イルミに向って立ち向かうと宣言したキルアの姿に衝撃を受けていたのはイルミだけではない。そうであって欲しいと願っていたはずの俺も同様だった。
他のみんながキルアに声援を送っているのに対し、俺はまだ呆然と佇んでいた。
結局、この場でキルアの行動を意外と思ったのは、俺とイルミだけだった。
何の事はない、キルアがゴンの為に戦わないと信じていなかったのは俺達だけだったという事だ。
自分の思い違いに、くつくつと笑いが込み上げて来るのを止められない。
俺はキルアの何を見ていたんだ?
キルアが人を殺す事を何とも思っていないだと?
俺がそう判断したのはキルアの行動の表面しか見ておらず、その心を理解しようとしなかったせいだ。
キルアは何の罪もない人を平気で殺せる自分に嫌気が差していた。断罪されるべき加害者ではあるが、救いを求めていた被害者でもあったのだ。
そんなキルアが心に抱えていた苦悩と葛藤を、俺は理解しようともしなかった。
何が『暗殺者のキルアは裏切るかもしれない』だ。
キルアに相手を理解したいと思ったら友達だとか偉そうに言ったのに、勝手に決めつけて気持ちの上で仲間を裏切っていたのは……俺の方じゃないか。
仲間を信じる事が出来なかった、いや信じようとしなかった自分の傲慢さに反吐が出そうになる。
クイズバーサンに答えたはずの『俺は仲間を信じて、決して信念を失わない』の誓いが、脆くも崩れ去るのを意識した。
仲間に対する俺の想いは……偽物だったのか?
罵倒されてもいい、軽蔑されてもいい、ただ俺の心をさらけ出したかった。
口から逆流してしまうような思いを必死に押しとどめ、キルアに対する懺悔の言葉を飲み込んだ。
そんなものはキルアにとって迷惑でしかない。それを願っては俺は前に進めない。
今はただ俺にやれることをしよう。俺に出来るのは、己の意思を貫いてイルミと対峙しようとしているキルアに声援を送る事だけだ。
キルアは今、胸にずっと抱え続けた苦悩を払う為に実の兄のイルミに挑んでいる。
そこには、俺が入る隙間などありはしない。
「キル……?」
「なんだよ、兄貴?」
キルアは戦闘の構えをとったまま、イルミに問い返す。
「本気なのかい?」
「ああ。オレはもうキルア=ゾルディックじゃない。ただのキルアだ!」
「そんなのは許さないよ」
イルミが”練”でオーラを高めると、敏感にその気配を察知したキルアは体勢を低くして警戒をあらわにした。
その圧力を振り払う為に、キルアは独特の歩法でイルミに対して円を描くように駆けだす。
残像に惑わされて十数人ものキルアが取り囲んだようにも見えるので、集中して動きを追わないと本体かどれか分からなくなりそうだった。
「なんだ、あれはっ!」
「足運びに緩急をつけて、錯覚を起こさせている。私にも何人ものキルアが見える」
レオリオの疑問に、クラピカがその歩法の原理を看破する。
確かに優れた技術であるのだが、同じ暗殺者であるイルミには通用しない事はキルアも分かっているだろう。
だとすると、その狙いは何だ?
「肢曲(しきょく)、なかなか上手くなったね」
「ふん!」
イルミは純粋にキルアの成長を褒めているが、まるで意に課さない侮った言動でもあった。キルアは反論するように、更に歩法の速度を上げる。
そこから先の動きは今までと一変していた。
ゆったりと歩くような静止した残像ではなく、まるで風に舞う桜の花びらのような足取りで、キルアの足は優雅にステップを踏む。
「肢曲を更に高速化したのかい?」
「無音の高速移動幻影術、桜舞(おうぶ)だ!」
キルアの残像が舞うように空中で踊る。歩法による足運びだけではなく、跳躍による縦の緩急を織り交ぜた高速の歩法。
イルミさえも知らない、キルアのオリジナルの技のようだ。これがキルアの切り札なのだろう。
だが――。
「美しいね。でも……」
――まだ、イルミには届かない。
イルミの両手から放たれる、合計十本の飛針。
残像を含めた五人のキルアの両足の甲を正確に貫くと、その瞬間に残像が一気にかき消える。
「これでもう動けないだろう?」
そして、その場に残ったのは足の甲に二本の針が突き刺さったキルアの姿だけだった。
「くそっ!」
必死に足を動かそうとするキルアだが、長さ数センチに過ぎない針が、まるで床を貫いているかのように足が縫い付けられている。
「――っ!」
更にイルミの手から放たれた針がキルアの右腕――肩、肘、手首の三か所の関節に突き刺さる。
「ちょっとお仕置きが必要だね」
イルミがそう言うと、突然キルアの右手の拳が自身の顔を打った。
「かはっ!」
備えていなかった自分の拳の衝撃をまともに受けて、キルアの脳は左右に揺さぶられる。
一瞬の隙を逃さずに、二度、三度と繰り返し叩きつけられる己の拳。その意外な攻撃に対する防御が取れず、着実にダメージが蓄積されている。
「今謝れば許してあげてもいいよ」
キルアの意思から独立した右腕は、一切の手加減なしに何度もキルアの顔を歪ませる。
頬が腫れ、瞼が腫れて片目の視界が遮られる。
前歯が折れ、口内からは赤い血が飛び散る。
キルアはそれでも、歯を噛みしめて耐えた。
幼少の頃から暗殺者となるべく修行という名の虐待を受けたキルアは、苦痛に対する耐性はこの中の誰よりも高い。
例え死に至る苦痛を与えられても、キルアの精神は決して折れないだろう。
「もういい! キルア、負けを認めるんだ!」
「そうだ! お前の心意気は見せてもらった!」
レオリオとクラピカがキルアに負けを認めるように促す。
ハンゾー、ポックル、ポンズも同意するように頷いている。
俺は自分の気持ちに整理がつかずに、ただじっとキルアを見つめていた。
「キルア! そんな奴ぶっ倒しちゃえっ!」
ゴンだけは友達が一方的に傷めつけられている凄惨な場面を見ても、それでもキルアの意思を尊重して応援した。
その声援に応えたキルアは針で縫いとめられていない左手をゆっくりと持ち上げて、親指を突き立ててグーの形を取った。
ゴンとキルアの間にある目には見えない絆が、誰の目にも明らかに映った。
当然の如く、友達など不要と切り捨てたイルミの目にも移り、その瞬間に能面のような顔が崩れた。
長い黒髪がオーラを纏って、怒髪天を衝く。
悪鬼羅刹のような憤怒の表情で、ユラユラと蠢く黒髪が炎のように立ち上った。
憤怒に歪んだイルミは、元の顔立ちが整っているだけに恐ろしい。
「キルッ!」
イルミは更に激しい怒りを感じてオーラを高めると、キルアの膝が勢いよく持ち上がり顔面を強打する。
もう明らかだが、これがイルミの念能力だろう。
針を差して身体を自在に操作するのか? リッポーも似たような束縛能力を持っていたし、身体操作が可能な操作系の達人は怖い。
念技の発動条件を達すると、身体を操作されては何も対抗手段がない。この決闘のように一対一の戦いでは致命的となる。
「ぐっ!」
キルアの小さな身体が、空中に浮かび上がる程の衝撃。
激しい出血と共に骨が砕ける鈍い音が響き、キルアの顎の骨が砕けていた。
顎の骨を叩き割られ、骨の支えを失った下あごを頬の肉だけで支えている。
溢れる出る大量の血を必死に飲み込みながら、キルアの目の輝きは失われていなかった。
だが、傍目に見ても口を動かすだけでも激痛を伴う重傷だ。
これでは「まいった」と宣言する事さえ出来るかどうか分からない。
「もうやめるんだ!」
「審判、試合を止めろ!」
クラピカとレオリオが審判に詰め寄るが、「敗北を宣言しない限りは試合は終わりません」と告げた。
「だが、あれでは喋れない! もうこれ以上は……」
顎の骨を粉砕されたキルアだったが、クラピカの声を遮って言葉を紡いだ。
「これで負けを認めたら、オレは自分の生き方が出来なくなる。それならいっそ死んだ方がマシだ」
「キル……立派になったね。もう殺してやるぐらいしか手がないじゃないか」
紛れもなく本気の殺気を放ったイルミの様子に、我慢の限界を越えた。
俺はキルアが失格になるのを承知の上で、キルアとイルミの間に立ちはだかった。
既に背中の太刀を抜き放って、武器に”周”でオーラを通している。
念能力の存在がバレる事などどうでもいい。
ここで俺が殺されてとしても、俺は今立ち向かわなきゃならないと思った。
キルアの意思を尊重して手出しをしないのが正解なのは分かっている。
それでも……目の前でキルアがこれ以上いたぶられる姿は見ていられない。
俺が気持ちの上で裏切った仲間を守る為ならば、俺は嫌われたっていい。
「もうやめてくれ!」
覚悟を纏ったはずの俺の口から出た言葉は、イルミに対する憎悪ではなく、ただの懇願だった。
だが、この場にいる者の気持はみんな一緒だった。見れば、レオリオ達も必死に試合の中止を訴えている。
「なんで、ヒソカまでそっちにいるんだ?」
俺の懇願を無視して、イルミが問いかけたのは俺の背後に対してだった。
そう、いつの間にか俺の後ろにはヒソカが立っていた。それは、まるでイルミからキルアではなく、俺を守るように。
「くっくっく。今の君はボクよりも道化に見えるよ? 君の顔が怒りに歪んだのなんて初めて見た◆」
「……」
殺気の籠もったイルミの問いに、ヒソカは気負った事もなくごく普通に答えた。
その冷静さによってイルミも自分を取り戻し、憤怒のような顔がいつもの能面のような無表情に戻る。
そして、イルミは戦闘の構えを解いた。
これ以上キルアを攻撃する様子はないので、俺も太刀を背に収めて安堵の息を吐く。
ルールを無視して勝手な行動をとった俺も失格になるかもしれない。
それでも、俺は……後悔はしていない。
師匠達と対等になる為に俺はハンターになる事を誓った。
その為には合格が決まった時点で大人しく試合を見守るべきだった。
ハンターとしての守らねばならないルールがあるのは分かっている。
それでも、これを見過ごして俺達はハンターだと胸を張って言える訳がない。
仲間を見捨てて、どの面さげて師匠達と対等の仲間になったと言えるんだ!
「”まいった”。オレの負けでいいよ」
俺の予想を大きく裏切って、イルミが告げたのは自身の負けを認める言葉だった。
ゾルディック一家は命に代えても仕事を成し遂げる。それ故に驚異の暗殺成功率を誇って世界に名を知らしめている。
ハンター資格が必要になる仕事とかだったはずのイルミが、自ら資格の取得を諦めただと?
「分かったよ、キル……自由に生きてみるといい」
「兄貴……?」
もう何もしないとばかりに両手を上げたままイルミはキルアに近づくと、全身に突き刺さった針を引き抜いて、その両肩に手を乗せて呟く。
「それでもいつか必ずキルはゾルディックに戻ってくるよ。オレには分かる」
「誰が……帰るもんか」
兄の手をキルアは振り払う。
針が抜けた事で、身体の自由が利くようだった。
「親父になんて言おうかな」
そう呟いて、イルミはもう用はないとばかりに部屋を出て行った。
一同呆然と見送ったが、逸早く己の職分を取り戻した審判が宣言した。
「Cグループ第三試合、勝者キルア!」
「おい、担架を用意しろ!」
キルアの容態が心配になって駆け寄ったが、レオリオの言葉に動きを止めた。
こういった状況でレオリオはひどく冷静で、医者の片鱗を窺わせる。矢継ぎ早に指示をして、カバンから取り出した消毒液とガーゼを押し当てている。
重傷であるキルアだったが担架に乗るのをよしとせず、自らの足で医務室へと向かった。付き従ったのは友情で結ばれたゴンと医療の心得があるレオリオ。
「ハッピーエンドって所かな?」
キルアを見送ったまま扉を見ていた俺にヒソカがそう問うてくるが、俺は逆に疑問を解消する為に尋ねた。
「ヒソカ……お前イルミと知り合いなんだろ? なんでキルアを……俺を庇ったんだ?」
「少し楽しみになってきたからかな? イルミとはこれでも長い付き合いだからね。気にする事はないよ◆」
何でもない風に言ったヒソカに、俺はこいつの大きさを感じた。何があっても揺るがない、そんな強さを持っている。
「お前……実は良い奴?」
「勿論、ゴンもキルアも君も……熟したところで美味しく頂くからね◆」
「やっぱり訂正するっ!」
舌なめずりをして、笑みを浮かべる変態から距離を取る。
やっぱりこのピエロは真正の変態だ!
「おっほん、これにてハンター試験は終了とする。この場に残った9名の合格者は講習を受けてもらい、その後にライセンスカードを配布する」
ネテロ会長の言葉に俺はハンター試験に合格したという事を改めて認識した。
長かったハンター試験も遂に終わる。途中色々あったが、全てがこの瞬間の為と思えばよい思い出だ。
声にだして小躍りしたくなるような浮かれた気分に、冷水を浴びせかけたのはアナウンスの声だった。
「44番、406番は講習前にネテロ会長が直接面接を行う」
俺とヒソカが面接?
思い浮かぶのは、先程のルールを逸脱した行動に対する処罰だろうか?
確かに合格を取り消されてもおかしくない行為だったと思うが、ネテロ会長は『9名の合格者』と告げていたので失格になる訳ではないとも推測出来る。
「不合格って訳じゃないみたいだけど、なんだろうね?」
「はぁ。何かヒソカとばっかりな気がするんだけど……俺って不幸だよな?」
「じゃあ、君の幸運を占ってあげようか。ほら、この中から一枚だけトランプをひいてみなよ◆」
突然ヒソカが手元でトランプを広げて、一枚だけを取るように促す。
お遊びに過ぎないヒソカの奇術だったが、ヒソカにはちょっと借りが出来てしまったので、付き合ってやるかと俺は軽い気持ちでその内の一枚をひいた。
「げっ!」
まぁ、予想通りにジョーカーだった訳だが、思わず声を出してしまったのには理由がある。
絵柄はジョーカーであるが、その絵柄は奇術師の扮装をしてニヤニヤと笑みを浮かべたヒソカのデフォルメ化された絵であったからだ。
正規のトランプカードではないのは明らかだが、カードの裏を向けても他のトランプカードと同様の赤い柄があるだけで、表面だけが異質な絵柄には作為を感じる。
「ふざけんな! こんなのインチキだろ!」
「あたり! ボクの『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』だよ」
「ほらみろ! やっぱり、インチキ能力じゃねーか!」
「確かにインチキさ。でも、なんで君はボクの能力知ってるんだい?」
「――え?」
浮ついた気分を吹き飛ばす、ヒソカの言葉に俺は底知れない恐怖を感じた。
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最初に謝罪しますが、クロスにない他作品の技を思い切り引っ張ってきてしまいました。問題があれば技名は削除したいと思います。
ネットで肢曲を調べていたら、桜舞ネタばかり出てくるので思わず……どっちが先か分からなくなりました。
原作と合格者が異なり、特にキルアがこの時点で合格しています。
その為、キルアが自宅に帰らないのでゴン達がククルーマウンテンに行くことはありません。
さて、後はライセンスカードもらって帰るだけ……のつもりでしたが、試験中行動を共にすることが多かったヒソカは、とっくにナルミの異常性に気づいていたようです。
原作タイトルで「光と闇」とありましたが、特にナルミとヒソカはこの対比を意識しています。
光と闇は一見すると正反対ですが、日が昇り、日が沈むという一日の流れでは同じ存在です。
正反対のようで同じ存在という意味で、原作では『ゴンとキルア』、ここでは『キルアとイルミ』、そして……『ナルミとヒソカ』のつもりでした。
……なんて、ちょっと書きたかっただけの蛇足でした。