「献帝の即位、そして北郷一刀は大将軍か。……一命は取り留めたようだな」
「………ああ」
陳留の曹軍居城。その中庭の休憩所に、王の両腕たる姉妹は腰を下ろしていた。
「これで、最低限の誇りは保たれたか。もっとも、冒した行動の事実が消えるわけでもないが」
「結果的に大きな借りを作ってしまった。華琳様は、それを看過される御方ではない」
春蘭と、秋蘭。彼女らの頭をもたげているのは、先の戦いに於いて毒矢を受け、倒れた北郷一刀。その原因についてである。
『我が夏侯一族の失態、魏のために失ったこの左目に免じて、どうかお許しください!!』
「……華琳様なら、恩個人の失態で一族に責を求めるような事をしなかっただろう。何故、あんな事を?」
戦いで倒れ、事の顛末を聞いた姉が、第一声に放った言葉を思い出し、秋蘭は訊ねる。
「……気持ちはわかるからだ。私とて、華琳様の関心が他の……しかも他勢力の人間に向くなど我慢ならん」
「………いや、きっとわかってやれてはいないと思うがな」
姉の返した応えを、秋蘭は不明瞭に否定する。
「どういう事だ?」
「姉者は……いや、私もか。華琳様のお傍に仕える事の出来ている我々には、恩の苦渋を本当の意味で理解してやる事は出来ん。という事だ」
「むぅ………」
しばしの沈黙。姉が話の内容を飲み込むための時間、とも取れた。
「いや、やはり我らも同じだと思うぞ。秋蘭」
たっぷりと時間を掛けての、断言。
「自分の気持ちだけ押し付けて、華琳様のお心を理解出来なくては家臣失格だ。自らへの待遇で態度を変える事自体あってはならんのだ」
「………………」
普段は呆れるほどヌケているくせに、本能的に在り方を悟っている姉に、秋蘭は嬉しそうに嘆息する。
「北に袁紹、南に孫策、そして大陸の中央に北郷。華琳様の覇道は思っていた以上に険しくなりそうだな」
「何も問題はない! 私が華琳様の邪魔者を払うからな!」
得意そうに胸を張る姉を、やはり可愛いと思いながら、秋蘭は思う。
その背中を守るのは、自分の役目だと。
「うぉおおおっ!!」
「いぃやぁ〜ん☆」
戦斧が奔り、筋肉が跳ねる。明らかに高重量なはずの筋肉の塊は、見た目からは考えられない軽やかな足運びで躱し……
「フォウーー♪」
「うわぁああ!!」
繰り出された手刀を、銀髪の女が必死に躱す。
女は舞无。相対する怪物の名は貂蝉。
「……何やってんだ、あいつら」
そして、中庭のそんな戦いを、城壁の上から見てる俺と……
「いや、あれで案外ええ修行になると思うで?」
徳利片手に酒を呷る霞。
「と、言うと?」
「舞无は元々、ちょい大振りする癖があったからなぁ。逆に貂蝉はいくら化け物っちゅーても素手や。斬撃は躱すしかない。攻撃の当てにくい相手と長い間手ぇ合わせとったら、いくら馬鹿でも攻撃当てるための工夫を体が覚えるやろ?」
なるほど。つーか、真名で呼ぶようになったんだな。
「おまけにあのキモさや。嫌でも攻撃の避け方も体が覚える。猪突なあいつにはぴったりの訓練法やろ」
まあ、ちょっと貂蝉に酷い評価な気もしなくもないが、事実だし、同情はしない。
「ほぅら、行くわよ舞无ちゃん。愛のために!」
「応! 愛のために!!」
……あの掛け声、こういう経緯だったのか。
だが、俺的には、今は舞无の訓練法よりも気になる事があるわけで。
「……………」
「……………」
復活直後はそれぞれ心配したり安心したりしてくれた皆だが……今回の件で思う事が無かったと言えば嘘になるようだった。
稟にはひっぱたかれたし、雛里には泣きじゃくられた(謝り倒した)。
恋は俺の頭にポカッと拳骨を落としたし、舞无は何かごにょごにょ口籠もった後に「うるさい!」と怒鳴り付けてきた。
星や風に至っては未だに複雑な距離を感じる。いかにも「私は怒ってます」的なシカトっぷりを続けているのだ。
そして霞は……よくわからん。一見何とも思ってないように見えるのだが、態度が微妙にぎこちない気もする。
だから、非番の霞がいる場所を訊いてここに来たのだが…………ええい!
「なあ」
うだうだしてても始まらない。直に訊く事にする。
「怒って、無い……?」
ちょっと恐る恐るな感じになってしまった。
「んー……? どうなんやろ」
何だそりゃ。
てか俺、怒られるかと思ってびくびくしてたくせに、これはこれで寂しいとか勝手な事思ってるな。
「ウチは、命より大事なもんがあるっちゅーんは、わかっとるつもりやからなぁ」
そう言う霞は、本当に怒ってるわけではなさそう。ガシガシと頭を片手で軽くかきむしって、唇を3の形に尖らせている。
「それに、毒矢やったら仕方ない所もあるしなぁ」
言って、また徳利に酒を注いで、一気に飲み干す。
「危ないとかアホや言うても、それでも結局人任せにせんで前に出る。皆、そんな一刀が好きなわけやしな」
「? ………恋と舞无の事か?」
俺の返事に、霞は目を一瞬見開き、その後きっちり三秒ジト目で俺を睨んで、最後に目を伏せて肩をすくめてため息をつく。
……俺、そんなにおかしな事言ったか?
「ま、それは置いといて。一刀ももう王様なんやし、好きにやったらええと思うで? それについてくかどうかは周りが決めるこっちゃ」
「……肝に命じとくよ」
若干、何かを思案するように言った、霞の不透明な言葉は、大切に受け取っておく。
「けど、それで死んだら元も子もないんやからな?」
それはわかってる。わかってるけど………
「さっきと、言ってる事矛盾してないか?」
「将と王が違うゆう事くらい、ウチでもわかるわ」
結局、霞の話もそこに行き着くわけか。まあ、事実なんだから甘んじて受けるしかないか。
「自分の立場、皆の気持ち、全部考えた上で好きにやり。それやったら、誰も文句なんか言わへんよ」
バシバシと背中を叩く霞。これは、激励なんだろうか。
何となく、話は終わり、みたいな空気が流れる。
「んじゃ俺、華佗に傷見せに行ってくるから」
「ほーい」
包帯でぐるぐる巻きにして首から提げた左腕を少し持ち上げて見せてみたが、霞はこちらを見ずに街を見据えて片手をふりふり。
霞とも話が一区切りついた事に気分を良くした俺は、スキップ気味にその場を立ち去る。
「………ウチは、どうするかなぁ」
立ち去る背中に向けられたとも思えないほど小さな霞の呟きは、俺の耳には届かなかった。
「くぉ………っ!?」
「ほら稟ちゃん。トントンしましょーねー、トントン」
押さえた掌から、鮮血が溢れてボタボタと床に滴れる。
また、私の悪い癖だ。一刀殿と直接対している時は、強気な態度と軍師としての威厳で誤魔化しているが、こうやって一人で妄想に耽っている時の頻度は変わらない。
「………華佗殿は?」
「さあ? この間の戦で負傷者もたくさん出ましたから。街の方ではないかとー」
いつものように手を貸してくれる風に、今の目的の人物の居場所を訊ねる。
旅の医師らしい華佗殿は、まだ一刀殿を含めた怪我人が多いという理由で洛陽に留まっている。
化け物を連れていたり、突然奇声を発したりするらしいが、毒に冒された一刀殿のあの回復。大陸一の医師という噂は嘘ではない、と思う。
そして、大陸を渡り歩いている以上、この先また会える保証はない。
「おや、稟ちゃん。華佗さんに惚れたのですかー?」
「あれは中々危険な香りがするぜ? 姉ちゃん」
「風ぅぅ………」
色々とわかっているくせにつまらない事を言いだす風と宝慧。
かざした握り拳をふるふると怒りで揺らすが、風は別段怯えた様子もない。忌々しい。
大陸一の医師。つまり、あれをあーしてこーして、そうすれば………
「ぶぅーーっ!」
不覚。鼻から噴き出した鮮血が、宙で綺麗に弧を描いていた。
「………で、何だこの格好は?」
「嫌?」
怪我の具合を華佗に見てもらいたくて(そろそろ大丈夫的な事を言ってもらいたくて)探していたが、どうやら城にはいない様子。
華佗を探すという大義名分を掲げて、久しぶりの街に繰り出そうと決めた俺。
「いや、いつもより動きやすいからそこはいいのだが……」
そして、気まぐれに思いついた妙案。
「じゃ、無問題って事で」
「貴様の意図を訊いておるのだ! 貴様の意図を!」
平たく言うと、with協君。
「意図も何も、普段のままの格好だと目立ってしょうがないでしょうが」
「そういう問題でもない!」
今の協君は、普段のあのひらひらした高そうな服ではなく、どこにでもありそうな白い上着と青い脚衣を着ている。
前から連れ出したかったけど、何皇后が皇族に対する対応にやたら警戒的だったからなぁ。
「いや、そういう問題ですよ。“私庶民ですけど何か?”みたいな顔してたら案外どうとでもなりますから」
何ていうか、皇帝とかの高貴な存在は凡人が見ると光で目が潰れるとか、そういう風習も素でありそうだし。やっぱり正体は隠すべきだろう。
「そ、そういうもの……なのか?」
箱入りお坊ちゃんめ。やっぱりいくら頭良くても経験がないから、こっちが自信満々にしてたら“それが正しい”ように感じてしまうのだろう。
「それに、街に出てみたいでしょう?」
「余が……街に出て良いのか? というより、貴様は街に出て良いのか?」
う………痛い所に気付かれた。誤魔化そ。
「その“余”とか、言葉遣いも何とかしてくださいね。怪しまれますから」
「な、何……?」
実を言うと、城の中で“余”も微妙に間違いなんだよな。今は皇帝なんだから、“朕”が正しい。
まあ、まだ馴れないんだろうし、俺としてはどっちでもいいんだけど。
「んじゃ、これから街で過ごす時は俺も敬語使わないから、よろしく」
「なっ、貴様さっきから強引に話を進めていないか?」
「う〜ん、よし。これから街では“阿斗”って呼ぶから」
「聞けーーー!!」
言われた通り、強引な流れで、俺は協君を街に連れて行く。
(あとがき)
昨日は別作を更新していましたのでお休みでした。
拠点パートがあまり長くなるようなら、幕名変えて分けた方が無難かも知れない。