人類史上最大規模の宇宙艦隊決戦となったルウム領域における戦いが終わってから、地球圏は一転不気味な静けさを保っていた。
地球連邦にとって、戦争の結果はひとことで言えば惨敗。一瞬にしてまったくだれも予想していなかった不幸な状況に陥った地球連邦は、政府軍部そして国民すべてがただただ唖然としていた。ジャブローが生き残ったためかろうじて軍組織は機能しているものの、宇宙軍をはじめとする軍事力はほぼ全滅。政治の中心である地球本土もほぼ壊滅。連邦レベルの行政府や議会は機能すらしていない。人口は激減し、地球圏経済をささえていた宇宙植民地はその全てがほぼ無傷なまま敵の手におちてしまった。生き残った人々は、誰が責任者であるかも決められず、右往左往するのみだ。
一方、ルウムでの戦いの勝者であるジオン公国も、軍事的には沈黙を保っていた。とりあえず、降伏したグラナダ市とサイド5ルウムの治安回復、そして友好的なサイド1、4、6およびフォン・ブラウン市との関係強化のために政府は奔走しているものの、軍そのものはほとんど動いていない。ルナツーに立てこもっている連邦艦隊の生き残りは、ドズルやキシリアの艦隊がいつルナツーに殺到してくるのか戦々恐々としていたが、正直なところ、ジオン宇宙軍もコロニー落としとルウム戦役において宇宙戦力をほぼ使い切ったという点において、事情が連邦軍とそれほどかわるわけではなく、連邦軍に対する直接的な軍事行動をおこす余裕はなかったのだ。
開戦直後の地獄を経験した地球の政治家や軍人の中には、あるいはこのままなし崩し的に戦争が終わり、勝敗があいまいなまま平和が訪れるのではないかと期待した者も少なくはない。だが、ルウムの治安確保に目処がたった後、ジオン政府はついに勝利を確定するために動き出した。中立を宣言しているサイド6政府を通し、地球連邦政府および地球連邦軍に対して、休戦条約締結を申し出たのである。無条件ではないにしろ、実質的な降伏勧告であるといってもよい。独裁者に恭順するにしろ戦争が継続するにしろ、連邦の政治家、軍人にとって過酷な日々が続くのは間違いない。
地球連邦とジオン公国による休戦交渉は、1月末に南極で行われることが決定された。すでにマ・クベ中将を全権とするジオン代表団は地球に降下し、地球圏全ての人々の目は数日後の交渉の行く末に向いている。
宇宙世紀0079 1月某日 グラナダ
ヤザンナは、ドズル、キシリアとともに、ささやかなパーティに出席している。ジオニック社が軍と共同で開発した新兵器モビルスーツ「ザク」が、このたびアナハイム・エレクトロニクス社の月面工場においてライセンス生産されることになり、その契約締結を祝う式典に招かれたのである。
パーティといっても、あくまで戦時下であり、さらに南極での休戦交渉の直前でジオン軍首脳が多忙を極めていることもあり、簡素で形式的なものでしかない。しかし、モビルスーツはジオン公国にとってこの戦争の結果を左右しかねない最重要兵器であり、出席者はそれに見合うだけの重要人物がそろっていた。
「数日後には休戦交渉なのに、モビルスーツの増産体制を整えるのも不思議よね」
立食形式のパーティ会場で、見知らぬ大人達が次々と自己紹介に寄ってくる合間をぬって、ヤザンナは今さらながらの疑問をラルに問いかける。
「常識的に考えれば、休戦後のごたごたを納めるための軍事力でしょう。もしかしたら、休戦など成立しないと考えているのか、あるいは休戦してもそれは一時的なものにすぎないという見通しなのか。あえてこのタイミングで発表するのも、連邦政府に対するメッセージなのかもしれません」
ラル大尉は、自分は政治の問題には関わりたくないとばかりに、肩をすくめながら答える。ふーん、確かに、地球が壊滅状態で、スペースノイドのほとんどが生き残ってジオンの味方になったとはいえ、この人類を二分した全面戦争がそう簡単に終わるとは思えないわね。
「それにしても、アナハイムって地球の会社よね? 機密とか大丈夫なのかしら」
「『スプーンから宇宙戦艦まで』がキャッチフレーズの会社です。ジオン、連邦問わず兵器を売りまくって儲けている、いわゆる死の商人ですな。ジオニック社のラインだけでは増産が追いつかないのですから、仕方がないでしょう」
ヤザンナとラルの会話に、横から割り込んだ者がいる。
「……もちろん、機密保持は完璧です。いまだ本社は地球にあるとはいえ、我が社の拠点は既に月に異動しています。我が社はスペースノイドと共にあるのです」
割り込んできたのは、おでこの広い、一見していかにも腹黒そうなタヌキ顔の男。
「失礼。ヤザンナ様。私はアナハイム・エレクトロニクスのCEO、メラニー・ヒュー・カーバインと申します。お噂はかねがねうかがっております」
ある意味、今日の主役のひとりだ。会話に割り込まれてラル大尉はちょっとだけ不愉快そうな顔をしたけど、見ようによっては愛嬌のあるタヌキ顔とにこやかな営業スマイル、そしてそれに似合わぬ優雅な動作のおかげか、不思議とそれほど無礼だとは感じない。
「どんな噂ですか?」
「モビルスーツの操縦がお上手とか。我が社が独自のモビルスーツを開発する際には、是非お手伝いいただきたいものです」
たわいもない社交用の営業トークなのだろうが、おだてられれば悪い気はしない。
「いいわよ。私も連邦軍が開発する新型モビルスーツには、是非乗ってみたいわ」
メラニーさんが一瞬だけ顔色を変える。なんか悪いこと言ったかしらね。
「……ほう。アナハイムは、連邦軍の新型モビルスーツを開発中なのか? ジオンではなく」
今度は、横からドズル叔父様が割り込んできた。ちょっとお酒が入っているせいか、いつもよりさらに声が大きい。静かなパーティ会場のなかで「連邦軍の新型モビルスーツ」という単語だけが妙にクリアに響き渡り、それが耳に入ってしまった人々は神経をこちらに集中せざるをえない。
「もちろん連邦軍も我が社のお得意様です。ですが、商売の内容については、おはなしすることはできません」
すでにメラニーの顔色は平常にもどり、営業スマイルが貼り付いている。ドズルの顔を正面からみあげながら、営業用の口調でなめらかに語る。いつの間にか、会場のざわめきが消え、空気が凍り付いている。
「……ふん、まあいい。機密保持は完璧なのだな。これからもよろしく頼む」
ドズル叔父様は、何事も無かったかのように、笑いながら他のテーブルに向かって去っていった。人々の緊張が一気に緩む。メラニーさんも、私に一礼した後、今度はキシリア叔母様のいるテーブルに向かっていった。ラル大尉がため息をひとつつき、肩の力を抜いたのがわかる。ザビ家の連中や海千山千のビジネスマンと比べれば、ラル大尉って意外に常識人なのだなぁと実感する。いつも迷惑かけてごめんさい。
キシリアは、営業スマイル全開で話しかけてくるメラニー・カーバインを、普段の彼女を知るものなら想像もできないような明るい笑顔でむかえた。ザビ家の一員として、地球圏有数の巨大企業のCEOと親交を深めることはもちろん重要なことであるが、今日の彼女の上機嫌はメラニーとは関係なかった。彼女を数日にわたって悩ませ続けた懸案事項が、やっと解決できそうなのだ。
懸案はふたつあった。
ひとつめ、目の前に迫った南極での交渉の件だ。
我らがジオン軍は、ジャブローこそ破壊はできなかったものの、コロニー落としよって地球に大被害を与え、さらにルウムにおいて連邦の宇宙戦力をほぼ壊滅に追い込んだ。緒戦における戦略目的はほぼ達成し、ジオン本国に対する報復攻撃の心配もなくなったといってもよい。
しかし、キシリアにとっては、これは勝ちすぎなのだ。戦前から存在した宇宙の諸勢力のうち、ハッテを除くすべて、すなわちサイド1,4、5、6、そして月の諸都市は生き残り、しかも実質ジオンの支配下となった。さらにレビルも失った連邦軍は、無条件降伏はしないだろうが、講和の道を模索するしかないだろう。交渉においてジオン政府が提出する休戦のための最低条件は、ジオンの独立の承認と、ルナツーの譲渡。要するに、宇宙の支配者はギレンだとみとめることだ。
これはジオンの大勝利である。最大の貢献者は、もちろん全ての作戦を立てたギレンと、作戦を実行したドズル。そして、初期の計画を修正し、サイド1と4を実質ジオン配下とすることに成功したのは、ダルシア・バハロ首相の功績だといわれる。さらに、ガルマはサイド5ルウム占領軍の司令官として進駐し、実質内乱状態だったルウム国内をほとんど軍事力を行使せず、鮮やかに治安を回復して見せたそうだ。アレの政治的手腕がそれほどだとは、思ってもいなかった。
一方、情報戦など裏方に徹したキシリアは、少なくとも一般国民からは、勝利に貢献したとは思われていない。キシリア主導で準備されてきた地球降下部隊が活躍すること無しに、このまま講和してしまっては、政府内部でのキシリアの地位は大きく低下するだろう。だが、ニュータイプを信じていないギレンやドズルが指導するジオンでは、ジオン・ダイクンの意志をつぐことはできない。これはキシリアにとって許せることではない。ここで戦争が終わってはならないのだ。
もうひとつの懸案は、さらに深刻なものだ。
コロニー落とし作戦の際のコロニー崩壊に繋がる爆発について、ランバ・ラル大尉がなにかをかぎつけたらしい。もともと、ヤザンナの側にいる立場を利用して軍内部でも自由に動き回っている男だが、どうやら今回は本気でキシリアを狙っているらしい。別名キシリア機関ともよばれる突撃機動軍の情報機関があらかじめマークしていなければ、彼の動きに気づくことすらなかった可能性がたかい。
もちろん、例のコロニー崩壊工作にからむ関係者は、既にこの世にいない。なにひとつ証拠はないはずだ。だが、ラル大尉はいったいどこまでつかんでいるのか? 既にギレンは知っているのか? なんにしろ、ラル大尉はギレンの親衛隊所属のため、表だって妨害はできない。
ジャブローの破壊を妨害し、連邦の即時無条件降伏を防いだという点で、あの工作は成功したと言える。が、工作が表沙汰になれば、キシリアの政治生命はおしまいだ。そもそも、ラル大尉が疑念を抱いたきっかけはなんなのだ。誰が情報を漏らしたのだ。ラルに命令を下せる立場は、ギレンかデギン、あるいはヤザンナしかいないはずだが。
これら、キシリアの未来を決定づけかねない懸案を一気に解決する目処がたったのは、つい先日のことだ。既に手はずは整えられ、あと数時間で決着がつくだろう。キシリアは、ヤザンナとラルのいるテーブルの方向に視線を送ると、満足そうにワインを飲み干す。その様子を、カーバインCEOが不思議そうに眺める。
式典終了後、ジオン軍首脳とともに本国にトンボかえりする前に、ヤザンナはもうひとつだけ簡単なイベントをこなさなければならない。グラナダ上空で、ザクによるデモフライトをするのだ。
グラナダは、連邦軍の抵抗をほとんど受けることなく、キシリアの艦隊による占領が極めてスムーズに行われた。このため、ルウムの大勝利に沸くドズル艦隊や本国市民とは対照的に、駐留艦隊には手柄を立て損なった不満が鬱積しており、これはドズルの宇宙攻撃軍とキシリアの突撃機動軍との軋轢に繋がりかねない。要するに、国民に大人気のザビ家の姫君自らが慰問することにより、現地部隊の士気を維持しようという作戦である。さらに、もともと独立志向が高かった月の市民達に、支配者が誰であるのか、あらためて示す効果も狙っている。
ヤザンナは、港の一角に佇む自らのザクを見上げ、ひとつため息をつく。彼女の前に立つザクの色は、鮮やかな蛍光ピンク。軍艦やモビルスーツが所狭しと並ぶ軍用港の一角で、ピンク色の人型兵器のまわりだけが異空間である。これはどうやっても兵器には見えない。
彼女は特に色にはこだわりが無かったため、専用ザクも標準色のまま放っておいただけなのだ。そうしたら、気付いたときにはジオニック社の連中が勝手にこの色に塗装していたのだ。無骨なザクを何とか少女用にしようということで、彼らなりに気をつかってくれた結果らしいのだが、これはないだろう。初めて見たときには、さすがのヤザンナも気を失いかけた。だが、今日同様のイベントは過去数回おこなわれているのだが、毎回このTV映りのよい蛍光桃色ザクが、市民からも、そして軍人からも大好評だというのだから、世の中ってわからない。
グラナダの周囲に展開した駐留艦隊と、ドズルと共に本国に帰る艦隊の間を、数機のザクで編隊を保って飛ぶだけの簡単な任務。ヤザンナは、ドズル、そしてラルや護衛役の数機のザクと共に、港のハッチから月面上空にむかってジャンプ、静かに宇宙空間に踊りでる。
同刻 ジオン公国首都ズムシティ某所
独房の扉が開かれた時、レビルは眠りについていた。ジオン軍の制服を着た数人の男が顔を覗かせ、いぶかしがるレビルを無理矢理そとに連れ出す。
捕虜となったレビル将軍がズムシティを脱走したという知らせがグラナダに届いたのは、それから数時間後のことであった。
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2009.12.30 初出
2009.12.31 誤字を修正
2010.01.11 ちょっと修正