あれから、三日経つ。
食糧難に遭い、士気の落ちまくった黄巾党を掃討する過程で、俺たちはまた幽州に戻ってきていた。
食糧を求めて、略奪を目論む賊の一団がこちらに流れてきているという情報が入ってきたからだ。
......敵主軍の位置が特定出来ない現段階だからわざわざ官軍が出向いているのだが。
まあ、これ自体は大して珍しくも何ともない。ここずっと黄巾党討伐の転戦しかしてないし。
珍しい......ってかおかしいのは、
「......主よ、どうされた?」
こいつだ。お前がどうされたんだ。
「いや、星こそ最近、どうしたの?」
「何の話か? 主よ」
「.........いや」
これである。この三日、例の敬語モード継続中。
しかも、いつもの厭味な態度じゃなくて妙におとなしい。何か小さく見える。
極めつけが、俺を事ある毎に"主、主"と呼ぶ。
普通なら嬉しいと思うはずなのだが、今の星の元気の無さと敬語に、距離感を感じるしなぁ。
なのに主。
もうわけがわからん。
少し星から離れて、風に訊く。
「なぁ......星、ホントどうしたんだ。気味悪いんだけど」
「へっ、自分の胸に手を当てて考えてみればわかるんじゃねえのかい?」
宝慧に一蹴。しかし、やはり風は知ってるのか?
「ぐぅ......」
「寝るな!」
「おぉっ! ......まあ、風は色々と一流ですからね〜......」
むぅ......、しかし、今の会話の流れから考えても、やっぱり俺が原因か?
しかし、単に不機嫌って感じでもないし。前の世界も含めてこんな星は初めてだ。
俺が何したって......
『えへへ、ありがと......。おやすみなさい!』
......あれか? まさか桃香とのあれが見られて......無いな。
今までの俺との関係から考えても。前の世界の星の事を考えても。
万が一、"星"みたいに俺に好意を持ってくれていたとしても、星は嫉妬なんて感情とは縁遠い性格だ。
もし見られてたとしても、むしろからかうネタにするだろう。
......とすると、"俺が何かした以外"の事。
「............」
実は、凄くわかりやすい心当たりはある。むしろ懸念としてずっと頭の隅にこびりついてた事。
......桃香だ。
三國志的にも、趙雲が劉備に惹かれるのは必然。実際あの二人はもう真名も許し合ってるし、......同行するかを悩んでる?
それで色々悩んで沈んでるなら、一応の説明はつく。......でもそれじゃ、俺を主て呼ぶ理由にはならんよな。
答えの出ない問答を頭の中で何度も繰り返して悶々とする俺。
その視界の端に、巻き上がる砂塵が映った。
「お〜......、これはまたお久しぶりですねー、公孫賛さ......」
「伯珪って呼べ!」
久しぶりの再会に、風の言葉を遮って字を名乗る伯珪。......結構気にしてるんだな。
まあ幽州だし、伯珪がいても不思議ではないが。
「それにしても......」
伯珪の視線が、ぐるっと巡る。
「まさか桃香たちや官軍と一緒だとは思わなかったな......」
恋や霞、桃香や愛紗を認めて、そう呟く。そして真っ直ぐに恋に向き直って......
「私は幽州太守、公孫賛。この黄巾の乱の折、その討伐に従事しております」
そう告げる。まあ、官の将軍を無視して俺たちと喋ってるわけにもいかないだろう。
「......霞」
対する恋は......面倒なのか、霞に丸投げだ。元々、実質は霞が指揮官みたいなもんだしな。
「ウチは張遼、こっちは呂布、あっちのは華雄。この近隣に流れ込んだ黄巾の一団を追ってここまで来た。一刀や劉備の義勇軍とは協力関係や」
要点のみを簡潔に伝える霞。こういう時、霞って偉いんだな〜って思い出す。
普段は当たり前に普通に話してるもんな。
「......その件ですが、私の部隊はもう敵の正確な位置も、その規模も理解しています」
そのまま続く伯珪の言葉が、俺たちの運命を分ける。
伯珪の話を要約すると、俺たちが追っていた一団は食糧難と有能な指揮官を持たなかったからか、ついには集団としての機能すら果たせなくなり、散り散りになって、もはや黄巾党ではなく、単なる賊に成り下がっているらしい。
到底、官軍の主軍を向けるような状態でもなく、この幽州は自分の治める土地だから、任せて欲しいという事だった。
他の有力な情報ももらったし、当然こっちに否はない。
そう、"こっちには"。
「白蓮ちゃんには、旗揚げの時から随分お世話になっちゃったしね」
「そっか......」
ただの賊に成り下がったとはいえ、散り散りになった大量の賊徒を掃討するのに、出来るなら協力が欲しいという事だった。
俺たちでも、恋たちでもなく、桃香たちの。
「大陸全体で見れば、どっちが優先されるかはわかってるつもりだけど......、やっぱり放っておくなんて出来ないから」
実に、桃香らしい物言いだった。
向こうでは、朱里と雛里が泣きながら抱き合っている。
言外に示されていたとはいえ、雛里はやはり俺と一緒に来てくれるみたいだ。
目に映る涙の別れに、胸を痛めるのと同時に、どこか安堵があった。
「そっか......」
俺自身、桃香に示された想いの事もあり、世界すら違うとはいえ、愛紗や鈴々や朱里の事もあり、本当はとても寂しい。別れるなんて嫌だ。
それでも、笑って、また会えると信じて、一歩踏み出し、手を差し出す。
そうしようとした、瞬間だった。
「っ......!?」
急に、俺の服の袖口に、軽く引かれる力を感じたのは。
「......星?」
「(あ.........)」
あの夜、霞にのされたという一刀を、からかってやろうと軽い気持ちで出向いた。
そこで、桃香殿と一刀のくちづけを見てしまった。
嫉妬......ではない。面白そうな男、その行く先を見てみたい。だからその先を我が槍で切り開こうとは思った。でも、恋心など抱いてはいない。
......抱いては、いないのだ。
不安になったのは、別の事。天から来たという一刀は、ずっと下界での自分の居場所を求めているように、私は思う。
......そして、あの夜のくちづけ。
自分の居場所を求めて、心を寄せ合う君主......劉玄徳と共に行く。一刀が、そんな道を選ぶのではないか? ここずっと、そんな事ばかり考えていた。
桃香殿は、嫌いではない。でも、自分が見たいのは北郷一刀の行く先だ。
だが、だからこそそれは一刀自身に決める権利がある。居場所を求めて、想いに駆られて、桃香殿と共に歩んで何が悪い?
ゆえに訊く事も出来ず、ただ無為に時間だけが経った。一刀に振り回されているような、そんな自分が気に入らない。
そして伯珪殿との再会。劉備義勇軍への助力の要請と、承諾。
桃香殿の言葉を、一刀はあっさりと認めて、その手を伸ばす。
「(あ.........)」
その行動に、猛烈な嫌な予感が脳裏をよぎる。
一刀が次に発する言葉を、聞きたくない。
思った時......
『我、趙子龍!』
消えゆく一刀と、心で叫ぶ自分。見た事も聞いた事もない光景が奔り、
『惚れた男を手放すほど甘い女ではないと、主に言ったではないかっ!』
私の手は、一刀の服の袖を掴んでいた。
「......星?」
怪訝に問う一刀。当然の疑問。
「.........」
私自身、こんな文字通りの縋るような自分の無様が許せない。
しかし、掴んだ手は放せない。逆に、私の意に反してどんどんと力を強めていく。
「(この手を......)」
放せ。皆も見ている、無様な醜態を晒すな。
「(放せば......)」
放して、「何でもない」と言って誤魔化せ。
「(一刀が、私の前からいなくなる)」
「星? どうした?」
袖を掴んで、俯いて何も言わない星。ここ最近おかしかったが、今日は極めつけだ。
袖を掴むとか、雛里でも乗り移ったのかと。
くいくいと引っ張っても放さないし。何か本格的におかしいと思って顔を覗き込もうとして......
「......っふん!」
「うぇっ!?」
世界が回った。
「ぐへぇっ!!」
そして、背中の痛みと共に、桃香と反対側の地面に叩きつけられたと知る。一本背負いで。
「っ痛て、何すんだ!?」
「あ.........」
怒鳴る俺に、びっくりしたような顔を見合わせる星。何その顔!? それ俺がすべき顔だろうがっ!
腹立ち紛れに起き上がろうとした瞬間、何を思ったか、ずっと握りっ放しの左腕に、今度は腕ひしぎを極めてきた。
「痛い痛い痛い痛いっ!」
ギブアップを示すためにパンパンと地面を叩いても放してくれない。
何なんだこいつは!? 何がしてぇんだ、どこ目指してんだ!?
「クスクス......大丈夫だよ、星ちゃん♪ あなたから一刀さん、取ったりしないから」
あ、止まった。
桃香の不審な発言の意味に頭が回るより早く、さらに桃香が口を開く。
「......そう、でしょう?」
寂しげな顔で重ねられた言葉に、俺は回りきらない頭で、"決めていた"答えを返していた。
「ああ......」
前の世界で、俺は自分がお飾り君主だと自覚していた。だから、もしあの世界に桃香がいたら、俺は考えたと思う。
『俺じゃなく、桃香が君主に相応しい』って。
そして、ずっと考えて、思った。
「"皆"の想い、大切にしたいから......」
俺がそんな事を考えてるって知ったら、前の世界の皆は、絶対に怒るだろうな、って。
「もう少し、俺も頑張ってみようと思う」
「うん♪」
お互い、自信を持って頑張ろう。そう励ましあった桃香は、嬉しそうに笑ってくれる。
「ん?」
ふと目をやれば、俺の腕を極めていた星が、惚けている。俺のさっきの言葉を少々曲解してか、珍しく頬など赤らめて。
そして、ようやくさっきの桃香の言葉の意味を、反芻する。
............ほう?
「へぇ、星も可愛い所あいだだだだっ!?」
「ほぅ、大した度胸だな、一刀よ? 余程自身の腕が可愛くないと見える」
「折れる折れるっ!!」
ひとしきり俺を痛めつけた星の頭に、
「ちょっと失礼ー」
「ふえっ!?」
「よしよし」
風が、雛里から失敬した帽子を被せて、背中をポンポンと叩く。
そのまま、早足で去る星に続く。
「もう少し、空気を読めるようになった方がいいですよ」
うるさいよ、稟。
ニヤニヤと見ている霞、星の真似して袖を掴む恋をとりあえずスルーして、桃香に向き直る。
瞬間、
『っ!?』
人目も憚らず、俺に抱きつく桃香。
「......また、会えるよね?」
......少々気恥ずかしかったが、これでお別れなんだ、と思って......そのまま抱き締める。
「......同じ道を進んで行くんだ。きっとまた、会う時がくる」
そのまま、耳元に口を寄せて、桃香にしか聞こえないように呟き、
「 」
「......うん、わかった」
体を放す。
想いはあっても、寂しくても、別れても、きっとまた会えるから。
「またいつか、一刀さん」
「再会を願って、ね」
俺たちは手を握り合い、互いの道の門出を願った。
それから半年、俺たちは霞たち官軍と共に転戦を続け、相対した黄巾党主軍との大戦に大勝。
その時に取り逃がした首領・張角を曹操が討ち取ったと、風の噂で知った。
その後も俺たちは転戦を続け、各諸公が力を合わせ、黄巾の残党を掃討し、
長かった黄巾の乱は、ついにその幕を閉じた。
(あとがき)
今回で二幕終了。三幕に移行します。いつもたくさんのご感想、そして本作を見て下さる方々、ありがとうございます