「どうしたのよ! ボーッと見てないで早く助けなさい!!」
落ちていく二人を目の前にして、助けようともせずただ平行に飛ぶだけのシーマ達のザクに対して、ヤザンナが叫ぶ。この距離なら、多少雑音はあっても声は聞こえているはずだ。
「あなたたちジオン軍なんでしょ。どうして助けてくれないのよ!」
「……ヤザンナ様。あれはキシリア閣下直属の海兵隊です。おそらくシーマ・ガラハウ少佐。……もしかしたら、私を捨てれば、ヤザンナ様だけならば、助けてくれるかもしれません。試してみませんか?」
自力ではほとんど動けず、シートに座っていることしかできないラル大尉が、あっさりと言い放つ。彼が何を言っているのかは自分にもわかる。ザビ家に渦巻く陰謀や軍の暗部をできるだけヤザンナに見せないよう守ってくれていた彼が、キシリアに対してここまでストレートに言うとは。
「そんなことできるわけないでしょ。ちょっと、そこのザク、シーマ少佐、聞こえているんでしょ? お願いだから、せめて大尉だけでも助けてください!」
シーマは動けない。
毒ガス作戦の後、なんどもなんども夢を見た。なにも知らないハッテの住民が、バタバタと苦しみながら倒れていく。男も、女も、子どもも、全ての人々が。コロニーの中、折り重なる死体の山。生きる者が誰もいない街。
しかし明日からは、きっと今日の事を夢に見るだろう。血を吐きながら助けを求める少女の夢を。明日も明後日もその後もずっと。
どうして、私ばかりいつもこんな目にあわなきゃならないんだ。
「まさか、……見捨てるつもりなのか? 近くに他の船はいないのか?」
メラニー・ヒュー・カーバインは秘書に向かって怒鳴りつける。
「救助可能な船はいません。特にジオンの船は。まるでこの空域を避けてるかのようです」
グラナダには何度も通信を試みた。さらに、シーマの艦がこの空域にいることも当然グラナダは知っているはずだ。それなのに、他の艦が集まってこないということは……。
「これだからザビ家は!! 遠くでもいい。とにかく軍艦をさがせ!」
「ぎりぎり間に合いそうなところに、単独で航行している軍艦がいるようですが……」
「艦の名前はわかるか? 所属はどこだ?」
「巡洋艦ファルメル。所属は、……ドズル・ザビ中将の宇宙攻撃軍ですね」
「よし、ならば可能性はある。私が直接艦長にはなしをつける。回線に割り込め」
「まさか、……会長はジオン軍同士で戦わせるおつもりですか?」
驚く秘書に、メラニー・カーバインは不思議そうな顔で答える。なぜそんな事もわからないのだ?
「あたりまえだ。あの二人が助かればともかく、見捨てられれば、我々もこの場で口をふさがれかねないのだぞ」
もしヤザンナが大気圏で燃え尽きたら、次に銃口が向けられるのは、目撃者である我々だろう。それを回避するためには、他の艦を巻き込むしかない。危ない橋を渡ってもらうファルメルの艦長とはなんらかの取引が必要だろうが、それでみなが助かるのなら安いものだ。メラニー・カーバインは、ザビ家の姫と運命を共にする覚悟を決めた。もちろんこのまま終わらせるつもりはない。ヤザンナを助けられたらの話ではあるが、その時にはザビ家にはきっちりと落とし前をつけてもらおう。
くそったれ、くそったれ、くそったれ。
ヤザンナの口からは、罵倒の言葉しかでてこない。いまさら死ぬのは恐くないが、こんな形で黙って殺されてたまるもんですか。そちらに都合があるように、こちらにだって都合があるのよ。
「このぉ! どうして助けてくれないのよ、この冷血、バカ! おにばばぁ!」
絶対にあきらめない。あきらめてたまるものか。シーマに対する罵詈雑言を口にしながらも、ヤザンナは必死に計算し、操縦桿を動かす。予備電源のみでは、流体パルスシステムに大きなパワーがつたわらない。さらに、メインコンピュータのOSによるアシスト無しでは、人間のようなスムーズな動きはできない。少しづつ、ぎくしゃくと、個々の関節を操作する。
ヤザンナのザクは、ラルのザクと向かい合う姿勢になり、両手首を握る。
「シーマのひねくれ者、怒りんぼ、陰険女! ……ラル大尉。ちょっとGがかかるけど、我慢してね」
そのまま姿勢制御ロケットをつかい、機体をねじる。両手を繋いだ二機のザクは、すこしづつ回転をはじめる。かなりいびつな回転だが、向かい合ったフォークダンスのような姿勢だ。やがて、回転速度が上がるにつれ二機は平行になり、重心のずれたブーメランのように回り始める。
少しづつGが強くなる。下半身に血がさがり、意識が遠くなる。気絶するわけにはいかない。必死に腕を伸ばし、コンピュータを操作する。
「ヤッ、ヤザンナ様、いったい何を?」
だめだ、こんな速度じゃ、落下を防ぐには全然たりない。でも、少しでも可能性があるのなら……。
「ラル大尉。このままあなたを前方に放り投げて加速させるわ。ほんの少しだけど軌道がかわり、落下するまでのかなりの時間が稼げる。民間シャトルの低軌道中継ステーションの側をかすめるはずだから、きっと誰かが助けてくれる」
「しかし、それではヤザンナ様は!」
「このノーマルスーツ、もう酸素がないの。窒息するよりはさっさと落ちる。いままでありがとう。さよなら」
「まってください!」
ラルの叫びにヤザンナは耳を貸すことはしない。かわりにシーマに向かって叫ぶ。
「そこの年増ぁ!! なにもしなくていいから、せめてラル大尉を見逃して!」
同時に、ヤザンナは手を離す。前方に放り出された青いザクは、与えられた速度が重力ポンシャルに変換され、速度を下げながらも、徐々に高度が上がってゆく。一方、運動量保存の法則に忠実に従いラルと逆方向に減速されたピンクのザクは、高度を下げる。その分だけ重力により加速され、ラルを下方から追い抜いていく。大気の最上層にふれた機体のまわりが、徐々に赤く輝きはじめる。
「ヤザンナ様!!」
ラルがもういちど絶叫する。メラニー会長が天をあおぐ。
「誰が年増だあああ!!!」
シーマは無意識のうち、反射的に操縦桿を引いていた。気がつくと、マシンガンを捨て、ピンクのザクの手を握っている。
「あっ、アレ?」
シーマは自分で自分の行動が理解できない。助けてはダメだ。ダメなんだ。殺されてしまう。それがわかっているのに……。
「えへへ。やっぱり。助けてくれると思った」
ヤザンナは、シーマを個人的に知っていたわけではない。ただ、殺すつもりならばすぐに撃てばいいものを、なにもできずに躊躇している様子から、もしかしたらと賭けてみただけだ。だてに二人分の人生経験を積んでいるわけではない。悪ぶっている割には甘い女だが、今はその甘さに感謝せねばなるまい。もちろん、ラル大尉の代わりに落ちても良いと思ったのは、心の底からの本気である。
「たっ、たっ、た、助けるつもりなんてなくて、その、なんというか」
「ありがとう。悪いようにはしないわ。はやくラル大尉も……」
言っている途中でヤザンナが一瞬気を失う。貧血だ。酸素もそろそろ無くなる。
「だっ大丈夫かい? いや、大丈夫でございますか? すぐにお助けするので、もう少し辛抱してくださいませ」
「……ん、だっ、大丈夫、ちょっと気を失っただけ。はやく、ラル大尉を助けにいって」
「了解ですとも!」
シーマは、ピンクのザクの手を引きながら、スラスターを全開にする。この位置ならば、まだギリギリ二機のザクを引き上げられるはずだ。
ふたりの機体は、大気圏の最上層部に音速の十倍以上の速度で突入しつつある。機体前面の大気が猛烈な断熱圧縮されることにより温度が上昇し、それにともない機体そのものの温度も徐々に上昇しはじめる。高熱の大気がプラズマ化し、機体のまわりがあかるく輝きはじめている。
「あがれ! あがれよ!!」
背中のメインスラスターが唸りをあげる。大気の摩擦によって減速しつつある機体を強引に加速、すこしづつ高い軌道に引き上げる。
だが、シーマの試みが成功するかに思えたその時、一機のザクがシーマとヤザンナの前に立ちふさがった。シーマと共に出た、リリー・マルレーンのザクだ。
「邪魔だよ。ぼけっとしてないで、手伝いな!」
ザクは、ゆっくりとマシンガンをこちらに向ける。
「……おまえ、なんのつもりだい?」
「シーマ様、いけませんな。キシリア様の命令を無視するんですかい?」
「キシリアの犬だったのか? 私としたことが……」
この距離では避けようがない。シーマはスラスターを停止、二機のザクはふたたび重力と大気の摩擦に身をまかせる。
「もともとキシリア様はあなたを処分する口実を探していたのですよ。いい機会です。このまま地球に落ちて死にましょうか」
マシンガンの照準がヤザンナに合う。シーマはとっさにヤザンナのザクを庇う。シーマの機体を、マシンガンの一連射がかすめる。
一連射だけ? いたぶるつもりなのか。くそ、こんなオンボロを抱えたままじゃとても戦えない。
機体は底なしの重力の井戸に向かって落ち始めている。まずい、まずい、まずい。時間がないんだ。これ以上落ちると、シーマのザクの推力だけでは、ヤザンナを救うことは不可能になる。
「……もういいわ。あなただけなら逃げられるでしょ」
息も絶え絶えのヤザンナの声がスピーカーから聞こえる。
「もういいの。ありがとう……」
瞬間、シーマの頭に血が上った。
「ガキが生意気なこと言ってんじゃないよ!」
シーマは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「絶対助けるから、だまってな」
シーマは本気で腹を立てていたのだ。おまえに私の気持ちがわかるもんか! 私は助けると決めたんだ。助けなきゃいけないんだ。シーマはスロットルを思い切り引く。イチかバチか再びスラスターに点火。最大加速で逃げにかかる。
直後、ふたたびマシンガンの連射が二人を襲う。
シーマのザクの右足に直撃。小さな爆発がおこると同時に、シーマは躊躇せずに右足を排除。
「まだまだぁ! 軽くなっただけさ」
二人を狙うマシンガンの連射はとまらない。スラスター最大出力といえども、直線的に加速するしかないザクなど、単なる的でしかない。今度は、直撃をくらった頭が吹き飛ぶ。
「くっ……まだだよ」
そして、ついに敵の火線がシーマの機体の背中のランドセルを捕らえた。背中で爆発がおこり、スラスターのノズルが吹き飛ぶ。もう加速できない。
だめか。もう落ちるしかないのか。ふたりのザクは、真っ赤に燃えはじめる。
サブモニタの中、悪役ザクの表情の無い顔が、シーマには笑ったように見えた。とどめとばかりに無骨な指が引き金を引くのが見える。シーマはヤザンナのザクを抱きしめると、目をつぶる。
「守ってやれなくて、ごめんよ」
永遠のような数秒間がすぎても、とどめのマシンガンは発射されなかった。そうではない、引き金を引いても発射できなかったのだ。正確には、引き金を引く直前、遠距離からの正確な狙撃により腕ごと引きちぎられたのだ。さらに、狙撃に驚き振り向こうとしたザクの頭が、蜂の巣にされ吹き飛ばされる。
シーマは何が起こったかわからない。動きがとまった悪役ザクを、しばし唖然としたまま見つめる。突然、赤い物体が視界の中に飛び込んできた。ザクだ。通常の3倍の速度で目の前にあらわれた赤いザクは、既に半壊している悪役ザクに蹴りをいれ大気圏にたたき落とすと、その反動を利用して、二人の目の前でピタリと相対速度を合わせてみせた。
「お久しぶりです、ヤザンナ様。お助けにまいりました」
「……少しは、……モビルスーツの操縦が、うまく、なったみたい、ね」
今にも途絶えそうなヤザンナの声に、シーマは我に返る。
「たっ、助けるって、どうするんだい? この高度じゃ、もう落ちるしか……」
赤いザクが上方をむけて指をさす。そこには、一機のコムサイが接近しつつあった。メラニーから通信を受けた直後、シャアのザクと同時にファルメルから分離したのだ。すでにハッチを開いている。
「少佐ぁ。はやく収容しないと、燃えちまいますぜ」
「わかったドレン。突入コースはアナハイム会長の指示に従え」
「ファルメルのクルーはどうします?」
ドレンが他のクルーの事を気にかける。ドズル中将の後ろ盾がなくなった今、キシリア少将にたてついた形になるファルメルが、無事に済むとは思えない。
「ルウムに向かうよう伝えろ。ガルマがいるはずだ。彼ならなんとかしてくれるさ」
ザビ家のおぼっちゃん。せっかく友達になったのだ。役に立ってくれよ。
シャアのザクが、シーマとヤザンナに近づく。
「シーマ・ガラハウ少佐。キシリア閣下からの通信、記録してあるな?」
「……ああ」
赤いザクがハッチをあける。ノーマルスーツを着用したシャアが、シーマにむかって呼びかける。
「それは結構。早く来い。一緒に地球へ降りるぞ」
-----------------------------------------------
ちょっと回転して得た速度くらいで落下をとめられるかどうかについては、突っ込まないでいただけると助かります。
2010.02.11 初出