ジオン公国某コロニー ジオニック社工場
自分専用のザクを目の前にして喜色満面のドズル叔父様とは対照的に、ランバ・ラル大尉は不機嫌だ。
「どうした? ランバ・ラル大尉。シケた顔をして。俺がザクに乗るのが不満か?」
ドズルがラルの肩をバシバシたたきながら、大声で問いかける。
「……不満ですな。あなたはこのザクに乗って何をする気なのです?」
「そりゃあもちろん、指揮官自らが最前線に躍り出て、連邦軍をギッタギタに……」
ランバ・ラルがギロリと睨む。ドズルすら萎縮させるその鋭い視線は、国軍となる以前の自治政府防衛隊の時代から、ゲリラ戦や対テロ作戦などの汚れ仕事に徹してきた経験により培われたものだ。
「艦隊司令官であるあなたがザクに乗って最前線にでるだけで、いったいどれだけの兵士が迷惑を被るかわかっていないのですか? つまらない人気取りなどやめて、独裁者は独裁者らしく、戦争に勝つためのリアリズムに徹して欲しいものですな」
もともとラルは、かつての政敵であるザビ家の人間に対してあまり遠慮せずにものを言えるジオンでは希有な軍人ではあったのだが、ヤザンナの護衛についてからその傾向はますます強くなった。もちろんドズルも、本気で自らザクに乗り連邦軍の宇宙戦艦に殴りかかろうと思っているわけではなく、あくまで儀典用のザクで兵士の士気高揚に役立てようと考えただけなのだが、たしかに人気取りをまったく考えなかったかと言われるとウソになるため、わずかに自己嫌悪におちいってしまう。ついでにガルマ専用ザクも作らせたことは、ラルには内緒にしておこう。
「……ま、まぁ、そう堅いことをいうな、ランバ・ラル大尉。今日は俺とヤザンナのザクの試乗が目的だ。もちろんおまえにも付き合ってもらう。しっかりエスコートを頼むぞ」
すでに特注のノーマルスーツに着替え、ザクのコックピットの中でそわそわしているヤザンナを見上げながら、ドズルがラルをなだめる。
教導大隊のシミュレーターでぶっちぎりのスコアをたたき出しただけではなく、現役のトップパイロットを軽くひねり、さらにグラナダにおいては連邦軍の旧式モビルスーツを乗っ取ったあげくにザクを含む3機をあっという間に撃墜してしまったヤザンナは、今やジオンのモビルスーツパイロットや開発者達にとって生きる伝説となりつつあった。ヤザンナの披露した操縦技術や戦闘機動のバリエーションは、いまだモビルスーツによる実戦を経験したことない人々にとっては衝撃的なものであり、彼らがさらに多くのものを見たいと望むのは無理のない事である。もしヤザンナがザビ家の人間でなければ、軍の関係者、特にキシリア麾下の突撃機動軍は、非人道的な手段をつかってでも彼女をモルモットとしてモビルスーツにのせただろう。ギレンがヤザンナにザクへの搭乗を許したのは、彼女自らがそれを望んだこともあるが、キシリアに恩を売る思惑もあったと思われる。
最後までヤザンナが軍と関わるのに反対したデギン公王が出した条件は、「絶対にパイロットが安全な機体」であった。これに対してジオニック社のエンジニア達は、ザクに脱出装置を実装することで答えた。地球上の戦闘機に搭載された高度0速度0の状態からでもパイロットを守る射出座席システムを模したそれは、緊急時には機体正面のハッチを吹き飛ばし、座席ごとパイロットを機外に射出する仕組みとなっている。宇宙空間における生命維持はノーマルスーツの機能に依存し、また対衝突や対衝撃、あるいは地球上での地面への落下に関しては座席の周りに巨大なエアバックを展開することで対応するこのシステムは、後の時代に開発される脱出ポットとは異なり、おせじにも万全の性能とはいえないが、それでも全く何も無いよりははるかにマシであることはあきらかであった。以後のザクに標準装備されたこの脱出システムは、おおくのジオン軍パイロットの命を救うことになる。
コロニーのハッチから、ドズル、ヤザンナ、ラルの3機のザクが宇宙に踊り出す。早い段階からモビルスーツ開発計画に関わってきたラルの愛機は、通称1日ザクこと、MS-05ザクⅠである。濃い青で塗装された機体は、実にラル大尉らしく渋くてかっこいい。ヤザンナの機体はまだ標準の濃い緑色であるが、ジオニック社からは好きな色を指定してよいと言われおり、これはこの後しばらく彼女の頭を悩ます問題となる。
3機は滑るようにテスト空域に侵入し、戦闘態勢に突入する。
「ふたりとも、いい? 私についてくるのよ」
ヤザンナの機体が加速し、マゼラン級戦艦そっくりの張りぼて標的艦隊にせまる。レーダーを意図的に殺したとたん、猛烈な対空砲火の火線が3機のザクを追うように空間を切り裂く。もちろん実弾を撃っているわけではなく、モニタの中だけで合成されて描かれた火線だ。こちらにむけて回頭中のマゼランに接近する前に、対空砲火に焦ったドズルの機体がはりぼてデブリを避けきれず激突し、はやくも脱落。しかし、ヤザンナとラルの機体はドズルを無視してさらにすすむ。未来位置を予測されないよう全ての方向にランダム加速を行いながら、マゼランの対空砲火の死角を正確に突進し、それぞれがエンジンに仮想の弾をぶち込んで一撃で2隻撃沈。
「やるじゃない、ラル大尉」
「ヤザンナ様についていっただけです」
「じゃ、次行くわよ」
二人のザクは、次々とマゼラン級を撃沈していく。ついていけないドズルは、早々にあきらめ、遠方から二人のザクの光が描く軌跡を眺めていた。「俺は指揮官だ、ザクの操縦が下手くそだからといって悔しくは無いぞぉ」と口の中で繰り返していたのは、自分だけの秘密だ。
二人のザクをモニタしているのはドズルだけではない。ジオニック社や軍の人間、おそらくジオン全土のモビルスーツに関わる全ての人間が固唾をのんで見守りつつ、ヤザンナの一挙一動を記録している。得られたデータは徹底的に解析され、すべてのザクのコンピュータにデータとして搭載されると共に、パイロット達に叩き込まれるだろう。もっとも、ヤザンナと同じ機動を実際に実行できるパイロットは、そう多くはないだろうが。
様々なパターンでマゼランを撃沈しつづけ、その数が10を超えた頃、ヤザンナのつぶやきが無線を通じてラルの耳に入る。
「張りぼてばかりで、飽きちゃったぁ」
テスト空域には実際にミノフスキー粒子が散布されているわけではないため、声は明瞭だ。ヤザンナは、後ろから追うラルの目の前で、わざとザクの機体を左右に揺すり始める。
我らが姫様は、あの歳で男を誘うことを知っておるのか……などと下品な感想を抱きつつ、ラルはヤザンナの挑発に乗ることにした。ギャラリー達もそれを望んでいるだろうし、ラルにとってももともと想定内である。
「……いいでしょう。お相手します」
「そうこなくちゃ!」
二人のザクはいったん離れ、ふたたび正面から近づく。高速ですれ違った瞬間から戦闘は始まる。
「はやい!」
まったく減速すること無しに、密集したデブリの間を高速ですり抜け迫ってくるヤザンナに対し、ラルは回避するだけで精一杯である。レーダーを使わずに、どうすればあのようにとべるのだ。教導大隊のシャア・アズナブル少尉は、自分よりも操縦の腕が上だった。そのシャアが軽くひねられたヤザンナを相手に自分が勝てるとは思ってはいなかったが、これほど差があるものなのか。
なんとか身をかわした直後、その場でふり返りつつマシンガンを一連射するものの、すでにデブリの影に隠れたヤザンナの機体の位置はわからない。
ヤザンナは、ザクの全てのスラスターとAMBACを駆使して、障害物をぎりぎりのところで避けながら、ラルをからかうかのように周りを旋回、隙をみてはマシンガンを浴びせる。間断なく体にかかるGが心地よい。
誤解されることが多いが、宇宙におけるモビルスーツのパイロットにかかるGは、大気圏内の戦闘機やF1カーよりも大きいわけではない。例えば戦闘機の場合、パイロットが失神する程の強烈なGは、加速時よりも上昇時や旋回時にかかる。エンジンの推力の方向に働くGではなく、翼の揚力で大気を押さえつけ機体の向きを無理矢理かえる際の遠心力が、巨大なGとなりパイロットを襲うのだ。F1カーの凄まじい横Gも、タイヤと地面の摩擦を利用して車体の方向を変える際の遠心力だ。
一方、宇宙を駆けるモビルスーツには、揚力も摩擦力もいっさい働かない。パイロットにかかるGはスラスターの推力によってのみうまれ、機体の重量とスラスターの推力の比率は、モビルスーツはどんなに大きくてもせいぜい数倍程度しかない。さらに地球上ではすべての物体にかかる地球の重力による重力加速度も、軌道上ではゼロだ。したがって、パイロットにかかるGは、通常の機動ではせいぜい数G程度しかかからず、しかもメインスラスターの方向のGはシートで吸収されるため、少女の体でも耐えられないことはないのだ。
突然、ラルのコックピットに警報が鳴る。仮想の弾に被弾したのだ。
直撃だと。下から? いつのまに。
「どうしたの? もう終わり?」
ヤザンナのからかうような声が無線から聞こえる。
「……いったいどこでモビルスーツの操縦をおぼえたのですか?」
ラルは一呼吸入れ、自分自身を落ち着かせるため、誰もが思う疑問を尋ねる。
「私は未来から来たの。未来の世界でパイロットだったのよ」
姿が見えないヤザンナがさらりと言った直後、今度は衝突警報が鳴り響く。いつの間にか、手を伸ばせば触れられる距離で後ろにつかれたのだ。
至近距離からマシンガンを突きつけられながらも、ラルは質問をつづける。もちろん、「未来」云々は冗談だとしか思っていない。
「では、この戦争はどうなるのか、ご存じですか?」
「ええ。緒戦は奇襲とモビルスーツの威力で圧倒するけど、すぐに物量で押し返され、最後は内輪もめで自滅ね」
ほう、実にありそうな話だ。ドズル閣下殿、聞いているか? あなたの姪っ子は、ザビ家の中で唯一聡明だ。
「ならば、どうすればよいとお考えですかな?」
「悲しいことに私はただの子どもよ。どうすることもできないわ。そもそも、戦争でどちらか勝つのが良いことなのかわからないし」
ヤザンナの正直な気持ちである。この戦争を自分の力でかえることなどできないし、するつもりもない。どんな世界であろうと、自分のやりたいように生きるだけだ。この世界に生まれた時に望んだ「平和な生活」は、すでに失われてしまった。ならば、前世同様「野獣」として生きるのも良いかと思うが、今の年齢と立場では難しい。彼女は、周囲に流されるだけの自分自身にいらだっているのだ。
ふむ。ある日突然ザビ家の一員となってしまったこの少女は、この少女なりに、自分の立場に悩んでいるのだな。ヤザンナが初めて見せた弱みだ。大人としてなんとか支えてやりたいとラルは思うものの、生粋のゲリラ屋で戦バカでしかない自分には、繊細な少女にうまい言葉をかけることなど不可能だとわかっている。
ラルは前触れ無くスラスターを全開にする。
「往生際の悪い!」
ヤザンナもすぐに追いかける。
せめて、モビルスーツが大好きな姫を、少しは楽しませてやらねばな。一矢報いることすら無理なのはわかっているが、逃げ切ってみせようか。
「戦いの中で往生際の悪い男はお嫌いかな?」
「いいえ。どうせ人は戦いをせずにいられない生き物よ。パイロットとして、命のやりとりをゲームのように楽しむのは当たり前のこと。最後までどん欲に勝ちにいくのは格好よいと思うわ」
ならば、少々ずるい手を使わせていただく。
ラルは、ヤザンナを振り切ることはできない。直後から追われたまま、巨大なデブリぎりぎりを通過する。そして通過する瞬間、ラルはザクの手を伸ばしてデブリを捕まえ、その反動を利用して機体の方向を一気に変えた。
凄まじいGがラルの体を襲う。首と背骨がきしむ。ザクの腕の関節が悲鳴をあげ、いくつも警報が同時に鳴りはじめる。
宇宙空間におけるモビルスーツのパイロットにかかるGは、通常の機動ではそれほど大きくはない。しかし、宇宙には摩擦が存在しないため、推進剤がある限り機体の速度はどこまでも上がり続ける。そして、相対速度のおおきな物体と物理的に接触したとき、その衝撃は激しいGとなって機体とパイロットを襲うのだ。ザクの性能と己の肉体の限界を知り尽くしているラルだからこそできる技だといえる。
ヤザンナは、同じ事をすれば自分の体がもたないことがわかる。だから、ラルを追うことはできない。
「ずるいわぁぁぁ」
ヤザンナの声が響く中、模擬戦は時間切れで終了となった。
この後、同様の「試乗」は数回にわたって行われた。それはジオンのパイロットにとって貴重なデータとなり、実戦におけるモビルスーツによる戦果に影響をあたえることになる。
そして、宇宙世紀0079があける。
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2009.10.25 初出
2009.10.31 日本語のおかしなところを、何カ所か修正しました