「ご主人、様.........?」
「!?」
自分の耳を、疑った。
姿が同じ、性格が同じ、それは皆同様だった。
「(恋.........?)」
さっきの華琳の時とは、全然状況が違う。
一言も言葉を交わしていないうちから、初対面の相手にこんな呼び方をするなんてあり得ない。
っていうか、普通こんな単語は出てこない。
「(本当に......)」
あるとすれば、一つだけ。"普通じゃない"という事。
「("恋"なのか?)」
無茶苦茶な昂揚感、心臓の鼓動がうるさい、瞳もきっと潤んでいるだろう。
諦めていた。もはや世界そのものが違うのだと。
それでも、俺にとっては確かな現実だったから。
時々、全部俺が見たただの夢だったんじゃないかと思ってしまいそうになる気持ちを打ち消すように、皆の理想を、大志を、胸に抱いた。
でも、その『前の世界』を証明するように、この恋は.........
「......お前、誰だ」
「え............」
そんな、湧くような狂熱に駆られていた俺の頭が、冷水でも掛けられたように冷めた。
目の前の恋を、もう一度よく見る。......『前の世界の恋』なら、こんなに無感情に俺を見ない。
少し探るように細められた瞳が、胸に痛い。
「(......何やってんだ、俺は)」
混同しないって決めてたはずなのに、少し揺さ振られただけで飛び付くみたいに。
もう少しで、真名を呼びながら抱きつく所だった。
......どんだけ往生際が悪いんだよ俺は。恋だけ前の世界と同一人物とかあるわけないだろうが。
そんな後悔と羞恥を流れるように感じていた俺の首筋に......
「ッ!?」
後ろから、紅い槍の穂先が当てられた。
「やれやれ......、最近は随分と漁色が進んでいると思っていれば、今度は一体いつの間に手を出されたのかな?」
星さんの敬語キタァー! いかん、怖い。っていうか俺が何をしたと? 抱きつくとか未遂だぞ?
「おおお落ち着こうか星さん、いや星さま。『お前誰だ?』って言ってるじゃん。初対面だってば」
「ほう......つまり名乗りもせずに、と。去りぎわの言葉は『名乗るほどの者じゃないさ』、といった所ですかな?」
何その流離いの女たらし。......っじゃなくて! このままだと理不尽な展開になりかねん。
助けを求めて視線を巡ら......痛っ! ちょっと刺さった。
風!
「兄ちゃんも罪だねぇ。名前も告げずに体だけ弄ぶなんざ、男のする事じゃねえぜ?」
お前絶対わかってるよね!? そして自分の口で言いなさい。
「戸惑う彼女を押し倒してその唇を塞ぎ、繰り返しその肢体を愛撫して無理矢理彼女の『女』を引き出し、満たされぬ彼女に貴殿は言う......『ご主人様と呼べ』、と......」
風のせいで稟の妄想に火が点いてるし!
「..................」
愛紗、我慢してるみたいだけど、柄握る手がミシミシいってます。
「あ、あわ、あわわ......」
「は、はわわ、はわ......」
朱里と雛里がまた隠れ合ってるし、そんな露骨に避けなくてもいいじゃないですか。
「にゃ?」
鈴々は全然頼りにならん。
「ご主人様、かぁ......えへへ♪」
桃香!? 最後の良心のはずの桃香がっ!
「......自分、『ご主人様』はまずいやろぉ。流石に」
お前は何頬赤らめてんだー!?
もはや神も仏もないと観念しかけた俺を......
「まあ冗談はええとして。恋、何で北郷にそんな呼び方してん?」
頼りにならんと思った霞が、爆弾発言の張本人に矛先を向けてくれた。
「ほん、ごう......?」
......そういやそうだ。俺が一人で先走った事は置いといても、恋が俺をあんな呼び方したのは事実。
しかもやっぱり、俺の名前を知らない。
このおかしな状況に考えが思い至ったのだろう。俺の首に当たっていた槍が下ろされ、一同恋に注目(稟除く)。
「せや、北郷一刀。ほんで、何でご主人様て呼んだん?」
さすがに恋の扱いに手慣れてる霞が、上手い具合に核心を訊く、が......
「? ......そう、呼んでた」
「はあ? 誰がよ?」
「恋......」
「? ......会った事あるんか?」
「......(フルフル)」
『???』
皆綺麗に揃って首を傾げる。そりゃそうだ、恋語ならそれなりにわかるつもりの俺でさえ、さっぱり意味がわからん。
「はあ......まあええか。紹介すんで。こいつが呂奉先、この討伐隊の大将や」
「ほぅ、やはりおぬしがそうか」
恋が支離滅裂な事を言うのに慣れてるんだろう。さっさと話を続ける霞。
......まあ、ちょっと気になるけど、いいか。
霞が通訳みたいに星や桃香と恋の話を続けていくのを、俺も傍で聞く事にする。
何か前の世界との違いがあるかも知れないので、それなりに真剣に。
恋は元々口下手だし、霞の口から話される恋の話は、結構楽しかった。
だから、だろうか。
「...............」
その話の間、霞の話など聞かずに、ジッと俺を見つめ続けていた恋の視線に、気付かなかった。
「..................」
このところ戦い続きだった事もあり、今晩は戦勝の宴が開かれている。
義勇軍も官軍も関係なしのドンチャン騒ぎである。
「何をしみったれた顔をしておられる? おぬしの一言からこの戦果に繋がったのだ。もっと嬉しそうにしたら如何かな?"天の御遣い殿"」
各々が楽しんでいる中、一人で飲んでいた俺に星が話しかけてくる。
う〜......、まだ皮肉めいた敬語モード継続中である。
「別にしみったれてないって。静かに飲むのもたまにはいいだろ?」
嘘である。実を言うと、さっきの恋の件で、自分の覚悟の薄っぺらさを痛感したような気分になって、少々へこんでいる。
「ふむ、それも趣があって良いが、お祭り騒ぎの時には少々無粋ですな」
「......だから誤解だって、呂布も知らないって言ってただろ?」
その敬語をやめてくれ。『前の世界の星』を忘れたいわけではもちろんないが、この星が使うと肌にチクチク刺さるのだ。
「そう気になさいますな。英雄色を好む、とも言いますからな」
何か、今日の星はしつこいな。まあ確かに、今の俺の状況で『ご主人様』は引かれても仕方ない気がするけど。でも他の皆はそこまで引きずらなかったぞ?
......ホント、恋は何であんな呼び方を。
「おーおー、やっとるかあ? お二人さん♪」
どうにか失った信用を取り戻す手段を考える俺に、今度は霞が話しかけてくる。
「おや、また人が来てしまったようですな。静かに酒を楽しみたい御方の傍を、これ以上騒がすのも忍びない。私はそろそろ退散させてもらいますかな」
「ちょっ!? 星、待てってば!」
厭味の言い逃げかよ!? まあ、星は元々あまり粘着質な質でもないから明日になれば元通りだろうけど、やっぱり何か気分悪いぞ。
「では、張遼将軍。我が主は女人に見境がありませんゆえ、お気をつけを」
俺の制止をさらりと無視して、霞に心外な警告。そのまま振り返りもせずに歩き去る。
「......北郷って、ホンマに?」
「誤解だってば!」
警戒心と好奇心の入り交じった眼で俺を見るな!
「............あれ?」
霞に要らん事を吹き込んで去る星の背中を恨みがましく見て、先ほどの言葉を遅れて反芻する。
「今............」
星、"主"って言っ、た......?
「ほれ、グイっといっとこ、グイっと!」
「おう!」
何か、気まぐれかも知れんし、ふざけてるだけかも知れんが、星の一言がやたら嬉しかった俺。
とりあえず、ネガティブになっても仕方ないから開き直る、という考えに持っていく。
「張遼さぁ、一つ頼みがあるんだけど」
そして、いい機会だから今頼んでおく事にする。
「霞でええよ。その代わり、ウチは一刀って呼ぶけど......ええ?」
「え?」
これは、素直に嬉しい誤算だ。
「しあ?」
「ウチの真名や。アンタには真名無いんやろ? なら一刀って呼ばしてーな♪」
知ってるけど、確かこの霞の真名は初耳のはずだから、すっとぼける。
「もちろん、構わないよ。んじゃ霞、改めて......」
若干、脇道に逸れた話題を戻して、頭を下げる。
「......食糧、分けてもらえないか?」
真名を許してもらってすぐに言うような頼みじゃなかったかも知れないが、このまま、命懸けで戦ってくれる皆を飢えさせるわけにもいかない。
情けない話、これで霞に断られたらどうしていいかわからない。
「あ〜......、それは構わんのやけど、えっとなぁ......」
歯切れが悪い、どうしよう。食糧の余裕もアテも無いぞ。
しかし......
「......その前に、一個提案があんねんけど」
「?」
続いた霞の言葉は、意外なものだった。しかも、珍しく真摯な瞳で。
「......ウチらと一緒に、来んか?」
「え......」
心配は杞憂どころか、完全に的外れなものだったらしい。
「劉備たちにも声掛けるつもりやけど、な。この戦乱、一刀たちみたいな少数義勇軍に出来る事......実際少ないやろ?」
どこか言いにくそうにそう言う霞は、俺たちの無力を指摘する事に抵抗を覚えているらしい。
そんな気遣い、必要ないのに。一応現実はわかってるつもりだ。
「けど、ウチは自分らの力を買っとる。ウチらと一緒なら、その力を活かせると思っとる」
何進が洛陽に引っ込んで、無能な総大将がいなくなってくれた。黄巾党の食糧も焼いた。
ここからが本番。そして、それに俺たちの力を必要だって言ってくれている。
「華雄も恋も、うちは猪突なんが多いんよ。軍師も洛陽に居るしな」
「華雄?」
「ああ、さっきは仮眠取っとったから紹介しとらんやったけど、うちの将や。今探したらどっか居るんやないかな?」
直接話した事はないけど、前の世界で愛紗に斬られた武将だ。
......今度は、味方か。
「まあ、華雄の事はええとして......、返答は?」
当然、俺の応えは決まってる。
「もちろん受けるよ。こっちから頼みたいくらいだ」
今の俺たちの力じゃ、大陸の平定どころか黄巾の乱さえ戦い抜けない。
「一緒に、この黄巾の乱を鎮めよう」
「よっしゃ! 血盟やな」
パンッと、手と手を叩き合う。
「まあ、まだ星たちに相談してないんだけどな」
「あははっ、実はウチもこれ、独断やねん」
霞たち官軍と同盟を結び、この黄巾の乱に臨む。
明確で現実的な新たな展望を得て、俺は霞と笑い合う。
そうして笑い、話す中で、とりあえず.........
「なあ霞、洛陽に変な白装束なやつらとかいない?」
以前から気になっていた事を、訊いてみた。
(あとがき)
今回は微妙に難産でした。
二幕、思ったより伸びそうになってきました。