」
白馬をまたゆっくり歩かせて背を向ける散は、そう言いながらひらひらと手を動かした。
「……ありがとう、散」
何に対するありがとうなのかわからないけど、俺は相変わらずの散に言って………
「別に………」
散は、その平然さが頼もしいいつもの声音で、返し、
「優先事項が変わっただけです」
その白馬を、風のように走らせた。
「……………」
それほど遠くもない所で、戦いの狂騒が響いているのが耳に届く。
一刀たちが、手筈通りに攻城戦の“フリ”をしだした音だろう。
「……よく、ここから抜け出していましたね」
女将や花が、勝手に城を抜け出す時に使っていた抜け道。もっとも、当人たちはバレてないつもりだったようだが。
「(あの時は、とてもこの抜け道を目指せる状態ではなかった、ですしね)」
董卓たちには、ここを通るように言ったが、韓遂の兵が街中に犇めいていたあの時、あたしには使う事が出来なかった。
土竜よろしく城壁の亀裂に潜り込むあたし。女将はよくあんな贅肉の塊を胸につけてここを抜けられたものだと感心する。
結果的にあの時使わなかったから、バレずに今役立っているのだから良しとしよう。
幸い、あの脱走であたしは死ななかったし、女将と違って、火傷を負って泣く男もいない。
『独り身って憐れよねぇ~♪』
『顔に傷がついたくらいで気持ちが変わるようなやつに、散はもったいないもんな』
「……………」
何やらムカつく情景と生意気な情景が蘇ったので、目の前の“木の壁”に、双鉄戟を叩きつけ………
「うひゃあっ!?」
情けない声が聞こえた。まったく、男のくせにだらしない。
「鳳徳将軍!」
「本当に来てくだすったんですね!?」
「あなた方、ぼりゅーむ下げなさい。ぼりゅーむ」
「ぼ……何ですって?」
「あまり無意味に騒ぐなと言ってるんです」
以前、華佗と卑弥呼と一緒に来た時(いや、彼らの荷物に隠れて入ったのだが)。
その時、抜け道の存在を教えておいた皆さんだ。そんなに数がいるわけでもないが、城壁の内側で混乱を起こし、開門する分には十分だろう。何より、あたしもいるし。
「それでは、懐かしの西涼自警団の皆さん。いっちょ派手にいきましょうか」
『応!!』
瞬く間に終わる戦い。それは私怨ではなく、愛する故郷を取り戻すための戦い。
(あとがき)
展開的にさして盛り上がるわけがないとわかってる西涼戦(敵がオリキャラしかいないし)。戦力差の事もあり、サクサク進行。
やはり地理的な知識は無きに等しいのが痛い。不安が止まらない。