教導大隊におけるモビルスーツの模擬戦闘は、地球上の戦闘機パイロット達がおこなってきたそれの伝統を踏襲している。
正面からザクが迫る。まだだ。まだ戦闘は始まらない。2機のザクが高速ですれちがい、お互いに機体の進行方向を変更する瞬間から、戦いは始まるのだ。
もしザクがビーム兵器を装備していたなら、すれ違った瞬間、機体の進行方向はそのままふり向きざまにお互いビームを撃ちあい、運がよければ一瞬で勝負は決まるのだが。あいにくと、ザクにはそんな便利な飛び道具は装備されていない。もっているのはマシンガンのみ。この相対速度のままでは、たとえ撃っても相手の機体に弾が追いつかない。
そして、もしこれが実戦で、単純に生き残りたいのならば、すれ違ったまま一直線に逃げればよい。もともと接近戦専用兵器であるモビルスーツには、一度取り逃がした敵機動兵器を追いかける能力はない。
しかし、このザクはあきらなか敵意をもって、私に接近し相対速度を合わせるコースを取ってくる。この敵は、コンピュータが作り出した仮想のものではないのだ。
いいわぁ。そうこなくっちゃ。
模擬戦が始まる前にドズル叔父に耳打ちされたことを思い出す。
「ヤザンナ。おまえが天才なのはわかった。さすがはザビ家の一員だ。来るべき連邦との戦いに備えて、みんなにモビルスーツの戦い方を見せてやってくれ。だが、相手は大人だ。プライドもある。……その、なんだ、おまえならわかるな?」
わかってるわよ。やり過ぎるなってことね。
来なさい、遊んであげるから。
ドズル・ザビ少将から緊急の呼び出しをうけたとき、シャア・アズナブルはザクに乗り、コロニーの外で模擬戦を行っていた。
「久しいな、シャア。挨拶はあとだ。ノーマルスーツのままで悪いが、さっそくシミュレーターに乗ってくれ」
わけもわからぬまま、シミュレーターのシートに座る。1対1の模擬戦をやれという。
「相手はコンピュータではない。人間だ。被弾数はカウントされるが、機体にダメージは無い」
時間無制限のデスマッチということか。いったいなんのために。
「俺にモビルスーツという兵器の可能性をみせてくれ。おまえならできる。遠慮せずに全力でいけ。いいな」
ドズル閣下だけでなく基地司令官の姿もあった。事情はわからないが、本気でいかねばならないようだ。いいだろう。
ヤザンナのいる仮想の戦闘空域は、月軌道上のラグランジェポイント。重力ポテンシャルや地球に対する速度などを常に意識する必要のある低軌道とはことなり、ここで問題となるのは単純に敵との相対速度だけ。
敵のザクは、ヤザンナに狙撃されることを避けるため、こちらに向いた投影面積を最小にする姿勢、すなわち頭からこちらにむかって接近してくる。教科書通りかしら。基本的には間違ってないかもね、……敵に発見されていない状況ならば。
でも、こちらが接近に気づいている状況だと、それはかえってまずいかも。メインスラスターが向こうを向いているのが、一目瞭然でわかってしまう。
しかも携帯している武器はマシンガン。まっすぐにこちらに近づいている機体が、サブのスラスターだけで縦横に加速できる範囲なんてしれているのだから、だいたいの未来位置の範囲を予想して、適当に弾をばらまいてやれば、運が悪ければあたっちゃう。自殺行為よ。
ああ、せっかく接近戦にもちこんだのに、お互いに有視界で撃ちあっている状況で腕を使ったAMBACもだめ。マシンガンがどちらを向いているのか、相手に丸わかりなのよ。銃口は常にこちらに向けていないと、敵は楽々と逃げちゃわ。
敵は戦い慣れしているようだ。いや、あそばれているのか?
シャアはくちびるを噛む。教導大隊で研究してきた戦術がことごとく通用しない。模擬戦がはじまって数分間しかたっていないにもかかわらず、いったい何回被弾したのだ? 致命傷こそくらっていないが、こちらの動きはすべて読まれている。
「ええい、なぜだ!」
確かにシャアはヤザンナよりも操縦技術に劣るかもしれない。しかし、それは決して致命的なほどの差ではない。足りないのは知識と経験である。
血みどろの大戦、その後の数々の抗争において、何万人ものパイロット達が自らの命と引き替えにモビルスーツによる戦術のひとつひとつを築きあげてきたのだ。その積み重ねをどん欲に学んだだけでなく、さら実戦の中で消化して完全に自らの血や肉とした者に、いまだ一度の実戦も経験したことのないこの時代の人間が太刀打ちできないのは、決して本人の責任ではない。
だが、もちろんシャアがそのようなことを知るよしもない。彼は、軍にはいって以来、常にまわりの者を見下してきた。訓練にしろ任務にしろ、彼にとっては真の目的を果たすための余技でしかなかった。しかし、いまこの瞬間、シャアは心の底から勝ちたいと思った。圧倒的に不利な状況を覆すべく、全身の感覚を極限まで研ぎ澄ます。
「冗談ではない! ドズル閣下もみているのだぞ」
本気を出しちゃいけないというのも、あまり性に合わないわね。そろそろ終わりにしましょうか。
ヤザンナは、シャアからみて上の方向に最大加速が可能な姿勢を取る。メインスラスターの加速をランダムに大きく加減しながら縦方向に走る物体を、マシンガンで捕らえるのは不可能。狙撃をあきらめた敵のザクが苦し紛れに加速するのは予想どおり。そして、私の機体が敵からみて太陽に入ったときが勝負よ。
上方向に加速していった敵のザクが太陽に入る。くそ、常に自分と太陽の位置がわかっているのか。モニタにフィルタがかかり、正面がみえなくなる。
くるか?
襲撃に備えて太陽の方向に機体の向きをかえた瞬間、衝突警報が鳴り響く。不意に、敵のザクに背後をとられたのだ。太陽をあえて通り過ぎ、後ろに回ってから一気に近づかれたのか。ザクの背中に触れるほどの至近距離から、マシンガンの銃口に狙われている。
「あなた素質あるわよ。またあそんでね」
ヤザンナは、まったく躊躇することな無く、ゼロ距離から引き金をひいた。
やられる。
緊張が極限まで高まった瞬間、シャアには見えた。サブモニタにうつるザクではない。ヤザンナの意志がみえた。コックピットの背中の装甲を通して、彼女が自分のどこを狙っているのか、そして引き金を引く瞬間が正確にわかった。
反射的にスラスターを全開。さらにザクの機体をひねり、ぎりぎりで銃撃をかわす。
「よけたぁ!」
必殺の一撃を避けられたヤザンナは叫ぶ。歓喜の叫びだ。一気にテンションがあがる。
奴らと同じタイプなの? なら遠慮はいらないわね。いっくわよぉ!
そのまま速度をおとさず突進、ショルダーアーマーで背中からタックルをかます。敵のザクが大きく体勢をくずす。
どうしたのよ、本気だして! 私を満足させなさい!
シャアは、無駄だと知りつつも、時間稼ぎのため照準も無しでマシンガン一連射。なんとか体勢を立て直したその時、メインカメラに向かって巨大な足が迫るのが見えた。マシンガンを避けられた敵のザクが、至近距離をそのままに蹴りをいれたのだ。
スカッ。
衝突警報がなるばかりで、またもや仮想の足はヒットしない。
さらに悲劇がヤザンナを襲う。
ボキッ! 「きゃー」
「どうしたヤザンナ!」
モニタに向かってドズルが叫ぶ。同時にエンジニア達がハッチに駆け寄る。
「操縦桿が折れちゃったぁ……」
30分ででっち上げられた少女専用操縦桿は、想定以上の激しい機動に耐えきれず、根本からぽっきりおれてしまったのだ。
異例中の異例ともいえる模擬戦は、結果としては痛み分けとして終わった。もちろん当事者の意識はそれとは異なるのだが。
「楽しかったわ。ありがとう」
「まさか、ヤザンナ様……でしたか」
相手をしてくれた青年パイロットは、へんな仮面をつけていた。目を守るためだという。その仮面の上からでも、戦った相手が私だと知ってから30秒は目を見開いて唖然としていたのがわかった。まぁ、そうよね。気持ちはわかるわ。
「お名前を教えていただけますか?」
「はっ。失礼いたしました。シャア・アズナブル少尉であります」
今度は私が唖然とする番だ。
シャア? まさか、あのシャア?
私はこいつに言いたいことがあったのだ。幸いふたりの3メートル以内に他の人間はいない。
「……あなた、何のためにパイロットをやってるの? 負けて悔しくは無いの?」
「はっ? いっ、いえ。ヤザンナ様と模擬戦を行うことができて、光栄であります」
「あなた、パイロットは向いていないわ」
「……どのような意味でしょうか?」
「パイロットはね、負けたら死ぬほど悔しがって、次は絶対に勝つと誓う人間しかなれないよ。モビルスーツを降りても、ノーマルスーツを脱いでも、一日中戦闘の中で敵に勝つ方法を考える人間じゃないとやってられないのよ」
「私はそのような人間ではないと?」
「他の目的のためにパイロットをやっている人間は、パイロットにはなれないわ。あなたは、パイロットよりも、革命家や政治家にむいているのではない? その方が、……その方がジオン国民にとってもよいと思うわ」
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2009.10.03 初出
2010.11.09 日本語のおかしなところを、ちょっとだけ修正