霞たち官軍との同行に関しては、星も稟も雛里も賛成してくれた。
それでも、勝手に決めた事に関しては拳骨の二、三発は覚悟していたのだが、そういうのも無かった(雛里は最初大丈夫だと思ってたけど)。
「……少しは自覚も出てきた、という事か?」
「私の意見を後から訊く気があった、というなら、敢えて責めはしませんよ」
などと、若干妙なテンションで言っていた。
そういや、星の“主”発言は何だったんだろうな。気になるけど、訊いて「冗談だ」とか言われたらへこむしなぁ。
それとは別に、雛里が俺を「ご主人さま」って呼ぶようになった。
正直、物凄く意外だった。いや、他の三人にしても別に、「俺を主君として見てくれてる!?」とか思ってるわけではないが、雛里は元々、朱里を探すという目的で俺たちに付いてきて、そしてその朱里を見つけたのだ。
まして、三國志で鳳統が仕えていた劉玄徳まで一緒。
むしろ完全に、別れるんだろうなぁとか思ってたのだ。それが突然「ご主人さま」である。
正直、信じられないくらいに嬉しかっ……いや、最初は信じられない気持ちが大半だったな。
あれから後の働きで、愛紗や星は華雄に認められたようだ。まあ、武に固執する節があるから、軍師勢や俺の評価はイマイチだが。
そんなこんなで、あれから二ヶ月。
「おらおら! どないしてん!? こんなもんかい!?」
「まだま……ぐはぁっ!?」
転戦の合間にこうして稽古をつけてもらう事もしばしば。
今日は霞が相手役を買ってでてくれた。もちろん、一太刀も入らない。
夜だから暗くて見え辛いのは、お互い様のはずだが。
「……一刀、ようこれで前線出るなぁ。ある意味尊敬するわ」
成長してないわけじゃない……はずだ。鍛練の終わり頃には、星とか霞も薄らと……あ、ほら汗。
「ぶっちゃけ、俺が前に出る事自体が大事だと思うんだよ。別に自分が強いなんて思っちゃいないさ」
「そらぁな。こんだけ負け続けて自分が強いて思えたら、ただの可哀想なやつやんけ」
……自覚してるのと、他人に言われるのって、違うよね。心の痛み的なものが。
「……そうやなくて、実力も無しによう前線に出れるなぁって話や。うちらは自分の身ぃ守れる強さがあるけど、一刀は無いやろ?」
素直に首を縦に振りたくない言い方をして下さる。
「そんなの、兵士の皆だって同じだし、霞だって乱戦で流れ矢とか食らわないとも限らないだろ?」
「そりゃそーやけど……指揮官が死んだら隊は全滅や。そこはちゃんとわかっとるな?」
「……ああ」
俺の指揮一つで、たくさんの人間が死んでる。俺が殺し合いの命令を出して、それを信じて皆が応える。
そういう立場にいる俺が死ぬって事は、俺一人が死ぬって単純な事実以上の重みになる。
「ま、そのための鍛練やしな! せめて一本くらい取れるようなりやぁ〜♪」
言って、霞は後ろ手に手を振りながら去っていく。
もう寝るんだろう。俺はこのまま少し休むべくバタッと大の字になる。地面が冷たくて超気持ちいい。
「………」
比較対象が違いすぎて、ちっとも成長してる気がしない。
いや、頑張れ、ポジティブになれ俺。今のまま前線に出続けたら遠くない未来に死ぬぜ?
「精が出ますね♪」
「およ?」
寝そべる俺の顔を覗き込むように、一人の女の子に声を掛けられた。
桃香だ。長くてふわふわした髪が鼻に当たってくすぐったい。
「よいしょ」
そのまま俺の隣に腰掛ける。俺も上半身だけ起こした。
「……愛紗ちゃんは、ね?」
微妙に、してしまった悪い事を告白する子供みたいな雰囲気で切り出す桃香。
「わたしは、皆の導き手なんだって。万が一にも失ってはならない玉。そこにいるだけで、皆に勇気を与える存在だって……」
……うむ、愛紗らしい言い草だ。淡々と厳しく言い聞かせている様子がたやすく思い浮かぶ。
「……一刀さんも主君なのに、いつも前線に出るよね?」
あー……そういう事か。考えてみれば、桃香なら気にしてそうな事ではあった。っていうか、俺は主君というカテゴリーでいいのか?
「わたしも……剣の稽古とかした方がいいのかな……」
自分への問い掛けであると同時に、俺への相談でもあるように響く。
『今のまま』が正しいのか、そうでないのか、だ。
「俺だって、別に桃香と大差ないと思うよ? 星とか関羽とかに比べたら」
いや、むしろ実際の武力の問題じゃないのかも知れない。
いくら強くたって、君主が危険な最前線にいるというのは気が気ではないのではないだろうか。
「俺も、決起してからずっと前線に出てるけどさ。これでも結構慎重だよ? 状況見てある程度下がったり、少なくとも実力があるから前に出てるわけじゃない」
『前の世界』では、前線に出てるって言っても、いつも一人以上は大陸屈指の豪傑が傍に居た。
この世界で旗揚げした当初は明らかな武官不足だったが、今は劉備義勇軍や恋たち官軍と同行している。
今の状況で俺が前に出るのって、効率的な計算だけで考えると、大したメリットなんて無いかも知れない。
でも……
『その言葉こそが英雄の証。その行動にこそ人は付いてくる』
一緒に戦うのも、戦う相手も、人間だ。理屈だけじゃ、人は動かない。
……とはいえ、それも状況によるか。
「うちの場合はさ。星も、風も、稟も、俺の未熟さをわかってるから。俺が頑張るとやる気になってくれる人が多いんだ」
感情や信念が深く関わる“からこそ”、桃香の場合は少し違う。
「でも……桃香は少し、違うと思う。関羽も、鈴々も、孔明も、皆、桃香のことが心配なんだ」
ぶっちゃけ、星たちは俺が、俺の正しいと思った道から、危険は承知でも納得してくれると思う。
そういう関係だ。
「桃香が前線で戦うことになったら、きっと心配で心配で戦いに集中出来なくなるよ」
人としての、魅力。
「皆笑って暮らしていける世の中にしたい。本当なら、戦いなんてしたくない」
俺みたいに、『天の御遣い』なんて肩書きが必要ないくらい、桃香はそれを持っている。
「皆、そんな桃香が大好きなんだよ。前に出て、危ない目になんてあって欲しくないんだ」
俺も含めて、という言葉を呑み込む。
でも、人のそんな気持ちに甘えたくない。桃香はそういう風に考える子だ。
だから……まだ続ける。
「キツい言い方をすれば、桃香が前に出て戦っても、誰も喜ばない。余計な迷惑をかけるだけだ」
真剣な表情で健気に俺なんかの話を聞いている桃香を見て、綻んでしまいそうになる顔を無理矢理、強く厳しく引き締める。
「皆が戦っている時、自分は後ろで見守るだけ。心配だけど、自分はその後ろ姿を見送るだけ。それが辛い気持ちはわかるよ」
愛紗のため、鈴々のため、朱里のため、何より桃香のために。
「でも、本当に皆のことを考えるなら、皆を束ねる桃香はそれに耐えなきゃいけない」
……いや、飾るのはやめよう。俺がそうしたい、伝えたいんだ。
「皆と一緒に戦いたいって言うなら、それが桃香の戦いになるんだと思うよ」
言いたい事を言い終えて、沈黙が場に降りる。
熱く語りすぎたか。
……何か俺、この世界に来てから居場所に悩んでた反動かどうか知らんけど、本音を遠慮なくぶつけるような癖がついてるような。
好き勝手騒いだ後ろめたさを感じながらも、それを表情には出さない。
厳しい表情を保っていないと、嫌われる覚悟で本音をぶつけた意味がない。
俺のキツい言葉に傷ついただろうか。誤魔化すように空笑いを向けられるだろうか。
しかし、そんな事を考える俺に向けられたのは、全く対極のもの。
「……ありがとう」
「え……」
包み込むような慈愛の笑顔と、感謝の言葉。
「わたしの戦い、か。そうだね。迷惑かけちゃいけないもんね」
弾むような楽しさを滲ませるその様に、ピンとくるものがあった。
「……でも、一刀さんっていつも自分の事棚に上げた事言うよね」
俺がわざとキツい言い方をした事も、その意味も、完全にバレバレなのだという事。
「……程度はどうあれ、人の上に立とうとする人間だからね。少なからずわがままなのは間違いない」
その上で、俺の言葉を素直に受け止めてくれた。それが、とても嬉しい。
「……忘れないでくださいね。一刀さんがさっきわたしに言ったみたいに、貴方の事を大好きな人だって、たくさんいるんだから……」
その言葉に、前の世界の自分の立場を想起させられて、一瞬自失した。
その、一瞬の出来事だった。
「……ちゅっ」
「!!?」
ふわりと、鼻腔を女性特有の柔らかい香りが撫でて……
唇に、柔らかい唇の感触が重なる。
完全無欠に予想外の事態に、俺がフリーズする数秒、桃香はその唇を離す事はなくて……
「……っ……!」
俺が我に帰るのを待っていたように、飛び退いた。
「……桃、香……?」
「えへへ、ありがと……。おやすみなさい!」
俺が何を言う間もなくそう言って、くるりと踵を返す横顔は真っ赤。
「ちょ……」
「きゃー♪」
そのまま逃げるように……じゃなくてはっきり逃げ出した。
「………………」
俺はその後ろ姿を見送りながら、自分の唇をそっと撫でる。
「……キス、だ」
全く今さらそれを反芻して、恥ずかしくなってくる。
「桃香……」
受けた言葉と、示された行為の意味を胸に感じながら、フワフワと逆上せたような頭で、俺は空を仰ぐ。
その時、微かに揺れた天幕には、気付かずに。
(あとがき)
昨日は別作を書いていたけど今日は更新。
予定より全然伸びてしまいましたが、次話、二幕終章です。