宇宙世紀0079年 10月 オデッサ某所
あるいは穏便な雰囲気のまま終了するかと思われた非公式会談の終わり際、会談の一方の主役である欧州連合の首脳は、もう一方の主役であるジオン軍地球降下部隊司令官マ・クベ中将の一言によって、現実に引き戻された。
「我々は最大限に譲歩したつもりだ。もし欧州連合が期限までに講和に応じない場合、われわれは攻勢に出ざるを得ない。その際には、欧州主要都市に向け水素爆弾を使う用意がある。衛星軌道から弾道弾を撃ち込めば、たとえ連邦軍でも迎撃は不可能だろう」
欧州連合側の代表は、一瞬ぎくりとした表情を顔に浮かべながらも、「本気か」などとはいまさら口にはださなかった。冷静な態度をたもったまま、会談中なんども発した言葉を、また繰り返す。
「……わかりました。持ち帰り検討いたします」
それを予測していたように、マ・クベも答える。これまで繰り返されてきた会談のたび、何度も発してきた言葉だ。
「よいお返事を期待してます。調印式には、我が国の元首がのぞむでしょう」
南極での休戦会議が決裂した直後、ジオン軍の地球降下作戦は唐突にはじまった。新兵器モビルスーツを主力としたマ・クベ麾下の大部隊が、空を覆い尽くすほどの降下カプセルとともに降臨したのだ。マ・クベは、あっという間に中央アジアに橋頭堡を築くと、そのままユーラシア大陸を席捲した。コロニー落としにより凄まじい被害をうけ、いまだ混乱さめやらぬ連邦軍は、組織だった反攻もできないまま、母なる大地が宇宙人どもに蹂躙されるさまを、指をくわえて見ているしかなかった。
旧欧州各国は、自らの国土を戦場にすることを覚悟していた。有史以来、彼らの国土は何度も戦争によって焦土となってきた。その度に立ち直り、新たな国境線を引き直し、それでも人類文明を担ってきたとの自負が、彼らにはあった。
だが、マ・クベは、欧州を目前にしてその進撃を停止した。そして、誇り高き欧州連合に呼びかけた。無防備宣言と、それに伴う連邦軍の域内からの排除を実行すれば、当面、全面攻撃はおこなわない。そして交渉に応じる、と。北米やアジアにおける、連邦軍基地に対する衛星軌道からの徹底的な爆撃を目の当たりにしている彼らは、時間を稼ぐため、条件を呑んだ。連邦政府は、それを認めざるを得なかった。
地球連邦の成立は、地球環境の悪化により人類の存続が危ぶまれたことが発端であった。人類絶滅を防ぐためには、その半数を宇宙に移民させるしかない。そのためには、主権国家を超越する権力を持つ汎地球的な政府が必要とされたのである。
しかし、連邦は創立時の崇高な理想とはうらはらに、今やその権力は腐敗臭のするものとなってしまった。当初の目的が達せられてもなお、連邦はその存続そのものだけを目的とした組織として存在し続け、またその実権はあいかわらず旧太平洋岸諸国によって牛耳られていた。
今次大戦の緒戦において宇宙植民者によって手痛いしっぺ返しをうけた連邦の姿は、欧州の人々にとって、旧世紀に海外植民地を失った自分達の姿と重なって見えた。そして、サイド2以外のすべての宇宙植民地が生き残り、宇宙植民者を含む人類の過半が連邦に従ってはいない現状において、連邦市民の間でさえ、地球連邦の存在意義は疑問視されはじめている。人類文明を担ってきたとの自負のある欧州にとって、いまや一部の特権階級による権力の象徴でしかない連邦に所属することの意味が問われるのも、無理はないのだ。
さらに、コロニー落としによる全地球的な寒冷化により、地球上は深刻な食糧不足に陥っている。豊富な食糧とエネルギーを供給可能な宇宙植民地との取引は、悪い話ではない。なによりも、独裁者から市民を守るはずの連邦軍は、地球圏全域において総崩れの状態だ。戦局が好転する見込みは全くない。ジャブローのモグラたちは、宇宙での反攻にばかり目がいき、欧州を守ろうというつもりはないらしい。
マ・クベは、そこにつけ込んだ。彼が恒久的な和平の条件として欧州に要求したのは、連邦からの離脱とジオン公国の承認、そして対等な立場での講和条約の締結である。将来的にはともかく、今の段階で直接ギレン・ザビの支配下に入れというわけではない。すでに無防備宣言を発している欧州にとって、連邦と共に滅亡の道を歩むよりは、よほど現実的な選択肢にみえた。
本国からやってきた外交部の官僚達もすでに立ち去り、会議室にはマ・クベと副官ウラガンだけが残っている。
「さて、期限を切ってボールをあずけたのだ。どのような返答があっても良いよう、準備せねばなるまい。ウラガン、全面攻勢の準備だ。彼らからもわかるよう、できるだけ派手にな」
「わかりました。……しかし閣下、よろしかったのですか? 脅しだとしても、核の使用をほのめかすというのは」
もちろん、今次大戦における核兵器の使用は、南極条約で禁止されている。だが、マ・クベはまったく意にした風もなく、涼しげな表情で答える。
「脅しではない。その一発で戦争がおわるという局面ならば、たとえ条約で禁止されていたとしても、私は核兵器や大質量兵器の使用も躊躇はしない。私だけではない、総帥も同じお考えだろう。そしてジオンだけでなく、レビルもな」
驚くウラガンを尻目に、マ・クベは先を続ける。
「もちろん、地上で核兵器など使わなくて済むことを、私は望んでいるがね」
「しっ、しかし、欧州を屈服させただけでは戦争はおわりません。最終的に勝ったとしても、戦後に閣下が不利な立場に追い込まれかねません」
マ・クベは、副官の配慮に感謝し、僅かに微笑む。本来は、本国政府や交渉に参加している官僚達の間だけの外交機密事項であるが、この男には話しておいてもよいだろう。
「ウラガン。誇り高き欧州連合は、我々と連邦を天秤にかけているのだ。彼らはまだ確信できないのだよ。最終的にジオンが勝利するのかどうかな」
もし欧州が連邦を離脱、ジオンと単独講和した後にジオンが敗北するような事があれば、その後欧州は過酷な運命を背負うことになるだろう。
「我々は彼らにきっかけを与えてやっただけだ。もしジオンが敗北したとしても、欧州連合政府は自国市民や連邦政府に対して言い訳をいえるようにな。彼らもそれを承知の上で、返答をよこすだろう」
つまり、欧州連合がジオンについたのは、核兵器の使用をちらつかされ脅されたゆえだと、やむを得ない選択だったということにしてやるのだ。
期限を切った以上、欧州連合だけではなく連邦も究極の選択を迫られることになる。欧州を連邦に引き留めるという極めて政治的な理由から、連邦軍は近々大攻勢に追い込まれるだろう。だが、レビルは地上戦の準備よりも、モビルスーツなどの宇宙戦力の拡充に全力を尽くしている。あとは、本国の仕事だ。おそらく我々地球降下部隊の出番が来る前に、戦争は終わる。
「……なるほど」
ウラガンは、マ・クベの深慮遠望に感心している。彼の上官は、ただの軍人ではないのだ。伊達に南極での交渉で全権をまかされ、地球降下部隊を指揮しているわけではない。
「もっとも、開戦前から欧州連合政府内の反連邦勢力との交渉ルートを作っていたのは、総帥と首相だがね。私はそのレールに乗っているに過ぎない」
部屋のドアがノックされ、一枚のメモがウラガンを経てマ・クベに渡される。それを見たマ・クベは、ひとつため息をついて天井を見上げる。
「……キシリア閣下が北米に降下されたのか」
「はっ、連邦の新型戦艦を追っているとのことです」
「功を焦られたのだろうが、今の本国の状況でグラナダを離れるのはキシリア様にとってよろしくない。何もおこらなければよいが……」
地球降下部隊の本来の指揮官であるはずのキシリア・ザビ少将みずからが地球降下したとしても、とくに不思議はないはずだ。ウラガンは、なぜマ・クベが厳しい表情をしているのか理解できなかった。
宇宙世紀0079年 10月 北米東岸某所
ジオン軍北米司令部が接収したホテルにおいて、政財界要人を招いた立食形式の夕食会が開かれている。本来ならば、主役は主催者である北米司令官ガルマ・ザビ大佐のはずだった。しかし、キシリア・ザビ少将が地上に降下した状況において、彼女が注目を一身に集めることとなったのは必然だろう。
「時に、お父上のデギン公王には地球においでになるご予定は?」
「聞いてはおりません」
「おいでの節は是非なにとぞよしなに」
要人との会談をそつなくこなすキシリアを尻目に、ガルマは士官学校時代から旧知の仲である友人、シャア・アズナブル大佐との親交をあたためていた。話題は自然と、彼らの支配地をうろうろしている目障りな連邦軍の新型戦艦についてになる。
「キシリア閣下に媚びをうっている連中、奴らがあの木馬とモビルスーツの存在を知ったら慌てるだろうな」
「そうだな。あの性能は脅威的だ。しかも、我々には打つ手がない。木馬討伐隊を組むには戦線が拡大しきっている」
ガルマは、お手上げという風に、両手をあげる。
ほう。
シャアは、久しぶりに再会した古い友人の何気ない振る舞いに、おもわず感心する。
敵の新兵器を目の前にして、余裕があるじゃないか、おぼっちゃん。
士官学校時代の彼は、ザビ家の御曹司という大きなプレッシャーに押しつぶされまいと必死な、なにをするのも余裕のないただ坊やだったはずだが。何が彼を成長させたのか。これは、あなどれないな。
シャアとキシリアが追跡した連邦軍の新型戦艦、コードネーム木馬は、ザクをはるかに凌駕する高性能モビルスーツを搭載していた。中でも、白い機体と赤い機体は信じがたい戦闘力をしめし、すでに十機近いザクが撃破されている。
それでもキシリアは諦めなかった。たとえ地球に降下してても、連邦の新型モビルスーツを奪取するよう、シャアに命じたのだ。ジャブローを目指した木馬の大気圏突入を妨害し、ジオンの支配下である北米に降下させることができたのは、手持ちの戦力を最大限活用し、執拗に追撃を続けたシャアの卓越した指揮能力のおかげだといえよう。
無理な大気圏突入によりエンジンに障害が生じたのだろう、いまのところ木馬は高度をあげ弾道軌道にのることはできないようだ。地表ギリギリをのろのろと彷徨いながら、ジャブローに向け逃走をつづけている。
キシリアは、シャアとともにザンジバルを中心とした戦力をもってこれを追撃、大気圏突入後も数度戦闘をしかけた。しかし、そのたびに敵モビルスーツにより撃退されている。ザンジバルは補給のためやむを得ずガルマの北米部隊と合流、シャアははからずも旧友と再会することとなったのだ。
「……それよりも、心配なのは姉上だ。なぜあれほど敵の新型戦艦にこだわるのか。なにをあんなに焦っているのか。確かに連邦軍のモビルスーツは脅威ではあるが、戦略的にさして重要ではないところを単独でうろうろしている故障中の戦艦など、定期的に爆撃でもして、あとは放っておいてもよいのだ。補給を受けない限り北米から逃げることもできず、いずれ降服するしかあるまい」
ガルマの言う木馬に対する見解は、シャアからみても正しいものだ。グラスを傾けながら実の姉の様子を気遣う姿は、たしかに一人前の男に見えた。北米大陸を支配するに足る貫禄すらうかがえる。もはや、坊やなどとは呼べないかもしれないな。シャアは舌を巻く。
ガルマは、北米の支配を完璧とすることにもっか全力を尽くしている。だが、地球降下部隊とて広い大陸を完全に支配するだけの十分な戦力があるわけではない。兵站も不十分だ。大陸東岸や五大湖周辺の工業地帯が手に入ったといっても、工業生産力がそう簡単に回復するわけではないのだ。食糧やエネルギーにいたっては、ほとんどすべて本国に頼っている状況だ。
そのような状況であるにもかかわらず、ガルマは姉のため、木馬討伐に地上戦力の動員を提案したのだ。だが、彼の姉はそれを固辞した。キシリアは、あくまでも自らの手柄とすることにこだわっている。姉が敵の木馬と新型モビルスーツを手に入れることになぜそれほどまでにこだわるのか、ガルマは真意を測りかねている。
「あの新型モビルスーツはジオン十字勲章ものの獲物だ。ザビ家の一員であるキシリア閣下が先頭に立てば、兵士達の戦意高揚につながるだろう。まあ任せておけ。私がついている」
一方、シャアはキシリアの焦りの理由を理解している。キシリアが追い詰められるきっかけとなった情報をギレン総帥に渡したのは、シャア自身であった。キシリアは、自らがいつ粛正されてもおかしくない立場におかれていると自覚し、恐れている。連邦の最高機密とも言える新型モビルスーツを奪取すれば、ほんの少しでも立場を回復できるかもしれない。自業自得はいえ、キシリアの窮地と焦りは、シャアに大きな責任がある。もちろん、それをガルマに語るわけにはいかないが。
「ありがとう、シャア。しかし、……本国では、それほど切迫しているのか?」
ガルマは、尋ねたいことを、あえてぼかした。ジオン公国そのものの行く末を心配をしているわけではない。それが、本国における彼の姉の立場についての問いだということは、付き合いの長いシャアにとってはすぐにわかる。やはり、隠すことはできないか。
ドズルとヤザンナが巻き込まれた核爆発は、公式にはダイクン派のテロだとされている。
あるいはヤザンナがそのまま大気圏で燃え尽きていたら、それはそのまま受け入れられたかもしれない。しかし、ヤザンナは生き残った。しかも、シーマやシャア、彼らの部下、さらにアナハイムなど多数の人間を巻き込んだ。決定的な証拠はシャアとギレンが握りつぶしており、そのうえ関係者が真相を公の場で語ることは決してないだろう。だが、それでも完璧に隠し通せるものではない。少なくとも軍や政府の上層部にいる者はみな、事件の背後に軍の大物がいることを本能的に感じていた。そして、ガルマも気づいているとおり、すべての状況証拠は、黒幕がキシリアであると指し示している。ドズルの部下だった者にとって、それは決して許容できる事実ではなかった。
「……正直言って、あまり良くはないな」
シャアはため息をひとつつく。そして、周りをうかがってから、小声で続ける。
「ソロモンの連中やズムシティの議会筋には、キシリア閣下の更迭や逮捕を公然と主張している者もいるらしい。今やグラナダ以外は、すべてがキシリア様の敵といってもいいかもしれん」
「そうか。連邦との決戦が近い状況で、総帥が軽々しく動くことはないと思うが。……で、真実はどうなのだ。姉上が何をやったのか、兄上が何を考えているのか、君は知っているのだろう? 私に教えてくれないか?」
まっすぐに自分を見つけるガルマの目に、シャアは一瞬たじろぐ。自分は、この坊やを利用するつもりで、あるいは仇として討つために近づいたはずだ。しかし……。
「……ガルマ。それを知ってどうする。君は私とは違う。君は、薄汚い権力争いなどに首をつっこまず、堂々と正道を歩むべきだ。それだけの実力がある。そして、ザビ家の正統な後継者として、ジオン国民を導いてくれ」
シャアは、ガラにも無いことを言ってしまった自分自身に、驚いている。そんなシャアに対し、ガルマは素直に礼を言う。
「わかった。君がそう言うなら、そうしよう。姉上を頼んだぞ。私はよい友を持った。今夜はつきあえよ」
「水くさいな、いまさら」
ガルマと杯を交わしながら、シャアは思う。自分は、将来の地球圏を支配する者として王道を歩んでいるガルマを羨ましいと思っているらしい。そして、陰謀ではなく、正々堂々と正面からこの坊やと争いたいと望んでいるのかもしれない。
やはり自分は、パイロットよりも革命家や政治家にむいている、……かもしれないな。
シャアは、いつか自分が正面からそのように言われたのを思い出す。教導大隊時代の彼をそのように評したのは、年端もいかない少女であった。もしかしたら、全てを見透かされていたのかもしれない。そして、経済界の要人と挨拶を始めたガルマから視線を移す。視線の先には、シーマ・ガラハウをかたわらに、料理を口いっぱいにほおばるヤザンナがいた。
シャアの顔が自然とほころぶ。そうだ、この少女を争いに巻き込まないことが、ランバ・ラルとの約束だったな。努力しよう。
だが同時に、シャアの本能は、激しい警告を発している。あの少女、ヤザンナはそんなタマじゃない。むしろ巻き込まれるのは自分かもしれないぞ、と。
翌朝。北米東岸のジオン軍基地
轟音とともに、巨大な機動巡洋艦が離陸していく。補給を終えたシャアのザンジバルだ。ガルマが無理矢理同行させることになった数機のガウ攻撃空母が、それに続く。キシリアは、こちらに搭乗して指揮を執るそうだ。どの機体もモビルスーツを満載しており、さらに赤い彗星がついているのだ。連邦の新型モビルスーツがいかに強力でも、仕留められるだろう。そうすれば姉上も、本国での立場を少しは回復できるはずだ。
わざわざ滑走路まででて彼らを見送るガルマに、誘導路をはしる別の機体が目に入る。
あれは?
重爆撃機の背中にモビルスーツが乗っている。ピンク色のグフだ。
「ヤザンナ、何処に行く気だ!」
雑音混じりの無線から、少女の声が返ってくる。
「このモビルスーツの調子が悪いので、ジオニック社の新しい工場で調整してもらうのです。事前に、ご連絡さし上げているはずですよ」
そうなのか?
ガルマは横に佇む副官に小声で尋ねる。彼は、管制塔と通信を行い、今日の発進予定を確認する。
「……たしかに、ヤザンナ様の本日のご予定にあるそうです。ジオニック社とも調整済みらしいですね」
「しっ、しかし、ヤザンナ自ら出むかなくてもよいだろう。護衛をつけるから待て」
「テストには私が必要なんです。大丈夫、戦闘地帯とは離れているわ。心配しないで」
……もちろん、連邦のモビルスーツが苦戦、じゃなくてザンジバルが苦戦しているようなら、私がかけつけることもあるかもしれないけどね。
ドダイの離陸にともなう凄まじいエンジン音にかき消され、ヤザンナの独り言を聞いたのは、シーマ・ガラハウだけであった。
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原作よりも連邦はかなり追い詰められている状況です。そしてキシリアも。キシリア様が大好きなので、つい虐めたくなっちゃいます。
2011.04.17 初出
2011.09.18 サブタイトルを変更してみました