ジオン公国の某コロニー 教導機動大隊の拠点基地
「基本的な操作については説明したとおりです。特に危険は無いはずですが、何かあったら、……そうですね、大きな声で悲鳴をあげてください。すべてモニタしてますから心配はいりません。それではよい旅を」
若いエンジニアが下手くそな敬礼をしたのち、ゆっくりとハッチを閉じる。
「ありがとう」
既にシートに固定されているヤザンナは、思いっきりの笑顔で答える。ハッチが閉じる瞬間、彼の顔が赤くなったような気がするけど、これはほんのお礼。無理をきいてくれてありがとう。司令官はちょっとアレだけど、基地全体の雰囲気は悪くないわね。
さて。まずは深呼吸。そしてゆっくりとまわりを見渡す。
暗黒と静寂。光を発しているのは、正面のメインモニターといくつかのサブモニター、そしてメンコのような多数の計器だけ。
前世で最後に搭乗していた機体のそれとは比べようもない。全周天モニターもリニアシートもない。操縦をアシストするコンピュータは非力。パイロットを守る脱出ポットすらついていない。それ以前の問題として、これは実機でなく単なるシミュレーターに過ぎない。さらに、彼女の身長に無理矢理合わせるため、急ごしらえの操縦桿と下駄を履かせたフットペタルというおまけつき。
しかし、それでもそこは、確かにヤザンナの前世の人格がもっとも愛した場所、モビルスーツのコックピットだった。
「……十年ぶりだ」
メインスラスターに点火。仮想の宇宙空間の中を、仮想の機体が静かに滑り出す。
メーカーから教導大隊に出向していたエンジニア達にとって、基地司令がうやうやしくつれてきたザビ家の二人組は、まさに悪夢だった。身長2メートルを超えようという巨漢と、その半分しか身長のない少女を、シミュレータに乗せろと言うのだ。
実戦配備が始まっているといっても、史上例をみない種類の新兵器である「ザク」は、まだまだ試作兵器に毛が生えたようのものだ。その欠点や不具合は実戦によってあぶり出すしかない。もちろんコックピットの操縦系統も研究途上であり、お世辞にも洗練されたインターフェースとはいえない。パイロットの体をコックピットに合わせているのが現状なのだ。
結局、ドズルはどうやってもシミュレーターの筐体に入ることができなかった。しまいにはヤケになりハッチにやつあたりを始めたドズルを諦めさせるためには、司令官の平謝りが必要であった。その代わりに、ヤザンナひとりのために操縦系の大改装をするはめに追い込まれたエンジニア達は、運が悪いとしか言いようがない。
司令官が彼女にザクの初歩的な操縦方法を説明しているほんの30分間ほどのあいだに、なんとかかんとか改装をでっち上げたエンジニア達は、ほめられるべきだろう。彼らには、数日後にヤザンナからお礼の花束が届くことになるが、それはまぁ別のお話。
「……すげぇ」
シミュレータの動きをモニタしているエンジニア達が息を飲む。
新人パイロットを失意のどん底にたたき落とすことを任務とするコンピュータは、ヤザンナを特別扱いすることなく、これでもかとばかりに妨害用の岩塊やデブリを大量につくりだし、彼女のザクの進路にばらまいていく。もちろん難度を下げることも可能なのだが、将来のジオンの指導者になるかもしれない少女に「モビルスーツなんて簡単に操縦できるじゃない」などと思われて無茶な作戦を無理強いされてはかなわない、というのが、その場にいた全員の暗黙の了解であった。
だが、ヤザンナはいとも簡単に、しかも完璧にこなして見せた。ミッション終了後の推進剤の残存量は、基地の誰よりも多い。
「次は敵が攻撃してきます。よろしいですか」
「もちろん!」
露骨にマゼラン級宇宙戦艦の形を模した敵艦隊が、すべての砲門をこちらにむけ、猛烈な対空砲火を浴びせてくる。
このシミュレーターを作った連中、戦場を知らないみたいね。どこから新たな敵が現れるかわからないミノフスキー粒子下の戦闘で、全ての砲塔がたった1機モビルスーツを集中的に狙うなんて、現実にはあり得ない。
でも、そのおかげで、ちょっとやる気がでてきたわよ。
細かな360度ランダム加速を行いつつ、滑るように対空砲火の死角をくぐりぬけ、マゼランに接近してメインエンジンにバズーガを一撃。爆発の瞬間、わざと一瞬その場に留まる。そして爆発のエネルギーをザクの機体にうけ、その反動を利用して一気に逆方向に加速……しない?
「爆発の衝撃はシミュレートされないの?」
「すっすいません。そこまではまだ……」
モニタの向こうのエンジニアの答えを待つ間ももどかしく、次の標的を狙う。となりのマゼランに狙いを定め、接近してブリッジに一発蹴りを……。衝突警報がなるだけで、敵艦が破壊される様子は無い。仮想の足が仮想のブリッジを素通りしてしまったのだ。
「もう! せっかく人型なのに、蹴りをつかえないなんて!」
「もうしわけありません。そんな戦い方は想定外です」
数分後、当初の予定よりも多少おくれたものの艦隊すべてをかたづけたヤザンナは、モビルスーツ同士の戦闘ミッションに突入したのだが、これもあっさりと片づいてしまった。そもそもモビルスーツを使った戦闘というものは人類史上おこなわれたことがないのだから、コンピューターが作り出す戦闘が単純すぎるのも仕方がないのだが。
ものたりない。
全然ものたりない。
私はモビルスーツで真剣な命のやりとりがしたいの! この火照った体をどうしてくれるのよ!
シミュレーターの中でヤザンナが身もだえしているころ、外では深刻な会話がなされていた。
「……どうだ?」
ヤザンナをモニタしているエンジニアや、いつの間にか集まってきた教官達にむけて、ドズルが尋ねる。彼らの様子から、ヤザンナのスコアが尋常ではないことは想像がついた。
「化け物です」
答えた若い教官は、言ってしまってから気づいた。自分がいま誰に対して化け物といったのか。横で聴いていた司令官が青くなっている。
ドズルは苦笑しながらも、かまわず質問を続ける。
「どれくらい凄いのだ?」
口の中が乾き、背中に冷たいものを感じながらも、彼は正直に答える。
「スコアの桁が違います。この基地のパイロット全員の平均よりも二桁ほど。なんとか対抗できるのは、トップ数人か……フラナガン博士のところのモルモットくらいでしょう。それにしたって一桁以上違いますが」
フラナガン?
今度は機密をしゃべってしまったことに気付き青くなっている士官を尻目に、ドズルは鼻をならす。キシリアめ、こそこそ何をやっているのだ。
まぁいい。今はヤザンナだ。
「このシミュレーターは、人間同士で対戦できるのだな? いまのトップは誰だ?」
「シャア・アズナブル少尉であります」
司令官が答える。
「ほお」
ドズルは子飼いの士官を何人も教導大隊に送り込んでいた。シャアはその中のひとりであり、もともと今回のドズルの視察の本当の目的は、彼らから教導大隊の内実について聞きだすことであった。
「シャアをここに呼んでこい。今すぐにだ」
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2009.09.27 初出
2010.10.31 ちょっと修正