「ご・主・人・様ぁ~~!!」
「うわぁっ!?」
突然飛来してきた筋肉の塊に、馬が怯えて急停止する。
いや、上手く止まり切れず、馬上にいた私と一刀を放り出す。
放り出された私は、一刀を庇うように抱き抱えながら、ゴロゴロと地を転がる。
「(ッ……こんな時に!!)」
今度ばかりは冗談では済まされない。突然現れた貂蝉に槍を突き付けようとして………やめた。
制裁も後回しだ。
「あら、反応も無しなんてツレナイわねん。せっかくこうしてわたしが城外までお出迎えに来てるって言うのに☆」
洛陽まで目と鼻の先、こんな所で邪魔されるとは思わなかった。当然無視して、一刀を背負って馬の手綱を握る。
………毒が回ったら、どうしてくれる。
「? ……ちょっと星ちゃん。ご主人様ったらば、どうしたのよん。ご主人様の匂いがしたから、てっきり戦いも終わって帰ってきたのかと思って飛んできたの、に………」
貂蝉の化け物的な経緯を聞いていたら、何故か尻すぼみに言葉が途切れて、
「……星ちゃん、泣いてるのん?」
「ッ!?」
ついさっきまでの、誰も見ていないという油断。さっきの転倒で煽られた不安。
自身の気の緩みで、目からとんでもない失態が零れていた事に気付いて、破いていない方の袖でごしごしと擦る。
「泥だらけになってるわよん」
「ッ~~うるさい!」
袖を汚していた土が涙の水分を吸って泥だらけになってしまったらしい(自分では見えないが)。
と、そこまでやってしまってから、羞恥心が込み上げてくる。もう誤魔化しもきかない。
「……もし誰かに言ったら、殺すぞ」
「やぁねん。乙女の秘密を言いふらすほどわたしは野暮じゃないわよん。漢女は誰よりも女心を察するのに長けてるんだから☆」
貂蝉の主張は話半分に聞き流しながらも、とりあえず公言されないらしい事に安堵する。
そして、一刀を馬の上に乗せるために抱え上げる。意識の無い人間を、馬上に乗せるのは苦労する。
「で、ご主人様は一体どうしたのよん?」
その時、貂蝉がその巨躯で、猫の子でも扱うように軽々と一刀を馬上に乗せてくれた。人間離れした怪力である。
「………毒だ」
説明する間も惜しい。端的に話して、私も一刀の後ろに乗ると、再び馬を走らせた。
「毒!? 毒ですってぃ!? ああ愛しのご主……あ、そうだったわん」
全速で駆ける馬に並んで走りながら、貂蝉は気持ち悪く悶えて、何かを思い出したようにポンッと手をついた。
二人乗りとはいえ、二本足で馬に追い付くとは……やはり化け物だ。
「この踊り子・貂蝉に任せちゃって、星ちゃん。今洛陽にちょっとした顔馴染みが来ててねん」
「!! 医者か!?」
「ちょっと意味が違うけど、医者ならいるわよん。案内するから付いて来て!!」
言うや否や、貂蝉はさらに加速して前を走る。馬の腹を軽く叩いて、それを私は追い掛ける。思わぬ収穫だ。
「ああ、それと星ちゃん」
「?」
「涙は女の武器なのよん。他はともかく、ご主人様には隠さない方がお利口さんかも知れないわん」
「やかましい!!」
そんな恥ずかしい事、出来るわけがない。
「急患か? 一先ず落ち着いて治療出来る場所に移動してくれ」
やや癖のある赤の短髪。緑色の瞳。黒と白を基調とした、若干華美とさえ言える派手な装い。
この青年が、名医と名高い、あの華佗らしい。
だが、それ以上に目についたのは………
「ぬおっ!? このオノコが貴様の言っておったご主人様か、貂蝉! おのれ中々やるではないか! この卑弥呼、少々見くびっておったぞ」
「ぬふふふ♪ 卑弥呼こそこ~んな美形をたらし込んでるじゃないの。まったく隅に置けないんだ・か・ら☆」
……化け物が増えている。貂蝉の師匠らしいが、こちらもかなりキツい。
だが、今はそんな視覚兵器の事はどうでもいい。
「我らに任せよ! 愛しのオノコの重みならば、漢女にとっては羽毛も同じ!」
「城でいいのよねん、星ちゃん?」
一刀と華佗をとんでもない速さで運んでくれたのは、助かったが。
…………………
それからすぐ、一刀の自室で、華佗は傷口を二本の鍼を器用に使って覗き込んでいた。
今この場に、貂蝉とその師はいない。毒に対抗する体力をつけるための薬の材料を探しに行ってくれている。
「今日中に毒を中和すれば、命に別状は無い。ただ……」
「……ただ?」
とりあえず、命が助かる事にホッとしたが、華佗が少し顔を強ばらせて言葉を一度切った事に再び不安にさせられる。
「腕に受けた矢が骨まで届いて、鏃の毒がこびりついている。このままじゃ、傷口が塞がっても、内側から腐って腕が使い物にならなくなる」
「ッ!?」
腕が使い物にならなくなる、という言葉に私が絶望するより早く、華佗は叫んだ。
「心配無用!!」
今まで冷静に診断していたのに、一瞬全身から炎にも似た闘気が湧き上がり、また霧散した。
「そのために俺がいる。傷口を小刀で開いて毒血を抜き、槌で毒に冒された部分の骨を削る!」
「……………」
その、武人たる私でさえ息を飲む荒療治の内容に、言葉を失う。……いや、それ以上に、
「そんな真似をして、激痛で一刀が暴れれば、手元が狂ってしまうのではないか?」
そんな激痛、一刀が身動ぎ一つせずに堪えられるとは思いがたい。
「ああ、だから麻沸散……痛みを消す薬で眠っていてもらう。施術中に暴れられたら、命に関わるからな」
私の懸念など、その道の達人には無用な気遣いだったようだ。
その後、眠ったままの一刀に薬湯を飲ませ(飲ませ方は割愛する、断じて)、華佗の術式が開始された。
薬で眠らされた上で固定された一刀の左腕に、華佗は小刀を入れていく。
鮮血が飛び、私には判別がつかないが、毒を抜いているらしい。
どれだけ繊細な技量が必要なのか、想像に難くない。
手術には膨大な時間を要し、それから風や稟たちも洛陽に戻ってきたが、我々に出来る事は、消毒用の熱湯を用意したり、小刀の替えを渡したり、暗くなった後に傷口を照らす程度しかなかった。
そして、夜も耽る頃になって…………
「…………よし、これで完了だ!」
一刀の傷口が縫い、塞がれ、手術は終了した。
……と思われたが。
「行くぞ! 最後の仕上げだ!!」
一刀の傷口を綺麗に縫った直後、華佗は突然大声を上げる。
今までの張り詰めるような緊張とは裏腹な熱が籠もり、鍼を構えて咆える。
「血の流れを正し、腕の回復を早めるツボは……ここだ! 全力全快! 必察必治癒! 五斗米道ぉぉぉぉぉっ!!」
その鍼が、一直線に一刀に向かって振り下ろされる。
「げ・ん・き・に・なれぇぇぇぇぇぇっ!!」
その不可思議な鍼治療を目に出来たのは、たまたま交替の番だった私のみだった。
「……………」
意識が浮き上がるに連れ、頭がズキズキと痛むような不快感に襲われる。
そして目を開けようとして………
「ん~~………」
「ッッッーーー!!?」
「っんぶぁ!?」
目の前にとんでもないものを認めて、その鼻っ柱を殴りつけた。
「や、やるではないか。漢女道を極めしこの私に一撃入れるとは………」
そりゃ相手が目ぇ瞑って顔突き出してたら、誰だって一撃入れられるわ。
……じゃなくてっ!
「えっ? うぇっ!?」
何だこいつ何だこいつ何だこいつ!?
長い白髪を揉み上げの所で二つ折りに結って……眉毛は“マロ”? とにかく色々“マロ”な感じになってる。口髭も何か両側で重力に逆らってる。
燕尾服(?)、ネクタイ(?)、ローファー(?)、ハイソックス(?)、そして明らかに小さすぎる白いビキニ(?)と白い褌……“だけ”。
そんな格好の浅黒い肌のムキムキのおっさん。
ヤバい、ヤバすぎる。悪い意味で超絶的な着こなしが、下手すりゃ全裸以上のヤバさを醸しだしている。
そんな奴が今の今まで俺にキスしようとしてたわけで。……やべ、吐きそう。
逃げよう、俺。余計な思考は捨て去って、ただひたすら生存本能と脊髄反射的な危機回避に身を任せるんだ。
状況確認すら放棄してそう決意した俺は……
「(え………?)」
突然、何か目が回った時の嫌な感じを何倍にもしたような感覚に襲われ………
「お兄さん!」
「う……お゛えぇぇ………っ!!」
“本当に”吐いた。
いや、それも少し正確ではないかも知れない。
どこからか差し出された桶の中に激しい嘔吐感を向けたつもりだったが、口からは胃液と思われる変な汁がぼたぼたと零れるだけだった。
あれ……? つーか俺、いくらキモかったからって……本当に吐いた?
「まだ体が十分に回復していないのです。無理に動いちゃダメなのですよー」
「…………風?」
今さらのように、桶を差し出してくれていた風に気付く。
そして、他にも……
「俺の、部屋?」
さして広くもない俺の自室。
そこに……
「…………皆?」
左を見れば、稟と雛里が肩を寄せて一つの布団にくるまってすやすやと眠っている。
机の上では、舞无がだらしなく涎の水溜まりを作っている。
その机の許では、恋がセキトを抱えて仔犬みたいに丸まっている。
窓際では、壁に寄り掛かるように座った霞が腕を組んだまま舟を漕いでいる。
星も、俺の寝台に上半身を預けて眠りこけてる。
「交代制で起きていたのですが、ついついうたた寝して“彼女”の横暴に気付かなかったもので」
眠そうに風は言う。未だに俺は状況をよく理解出来ない、けど………
「おかえりなさいですよー、お兄さん」
「……ただいま」
一番相応しいと思えた言葉を、返す事は出来た。
(あとがき)
前回は、オリキャラの素性を隠しすぎたせいで分かりにくかったですね。反省。
本筋に登場する時に詳細を明かそうとしてたら、やりすぎた感が。