アナハイムシティの天候は、地上の争乱の度合いに比例して悪化しつつある。数時間前から雨が降り始め、強風が舞っている。
「全てのゲートが、突破されるのは時間の問題です」
連邦軍部隊とともにゲートを守る警備員から、騒然とする病院の待合室で指揮をとるウォン・リーの携帯無線機に連絡が入る。
集まった避難民は、既に数万人の規模になっていた。広大なアナハイム本社工場の敷地を取り囲む彼らに、他にいく場所はない。ジオンと連邦の地上戦から逃れるため、ケガや伝染病を治癒するため、家族に雨風をしのぐ場所と食糧を与えるため、そして彼らをこのような境遇に陥れた張本人であるザビ家に復讐するために、彼らは力づくでゲートの突破をはかり、守る連邦軍兵士と小競り合いが始まっている。連邦軍兵士は、同胞である避難民に対してまだ一発も発砲してはいない。だが、その忍耐もいつまでつづくのか、兵士達自身も自信がなかった。
「やむを得ん。裏のゲートだけ、破られる前に開放しろ。大規模災害時の避難民受け入れマニュアルに従って、非常用の食糧を支給してやれ。人間、腹がふくれればとりあえずは落ち着くものだ。残っている社員の大部分は地元の人間だから、大きなトラブルもないだろう」
裏ゲートが開かれると同時に、フェンスの向こうの避難民の群れは、全体としてそちらにむかって少しづつ移動をはじめた。今のところ、それなりに秩序は保たれている。
裏ゲートは、正門にある病院からは最も遠い。仮に裏ゲートから広大な工場敷地を横断して病院を目指す避難民がいたとしても、殺到してくるまでには時間がかかる。問題は、ジオンへの復讐心をなによりも最優先とし、いまだに病院めがけて正面ゲートの突破を狙っている連中だ。正門が突破されれば、ものの数分で病院に突入されてしまう。そして、そのような過激な連中の数は、正門前に限ればほとんど減ってはいないように見える。このままでは時間の問題かもしれない。
ヤザンナを守らなければならないウォン・リーの選択肢は二つだ。このまま病院に立てこもるか。それとも敷地の外に逃げ出すか。
「VTOLを病院前の広場におろす。逃げるぞ」
ウォン・リーは、瀕死のヤザンナを動かすことに強硬に反対する医師達をなだめ、移送の準備を始めさせた。その足で、同じく待合室に臨時指揮所を置く連邦軍守備部隊の指揮官の元に足をはこぶ。だが、医師達とはことなり、指揮官の少佐はウォン・リーの提案に首を縦にはふらなかった。それどころか、任務自体に疑問を呈しはじめる。
「我々は撤退する。これ以上、私の部下を危険にさらすわけにはいかない」
「……少佐、そう言わず、もう少しだけ守ってくれないか。VTOLに乗り込むまででいい」
「病院の建物を出た途端、武装した連中はフェンスの金網越しに撃ち始めるぞ。興奮した避難民達がゲートに殺到したら、我々だけでは侵入を止められない」
少佐はあきらめ顔で吐き捨てる。彼の任務は、進駐してくるジオン軍に対し、ヤザンナを引き渡して降服すだけのはずだった。もともとこんな危険な状況は想定されてはいない。あれだけの数の避難民を相手にするには、人数も装備も全く十分とは言えないのだ。
もちろんウォン・リーも引き下がるわけにはいかない。執拗に食い下がる。
「それはわかっている。だが、このままでは病院を戦場にしたあげく、最悪の結果が待っているだけだろう。君たちの任務を最後まで果たすべきじゃないのか?」
少佐は『任務』という単語にぴくりと反応すると、ウォン・リーを睨みつけた。
「任務? 任務だと? 連邦市民に銃をむけ、力づくで排除するのが我らの任務だというのか? ジオンの娘をまもるために」
彼ら連邦軍は、この戦争が始まって以来、ほぼ負けっ放しである。彼らの守るべき市民は、信じられないほどの数が殺されてしまった。守るべき国土は独裁者の軍によって蹂躙され、守るべき国家は存亡の危機に陥っている。自由と民主主義を擁する地球連邦の軍人であることを誇りとしてきた少佐にとって、これは耐え難い現実だった。そのうえ、連邦市民を敵と見なす『任務』だと?
「こんな馬鹿な任務があるものか。そもそも、このバカバカしい状況は、ジオンとアナハイム社のせいで起こったことなのではないか?」
一度本音が口から出てしまうと止まらない。軍人として言ってはならぬ事が、堰を切ったように声となって流れ出す。
「なぜ我々連邦軍が、宇宙人の仲間の命令をきかなければならないのだ? やってられるか!」
ウォン・リーも負けてはいない。連邦軍人としての少佐に守るべき誇りがあったように、地球圏の経済をささえていると自負する巨大企業アナハイムエレクトロニクス幹部としての彼にも、背負う物があるのだ。
「田舎軍人が言ってくれるじゃないか、少佐。アナハイムを舐めるなよ。なんならジャブローから直接命令させようか?」
「できるものならやってみろ!」
売り言葉に買い言葉の応酬によりアナハイム社員と連邦軍兵士の緊張が高まる中、ひとり醒めたシーマ・ガラハウが、よこから取りなす。
「ねぇ少佐、どちらにしろもうすぐジオン軍がここに来るのは、あなたもわかっているんだろう? その時、あの娘が生きていなければ、ここにいる連邦市民は報復のため皆殺しにされるんじゃないのかい?」
「……くっ」
連邦軍指揮官は唇を噛む。反論できないのだ。宇宙人共なら、非武装の避難民を虐殺するくらい平気でやるだろう。そして、その虐殺のきっかけとなりかねないヤザンナを守ることが出来るのは、彼と彼の部下達だけだ。
シーマは少佐の両手を握り、正面からまっすぐに顔をみつめる。
「少佐、連邦軍は正義の軍隊なんだろ。少女ひとり守りきれなくてどうするんだい。やっておくれよ」
正面から至近距離で見つめられ、まだ若い少佐は顔を僅かに赤らめ、おもわずシーマから目をそらす。ここを勝機と見たウォン・リーが、たたみかける。
「あの小娘さえ無事ならば、ジオンの連中には、市民にも連邦軍にも決して手を出さないように約束させる。だからここは頼む、少佐」
「……わっ、わかった。出来る限りのことはする」
大量の避難民達がフェンス越しに見守る正門ゲート前の広場、甲高い金属音を巻きらかしながら、アナハイム社所有のVTOLが降下する。同時に、病院の前には病人搬送用の大型救急車両が横付けされる。
『逃げるのか?』
避難民達の興奮がみるみる高まっていく。ストレッチャーごと救急車に運び込まれたヤザンナを見守るウォン・リーにも、それはわかった。
「……寝食にも困っている連中が、空に逃げようというのをわざわざ追っては来ないだろう」
だが、少佐は安心してはいない。
「狂った暴徒を舐めない方がいい。彼らに理屈は通用しない。しかも数が多すぎる」
フェンスの向こうから投石が始まる。さらにこちらにむけて小銃が発砲される。どちらもこの距離では直接の影響はないとはいえ、圧倒的多数の人間から一方的に凄まじい敵意を向けられるという状況は、大きな心理的圧力となる。ヤザンナにつきそう医師は、足がすくんで動けない。
「しかし、VTOLに乗り込むまでほんの数分だ。そして、離陸してしまえば連中も手を出せまい……」
ヤザンナと医師、そしてシーマを詰め込むと、車はゆっくりと走り出す。乗り込めなかったウォン・リー、そしてヤザンナを守ることを任務とする連邦軍兵士達は、車の周りを自分の足で走る。解放した裏門を守っていた兵士も合流し、合計100名ほどが車を囲む。
むさ苦しい兵士達と共に全力疾走をしながら、ふとゲートの方向を見たウォン・リーは、思わず足をとめた。
「……何を、するつもりだ」
敷地前の道路に乗り捨ててあった物なのだろう、避難民のひとりが運転する大型のトレーラーが、ゲートにむけてまっすぐ突っ込んでくる。ゲートをまもる連邦軍兵士達は、この期に及んでも発砲を躊躇、結果として突入を許してしまう。
轟音と共にゲートが破壊される。同時にトラックはコントロールを失い、あろうことかエンジンが回ったままのVTOLの機体に向かう。急ブレーキの音に引き続き、衝突の金属音。その数瞬後、漏れた燃料に火がつき、大爆発が起こる。ゲートの周りの暴徒は、一気に騒然となる。
行き先をうしなった救急車は停止。ウォン・リーが唖然と見守る視界には、破壊されたゲートを通過し、こちらに向かって殺到する無数の暴徒が映る。
何人いるのだ? 千、いや一万人? しかも、みんな手に凶器を握っているじゃないか。
「にっ逃げよう、はやく!」
政治やビジネスの修羅場なら何度も経験してるのだろうが、所詮は民間人、まだ場数は踏んでいない。慌てふためくウォン・リーを尻目に、少佐は冷静に周りをみる。前からは暴徒の群れが殺到している。後ろは病院で、逃げ道はない。
「だめだ、逃げ場はない。この場所で車を守るのだ」
「しかし、……ならば早く撃て。その銃は飾りか」
一部の兵士達も、ウォン・リーに同意したように少佐の顔を見る。撃たねば守りきれる自信がないと、目で訴える。だが、少佐は毅然として言い放った。
「だめだ。我々は地球連邦軍だ。連邦市民に銃を向けることは許されない」
連邦法や連邦軍の規則では、治安維持のためやむを得ない場合は、たとえ連邦市民相手でも火器の使用は認められている。実際、コロニー落とし後の大混乱にともない、無政府状態に陥った地域で生き残った市民に対して連邦軍が武力行使を行った例は、世界中でいくらでもある。今回の任務に関しても、特に例外扱いする命令はなされていない。しかし、こんなくだらない任務のために、連邦軍人としての自らの誇りを捨ててしまうことは、少佐には耐えられないことだった。ほどなくやってくるであろうジオン軍の宇宙人達に、せめて連邦軍の意地を見せてやりたかった。
「不可能だ! いったいどうやってあの小娘を守るのだ?」
少佐はにやりと笑う。
「なに、簡単なことだ」
そして、周りの兵士に対して大声で命令を下す。
「みんな聞こえるな! 我々はこれより、盾になる。車をかこめ!!」
車の窓から外を覗くシーマの視界の中に見えるのは、至近距離で車を取り囲む連邦軍兵士の背中だけだ。兵士達はフル装備だが、銃を構えてはいない。スクラムこそ組んでいないものの、隙間無く何重にも輪になり、外側の暴徒達を威嚇している。シーマは子どもの頃に読んだ動物記を思い出す。狼の攻撃から子どもを守るバッファローの群れだ。たしか、狼たちの執拗な攻撃によりバッファローの守りは少しづつ切り崩され、最終的に子どもは食われてしまったはずだ。そのうえ、今ヤザンナを狙う暴徒の群れは、狼の群れとは異なり、守る兵士よりも圧倒的に数が多い。シーマは、自動小銃に手をかける。自分は連邦軍人ではない。連邦市民は、彼女にとって敵なのだ。
連邦軍兵士のもっとも外側では、凄惨な光景が繰り広げられていた。火器こそ使わないといっても、兵士達は屈強であり、襲いかかる暴徒達に対して無抵抗をつらぬくほどお人よりではない。素人である暴徒が正面から襲いかかっても、少なくとも一対一では負けることは無いはずだ。だが、暴徒は手に手に凶器を持っている。石やコンクリート片ならまだましで、刃物や小火器を持つ物も少なくはない。さらに、そもそも一対一でなく、兵士は数人同時に相手にせねばならない。そのうえ、暴徒は後から後から無限に襲いかかってくるのだ。遠くからの投石も、当たり所が悪ければ致命傷になり得る。さらに、拳銃や猟銃などを持つ者は、仲間への被害もかまわず引き金を引きまくる。
兵士達は、ひとりまたひとりと倒れていく。狂気と暴力と死がうずまく異常な空間の中、彼らは誇りを守るためだけに戦い続ける。だが、一人を倒しても、倒れた仲間の体を踏みつぶして次の暴徒が襲いかかる。兵士に殴られ戦意喪失した者でさえ、後ろの別の暴徒に踏みつぶされる。兵士と暴徒の衝突そのものによる死者よりも、踏みつぶされ圧死した者の方が多いかもしれない。すでにアスファルトは血と肉と骨で埋め尽くされ、その上で血みどろの殴り合いが続いている。そして、連邦軍の守りの輪は少しづつ確実に縮まり、暴徒の手は確実にヤザンナに近づきつつある。
俺は、自分の誇りのために、部下を死なせてしまっているのか? あるいは、初めから火器を使い、過激な者を一気に一掃して戦意を喪失させてしまった方が、市民の被害は少なかったのではないか? 少佐の頭の中を、後悔がよぎる。
車を守る兵士の輪がさらに縮まり、暴徒の最前列が車のそばで指揮を執る少佐から手の届きそうな距離まで近づいた。兵士はのこり僅かだが、暴徒はまだ数千人規模で残っているように見える。
このままでは、兵士は全滅し、ジオンの娘は市民になぶり殺しにされ、その報復として市民は皆殺しにされてしまう。ジオン軍の連中はいったい何をやっているのだ、早くおまえらの姫を助けに来い!
その時、少佐の目の前の救急車のドアが突然開いた。中から出てきたのは、病人用の毛布をかぶったシーマ・ガラハウだ。毛布のため顔は見えないが、長い髪がはみ出している。どこに隠していたのか、上半身だけジオン軍の制服を着ている。ヒールは既に脱ぎ捨てている。
「なんのつもりだ?」
「なに、ほんのちょっとだけサバをよんでみようと思ったのさ」
「……身代わりになろうというのか?」
少佐は、車の中でいまだ昏睡状態にあるヤザンナの顔を思い出す。あどけなさの残る少女だった。そして、シーマの顔をしばし見る。
「さすがにちょっと、いや、かなり無理があるんじゃ……」
「おだまり!! どうせ連邦市民はヤザンナ様の顔なんて知らないんだろう?」
たしかにそうだ。おまけに、いま連邦軍人に襲いかかっている連中は、極度の興奮状態で、血の臭いに酔い、狂っていると言っても良い。包囲の輪から女性が逃げだそうとすれば、それが目標の娘だと思い込み追ってくるだろう。
「……確実に死ぬぞ。それもなぶり殺しだ」
「運が良ければ、ザビ家のおぼっちゃんが間に合うだろうさ」
少佐がウォン・リーの顔を見ると、彼はだまって頷く。彼女はアナハイムの社員ではないのか?
「わかった、俺もいく。ドライバー、車の前方の暴徒が減ったら、強引に発車しろ」
少佐と毛布をかぶった少女(?)が、後ろから兵士の輪を抜け最前線に立つ。一瞬、暴力がやみ、暴徒の視線がふたりに集中する。新たな目標を得た暴徒達が少女(?)に殺到しようとした瞬間、毛布の中から乾いた銃声が連続して響き、前にいた暴徒数人の体が蜂の巣にされる。シーマが自動小銃を乱射したのだ。
「なっ、なぜ撃った!!」
「あいにく私は連邦軍じゃないのさ。それに、おとりになるなら派手にやらないとね。ほらほら、今の音につられて、すべての暴徒がこちらに向かってきたよ」
言うが早いか、シーマは走り始める。前方に立ちふさがる暴徒をすべて蜂の巣にしてなぎ倒し、進める道を切り開く。ヤザンナを生かすため、可能な限りバカな暴徒を引きつけて、可能な限り遠くまで走り、そして可能な限り長く生きるのだ。
シーマの目の前に広がるのは、血と肉の壁だった。撃っても撃っても、暴徒の数は全く減ることはない。狂っていると言っても、所詮は一般人。さすがに銃口を直接向けられた者は怯み、シーマに命乞いをはじめるが、その後ろから次から次へと迫ってくる別の暴徒による物理的な圧力で、シーマに襲いかからざるをえない。血の臭いは平気だが、360度すべてから感じる凄まじい憎悪と敵意には、吐き気がする。
引き金を引くが弾が出ない。弾切れだ。まだ数十メートルも進んではいない。マガジンを交換しようとした隙に、暴徒の接近を許す。髪をつかまれ、引きづり倒される。銃を取り上げられ、顔を殴られる。口の中が切れる。腹を蹴られる。呼吸が出来ない。仰向けに倒され、赤くなった視界の中、コンクリート片が頭に向けて振り下ろされるのが見える。これは死ぬかなと思った瞬間、連邦軍の制服が上から覆い被さる。
「……ありがとうよ、少佐」
少佐の体重以上に、凄まじい圧迫を感じる。何人に蹴られているのか。少佐の体越しに、激しい衝撃が間断なく続く。いったい何で殴られているのか。少佐が口から血を吐きながらささやく。
「これを機にお近づきになりたいものだが、……あんたジオン軍の兵士なんだろう」
「ああ。黙っててすまないね。手榴弾はあるんだろう? タイミングを見計らって自爆しておくれよ」
「俺はもうダメそうだが、心中はごめんだ。……聞こえないか? 仲間が間に合ったみたいだぞ」
上空から響くエンジン音。見上げる避難民達のすぐ上を、巨大で不格好な航空機が低空でとおり過ぎる。開かれたハッチから、無骨な人型機動兵器が次々と飛び降りる。巨体が着地する度に、地響きが鳴り響く。スラスターによる猛烈な爆風で、人が枯れ葉のように舞い上がる。アナハイム社の敷地の中、避難民を踏みつぶすことなどまったく厭わず、人型機動兵器は暴徒達の中心を目指して歩を進める。圧倒的な大きさと力を具現化したしたモビルスーツの群れを前に、小火器しかもたない暴徒達は逃げ惑うことしかできない。
兵員輸送用のヘリとVTOLが次々と広場に着陸し、フル装備の兵士達がはき出される。モビルスーツによって散らされた暴徒をかき分け、彼らは一点を目指す。ヤザンナの乗った救急車だ。いまだに事態の急変が飲み込めない一部の暴徒とジオン兵の間で、小競り合いがはじまる。
「ヤザンナの確保が最優先だ。バカ者! 撃つな。民間人を撃つんじゃない。連邦軍の兵士の前で、私に恥をかかせるのか!」
幕僚と共に地上に降り立ったジオン軍の北米司令官、ガルマ・ザビ大佐が叫ぶ。
「ヤザンナ様を保護しました! 意識はありませんが、ご無事です」
「よし、病院に収容しろ。急げ」
アナハイムの幹部が言ったとおり、連邦軍はヤザンナを守りきってくれたようだ。こちらも約束を守らねばなるまい。
「避難民達には手を出すな。連邦軍兵士を治療してやれ。そして、彼らを一箇所に集めろ」
「お嬢さん、大丈夫ですか? ジオンの人間……ですね」
ひとりのジオン兵士がひざまずき、シーマの制服と顔をのぞき込む。
「ああ、大丈夫。この連邦軍兵士のおかげだ」
シーマは、自分の体に覆い被さったままの少佐の死体の下から這い出す。
「ヤザンナ様は?」
「ご無事です。あなたも無事なようでよかった」
ジオン兵は、少佐の死体に向かって黙って敬礼する。
「……敵兵とはいえ、自国市民には一切銃を向けず、ヤザンナ様を守り通したことは賞賛に値します。連邦軍兵士にもこんな奴がいるんですね」
シーマは黙る。確かに立派な行為だ。自分は彼を尊敬し感謝している。だが、彼は銃を撃たなかっただけで、多くの連邦市民を殺したことには違いない。少佐が自嘲したように、自己満足、自己陶酔と言われても否定できまい。
遠くで、集めた捕虜や避難民の前で演説をはじめたガルマ・ザビの声が聞こえる。
『……我々はヤザンナ・ザビを守りきり投降した連邦兵士達を敬意をもって扱うことを約束する。そして君たち避難民の安全は保障する。……』
偽善だ。シーマは思う。一人の少女のために、いったい何人の民間人が凄惨な死に方をしたと思っているのだ。お互いに毒ガスや核兵器をさんざん使っておいて、この小さな局面で銃を使わなかったことが自慢になるのか。ハッテやコロニー落としで民間人を何億人も殺しておいて、いまさらわずかな避難民の安全などなんの意味がある。
だが、今回の一件は、連邦・ジオン両軍において大いに宣伝されるだろう。最後まで自国民に銃を向けなかった兵士達。たとえ自国の姫を襲った暴徒でも、民間人は避難民として扱う慈悲深い占領軍。それは、その場に居た当事者にとってどんなにバカバカしい偽善であっても、今次大戦そのものの圧倒的なバカバカしさから目をそらしたい多くの人の心を動かし、感動を与えることになるのだろう。
ガルマ・ザビの演説は、既にジオンの勢力下におかれた北米大陸全域に放送されている。少なくとも、兄譲りの演説上手であるお坊ちゃんによる北米大陸の支配は、この事件をきっかけにして地元民に受け入れられ、順調にすすむことは確かなようだ。
結局、あの小さくて幼くてちょっとモビルスーツの操縦の上手い少女は、ジオンと連邦、そしてアナハイムから駆け引きのカードとして利用されているだけだ。そしてこんな状況はまだまだ続くだろう。せめて、自分だけでも駆け引きなしで守ってやりたいとシーマは思った。大気圏突入の時、燃えるザクの中で決めたのだ。
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年度初めということで公私ともに忙しくて時間がかかってしまいました。
主人公は寝てるだけ。でも、坊ちゃんによる北米占領が終わったので、そろそろ主人公は目を覚まして、ついでにガンダムが大地に立てればいいな。
2010.04.20 初出