川から昇ってきた竜面の剣士に、怪鳥イタルラはギョッとした。
自身は頭部、長い胴と尾も水で作られたその姿は、正に東方の『竜』であり、大きさもイタルラに引けを取らない。
イタルラは反射的に翼を羽ばたかせた。
途端、二本の竜巻が生じ、竜に躍り掛かる。
しかし、竜の咆哮が轟くと、その竜巻は消滅してしまった。
だが、イタルラの攻撃はまだ終わっていない。
口を開き、灼熱の火炎弾が喉元から迫り上がってくる。
それらが眼下の竜に降り注いだかと思うと、竜はその巨大な水の胴体を踊らせた。
幾つもの炎の球は、水蒸気と共に消え去ってしまう。
ならば、とイタルラは天空を見上げる。
何やら小さな点が見えたような気がするが、それに構う余裕は今の彼にはない。
黒雲を集め、雷撃を落とそうと試みたのだ。
『竜』はそれを許さず、再びの咆哮。
空気の塊が空目がけて放たれ、黒雲が霧散してしまっていた。
もはや術は通じない。
さすがに悟ったイタルラは、改めて翼をはためかせ、その爪で『竜』を切り刻もうと試みた。
「……効かぬよ」
竜の頭の中で、キキョウが呟く。
怪鳥の爪よりも『竜』の水と風の刃の方が、遥かに速かった。
胴体や翼を飛ぶ刃で切り裂かれ、イタルラは痛苦の悲鳴を高らかに上げた。
勝ち目がない。
そう悟ったのだろう、イタルラは一度大きく鳴くと、旋回を試みた。
逃げるつもりだ。
それを追いながら、キキョウはシルバに声を掛ける。
この距離なら、充分ネイトの精神共有の届く距離だ。
「シルバ殿」
(何だ?)
「この姿、長くは持たぬ。一つ行動を起こすごとに、ゴソリと力が奪われる……何より某がいまだ使いこなせておらぬ故、無駄が多い。先程の刃も、無駄撃ちが多かった。よって、動きを制した後はシルバ殿の話していた通り、そちらで片をつけてもらいたい」
(了解)
この『竜』も万能ではない。
力は強いが、それを使う為には膨大なエネルギー――おそらくキキョウ単体では無理だろう――が必要となるし、シルバに語った通り、あまりに消耗が激しい。
圧倒的優勢に見える『竜』だが、イタルラもさすがに体力があり、一筋縄ではいかないのだ。
短期決戦を狙う為、キキョウは自分の仕事をこなす事にした。
逃走しよう旋回する分、イタルラには無駄が多い。
その背に追いつき、キキョウは『竜』の身体を使って、イタルラに巻き付いた。
『竜』の持続時間が切れればイタルラは再び空を飛べるだろう。
だが、そうさせない存在が今、大空高くから降ってこようとしていた。
「いくぞ、シーラ」
「――了解」
シーラが自由落下の姿勢を取った。
絡み合う水竜と怪鳥目掛けて、真っ逆さまに墜落する。
両足から衝撃波を放ち、その速度をさらに速める。
そしてイタルラの右翼にぶつかる直前に足の衝撃波を切り、今度は前に突き出した手から同じ衝撃波を放った。
もろにそれを喰らったイタルラが、再び大きな鳴き声を上げた。
無表情のまま、シーラは片膝をつく。
イタルラの転移術で飛ばされ、タイランの救出、シルバとの合流、そしてここまで衝撃波を放ち続けたのだ。
さすがのシーラも、ここら辺が限界だった。
「大丈夫か、シーラ」
「――問題ない」
大きな翼に降り立ったシーラは、懐から札を取り出して呟く。
「――{解放/リリース}」
「後は任せろ」
シルバは右手を翼に付け、キーとなる言葉を呟く。
「{金剛/メタリカ}」
途端、シルバの人差し指に嵌められた指輪――物質を金属にする天使の力を秘めたそれ――が輝き、イタルラの翼が鈍色に塗り変わった。
羽毛の一つ一つが、鉛へと変わったのだ。
グラリ、と空中でバランスを崩すイタルラと『竜』。
けれど、まだ足りない。
鉛となったのは、翼のせいぜい半分程度だ。
「シーラ、回復!」
「――準備は終えている」
シーラは腰の荷物入れから取り出した魔力ポーションの中身を、シルバに降り注いだ。
「っし、充分」
もう一度、指輪が光を放ち、イタルラの片翼は完全に鉛と化した。
その直後、イタルラに巻き付いていた『竜』が消滅する。
『竜』の力だろうか、周囲にあった見えない圧力のようなモノがフッと消えたかと思うと、中空にキキョウが出現した。
シルバから少し前に離れた上空である。
「シ、シルバ殿……!」
「うおおっ!?」
シルバは大慌てでスライディングし、キキョウを両手で受け止めた。
「キ、キキョウ、お疲れ。大丈夫だったか?」
「う、う、うむ! シルバ殿こそ、よく無事であられた。いや、た、助けてくれて感謝する!」
シルバの両腕を背中と尻に敷いている事を自覚したキキョウは、器用にもその姿勢のまま跳びはね、シルバの前に正座した。
「ああ、もったいない」
二人を見守るシーラの肩の上で、ちびネイトが嘆いていた。
「も、もったいないといえば、そうであるが! 某には刺激が強すぎる!」
からかわれ、真っ赤になったキキョウに、シーラが首を傾げる。
「――代わる?」
「いや、その必要もないであろう!?」
「そもそも、まだ全部終わった訳じゃないしな……今の状況分かってるか?」
鉛の翼に座り込んだシルバは、正面のキキョウと背後のシーラを交互に見た。
そうこうしている間にも、強い風が下から吹き上げてきていた。
「自由落下中だ」
そう、ネイトの言う通り、景色は緩やかに下がってきていた。
このままだと、地面に激突してしまう。
幸いにも、イタルラがこの空中でバランスを崩していないのがせめてもの救いだった。いや、正確にはイタルラは必死に無事な左翼をばたつかせていたが、鉛の翼が重すぎてどうにもならないだけのようだったが。
とにかく、ピンチには違いなかった。
「た、大変ではないか!? 某の面は……」
キキョウは、自分の側頭部に回していたナマズの面を手に取ってみた。
その仮面は、まるで火にくべたかのように真っ赤に、そして熱くなっていた。
「……しばらく使えぬようだ。だがしかし、シーラが確か飛べるはずではなかったか?」
シーラは、掌から衝撃波を放った。
が、すぐにエネルギー切れなのか、ぷすんと情けない音と共に消えてしまう。
「――力の使いすぎ。しばらくは噴射が難しい」
「だ、だ、駄目ではないか!? シ、シルバ殿、某達も墜落してしまうぞ!?」
「いや、心配いらないって。忘れたのか、これ?」
胡座をかいたシルバは、金袋からコインを取り出した。
そう、転移術のコインである。
「そ、そうか、それがあった! 忘れていた!」
おそらくイタルラも、例の転移術を使うなりして激突前に川に着水を狙うのではないかと思うが、そこまでシルバ達が付き合う義理もない。
「目標座標は、カナリーのコイン! まあ、カナリーにはちょっと迷惑を掛けるけど……この際我慢してもらおう、うん」
シルバ、キキョウ、シーラの三人は、地上にいるカナリーを念じた。
鉛の翼の上にいたシルバ達が消失したのは、その直後だった。
「……とても迷惑だ」
シルバ達三人の下敷きになり、カナリーはボヤいた。
「いや、ホント悪い、カナリー」
だがカナリーはそれ以上文句も言わず、そのままガバリと起き上がった。
それほど慌てていたのだろう。
「そ、そ、それどころじゃない! モンブランが大変なんだ!」
「大変?」
「アレを見てくれ!」
カナリーが指差した先では川岸近くの水面に、砲撃の巨人ディッツが仰向けに倒れていた。胸部を大破し、活動を停止している。
それはいい。
だが、河原にも、重甲冑が大の字になって倒れていたのだ。
その傍に、精霊体のタイランも突っ伏していた。
※次回、少し時間を巻き戻して、ディッツ戦といきます。
倒れている訳が語れるかどうかは、文章量次第。