しまった!!
自分の盾になる形でドダイが爆発、撃墜された瞬間、ヤザンナはすべてを理解した。そして、ランバ・ラルとの再会と敵戦艦に気をとられ、キシリアへの警戒を怠っていた自分を悔やむ。
振り返ったその目に映るのは、今まさに二射目のメガ粒子砲を放たんとするガウ。ヤザンナは、正面から迫るガウのブリッジをにらみつける。それは距離を超え、グフとガウの装甲をも超えて、中の人間を直接射殺す火のような視線。舌なめずりをひとつして、自然に口元がつり上がる。腕のガトリング砲をかまえ、背中と脚部のスラスターに点火。
「味方に向けて撃ったのかぁ! キシリア! すぐに殺してあげるから、じっとしてるのよぉ」
最大パワーでジャンプする直前、通信機から聞き覚えのある声がヤザンナをとめる。
「ヤザンナ様! ……いけません」
瞬間、ヤザンナは激高する。
「止めないで、ラル大尉!!」
ランバ・ラルは、静かに語りかける。
「止めません。止めませんが、……ガンダムが目を覚ましたようです」
ヤザンナは、一瞬にしてラルの言いたいことを理解する。そして、深呼吸して頭を冷やす。
自分の手を汚すなというのね。でも、あの白い奴、使えるの? ……そうね。ラル大尉がそこまでいうのなら、試してみましょうか。
ラルの言うとおり、ようやくアムロは目をさましていた。
コックピットの中に異常は無いようだ。ガンキャノンは? ホワイトベースのみんなは?
アムロは首を振り、周囲を確認する。
シャアを含め、敵モビルスーツは近くにはいない。すぐ後ろから、超低空でガウの巨体が迫る。主翼のメガ粒子砲が、ホワイトベースのいるはずの方向にビームを向けている。
半壊したガンキャノンは正面。そしてホワイトベースの目の前には、……あのピンク色のモビルスーツ。
「やらせるか!」
アムロの意識は一瞬にして覚醒。同時に、本能がアムロにつげる。もっとも危険なのはガウじゃない。あのピンク色の奴だ。
ガンダムは飛ぶ。仲間を助けるために。自分を遙かに超える敵を倒すために。
「なっ、なんだ? 仲間割れか?」
ドダイが爆発した瞬間、ブライトの目は文字通り点になった。いったい何が起こったのか、とっさには理解できなかったのだ。
驚くべきことに、ガウはピンク色のモビルスーツの存在を無視して撃ってきた。そして、ジオンの爆撃機を撃ち落としてしまった。あっけにとられているブライトの耳に、セイラの叫びが飛び込む。
「アムロ! アムロ! 目を覚ましたのね。よかった」
次の瞬間、無力化されていたはずのガンダムが飛ぶ。ホワイトベールの目の前に仁王立ちのピンク色の敵モビルスーツに対して襲いかかる。ブライトの理性が、やっとのことで息を吹き返す。
「いっ、いまだ。主砲、メガ粒子砲発射用意。ガンダムを援護だ。ミライ、エンジン全開、外に出るぞ」
一度はこてんぱんにやられた敵をふたたび目の前にして、アムロは自分でもおどろくほど冷静だった。ガンダムは、そのパワーに物を言わせた猛烈な加速とともにグフに迫る。アムロには、周囲のすべての物がゆっくりに見えた。自分の周りの時間の進み方が遅くなったかのような不思議な感覚。
敵モビルスーツの機関砲が、轟音とともにガンダムに向けて火を吹く。しかし、アムロは初速秒速数キロにも達する弾丸の軌跡さえ、その目にみえるような気がした。より正確にいえば、グフのパイロットの意思が読めていたのだ。発射のタイミングと照準の方向さえ読めれば、ガンダムの機動性をもってすれば避けるのは難しいことではない。
正面にはホワイトベースがいる。ビームライフルは使えない。
「ええい! どうせあと1回ぐらいしか 撃てないんだ」
アムロは、躊躇無くライフルを捨てる。そして、空中を飛びながらビームサーベルを引き抜く。
「思い切りのいいパイロットだわ」
ヤザンナの口元のゆがみが大きくなる。幸か不幸か、アムロは目の前の敵が自分の評価を改めたことを知らぬまま、まったく減速せずに間合いに突っ込む。そして、袈裟懸けにグフにきりかかる。
なんというすさまじい速度。アムロは、ガンダムの潜在力をフルに引き出しつつある。これだけ機体性能に差があっては、いかにヤザンナといえど、いかんともしがたい。間一髪のところで、ヤザンナはサーベルを盾でうける。マウントされたガトリング砲ごと、左腕から盾がむしり取られる。
「このおっ!」
ヤザンナが叫ぶ。
「いける!」
アムロは、おもわず声に出す。
ピンク色のグフに対して初めて攻撃ができた。敵の動きが読める。さっきは手も足も出なかったけど、今度は、……やってやる。
しかし、それでもまだヤザンナには余裕があった。
「ふん、少々勘がいいようだけど、このヤザンとグフの組み合わせから逃げられるかしら? 本気でいくわよぉ!」
本気! ヤザンナは自分で発した言葉を反芻する。そう、この体になってから、本気で戦うなど初めてのことだ。おもわず全身の血が熱くなる。脳内麻薬が大量に放出されているのがわかる。一気に体がほてる。
「いっくわよー!」
その瞬間、ビームサーベルを振り切ったガンダムの半身は、グフから見て横を向いていた。ヤザンナは、右手のサーベルで腹のコックピットをめがけ、突く。覚醒しつつあるアムロの直感は、それさえも読み切る。ガンダムの体をひねり、間一髪で避ける。だが、ヤザンナの突きはとまらない。何度も突く。突く。突く。
「ほらほら、いつまで逃げられる?」
ガンダムは体勢を立て直す暇すら与えられない。コックピットに座って数日しかたっていないアムロとヤザンナとでは、くぐってきた修羅場の数が違う。瞬間毎の敵の意思を完璧に読み、さらに常人離れした反射真剣を発揮しているアムロといえども、相手の動きの二手三手先のさらに先まで予測し余裕をもって戦っているヤザンナが相手では分が悪すぎる。むしろ、ここまでヤザンナの攻撃をかわしているだけでも奇跡的だ。
だが、それもいつまでも続きはしない。アムロは徐々に追い込まれていく
「もっと速く反応してくれぇ」
アムロの反射神経に追いついていけないガンダムの操縦系が、ついに悲鳴を上げはじめる。
アムロを救ったのは、キシリアのガウだった。ホワイトベースめがけて超低空で飛ぶガウが、ビルの上で戦うふたりをかすめたのだ。
ガウを避けるためやむを得ず、ヤザンナは一瞬攻撃をとめる。その隙をアムロは逃さない。ガンダムはふたたび飛ぶ、グフと距離をとるために。ガウの機首をかすめ、上空へ舞い上がる。ヤザンナもアムロを逃がす気はない。グフも飛ぶ。
「じゃまをするなぁ」
叫びんだのはヤザンナではない。アムロだ。巨大なガウなど、アムロの眼中には初めからはいっていない。相手は、下から追ってくるピンク色の敵モビルスーツのみ。ガウよりさらに上の空中から、アムロはグフをめがけてビームサーベルを振り下ろす。
「目の前のデカ物を無視して、躊躇無く私をねらうなんて、……やるな、小僧!」
ヤザンナはサーベルで受け流す。だが、両者の駆るモビルスーツには、あきらなにパワーの差があった。信じられないことに、ガンダムは一度降下をはじめた機体を、空中にいるままスラスターの力で強引に再上昇させている。
グフでは空中のガンダムの機動についていけない。ヤザンナはガウのブリッジのすぐ上に着地。力任せに優位な位置をとったガンダムが、グフをねらって再び降ってくる。ガウのブリッジは、グフのすぐ後ろだ。
「かくご!!」
ヤザンナをめがけて、まっすぐにビームサーベルが迫る。ヤザンナの口元がゆがむ。そしてつり上がる。喉の奥から、……笑いがこみあげる。
「さあこいガンダム。狙いをはずすんじゃないわよ!!」
アムロには、グフのパイロットの声がきこえた。野獣のごとき狂気を感じた。ピンクのモビルスーツからどす黒い雲が広がるのが、みえたような気がした。
「なっ、なんだ?」
グフの周りにただよう「悪意」としか言いようのない雲は、確かに悪魔の姿に見えた。
「ブリッジ正面、敵モビルスーツが!」
ガウのオペレータが叫ぶ。連邦の白いモビルスーツが、キシリアの目の前、ブリッジをかすめて上昇していく。信じられないパワー。そして輝くビームサーベルを振り上げる。
ブリッジにいるすべての者が死を覚悟した次の瞬間、正面にピンク色のグフが立ちはだかる。
白い奴はまったく躊躇無く、ヤザンナに対して襲いかかる。一度はそれを受け流したグフが、ガウのブリッジのすぐ上に着陸する。ガウの巨体が大きく揺れる。
「ヤッ、ヤザンナ様だ。ヤザンナ様が守って下さっている。今だ、対空砲火、白いモビルスーツをねらえ!」
副官は、ヤザンナがガウを守ろうとしていると本気で思っていた。彼だけではない。ガウのブリッジ要員のすべてが、この戦場にいるすべてのジオン軍人が、ピンク色のモビルスーツは身を挺してキシリアを守ろうとしていると見えた。たった一人の例外を除いて。
『さよなら、おばさま』
キシリアには姪の声が聞こえた。確かに聞こえたのだ。そして、ピンク色のグフの周囲にどす黒い雲をみた。それはあきらかに悪魔の形をしている。
「ひぃ! ……にっ、逃げろ、逃げるんだ。いや、撃て、あのピンクのモビルスーツを撃て!!」
副官は、ついに自分の上官が狂ったか思った。そして、反論する。命をかけて。
「閣下、あれはヤザンナ様です。我々を守ってくれているのです」
「バカ者。聞こえないのか、あの野獣の叫びが! 笑い声が!」
キシリアには聞こえている。ヤザンナの野獣のごとき叫び声が。狂ったような笑い声が。。
ヤザンナの狂気を目前にしても、ガンダムの攻撃はとまらない。凄まじい速度の突きが、グフのコックピット狙う。
「もらった!」
アムロが勝利を確信した瞬間、ヤザンナは頭の上の脱出レバーを引く。
ベイルアウト。
コックピットのハッチが吹き飛び、ヤザンナはシートごと外に投げ出される。慣性の法則にしたがいグフにまっすぐ突っ込むガンダムの機体とは裏腹に、アムロの意識はビームサーベルをかすめて落下していく敵パイロットに注がれる。エアバックが展開され、パラシュートが開きかけている。
『ふふふ。あははは、さすがガンダム! やってくれるわ!!』
パイロットが、……小さい。女の子? 笑っているのか?
「ひゃははははは。……はぁ。ここは戦場だから仕方ないわよねぇ。さよなら、おばさま……」
ヤザンナの体はパラシュートによって地上に落ちつつある。すぐにランバ・ラルが救出してくれるだろう。ひとしきり笑った後、ヤザンナは黙る。そして咳き込む。肺の奥から何かが上がってくる。
……あれ? なんで? ちょっとあばれただけなのに。
決して叔母の死に感傷的になったわけではない。ガンダムとの戦闘で負傷したわけでもない。ただヘルメットの中が赤く汚れている。
血? えっ? なにこれ。
胸が苦しい。咳と嘔吐がとまらない。体に力がはいらない。
……完治したって、いったじゃない。
アムロの目の前で、ガウが巨大な光球にかわりつつあった。
周りの空間からはなにも感じない。野獣のような殺気もどす黒い狂気も、すでにどこかに行ってしまった。
あれは、なんだったんだ?
モニタから聞こえるセイラさんの声が、アムロを現実にひきもどす。戦場を脱出すべく加速しつつあるホワイトベースを援護しなければならない。ガンダムはふたたびスラスターを点火、ホワイトベースのデッキに向かう。
爆発の直前、ガウのハッチから赤いザクが脱出した事に、気づいた者はいない。
ヤザンナがベイルアウトした瞬間、キシリアの目の前、彼女とガンダムの間に遮るものは、無人のグフのみとなった。直後、ピンク色の機体を貫いたビームサーベルが、ガウのブリッジに突き刺さる。
「たっ、たすけて、たすけて、……キャスバル」
極限状況の中、キシリアの口から絞り出されたのは、幼い頃あそんであげた子供の名だった。
それは白昼夢。
死を目前にしたキシリアの脳内に放出された高濃度のアドレナリンがみせた、一瞬の夢。
それはあの禍々しい姪、ヤザンナが家族になる遙か前のこと。家族よりも大事な人との思い出。
どこかの豪華な屋敷の中。広い部屋。幸せそうに談笑する二組の家族。高価な絨毯の上ではまだ幼い子供達が子犬のように戯れ、大人達が微笑みながら歓談している。
自分は空中からそれを見ている。記憶をもとに再構成された第三者の視線。
否応なく目を引くのは、ひとりの少年。輝くような金髪に、整った気品のある顔立ち。賢く聡明で、幼いながらプライドの高い男の子。そんな少年を相手に遊んであげているのは、ちょっとだけ年上の少女。
あれは、まだ少女の頃の自分だ。
楽しそうな、それでいてどこか照れくさそうな、そしてちょっとはにかんだ笑顔。見守るのは少年の父親。自分はこんな少女らしい表情もできたのか。キシリアは、記憶の奥底に厳重に封印されていた幼い頃の自分の姿に驚く。
サイド3ムンゾの自治議会において、宇宙植民者の独立を目標とするジオン・ダイクンを首班とした政治勢力がついに多数派となり、連邦政府との交渉が正式にはじまってから十数年後のこと。経済制裁など連邦からの露骨な嫌がらせがつづく中、業を煮やしたデギン・ザビを中心とする強硬派と、穏健派に徹するダイクン一派の間に、政治的な緊張が高まりつつあった頃。それでも、成立間もない自治政府の安定と連邦政府につけ込む隙を与えないため、ダイクン家とザビ家は、表面上はお互い良き隣人としてつきあっていた。
キシリアは、子供の自分に対してもまじめに、スペースノイドの未来を熱く語るダイクンにあこがれていた。それが全く現実性のない理想論に過ぎないと理解できる年齢になってもなお、世の中にはそんな夢想家が必要だと考えていた。それを夢想だというのなら、現実を変えてやれば良い。理想を実現するためには裏の汚い仕事が必要だというのなら、それはザビ家が、いや自分自身が引き受けても良いと考えていた。なんとしてでも、ダイクンの力になりたかった。
無邪気に遊ぶキャスバル坊やは、その父ジオン・ダイクンによく似ていた。いや、自分の能力に絶対の自信を持ち、優柔不断さがない分、父親よりも聡明かもしれない。少女のキシリアは、今となっては赤面するしかないのだが、自分も子をなすのならこんな子を産みたいと考えていた。
理性や合理性とはかけ離れた激しい感情。ひとりの女としての本能的欲求。ダイクンへの想いは、いつしかその子への想いにかわっていった。
「たっ、たすけて、たすけてキャスバル!」
「閣下」
ガウのブリッジが火に包まれる直前、キシリアはありえない声を聞く。そして、振り向く。
そこには、赤い軍服の金髪の青年がいた。仮面をはずしている。
「……キャスバル」
「お迎えにまいりました。私のザクでにげましょう」
キシリアの体が自然に動く。シャアが差し出す手を握る。ブリッジからモビルスーツデッキへと、シャアに導かれるままについていく。
ガンダムのビームサーベルがガウのブリッジを貫いたのは、その瞬間だった。やがてガウは火に包まれ、光にかわりながら、ゆっくりと墜ちていく。
数時間後 ズムシティ某所
「キシリア……。ガウとともに爆死、か。自業自得とはいえ、惨いものだ。父上が唐突に召還命令など言い出さなければ、連邦に勝った後にザビ家の娘にふさわしい使い道を考えていたのだがな」
血のつながった妹の死、しかも自らが命令を下した結果としてのキシリア・ザビ戦死の報を受けても、この男は顔色ひとつ変えないのだな。
ジオン公国首相ダルシア・バハロは、総帥ギレン・ザビがある意味予想通りの反応しか示さないことに対して、内心ほっとしてる自分に気づく。もし目の前のギレンが妹の死ごときで苦渋に満ちた表情などしていたら、ダルシアは失望していたかもしれない。
「現地は混乱しているのだろう? 死体すら発見されないということだが、生きているという可能性はないのだろうな」
「すでにガルマ様により収拾されつつあります。いまだ捜索は継続しておりますが、おそらく報告に間違いは無いでしょう」
親衛隊の幹部が、ギレンに対して報告をつづける。
ギレンの側近中の側近のひとり、エギーユ・デラーズ大佐か……。ダルシアは、この男があまり好きではない。軍人としては優秀なのだろうが、あまりにもギレンに心酔しすぎているのだ。仮に、祖国の利益と総帥個人の利害が一致しない場合、彼はためらうこと無く後者を優先させるだろうと、ダルシアは確信している。
「グラナダはどうなのだ? よもや、公王による召還命令の情報が先に伝わり、先走った者達が決起の動きなどおこしてはいまいな?」
デラーズがこたえる。
「いえ、いまのところ平静です。仮に動きがあっても、すでに総帥のご命令通り、司令部と指揮系統の要所は押さえてあります。問題ありません」
「……功を焦り、単独で地球へ降下したあげく連邦軍との戦闘で死んだのだ。いかにキシリアに対する忠誠心にあふれる者でも、これをきっかけに本国へ反乱などおこしようがない、か」
デギン公王がキシリアに対して召還命令を発するなど、ジオン政府、あるいは軍の誰も予想してはなかった。絶対的な独裁者であるギレンにとってさえ、晴天の霹靂であったのだ。
たしかに、キシリアはギレンにとって強力な政敵であり、その処置についてギレンに思惑がなかったわけではない。だが、ギレンにとってそれは、もし刃向かうのなら実力をもって即粛正すればよく、おとなしくしている限りは連邦に勝利した後に家族で解決するべき課題、という認識でしかなかった。つまるところ、ギレンにとってのキシリアの脅威はその程度のものであり、キシリアと取り巻きが感じつづけた粛正への恐怖は、取り越し苦労でしかなかったのだ。
すなわち、キシリアが自分から暴発しないかぎり、少なくとも今次大戦がおわるまではザビ家の内紛など起こらないはずであった。だが、半ば隠居状態だったはずの公王に、いらぬことを吹き込んだ者がいる。あの老人はそれを真に受け、よりによって唐突に召還命令が発せられてしまった。キシリア本人はともかく、グラナダの取り巻きがそれを知れば、キシリア奪還のためにクーデターを引き起こす可能性すら予想される。
ギレンの決断は早かった。国家元首であり軍の最高指揮官である公王により正式に発せられた命令をもみ消すことは、ギレンといえども難しい。ならば、召還命令の存在をグラナダが知る前に、キシリアには「戦死」してもらう。
問題は、陰謀を実行する者である。キシリアは北米にいる。ギレンの手は直接は届かない。あのガルマに殺害させることなど不可能だ。
ヤザンナの地球落下直後、キシリアの弱みを握ってしまったシャア・アズナブルがギレンの元に庇護を求めてきたのは、いまから考えると暁光としかいいようがない。そのシャアがキシリアの側にいるのだ。これを使わない手はない。
結果だけをみれば、ギレンから直に命令をうけたシャアは完璧な仕事をしたことになる。キシリアのガウがあえて敵戦艦と正面から撃ち合うなどという馬鹿げた状況になったのは、側近のシャアがそのように誘導したのだろう。
「それにしても、……シャア・アズナブル、信用してもよろしいのですか?」
デラーズ大佐が、ギレンに向かって問う。
これはただの陰謀では無い。よりによってザビ家の長女の抹殺の命令である。万が一情報がもれた場合、ギレン総帥にとっても致命的なものとなる可能性すらある。そんな大事にパイロット上がりの若造を参加させるのは、総帥のためにはならない。デラーズの目がそう語っている。
「シャアについては、私はよく知っている。何か企んでいるのは間違いないだろうが、表向き命令に忠実ならばかまわんよ」
もともとドズルの部下であったにもかかわらず、そのドズルを殺したキシリアの元に平気でうつったシャアという男を、デラーズは好かないのだろう。その感情は、ダルシアにも理解できなくもない。しかし、たとえどんなに忠義をつくしても、さらにどんなに重要の秘密を共有した人間といえども、必要とあらば簡単に切り捨てるのがギレン・ザビという男だ。デラーズ大佐は、自分がいつ切り捨てられるかしれない危うい立場にいることを、自覚しているのだろうか?
むしろそうなれば良いと内心考えるダルシアに対し、ギレンが視線をむける。
「ザビ家の内紛がこんなかたちであっけなく終わってしまったわけだ。君としては残念な結果ではないのかな? ダルシア・バハロ首相」
軍や政府のキシリアに反感を持つ者を影からあおり、間接的とはいえ結果としてキシリアを追い詰めたのは、ダルシアである。ギレンはどこまで知っているのか? 背中に冷たい汗を感じながらも、すくなくとも表面上は平静をたもちながら、ダルシアはしずかに答える。
「……これで我が国は、連邦との戦争に専念できますな」
聞きようによっては、キシリアの死を望んでいたともとられかねないもの言いである。デラーズがぴくりと反応するが、ギレンはまったく気にしてもいない。
「そのとおりだ……。例の連邦のモビルスーツと新型戦艦の行方は?」
「キシリア様の撃墜による混乱で、取り逃がしたのことです。おそらくこのままジャブローに逃げ込むでしょう」
「やむを得んな。……このザビ家の騒動をきっかけとして、レビルは間違いなく動く。欧州が講和に応じる前に、モビルスーツを搭載した宇宙艦隊がジャブローから出撃するに違いない」
「ルナツー近傍以外の制宙権は、低軌道も含めてほぼ完全に我々のものです。おそらく、艦隊打ち上げを支援するため大規模な陽動が行われるでしょう」
「……ところで」
ダルシア首相が口をはさむ。連邦との決戦の前に、彼にはやるべき事があった。
「キシリア様の国葬は、いかがなさいますかな」
彼は知っていた。旧知の間柄であるデギン・ザビ公王が、彼の親族を次々と襲う不幸に心を痛めていることを。もし可能ならば、せめて彼がもっとも愛する末っ子と孫娘に、会わせてやれないものか。
「もちろん盛大に執り行う。ガルマの帰国は無理だろうが、ヤザンナを呼び戻すことは可能なのか?」
現在のヤザンナの状況について、ジオン国内において公式には『ヤザンナはキシリアを守ろうとしたがかなわず戦闘中に負傷』とされていた。民間のメディアに対しても、そのように公表されるだろう。
このうち『キシリアを守ろうとした』のくだりは、少なくともジオン本国で疑っている者はいない。ギレンやダルシアですら、それを本気で信じていた。問題は『戦闘中に負傷』の部分だ。軍と公王府により、情報の改ざんが行われている。
デラーズ大佐が、彼らしくない態度で、言いづらそうに口をひらく。
「ガルマ様によりますと、ヤザンナ様は再びご入院されたとのことです。戦闘によるお怪我ではなく、キシリア様を守れなかった精神的ショックと、その……」
「……例の病が再発した、と」
ヤザンナの病は、キシリアが原因といっても間違いはないはずだ。あの少女は、それを知らぬまま無邪気にキシリアを助けにいき、助けられなかったことにショックを受け、あげくにそれが原因で病が悪化したというのか。
圧倒的に強力な独裁者を相手に命をかけた政治的闘争の場に身を置くタフな政治家を自負するダルシアにとってすら、それはあまりにも哀れだと感じられた。
だが、それを聞いても表情を変えない者がいる。ヤザンナの叔父、ギレン・ザビ総帥である。
「……かまわぬ。明日をも知れぬというわけではないのだろう。多少無理でも本国に呼び戻せ。あれもザビ家の人間だ。ジオン国民の前に顔をみせる義務がある」
また国葬で戦意高揚というわけだ。やはりこの男には肉親の情などないのだな。そのブレのなさは、いっそ小気味よいほどだ。……そうでなくては、対抗しがいがない。
だが直後、ダルシアは失望することになる。彼には、ギレンが口の中だけで発したはずのつぶやきが、聞こえてしまったのだ。
『ヤザンナ……。せめて最後に、一目だけでも親父にもあわせてやらねばな』
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2011.10.23 初出