川の流れに、魚達が身を任せて泳いでいる。
それとは不釣り合いな大きさの、着物姿の人物が泳いでいた。
ナマズの面を着けた、キキョウである。
水面までの高さはおよそ2メルト、やや深い場所だ。
「どうですか、キキョウさん?」
一緒に水に沈んでいたタイランが、キキョウに尋ねる。
甲冑の方は陸の方でカナリーとヒイロが洗ってくれている為、今は本来の精霊の姿だ。
「うむ、まったく苦にならぬ。それどころか地上よりも快適と言ってもよい」
「呼吸の方は?」
「鼻からしないというのは新鮮であるな。ふむ、地上と動きも変えずに済むか。有り難い話だ」
川底に足を着け、刀を振るう。
魔力は消費するモノの、水流や浮力はまったく感じない。
「でも……甲冑の防水加工といい、この先で水中戦があるという事なんでしょうかね?」
タイランの心配はもっともだった。
「おそらくはな。その為にこの仮面を預かった……と見て良いだろう。さて、面の能力も分かった事だし、そろそろ戻ろうかタイラン。腹も空いてきた事であるし」
「はい」
「お、戻ってきたか」
リフと一緒に作業をしていたシルバは、川から上がってきた二人に気がついて顔を上げた。
「うむ。ぬ、シルバ殿は洗濯か」
「見ての通り。着替えは多いに越した事はないしな」
木桶で洗い終わった衣服を籠に入れながら、シルバは答える。
そこに、シーラが戻ってきた。
「主、物干し台が出来た」
シーラの背後には、木の枝で造られた物干し台が建てられていた。
「おう、ご苦労ご苦労。リフ、そっち洗うの終わったか」
「に、おわった」
水を吸った衣服が、籠を満杯にした。
「それじゃ後は干してから、朝食だな」
背筋を伸ばし、籠を持ち上げる。
「そ、某も手伝おう」
「あ、わ、私もお手伝いします」
30分後。
洗濯物のはためく河原にシートを敷き、朝食を取るシルバ達だった。
シルバの父、アイアン・ロックールが用意した保存箱の中身は大量のサンドウィッチであった。
そして、そのサンドウィッチを遠慮無く、一番食べているのはヒイロである。
「労働の後のご飯は美味しいねぇ」
「……なるほど、それでこの量か。腕を上げたな、クォツめ」
野菜サンドを囓りながら、シルバは箱の中身を改める。
野菜サンド、タマゴサンド、カツサンド、ツナサンドなど種類は様々で、ヒイロが大量に食べても、全員分はありそうだ。
「というと、この朝食にも関わっているのかな」
カナリーの疑問に、シルバは首を振る。
「んにゃ、辛いモノ以外にアイツは関わらないよ。手紙にある通り、親父の手製」
シルバがクォツを評価したのは、人数の把握である。
言われたカナリーも、シルバと同じ野菜サンドをもぐつき、唸っていた。
「むぅ……見事なモノだな。この技量、ただ者ではない。ウチの実家に雇われる気はないかい、シルバ?」
「……親父本人に聞いてくれよ。間違いなく断られると思うけど」
「でも、本当に美味しいですねぇ」
食の細いタイランだったが、その分、湯気の立つ香茶の感想を呟いていた。
一方、リフはしきりにコップの中身に、ふーふーと息を吹き付ける作業に余念がない。
「に……もうちょっとぬるい方がいい」
「ま、その辺はしょうがないだろ。温めるより、さます方が楽だし」
「それにしても、この仮面はルックスさえどうにかなってくれれば、最高なのだが……」
薄着になったキキョウは、ツナサンドを食べながら、膝上のお面を撫でた。
「確かに、相手に笑いを誘う仮面なのは確かだな。マジにやればやるほどに」
「でも、こんなすごい仮面を作れるのに、見習いって言うのは……」
タイランが首を傾げるのは、もっともだった。
それについては、キキョウから仮面の感想を聞いたシルバには、何となく分かったような気がしている。
「多分、この四本の髭がアイツの髪を結ったモノなんだろう。アイツの能力を考えると、隈取りの塗料に血も混ぜたかも知れないな」
「ひぅ……ち、血ですか!?」
タイランが、ビクッと身体を震わせる。
一方、仮面の主となったキキョウは平然としていた。
「呪い師ならば、それぐらいはするであろう。しかし、七女殿の能力とは? 仮面の事を考えると、水の中を自由に行き来出来るというモノか?」
「まあ、そんな感じ。アイツの場合は空も飛べるし、地面も潜れるけど。壁とか全然意味がないんでプライベートを保つのに苦労した」
ズズ……と香茶を啜るシルバに、カナリーは胡乱な目を向けた。
「待つんだシルバ。それは、全然違う能力だと思うぞ」
「親父曰く、位相が違うとかかんとかで、武器とかまず効かん。魔術も確か効果なかったな。もちろん幽霊じゃないから銀製品とかも」
つまり、透過能力である。
他の姉妹も変わっているが、クォツとルリの双子はその中でも頭一つ飛び抜けている。どうしてこんな力があるのかは、両親はシルバに教えてくれなかった。
「無敵の能力じゃないか!? 僕の霧化とは比べモノにならない!」
「んー、そうでもないんじゃないかな。幽霊じゃないなら、攻撃する時は物質化する必要があるでしょ。それを狙ってカウンターとか」
ヒイロが首を傾げ、シルバは頷く。
「カナリーなら、触れた瞬間を狙って、先に弱い雷を纏っておくとかも手。それ以前に、ウチのパーティーなら天敵がいるしな」
香茶を啜りながら話を聞いていたタイランが、視線を受けてギョッとする。
「わ、私ですか!?」
「絶魔コーティングの甲冑じゃ、透過も出来ない。タイランの攻撃が効くかどうかは微妙だけど、アイツは性質上、衣服と軽い装備しか同化出来ねーのよ。あの鎧なら、まず傷つかずに済む」
「な、なるほど……」
そういう重甲冑は、現在洗濯物と一緒に、分解されて河原に放置されていた。
……中にいたモンブランが不満の声を漏らし、それを宥めるのにカナリーが苦労をしたとか。
「ウチは家族みんなで朝、体操とかトレーニングとかやってたんだけどさ、まー、俺や親父みたいな一般人はついていけない訳だ。いや待てお前ら、その目はなんだ」
明らかに『一般人』という部分に疑い深げな視線を受け、シルバは皆を見渡す。
「先輩を一般人って呼ぶのはちょっとどうかと思う」
ヒイロの言葉に、皆は一斉に頷いていた。
「こっちは、力がない分、知恵を絞るしかねーんだよ」
そこに、余計な口を挟むのが、ネイトであった。
「ちなみに二人も、模擬戦でルリに勝った事はあるぞ」
「え!?」
皆が驚く中、シルバだけは渋い顔をしていた。
「……あのな、ネイト。ずっと年下の妹に勝負で勝ったとか、そういうのは何の自慢にもならないから言いふらすな」
「だけど、興味がある」
「某もだ」
「に」
結局プレッシャーに負け、シルバは渋々話し始めた。
大体模擬戦といっても、装備はありなのだ。
長女のガーネットは棍を使うし、クォツだって親指ぐらいの水晶玉を用意する。
そこで、毎回巧みにそういったトレーニングを避けていた父親・アイアンが用意したのはというと。
「……親父が使ったのは音響閃光玉。透過能力っつっても、視覚と聴覚はノーマルだからな。もちろん弱い奴で『実戦だったらアウト』の奴だけど」
皆の顔に「ああ、そういう戦い方なんだ」という表情がありありと浮かぶ。
そして、それはシルバも似たようなモノだ。
「俺の場合は自分ちに誘い込んで、自分の部屋に罠を仕掛けただけ。前の日に森で捕まえたガスリスを5匹ほど放し飼いにしといた」
ガスリスは、驚くと猛獣でも気絶するような強烈な屁を放つ習性がある、小動物だ。
「そしてシルバの部屋は一ヶ月ほど、部屋は使い物にならなくなったという」
「言うな」
しかも、実行した後は母親に拳骨で殴られたというおまけ付きである。
一応、他の姉妹にも勝った事はあるが、こんな自慢にもならない戦い方ばかりなので、シルバとしては語る気にもなれなかった。
「む、娘や妹御相手にも、容赦がないのであるな、シルバ殿の家は」
キキョウの感想も分からないでもないが、シルバにだって言い分はあった。
「模擬戦っつっても、半端にやったら怪我するしな。大体、勝ったエピソードだけなら景気がいいかもしれないけど、その十倍はこっち負けてんだぞ」
「い、妹御にか」
「正確には母親と姉と妹な。俺と親父で、どっちが家ん中で一番弱いか競争してる状態だからなぁ」
「大変なのだな、シルバ殿も」
「ま、補給はこっちが握ってるから、五分五分なんだけどな」
「補給?」
よく分からないという顔をする皆に、シルバはサンドウィッチを指差した。
「これ」
食事を終え、シートを畳む。
後は出発の準備を残すのみとなった。
「次の補給、ポーションの材料集めの場所は、ここから馬車で少し行った所だな。飯を消化したら行くとしようか」
シルバは地図を折り、懐に入れた。
その裾を、リフが引っ張る。
「に……せんたくもの」
ふぅむ、とシルバは唸る。
「馬車に引っかけて行くか」
「さ、さすがにそれはちょっと」
タイランが慌てる
「冗談だよ。熱風で乾燥させよう。……『太陽』だと焦げるかな」
シルバは袖から札を出すと、天にかざした。
そよ風を受けた札は、風を表す『剣』の絵柄に変化する。
カナリーに、火の魔術でたき火を作ってもらうと、そちらに札を向けた。
熱を纏った風が生じ、洗濯物を乾かし始めた。
「……こんな事思いつく人より上なのか、シルバの家族は」
ボソリと呟くカナリーであった。
※この世界にサンドウィッチ伯爵がいるのかどうかは、全力スルーでお願いします。