地球上で生き残った人々が、スペースコロニー「アイランドイフィッシュ」の落下によってうけた被害の全容を把握するためには、しばらくの時間が必要であった。被害をうけた地域の行政組織が一瞬にして崩壊したうえ、地球全土の通信網が完全に麻痺してしまったためである。もしかしたら、直接の当事者である地球市民よりも、コロニー落下後の地球の様子をリアルタイムで観測していた宇宙移民者達の方が、被害の恐るべき大きさと深刻さを直感的に理解できていたかもしれない。
コロニーの最も大きな破片である港ブロックが、ジオン軍が設置した巨大な核パルスエンジンとともに、音速の数十倍の速度を保ったまま地面と激突したオーストラリア大陸東部、シドニー近郊には、半径数キロに達する巨大なクレーターが一瞬にして形成された。その中心部には、衝突のエネルギーによって溶解した地殻が地下から湧き出したマグマととも真っ赤なプールを形づくっているのが、宇宙からも見える。クレーターの周囲から海水が侵入し、マグマと反応して膨大な水蒸気を発生している様は、まさに地獄の釜そのものである。
港ブロック以外の構造材の大半は、一片が数キロメートルの大きさを保ったまま無数の鋼鉄の隕石と化し、アジアから北米にかけての太平洋地域に落下していった。地球連邦の政治的、経済的な中心であった太平洋沿岸部の大都市は、そのほとんどが繰り返し襲う大津波により、住民もろとも奇麗に洗い流されてしまった。内陸の人口密集地にもこまかな破片そのものが雨あられと降り注ぎ、多くの都市が瓦礫の山と化している。
これらの直接の被害だけでも犠牲者は数億人という恐るべき数にのぼると見積もられているが、より深刻なのは、衝突にともない巻き上げられた塵や水蒸気による影響であろう。日照不足や寒冷化の影響は、この先数年間にわたり地球全土を覆い、特に穀物生産に大打撃を与えると予想されている。これによる食糧不足や伝染病の蔓延、治安の悪化などを原因とする二次被害まで含めると、コロニー落としによる犠牲者は実に数十億人におよぶことが確実である。
文字通り、人類は自らの行為に恐怖した。だが、いまだ被害のないサイドや月の自治都市に住む宇宙移民者達の胸の内は、地球に住む人々とは少々異なるものだったかもしれない。確かに、ジオンの行った地球環境の大破壊は悪魔の所行である。人道的に許されることではない。しかし、宇宙に移民してから数世代を経た人々にとって、母なる大地はコロニーや月であり、地球は彼らを一方的に支配してきた連邦の体制の象徴でしかない。大陸の形が破壊され、大気の色がかわり、さらに自転周期までわずかに狂わされた地球の姿は、連邦による支配体制が同じ宇宙移民者によって完膚無きまでに破壊されたことを意味するのだ。
サイド1,4を含め、ハッテ以外のサイドや自治都市が生き残ったことにより、地球と宇宙植民地の人口は近いうちに逆転するのが確実である。さらに、今後の地球復興のためには、宇宙植民地による食糧やエネルギーの支援は欠かせない。仮にこの戦争でジオンが敗北したとしても、連邦と宇宙移民者の関係は、精神的にはもちろん、政治的経済的にも、もとにもどることはないだろう。
1月13日 ズムシティ某所
ランバ・ラルは、馴染みの店でグラスを傾けている。数日に一度はかならずこの店にくるのが彼の習慣であり、親衛隊に異動してからもそれはかわらない。
「コズン・グラハム曹長、これよりルウム戦線に出動します!」
昔からの部下が、数日以内に行われるサイド5ルウムでの決戦に出撃していく。おそらく人類史上最大の規模になる宇宙艦隊決戦に、自らが参加できないのがもどかしくないといえば嘘になる。
「ザビ家のやつらは人殺しだ。あんな奴らのためだけには死ぬな!」
ラルの偽らざる心境である。ジオンの軍人としてヤザンナの護衛任務に特に不満があるわけではないが、ジオンを私物化しているザビ家の連中はいまだに許す気にはなれない。死ぬのなら、ザビ家ではなく祖国ジオンのため、すべての宇宙植民者のためにして欲しかった。
閉店間際、ラルがいつもの席から腰を上げかけたとき、ひとりの客が訪ねてきた。
「……貴様か。来るとは思っていたが、今日とはな」
金髪にサングラス。目立たないような格好をしているのだろうが、整った顔立ちが否応なく人目を引く青年。教導大隊以来だ。
「お久しぶりです。ランバ・ラル大尉」
「ハッテでは活躍だったそうだな。シャア・アズナブル」
シャアは、ブリティッシュ作戦において、コロニーを破壊するために殺到したティアンム艦隊の戦艦を2隻撃沈している。既にこの時点で、ジオン軍最高のエースパイロットである。
「明日は決戦ではないのか? エースパイロットがこんなところで油をうっていていいのかな」
「大尉こそよろしいのですか? 歴戦の勇士が、ザビ家のお姫様の子守役などやっているのは、祖国にとって損失だと思いますが」
シャアは、ラルと同じものを頼むと、勝手に隣の席に座る。子守りといった瞬間、口元がわずかに上がったような気がした。こいつ、俺をバカにしているな。
「コロニー落とし作戦以来、ヤザンナ様は機嫌が悪い。対等な殺し合いは嫌いじゃないが、一方的な殺しは大嫌いという少々かわった姫様だからな。俺はご機嫌取りに忙しいのだよ。……さっさと、本題にはいれ」
「なぜ、私のことを調べているのですか?」
やはりそれか。
「しらん。ヤザンナ様がなぜか貴様にご執心でな。貴様のことを嗅ぎ回れば、貴様の方から接触して来るはずだと言っておった」
長年にわたり対テロ作戦など裏の仕事に従事していたラルにとって、ひとりの士官の身辺調査などそれほど難しいものではない。しかも、出来るだけ派手に動くのが目的であるから、ラルはあらゆる人脈をつかって徹底的な調査をおこなったのだ。
「シャア、もし貴様に会うことがあったら、ヤザンナ様から伝えて欲しいと言われていることがある」
ラルはシャアの方をみない。視線を正面にむけたまま、口だけを動かす。
「おとぎ話だ。俺も意味はわからん。笑うなよ。黙って聞け」
昔々、大きな帝国と、帝国に支配された小国があった。
あるとき、小国の王は国民に「黙って支配されていてはいけない。独立のために立ち上がるのだ」と説き、革命を起こした。
革命は成功し、ついに小国は帝国から自治権を勝ち取ることができた。
しかし、王は佞臣によって裏切られ、国を乗っ取られてしまう。
王は殺され、王子と姫は国外へ亡命。国は佞臣によって私物化され、国民はみな不幸になってしまったとさ。
「さて、哀れな小国の王子様はこれからどうすると思う? 普通のおとぎ話なら、王子様は国を取り戻すために戦い、最後には自ら王になり国民を幸せにして、めでたしめでたしのはずだが」
ラルはグラスをカウンターにおいた。初めてシャアの方を向き、視線を合わせる。
「ところが、この王子様は性根が腐っている。国や国民のことなどどうでもよいらしい。ならば身分を捨て自由に生きればよいものを、個人的な敵討ちを優先させるつもりらしいのだ。こんな王子様について、貴様はどう思う?」
「……意味がわからないが」
「第三者にきかれても貴様が困らないよう、ヤザンナ様なりに考えた結果が、このたとえ話なのだろうさ。あの方は、頭が良いようで、ちょっとずれたところがあるからな」
「大尉も大変だな。ザビ家の姫のたわいのないおとぎ話につきあねばならんとは」
「姫は、自分は未来から来たと言ったことがある。まぁ、貴様については生前のサスロ・ザビからお母上経由でなにかきいていたというところだろう。そして、能力があるにも関わらずいつまでもうじうじ過去に縛られた男を目の前にして、たまらず説教したくなったんじゃないか。戦場で出会っていたら味方であっても瞬殺されていただろう。ありがたく聞いておけ」
席を立とうとするシャアの腕を、ラルがつかむ。
「なぜ調査するまで気がつかなかったのか、自分に腹が立つ。……キャスバル様。名を変え、顔を隠し、軍に潜り込んで、いったい何をするおつもりなのです?」
シャアはサングラスを外した。ジオン・ダイクンの忘れ形見、キャスバル・ダイクンは、ラルの顔を正面から見据え、冷たく言い放つ。
「ザビ家に尻尾を振るようになったあなたには、何も言われたくないな」
「私の父、ジンバ・ラルがあなたに吹き込んだザビ家への復讐の話はもうお忘れ下さい。そして、復讐などにとらわれず、自分の幸せをおつかみいただけませんか」
「聞けんな。……ランバ・ラル、いいのものやろう」
シャアは小さなディスクを取り出すと、カウンターにおいた。
「ブリティッシュ作戦においてコロニー補強作業部隊の援護をした際、不自然な動きをする味方モビルスーツがいたので、記録しておいた」
「なぜこれを私に?」
「ザビ家の太鼓持ちの君には役に立つだろう。ザビ家の内輪もめをみるのも面白そうだからな」
「……キャスバル様、復讐ではなく、ジオンをザビ家から取り戻すというのなら、私も協力いたします」
「ほう、そんな事を言っていいのかな?」
「ですから、ヤザンナ様にだけは、手をださないとお約束下さいませんか」
再びサングラスをかけ顔を隠したシャアは、ラルを一瞥もせずドアに向かう。
「はっはっは。わかったよ、約束しよう」
1月15日 サイド5ルウム宙域
サイド5ルウム。ジオン軍による開戦直後の大規模な奇襲攻撃に対し、連邦軍宇宙艦隊が唯一組織的な抵抗をおこない、にらみ合いを続けながらも現在までなんとか守りきっているサイドである。親連邦の姿勢を明確にした上で、宇宙でいまだ生き残っている勢力は、建設中のサイド7を除けば、ここが唯一無二といえる。
この宙域に、連邦とジオンの宇宙艦隊のほとんどすべてといってもよい戦力が集結しつつあった。両軍の生き残りをかけた一大決戦が、いま始まろうとしている。
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説教が長くなっちゃって、ルウム戦役まで入れませんでした。そして、やっぱり主人公は名前だけ。
2009.11.23 初出
2009.12.07 ちょっと修正
2010.01.11 ちょっと修正