目を覚ました時、自分がどこにいるのかわからなかった。最初に目に入ったのは間接照明の白い天井。一定の周期で聞こえる電子音。そして重力の存在。
コロニー? それとも地球?
周りを確認するため身をよじろうとするが、体中に繋がれた何本もの管やコードがそれを許さない。目だけを動かし、ここがガラス張りの部屋の中で、自分の体がベッドに寝かされていることをぼんやりと理解する。
病院、集中治療室だ。
遠くから、おそらく建物の外から、爆発音らしきものが何度もきこえる。地面を揺らすわずかな振動も感じる。空襲? 目を覚ましたのは、このせいかもしれない。
寝かされているだけなのに、全身が鉛のように重い。すべての関節に力がはいらない。頭の中にモヤがかかっている。いったいなにがあったのか、思い出せない。
俺は最新鋭の可変モビルスーツに乗っていたはずだ……。いや、ジャンクの寄せ集めだったか。……あれ? なのに、どうして病院にいる? ザクに乗っていたのはいつだったかしら? 記憶の時系列がおかしい。今はいつ?
ヤザンナが目を開けたのを知り、隣の部屋でモニタを操作していた女性が慌ただしく電話をかけはじめる。白衣を着た沢山の人が周りに集まり、ベットをのぞき込む。人の体を気安くさわんないでと叫びたかったが、口を動かすのも鬱陶しい。私はまだ眠いの、放っておいてよ。ヤザンナは、再び深い眠りにおちる。
大気圏ギリギリの低軌道を、ムサイ級巡洋艦3隻からなる小艦隊が、わずかな数の直援のザクに守られながら進む。
眼下には夜の地球。緩やかな曲線を描く地平線の向こうから、薄い大気を層を通して強烈な光がこぼれだす。夜明けだ。徐々に明るさを増す地球の反射光に照らされた艦隊の高度は、地上から約数百キロ。地表に対する相対速度は、この高度の重力と釣り合う速度、音速の20倍ほどだ。
艦隊の下方には、膨大な数のミサイルが同じ速度で漂っている。ミサイルは、本来モビルスールを搭載するデッキに満載し、あるいはコンテナごと牽引してここまで運ばれてきた。それを、ザクの手を借りて軌道上に展開したのだ。
同様の作戦は、地球侵攻が開始されて以来、ソロモンを拠点とする艦隊により入れ替わり立ち替わり、目標を変更しながら既に数十回繰り返されてきた。もし敵艦隊が待ち伏せしていたら逃げるしかないのだが、ルナツーに立てこもる連邦艦隊にそのような余裕はないだろう。
ミサイルのノズルに一斉に火が入る。数え切れないほどのまばゆい輝きが、大気圏にむけてまっすぐに墜ちて行く。真っ赤な航跡を引きながら、猛烈な大気との摩擦により青白く輝く弾道ミサイルの雨。それぞれのミサイルはロケットモータと重力によりさらに下方に向けて加速、音速の数十倍の速度を保ったまま大気圏を切り裂き、成層圏付近で多数の弾頭に分裂した。それぞれの弾頭が目指す目的地は、北米大陸西海岸、キャリフォルニアベースとよばれる連邦軍基地である。
キャリフォルニアベースは、旧合衆国カリフォルニア州に存在する複数の連邦空軍、海軍、陸軍、そして宇宙軍の基地および関連施設群の総称である。宇宙植民地との抗争を想定したジャブローが建設されるまでは、地球上最大の連邦軍基地として旧国家群ににらみをきかせる存在であった。いわば、環太平洋地域に支配された地球連邦の象徴ともいえる、連邦軍の一大拠点である。
虚空から落下してくるミサイルの群れを、連邦軍とて黙って眺めているわけではない。空襲警報が鳴り響く中、ブースターを装備した高々度迎撃戦闘機がスクランブルをかけ、ありったけの迎撃ミサイルが打ち上がり、さらには対空レールガンまでが使用される。だが、敵はあまりにも数が多く、あまりに速度が速く、そしてあまりに時間が無い。衛星軌道から予告もなく突如として落下してくる多数の超高速ミサイルは、着弾までのわずか数分間の時間しかない。重力の井戸の底の人々がすべて迎撃するなど、もともと不可能なのだ。
宇宙からの攻撃は、ほんの数分間で終了した。だが、その損害は恐るべきものだった。大気中を物体が音速の数十倍もの速度で飛行すれば、その衝撃波だけで周囲のあらゆるものが破壊される。炸薬などなくても、着弾した箇所に存在した人工の構造物は、その莫大な運動エネルギーにより跡形もなく消し飛んでしまう。ミサイルの雨がやんだ後、残ったのは月面のような多数のクレーターだけであった。
「キャリフォルニアベースに対する第5次爆撃は成功。これにより、敵の空軍戦力に関してはほぼ無力化したといえるでしょう」
報告を受けた地球侵攻軍第二次降下部隊の司令官、ガルマ・ザビ大佐は、満足そうに微笑む。彼の大部隊は、旧カリフォルニア州侵入を目前とした位置にいる。北米大陸東海岸の連邦軍拠点、ニューヤーク基地はすでに占領済みだ。モビルスーツを戦力の中心とするジオン軍は、地上においておそらく最大の脅威となる敵空軍戦力を、宇宙からの爆撃により、事前に徹底的に叩くことを基本戦略としている。同様の爆撃は他の連邦軍基地に対しても繰り返し行われており、彼の部部隊とマ・クベ中将の第一次降下部隊が予定通り進撃を続けているのは、この爆撃のおかげと言えるだろう。
「よし、予定通りキャリフォルニアベースへの侵攻を開始するぞ」
この作戦を成功させれば、姉上も私を認めてくださるだろう。
ガルマは、降下前に本国でキシリアとの会見を望んだが、多忙を理由に拒否されている。
ヤザンナのこと、シャアのこと、いったい何があったのか、姉上には確認したいことがたくさんある。何としてでも成功させねばならない。
ジオン軍による地球侵攻作戦は、南極での休戦交渉が決裂した直後、間髪を入れずに発動された。開戦の瞬間からジオンに一方的に押しまくられ、さらにコロニー落としによる天文学的な被害に茫然自失状態の地球連邦軍は、レビルの演説の影響で世論が戦争継続に傾いたからといっても、迎撃態勢が整うまでにそれ相応の時間がかかるのは無理もない。その隙をついた形になるマ・クベの第一次降下部隊は、あっという間に中央アジアに橋頭堡を確保することに成功し、さらに欧州主要国にむけ予定以上の速度で進撃している。コロニー落としにより甚大な被害をうけた北米大陸に降下したガルマ・ザビの第二次降下部隊も、東岸の主要地域をすでに占領し、西岸に向けて進撃中だ。
連邦軍はいまだに混乱から抜け出せてはいない。これは、キシリア麾下の突撃機動軍による開戦前からの入念な準備と、モビルスーツの特性を最大限に活かしたジオンの戦術のたまものだといえるだろう。
基本的に宇宙兵器であるモビルスーツが、地上戦においてどの程度有効であるのかについては、ジオン国内でも開戦前から何度も議論されてきた。無限とも言えるパワーを持つ核融合炉を搭載した巨大な人型モビルスーツが、従来の兵器とは比べものにならない機動力、攻撃力、防御力を持つのは間違いない。だが、モビルスーツを単なる巨大な歩兵、あるいは人型の戦車として利用しても、従来の兵器に勝つことはできないだろう。
ジオン軍は、モビルスーツの弱点をカバーするため、ほぼ完全に確保している宇宙空間の制宙権を最大限に活用した。低軌道の宇宙戦艦から、地上の空軍基地めがけて弾道弾による爆撃を敢行したのだ。アジアから欧州、そして北米大陸に存在する連邦の空軍基地は、降下作戦開始直前から現在に至るまで、大気圏外から音速の数十倍の速度で落下する大量の弾道ミサイルの雨にさらされ続け、徹底的に破壊されている。これにより、作戦地域における制空権は、ほぼ確保することができている。
さらに、一部の戦力をあえて安全な軌道上で待機させ、必要に応じて任意の場所に降下させる作戦も積極的に活用されている。ジオン軍と対峙した連邦軍部隊は、突如として背後に現れる大気圏外から降下したモビルスーツ空挺部隊に翻弄され、挟み撃ちにされるのだ。
連邦軍が混乱から回復し秩序だった反撃を開始するまでに、どれだけの地域を占領できるのか。ジオンの命運は、地上においても、モビルスーツの働きにかかっていた。
「いつまでここに留まるおつもりなのですか?」
ジオン軍地球侵攻軍総司令マ・クベ中将の副官であるウラガン中尉は、自分の部隊をいっこうにオデッサから動かす気配のない上官に対して尋ねる。中央アジアに降下した彼らの部隊は、電撃的に欧州にまで侵入することに成功した。しかしマ・クベは、オデッサを確保した時点で、突然進撃を停止してしまったのだ。
本来ならば、上官に対してこのような質問をぶつけるのは許されることではないが、文官上がりのマ・クベは良い意味で軍人らしくはなく、この手の規律に関してはほとんど無頓着であった。
「待っているのだよ」
マ・クベの言葉の意味を、ウラガンは理解できない。何を待つというのだ。今は素早さこそが重要なのではないか? 連邦軍の混乱がおさまり、戦局が落ち着いてしまえば、我々の有利さは無くなってしまうかもしれない。
「いま、誇り高き欧州連合は選択を迫られている。食糧の自給すらおぼつかない地球連邦にこのままとどまり、飢えながら我々に蹂躙されるのか。それとも……」
「欧州が連邦から離脱するというのですか?」
「連邦の横暴に憤っているのは、スペースノイドだけではないということだ」
単独講和……。
独り言のようにつぶやくウラガンを尻目にマ・クベはそれ以上なにも言わず、窓の外を見た。そして口の中だけでつぶやく。
そううまくいけば、苦労しないのだがな
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2010.03.09 初出
2010.03.10 タイトルと中身をちょっとだけ修正