番外編、というわけではなくて、今後の展開にも絡む予定のおはなしですが、時系列的ちょっと戻ります。「その5」「その6」「その7」あたりと同時期になります。
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宇宙世紀 0078 ジオン公国 教導機動大隊の拠点
これが、ザビ家のお姫様、か。
もちろん少女の顔くらいは知っていた。
だが、彼の目の前にいる少女、シミュレータのシートの真ん中にちょこんと座る少女が、TVで何度もみた凶悪な独裁者の一族とは、彼にはとても思えなかった。
「えーと、操縦桿やペダルは問題ないっスか?」
ヤザンナは、開かれたハッチの前の彼から見て、正面に座っている。小さな手。華奢な四肢。肩で切りそろえられた髪。整った顔立ち。良い香り。基地に少女用のノーマルスーツなど用意してあるはずもなく、私服のままだ。急ごしらえの操縦桿を素手で握る指が、セレクタやトリガーのスイッチまで届いていない。下駄を履かせたフットペダルは、それでも少々長さがたりないらしく、シートに浅く座りむりやり脚をのばしている。これでペダルを踏み込めるのか?
そんな彼の心中を理解してくれたのか、ヤザンナは実際に脚を伸ばしてペダルを踏んでみせる。目一杯まで踏み込むためには、やはりさらに腰を前にずらさねばならない。長めのワンピースからちらちら覗くしろいひざが、なめらかなふくらはぎが、細いあしくびが、妙になまめかしい。彼はおもわず視線をそらす。
ザビ家のふたり、ドズルとヤザンナが基地を訪れたのは、ほんの1時間ほど前のことらしい。基地の上層部にとっては大きな事件なのだろうが、ほとんどの一般の兵士には関係のないことだったはずだ。ましてや、モビルスーツの整備を担当する者、しかも正式な軍人ではなく、ジオニック社やその関連会社から出向してきている人間にとっては、軍上層部の政治的な動きなど知ったことではない。
彼らにとっては、もっと重要な難題が目の前にいくつも転がっていた。モビルスーツ「ザク」は、すでに実戦配備が始まっているにもかかわらず、兵器としてはお世辞にも完成品とはいえない。戦術の研究と実戦訓練とにあけくれる教導大隊のパイロット達が、兵器としてのザクの不具合や改良点について毎日のように膨大なレポートあげてくる。それをパイロットや教官達と共にひとつひとつ検討し、さらに本社や軍の研究所と意見をすりあわせ、あるいはすでに動いている工場の生産ラインとの調整を行い、少しでも完成品に近づけるのが、彼ら現場のエンジニア達の仕事だ。だが、それは決して順調にいっているとはいえない。時間がたりなさ過ぎるのだ。
ここ数ヶ月、地球圏全域にわたってジオンと連邦との緊張が高まるにつれ、教導大隊の活動は目に見えて活発化している。激しい訓練の中、ザクの不具合や操縦ミスにより失われたパイロットの数は、決して少なくはない。彼は軍人が大嫌いだったが、彼が手塩にかけて開発してきたザクで人が死ぬのは、それ以上に耐えられないことだった。
そもそも、核融合炉を背負った汎用作業ロボットを機動兵器として使うこと自体が、間違っているのだ。本来ならば、もっと時間をかけて、パイロットの安全性を高める必要があるはずだ。だが、何度スケジュールの見直しを具申しても、本社の連中も軍中枢もそれを認めることはなかった。それどころか、逆にスケジュールの短縮を現場に押しつけ、さらに研究所で試作された改良型や新型モビルスーツのプロトタイプを送りつけ、実戦形式の訓練におけるデータ収集を求めてくる始末だ。
ドズルとヤザンナが来たのは、そんな切羽詰まった状況の中だった。しかも、身長2メートルを超えようという巨漢と、その半分しか身長のない少女を、シミュレータに乗せろと言うのだ。休日なしで毎日残業しまくり、一分一秒も惜しい状況の中で、シミュレータの筐体を改造してまでお偉方の接待をやりたいと思うエンジニアなどいない。軍人やジオニック社本社のエンジニアではなく、立場的に弱い下請け関連会社所属の彼にお鉢が回ってきたのは、必然とも言える。もちろん、基地の中でも彼のもつ技術力が高く評価され、また変人が多い非軍人のエンジニアの中で、ザビ家の人間の前に出しても問題ない程度の常識人であると信頼されているからこその人選ではあるが。
どうやっても筐体にはいることができなかったドズルには、司令官が平謝りすることでなんとか勘弁してもらうことができた。しかしそのかわり、ヤザンナだけは満足させねばならないはめに陥ってしまう。突然10才の少女が乗れるコックピットを用意しろと言われても、とっさに何をどうすればよいのか見当もつかない。司令官がザクの初歩的な操縦方法を説明しているほんの30分ほどの間に、急ごしらえの操縦桿をでっちあげ、さらにフットペダルに下駄をはかし、コックピットを少女仕様に仕上げた努力は、我ながらほめられて良いと思う。
少女から視線をそらしてしまった彼の顔を、ヤザンナは不思議そうな顔で見ている。
しまった。
その脚に、その肢体に、ヤザンナの全身に見とれていたことがばれてしまったかもしれない。彼は、もともとおんな子供が苦手だった。チンピラヤクザのような自分の風貌をみただけで、たいていの女は引き、子供は泣いてしまうのだ。この国の支配者のお嬢様にいやらしい視線を向けていたとでも疑われたら、憲兵隊に抹殺されてしまうかもしれない。
だが、ヤザンナは彼の顔などまったく気にしていないようだ。ニコッと微笑むと、その小さな花びらのような口を開く。
「大丈夫。シートベルトをゆるめておけば問題ないわ」
鈴を転がすような、というのは、このような声のことをいうのだろう。高いが、けっして不快ではない声が、コックピットに反響する。
ああ、コックピットの中に大量の消臭剤をまいておけばよかった。
普段このシートに座る、ごつくてむさ苦しい兵士達の顔と声が頭をよぎるが、いまさらどうしようもない。
彼は、ひとつ咳払いをして時間をかせぐ。どうした俺、こんな小娘相手になにを焦っている。そして、精一杯落ち着き払ったふりをして口を開く。ここは大人の余裕で、渋く決めるのだ。
「……基本的な操作については説明したとおりです。特に危険は無いはずですが、何かあったら、……そうですね、大きな声で悲鳴をあげてください。すべてモニタしてますから心配はいりません。それではよい旅を」
ハッチを閉じる前に、ひとつ敬礼をする。彼はもともとザビ家に支配された今の軍が嫌いであり、敬礼などどんなお偉方を前にしてもおざなりにしかしたことがなかった。はたして自分の敬礼は決まっているだろうか? 敬礼を真面目に練習をしたことがないことが、ここにきて悔やまれるとは。
「ありがとう。えっと、……ヤス・ニシカワさん?」
首からかけたIDカードを読み取ったのだろう。ヤザンナが思いっきり百点満点の笑顔で微笑みながら、自分の名を呼ぶ。呼ばれた瞬間、自分の体温が上がったのがわかる。顔が赤くなったかもしれない。10才の少女に名を呼ばれて顔を赤くする、ヤクザのような風体の男。ジオニックの下請け関連会社から出向してきたエンジニア、ヤス・ニシカワは、今の自分の姿を想像し、さらに体温が急上昇したのを感じた。
ヤスは、宇宙植民地サイド3を故郷とする者のひとりとして、スペースノイドは自治権をもつべきだと考えている。ゆえに、故郷であるジオン公国の政府が、強圧的な態度をくずさない連邦政府に対決姿勢を取ることには、反対してはいない。たとえ戦争になっても、仕方がないと思っている。たくさんの人が死ぬだろうが、今のままでは宇宙移民者は永久に搾取されるままだ。地球連邦という超国家機関は、人類の半分が宇宙に昇った時点でその役割を終えたのだ。連邦への引導をわたすことこそ、ジオン公国の役割なのかもしれない、と考えることさえある。
一方で、いまだに重力に縛られている人々よりも先進的なはずの我々の祖国が、公王制などという中世と見まごうばかりの古くさい国家体制をとっていることについては、それが独立戦争のための方便だと理解していても、我慢がならなかった。
たしかに、実質的にギレン・ザビが支配するようになってから、ジオンはあきらかに豊かになった。強引な軍拡政策はともかく、他の宇宙植民地との関係強化、独自の小惑星開発やエネルギー開発、木星船団の派遣など、ギレンの打ち出す政策は今のところ成功していると言っていいだろう。文句を付けようがない。連邦に依存しない経済圏の確立は、徐々に達成されつつある。連邦の経済制裁だけで青息吐息に陥ってしまったジオン・ダイクン主導の自治政府時代とは、比べるべくも無い。
だが、ジオン市民の中でもヤスのようなインテリ層の多くは、その矜持にかけて、ザビ家独裁をみとめるわけにはいかなかった。その一方で、ギレンの行う現実的な政策の数々は、確かに正しいものだと認めざるを得ない。圧倒的多数の大衆が熱狂的かつ盲目的にザビ家を支持するのを横目で眺めながら、若かりし日のヤスは、その矛盾に悩まされていたのだ。学生時代、世間に興味を示さず研究に没頭していたのは、現実逃避のためだったかもしれない。そして、ヤスと同じように悩んでいるジオン国民は、少数派ではあっても、その数は決して少なくなはなかった。
化け物だ……。
シミュレータに乗るヤザンナが操る仮想のザクの機動を目の当たりにして、ヤスはあきれるほかなかった。なぜ、あれだけ大量の、しかも相対速度が極めて大きなデブリの群れを、AMBACと最低限の推進剤だけで回避できるのか。モビルスーツが体の一部だとでもいうのか。
まずあきれたのは、ヤザンナが完璧にザクを制御していることだ。いくらメインコンピュータのOSによるサポートがあるとはいえ、はじめてモビルスーツに乗った少女が、あれほど滑らかな動きを見せることが信じられない。モビルスーツは非常に複雑なマシンだ。直接戦闘にかかわる操縦系統に限っても、それぞれのスラスター、各関節のモーター、エンジンの出力、火器管制等々、膨大な機能があり、その全てをパイロットがひとつひとつ操作することは難しい。特に戦闘中であれば絶対に不可能だ。したがって、それらの操作はコンピュータのアシストにより極限まで簡素化されている。
モビルスーツの操縦が乗馬に例えられることがあるが、それはおおむね正しい。騎乗した者と馬との物理的インターフェースは、手綱と両膝しかない。それにも関わらず、馬は人間の意志を正確に読み取り、複雑な機動をこなし、共に大規模な戦闘に参加することさえできる。ザクのコンピュータも同様だ。入力インターフェースは基本的には操縦桿とフットペダル、そしていくつかのパネルとボタンやスイッチだけ。操縦するパイロットはこれらを駆使して意志をコマンドとして入力、コンピュータが状況に応じて複数の動作を一連のものとしてスムーズに実行するのが基本だ。
だが、それを円滑に行うためには、パイロットは無限とも思われる操縦パターンを体に覚え込ませなくてはならない。それができないパイロットは、既に何人も事故により失われている。OSと駆動系が進歩すれば操縦がより簡単になるのはあきらかであり、現在ヤス達が忙殺されているのはそのためだ。だが、兵器としては発展途上にザクに急激な進歩を求めるのは、残念ながら現状では難しいことを自覚している。
それなのに、モビルスーツに初めて乗るというヤザンナは、ザクをほぼ完璧に動かしているではないか。
それだけではない。ヤザンナは単純な機動だけではなく、無重力下におけるモビルスーツの挙動についてさえ、完全に理解しているようだ。一般的に、訓練されていない者が無重力の中で思い通りに動くのは、簡単ではない。基本的な心得については、義務教育の課程にも組み込まれているとはいえ、すくなくとも宇宙移民者ならば、否応なくその難しさを経験したことがあるはずだ。しかも、仮想とはいえ、ヤザンナが操っているのは慣性質量数十トンに達する鉄の塊である。手足のモーメントやスラスターの推力、コンピュータによるアシストがあるとはいえ、瞬間的にその挙動を判断するのは専門のパイロットでさえ難しいはずだ。
モビルスーツ開発の初期から現場にいたヤスは、その過程で何人もの天才的なパイロットをみてきた。自分の所属する会社のテストパイロット(零細企業ゆえ、社長令嬢自らパイロットをやっていた)、ジオニック社の伝説的なテストパイロット、そして軍の研究所や教導大隊にも当然、数多くの天才とよばれるパイロットがいる。しかし、ヤザンナは彼らとは桁が違う。あれは、そうまるで何十年もモビルスーツに乗っていた人間、モビルスーツの動きが体に叩き込まれた人間の動きだ。
唖然とするヤスを尻目に、ヤザンナの神業はさらにエスカレートしていく。基地のトップパイロットが呼ばれ、人間同士の模擬戦闘がはじまったのだ。
そこからは、ヤザンナの独壇場だった。トップがまるで歯が立たない。遊ばれているようにさえ見える。
人間のパイロット同士の戦いは、単純なモビルスーツの操縦とはまた別の技術が必要になる。まったく異なるものといってもよいかもしれない。相手に対してどのように接近するか。どのような機動で相手を攻撃し、攻撃をさけ、あるいは逃げるのか。
素手の人間同士の戦いでも、単純に体力があり運動神経が優れている者が勝つとは限らない。相手に効率良く勝つために作られた武道の技を知ると知らぬでは、まったく結果が異なるだろう。モビルスーツによる戦闘も同様なはずだ。相手のモビルスーツに効率良く勝つための技が存在するだろう。またそれを防ぐ技もあるのだろう。教導大隊の任務は、それを編み出すことだ。だが、開発者もパイロットも、モビルスーツに関わる者はまだ誰もそれを知らない。ミノフスキー粒子散布下でのモビルスーツの戦闘など、人類の歴史上行われたことがないのだから、無理もないのだ。教導大隊においては、主に地球上の戦闘機や宇宙戦闘機の戦術機動マニュアルを参考にモビルスーツ独自の各種機動や戦術を研究しているが、本当にそれが正しいのか、実際に戦争が始まってみるまでわからない、……はずだったのだ。
だが、今ヤスの目の前で、わずか10才の少女が、その回答を示している。教導大隊が求めてやまない戦闘機動マニュアルを、その小さな体で具現化している。
ヤザンナの動きは、敵と自分の乗るザクの性能の限界を完璧に理解しているようにみえる。目視による近接戦闘をしながら、敵の機体の向き、さらにスラスターのノズルの向きまで把握し、動きをよんでいるようだ。信じられないことに、敵の機体の腕を使ったAMBACにともなうのマシンガンの銃口の向きの変化さえ見切り、攻撃を避けている。太陽や地球、月の位置を常に意識しているだけでなく、それを積極的に利用している。常に敵からみて最大限効果を発揮する鉛直方向にランダム加速を行い、モビルスーツのセンサーや人間の動体視力の限界をつく。
今の動きはなんだ? まさか、……敵の爆発のエネルギーにあえて機体をさらし、その爆圧を利用して逆方向に加速しようとしたのか? そんな事が実戦で可能なのか? そして、蹴り? 手足を使った肉弾戦など、プロトタイプによるテスト課程では確かに想定はされていたが、教導大隊で機体の破損を覚悟のうえで実際に試した者などいない。ヤザンナの駆使する戦術機動は、シミュレータの設計者が想定した範囲を超えている!
なにより恐ろしいのは、ヤザンナが明らかに戦い慣れしていることだ。ヤスは真面目な人間だが、その生まれついての風貌により、喧嘩をふっかけられることが少なくない。そして、気分によっては売られた喧嘩を買うこともある。その彼だからわかる。相手との間合い、駆け引き、はったり、……ありえないことだが、ザビ家のお嬢様は確かに喧嘩慣れしている。それどころか、この少女なら命をかけた修羅場でも笑って引き金を引けるのではないか? とさえ思える。目視による接近戦が前提の兵器であるザクの戦闘は、ある意味パイロット同士の喧嘩だ。技術面だけではなく、精神的にも相手を圧倒しているヤザンナが負ける要素はない。実際、彼女は戦闘中の敵の心理を完璧に読み切っている。読み切ったうえで、余裕を持って遊んでいるのだ。
信じられない。
あれは、フラナガン博士とかいう胡散臭い学者がたまにつれてくるちょっと異常な雰囲気の少年少女達とは、また違う力だ。もっと野生に近い、そう、野獣の本能を感じさせる力。もし、あの機動をザクのコンピュータに学習させることができれば、パイロット達の死亡率を減らせるのは間違いない。
ヤスはヤザンナのザクに、モビルスーツという兵器の未来をみた。モビルスーツの可能性を感じた。今、モビルスーツをあのようにあつかえるのは、彼女しかいない。だが、モビルスーツというマシンは、あそこまで出来るのだ。いつかは、誰もがヤザンナのように乗りこなせるマシンが完成するにちがいない。それを作るのは、俺だ。
もっとヤザンナを見たい。ヤザンナという少女をもっと知りたい。ヤスは、仮想の宇宙空間を彼が作ったザクで楽しげに跳び回る少女の姿を、食い入るようにみつめていた。
ヤスが地元の中堅作業機器メーカーに入社したのは、恩師の推薦もあったが、会社が研究所入りを約束してくれたからだ。彼が専門とするロボットの駆動系の研究開発を思う存分やらせてもらえるというのは、世俗に関心をなくしていたヤスにとって、なによりも魅力的な条件だった。パンフレットでは中堅メーカーだったはずが、入社してみると実際にはただの町工場に毛が生えた会社でしかなかったのには驚いたが、その家庭的な雰囲気は嫌いではなかった。なによりも、技術に関しては大企業にも決して劣ってはおらず、エンジニア達が古風な職人気質をもって仕事をしているのが気に入った。
だが、ジオン公国が戦争に向けた体制をととのえる状況において、彼の会社も否応なくそれにまきこまれていく。ジオニック社の下請けとして、モビルスーツ「ザク」の開発に関わることになったのだ。
最初は、モビルスーツが兵器だとは知らされていなかった。核融合エンジンを搭載し、独立駆動する巨大人型作業マシンの開発は、実にやりがいのある仕事だった。ジオニックのエリートエンジニア達を敵に回しての社内コンペに勝利した時は、実に爽快な気分だった。結局、ザクの駆動系はそのほとんどが、ヤスと仲間達が町工場で開発し、調整したといってもよい。
しかし、ザクはやはり兵器だった。表向きは作業マシンと言い張っていても、それに実際に関わった者の中で、それを信じている者はいない。ヤスはザビ家と彼らが支配する軍が大嫌いだった。ジオニックの本社工場のラインにのり、大量生産が開始されたザクをみて、ヤスの心境は複雑だった。教導大隊への出向を命じられたときも、軍で仕事をするなど絶対にイヤだと駄々をこねた。
「実際に人間が乗り込むものの最終調整を、おまえは大メーカーの連中なんぞに任せて平気なのか? 自分で作りあげたマシンを最後まで面倒見てやるのが真のエンジニアじゃねぇのか? 技術者なめんなよ!」
ヤスが出向を渋々承知したのは、オヤジのように慕う社長直々のあたたかくやさしい説得によるものだ。
そう、くどいようだが、ヤスは軍もザビ家も大嫌いなのだ。技術屋の誇りにかけて、ザクに関する仕事はきっちりとやっている。だが、ザビ家がきらいなのは教導大隊にきてもかわらない。かわらないはずだ。しかし……。
「たのしかったわ」
シミュレータを降りるヤザンナに、ヤスはおもわず駆け寄っていた。そして、彼女の手を取る。
「ありがとう」
天使のような笑顔。ヤスの目には、少女の後ろに後光がさしてみえる。彼が半生をかけて作り上げてきたザクを、まるで神のごとき操縦技術をもって完璧に乗りこなして見せたヤザンナは、彼にとって文字通りの天使だ。
だまされるな。
ヤスの本能がささやく。これはザビ家による人心掌握のための狡猾な陰謀だ。こんなことでだまされては、ザビ家の末っ子の優男にむけキャーキャー歓声をあげるミーハー娘達と同じではないか。既に基地のパイロットや同僚のエンジニア達の多くはヤザンナに魅入られてしまったようだが、俺は、俺だけは大衆とは違う。断じて違う。違うんだ。
数日後、公王府よりジオニック社に対してヤザンナ専用のザクの製作についての打診があったと聞いたヤスは、一も二もなく手をあげた。公私に関係なく築き上げてきたコネというコネをすべて動員し、チームの一員に加えられるよう全力をつくした。基地の上層部や社長に直談判するだけではなく、モビルスーツの産みの親とも言われるジオニック社のエリオット・レムにすら、土下座する勢いで頼み込んだ。こわもてヤクザの顔をしたヤスの必死の哀願に、旧知の間柄であるレムは苦笑いしながらも善処を約束してくれた。
はれてジオニック社への逆出向の身となったヤスのデスクには、ヤザンナを中心として基地のエンジニア達が写った写真が飾ってある。彼は、実機の少女用のコックピットを手作業で組み上げながら、このザクにヤザンナが乗り込み、神のごとき機動を見せてくれる日のことを、ひたすら夢想している。
写真の横に飾られているのは、ピンクのバラ。ヤザンナが基地を訪れた数日後、お礼にと公王府から花束が贈られてきたのだ。それにコーティング処理を施し、基地の仲間でわけた一輪のピンクのバラを見ながら、ヤスは独り言をつぶやく。
専用ザクは、やっぱり蛍光ピンクだよなぁ。
彼の夢は、数ヶ月後にはかなうことになる。
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2011.03.27 初出
2011.04.17 ちょっとだけ追加
2011.06.19 日本語のおかしなところを修正