「運動能力、反射速度、空間認識力等々、同年代の平均は上回わるものの、突出するものではなし。遠隔からの他人との共感能力は……なし、か」
ヤザンナが受けたテストの結果を、キシリアが読み上げる。その顔には、あきらかに失望の色が見える。期待を裏切ってしまったようで、ごめんなさい。
ここは、ズムシティ。軍の敷地内にある研究所のような施設。
私が受けたのは、基本的な身体測定に体力テスト。反射神経や動体視力などの検査。壁の向こうにいる誰かとのカード合わせゲームなどなど。白衣を着た研究者っぽい人たちは、まだまだいろいろなテストをやりたかったらしいけど、ラル大尉が「ヤザンナ様はまだ幼い。しかもお忙しい身ゆえ、一時間ですませていただきたい」とホルスターの拳銃に手をかけながら強硬に説得したおかげで、これだけで済んだらしい。
「無理に連れてきて済まなかった。どうだ?」
応接室らしき場所で、キシリアはワインを届けさせ、ラルに勧める。
「任務中であります」
ラルがそう答えるのは予想していたのだろう。キシリアは一人でグラスを掲げると、勝手に飲み始める。ヤザンナの前にはジュースがおかれる。
「かつてジオン・ダイクンが語った『ニュータイプ』というものを知っていますか?」
誰に向かって問うでもなく、キシリアがつぶやく。ラルが答える。
「過酷な宇宙空間でくらすスペースノイドは、宇宙に適応し次世代の人類に進化するはずだ。それこそが、離れていても他者と共感し理解し合える新しい人類、ニュータイプである……という説ですな」
「そうです。初めてダイクンの唱えるニュータイプ論を聴いたとき、私は素直に感動しました。人類全てがスペースノイド、すなわちニュータイプになれば、世界から戦争は無くなると。私もニュータイプになり、ジオン・ダイクンの力になりたかった」
マスクを外したキシリアは、過去を語りはじめた。その目は、コロニーの外壁を透かして向こうの宇宙を見ている。ラルには、そんなキシリアが、いつもの野心家・陰謀家の顔ではなく、理想に燃える純粋な革命家の顔、あるいは革命家に恋い焦がれる女子学生の顔に見えた。
「しかし、サイド3で実際に革命が始まり、アースノイド排斥運動に熱狂する市民をみて、私は疑問に思いました。我々スペースノイドは、他人とわかりあえるニュータイプのはずではなかったのか。そして私はダイクンの思想に疑いを持ち始めたのです、ニュータイプというのは、ただの選民思想にすぎないのではないか、とね」
はるか遠く、宇宙の深淵をみていたキシリアの視線が、少しづつ現実に近づいてくる。
「もちろんダイクンの語ったニュータイプは概念上のものでしかありません。それでも、ダイクンが正しいことをなんとか証明したかった私は、ニュータイプについて科学的な研究をはじめさせました。そしてついに、ニュータイプを具現化したとしか思えない能力をもった人間が、実際に存在するのを確認したのです」
キシリアは、ちらりと壁の向こうを見る。おそらく、この建物の中に、そのニュータイプがいるのだろう。
「しかし、現実のニュータイプは、ダイクンのいうそれとは違いました。スペースノイドだけではなく、アースノイドの中にもほぼ同じ割合で存在したのです。科学者によると、ニュータイプ能力を発現する遺伝子は、何万年も前から、人類全体の遺伝子に一定の割合で存在したのだそうです。そして『他者と共感し理解し合える』などという能力は、人類が普通に生活する限り有利でも不利でもないため、その割合は常に一定で変化しません。ニュータイプは、次世代の人類でもなければ、スペースノイドがなるものでもない。ニュータイプかどうかは単純に遺伝と確率の問題であり、そうでない者は、どんなに努力してもニュータイプにはなれないのです」
キシリアは、ラルの顔を正面から見据える。
「ちょっと考えればわかったはずなのです。ダイクンの思想は、スペースノイドはアースノイドよりも優れた次世代の人類であるはずだ、だからスペースノイドはニュータイプなのだ、というところからスタートしています。これは、政治的プロパガンダとしては単純で理解しやすいものですが、科学的にはまったく根拠が無く、道徳的には完全にまちがっています。いわゆる社会進化論と紙一重の危険な思想であり、旧世紀のナチズムと大差ない。ダイクンは、思想的にはヒトラーの尻尾でしかなかったのだ! ……これに気付いたとき、私は笑ったよ」
ラルは何もこたえない。キシリアは同意を求めているのではなく、自分の心情を整理するために語っているのだ。
「父上も兄上も、早くからこのことに気付いていた。その上で、ダイクンの思想を国民を統一するための方便として使っていたのだ。純粋にダイクンを信奉し、彼と同じニュータイプになりたいと願っていた私は、……ただの道化だ」
ふっ。キシリアは自嘲するかのようなため息をつく。そして、視線だけでラルに問う。ダイクン家の最も近くにいた、あなたはどうなのです?
「私には、思想的なことはわかりません。しかし、ダイクン家の方々は、我々とはちがう、本当のニュータイプと呼べる資質をお持ちだったように思われます」
ラルは正直に答える。
「……そうだな。ダイクン自身は本当にニュータイプだったのだろう。だから、特に疑問も感じず、他のスペースノイドもみなニュータイプになれると考えたのだ。無邪気なものだ」
キシリアの視線がヤザンナに向く。
「私は、たとえダイクンの思想が間違いであっても、彼と同じニュータイプになりたかった。もしザビ家の血を引くおまえがニュータイプだったなら、私もそうである可能性があると思ったのだが……」
「へっ? ご、ごめんなさい、叔母様。私ねむくて……」
延々と続いたキシリアの長い長いひたすら長い話に耐えきれず、盛大に船を漕いでいた10才の少女は、目をこすりながら答える。
「そうだな。子どもはもう寝る時間だ。おそくまで付き合わせて悪かった」
帰りの車の中、ヤザンナはラルに尋ねる。
「ニュータイプであるかどうかが、そんなに重要なのかしら?」
ラルは記憶をたぐっていた。なるほど、ジオン・ダイクンが生きている頃、キシリアはダイクンばかり見ていたような気がする。そんなダイクンの思想が、実は科学的には虚構にすぎないと知ったときの失望と怒りは、どれほどのものだったのか。そして、それでもまだダイクンと同じニュータイプになりたいと考えてしまう感情は、どこからくるのか。
ラルがヤザンナの問いになんと答えるべきか考えあぐねているうちに、隣に座る少女は静かに寝息を立て始めた。
ラルはさらに考える。あくまで建前であるが、今のジオン公国が、ジオン・ダイクンの思想をもとにしてなりたっているのは、国名をみるまでもなく明らかだ。もし、本当にニュータイプなどというものが実在し、しかもザビ家の人間がそのニュータイプではないことが明らかになったとしたら、果たして国民はザビ家を支持するだろうか?