ヤザンナが地球に降下してから約半年後
宇宙世紀0079 9月 南米大陸 ジャブロー
ジオン軍による衛星軌道からの定期的な爆撃は、目標であるジャブローに対して実質的な被害を与えていないという点において、単なる嫌がらせの域を脱してはいない。広大なアマゾンの密林地帯は相変わらず人を寄せ付けぬ秘境であり、ぶ厚い岩盤に守られた地下空間に隠されたジャブローは相変わらず地球連邦軍全軍の指揮機能を維持している。
もっとも、このような爆撃をどれだけおこなってもジャブローを破壊することが困難であることは、ジオン軍も承知している。たとえジオンが保有する戦略核弾頭をすべて投下しアマゾンを焼き払ったとしても、内部に侵入して直接攻撃しないかぎりジャブローは陥落しないだろう。もともと、純軍事的な意味などそれほど無い、政治的な効果を狙った攻撃だ。戦争は膠着状態に陥っているが、ジオンはジャブローをおとし連邦を屈服させることを決してあきらめはしないということを、敵味方双方に意思表示するための攻撃なのだ。
連邦軍兵士からは定期便ともよばれている本日の爆撃が終了した後、目標とされた半径数キロ四方一帯は、文字通りの荒野であった。数世紀前には世界で最も豊かな動植物相を誇っていた密林は、一瞬でなぎ倒され炭化した熱帯性樹木の痕と動物たちの無残な亡骸が散乱し、網の目のような大河の支流は流れを変え、月面のような大小のクレーターが残るのみだ。
爆撃の後、上空は熱帯雨林特有の厚い雲に覆われた。それを見計らったかのように、密林の一部がその下の土壌ごと静かに横に滑りはじめ、大地に巨大な人工的で幾何学的な形の穴がゆっくりと開く。無数にある宇宙船ドッグの出入り口のひとつだ。爆撃の被害を逃れた派手な色の鳥たちが、けたたましい鳴き声を発しながら飛び立つその横を、巨大な宇宙戦艦がゆっくりと上昇をはじめる。
「ペガサス級強襲揚陸艦2番艦『ホワイトベース』。君が待ち望んだ艦がついに出航だ」
ドッグの中、上昇していくホワイトベースを見送りながら、地球連邦軍のゴップ大将が感慨深げにつぶやいた。隣に立つレビルが、それに答える。
「モビルスーツ運用のための改装に思いのほか時間がかかりましたが、RX-78の完成にはなんとか間に合いましたな」
「ああ。あのモビルスーツとホワイトベースには、君の言うとおり金も時間も人手も惜しまずに投入したからね。……だが私はね、今でも疑問に思うのだ。果たして、アレにそれだけの価値があったのかとね」
レビルには、ゴップの言いたいことが理解できる。
今次大戦の緒戦において、ジオンのモビルスーツにより連邦軍は大敗を喫した。もともとジオンの本拠地である宇宙はもちろん、我らの母なる大地までもが、連中のモビルスーツによって蹂躙されている。地球圏全域から独裁者を駆逐するためには、連邦もモビルスーツを開発運用するしかない。これは確かだ。
だが一方で、宇宙での戦いはともかく、とりあえず我らの地球からジオンを追い出すだけなら、高価で時間のかかるモビルスーツの開発を待つよりも、既存の兵器を大量にそろえて力押しをしたほうが、少なくとも政治的には効果があるのではないか、との懸念は、連邦政府内に広く共有されている。連邦軍はモビルスーツとそのキャリアの開発・量産体制の確立に全力を尽くしているため、ジオンに対する反撃は大幅におくれている。そのおかげで、直接ジオンの脅威にさらされている地域では連邦軍と政府に対する不信が吹き出しているらしい。ジャブローのモグラ共は我らを見捨てたのか、と。
実際、いつまでたっても反攻作戦を発動しない連邦政府に業を煮やした欧州連合は、ついにマ・クベの圧力に屈し、無防備宣言を発してしまった。欧州はコロニー落としの直接の被害をうけず、ジオン公国に対してそれほど強い反感がないこと、さらにもともと太平洋地域の旧大国に支配された連邦政府に反感をもっていたことに加え、全地球的な規模の食糧不足に対して、無傷の宇宙植民地の経済力をいかし、マ・クベが大規模な援助をちらつかせたことが決定的だった。もっとも、無防備宣言といってもジオンによる占領を認めたわけではなく、連邦軍を欧州地域から追い出しただけの実質的には中立宣言であり、援助だけ引き出して連邦とジオンを両天秤にかけているとも言える。1000年以上にわたって血なまぐさい戦乱と陰謀を身をもって経験してきた欧州は、さしものマ・クベといえども、一筋縄ではいかない相手だ。だが、この状態が長く続けば、連邦からの離脱、そして単独講和という最悪の結果も考えられるだろう。混乱の続くアフリカ諸国も後を追うかもしれない。
「宇宙でのギレンの覇権は日々強固になっており、その経済力や軍事力は近いうちに連邦をも凌駕するでしょう。一時的にマ・クベやガルマ・ザビを地球から追い出したところで、ぐずぐずしている間に今度はルナツーを落とされて終わりです」
レビルは、ジャブローの同僚や政府のお偉方に対して、何度も何度も同じ話をしてきた。それに対して、ゴップもいつもと同じ答えをかえす。実際に口に出さないと、不安になるのだ。
「地上のジオンを無視し、モビルスーツを開発し宇宙に打って出るという君の作戦は、政府にも軍にも反対が多い。正直言って私も多少疑問を持っている。だが、もっともジオンを知る君の意見を、私は尊重するべきだと思うのだ」
軍高官の中でレビルを積極的に支持しているのは、ティアンムなど前線で実際にジオンと戦っている者だけであり、所謂ジャブローのモグラ共の多くは一度はジオンの捕虜となったレビルを決して快くは思っていない。にもかかわらず、レビルがジャブローにおいて大きな発言力をもっていられるのは、消極的とはいえゴップ大将が味方であることが大きい。月やサイドを拠点とする企業と関係が深いと言われるゴップとしては、宇宙を重視するレビルの味方をするのは単に自分の利益のためなのかもしれないが、レビルにとってはありがたいことには違いない。
「パオロ・カシアス艦長は優秀です。かならずやRXシリーズを使いこなしてくれるでしょう」
レビルは、衛星軌道にのるべく猛烈な加速を開始したホワイトベースのエンジン光を見上げながら、口の中でつぶやく。
ここまでくるのに半年かかった。だが戦争はあと半年も続かないだろう。長くても一年。それを過ぎれば、欧州・北米と宇宙植民地を取り返さぬ限り、連邦の経済は破綻してしまう。ゴップ大将にはいつか借りを返さねばならんが、一年後、彼が愛するジャブローが、いや地球連邦そのものが残っているかどうか、確率は五分というところか。
同日 ジオン突撃機動軍 巡洋艦ザンジバル
「どうやら連邦軍の新型戦艦のようだな」
南米大陸を見渡す静止軌道上の偵察艦より、ジャブロー付近から同時に発進し軌道に投入された多数の大型飛翔体のひとつが我が艦隊の進路を横切るとの通信をうけた際には、どうせ赤外線を派手にまき散らかすだけのいつもの囮衛星だと考えていたのだが。近づいてみるととんだ大物だ。
彼が乗るのは、ザンジバル級巡洋艦のネームシップである。彼と彼の任務のために、特別に改装された艦であり、充分に追いつけるだろう。
艦長になって数ヶ月、自分で望んだ任務とは言え、少々退屈な日々が続いてた。シャア・アズナブル大佐は、久しぶりの戦闘の予感に、おもわず口元を緩める。
「行き先はサイド7のようですが、追いますか?」
副官のマリガンが、キャプテンシートをふり返り尋ねる。
「当然だ……と言いたいところだが、今回の任務はあくまでも新型モビルアーマーのテストだ。一応艦隊司令に確認するべきだろうな」
オペレータに旗艦への通信を指示しつつも、シャアは確信していた。艦隊(といっても二艦だけであり、しかも旗艦は視察の名目で無理矢理ついてきただけなのだが)を率いるキシリア・ザビ少将は、連邦の新型戦艦という大きな餌に、かならず食い付くだろう。
「シャア、連邦の新型戦艦を追うぞ」
こちらから問いかけるまでもなく、命令を発したのはキシリアの方からであった。
「しかし、ザンジバルにはテスト中の機体が搭載されています。貴重なパイロットも含め、今の段階では出来れば戦闘に巻き込むべきではないと考えますが」
「テストは終了したのだろう? 私のグワジンに移しそのままグラナダに返せばよい。ザンジバルだけで追うぞ。私もそちらに移る。シャア、私に力を貸せ」
やれやれ。少将閣下はよほど手柄を焦っていると見える。確かに、この時期に新型戦艦が開発中のサイド7コロニーに向かうというのは、なにか大きな裏があるに違いないのだが、それだけに危険もあろう。ザビ家の少将閣下自らが出向くこともあるまい。
……まあ無理もないか。シャアは仮面の下で口の端を僅かにつり上げる。キシリアがここまで追い詰められたのは、シャアが原因だと言っても良いのだ。
数ヶ月前。
ヤザンナを守り共に地球に降下したシャアは、アナハイムの手引きにより一足早く本国に帰還した後、キシリアの元を訪ねた。
驚いたのはキシリアである。ほんの数日前まで、ヤザンナとランバ・ラル、そして救出に向かったシーマとシャアは大気圏突入で燃え尽きたと信じていた。だが、ヤザンナは生き残り、アナハイムの治療の結果すでに生命の危機は脱したという。先日ガルマに保護されたとのことなので、いずれ本国に帰還するのだろう。ギレン総帥は、ヤザンナが生きていたことをかなり前から知っていたらしい。
さらに、目の前に現れたシャア・アズナブルは、キシリアの陰謀に関する決定的な証拠を握っているという。
「……ヤザンナを守ってくれたそうだな。礼を言う」
キシリアのオフィスの中、敬礼をしたままのシャアに対して、キシリアは抑揚のない声をかける。自分では冷静さを装っているつもりだが、少し声がうわずったかもしれない。呼吸を整え、唾を飲み込む。表情を隠すため、マスクで顔を覆う。
「いえ、当たり前のことをしただけです」
この若者は、なぜこのように冷静なのだ?
「……さきほど、ガルマから連絡があった。地球にいるヤザンナが目を覚ましたそうだ。しばらくは寝たきりで、ジオンに帰国するのはリハビリが終わってからになるだろう」
シャアが微笑んだのがわかる。まさか本当に、好意のみからヤザンナを助けたのか?
「だがな、ガルマによると、ヤザンナには被爆前後の記憶に障害があるらしい。グラナダでのテロや地球降下については、全くおぼえていないそうだ。放射線被曝の治療の副作用では、良くあることらしいが」
シャアは一瞬息を飲み、ふたたび微笑む。そして口を開く。
「それは……。もし本当ならば、ヤザンナ様にとっては幸運なことかもしれません。……キシリア閣下にとっても、そして私にとっても」
マスクに隠されたシャアの目が光ったような気がした。切り札を持っているのは、自分だけだと確信しているのか。キシリアの背中を、冷たい汗がつたう。体がこわばる。……緊張する必要など無いのだ。相手はたかが少佐だ。ザビ家の一員であるキシリアがその気になれば、簡単に抹殺できる。
「おまえの耳にも入っているだろうが、ドズルの命は長くはないそうだ。もって数日とか。地球降下作戦が一段落した後なのは幸いだったが、……これでお前に後ろだては無くなるわけだ」
だが、シャアは全く動じる様子がない。あくまで冷静なままだ。
「実はここに来る前に、ギレン総帥とお会いしてきました」
「……兄上と何を話したのだ?」
「ジオン公国の未来についてです」
シャアは、自分から駆け引きのカードを見せる気は、決してないのだろう。キシリアは、自分が圧倒的に不利な状況にあることを、改めて自覚させられた。
「……要求はなんだ?」
緊張に耐えきれず、直接的な表現で切り出す。
「私と私の部下、そしてシーマ・ガラハウ少佐の安全を保障していただきたい」
「それだけか。欲がないな」
キシリアは、止めていた息とともに、正直な感想を吐きだす。表情を隠すマスクの上からでも、彼女の緊張が解けたのがわかる。だが、シャアの話はまだ続いていた。
「それから、フラナガン博士の機関とニュータイプ部隊を私にお任せいただきたい」
キシリアの体がふたたび硬直する。ニュータイプ部隊は、キシリアにとって切り札であった。国内において圧倒的な権力基盤を固めつつあるギレンには、政治的な正攻法ではどうやっても太刀打ちできない。軍内部の権力闘争においても、地球で着々と実績を重ねつつあるガルマやマ・クベにさえ差を付けられている。キシリアには、一発逆転しか方法がない。そのため、ジオン・ダイクンの理想を具現化したエリート部隊により戦争中に圧倒的な戦果を上げ、その実績をもって戦争終結後にはスペースノイドを扇動する道具として利用しようと、ニュータイプ部隊を設立したのだ。
黙ったままのキシリアにかまわず、シャアは続ける。
「失礼ながら、キシリア様のもとでは、ニュータイプの能力を活かす兵器の開発に手間取っているとききます」
「おまえなら出来るというのか?」
「おそらく。資金の調達も含めて」
アナハイムか! すでに、そこまで話がついているというのか。
「ギレン総帥も、了解しているのか?」
「はい」
キシリアは、体の力が抜けていくのが自分でわかった。ジオン国内における自分の未来への扉が、目の前の若造によって閉じられたのだ。
「……わかった。フラナガン機関を任せるというのなら、私の突撃機動軍に移籍することになるだろう。シャア・アズナブル……大佐でよろしいか?」
シャアは黙って頷く。ドズルがあの状態なら、移籍に異論を出す者はおるまい。ヤザンナを救ったということで、昇進にも問題はないだろう。なにもかも計算通りというわけか。だが、このままで終わるのは、キシリアの矜持が許さない。この期に及んではただの負け惜しみでしかないのはわかっているが、ひとこと言わずにはいられなかった。
「シャア。私が失脚するときは、おもえも道連れだ。決してそれを忘れるなよ、……キャスバル・ダイクン」
やはりシャアは全く動じなかった。そして、キシリアがこれまで見た中で最も美しい、おもわず見とれるような敬礼を返す。
キシリアは、護衛のザクと共にシャアのザンジバルに乗り込んだ。そして、連邦の新型戦艦を追うため、サイド7にむかう。本来ならばソロモンを拠点とする部隊の任務であろうが、ギレンが直接口を出さぬ限り、ドズル亡き後のソロモンにはキシリアに直接反論する者はおるまい。
ザンジバルのブリッジ後方に専用席を用意させたキシリアは、指揮をとるキャプテンシートのシャアを見つめる。連邦戦艦の目的がなんであれ、これだけのザクに赤い彗星までついているのだ。仕留めることは容易かろう。
同日 北米大陸東岸 ジオン軍北米司令部
ヤザンナのリハビリは順調に進んでいる。すっかり弱ってしまった筋肉も、日常の生活では支障がないほどに回復した。ただ、被爆から大気圏突入にいたる事件についての記憶は、いまだ失われたままらしい、……あくまで本人の言によればだが。
「ガルマ叔父様、そろそろ私、モビルスーツにも乗れると思うの」
あれだけの目にあって、まだモビルスーツに乗りたいのか。半ばあきれながらも、ガルマはヤザンナがそう望むことは予想済みだった。確かにリハビリの一環にもなるであろうし、戦闘にならないかぎりそう危険なものでもない。
さらに、ヤザンナの病状については、本国の国民も大いに興味があるところらしい。身内を戦意高揚のために使うのは少々心が痛まなくもないが、モビルスーツに乗ったヤザンナの姿を公表すれば、国民も安心するだろう。
「ヤザンナ、おまえのために新型を用意した。みろ、これがMS-07グフ、ヤザンナ専用機だ」
得意げなガルマの視線の先には、一機の人型機動兵器が立っている。つい最近実戦配備が始まったばかりのこの新型モビルスーツこそ、真の漢のマシン、MS-07グフだ。
「こっ、これは……」
ヤザンナは声も出ない。ヤザンナの目の前に立つ無骨なモビルスーツの全身は、もちろん蛍光ピンクに輝いていたのだ。
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2010.05.04 初出