ことん、と湯飲みが机の上に置かれる。
「ふぅ………ごちそうさまでした」
彼女は無表情のまま満足そうに息をついて、
「じゃ」
席を立って、ビシッと手を縦にかざし……
「ちょっと待てぇー!」
そこで、俺はややオーバーにリアクションしてしまった。
「何か?」
「飯おごったら事情話すって約束だろうが! 何ナチュラルに立ち去ろうとしてんの!?」
ここは長安街中の地味に高い飯店。ここにいる理由は今言った通りである。
「おや、憶えていたようで」
「当たり前だろがっ!」
何だこの……風と星を足して二で割ったようなノリは。すごい疲れるんだけど。
「すぐに慣れるかな、と思いますよ?」
「……人のモノローグに返事しないで。お願い」
「杏仁豆腐で手を打ちましょう」
………俺、今月小遣い厳しいのに。鳳徳は俺がうなだれたのを肯定と見たのか、杏仁豆腐を注文する。まあそれはともかく、いい加減本題に入ろう。
「それで、訊きたい事があるんだけど?」
「あたしはあまりお金を持ってないので。食える時に食っておかないと、なので」
「これは職務質問だ。ちゃんと応えなさい」
「……やれやれ、あなたが都の警備隊長だったのは半年も前の話でしょうに」
……本当に何者なのか、と思いつつ、いよいよ核心に触れる。
「外史や正史、白装束。管理者って言葉を知ってるか?」
「? ………がいし。白装束?」
少し目を見開いて、首を傾げる。貂蝉や左慈と同類じゃない、か。
「君は鳳徳。西涼の馬騰の将だった人間で間違いないな?」
「………知っていたのですか」
俺の確認に、鳳徳の眼が少し鋭くなった。
確かに知ってはいたけど、それは密偵とか情報収集とかじゃない。元の世界の三国志の知識だ。
鳳令明。馬騰から馬超に仕えた後、曹操に降伏し、関羽と互角に渡り合った将。
「随分と無用心ですね。あたしを馬騰の将と知ってこんな風に話すとは。……韓遂に降伏した将が、密偵としてこの長安に来ている……とは考えなかったのですか?」
鳳徳の眼が、探るような色へと変わる。
確かにこの子がその気になれば、俺は剣を抜く前に首を落とされるだろう。でも………
「もし敵の密偵なら、あんな目立つ真似しないだろ。それに、人を見る目はあるつもりだよ」
そう、思ったまま口にすると、鳳徳は何かすごい嫌そうな顔をした。……何故に?
「自覚が足りないようで。あたしが仮に、心優しい正義の味方だったとして、あなたは大陸一の悪者という事になっているんですよ?」
「そういえば、そうだなぁ」
俺の返事に、呆れ果てたようにため息をついた鳳徳は、運ばれてきた杏仁豆腐をパクつく。……わざとわかりやすく感情表現して当て付けてると見た。
「それで、質問続けるけど。何で華蝶仮面の仲間になったんだ?」
「楽しそうかな、と」
表情一つ変えない真顔で応える鳳徳に、俺は額をゴツッと机にぶつけた。
「まあ、今のも本音ではありますが……。正確にはあなた方がこの長安に来る前から、あたしは都から流れた華蝶仮面の噂を聞いて、偽者をしていました」
……なるほど。そういう事なら、さっき問題を起こした男の不可思議な言動も頷ける。
「楽しそうだったから?」
「楽しそうだったから」
おうむ返しに即答する鳳徳。……何となく、わかった気がする。
「まあ、北郷領内の警備隊の秘密兵器、という噂もありましたので。こうやって偽者してればそちらからの接触も期待出来るかな、と」
この子、間違いなく天然ではない。かと言って演技してるとも思えない。多分、自分でもどこまでが本気で、どこまでが冗談なのかわかってないんじゃないだろうか。
にしても、俺から接触……ね……。
「そのわりに俺、避けられてるっぽかったけど?」
「都合良く事が動きすぎる時には、ろくな事が起こらないので」
……要するに、俺の不用意で馴れ馴れしい言動が警戒されてたのか?
「順を追って説明した方がいいようで」
確認するように俺の返事を待つ鳳徳に、俺は頷いて応えた。
……………
鳳徳の今までの経緯を要約すると、こうなる。
反・北郷連合に参加しなかった馬騰に対して叛旗を翻した韓遂。馬騰は討たれたが、鳳徳は命からがら逃げ延びた所を旅の医者に助けられ、その後、この長安に来て華蝶仮面をしていた、という事らしい。
大体予想通りの経緯だが、気になる点がいくつかある。
「何で、俺に会おうと思ったんだ? 俺は悪逆非道の暴君って思われてるはずだろ」
馬騰が連合に参加しなかった理由。今、鳳徳が俺に会ってる理由。肝心な部分がまだわかってない。
「まあ、正直に言ってしまえば、けしかけようと思いまして」
……すごいぶっちゃけたな。けど、俺はここで誤魔化されない。
「誤魔化すなよ。何で長安や涼州は、俺への認識が違うんだ?」
また動機を隠したまま話を進めようとしている事を、俺はめざとく指摘する。
「……………」
その指摘に、鳳徳は数秒考え込んで……
「……言えませんね」
そう、応えた。
「言えば、恩を仇で返す事になるので。あたしに言えるのはそれだけです」
「……………」
俺には何の事だかさっぱりわからない。けどその中に、この不思議少女の譲れない決意みたいなものを感じた。
「……それで、俺を韓遂にけしかけるってのは?」
ここはさらりと流すのが大人の男。それより気になるのは、
「韓遂への、復讐か?」
今の鳳徳の行動理由の方だ。
「実を言うと、傷が癒えた後に一度西涼に潜り込んだんですが……その気になれば暗殺くらいいけそうだったわけで」
「……でも、やらなかったわけだ」
「今あいつを殺しても、その下の連中が権力闘争を起こすだけですから、西涼の民の事を考えれば、今はあんなのでも太守に据えといた方が良いようなので」
淡々と、冷静に、鳳徳はそう言う。……“内心はともかく”、そんな風に考えられる。また、この子の新しい一面を見た気がする。
………うん。
「鳳徳の言いたい事は、大体わかったよ。けど、韓遂じゃなくて、俺たちが西涼を治めるのは構わないのか?」
「それを見極めるのも、長安に滞在していた理由の一つですよ。あなた本人が居たわけではないにせよ。まめに指示を出していたようですし。……まあ、及第点かな、という事で」
面接官みたいな言いざまでそう言った鳳徳は、杏仁豆腐を食べ終えた口を拭う。
「それに……舐められっ放しなのは許せません」
少し強くそう言って、ハッとしたようにまた無気力な空気を身に纏う。
「本当なら、西涼を手に入れる事による“めりっと”などを吹き込みながら誘導する予定だったんですけどね。詐欺師っぽく」
詐欺師て。
「まあ、俺に捕まったのが運の尽きだな。君が俺を利用しようとしてた事には変わりない」
意地悪く俺がそう言うと、鳳徳は右手を背中に回す。色々ぶっちゃけだしたあたりから、この事態も想定済みだったのだろう。色んな意味で残念そうな光を眼に宿らせる。
鳳徳が短戟を握る前に、俺はさっさと続ける。
「だから、交換条件だ」
「……交換、条件?」
俺の言葉に、鳳徳はさらに怪訝そうにその眼を細め……
「鳳徳の思惑には乗る。その代わり、一緒に戦って欲しい」
元々西涼には行くつもりだったんだけどね、とそう続けると、今度はぱちくりと目を瞬かせた。
「人を見る目はある、って言っただろ? 君に俺たちの仲間になって、力を貸して欲しい」
「…………仲間?」
珍獣でも観察するかのように俺を見る鳳徳を、俺は黙って見つめ返す。うだうだと言葉は要らない。後は真剣な気持ちを示すだけだ。
一分くらい、だろうか? 長い沈黙を経て……
「……まあ、とりあえずは客将という事で」
「オッケー!」
了承を得て、俺は間髪入れずに親指を立てる。
「改めて自己紹介。俺の名前は北郷一刀。天の御遣いだか地獄の使者だかって奴。真名は無いから、一刀って呼んでくれていいよ」
「……鳳令明。真名は散。呼びたければ、ご自由にどうぞ」
いい歳してはしゃぐ俺を呆れたように見ながら、鳳徳……いや、散は、少しだけ……微笑んだ気がした。
「ところで、訊きたい事があるんだけど?」
「まだ何か?」
散の荷物を宿に取りに行き、城に向かう途中、俺はまた質問をする。
気になってはいたけど、散自身に関しては“散がここにいるから”訊いてもしょうがないので、我慢して後回しにしていた事。
「馬騰の娘の馬超……とかは、どうなったんだ?」
危うく翠の事だけを訊こうとして、とか、と付け加える。俺が会った事もない翠個人の事を気にするのは不自然だし。
「少なくとも、お嬢と花は、無事は無事なようですよ。居場所こそわかりませんが、韓遂が反乱を起こして以降、一度もあの子たちは西涼に戻っていないようなので」
言った後、ちょっとまずい事訊いたか? と不安になったが、散は意外に冷静にそう返す。……いや、そう見せてるだけかも知れないけど。
「お嬢と、花……?」
「娘の馬超、そして姪の馬岱です」
とりあえず翠の生存がわかって、俺は思わず胸を撫で下ろす。……のを、見られた。
「……あたしはあの子たちが小さい頃から世話してますが、男性と親しくしてたという話は聞いた事が無いんですがね?」
「ち、違うって! 別にす……馬超の事とか気になってないって!」
「……す?」
僅かな仕草から色々と見抜く散に戦慄を覚えつつ、必死に誤魔化す俺。……って、待てよ?
「小さい頃から、って……散、一体何歳なんだ?」
雛里ほど幼くは見えないけど、どう見ても星や恋より年下にしか見えない。背も、星より頭一つ分くらい低いし。
「れでぃに歳を訊ねるのは感心しませんが、まあ応えてもいいかな、と」
しかし、今の口振りだと、少なくとも翠より歳上という事に………
「大人の事情で細かくは言いませんが、二十を余裕で越えてたりしますね」
「ッッえぇ!?」
この外見で……二十を、しかも余裕で!? 歳十個くらいさば読んでもバレんぞ。多分。
「やや童顔なので、歳下に見られがちになったり、ですよ」
……いや、もはや童顔とかいう問題じゃない。
「とっつぁんお嬢様と呼んでください」
「……嫌だ」
大体何だ、とっつぁんお嬢様って。そう言えば………
「散、横文字どこで覚えたの?」
「質問尽くしですね。横文字……多分、あれの事でしょうか」
言って、散はごそごそと荷物を漁り始める。
「あたしの怪我を看てくれた医者達としばらく一緒だったのですが、その医者の連れに薦められた物で。今やあたしのばいぶるです」
そして手渡されたのは、一冊の本。
『超・天界語入門 著・宝慧』
「これは………」
「あげませんよ。洛陽の行商から買った限定品ですから」
いや、そうじゃなくて………
「著・“宝慧”………?」
「……………」
「……………」
……あいつ(風)かあぁぁーー!!
(あとがき)
原作だと卑弥呼が横文字使った事は無かったと思いますが、「プロット」とか普通に使う貂蝉の師匠なので、知ってるという設定にしてます。