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No.11810の一覧
[0] ミルク多めのブラックコーヒー(似非中世ファンタジー・ハーレム系)[かおらて](2009/11/21 06:17)
[1] 初心者訓練場の戦い1[かおらて](2009/10/16 08:45)
[2] 初心者訓練場の戦い2[かおらて](2009/10/28 01:07)
[3] 初心者訓練場の戦い3(完結)[かおらて](2009/11/19 02:30)
[4] 魔法使いカナリー見参1[かおらて](2009/09/29 05:55)
[5] 魔法使いカナリー見参2[かおらて](2009/11/14 04:34)
[6] 魔法使いカナリー見参3[かおらて](2009/10/27 00:58)
[7] 魔法使いカナリー見参4(完結)[かおらて](2009/10/16 08:47)
[8] とあるパーティーの憂鬱[かおらて](2009/11/21 06:33)
[9] 学習院の白い先生[かおらて](2009/12/06 02:00)
[10] 精霊事件1[かおらて](2009/11/05 09:25)
[11] 精霊事件2[かおらて](2009/11/05 09:26)
[12] 精霊事件3(完結)[かおらて](2010/04/08 20:47)
[13] セルビィ多元領域[かおらて](2009/11/21 06:34)
[14] メンバー強化[かおらて](2010/01/09 12:37)
[15] カナリーの問題[かおらて](2009/11/21 06:31)
[16] 共食いの第三層[かおらて](2009/11/25 05:21)
[17] リタイヤPT救出行[かおらて](2010/01/10 21:02)
[18] ノワ達を追え![かおらて](2010/01/10 21:03)
[19] ご飯を食べに行こう1[かおらて](2010/01/10 21:08)
[20] ご飯を食べに行こう2[かおらて](2010/01/10 21:11)
[21] ご飯を食べに行こう3[かおらて](2010/05/20 12:08)
[22] 神様は修行中[かおらて](2010/01/10 21:04)
[23] 守護神達の休み時間[かおらて](2010/01/10 21:05)
[24] 洞窟温泉探索行[かおらて](2010/01/10 21:05)
[25] 魔術師バサンズの試練[かおらて](2010/09/24 21:50)
[26] VSノワ戦 1[かおらて](2010/05/25 16:36)
[27] VSノワ戦 2[かおらて](2010/05/25 16:20)
[28] VSノワ戦 3[かおらて](2010/05/25 16:26)
[29] カーヴ・ハマーと第六層探索[かおらて](2010/05/25 01:21)
[30] シルバの封印と今後の話[かおらて](2010/05/25 01:22)
[31] 長い旅の始まり[かおらて](2010/05/25 01:24)
[32] 野菜の村の冒険[かおらて](2010/05/25 01:25)
[33] 札(カード)のある生活[かおらて](2010/05/28 08:00)
[34] スターレイのとある館にて[かおらて](2010/08/26 20:55)
[35] ロメロとアリエッタ[かおらて](2010/09/20 14:10)
[36] 七女の力[かおらて](2010/07/28 23:53)
[37] 薬草の採取[かおらて](2010/07/30 19:45)
[38] 魔弾の射手[かおらて](2010/08/01 01:20)
[39] ウェスレフト峡谷[かおらて](2010/08/03 12:34)
[40] 夜間飛行[かおらて](2010/08/06 02:05)
[41] 闇の中の会話[かおらて](2010/08/06 01:56)
[42] 洞窟1[かおらて](2010/08/07 16:37)
[43] 洞窟2[かおらて](2010/08/10 15:56)
[44] 洞窟3[かおらて](2010/08/26 21:11)
[86] 洞窟4[かおらて](2010/08/26 21:12)
[87] 洞窟5[かおらて](2010/08/26 21:12)
[88] 洞窟6[かおらて](2010/08/26 21:13)
[89] 洞窟7[かおらて](2010/08/26 21:14)
[90] ふりだしに戻る[かおらて](2010/08/26 21:14)
[91] 川辺のたき火[かおらて](2010/09/07 23:42)
[92] タイランと助っ人[かおらて](2010/08/26 21:15)
[93] 螺旋獣[かおらて](2010/08/26 21:17)
[94] 水上を駆け抜ける者[かおらて](2010/08/27 07:42)
[95] 空の上から[かおらて](2010/08/28 05:07)
[96] 堅牢なる鉄巨人[かおらて](2010/08/31 17:31)
[97] 子虎と鬼の反撃準備[かおらて](2010/08/31 17:30)
[98] 空と水の中[かおらて](2010/09/01 20:33)
[99] 墜ちる怪鳥[かおらて](2010/09/02 22:26)
[100] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(上)[かおらて](2010/09/07 23:40)
[101] 崩れる巨人、暗躍する享楽者達(下)[かおらて](2010/09/07 23:28)
[102] 暴食の戦い[かおらて](2010/09/12 02:12)
[103] 練気炉[かおらて](2010/09/12 02:13)
[104] 浮遊車[かおらて](2010/09/16 06:55)
[105] 気配のない男[かおらて](2010/09/16 06:56)
[106] 研究者現る[かおらて](2010/09/17 18:34)
[107] 甦る重き戦士[かおらて](2010/09/18 11:35)
[108] 謎の魔女(?)[かおらて](2010/09/20 19:15)
[242] 死なない女[かおらて](2010/09/22 22:05)
[243] 拓かれる道[かおらて](2010/09/22 22:06)
[244] 砂漠の宮殿フォンダン[かおらて](2010/09/24 21:49)
[245] 施設の理由[かおらて](2010/09/28 18:11)
[246] ラグドールへの尋問[かおらて](2010/10/01 01:42)
[248] 討伐軍の秘密[かおらて](2010/10/01 14:35)
[249] 大浴場の雑談[かおらて](2010/10/02 19:06)
[250] ゾディアックス[かおらて](2010/10/06 13:42)
[251] 初心者訓練場の怪鳥[かおらて](2010/10/06 13:43)
[252] アーミゼストへの帰還[かおらて](2010/10/08 04:12)
[254] 鍼灸院にて[かおらて](2010/10/10 01:41)
[255] 三匹の蝙蝠と、一匹の蛸[かおらて](2010/10/14 09:13)
[256] 2人はクロップ[かおらて](2010/10/14 10:38)
[257] ルシタルノ邸の留守番[かおらて](2010/10/15 03:31)
[258] 再集合[かおらて](2010/10/19 14:15)
[259] 異物[かおらて](2010/10/20 14:12)
[260] 出発進行[かおらて](2010/10/21 16:10)
[261] 中枢[かおらて](2010/10/26 20:41)
[262] 不審者の動き[かおらて](2010/11/01 07:34)
[263] 逆転の提案[かおらて](2010/11/04 00:56)
[264] 太陽に背を背けて[かおらて](2010/11/05 07:51)
[265] 尋問開始[かおらて](2010/11/09 08:15)
[266] 彼女に足りないモノ[かおらて](2010/11/11 02:36)
[267] チシャ解放[かおらて](2010/11/30 02:39)
[268] パーティーの秘密に関して[かおらて](2010/11/30 02:39)
[269] 滋養強壮[かおらて](2010/12/01 22:45)
[270] (番外編)シルバ達の平和な日常[かおらて](2010/09/22 22:11)
[271] (番外編)補給部隊がいく[かおらて](2010/09/22 22:11)
[272] (番外編)ストア先生の世界講義[かおらて](2010/09/22 22:14)
[273] (番外編)鬼が来たりて [かおらて](2010/10/01 14:34)
[274] (場外乱闘編)六田柴と名無しの手紙[かおらて](2010/09/22 22:17)
[275] キャラクター紹介(超簡易・ネタバレ有) 101020更新[かおらて](2010/10/20 14:16)
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[11810] スターレイのとある館にて
Name: かおらて◆6028f421 ID:82b0c033 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/08/26 20:55
 二日目の朝も快晴だった。
「んー……」
 朝の澄んだ空気を吸い込み、シルバは大きく身体を伸ばす。
 すると、女子テントからも『悪魔』の札を持ったリフが姿を現わした。その肩には、ちびネイトも乗っている。
「に、お兄おはよ」
「今日もいい朝だな、シルバ」
「おう、二人ともおはよ。それに……タイラン?」
 ゆっくりとテントから出て来た重甲冑に、シルバはそれがタイランかモンブランか区別がつかなかった。
「ガガ……我、違ウ。たいらんニアラズ」
「モンブランか。おはようさん」
「ガ。オハヨウゴザイマス」
 ペコリ、とお辞儀をするモンブラン十六号。
 その動作に、逆にシルバが怯んでしまう。
「れ、礼儀正しいな、おい」
「挨拶ハ大事。主殿カラソウ学ンダ。コレハ東洋ノ作法」
「……教えた本人は、礼儀とかどーなんだって気もするけどなぁ。それでリフ、他のみんなは?」
「みんな、まだグッスリおねむ」
 そう言えば昨日は遅くまで騒いでいたようだし、そういう事もあるのだろう。
「そうか。ま、いいや。それじゃとりあえず、俺達だけで朝飯の用意をしよう」
「に」
「時に君ら、料理の心得は?」
 シルバは、リフ達を見渡した。
「簡単なのなら」
「料理方法ハ学ンデイナイ」
「出来ると思うか?」
 リフ、モンブラン、ネイトの順の答えに、シルバは頷いた。
「よし、基本的な戦力は分かった。簡単なモノで済まそう。リフは昨日のポタージュを温める係。モンブランはこの桶で湖から水を汲んでくる。そして俺はサンドウィッチを作る」
「ガ……我モ働クノカ」
 木桶を渡されたモンブラン十六号は、自分を指差した。
「飯食わないっつっても動力が精霊炉なんだから、美味しい水とか飲めた方がいいだろ。働かない奴は食っちゃいけないって、ウチの国の法律にもある」
「……そんな法、あったか?」
 ネイトが首を傾げる。
 シルバはリフから『悪魔』の札を受け取りながら、モンブランと話を続ける。
「少なくとも、我が家ではそうだった。後で濾過のやり方を教えるし、飯の作り方は憶えておいて損はないはずだ」
「ガガ、我ハ食ベナイゾ」
「爺さんの差し入れとか世話とか。戦闘スキルばっか上げても味気ないだろ?」
「ガ! しるばイイ奴! 水、汲ンデクル」
 いきなり張り切りだしたモンブランは、重い足音を響かせながら湖の方に走っていった。
 それを眺めながら、シルバの肩に移ったちびネイトが言う。
「モンブランの好感度が5ポイント上がった」
「上げんな」
「モンブランルートのフラグが立った」
「立ててねえし、そもそも何だそのフラグって!?」
 うん、とネイトは頷いた。
「ああ、安心する。カナリーも悪くなかったが、やはりシルバのツッコミが一番しっくり来る」
「に……ちょっと同感」
 リフまで、コクコクと首を縦に振っている。
「……お前ら、テントの中でどんな会話してたんだよ」


 朝食も済ませ、再び馬車は出発した。
「……僕にはシルバが必要だと言う事が、よく分かったよ」
 窓際の席に座ったカナリーは、疲れたような顔で呟いた。
「プロポーズか何かかそれは」
「ああ、打てば響く……シルバ、君は実にいい芸人になれるよ」
「俺の未来をどこに向かわせる気なんだ、お前は」
「ともあれ、これは返しておくよ、シルバ。お陰で助かった」
 言って、カナリーは『月』の札を返した。
 シルバが寝る前に、『月』を札に映して作ったモノだ。
 そしてその力を借りて、カナリーは夜でないにも関わらず、荷物を影の中に戻す事が出来たのだった。
「その札があれば、カナリーが寝過ごしても大丈夫であるな」
 小さな短刀で木片を削りながら、キキョウが言う。木屑は膝の上に布を敷いているので、そこに落ちていた。
「それもあるけど、昼間でも夜と同じ力で動けるってのが何より大きいね。もっとも、その間、シルバが札を使えなくなるけど。……で、さっきから君は一体何を作っているんだ」
「馬車の長旅ではする事がほとんどないであろう? せめて手ぐらいは動かそうと思ってな。馬車が揺れる時はやらぬから、安心してくれ」
 言って、キキョウは小さな木片をカナリーに渡した。
 興味深げに、カナリーがそれを眺める。
「五角形にしてはいびつだけど……何かのお守りかい?」
「我が国に伝わるショーギという盤上遊戯の駒だ。こちらでいうチェスにあたる」
「へえ」
「駒と盤が揃った暁には勝負だぞ、カナリー。チェスで後れを取った分、取り戻すつもりでいるのでな」
 どうやら、シルバの知らないところで、何やら大人げない勝負が行なわれていたらしい。
 そもそも東方出身のキキョウは、チェスのルールを憶えるだけでも大変だろうに。
「……カナリー」
 何とも言えない表情をするシルバに、カナリーは怯む。
「ル、ルールはやりながら憶えるのが一番なんだよ、シルバ」
「うむ、その通りだ。今度、実戦で憶えてもらうので覚悟しておいてくれ」
 笑顔でキキョウが言う。目は笑っていなかったが。
「ううう……了解」
 カナリーが俯く……かと思ったら、不意に何かを思い出したらしく、急に顔を上げた。
「あ、そうだ、忘れるところだった。ヒイロ」
「ん、何?」
 向かいの席で、窓の外の風景を眺めていたヒイロが振り返る。
 カナリーは懐から、宝石のついた首飾りを出した。
「この護符を身につけておいてくれ。角が隠れる」
「はぇ?」
「旅の前に調べてみたところ、この先はゴドー聖教の影響が強くて、魔族に対しての風当たりが強いらしいんだ。というか、人間以外の全般かな。それでも獣人ぐらいならまだ問題なさそうだけど、僕みたいな吸血鬼は特にね」
「ボクは?」
 首飾りを受け取りながら、ヒイロは首を傾げる。
「鬼族は微妙な所だから、念のために用意しておいたんだ。行って、問題ないようなら外せばいいし、なんかやばそうなら着けたままで」
「んー、らじゃ」
 生返事を返しながら、ヒイロは首飾りをつけた。
 すると、スゥッとヒイロの額にあった二本の角が消失した。
「あ、ヒイロ、角が消えましたよ。それに、髪と目の色も変わりました」
 隣に座っていたタイランが、驚いて報告する。
「え、ホント!? ボクには見えないんだけど!」
 髪の色は栗色の髪から、透き通るような赤毛に変化していた。髪の毛の量も少し増えているようだ。
 瞳の色は茶色から青紫になっている。
「髪の毛は綺麗なルビー色になってます」
「鏡」
 スッと、シーラが手鏡をヒイロに差し出した。
「あ、ありがと、シーラ。おおー! 誰これ一体!」
「髪と目だけでも印象が変わるもんだなぁ」
 シルバも感心したように、ヒイロを見ていた。
「ありがと、カナリーさん!」
 さっきまでの気のない様子とは打って変わって、えらくテンションの上がったヒイロだった。
「どういたしまして。タイランは、本来と変わらず自動鎧という事にしておいてくれ」
「わ、分かりました」
 そしてカナリーは、大人しくしているシーラを見た。
「シーラはそのままで問題なさそうだな」
「そう」
「馬車は途中で札を『戦車』に変えて、ブーストしてもらう事になってるし。これなら本来の二日目の目的地であるスターレイにも到着出来ると思う。けど、その前に、着替えもしておきたい」
「変装までするのか」
 少し呆れるシルバに、カナリーはニヤリと笑顔を浮かべた。
「ふふふ、何となくお忍びの旅っぽくていいじゃないか。髪留めや眼鏡も用意してあるんだ」
「……楽しんでるなぁ、カナリー」


 街道を少し外れた草原で昼食を取り、その後、カナリーとヒイロは背の高い茂みで着替えを行う事になった。
 そして、草を掻き分けて先に現れたのは、カナリーだった。
「さて、どんなものだろう」
 カナリーの声を発したのは、杖を持ち眼鏡を掛けたローブ姿の女性だった。ひっつめにした長い黒髪は、肩から前に垂らしている。
「……えらくスタンダードな魔法使い」
 とキキョウ。
「冒険者ギルドのひしょさん」
 リフが率直な感想を言う。
「確かに。貴族というよりは誰かに仕えるような感じではあるな」
「別人」
 ネイトの言葉に、シーラが頷く。
「えっと……バサンズ女版? うん、別人って意味ではまったく、その通りなんだけど」
 シルバも迷ったが、見たままの感想を述べた。
 シルバ達の感想に、変装したカナリーは満足そうだった。
「よし、変装は成功のようだね。これで行こう」
「いや、いいのか!? 今のあんまり褒め言葉になってないぞ!? や、悪口でもないけどさ!」
「普段が目立つ服装だからね。変装の基本は、正反対にある事だ。そういう意味では、僕のこの格好は正しいと言える」
 どことなく楽しそうに、カナリーはおそらく伊達と思われる眼鏡を整える。
「……や、まあ、本人が納得してるならいいけどさ。リフの言う通り、何かお堅い秘書官って感じで、新鮮ではある」
「そうですか。それでは、上司に付き添わなくてはなりませんね」
「口調まで変えてきた!?」
 ふふ、と微笑み、シーラと同じくシルバの背後に控えるカナリーであった。
 どうにも落ち着かないシルバだったが、まだ変装が終わっていない仲間がもう一人いる。
 ヒイロ一人だと大雑把と言う事で、着替えにはタイランが付き添っていた。
「ヒ、ヒイロ、髪はこうやって後ろでまとめて……」
「えー、面倒くさいよう」
 茂みの向こうから、二人のやり取りが聞こえてくる。
「あ、これいいです! バ、バッチリです! シルバさんに見せに行きましょう」
「何か、スカートってヒラヒラして落ち着かないなぁ……」
「ロングスカートもありますけど、そっちがいいですか?」
「ぬうっ! そんなの動きにくいよ! それならまだ、こっちの方がマシ!」
「基本的に一泊するだけですし、甲冑はいいですよね。上の服はこれでいきましょう」
「あ、でも剣はダメだよ! 大事なボクの相棒なんだから!」
 何だか揉めているようだった。
「ずいぶんとまた、タイランがテンション高いな」
「だね。実際、ヒイロがどんな風になっているか……」
 口調を戻したカナリーが、シルバの背後で同意する。
 やがて、恥ずかしそうにヒイロらしき少女が草むらから現れた。
「ほぉ……」
 思わずそんな感嘆の声を漏らしていたのは、キキョウだ。
 ルビー色の髪は、短いポニーテールにされている。
 どことなく軍の制服をイメージさせる赤地のジャケットを身に着け、いつもの半ズボンではなく短い黒スカートを履いている。靴はいつものブーツより更に長く、膝当てと一体になったロングブーツとなっている。
 いつもと変わらないのは、ゴツゴツとした骨剣ぐらいだ。
 普段が野戦向きのヒイロとすれば、何だかこれは都市防衛の新兵のような印象をシルバは受けた。
「それはそれであり何じゃないか? 似合ってるぞ、ヒイロ」
「そ、そう!?」
 シルバの評価を受け、珍しくオドオドとしていたヒイロの表情がパァッと明るくなる。
「ほ、ほら、シルバさんの受けもバッチリです! よかったじゃないですか!」
 ヒイロの背後から現れた重甲冑タイランも、ヒイロにグッと拳を作って見せた。
「う、うん! じゃ、じゃあこれのまま、街に入ってみる……」
 シルバはグルッと、みんなを見渡した。
 いつもの格好のキキョウとリフ、それにタイラン、ネイト。
 青ローブのやり手秘書風魔術師カナリーに、赤い新兵少女ヒイロ。
「ふーむ、二人変わっただけでもずいぶん、パーティーの印象が変わるもんだな」
「メンバーの男女バランス的には、悪くない」
「だな」
 キキョウと頷き合う。
「でも、いいのかな。基本このパーティーって女人禁制だったはずなんだけど」
 ヒイロが困ったように首を傾げるのに対し、シルバは苦笑しながら手を振った。
「はは、言っちゃ何だけど、こんな遠くにまで、俺達の名前は売れてないって。それに次の街じゃ、冒険者としての仕事を受けるつもりもないし、素性がバレる心配は多分ないと思う」
「ま、僕は立場上、念のために偽名を使うけどね」
 眼鏡をクイッと持ち上げながら、カナリーが言った。


 そして馬車は再び、走り出す。
 馬車に揺られながら、シルバは軽く手を上げた。
「さて、街に入る前に何か質問ある人ー」
「えっと、多分街そのモノとかと関係ないけど、いいのかな」
 遠慮がちに、ヒイロが言う。
 いつもなら元気いっぱいに手を上げるところなのに、どうやら服装は若干性格にも影響を与えるらしかった。
「そりゃ、聞いてみないと何とも言えないな」
「んと、辺境の方だと亜人に対して風当たりが強いのって、何でなのかなって思って」
 それか、とシルバは腕を組んで、どう説明しようかと唸った。
 簡単に頭の中でまとめると、ヒイロを見た。
「一番大きいのはまず、この辺境のさらに田舎を拓いていったのが、主に人間だって事。同じ種族が集まれば、結束は強くなるだろ? その反面、異種族に対して排他的になるっていう問題も出て来る。問題といっても、それは排他される側の視点であって、本人達は特に困ってないってのも困るんだが……」
 シルバは指を一本立てた。
「そしてもう一つの要素は信仰だ。辺境ってのは基本的に物資が少ない。そういう豊かでない所では、精神的な支えってのが強まるんだ。んで、ゴドー聖教の主神ゴドーは人間の神を崇める宗教な訳で」
「亜人は駄目なんだ」
 ヒイロの言葉に、シルバは小さく首を振る。
「正確には、神々の戦いの際、獣人とかも味方についてたから、排他する事はないんだけどな。ただ、その辺が自分達の都合のいいように変えられてる事がままあるんだよ。ルベラントの総本山ですら、人間至上主義者っているんだから」
「先輩は?」
 ちょっと心配そうなヒイロに対し、シルバは肩を竦めた。
「多種族国家ドラマリン森林領の多種族コロニー出身の俺に聞くのは、ナンセンスってモンだろ」
「そっかぁ、よかった」
 ホッとヒイロは自分の胸に手を当てた。
「ん?」
「何でもない!」
「そうか」


「あ、あと、魔族は……その……」
 タイランが、カナリーを気遣いながら質問する。
 しかし、そのカナリー本人は一向に気にしている様子はなかった。
「どうしてゴドーに嫌われてるかっていうと、その神様戦争の時に最後まで敵対してたからさ。魔族っていうのは大別して、悪魔族、吸血鬼族、淫魔・夢魔族の三つになる」
「淫魔と夢魔は一緒なのか……よく分からぬ」
 キキョウが唸り、カナリーは肩を竦める。こうしていると、姿は変われどカナリーの態度は普段と同じだから、不思議な感じがするシルバだった。
「厳密には、中で違うらしいんだけど、基本同じ。例えるなら猛禽っていう空飛ぶグループとしては同じだけど、種族としては鷹もいればフクロウもいるだろう? かなり乱暴だけど、そんな感じさ」
「で、カナリーさんは吸血鬼族で、ネイトさんは悪魔さん族?」
 ヒイロはキョロキョロと、カナリーとシルバの肩の上にいるネイトを交互に見ていた。
「私の場合は一般に言われる悪魔と、実は違うのだが」
「え、そうなの?」
「ああ、悪魔には実は二種類あるんだ。一つは迷宮に現れるモンスターや、その上級の高い知性と魔力を持った悪魔。魔王を筆頭とし、魔王領で強い勢力を持ついわゆる『魔族』と呼ばれて真っ先にイメージされるのが、これだ」
「山羊の角が生えてたり、槍とか矢の先みたいな尻尾が生えてるのだね」
「あ、あれ……? それって色が白いと……」
 うんうん、とヒイロが頷き、タイランが何かに気が付いたようだった。
 それを遮るように、シルバも話に参加する。
「ヒイロのイメージで大体合ってる。その、魔力や生物の負の感情を主なエネルギーとしている彼らが、ゴドー聖教の聖書に書かれている、敵対した魔族――の一種、{悪魔/デーモン}族だ」
 シルバは指を二本立てた。
「で、すごくややこしい事に、悪魔ってのはもう一種類あって、それがコイツみたいな奴。いわゆる世界そのモノの敵。前者の悪魔が動物や人間の魔物版だとすると、コイツは災害みたいなもんだ」
「ちょ、せ、先輩、その言い方はあんまりすぎると思うんだけど。災厄って……」
 ヒイロはすまなそうにネイトを見るが、言われた当人はまったく表情を変えなかった。
「いや、これは事実だからしょうがない。シルバの言い方はこれでもまだ、控えめな方だ。正直なところ、私が顕現する前の靄の状態、アレを倒す方法は人類には存在しない」
「あー、あれ」
 ヒイロも思い出したようだ。
 ノワとの戦いの歳に第三勢力として出現したモンスター(?)、冒険者を別の存在に作り替え、迷宮そのモノの構造すら変えてしまった靄である。
 その靄の話をネイトは続ける。
「そして悪魔は顕現し、願いを叶える。その間、人々は私達をどうする事も出来ない」
「で、でも、魔力障壁は壊せたよね」
 抵抗する術はあるんじゃないかと、ヒイロは問う。
 それに対し、ネイトは小さく首を振るだけだった。
「ああ、あれはこの世界のルール内だからだ。しかし、本体はどうしようもない。後者の悪魔は本当に手の打ちようがなく、何とか出来るとすればまさしく神ぐらいのものだろう。かろうじて人間が抵抗出来るとするならば、神が対悪魔用に作った神器でも持ち出せば話は別だが」
「ん、んー……でも、そのお話聞いてると、災厄の方はどうしようもないけど、何となく魔物の方の悪魔って、神様なら割と倒すの難しくない感じがする。本当に神様ってのがいればの話だけど。神様の敵なんでしょ? 何で魔王やっつけないのかな?」
 不思議そうに、ヒイロは首を傾げた。
「これはシルバに答えてもらおう」
「……まあ、神のみぞ知るだな」
 ネイトに水を向けられたシルバは、そう苦笑しながら誤魔化すしかなかった。
 本当の事は知っているがあまりに荒唐無稽であり、それを話すにはまだ早いのだ。
 パン、とカナリーが手を打った。
「何にしろ、吸血鬼である僕はあまり自分の素性を知られたくないという訳です。という訳で、この先の街では、私の事はエクリュ・ヘレフォードと呼ぶように」
 口調を変えて言うカナリーに、シルバは目を瞬かせた。
「……誰?」
「姓はウチの末端の末端に名を連ねる家柄。エクリュは従姉妹の名前です」
「はー。そ、それじゃボクも何か考える!」
 どうやらヒイロは対抗意識を燃やしたらしい。いや、単純に面白がっているだけか、とシルバは思った。
「別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「むむ……どうしようかな。ヒイロ……エイユ……カナリーさんの偽名と微妙に被るし……」
 シルバの忠告もまるで聞こえちゃいないようだった。
 やがて、ヒイロは元気よく顔を上げた。
「ユシア! これで行く! 名字は考えてないけど!」
「……忘れちゃいそうだな。えーと、エクリュとユシアね。了解了解。ヴァーミィとセルシアもちょっとやばそうだし、馬車を降りたら引っ込めとこう」
 メモを取りながらシルバが言うと、カナリーは困ったように頬に手を当てた。
「『月』の札がありませんが……」
「『太陽』の札を逆位置で使えばいい。月の力は得られなくても、太陽を無効化する事は出来る。出来れば馬達には、一日分だけ認識偽装を掛けられるといいんだが。町外れに留めるにしても、バイコーンは間違いなく人目を引く」
「太陽が無力ならば、おそらく可能です。それでは、司祭様の提案の通りで行きましょう」
「……なーんか妙にムズ痒いんですけど」
 カナリーの言葉に、シルバはどうにも落ち着かない。
「ふふふ……私としては、こういうのも新鮮でよろしいかと」
 同時に、キキョウの視線もやけに痛くなってきていた。
「……何だかシルバ殿とカナリーが、微妙に息が合っているような気がするのだが」
「秘書的ポジションは、本来わたしにある」
 何気に自己主張するシーラであった。
「にぅ……」
 難しい話に退屈していたのか、いつの間にかリフは居眠りをしていた。


 日は傾き、もうしばらくすると夕方になるだろうという時刻。
 馬車を街の外れの木に繋ぎ、シルバ達一行は辺境の街スターレイに入った。
 道路は舗装されていないが、建物は時々高いものもある。仕事帰りや夕飯の買い出しらしい人々の行き来は、アーミゼストほど賑やかではないが、決して少なくはないようだ。
「結構大きいな」
 シルバは街の感想を述べると、ひときわ高い建物に目を向けた。
 その建物、教会の鐘楼から鐘の音が響いてきた。
 何となく、街の中心はあそこか、という気がする。
「とりあえず、俺は仕事柄、教会の方に挨拶に行くつもりだけど……」
「……某はやめておいた方が良さそうだな。なるほど、少々居心地が悪い」
「で、ですね……」
 固まって話をするシルバ達に、行き交う人々は好奇の視線を向けてくる。
 なるほど、そのほとんどは人間族だし、キキョウ達がそちらを見ると、そそくさと去ってしまう。
 こういう注目のされ方が苦手なタイランが、肩身を狭そうにしているのも、当然だろう。
「ただでさえ、キキョウは人目を引くからなぁ。って事は、教会組と、自由行動組の二手に分かれるか。ま、こっちも用事済んだらそのままぶらつくつもりだけど」
「じゃ、ボクは先輩の方についてく!」
 ビシッと手を上げたのは、ヒイロだった。
 反対に、ササッとキキョウの方に寄るのはタイラン。
「わ、私は遠慮しておきますね……」
「に……」
 仔猫状態になったリフも、タイランの頭の上で返事をする。まだ眠り足りないらしい。
「ふむ、タイランとリフは某側。カナリーも当然……」
「司祭様についていきますね」
「なぬ!?」
 青いローブの女魔術師は微笑み、キキョウは仰天する
「せっかくの機会ですから」
 どうやら、本気らしい。
「……いや、変な結界とか張られてないとは思うけど、うっかり清めの儀式とか受けるなよ」
「承知しました」
「わたしも主についていく」
 シーラもシルバに同行となり、ちびネイトがシルバの肩の上で腕を組んだ。
「となると、人数的にちょっと不公平だな。私もキキョウ君の側についていこう。シルバ、札をキキョウ君に渡すんだ」
「……今日は色々珍しい事が起きすぎる」
 キキョウは寄った自分の眉根を揉んでいた。
「シルバの傍にいたいのが本音だが、教会でちょっかいを掛けて困らせるわけにもいかないからな。それに悪魔が教会を避けるのは、正しいだろう?」
 キキョウの肩の上に乗ったネイトが言う。
「ふむ、なるほど……では、某達は散策と、宿を探しておくとしよう」
「待ち合わせは、私が念波で連絡を入れる事にしよう」
「ああ。それじゃまた後でな」
 シルバは手を振って、キキョウ達と別れた。
「さて、それじゃ教会に行きますか」


 キキョウらと別れたシルバ達は、教会を目指す事にした。
 幸い、目印になる鐘楼はアホみたいに高いので、迷う事はなさそうだ。
 そんな事を考えながら歩いていると、ススッとシルバの横に並んできたヒイロが、袖を引っ張ってきた。
「ねえ先輩、何かいつもと違う感じの視線を感じるんだけど」
 通りを歩くシルバ達を、相変わらず皆が振り返っていた。
 いつもと違う感じ、というヒイロの言葉の意味も、シルバには何となく分かっていた。
 だが、カナリーは不思議そうに、シルバの背後で呟いていた。
「おかしいですね。地味な格好をしているのに」
「……いや、格好は地味でもな。目立つって点では、いつもと変わらないっつーか」
 カナリーが歩くたびに、青いローブの胸元で、二つの大きな塊がゆさゆさと揺れていた。
 視線の多くは、主にそこに集中していたりする。
「特にカナリ……エクリュさんの胸がすごいよねぇ」
「そこに注目されてるんですか!?」
「「自覚がなかったの!?」」
 心底驚くカナリーに、むしろシルバとヒイロも仰天する。
「でも、あっちの子もありだよなー」
「うんうん、可愛い」
 何だか、後ろからそんな声も聞こえていた。どうやら街の男達が何人か、ついてきているようだ。
「ま、ヒイロも言われてるっぽいけどな」
「え!?」
 シルバは振り返らず、ヒイロに後ろを指してみせた。
「はぅ……」
 振り返ったヒイロは真っ赤な顔をして、シルバの袖を握りしめる。
 その間も、背後の男達の声は続いていた。
 ヒソヒソ声のつもりだろうが、シルバの耳には充分届いていた。
「しかしよく分からんグループだな。司祭様に衛兵に魔術師に……メイド?」
「あのメイドも、司祭様の連れなのかな……」
「多分な」
 などという声が聞こえ、シルバは小さく後ろに控えるシーラに囁いた。
「揃いも揃って注目の的だな」
「そう」
 シーラは相変わらずの無表情で応える。
「……で、あの冴えない司祭様は一体どこのドイツなんだ?」
「やっちまうか」
「待て、まだ日が出ている」
 男達の言葉と共に、シルバの背中に嫉妬と羨望の視線が突き刺さる。
「……俺に対する視線は、性別が変わっただけで大差ないな」
「ああっ、先輩がものすごく遠い目をしてる!」
 なるべく早く、宿を決めよう。
 そう考えるシルバの視界に、自分を見る男の子の姿が入った。
「……ん?」
 青っぽい黒髪に銀縁眼鏡を掛けた、年齢はリフと同じぐらいの少年だ。
 身なりからして、どうやらかなり裕福な家庭の子のようだった。
 男の子はシルバと目が合うと、ニコッと笑って手を振った。
「どうかしましたか、司祭様」
 カナリーの声に、シルバはハッと我に返った。
「いや、あの子……」
「あの子って?」
「え」
 シルバが指差した先には、もう誰もいなくなっていた。
「いや……いい。何でもない」


 教会は、遠くから見た通り、立派な造りだった。
 両開きの扉を開き、中に入る。
 シルバ達は、長椅子の並ぶ礼拝堂を進んだ。
 壇上では司祭らしき男が何やら書類を片付けている様だが、説法の時間ではなさそうだ。
 長椅子に座り、祈りを捧げている街の人間は十人ぐらいだろうか、チラホラと見受けられる。
「それにしてもカナリーがついて来るとは意外だったな。前に誘った時は、入りたくなさそうだったのに」
 小声で、シルバは後ろをついて来るカナリーに囁く。
「気分の問題でしょうね。今はこれを預かったままですから」
 言って、カナリーが胸元から取り出したのは『太陽』の札だった。
「あー」
 なるほど、夜の魔力を維持したままのカナリーならば、多少の聖性などモノともしないだろう。
「でも、どんな感じにやな感じなの? その……吸血鬼的に」
 ヒイロも小声で尋ねる。
「そうですね……人間で例えるなら、現役で使っている拷問部屋を歩いているような感じでしょうか」
「怖……っ!」
「ま、これはこれで一興ですけれど」
 鼻歌でも歌いそうな足取りで、カナリーはシルバについて来る。
 ヒイロはキョロキョロと落ち着きなく、礼拝堂を眺めていた。
「でも、田舎なのにずいぶんと立派な教会だよね、先輩。それとも、こういう所でもこれぐらい、普通なの?」
「この辺りの中心で、きっと寄付金が多いんだろうな。こういう土地だと、よくある事だ」
 信仰が盛んなら、それだけ金が集まる。
 立派な教会は悪いわけではない。それは街の人間達の信仰の象徴であり、敬虔な信者の拠り所となるからだ。
 度が過ぎれば悪徳に傾くだろうが、これぐらいの建物なら悪くないんじゃないかとシルバは思う。
「しかし、ちょっと気になりますね」
「っていうと?」
 カナリーは何やら考え込んでいるようだ。
「街の人口と、周辺の村の数を考えると……実際、もうちょっと大きくても良さそうなんですけど。それとも、他に何かお金を使っているのか……」
「施しの為の積み立てとかも必要だろうし、建物ばかりには……って、どうしたシーラ」
「同業者」
 シーラの視線の先には、最前列の席に座るメイドがいた。
「お、本当だ。休憩時間か何かかな」
 彼女は両手を合わせ、祭壇上にある神の像に祈りを捧げていた。


 壇上で書類を片付けた男に、シルバは声を掛けた。
 自分の聖印を見せ、ゴドー聖教の司祭である事を証明する。
「スターレイへようこそ」
 小太りの中年司祭はにこやかに微笑み、祈りを切った。
「シルバ・ロックールです。よろしくお願いします」
 同じようにシルバも、祈りを切る。
 その時、後ろでパタパタと足音が鳴った。
「うん?」
 振り返ると、先程のメイドが急いで礼拝堂を出て行くところだった。
「これ、アニー。教会の中は静かに歩きなさい」
「す、すみません!」
 司祭の男がメイドを優しく窘めると、メイドはペコリと頭を下げて出て行った。
 彼は、シルバに向き直った。
「司祭長が現在、少し離れた場所にある村に向かっており、不在なので、私が代理を務めさせてもらっております」
「そうですか。それは残念です」
 まあ、単に挨拶だけだから、本音を言えば残念でも何でもないのだが。
 シルバは微笑みを絶やさず、後ろのカナリー達を紹介する事にした。
「私は都市の方で遺跡の探索を行なっていて、後ろの者達はその旅の仲間です」
「それは立派なお仕事ですね。しばらくは、この街に滞在を?」
「あ、いや、目的があって、明日にはもう出発します」
「それは残念……」
 中年司祭の方は、シルバとは逆に心底残念そうだった。
「何かあるんですか?」
「もうじき町長選挙が行なわれる予定でして、出来れば司祭長の為に、一人でも多くの人に応援して欲しかったのですよ」
「なるほど、選挙ですか」
 別に、シルバ達に選挙権がある訳でもないだろうが、応援や雑用はそりゃ多いに越した事はないだろうな、とシルバは考える。
 それからふと、気がついた。
「選挙という事は、対抗馬がいるんですね」
「ええ、結構強敵が」
 大真面目に、司祭は頷いた。
 少し興味深かったが、どうせ明日には去る身だし、深く追求するのもよそう。
 そんなシルバの考えをまるで見抜いたかの様にタイミングよく、司祭も首を振った。
「と、長くお引き留めするのも、よくありませんな。ともあれ、よい旅になる事をお祈りいたしております」
「はい。ありがとうございます」
 互いに笑顔のまま、二人は握手をして別れた。


「ぶふっ」
 教会を出た途端、ヒイロは身体を丸めて噴き出した。
「ど、どうしたヒイロ?」
「い、いや……だって先輩、自分の事、私って……笑い堪えるのに必死でもう……」
 ヒイロの肩がぷるぷると震えていた。
 その背中を、カナリーの手が撫でていく。
「こちらは我慢させるので、必死でした」
「……そんなにおかしかったか?」
「それは何とも」
 判断に困る答えをする、笑顔のカナリーだった。
「普通」
「……ありがとよ、シーラ」
 普通って評価もどうなんだろう、とシルバはちょっと悩んでしまう。
 これからどうするべきか。
 宿をとるのはキキョウの仕事だったので、集合時間まで適当に街を見て回るか。
 そんな事を考えていると。
「あ、あの……っ」
 息せき切った声に、シルバは振り返った。
「ん?」
 そこには、髪を三つ編みにしたメイドがいた。
 さっきまで教会でお祈りを捧げていた娘である。
「失礼ですが、シルバ・ロックール様……でしょうか?」
「あ、はい? 何でしょう?」
「ちょっとシルバ。君、こんな所まで名前は売れてないとか言ってなかったか?」
 返事をするシルバの背中に近付いたカナリーが、素の台詞回しで囁いてきた。
 胸が背中に当たっているのだが、それについて突っ込んでいる場合ではなさそうだ。
「わたし、アニー・キャラビィと申します。ロックール様……お間違えでなければ、その……」
 ちょっと自信なさげに、アニーは言う。
「カナリー・ホルスティン様とご縁のあるお方と存じますが」
「……おい、カナリー」
 小声でカナリーを責めたが、彼女はスッと目を逸らした。
 こんにゃろう、とシルバは思ったが、アニーは合わせた両手をモジモジさせながら、話を続けていた。
「我が主、マール・フェリーが家に招きたいと仰っているのですが、今日の宿泊先などもうお決まりでしょうか……?」
 あれ、どっかで聞いた様な名前が出て来たぞ、とシルバの頬を一筋の汗が流れていた。

 『獣人他、亜人お断りしております』


 酒場の前に置かれている、その立て看板にキキョウは唸った。
「むぅ……獣人お断りとは中々に心が狭い」
 どうやら人間専門の店らしい。
 となると、キキョウはこの店に入る事は出来ない。タイランにしても、表向きは{動く鎧/リビングメイル}という事になっているので、無理だ。……本体である精霊体ならどうかという話もあるが、どちらにしてもキキョウを置き去りには出来ない。
「なかなか見つかりませんね……」
「にぅ……」
 そんな訳で、キキョウとタイランは、トボトボと街の通りを歩いていた。札であるネイトはキキョウの懐だし、仔猫状態のリフはタイランの頭の上で半ば眠っているので、実質足を使って移動しているのはこの二人だけだ。
 街でほとんど見ない獣人と言うだけでも目立つのに、キキョウの凛々しい顔立ちとジェントの着物は嫌でも人目を引く。それに加えて、二メルト近い背丈のタイランが一緒に歩いているのである。
 行き来する人々は皆、キキョウやタイランを見ると、ギョッと目を見開き、自然と距離を取っていた。
 こんな調子なので、適当な街見物も宿探しもさほど芳しいモノではなく、とりあえずは一旦、どこかで休憩をしようという事になったのだが、そもそも入れる店がないという状況だった。
「まあ、シルバ殿達の用事もそれほど長くは掛からぬであろうし、もうしばらくブラブラとしていてもよいのだが」
「ですね……っと」
「ひゃうっ!?」
 タイランの身体が軽く揺れたかと思うと、後ろから短い悲鳴が聞こえた。
 そこには鼻を押さえて尻餅をついた、三つ編みのメイドがいた。
 どうやら急いで走っていて、タイランにぶつかったらしい。
「す、すみません、大丈夫ですか!?」
 慌てるタイランを制し、キキョウはメイドの少女に手を差し伸べた。
「ふむ……もう少し前に注意した方がよいぞ。この時間、それなりに人もいるだろう」
「あ、す、すす、すみません! ありがとうございます!」
 顔を真っ赤にしながら、少女はキキョウの手を握った。
「何の。急ぎの用のようだな」
 少女を引き起こし、キキョウはふと思いついた。
「すまぬ。亜人でも休める宿か茶屋など一つ、教えてもらえると助かるのだが」
 地元の人間なら知ってるかもしれない、というキキョウの考えは功を奏し、少女は通りの向こうにある十字路を指差した。
「……宿の方は申し訳ありませんが、存じておりません。ですが茶店でしたら、向こうの角に都市のチェーン店がございます。えと、案内したい所なのですけど……」
 少女の首が、キキョウと通りの向こうをしきりに行き来していた。
 どうやら本当に急いでいるらしい。
「よいよ。教えてもらえただけで充分だ。礼を言う。気を付けて帰られよ」
「は、はい! それでは失礼します! あの人が教会を出る前に、主様にお伝えしないと……っ!」
 言って、メイドの少女は深々と一礼すると、すごいスピードで駆け去っていった。なるほど、あの調子ではタイランにぶつかっても無理はない。
「何だか酷く焦っていたみたいですね」
 豆粒のように小さくなっていく少女の後ろ姿を、タイランは呆気にとられながら見送っていた。
「ふむ……ともあれ、茶屋の場所は分かった事だし、ゆくとするか」
「そ、そうですね」


 その茶店の名前は『青龍亭』といった。
 幸いな事に、キキョウ達がいつも使用している酒場『弥勒亭』や食堂『朝務亭』と同じ系列の店だ。
 店員や客層はやはりその多くが人間族だったが、なるほど、ところどころに獣人や妖精族が見受けられる。
 店に入る前に、通りすがりの人に聞いた話では、亜人の受け入れを推進しているこの街の有力者が誘致したのだという。
 その人には感謝しなければならないな、とキキョウは思った。
「ご、ご注文の緑茶と桃蜜水とぬるめのホットミルクとなります」
「うむ、ありがとう」
 チェーン店の強みで勝手を分かっているキキョウは、札であるネイト以外の注文を聞き、カウンターで品物を受け取った。
 女性店員が顔を赤らめるのはいつもの事なので、キキョウも特に気にしていない。
「ポイントカードはお持ちでしょうか」
 店員の質問に、キキョウは首を振った。
「すまぬ。ここのカードは連れが預かっており、某は持っておらぬ」
「じゃ、じゃあお作りします! 次にお越しになった時に、二枚とも出して頂ければ、スタンプ押しますから」
「そうか、助かる」
「スタンプカードがありますので、二割引となります!」
「はて? そんなに割引だったかな……?」
 キキョウは首を傾げた。そんなに割り引いていて、商売は成り立つのだろうか。
「きょ、今日だけの特別サービスとなってます! カードの方、お預かりしますね」
「うむ、ありがとう。よい店だ」
「あ、あ、ありがとうございます!」
 深いお辞儀をする店員や、並んでいる女性客のウットリとした視線を意に介さず、キキョウは店の真ん中辺りにあった、空いていた席に戻った。
「実に親切な店だな」
「……多分、キキョウさんにだけ、特別サービスの日だったんだと思いますよ」
「に……」
 タイランの意見に、コクコクと仔猫状態のリフも同意する。
「ふむ、なるほど。カナリー君と組めば、五割引ぐらいはいけたかもな」
「……いや、さすがに、それはないだろう」
 懐から現れたネイトが感想を述べるが、キキョウは首を振る。
 しかしキキョウの味方は、このテーブルにはいなかった。
「……ありえそうです」
「にぅ」
 タイランはストローで桃蜜水を吸い、リフは皿に満たされたミルクを舐め始める。
「お主達まで……大体、女性にモテても、某は別に嬉しくない」
 茶を啜りながら憮然とするキキョウを、愉快そうにテーブルに尻を下ろしたちびネイトが見上げる。
「一人だけで充分と」
「その通り!」
 ネイトの言葉に、キキョウは身を乗り出した。
「しかしその一人は、酷い朴念仁なのかそれともわざとスルーしているのか、中々に手強い相手であると」
「そ、そ、それもその通り……!」
「あ、キ、キキョウさん、後ろに人がいるので、あまりに身を乗り出しちゃ駄目ですよ? 椅子がぶつかっちゃいます」
「何?」
 振り返るとなるほど、後ろを通ろうとしていた美女二人が、キキョウの椅子を避けたところだった。
 手にトレイを持った金髪に金色のドレスと、銀髪に銀色のドレスの女性二人組だ。
 彼女達はキキョウに微笑と共に会釈をすると、そのまま奥の席に向かっていった。
「…………」
 キキョウはその二人の背を、呆然と見送った。
 そして席に座り直す。
「どうかしましたか?」
「まるで気配を感じなかった。何者だ、あの女達……」
 少なくとも、人間や獣人ならば、何らかの気配をキキョウは感じられるはずなのに。
「さ、さあ? すごい美人さんだとは思いますけど……」
「……にぅ」
「なるほど。こういう店に入っている以上、普通の人間とは限らないか」
 分からないという風の二人に対し、ネイトはキキョウの不審を見抜いたようだった。
「カナリーさんの従者さんによく似てましたね……」
「ぬ……!?」
 タイランの何気ない言葉に、キキョウはハッとした。
 なるほど、言われてみればその通り。
 服装もどことなく、ヴァーミィとセルシアに似ていたような気がした。
 もう一度確かめようと、キキョウは振り返る。
「キキョウ君、忠告だ。振り向いても決して相手と目を合わせちゃいけない――遅かったか」
「ぬ、う……?」
 ネイトの言う通り、手遅れだった。
 奥の席、金と銀の美女を左右に侍らせた少年と、キキョウは目が合ってしまった。
 年齢は、リフの人間形態と同じぐらいだろうか、銀縁眼鏡をテーブルに置いた育ちの良さそうな青っぽい黒髪の少年は、ニコニコとキキョウを見つめていた。
 その瞳に、キキョウの心は吸い込まれそうになる。
「キ、キキョウさん……?」
 怪訝そうなタイランの言葉も、キキョウの耳には遠く響いていた。
「タイラン君も、見ちゃいけない。キキョウ君の二の舞になるぞ」
「え? い、一体どういう事ですか、ネイトさん……?」
「くぅ……っ!」
 精神を振り絞り、キキョウは目を逸らした。
 テーブルに向き直ると、ドッと疲労感が押し寄せる。
「ほう、自力で脱したか。普通ならとっくに虜になっているだろうに、大したモノだ」
「……危ないところであった」
 感心したようなネイトの呟きにも、キキョウはそう答えるしかなかった。
「心配しなくても、もういなくなっているぞ」
「う、嘘ではないだろうな?」
「安心していい。シルバが本気で嫌がる事は、私はしない事にしているんだ」
「そ、そうか」
 振り返るとなるほど、もう奥の席にいた三人は消えていた。
 飲み物もトレイもなくなり、そこには最初から誰もいなかったようだ。
 しかも店を出るには、キキョウ達の背後を通らなければならないのに、その様子もなかった。
「一体、何者だったのだ……?」
 くたり、とキキョウはテーブルに突っ伏した。
「に……」
 リフが顔を上げ、店の外を向いた。
 開いた扉の向こうを、三つ編みのメイドがさっきとは逆方向に駆けていくところだった。
「あ、さ、さっきのメイドさんですね……」
「とまれ、今晩の宿の事は、シルバ殿に相談せねばならぬな……最悪、某達は街の外で野営となるか」


 なお、件のメイドであるアニー・キャラビィと再会するのは、それから十分後。
 シルバ達との待ち合わせの時となる。
 全員揃ったところで、彼らはマール・フェリーの屋敷へと向かう事になった。


 街の外れにある広大な敷地の屋敷が、マール・フェリーの住居だった。
 大きなシャンデリアの吊り下げられた大広間の奥で、シルバは彼女と握手した。
「はじめまして、シルバ・ロックールです。お誕生日、おめでとうございます」
「ふふ、ありがとうございます。当主のマール・フェリーです。この歳になると、少し複雑な気分ですけど、祝ってもらえるのは嬉しいですわ」
 銀髪に胸元の大きく開いた紫のドレスを着たマール・フェリーは艶やかに微笑む。
 今年、三十五歳だという。
 しかし、その美貌も豊満な肢体の張りも、どう見ても二十代の後半ぐらいだろう。やはり吸血鬼に血を吸われている効果なのだろうか、とシルバは考えてしまう。
 ホールには優雅な曲が流れ、街の人間達がダンスを踊っている。
 獣人が五割、妖精族のような他種族の亜人が三割、人間族が二割と言った所か。
 皆それなりの服装をしているが、別に正装である必要はないようだ。
「結構な人数ですね」
「そうですわね……街の亜人のほとんどは来て下さってるみたいで。ありがたいお話です」
「人間も結構入っていますね」
 ダンスに慣れている人はあまりいないらしく、たどたどしい足取りの人間が多いのが中々に微笑ましい。
「去年よりも増えてきてますわ。もっと理解頂けると嬉しいのですけれど」
 笑顔を絶やさないまま、マールは言う。
「失礼ですが、私が招待された理由というのを知りたいのですが……」
 シルバが気になっていた事を問うと、マールはポンと手を打ち合わせた。
「ああ、それは単純な理由ですわ。私、カナリー様のお父上、ダンディリオン・ホルスティン様に大変お世話になっておりますの。この地に居を構える際の資金援助も、彼にして頂いたのです。恩人のご子息という事もありますし、そのまま素通りしてもらうのも薄情というもの。ご招待させて頂いた次第ですわ」
「なるほど……残念ながら、カナリー本人は不在ですけどね」
 実際はいるのだが、彼女は今、偽名を使っているので存在しない事になっていた。
 メイドのアニーから話は聞いているのだろう、マールも眉を八の字に下げていた。
「それは本当に残念な話ですわ。何でも都市の方で、別の仕事をこなしているとか。もし差し障りがなければ伺ってもよろしいですか?」
「そこはちょっと、秘密と言う事で」
 シルバは愛想笑いを崩さないまま、そう答えた。
「ともあれ、町長選挙の方、頑張って下さい」
「うふふ……ゴドー聖教の司祭様のお言葉がついていると、心強いですわ」
 握手をし直し、シルバは印を切った。
「神は差別はしませんよ。祈る者ならば平等に愛します」
「だとよろしいのですが……」
 マールの美貌が愁いを帯びる。
「この辺りはまだまだ偏見が厳しく、亜人種にとっては居心地が悪い場所です。私としては、それを払拭していきたいんですの」
「素晴らしい事だと思います」
 マールの思惑が言葉通りなのか、それとも裏に何かあるのかは分からないが、少なくともその台詞に対しては、シルバは素直に感想を述べた。
「ふふ……中にはパル帝国の侵略と、心無い事をおっしゃる方もいますけどね。まあ、百の言葉よりも一の行動ですわ。少しずつ、この土地の人間と亜人との理解を深められればと思っておりますのよ」
 ちなみに彼女が吸血貴族・ダンディリオン・ホルスティン様の寵愛を受けていた事は、どうやら街の人間も知っているらしい。
 世界が改編されても、彼女がカナリーの父親と繋がりがあった事には変わりはないらしいようだ。
 この件は隠していてもいずれ知られるだろうし、黙っていたらそれはやましい事がある証拠だと教会から言われてもおかしくない。公言はしなくても、公にはしているのはその辺りの予防線なのだろう。
 しかし……と、そこまで考えて、シルバの思考は停止してしまう。何か重要な事を忘れたような気がするのだが、今はマールとの会話中だ。
 いずれ思い出すだろうと、考えを振り切った。
「ウチのパーティーも、半数が亜人です。是非頑張って下さい」
「ありがとうございます」


 マールと別れ、呟く。
「……いい人っぽいな、おい」
 ひょいと肩の上にちびネイトが出現した。
「うむ。シルバは大きな胸がやはり好きか」
「話が繋がってねーぞ。大体、あんだけ目立つ胸してりゃ嫌でも目に入るっつーの」
 そして、踊っている人達から視線を外し、立ち食い形式の食事の方を見た。
「……それにしても、ウチの面子は放っておいても目立つな」


 一番大きな皿には、料理が山盛りになっていた。
 その更に上に、制服姿のヒイロが海老フライを載せようと努力をしている。
 通り過ぎる人達が皆、例外なく驚くその様に、付き添っていたタイランの方がむしろ、居心地が悪そうだ。
「ヒ、ヒイロ……じゃなかった、ユシア。お皿に盛りすぎですよ……! もっと少しずつにしてはどうですか?」
「むう、だって何往復もするのめんどくさいもん。よし、出来たー」
「な、なら、端っこの方に行きましょう。出来れば、急いで」


 一方リフは、慎ましく魚のフライを食べていた。
 さすがに帽子とコートという姿で入る訳にはいかず、閉店間際の仕立屋で急遽手に入れた緑色の子供服を着ている。
 ついでにリフも素性を隠す事にし、シルバにねだって付けてもらったミルという偽名を名乗っている。
「あら、可愛らしいお嬢ちゃん。お父さんかお母さんは?」
 親切そうな狐獣人の老婦人の声に、顔を上げる。
「にぅ……今、おはなし中。ミル、まいごじゃない。シーラと一緒」
「そう、一緒」
 壁の端にヒッソリと立っていた赤いドレスのシーラが頷く。
 メイド服だと、この家の使用人と間違われそうだと言う事で、カナリーからヴァーミィの着替えを借りたのだ。
「あら、それは失礼。お嬢ちゃん、お魚料理好きなのかしら? だったら、向こうにもあるわよ」
「に……ありがと」
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
 シーラと一緒に礼を述べると、老婦人はニコニコと笑いながら、去っていった。
 リフは皿の料理を平らげると、シーラを見上げた。
「シーラ、行こ」
「了解」


 ダンスの輪から少し離れた場所には、人垣が出来ていた。
 紺のドレスを着た黒髪の眼鏡美女に、人間亜人問わず、男性客が集まっているのだ。
「お嬢さん、よければ僕と踊って頂けませんか」
「ありがとう。ですが、連れがいますので」
 微笑みを崩さない彼女――カナリーを守るように、着物姿の美青年が間に割って入る。
「すまないな。エクリュは某と踊る事になっているのだ」
 その言葉に、彼――キキョウに群れていた女性達が残念そうな声を上げる。
 二人は早足でその場を離れながら、互いにだけ聞こえる声量で囁きあった。
「キキョウも大変だな」
「……お互いに、不本意すぎるよね、これは。別に僕は、君と踊りたい訳じゃない」
 肩をすくめるカナリーより、キキョウはさらに不機嫌だった。
「ええい、それでもお主はまだ、シルバ殿と踊れる可能性があるではないか。某にはゼロだぞ、ゼロ!」


 リフはまだしも、ヒイロやらカナリーやらが大変な事になっているようだった。
「もうちょっと、何とかならないものかね……」
「……合流するには楽でいいと思うが。ああ、しかし残念だ。私もドレスを着て、シルバを魅了したかった」
 そういうネイトは、何故か燕尾服であった。
「俺がお前に魅了されるかどうかはともかく、ドレスコードじゃないのな。……やっぱ敷居を下げる為だろうか」
「だろうね。タキシードやドレスを持っている街の人間は、そんなに多くないだろうし」
「考えてはいる訳だ」
 シルバ本人も、馬車の中にしまっていた、使っていない予備の軽装法衣だ。
 対立候補がこの街の司祭長という話なのでまずいかなとちょっと思わないでもなかったが、どうせ明日には離れる身だし、やましい事はないとシルバは割り切った。
「ところで、キキョウから話は聞いた。で、お前に質問があるんだが」
「彼女の息子の事か」
「ああ、消失したクロス・フェリーの件だ」
 シルバは頷いた。
 キキョウが茶店で出会ったという少年が使ったのは、ほぼ間違いなく魅了の術だろう。
 その容姿は、シルバが見た少年とも一致する。
 魅了の術を使うのは、その多くが魔族である。
 そして、この地に住んでいるという、吸血鬼族の妾だったマール・フェリーという女性。
 ……無関係と言うには、さすがに少々苦しいモノがある。
「俺が以前聞いたよな。この世界の別の場所に、カナリーの父親と彼女から生まれた『違うクロス・フェリー』が生じたりしていないだろうなって」
「言ったな」
「その時ネイト、お前はこう言った。そのケースもある事はあるけど、今回はない。クロス・フェリーはもうこの世界には存在しないって」
「それも言った。今も翻す気はないし、私は君にホラは吹いても嘘は言わない」
「いや、ホラも吹くなよ」
「それは愛情表現だから、やめるわけには譲れない」
「えらく歪んでるな、お前の愛情表現は!?」
 突っ込んでから、シルバは頭を振った。
「つーか……じゃあ、あの子供は一体何者なんだ?」
 どうせ明日になれば、この街を出て行くのだから、それほど気にする事じゃないかもしれない。
 しかしこれまでの経験から言って、何も起こらないで済むだろうと考えられるほど、シルバは楽観的な性格ではなかった。
「あの」
 不意に声を掛けられ、シルバは思考を脱した。
 振り返ると、そこにはグラスを乗せたお盆を乗せた、三つ編みのメイドがいた。
 アニー・キャラビィだ。
「お? ああ、アニー。楽しませてもらってるよ」
「そ、それはよかったです! あ、い、いえ、そうじゃなくて!」
 アニーは微笑み、その直後慌てて手を振った。
「ん?」
「シルバ様は、冒険者なのですよね?」
「そうだけど?」
「依頼料って、どれぐらいが相場なんでしょう」
「内容にもよると思う」
「内密には、していただけるんでしょうか」
 アニーは、小声で尋ねてきた。
「そういう約束なら、守るのが筋だろうね」
「オバケ退治とか」
「オバケ」
「はい。この館に出没する、子供のオバケなんですけど」
 シルバは少しアニーから視線を外して考え、それからまた彼女を見た。
「……例えば、眼鏡を掛けた、あの子と同じぐらいの少年の?」
「どうして、存じておられるのですか!?」


「実際は、退治しなくてもいいらしい。目的はやっつける事じゃなくて、その正体を突き止める事だからな」
 リフの手を取りながら、シルバは前にステップを踏んだ。それに合わせて、リフも後ろに下がる。
「に……でも、時間ない」
「ああ、明日にはもう出発するからな。っつってもオバケさんもこの時期にしか出現しないらしいけどっとっと」
 前に踏み出しすぎて、思わずシルバはたたらを踏んだ。
 身長差がありすぎるのも、考え物だと思う。
「だいじょぶ?」
「大丈夫。にしてもリフ踊り上手だな、おい。やった事あるのか?」
 シルバの問いに、リフはフルフルと首を振った。
「にぅ……みようみまね」
「そうか」
 なるほど、手本はそこら中にいる。
 しかしそれでも、初めてにしては上等なステップだとシルバは思った。ちなみにシルバも、村や軍でのノリ重視な踊りを除けば、数えるほどしかこういうダンスはした事がないのだが。
「アニーはこの館に務めて今年で三年目。この時期恒例のオバケさん、らしい」
「変なの」
「ああ、変だな。時期はずれもいいところだ。ともあれ、やるにしても数時間の調査。そもそも受けるかどうか、みんなで話し合わないとな。疲れているようならやめとくし」
 といった所で、音楽が一旦休憩に入った。
 名残惜しそうなリフと離れ、シルバは腰を大きく伸ばした。


「踊りはよく分からない」
 せっかくだからという事で、タイランが強引に推したのがシーラだった。
「適当に周りに調子を合わせておけばいいと思う。多分、他の連中もそうだろうし」
「分かった」
 危なげない足取りで、シーラはシルバに合わせてステップを踏む。
 踊りながら、シルバは話を続けた。
「ちなみに依頼に関しては、みんなが休みたいってなら俺だけ動く事になる。さすがに聖職者がオバケ退治依頼されちゃ、引っ込む訳にはいかないんでなぁ……」
「主がするなら、わたしもついていく。何か手掛かりは」
「強いて言えば、大体の出現ポイントは分かっているって事か。もうちょっと詳しく、アニーに聞きたい所だけど……何だありゃ」
 ちょうどシーラの向こう、出入り口の大扉の向こうを三つほど重ねた大きな深皿を持って、アニーが駆けていく所だった。
 シーラも振り返り、それを見た。
「器の形状、名前の表示から、犬の餌皿と推測される」
「なるほど。こんな大きな屋敷なら、番犬がいてもおかしくはないか。庭の方は下手に調べられないな」
 侵入者と間違われて襲われては、目も当てられない。
「わたしの人工皮膚やタイランの甲冑は噛まれても平気。リフ、キキョウといった獣人の場合はそれすら不要」
「……やるな、シーラ」
 もしもの時は、その四人だなとシルバは頭の端に留めておく。
「パーティーの特性を考えれば難しい事ではない」
「なら、ヒイロは?」
 シーラの足が少し止まった。しかしすぐに、動き始める。
「肌は鉄の身の方が優れる。耳と鼻は獣が優れる。鬼がそれらに上回るのは戦いの感覚。主と共に、動く方がいい」
「なるほど、参考になる」


 三人目のパートナーは、ヒイロだった。
「ボク的には今日ほとんど馬車の中だったし、いい運動になるかなーって思うよ?」
 とにかくヒイロとの踊りはパワフルだ。
 リフがシルバのステップに合わせてくれていたのが、今ならよく分かる。
「運動になるかどうかはともかく、ヒイロは賛成、と待て待て待てぶつかる危ない避けろ」
 横の人にぶつかりそうになり、シルバが慌てて叫ぶ。
 ポニーテールを揺らすヒイロにグイッと手を引っ張られ、シルバの両足は一瞬、宙に浮いた。
「っと。でもその子供=先輩やキキョウさんが見た子でほぼ一致でしょ? ん、んー、マリーさんの子供の可能性が一番高いんだけどー?」
「そ、そそ、それはない。クロス・フェリーは」
 何とか床に着地し、転ばないようにヒイロについていくのでシルバは精一杯だ。
 周りの人達との間隔がそれほど狭くないのが、せめてもの救いだった。
「クロス・フェリーじゃない、マリーさんの子供説とかっ」
「…………」
 ヒイロの指摘は、シルバの想定外だった。なるほど、ネイトもクロスの別存在は否定したが、マリーが新しく子供をもうけたという可能性はあって然るべきだ。
「お、いートコついたっぽい♪」
「だな。いい発想だった。でもやっぱり多分ないぞ」
「えー、何でー?」
 ぶぶーと、ヒイロが唇を尖らせる。
 しかし、シルバは首を振り、ホールを見渡した。
「母親の誕生日パーティーに出ない子供は、まずいないだろ。隠し子の可能性だってあるけど、さすがに館に三年も住み込みで働いているアニーが、勘付かないはずがないと思うんだ」
「なるほど、難しいねー」
 そこでちょうど、音楽が止んだ。
「んじゃ先輩、お疲れ様ー」
 ヒイロは汗一つかかず、手を振って壁際で待つタイラン達の下へ戻っていった。


「……何か、重要な事を忘れているような気がするんですよ」
「……奇遇だな。俺もそうなんだよ」
 気がつけば、いつの間にか自分達が踊りの中心にいた。
 周囲を見渡すと、多くの男性客の羨望の視線が自分に突き刺さるのを、シルバは感じていた。
「あとこっちは素人だから、お手柔らかに頼む」
「かしこまりました」
 さすがにカナリーはこういう場に離れているのか、足取りが危なげない。
 ただ、シルバはどうも、自分が女性の立ち位置にいるような気がしてならないのだが。ともあれ、カナリーの足手まといにならないので必死であり、そこまで気が回る余裕も待たなかったりする。
「仮に受けるとして、調査には当然館の主の許可が必要だと思いますが」
「うん、その心配は俺もした。実は去年も同じ依頼を受けた人達がいたらしいんだが、マリーさんは笑って許可したそうだ。つってもプライベートな部屋は、鍵開けてもらえなかったらしいけど」
「それじゃ、意味がないんじゃないでしょうか」
 カナリーの不安はもっともだ。
 もしもそのオバケというのがいるとして、出入り禁止の部屋に入られてしまえば、おしまいである。
 が、それに関してはシルバには解決策があった。
「そうでもないさ。ウチには扉なんて無関係なのが二人いるだろ。霧化出来るのと、精霊が」
「ああ……」
 もっとも、不法侵入には違いないのだが。
「本物のオバケなら、扉を無視してどこか別の部屋に逃れる事が出来るだろう。けど、それはこちらも同条件。そしてもしも生物なら、臭いを追跡出来るのも二人いる。出没時間は大体決まってるみたいだし、やるとしても、その数時間っていう話で落ち着いてる」
「何もなくても恨みっこ無しですか」
「実際、現状では特に害があるわけではないらしいからなぁ……とにかく……」
 音楽が止み、ようやくダンスに一段落がついた。


 シルバは長椅子に座り、大きく息を吐いた。
 さすがに、連続でのダンスはきつかった。
 ドッと噴き出た汗が、床に滴り落ちていく。
「……踊りながら説明するのは無理あると思うんだ、俺」
「お、お疲れ様です、シルバさん」
 メイドから借りたのか、タイランがタオルを持ってくる。
 そのタオルで汗を拭いていると、シーラがジュースのグラスを持ってきた。
「飲んで」
「……おう」
 至れり尽くせりだな、と考えながら、シルバは冷たいジュースを喉に流し込む。


 その後ろで、憮然とした表情のキキョウがネイトと話をしていた。
「……次の機会がある時は、某も変装する。必ずだ」
「ああ、あるといいな。さすがに、私も不憫すぎると思った」


 パーティーも終わり、招待客達は自分達の家へと帰っていった。
「すっかり静かになったな」
 照明も夜用ランプのみとなった、薄暗いフェリー邸の一階ホールにいるのは、シルバとネイトにヒイロ、それに雇い主のメイドであるアニーの四人だった。
「オバケが現れるまで、あと、どれぐらいかなぁ?」
 ヒイロの問いに、アニーはチラッと壁に立てかけられている大時計を目にした。時刻は、日が変わろうとしていた。
「そ、そろそろのはずです。大体は、私達が夜の見回りの番をしている時間ですから……」
「それなら、そこはいつも通りに。って言っても今晩は、執事の人に代わってもらってるんだっけ」
 ホールから吹き抜けに通じる階段に腰掛けていたシルバが言うと、アニーは三つ編みを揺らしながら、深々と頭を下げた。
「は、はい。ではどうか、よろしくお願いします」


 アニーが去り、シルバは階段に並べていた装備品を確認した。
「さてま、そういう訳で仕事な訳ですが。装備の方も問題なし、と」
「ねー先輩、どうしてわざわざ盾まで持ってきたの?」
 シルバが持つラージシールドは、浮遊装置を裏に取り付けてある。
「魔族の多くは飛行能力を持ってるからな。いざって時の用心だ。もっとも使うのは俺じゃないが」
「ボク?」
 シルバの視線に、ヒイロは自分を指差した。
「俺が空飛んだって、ほとんど戦力にならないからな。ま、ヒイロには魔族対策も打ってある事だし、そん時はよろしく」
「へへー、らじゃ!」
 敬礼するヒイロであった。
 そしてシルバは改めた装備を、装着していく。
「あとは眼鏡と針と篭手……ま、こっちは今回あんまり役に立ちそうにないけど。それに煙管と札か。改めて確認すると、結構持ってるな俺」
 透明な札を手に取り、ホールを歩く。
 天井や壁を透かして映るのは、『塔』の絵だ。
 そのまま使うと、この邸宅が壊れそうなので気を付けないといけないな、とシルバは考える。
 大時計は車輪に似ているからか、『運命の輪』が投影されていた。
「きれーだねー」
 そんな感想を漏らすヒイロと一緒に階段の裏に回った。
 大きな窓の向こうに、まだ起きている番犬たちの姿が見えていた。
 それらにも、札を映してみる。
「番犬は『戦車』と『力』か。ま、妥当な所だな」
 うん、と頷き、ふとヒイロを見る。
「…………」
 シルバは札をかざしてみた。
「な、何で先輩、ボクの方に札当てるの?」
「いや、うん、『力』と『戦車』だな」
「それはボクを犬ッぽいって言ってるのかな? かな?」
 ヒイロは笑顔のまま、グルグルと右腕を回し始めた。
「待て、ヒイロ。お前に殴られたら、ちょっとシャレにならない」
 早足でホールに逃げながら、シルバは言う。
 すると、ヒイロの肩にちびネイトが出現した。
「仲がよくて結構だ。じゃれ合うなら、寝室でやるべきではないかな。そこの部屋にベッドがあるはずだ」
「え? ベ、ベベ、ベッド!?」
 真っ赤になりながら、ヒイロはネイトが指差した先とシルバを交互に見る。
「煽るな馬鹿者」
 シルバはネイトの額にデコピンを叩き込んだ。
「うお、シルバ、君、時々物理法則を無視したツッコミをするね」
「ツッコミ要員が少ない分、一人の力が上がらざるを得ないんだよってそんな話はどうでもいいんだ。それよりも、全員配置についたのか」
「問題ない。何なら全員の声を聞いてみるか?」
 直後、シルバの視界が切り替わった。
 『精神共有』のバリエーション『精神同調』だ。


 フェリー邸は上から見ると太いH型をしており、シルバ達がいるのはちょうど横棒の中央に位置している。
 右の縦棒の一階に、キキョウはいた。
「む。こちらキキョウ。現状、異常はない」
 そのキキョウの視界を共有し、シルバは周囲を見ていた。
 点々とナイトランプが明かりを灯す廊下は、静寂に包まれている。
『ういっす、了解。退屈だろうけど、しばらく辛抱しててくれ』
「仕事故、シルバ殿が気にする事ではないと思うぞ」
 ふぅ……と溜め息をつき、キキョウは首を振った。
「ただ、一人では少々寂しいモノがあるのは確かだが……」
 それは他の皆も同じだろう、とキキョウは我慢する。
『つーかキキョウ、さっきのヒイロとの話とか聞いてた?』
「話とは?」
 よく分からないキキョウは、目を瞬かせた。
『……いや、いいんだ。それならいい』


 次に視点が切り替わっても、景色は似たような廊下だった。
 ただ、左の窓から見える風景の高さが違う。
 ここは、右棟の二階、タイランの待機場所だった。
「わ、私の方も大丈夫です……けど、あの……さっき、執事の人にご苦労様ですって言ったら、その……ビックリして逃げちゃいました」
 甲冑であるタイランは、ただ立っているだけならばまったく疲労を覚えない。
 その利点を活かして、美術品のように壁に直立不動していたのだ。
 その報告に、シルバとヒイロは小声で囁き合う。
『……まるっきり、置物にカモフラージュしてるもんなぁ』
『新たな幽霊伝説の始まりかも』
「……あの、聞こえてます」


 再び視点が切り替わり、今度は左の棟一階を見張っているリフになった。
「にぅ……気配なし。犬さんとお話しててもいい?」
 退屈なのか、リフの視点は廊下と中庭に通じる窓をキョロキョロと行き来していた。
『……廊下の方に気を付けてくれれば』
「に」
 シルバの許可に、リフは窓を開けた。
 尻尾を振って、番犬達がリフに近付いてくる。


 そこで視点は変化し、カナリーのものとなった。
「こちらカナリー。見回りの人間以外の気配は無し。それもさっき通り過ぎた」
 通路はひたすら単調な直線で、動くモノの様子はまるでない。
『お、口調戻したのか』
「仕事モードだからね。ここは真面目にやるさ」
 シルバの指摘に、カナリーは肩を竦めた。
 もっとも、変装自体は解いてはいないが。
 彼女の背後には、ヴァーミィとセルシアも控えていた。


 最後に切り替わったのは、これまでの通路とはやや異なっていた。
 目の前には、大きな扉があり、左右に通路が広がっている。
 ここは、中央棟の二階、マール・フェリーの寝室の目の前だった。
「問題ない」
 見張っているのはシーラであった。
 実際、何一つ異常はないので、シーラはそうとしか、シルバに答えようがなかった。
『……率直な意見、どうも』
「館の主人の寝室前なので、静かにせざるを得ない」
『分かった。もうしばらく監視を頼む』
「了解」


 そして視点は、元に戻った。
「んでヒイロ、大丈夫か?」
 見ると、ヒイロは目を回していた。
「……うう、目がクラクラする」
「多重視点の連発だからな。慣れていないと、かなりクる」
 あー、分かる分かると、シルバはネイトの言葉に同意する。
 やり過ぎると、酔ってしまうのだ。
「う~~~~~」
 不可抗力なのだろうが、前のめりになったヒイロを必然的にシルバが正面から抱き留める形になる。
「……いや、これから一仕事するかもしれないんだから、しっかりしてくれ」
「りょーかーい……あー、でもこの体勢楽でいーなー」


 ちなみにネイトはしっかり、他の皆にこのやり取りを送っていた。
『……ヒイロ、ずるいぞ』
『……で、ですね』
『配置を代わってもらうべきだったかな』
『予定終了時刻まで、後一時間五十七分三十四秒……三十三秒……』


 そんな念波が、頭に送られてきていた。
 が、一人足りない。 
「あれ、リフは?」
 それに対するリフの返事はシンプルだった。
『……出た』


 ……時間は少し遡る。
 それまで、まったく何の気配もなかった。
 不意に感じられた気配に、リフは振り返った。
 中庭とは反対の窓がいつの間にか開かれ、そこに黒髪の少年が足を組んでいた。
「……に」
「こんばんは。いい夜だね」
「誰」
「分かっているだろう? 件のオバケさんだよ」
「……実体ある」
「まあ、正体はオバケじゃないんだけど、それを素直に話すとつまらないからね。君達が僕を捜しているのは知っている。……おっとっと、連絡は待ってくれないかな。お話があるんだよ」
 笑顔のまま制され、今は情報を集めるのが先決と判断したリフは、ネイトに思念を送るのを中止する。
「にぅ……」
 けれど油断はしない。
 尻尾を逆立てたまま、いつでも飛びかかれるように腰を落とす。
 けれど、相手の少年は相変わらずのリラックスムードだ。
「まあまあ、そう警戒しないで。僕が君の前に現れたのは、ゲームを申し込む為なんだ」
「に……げーむ?」
「そう! ただ、僕が自分の正体を明かすだけじゃ面白くないからね。僕を捕まえたら――って君、割と容赦ないね?」
 重力を感じさせない跳躍力で、少年は反対側の窓に飛び移る。
 ついさっきまで彼が座っていた位置を、リフの手が薙いでいた。
「つかまえたらって、いま言った」
「待って待って。まだルール説明の途中だよ」
 両手で制しながら、少年は余裕の笑みを崩さない。
「に……そういうお話はお兄にする。リフに言われても困る」
「うん、僕もそう思うんだけどさ。けど彼とか眼鏡の彼女とか何気に容赦なさそうだし、一見して歳の近そうな君が一番話が通じるかなって思ってね」
 少年は館の中央と、この棟の二階を指差した。
「にぅ……いちおう聞く」
「うん、それでこそだ。勝負は単純、僕を捕まえられたら君達の勝ち。制限時間は一時間。逃げる範囲は、この建物の敷地四方内だ。つまり門や塀から出たら、僕の負けだね」
「…………」
 リフは頭の中で、作戦を組み立てる。リングアウトを狙えるという事だ。
「うん、追い込むのもありかな」
「に!?」
 自分の考えを読まれ、リフは飛び退く。
 彼女の様子に、少年は楽しそうに手を叩いた。
「あっはっはっ、分かりやすいね、君は! そういう素直な子は好みだよ」
「……お兄に言われたら嬉しいけど……困る」
 それからふと、リフは相手の名前を知らない事を思いだした。
「リフはリフ」
「ん?」
「なまえは自分から名乗るモノ」
「ん、んー……困ったな。本名を名乗る訳にもいかないしなー。どうしよう」
 少年はあっけらかんとした様子で、腕組みをする。
 それから何か思い出したらしく、指を一本立てた。
「んじゃま、とりあえずクロスって名前で」
 その名前は、リフもよく知るものだった。
「!? この家の人の子供!?」
「へえ、すごいな! 今思いついた名前の元ネタを一発で当てるなんて、大したモノだ。でもハズレ。僕は彼女の息子じゃないよ」
「にぅ……」
 あくまで印象だが、どうやら嘘ではないようだ。
 窓枠に腰掛けたまま、少年――クロスは微笑みを絶やさない。
「ふふふぅ……説明を続けるよ? この館の女主人から禁じられてる場所、つまりプライベートな場所には僕は入らない。それは不公平だからね」
「にぃ……それは助かる。不法侵入よくない」
 リフ達が入れる範囲は、自分達用に用意された客室や、あとはマールが許可したキッチンや食堂、地下の酒蔵と言った場所だ。
 それだけでも結構な広さなのに、本来入ってはならない場所まで範囲に入ると、非常に厄介だ。
「だよねぇ。それをやったら興醒めだしね。だから、僕の移動範囲は君達が入れる場所に限る。……もっとも、全員が入れる場所とは限らないけどね」
「に?」
 ずいぶんと思わせぶりな台詞に、リフは思わず尻尾を『?』の字に曲げた。
「どういう意味かは、みんなで考えてね」
「に……今のは、じゅうよう。おぼえた」
「さて、君達が勝負に勝てば探っているらしい僕の正体も、素直に教えるよ。それと素敵かどうかは使い方次第な賞品も一つ」
「……おさかな?」
 リフが真っ先に思いついたのは、それだった。
「……お魚、欲しいの?」
「前の村ではお野菜だったから。美味しいおさかな、みんなで食べる」
「えーと……ちょっと、そういう賞品は想定してなかった」
 困ったように、クロスは頭を掻いた。
 さすがの彼にも、ちょっと予想外だったらしい。
「にぃ……ざんねん」
「オ、オーケー、その方向も考えておこう……その時は、朝市に寄らなきゃ駄目だな」
 朝は苦手なんだけどなー、と呟くクロスであった。
 気を取り直して、話を続ける。
「とにかく用意してある賞品だけど、持つ人によっては何の価値もないけど、人によってはとっても役に立つかもしれないモノだよ。で、時間以内に僕を捕まえられなかった場合は、君達は任務失敗。来年も正体不明のまま現れるから、一つよろしくって所かな」
「に……それ、困る」
 よく分からないオバケさんが来年も現れると言うのでは、メイドのアニー達も困るというモノだ。
 それに、依頼に失敗というのも、格好がつかない。
「困るよね。なら、捕まえないと」
「に、がんばる」
 コクコク、とリフは頷いた。
「じゃ、この鬼ごっこのルールは分かったかな」
「……にぅ。でもこれ、鬼ごっこじゃなくて、かくれんぼ」
「どっちも込みだよ。僕は隠れるけど、それを見つけて捕まえなきゃいけないからね。ちなみに色々抵抗させてもらうからね-。はい、それじゃゲームスタート」
 パチンとクロスは指を鳴らした。
「に……!?」
 一瞬、リフの視界が目眩を感じたかのように揺れる。
 頭を振って顔を上げると、そこにはもう、クロスの姿はなかった。
『じゃ、がんばってねー』
 そんな声だけが、頭に響いた。
「に……きえた」
 周囲を見渡し、臭いを嗅ぐ。
 クロスの臭いは残っていたが、どこに逃げたかは分からなかった。
 臭いは、その場から動いていないのだ。
 廊下にも、窓の向こう――中庭にも逃げていない。
 この場から、煙のように消えたかのようだった。
 リフが混乱する……その時だった。
『あれ、リフは?』
 シルバの念波が、リフに届いた。どうやら、反応がないリフを心配しているようだ。
 だからリフは、周囲に気を配りながら、短くこう答えたのだった。
「……出た」


 リフの元に最初に辿り着いたのは、カナリーだった。
「……消えた?」
「に……よく分からない。気配も臭いも、動かないまま消えた」
 リフは戸惑い、周囲を見渡す。
 その様子に、カナリーは推測してみる。
「霧になった……とかかい?」
「ちがうと思う。白いのなかった」
 空に逃れた……いや、天井があるからそれもない。
「窓じゃないんだね?」
「に。だったら臭いが遠ざかる」
 そもそも、そんな中庭に逃げているなら、リフだってこんなに困りはしないだろう。
「まさしく一瞬って訳か……」
『……影の中とかじゃないのかね、カナリー?』
 どうしたモノかと迷っているカナリー達に、ネイトを中継点としたシルバの念波が飛んできた。
「シルバ?」
『リフの話だと、相手はこの建物の敷地四方内からは出ないって言ったんだよな。もし、その推測が当たってたら、確かに門や塀からは出てねーよ』
 そして、シルバは話を続ける。
『お前が使う影の世界。そっちに沈んだんなら、その場で気配が消えた事も納得がいく。何しろこんな夜中だ。影なら作り放題だからな』
「なるほど、それは有り得るね。ヴァーミィ、セルシア、調査だ!」
 カナリーは、背後に控えていた赤と青の従者に命じる。
 直後、二人の美女は黒い影の中に沈み込んでいった。
 それを見届け、カナリーは念波を飛ばした。
「タイラン、急いでこっちに来てくれ。そこだとボクの術の範囲外だ」
『は、はい?』
 戸惑ったような返事が返ってきた。
「こっちの世界だと君の動きはかなり鈍いが、影の世界なら問題ない。館の中でも派手に無限軌道を使える。さすがにこっちの世界でアレを使うと、床が大変な事になるからね」
『あ、そ、それはそうですね』
「ヴァーミィ達と一緒に、相手を追い立てて欲しい。彼を、影の世界から追い出す」
『わ、分かりました。急いでそちらに向かいます』
 タイランとの会話を終えると、カナリーはリフを見た。
「リフも入ってくれ。足の速い人間がいた方がいい」
「に、分かった」
 承知するリフを、そのまま影の中に沈める。
 すると今度はキキョウが念波を飛ばしてきた。
『某はよいのか?』
「もし、影の中に潜んでいたとして、ヴァーミィ達が追い立てれば、相手は再びこっちに出て来る可能性も高い。機動力のある人間は二手に分けた方がいいと思うんだ」
『なるほど、もっともであるな』
 カナリーの意見に、シーラの声も賛意を示した。
『それに、通常の捜索も必要。私は二階を見て回る』
『心得た。よろしく頼むぞ、シーラ』
 カナリーは、頭の中で今のパーティーの状況を考える。
 こちらに残っているのは、自分、キキョウとシーラ、それにシルバとヒイロ、中継の要であるネイト。
 影の世界に潜るのは、ヴァーミィとセルシア、つい今し方潜ったリフと、こちらに向かっているタイランという事になる。
『……厄介な話だな』
 シルバが唸る。
『影の世界が存在する事で、この邸宅の敷地は事実上二倍あるって事になる。それと今更な話だけど、もしも標的が本当に影の中に潜んでいるのなら、相手を吸血鬼と俺は断定するぞ』
「家の主の事も考えると、妥当だろうね」
『……となると、指揮するのは俺よりも吸血鬼であるカナリーの方がいい。俺も探す方に回る』
「了解。さて、ターゲットは――」
 シルバが動く気配を感じながら、カナリーは影に潜った自分の従者に意識を向けた。
 カナリー自身は精神共有など使えないが、自分の従者にだけは似たような真似が出来るのだ。
 ヴァーミィの意識と同調し、カナリーは眉根を寄せた。
「――何?」


「抵抗しないとは、一言も言っていないからね。……それにしても二人とも、なかなかいい動きをするようになったねぇ」
 少年の声が、ホールに響く。
 館の構造自体はまったく、本来の建物と変わらない。
 だが、影の世界は元の世界よりも相当に、薄暗い。影の世界だから、当然といえば当然なのだが。
 そして、ヴァーミィ達は館の正面ホール、元の世界ならシルバ達がいるはずの場所で、深くフードを被ったローブ姿の女性と既に戦闘に突入していた。
 ローヴもフードの中から漏れるウェーブがかった長髪も、全て金色の女性だ。
 そして彼女はたった一人で、ヴァーミィ、セルシア、更にリフを相手にしていた。
「にぅ……速い……」
 ヴァーミィの蹴りを身体を反らして避け、続くセルシアの手刀を払い、リフに向かって回し蹴りを放つ。
 蹴りは一度では終わらず、二回三回とリフを追い詰めていく。
 従者達が距離を詰めると、それをすばやく悟り、金色の美女は華麗なステップで距離を取る。
 それはさながら、3対1のダンスのようであった。
「新手も迫っているようだし、僕達は逃げるとしようか、○○○○○○。じゃあ、よろしく頼むよ、○○○」
 金色の女性の後ろで少年の声が響き、二つの足音が遠ざかっていく。
 ヴァーミィが追いかけようとするが、その進路を塞ぐように、金の従者が立ちはだかった。


「金色の女か……」
 壁にもたれかかりながら、カナリーは思考する。
 逃げる足音は二つ。
 うち一つはクロスと名乗る少年のモノ、もう一つはおそらくもう一人の連れだろう。キキョウの話では、銀色の美女を従えているはずだ。
 金と銀の従者と言えば――と連想が働くが、そこから先の思考が靄に包まれる。
 この先に、思い出さなければならない、とても重要な事があると分かっているのに、辿り着く事が出来ないもどかしさ。自覚を覚えたのは、この邸宅に来てからだろうか。
「……何だ? くそ、しっかりしろ、僕」
 苛立ちに、カナリーは軽く、自分の頬を張った。
 せめて、○○か○だけでも分かれば、思い出せるのに。
『カナリー、大丈夫か?』
「ありがとう、シルバ。僕は心配ない。それよりも、タイランは逃げた二人を追ってくれ。夜と月の力で魔力が増しているとは言え、二つの世界を行ったり来たりする事を考えると、その管理と魔力の維持で手一杯だ。もうちょっと――のようにデタラメな経験と魔力があれば……ん?」
 言葉が止まる。
 自分は一体、誰の事を指しているのか。
「くそ、本格的に、僕はどこかおかしくなっているらしいな」
 カナリーは、自分の髪を掻き上げた。
 そもそも、今はこんな風に迷っている場合じゃない。相手に集中しなければ――。
『ちょっといいか、カナリー君、それにシルバ』
 カナリーの混乱する思考に割り込んできたのは、ネイトだった。
「何だい、ネイト?」
『何か気がついたのかよ』
『認識偽装だ』
「え?」
『あ?』
 ネイトの言葉に、二人は戸惑う。
 しかし構わず、ネイトは話を続けた。
『範囲はこの邸宅の全域だ。二人を惑わせる、何らかの力が働いているのは間違いない。ただ、もう一つ同じレベルの魔術が何やら施されているようで、何を隠しているのかが分からない』
「確かなのかい?」
『……ネイトはこういう時は嘘は言わない』
 カナリーの念押しに応えたのは、シルバだった。
『おお、抱きついていいか、シルバ』
『珍しく褒めたら、それか!?』
『あ、じゃーボクもー』
 何故か、ヒイロも割り込んできた。
『何でそうなる!?』
「とにかく」
 カナリーは、強引に話を戻そうと試みた。
「この邸宅には、二つの魔術が働いている。どちらかを見破る事が、勝負の鍵という事か」
『そうなる』
 魔術師であるカナリーは、言いながらゾッとした。
 敷地全体を包む大規模魔術、というだけならまだ分かるが、二種類の重ね掛けなんて、ほとんど聞いた事がない。
 相手の力量と魔力が、デタラメすぎる。
『カナリー君、もう一つ私見を述べてよいだろうか』
「どうぞ」
『この追いかけっこ、その魔術とは別に、酷いペテンの予感がする。まるで詐欺師でも相手をしているような印象を今、私は覚えている。根拠はないが、単純な体力勝負じゃなく、頭を使わないとおそらく勝てないだろう』
「……参考にさせてもらうよ」


 夜目の利く剣牙虎の仔であるリフには、多少の薄暗さなど、さしたる問題ではない。
 だが、それでも目の前の金色の女性は、一筋縄ではいかなかった。
 1対3という数の不利をモノともしないのは、身体的な能力や戦闘技術の差もあるのだろう。
 だが、それ以上に厄介なのは、この世界そのモノに対する認識にあるような気がする。
 距離が離れているはずなのに、金色の攻撃はこちらに当たる。
 目を離していないのに、いつの間にか後ろに回り込まれている。
 何か、リフの知らないルールでもあるかのようだ。
「にぅにぅ……」
 困ったリフがワシャワシャと小さな両手で頭を掻いていると、呆れたようなカナリーの念波が届いてきた。
『……何をしてるんだい、リフ』
「にぃ……困った時の、お兄の真似」
『あー』
 カナリーは納得したようだった。
 もっとも、シルバは片手でやるが。
『ともあれ、連絡が遅れてすまない。リフも戸惑っているようだし、今からアドバイスをする』
「に?」
『そっち、つまり影の世界は物質よりも精神が物を言う世界だ。僕が加護をしているから今は平気だけど、下手に迷うと一生そこから出られなくなる。基本的に、距離なんかも割と無意味だったりする。分かるかい?』
「にぅ……リフには分からないけど、金色の方は分かってるみたい」
 相手は距離を無視して攻撃してくる。
 だから、リフも困っているのだ。
『今、リフは敵との距離が空いているから、攻撃が届かないだろう?』
「に」
『その世界では発想を変えてくれ。君の攻撃は当たる。当たるという事は、君は金色のすぐ傍にいる。そんな風に考えるんだ』
 難しい事はよく分からない。
 ただ、素直にカナリーの言う事に従ってみた。
 距離は無関係。
 ただ、自分の腕から生えた刃を当てる、当たるイメージだけを強める。
 その意思を込めて振るった刃の先に、微かに手応えが生じた。
 金色の女性は一瞬早く飛び退いていたが、二の腕部分のローブが裂け、身体に亀裂が走っていた。
「にぁ……当たった」
 当てた本人も、目を瞬かせて驚いていた。
『こういうのは、精霊系の方が向いているからね。タイランを呼んだのは、そういう理由もある。まずは、金色を無力化しよう』
『え……? あ、そ、そういう事だったんですか……!?』
 何故か、タイランが動揺していた。
『うん?』
『す、すみません……二手に分かれた方が、捜索には向いているかと思ったので……』
 怪訝そうなカナリーに、ペコペコと頭を下げるタイランの姿が、リフの脳裏に浮かんだ。
 とほぼ同時に、背後から無限軌道の回転する音を響かせながら、重甲冑が迫ってきていた。
「ガ! 敵、ヤッツケル!」
 現れたのは、大張り切りなモンブラン十六号であった。
『……あー……まあ、モンブランはモンブランで、迷いがないしいいよ。タイランは気にせず、ターゲット追跡に移って欲しい』
『わ、分かりました』
「にぅ……モンブラン、てつだう」
「ガ!」


『……で、シルバ、大丈夫かい?』
 右棟二階。
 クロスの追跡に移っていたシルバは、ヘロヘロになっていた。
「大丈夫じゃ……ねえ……つーか何だアイツ、くそ。おちょくられてるのか、俺……?」
 もう何度目になるのか、まるで誘うように通路の角に、夜でもよく映える銀のローブが翻るのが見えた。
 シルバが駆け出すと、角の向こうの足音も遠ざかっていく。
 ――急いで角を曲がると、相手は消えていた。
 廊下の先は長く、だが相手の背中は見えない。
 窓は閉じているし、開ければ多少は音がする。そこから逃げたのでない事は明らかだ。かといって、この辺りの部屋はマールに出入りを禁じられている。
 クロスや銀の従者がルールを破ったのなら、話は別だが。
 一体、どこに消えたのか。
 そんな事を考えていると、後ろで足音がし、振り返ると、銀色の女が駆け去っていく所だった。
 ちなみに、回り込めるような建物の造りにはなっていない。
「銀色があっちに出たかと思うと、こっちから現れるし……突然消えるのは、不定期に影にでも潜ってるのかも……」
 手が届くようで、全然届かない。
 まるで蜃気楼でも相手にしているような気分だった。
 汗だくになったシルバは、その場にへたり込む。
『先輩、浮く板いる? 持ってくよ?』
「……今度合流出来たら、頼む」
 ヒイロもシルバと同じ棟にいるが、一階にいる。もしかしたら相手が降りるかもしれないし、こちらに向かってもらうのは得策ではない。
「とにかく、ことごとく、動きを読まれているようだ」
 シルバの報告に、カナリーとネイトが念話で囁き合う。
『読心術の類かな、ネイト……?』
『その気配ないな。けれど、動きを把握させられているのは間違いないようだ』
『僕も同感だ。シルバは消耗させられているし、キキョウやシーラも似たような状況にある』
『うむ』
『捕まえられない』
 追いかけっこの舞台はほぼ、右棟に集中しているようだった。
 建物は太く、基本は左右に一本ずつの広い廊下が走り、突き当たりの横通路で繋がっている。
 分かりやすく言えば、縦に長い『回』の字だ。
 ただし、廊下の途中途中にも細い廊下が走ったり、階段ホールが存在していたりするので、単純な一直線でないのが事を厄介にしていた。
「ヒイロはどうだい?」


「いや、それが……うわぁっ!?」
 青っぽい黒髪が揺れる。
 廊下の曲がり角でバッタリ、少年と出くわした。
 ヒイロが驚いたのは出くわした事そのものよりも、彼が二本の角と大きな牙を生やした鬼のお面を被っていたからだ。
 キキョウならば、それがジェント産の『鬼面』である事を見抜いただろう。鬼ごっこだから、わざわざ被ったのだろうか。
「な、何で――!?」
 ヒイロの足下を確かめた小柄な少年クロス(?)はしかし、即座に身を翻す。
「ちぇっ……! 君も面白そうなモノ持ってるじゃない! 後で貸してね!」
「い、いた! 今、追跡中!」
 ヒイロも、盾で作られた浮遊板を傾けて、クロスを追う。
 しかし相手も足が速く、そう簡単には追いつけない。


「…………」
 ヒイロの様子を聞いたシルバは、ボリボリと頭を掻いた。
『シルバ殿、何か気がついたのか?』
「いや、まだだ。思いついた事はあるけど、とにかく俺もヒイロに合流する!」
 キキョウに答えたシルバは、階段に向かった。
『承知! 某もゆく!』


「もうちょっとで、追いつく……逃がさないっ!」
 角を曲がると、細い廊下の先は十字路になっていた。
 背後の通路の先には、大きな窓がある。
 だが、鬼面を側頭部にずらしたクロスは何故か、十字路の中央でヒイロを待っていた。
 その後ろには、フードを目深に被り、銀のローブを羽織った女性が待機している。
「ふふふ……」
「あ、諦めてくれたの!?」
 浮遊板を止め、ヒイロはクロスと間合いを詰めていく。
「違うよ。ちょっと予想外だっただけさ。そして今度は、こっちが驚かせる番だよ」
「え……」
 スッと、クロスは右腕を上げた。
「ニンポウ分身の術!!」
 パチンと指を鳴らすと、後ろにいた銀の女性が動いた。
 いや、動いていない。
 一人は動かないまま、もう一人が横に並んだ。
 まったく同じ服装の、銀髪銀ローヴの女性だ。
「二人に分裂した!?」
「ふふふ、捕らえられるかな?」
 クロスと二人の女性は、それぞれバラバラに駆け出した。
「わ、わ、どれを捕まえればいいの?」
「って決まってるだろヒイロ! クロスだよ!」
 狼狽えるヒイロの背後から、シルバが声を掛けた。
「そうでした!」
 そのクロスは、窓を開けると外に飛び出した。
「くそ、中庭に出たか……!」
「ボクが追うよ」
「否、ここは某に任せてもらおうか」
 二人の間を風のように駆け抜けたのは、キキョウだった。


「キキョウさん!」
 夜の庭を駆け抜けるキキョウの背中に、ヒイロの声が掛かる。
 一方シルバは、念話を飛ばしてきていた。
『番犬がいるはずだ。いけるか』
「うむ。まずは説得を試みる」
 早速、不審者の侵入に、しなやかな肉体を持った番犬達が一頭、二頭と出現する。
『駄目だった場合は?』
「力尽くで押し通る」
『了解。任せた』
「うむ」
 キキョウは足を止めた。
 どうやら番犬達は理性的らしく、獣人であるキキョウならば話し合いが通じそうだった。
 ただ、それとは別に、彼女には気になる事があった。
 くん、と鼻を嗅ぐと、きつい臭いがする。
「……臭うな」
「新手か?」
「いや、これは香水のようであるな。おそらく、某やリフに対しての臭い対策なのであろう……ん? 何やら別の臭いもするが、何だこれは……薬品か?」
 二種類の臭いが混じり合っていて、その正体が分からない。
『……また、複数の要素か』
 うんざりとしたシルバの思念が伝わってくる。
「ぬ?」
『こっちの話。それより、上はどうだ?』
 言われ、キキョウは夜空を仰ぎ見た。
「空にもおらぬな。某も、一番有り得ると思ったのだが」
 月が大きく出ていて、空を飛んでいれば一目瞭然だっただろう。
 もしや屋根の上かとも思ったが、少なくともキキョウに見える範囲では、見あたらない。
 ここは、番犬達を相手に情報を収集するべきだろうと、キキョウは判断した。
「幸い友好的に話は進みそうなので、パーティーの残飯を交渉材料にさせてもらう。四方に配置させられているようなので、見かけたら声を上げてもらう事にした。某は臭いを追う……といいたい所だが、香水を撒かれてしまったので鼻が利かぬ。仕方がないので、とにかく足を使って探す事とする」
 言って、キキョウは駆けだした。
 次に響いたのは、カナリーの念波だった。
『じゃあ外はキキョウに任せるとして、まずは捜索の邪魔をする金と銀を何とかしようか。時間的に厳しいけど、人数が増えれば探すのも楽になるはずだし。金は影の中として――』


「いた」
 銀色の女性と相対したのは、シーラだった。
 この廊下は一直線で、逃げ場所はない。
『よくやった、シーラ!』
 シルバが叫ぶ。
「主やヒイロとちょうど挟み撃ちの形だった。逃がさない」
 シーラがスカートをなびかせ、駆け出す。
 銀色の女性もその事実に気付いたのだろう、二人掛かりを相手にするよりはマシと判断したのか、シーラを退けようと距離を詰めてきた。
『いけるか?』
「問題ない」
 先に手刀を放ったのは、銀色の女の方だった。
 正確には、シーラがわざと遅れた。
 カーヴ・ハマーの大剣の一撃すら受けきるシーラの皮膚は、この程度の攻撃では大した痛痒を感じない。
 それよりも攻撃した瞬間に生じる決定的な隙を彼女は狙ったのだ。
 右手で女性の顔面を捕らえ、左腕で相手の手首を握る。
 そして、両手から衝撃波を放った。
 そのたった一撃で、女性のローブは派手に裂け、全身を痙攣させながら倒れ込んだ。
「捕まえた」
 特に嬉しそうにもせず、シーラは答える。
『……さすが、第六層の闘技者』
「……褒められた」
 小さく呟きながら、シーラは銀色の女性を担ぎ上げた。


 左棟二階。
 派手に動き回っているシルバやヒイロ達とは別に、精霊体のタイランは一人、静かな廊下をふよふよと移動していた。
 こうしてると、まるで自分の方が幽霊みたいですね……。
 なんて事を考えていると、後ろでドアが開く音がした。
 何気なく振り返ってみると、そこには銀色のローブを羽織った女性が立っていた。
「ひゃうっ!?」
「……っ!?」
 向こうも驚いたらしく、声にならない悲鳴を上げた後、一目散に逃げ出した。
 ああ、驚きました……と、胸を撫で下ろしてから気がつく。安心している場合じゃない。
『ど、どうした、タイラン!?』
「あ、い、いえ、今、銀色の方を見つけまして……そ、その、お互い出会い頭で驚いてしまったって言うか……と、とにかく追跡中です! 現在、左の棟の二階です!」
 とはいえ、タイランは速くは追えない。
「ヒイロ、お願いします!」
『あいあいさー! 今行くよー!』
 その声に、ホッと安堵するタイランだった。


 一方、シルバとカナリーの頭脳班は念波で相談をしていた。
『……さっきの聞いたか、カナリー』
『……ああ、タイランの報告は実にナイスだったよ』
 二人は、ほぼ同時に、自分の考えを相手に伝えた。
『どうやって、向こうがこっちの動きを察知してるのか、何となく推測出来たかも』
『お陰で、銀色の分身トリックが分かったね』
 一瞬の間が生じる。
『『ん?』』
 もしも二人が同じ場所にいたならば、顔を見合わせていただろう。
 そこに、ネイトが割り込んできた。
『……後はクロス君の居場所だけど、これも大体察しがついている。問題はどうやって、判別するかだが……』
『考えている心当たりはどうやら俺と同じのようだな。それに関しては、俺に考えがある』
『ほう?』
『さっき、カナリーが言ってたのを参考にさせてもらおうと思う』
『僕の発言?』
『発想の逆転だ。まあ、まずは邪魔者の排除が先決だけどな。その前に――』


「――まずは、状況の再確認といこうか」
 中央のホールに、シルバ達は集まった。
 ただし、キキョウとリフの獣人(正確には両方違うのだが)組は、外の捜索に当たっているので別行動だ。
 壁の大時計は、残り十五分を示していた。
 影世界の法則を、カナリーのアドバイスで取っ掛かり程度とは言え掴んだリフと、赤と青の従者、それにモンブラン十六号。
 四人掛かりでは、さすがに金色の女性も長くは持たなかった。
 今はシーラが倒した銀色の女性と共に、ロープで縛られていた。
 シルバは幅の広い階段に腰を下ろし、指を一本立てた。
「一つ目。まず俺達は何だかよく分からない魔術に掛けられているらしい。うち一つは何らかの認識偽装。加えて正体不明のもう一つ」
「それの正体が分からなきゃ、駄目なんだよね?」
 ヒイロの問いに、シルバは頷いた。
「ああ、俺達は、認識偽装によって何を隠されているのか。もしくは、何の魔術を掛けられているのか。いわゆる魔術指定って奴だ。認識偽装の厄介な点は、掛けられているのが分かっても、それが何なのかを解くのが難しいって点にある。という訳で、後者。正体不明の魔術の方なんだが、幸い、ヒイロとタイランのお陰で見当がついた」
 戸惑った顔をする、ヒイロとタイラン。
「ボク達?」
「な、何かしましたっけ……?」
「ヒントは、二人と俺達の違いにある」
 シルバは、みんなを見渡した。
 続いて、カナリーが発言する。
「二つ目は、消えたり現れたりする銀色の、分身の術について。そもそも、今回のゲームが始まった時から、不自然だった点がある」
『に……不自然?』
 ちゃんと話だけは聞いていたリフが、念波を飛ばしてくる。
「何故、金色と銀色は頭からフードなんて被ってたのかって話だよ」
 皆の視線が、捕らえられている二人に集中する。
 金色はともかく、銀色の方はローヴもボロボロで、顔も明らかだ。
 感情のない瞳が、カナリー達を見据えていた。
 ふわっと、ちびネイトが空中に浮かび上がる。
「三つ目。クロス君はどこに消えたのか? 現在、影世界には存在していない」
「こっちの世界とは違って、あっちなら誰かが入り込めば、大体の位置は掴めるからね。現状は空っぽだよ」
 カナリーが言い、ふとネイトは何かを思いついたようだ。
「おまけでもう一つ。クロスが最初、影世界に逃れた理由は何か。別に最初から中庭の方に出てもよかっただろうに」
『単なる気まぐれではないのか?』
 キキョウの問いに、ネイトは何故かカナリーを見た。
「もちろん、ただそれだけという可能性もある。がしかし、影の中に逃れる事で、彼には一つメリットが生じる。ヒントは鬼面。それに認識偽装にも、私は見当がついた」
「まずは、残る銀色の女性だ。そこでシーラに聞きたい事がある」
 カナリーは、シーラを見た。
「何?」
 シーラが小さく首を傾げる。
「確か君の初期配置は、この建物の二階。マール・フェリーの寝室の前だったはずだ」
「そう」
「……僕が聞きたい事はただ一つ。彼女が、部屋に入ったのを見届けたかって事さ」


「――やっぱりか」
 シーラの答えに、カナリーは眉をしかめながら、天井を見上げた。
「これで二つ目の問題は解けた」
「一つ目は? ボクとタイラン、何か悪い事したの?」
 不安そうに、ヒイロがシルバを見上げてきた。
「いや、逆だ。ファインプレーだよ。俺達と二人の違いは、足だ」
「足?」
「あ……う、浮いてます。ヒイロも」
 タイランは、パンと両手を合わせた。
「そう。だから、相手は二人には気付けずバッタリ出くわした。つまり、足音を感知する術が使われていたって事だ。という事はネイト」
 ふわふわと浮いていたネイトが、空中で身体を回転させる。
「ああ、片方が分かったなら、問題ない。認識偽装の正体も割れる」
「足音探知の方も破る方法はあるけど、これは後回しでいい」
「え、何で?」
 目を瞬かせるヒイロに、シルバは首を振った。
「それに関しては後で説明するよ。んでヒイロ、認識偽装の方をまず片付けたいから、札をちょっと返してくれ」
「あ、うん」
 ヒイロは服の懐から、『悪魔』の札を取り出した。
 それをシルバは受け取り、高くかざす。
「一応魔力がいるんでなー」
 ヒイロも魔力があるにはあるが、やや心許ない。
 シルバは札に魔力を込め、ネイトに力を供給していく。
「漲ってきたぞ、シルバ」
「いいから、早くやってくれ」
「いいとも」
 ネイトは高く上げた腕の先で、指を鳴らした。
 直後、シルバは自分の頭を一陣の風が通過したような感覚に襲われた。そして思い出す。館に招待された時からずっと感じていた違和感、その正体が何だったのか。
 ……思い出して、カナリーと一緒に深いため息を漏らしたのだった。
「って、何で二人とも凹んでるのー!?」
「いわゆる、鬱状態」
 ヒイロが突っ込み、シーラが冷静に二人の様子を評した。
 とはいえ、本当に自分達が間抜けとしか思えない、シルバ達だった。
「こんな単純な事を言えなかったのか……」
 顔に手を当てながら、再び深い息を吐く。
 カナリーも同様で、疲れたような表情のまま頭を振っていた。
「同感だ……認識偽装は、解けた時がある意味、一番効果が高いのかもしれない」
「俺さ、カナリーに聞きたい事があったんだよ」
 一拍おいて、シルバはカナリーを見た。
「この館にお前の父親がいる可能性。それと、父親の容姿」
「シルバの考えている通りだよ。僕も、キキョウの茶店での話とこの屋敷の主、二つを結びついてはいたんだ」
 まだ分かっていないヒイロ達に、シルバとカナリーは顔を向けた。
「つまり」
「例の子供、クロス・フェリーは本名をダンディリオン・ホルスティンって言って、つまり僕の父だ」
「えーーーーーっ!?」
 一番大きな声を上げたのはヒイロだった。タイランは驚きに小さく口を開き、シーラはよく分かっていないのか小首を傾げていた。
「で、でも、人間の子供……だったよね?」
 おずおずと、ヒイロが切り出す。
 そう、シルバやキキョウが街で見たのも、リフが出会ったのも人間の子供の姿をしていた。
 だがカナリーは、自分の丸くなっている耳を指差した。
「今の僕だって、同じだろう。そういう事さ」
「あ……変装だったんですね」
「じゃあ、本当は大人の人なんだ」
「…………」
 カナリーは気まずそうに、ヒイロから目を逸らした。
「あ、そこはそのまんまなんだ」
「わ、若作りでいいじゃないですか」
 タイランのフォローも、カナリーには大した慰めにはなっていないようだった。
「……モノには限度ってモノがあるだろう。そりゃ、クロスなんて偽名を思いついてもおかしくないさ。おそらく、消えた彼の名付け親は、僕の父だったんだろうから」
『あー……』
 どこか納得したような、キキョウの念波がシルバ達に届いてきた。
「どうした、キキョウ」
『ジェントで言う、{○/マル}と{×/バツ}なのだな。こちらの国ではバツはクロスとも呼ばれるのだ。元ネタ、というのはそういう意味だったのだろう』
「……父は、ジェントかぶれでね」
『分身の術や鬼面は、それか』
「うん、間違いなく」
 そしてカナリーは、ホールの隅に座らされている、ロープで縛られた金と銀の従者達を見た。
「君達を見た時点で、思い出すべきだったよ。オーア、アージェント。君達がフードで顔を隠していたのは、その為か。認識偽装は、隠しているモノの手掛かりが多くなると解けやすくなる」
 もっとも、二人はそれには答えない。
 代わりに、シルバとネイトが口を開いた。
「同時に、カナリーのお父さんが鬼面で顔を隠していたのもな」
「そもそも、最初にシルバが見かけた時以外、カナリーの前には現れていないだろう? 影世界に潜ったのは、カナリー君をそちらに集中させて足を止める為。鬼面も念入りに顔を隠す為だったという所だな」
「……本当に、無駄な所に全力を注ぎ込む人だ」
 これまでで一番深い溜め息を、カナリーは吐いた。
 一方、ヒイロは焦った様子で、大時計を指差していた。
 ダンディリオン・ホルスティンが指定した制限時間の残りは、あと十分を示していた。
「そ、それよりも、そろそろ動かないと間に合わないよ? 時間もうないんでしょ?」
「ん、まあそうだな。まずは移動と」
 シルバは左の棟に向かって歩き始める。
 そして、そのままネイトを経由して、キキョウ達に念波を送った。
『キキョウ、リフ、犬を一カ所に集めておいてくれ』
『む?』
『りょうかい』
「どゆ事?」
 浮遊板に乗ったまま横に並んだヒイロが、シルバを不思議そうに見上げる。
「キキョウが外に飛び出た時、四方に番犬を配置して見張りに立てたって言っただろう?」
「うん」
「でも、パーティーの時、メイドのアニーが運んでた餌皿は三つだったんだ」
「持ち運べなくて、もう一つ運んでたんじゃないの? それに、ボク達が探してるのは、カナリーさんのお父さんでしょ?」
「もちろん、ヒイロの言い分は大いにありえる。けど、上位の吸血鬼なら、変身能力があるんだ。蝙蝠とか狼とか。こっそり犬に化けてるかもしれないって話」
「はー、先輩、よく知ってるねそういうの」
 感心したような顔をするヒイロに、シルバは何とも言えない表情をした。
「……お前、俺が聖職者だって事、時々忘れるだろ」
「えへへ、たまに」
「んで、もう一人の銀色に関しては――」
「分かってる。僕達の仕事だね」
 カナリーが言いながら、ヒイロの腕を取った。
「え?」
「シルバについていきたい気持ちは分かるけど、ヒイロとタイランは、僕と一緒に別行動だ」
「何で何で? 何かアテがあるの?」
 手をばたつかせるヒイロに、シルバが答える。
「あるというか、作るんだよ。足音感知の魔術を封じなかったのは、そういう理由だし。それと、ヴァーミィとセルシアは、俺と一緒でも魔力が届くのか、カナリー?」
「ちょっと距離的に厳しいね。二人はここに置いて、モンブランの方がいいと思う」
「ガ?」
 金と銀の従者、オーアとアージェントを見張っていた重甲冑、モンブラン十六号が振り返る。
「お前も、見張りより動いている方がいいだろう?」
「ガガ! 運動不足ヨクナイ! 肥満ノ元!」
 やはり身体を動かす方が好きなのか、モンブランが喜びの声を上げる。
「……あの、その身体は太りませんよね?」
 控えめにタイランが突っ込むが、モンブランには届いていないようであった。


『足跡感知』の術は、正確に司祭達が反対の棟に向かったのを知らせていた。
 ならば、しばらくは安心出来る。
 そう、マール・フェリーは考えた。
 もちろん、足音の鳴らない存在――例えば、奇妙な板に乗った女の子や、恋人の話にはなかった精霊など、動きの予想が出来ない相手はいるが、彼らは気配を消す事にはまだ、慣れていないようだし何とかなるだろう。
 ――そう踏んだのが、命取りだった。
「こんな夜分遅くに、散歩ですか。マール・フェリーさん」
 音もなく、背後を取られた。
 振り返ると、そこには足をわずかに宙に浮かせた、青いローブの女魔術師が立っていた。
 しかし、彼女の本名は、エクリュ・ヘレフォードなどではない事を、マールは知っていた。
「あら、カナリーさんこそ、お疲れ様です」
 頭のフードを取りながら、マールは答えた。
「やっぱり、父は気付いていましたか」
「ええ、最初は本当に、カナリー様のお仲間のお顔を見てみたいだけだったようですけれど、貴方も変装して紛れていたのを見て、いつもの稚気がもたげてしまったようですわ」
「……あの人は、本当にこういうのが好きだな」
 うんざりと溜め息を吐く、カナリーであった。
「……カナリーさんも、人の事言えないけどね」
「う」
 カナリーが言葉に詰まる。
「うふふ……とてもよく似ていらっしゃいますわ、その女装」
「……どうも」
 困った顔をするカナリーに対して笑みを崩さないまま、誘い込まれたのね、とマールは悟った。
 ほとんどの人間が逆方向に移動したのだからこそ、マールはこの棟に潜む事を選んだ。それを逆手に取り、彼らはこの棟に狙いを絞って、足音の立たないチームを派遣したのだろう。
「あーいたいた」
 マールの想像を裏付けるように、後ろから浮遊する板に乗ったポニーテールの女の子と、青い燐光を放つ精霊の娘が近付いてきた。
 これはもう、逃げられないと判断するべきだろう。
「それにしても、よく出来ていますわね。特にその胸とか」
「パル帝国の最新技術ですよ。あの国では諜報活動にも力を入れていましてね。そ、それよりその衣装はわざわざ、用意されたのですか」
 何だか無理矢理話を変えようとしている風なカナリーだったが、マールは特に反対はしなかった。
 自分の羽織る銀色のローブを、摘んでみせる。
「ええ、いい仕立て屋が知人におりますの。急仕立てにしては、割とよく出来ているでしょう?」
「ええ、素敵な寝間着だと思いますよ。確かにルールには反していない。あの人は、自分はプライベートな部屋には入らないとは言ったけど、貴方は違いますしね……なるほど、ネイトが言っていた通り、これは酷いペテンのゲームだ」
 ネイトという名もマールは知らないが、おそらくはカナリーの仲間なのだろうと推測は出来た。
「ええ、私の家ですもの。それにこの服も結構気に入ってますのよ。……それにしても、よく私が二人目と、分かりましたわね」
「声を上げかけたのは、失敗だったと思いますよ。アレで、ウチのリーダーは何の術が使われているかを確信したそうです」
「ふふ……まさか、本当にオバケが出るとは思いませんでしたもの」
 マールはチラッと、後ろにいる少女型の精霊を振り返った。
「わ、私、オバケじゃないんですけど……」
「……まー、霊の類ではあるよね」
 板に乗った少女、確かユシアと言ったか、彼女の言葉に、精霊は身体を縮こませる。
「はじめまして……というべきかしら?」
「え、あ、その……」
「そうですね。モンブランと言います」
 サラッとカナリーが言うと、何故か、言われた精霊の方が驚いていた。
「モンブラもが!?」
 その口を、ユシアの手が塞ぐ。


 ちなみにこの時、カナリーはタイランに念波を飛ばしていた。
『……出来れば、中身は割られたくないだろう? ヒイロが乗っている浮遊板といい、どちらもウチの父のデータになかったのが、トリックを看破出来たキッカケでもあったんだし。この辺は、マールさんには悪いがシラを切り通そう。……父は見抜きそうな気がするけど』
『は、はい』


「ともあれ、そろそろ眠りの精が訪れた頃だと思いますが?」
 カナリーの提案に、マールも異存はない。
 見つかってしまえば、自分のゲームはここで終了、とダンディリオンにも言われている。大人しく、部屋に戻るべきだろう。
「言われてみれば、少しウトウトしてきましたわ。寝室までエスコートして下さる?」
「喜んで。頼もしい護衛もいますし」
「どーもー」
 ユシアが元気よく手を上げる。
「ああ、マールさん。ついでに一つ聞いておきたいんですけど、この家の番犬って、何匹いるんですか?」
「番犬の数ですか? 普段は三匹ですけど……」
 マールの口元が綻ぶ。


「何……だと……!?」
 中庭に出たシルバは絶句した。
 キキョウの話では四匹だったはずの犬が、そこら中にいた。
 明らかに番犬とは思えない、でっぷりとした大型犬や子犬も混じっている。
 とにかく、夜の中庭に何故か、大量の犬が動き回っているのだ。
「ガガガ……多イ! 犬、多イ!」
「目算で三十匹。吠える声から、見えない範囲にその数倍と推測される」
 シルバの後ろで、モンブラン十六号とシーラも、とりあえず様子を見ている。
 芝生を踏む音と共に、こちらに向かってくる二つの人影は、キキョウとリフだった。
「シルバ殿!」
「にぅ……」
「キキョウ、リフ、お疲れ。それはともかくどうなってんだ、これ!?」
「う、うむ。ついさっきまでは、数匹しかいなかったのだ。数分前、突然数が増えた。某の想像では、おそらくはこの臭い……何らかの薬品を嗅がされて眠らされていたのであろう」
「……種類、ばらばら」
「年齢も性別もバラバラである」
「うん、その辺は俺にはよく分からないけどな」
 まあ、子犬か成犬かとか、大雑把な種類ぐらいならまだしも、具体的な年齢だの性別になるとお手上げなシルバであった。
「割と個性的だと思うのだが……」
「にぅ……人間にはむずかしいかも」
 獣系の二人には、ごく普通に分かる事らしい。
「全部で、何匹ぐらいいるんだ?」
「ふぅむ、軽く、一〇〇を越えると見てよいと思われる。幸いな事にほとんど皆従順な性格故、集める事自体は難しくないが……」
「に……この中に、あの子が化けてる?」
 うん、とシルバはリフに頷いた。
「こういう小細工をしてくるって事は、ほぼ間違いないと思う。これ自体がハッタリで実は全然別の場所に隠れてました……ってのも可能性としてはあるけど」
『――父の性格からして、これは挑戦だと思う』
 突然放たれてきた念波に、シルバは思わず建物を振り返った。
「カナリー?」
『こういう仕込みをしておいて、それを無駄にするような人じゃない。見つけられるモノならやってみろ。それは、そういうメッセージと受け取っていいと思う。あと、足跡感知の魔術はこちらで解除しておいた』
「ありがたい話だけど、この中からかぁ……」
 シルバは、途方に暮れた顔で犬達を見やった。
 人懐っこい何匹かが、シルバや他の皆の足にすり寄ってきている。
「……ま、他に探す当てもないし、やるしかなさそうであるな」
「にぅ……でも、手分けしても大変」
「……んー」
 シルバは少し考え、懐に手をやった。
「出来るかどうか分からないけど、一つ手がないこともないかな。とにかく二人はここに犬達を集めてくれ」
「承知」
「に」
 キキョウとリフは頷くと、あっという間に彼方へ去っていった。
 建物広いもんなぁ……と考えていると、肩を太い鉄の指がつついてきた。
 モンブランだ。
「ガ! 我ハ何ヲスレバイイ!」
 何だか、やる気だけは充分のようだ。
「……んじゃ、牧羊犬の真似事でもするか? 追い込むのも犬なんだけど」
「ヤル!」
 言うが早いか、無限軌道を回転させ、モンブラン十六号も犬を集めに走っていった。
「やれやれ」
 シルバは頭を掻き、残ったシーラに振り返った。
「シーラは待機モードで」
「分かった」


 シルバ達の状況を聞き、カナリーは難しい顔をマールに向けた。
「……やってくれましたね、マールさん」
「ふふふ、夕方からの大急ぎな仕込みで大変でしたわ。知り合い中に声を掛けましたの」
「……うわぁ、何かすごく見覚えのある笑顔」
「……で、ですね」
 ヒイロとタイランが評するマールのその表情は、もうこの世界にはいない青年のものに、とてもよく似ていた。


 月が出ているとは言え、中庭はそれなりに薄暗い。
 そんな中、大勢の犬が集まった様は、一種異様な雰囲気だった。
 何せ、そんな薄暗がりに、無数の瞳が爛々と輝いているのである。
 ……一斉に襲われたらひとたまりもねーな、と思うシルバであった。
「これで全部?」
 シルバの確認に、キキョウとリフが頷く。
「左様。隠れている者はいないはずである」
「に……いっぱい」
「目算で百二十匹いる」
 シーラのカウントは一見大雑把なようで、実は正確なのをシルバは知っている。
 それはそうと、リフが少し怯えるようにシルバの背後に隠れたのが気になった。
「ん? リフ犬苦手か?」
 だとしたら、酷な命令だったかも知れないが、頼んだ時にはそんな様子もなかったのに。
「にぅ……苦手じゃないけど……みんな話しかけてくるの、困る」
 そういうリフの足下には、何匹かの子犬がじゃれていた。
 シルバはキキョウの方を向いた。
「もてもて?」
「……うむ」
 そして、そのキキョウの足下にも、お預けを食らっているような犬達が、何匹か尻尾をパタパタさせていた。
「犬と猫の禁断の愛か。……深いな」
「ガガガ! 時間ナイ! げーむ負ケルノハ嫌ダゾ、我!」
 モンブランが騒ぎ、シルバは目的を思いだした。
「おう、そうだったそうだった。それじゃ、判別と行きますか、カナリーのお父さん!」
 シルバは、犬達に声を掛けた。
「ぬ、シルバ殿、どうするつもりだ?」
「影世界でカナリーがリフに言っただろ。発想を変えてくれって。これもまあ、その応用というかだ」
 その為にはまず、犬達に話を聞いてもらわなければならないのだが……。
 さすがにこの数である。
 何十匹もの犬達が好き勝手に吠え、かなり騒々しかった。
 まずはこれを宥めなければならない。
「まあ、騒がず聞いてくれ……って、キキョウ、通訳頼めるか?」
「う、うむ……出来ぬ事はないが……」
「ん?」
 何だかキキョウは恥ずかしそうにしていた。
「いや、普通に喋るよりも、犬語の方が伝わりやすいのだ。そしてそれは某もそこそこ使える。だがしかし、シルバ殿。決して笑わぬように」
 念押しされてしまった。
「はぁ……まあ、とにかく静かに聞いてくれるよう伝わるなら、なら何でもいいけど」
「よ、よし。では始める」
 コホン、と小さく咳払いをして、キキョウは大きく声を上げた。
「わんっ!」
「ぬおっ……!?」
 その響きは、まるっきり犬の鳴き声であった。
 しかし一回吠えるともう吹っ切れたのか、キキョウは顔を真っ赤にしながら犬達に語り続ける。
 すると、それに応えるように犬達も吠え始める。
「わわわん、わん、わぉん! わぅ、わん、わぅん!」
「にぅ!?」
 犬達が何を言ったのか、シルバの後ろでリフがビクッと震えた。
「わん! わぉん、わん!」
 犬達はなおもリフに向かって吠え続ける。
「え、何? リフが何で慌てる訳!?」
 リフは、シルバの腰にしがみついてきた。
「に、しずかにしてやるからリフと散歩させろって言ってる……今、キキョウがみんなを説得中……」
「……もてもてだ」
「もてもて」
 シルバの呟きに、シーラも同調する。
「にぅ……困る」
「わうっ!」
 ともあれ、キキョウの説得が効いたのか、最後の一鳴きで犬達は一斉に沈黙した。
「お、静かになった」
「うむ……パーティーの残飯で手を打った。もっとも、餌をやるやらないの飼い主との交渉は、マール殿にお任せする事になるが」
「……とにかく、静かになったならいいや。キキョウ、ご苦労さん」
「う、うむ! お安いご用である」
 誇らしげに、鼻息を挙げるキキョウであった。しかし凛とした態度とは裏腹に、尻尾は思いっきり左右に振れていた。
「んでまー、あれだ。この中に一匹だけ、本物の犬じゃない奴がいる!」
 シルバは、犬達に向かって大きく宣言した。
 犬達に人の言葉は一応分かるようだが、特に反応はない。
「シ、シルバ殿。その台詞で、相手が反応してくれるとよいが……」
「いいんだよ。――名前はダンディリオン・ホルスティン!」
 構わず、シルバは言葉を続けた。
 そして袖から出した透明な札をかざすと、犬達を透かしてみせた。
 まずはリフの足下でじゃれる子犬達、キキョウの前で整列する成犬、そして待機状態にある百数頭の犬達……。
 札の絵柄は基本的に、大きく二種類に変化を繰り返していた。
 発想の逆転だ。
「『戦車』、『力』、『戦車』、『力』、『力』、『力』、『戦車』、『力』……吸血貴族であり、この館の主、マール・フェリーの『恋人』は……!?」
 シルバの大きな声が、夜の中庭に響く。
 シルバの試みは、発想の逆転だ。
 相手を見て札の絵柄を変化させるのではない。
 相手の変化で札を変化させるのだ。
 犬達には一見何の動きの変化もない。
 だが、その中のたった一匹、彼のほんのわずかな心の揺れはシルバの無意識に呼応し、絵柄を変化させていた。
 男女の描かれた――『恋人』の札だ。
 シルバはかざしていた手を止め、叫んだ。
「――いた、キキョウ、リフ走れ!」
 ほぼ同時に、キキョウとリフは飛び出していた。
「わんっ! ……ではない、しょ、承知!」
「にぅ!」
 犬の一匹が、身を翻して逃げ始める。
 色が闇に溶けて見失いそうになるのを、シルバは目を凝らして追いかける。
「真っ直ぐその先の……黒い子犬! 逃がすな!」
「に、回り込む!」
「逃がさぬ!」
 リフがグルッと迂回し、直線的に追うキキョウと挟み撃ちにする。
「ガガ! 我モ追ウ!」
 立ったままなのに我慢しきれなくなったのか、モンブラン十六号も追撃を開始した。
 キキョウとリフも相手を確定出来たようだし、もう札での判別も必要ないだろう。
 となると、シルバが打つのは次の手だった。
「シーラ、準備。相手が吸血鬼だって事を考えると、このままだと逃げ切られる可能性がある。手伝ってくれ」
「――了解」


 一方小さな黒の子犬は絶体絶命だった。
「よし、捉えた!」
 後ろから追ってきた狐獣人――キキョウはもう、手を伸ばせば届く距離まで来ていた。
「なかなかやるね! だけど――」
 突如子犬は人語を喋り出し、その手をすり抜けた。
「なぬ!?」
「――霧化さ。そして、これならどうかな!」
 一瞬黒い霧に化けた子犬はそのまま空へ舞い上がり、黒い燕尾服を着た金髪紅瞳の美少年に変化していた。
 一気に10メルトほどの高さまで昇り、足下のキキョウらを見下ろす。
「ぬうっ! 空に逃げるとは卑怯千万!」
「あっはっは! でもルール違反じゃないよ! この通り、敷地の外には逃げてない!」
 そのまま楽しそうに手を叩く、クロス・フェリー否、ダンディリオン・ホルスティンであった。
「それにしても見事だよ、少年。あんな見破り方が……って、あれ? どこに消えた?」
 司祭の少年、シルバが立っていた位置には誰もいない。
 ただ、シーラと言ったか、シルバの傍らに控えていた、赤いドレスを着た色白の美少女はダンディリオンを見上げていた。
 実家経由でカナリーから聞いた話には、存在しなかった少女だ。
 警戒すべき相手かな、と思ったが、その思考は横から迸った紫電によって断ち切られた。
「おっと」
 間一髪、空中で一回転して回避したダンディリオンは、屋敷の屋根に立つ白いマントを羽織った金髪紅瞳の美青年の姿を認めた。
「やあ、カナリー。久しぶりだね」
「久しぶりに会った子供に対する仕打ちとはとても思えないけどね――とにかく、話は捕まえてからにさせてもらうよ」
 指先から紫色の雷光を奔らせながら、憮然とした表情のカナリーは屋根の縁を蹴った。


 二つの雷光がぶつかり合い、派手な音と共に夜空に紫色の火花が飛び散った。
 直後、宙に浮いていた二つの人影は互いに弧を描くように旋回し、位置を入れ替える。
「へえ、ずいぶんと腕を上げたようじゃないか、カナリー」
「全部回避しながら言われても、嬉しくないね!」
 カナリーは再び指先から、雷撃を放った。
 しかしダンディリオンは、今度は術すら使わず、手で受け止めた。
「術の精度が上がった所で、意外性がないからね。君の使っている術は、以前僕が見たモノばかりだ」
「だったら――」
 ニィッとカナリーは笑った。
 それを怪訝に思ったダンディリオンは、眉を寄せる。
 その背後に、音もなく太い武器を持った何者かが浮かび上がった。
「これでどーだ!」
 浮遊板に乗ったヒイロが、大上段からの骨剣攻撃をダンディリオンの脳天目がけて振り下ろす。
「おおっとぉ!?」
 しかしその攻撃の手応えはなく、ダンディリオンはいなかった。
 ヒイロは左右を見渡す。
「避けられた!?」
「霧化だ、ヒイロ。普通の攻撃はあの男には通じない」
 その言葉通り、カナリーとヒイロのちょうど中間辺りに細かい無数の粒子が集い、再びダンディリオンの形を取った。
「ちょっとカナリー! 実の父親をあの男呼ばわりは酷いんじゃないかな!?」
「うっさい! 僕だけならともかく、友人まで巻き込んで寝不足に追い込む人なんて、あの男で充分だ!」
 拗ねた表情で抗議する父親に、娘は連続した雷撃魔術で返事を返した。
「おっ、とっ、たわっ!? っていうか二人がかりって言うのはちょっと卑怯じゃないかなぁ?」
 蝙蝠にも似た素早い旋回で、ダンディリオンは娘の紫電を器用に避けていく。
「それを承知でゲームを提案したのはそちらだろう」
「カナリーちゃん冷たい!」
「ちゃん付けで呼ぶな!」
 一際太い雷撃が、ダンディリオンを直撃する。
「ま、カナリー以外はどうにかなるから――ね!」
 カナリーの魔術を受け止めた手から白煙を立ち上らせながら、ダンディリオンは後ろを振り返る。
 そしてその紅瞳を輝かせながら、ヒイロと目を合わせた。
 異性を魅了する瞳を直接受けたヒイロは――
「むんやぁっ!!」
 ――構わず、骨剣を横薙ぎにぶん回した。
「って何で魅了が効かないのーーーーーっ!?」
 胴体を骨剣に分断され、上半身と下半身、二つに分かたれながら、ダンディリオンは動揺した。
 自慢じゃないが、魅了の術は自分の得意技の一つなのである。
「データにない攻撃には弱いようだな、ダンディリオン・ホルスティン」
 これまでに聞いた事のない鈴のような響きの声に、彼はハッと我に返った。
 そして、ヒイロの肩に乗る、黒い男装の娘に気がついた。
「む……! 美人!」
「ありがとう。しかしシルバ以外に言われても、特に私の心には響かないな。ともあれ、魅了の類は現状、私が全て無効化している為、今のヒイロには一切無駄だ。諦めてくれ」
「こんな人、僕は聞いてないよ、カナリー!?」
「教えてないからね」
 シラッと答えるカナリーであった。


 空中での激しい戦いを、中庭のキキョウらは犬達と一緒にただ見上げるしかなかった。
 そこに、館の中からタイランが出現した。
「や、やっと追いつきました」
「ぬう、タイランも加勢はしてくれぬか? あの高みでは某達ではどうにもならぬ」
「にぅ……跳べるけど、飛べない」
 尾を増やしたり霊道を用いる事で、頭上の戦いに一瞬だけ参戦する事は出来る。
 しかし、その後は落下するだけであり、カナリーのように自在に空を飛ぶ事も、ヒイロのような浮遊アイテムも彼女らは有していないのである。
「わ、私も飛ぶ事は出来ますけど……激しい運動はちょっと」
 タイランの問題点は、そこだった。
 その気になれば普通に戦う事だって、タイランには出来る。
 だが、それは力の波動を母国に知られる可能性が高く、追われる身である彼女にとっては望まぬ結果を生んでしまうのだ。
「シルバ殿との合体は?」
「あの……その、シルバさんが見あたらないんですけど……」
 困ったように周囲を見渡し、タイランはシルバの留守を指摘した。
「う、うむ。どこに行ったのか、シーラ、知らぬか?」
 実は、キキョウやリフも知らないうちに、シルバは消えたのだった。
 そして、シーラは無表情に答える。
「知っているけど、教えちゃ駄目と主から言われている」
「何!?」
『キキョウは割と顔に出るからなー』
「シルバ殿!?」
 シルバの念波が届き、キキョウは慌てて周囲を見た。
「に……スカートの中にはいない」
「いない」
 リフに赤いスカートの中を覗かれ、シーラは裾を直した。
『んなトコに隠れてないっての。それより、タイランにも出来る加勢の仕方があるんだけど、ちょっと手伝ってくれるか?』
「は、はぁ……」
 困惑しながらも、タイランは了承するのだった。


 一方カナリーは、新たな術を口の中で唱え始めた。
「霧になって逃れるのならば……!」
 ダンディリオンに突きつけた指の先が、白く輝く。
 冷気が集い、一気に解き放たれる。
「氷結系か! これはちょっと意外だった!」
 煌めく吹雪を、ダンディリオンは紫電を纏う手の一振りで一蹴した。
「……!?」
「ふふふ、データにないって言っても、行動の予測が出来ない訳じゃないよ。霧化対策の、更に対策ぐらいは積んでるさ。もっと僕の意表を突いてくれなきゃ。さあ、残り一分って所だけど、他に僕を楽しませてくれる面白い手はあるかな?」
 懐から取り出した懐中時計を確かめ、ダンディリオンは空中で楽しそうに一回転する。
「――ないでもないさ」
 そう答え、カナリーは自分の胸元に魔力を集中させる。
 紫色の雷球がそこに生じ、連続した高い音が発生する。
「ふむ、正攻法かい。それはちょっとどうかなぁ。そっちの子も――」
 ちょっと残念そうな表情のダンディリオンは、ヒイロを見た。
 彼女の方も先刻と同じ、大振りの一撃をダンディリオンに食らわせようとしていた。
 もちろん、その攻撃は霧化の可能なダンディリオンには――
「――だはぁっ!?」
 思いっきり効いて、彼は吹っ飛ばされた。
 キリモミしながら墜落しそうになるのを、何とか空中で制御する。
「うーっし、効いた効いた♪ もういっちょいくよ、タイラン!」
「は、はい!」
 ヒイロの骨剣に青い燐光を纏わせたちびタイランは、ネイトとは反対の肩に乗った。
 水属性を得た骨剣は、霧状になったダンディリオンにも、それなりに効果があったようだ。
 だが。
「ってこらヒイロ! せっかく偽名を使ったのに本名呼んでどうするんだ!」
「あ、ご、ごめん!?」
 カナリーに叱られる、ヒイロであった。
 一応、タイランが重甲冑の中身である事は、この館の主であるマール・フェリーにも秘密にしていたのに、これでは意味がない。
 もっとも相手もそれどころではなかったようだ。
「せ、精霊体! なるほど、それなら霧になっても……」
 初のダメージに動転し、だがそれでもダンディリオンは別方向からの敵意に勘付いたのは、さすがは長年の勘と言うべきか。
 それは、ダンディリオンの真上から来ていた。
「しまった、牽制……!」
 赤いドレスの少女が、いつの間にかそこにいた。
 そう、派手なカナリーの魔術演出と、ヒイロの攻撃に注意を奪われ、さすがの彼も気付けなかったのだ。
「――予想よりコンマ二秒反応速度が速い」
 手の平から低い音を立て、赤いドレスの少女、シーラは衝撃波を放った。
「ちぃっ!」
 ダンディリオンは全力でその嵐のような波動を回避する。
 燕尾服の裾はボロボロにしながらも、かろうじて無事に衝撃波を逃れ、彼は深く息を吐いた。
「あーもうビックリした。けど、さすがにもう――」
 ダンディリオンに同じ攻撃はほぼ、通用しない。
 彼女の攻撃も次来ても、と見上げると。
「…………」
 シーラは、何かを呟いた。
「え?」
 その声は、ダンディリオンのみ身を以てしても聞き取れなかったが、彼女は「{解放/リリース}」と呟いたのだった。
 そして、いつの間にかシーラが手に持っていた札――『教皇』の絵札から、司祭服の少年が出現した。
「――な」
 完全に、予想外の出来事に、一瞬ダンディリオンの頭が真っ白になった。
 何故札の中から出現とか、そもそも少年――シルバ・ロックールは人間であり、このまま避けられたら自由落下で死ぬんじゃないかとか。
 そんな事にお構いなしにシルバは身体を反転させ、自分が出て来た札をシーラから受け取り、さらに回転。
「{封鎖/シーリン}」
 札を、ダンディリオンに押し当てようとする。
 とっさに霧化で逃れようとしたダンディリオンだったが、遅かった。
「…………」
 霧化した身体ごと札に吸い込まれたダンディリオンは、『皇帝』の絵札の上に小さく出現したのだった。
「封印、完了」
 呟き、シルバは地面に向かって落下していく。
 その身体に、軽い衝撃が走った。
 もちろん、地面はまだ遥か下方だ。
 彼をキャッチしたのは、先に回り込んでいたヒイロだった。
「お姫様だっこ~♪」
 シルバを抱え上げながら、浮遊板に乗ったヒイロはクルクルと回った。
「……俺が姫かよ」
 抗議はするものの、シルバもこの状態では下手に暴れる訳にもいかない。
「例の像を使えば、僕は割と絵になると思うけどねぇ」
 なんて事を呑気に言いながら、カナリーもヒイロに近付くのだった。


「すまぬな。こんな時間に連れ出して」
 深夜の廊下を、キキョウは寝間着姿のアニーを連れて歩いていた。
「うぅ……いえ、お気遣いなく……依頼したのはわたしですし……」
 まだ眠たげなアニーは枕を抱いたまま、軽くアクビをしながら目を擦っている。
「うむ。ほぼ完全に決着がつきそうであるし、直に見た方がより納得するであろうと思ってな」
「お気遣いありがとうございます。あの、でもその正体って……」
 声に不安そうな響きを感じ、キキョウは振り返って微笑んだ。
「心配いらぬよ。化生であれど無害である。何かあれば、某が守る故、ご安心下され」
「は、はい……!」
 枕を強く抱きしめ、アニーは顔を赤らめる。
 キキョウは前に向き直すと、ブツブツと不満そうに呟いた。
「むぅ……こういう役回りは、どうにも納得がいかぬぞ、シルバ殿……」


 T字路の中央に、青白い燐光を纏った少年が立っていた。
 その前に、司祭姿の少年――シルバ・ロックールがしゃがみ込んでいる。
「――それで、どうして毎年、この時期に現れるんだい?」
「ここは、僕とママが住んでたんだ。でも、いつの間にか新しいおうちが建っちゃった……」
 シルバの優しげな声に、少年は涙目を擦りながら応じた。
「なるほど……そういえば、この辺は古戦場だったと聞く。戦災に巻き込まれたんだね」
「よく分かんない……ママに会いたい。ママの誕生日なんだ……ママ……」
 悲しげな幼い声が廊下に響く。
「ああ、それでこの時期なのか……」
「迷惑掛けてゴメンなさい……もう出ないよ……」


 と言うようなやり取りを、キキョウとアニー、それに館の主であるマール・フェリーはこっそりと覗き込んでいた。
「と言っているが、どうする、アニー嬢」
「ううう……そ、そういう事情だったんですかぁ……」
 涙をボロボロ流しながら、アニーは鼻声を上げていた。
「ぬぅ……」
 あまりの絶大な効果に、むしろ仕掛けたキキョウやマールの方が怯んでしまう。
「マ、マール様……この子、可哀想すぎます……! 少しぐらい、彷徨うぐらい許してあげましょうよう……!」
「別に私は反対した覚えはないんだけど……」
 頬に手を当て、少し困ったようにマールも微笑んでいた。


 涙の止まらないアニーを連れて、キキョウらが去っていくのを確かめ、シルバとダンディリオンは演技をやめた。
「……っていうか、こんな三文芝居が何で通じるんだ」
 シルバは頭痛を堪えるように手を額に当て、首を振った。
 ちなみにカナリーやヒイロらは、犬の世話で大忙しでいる。
「涙もろいからねぇ、アニーちゃん♪」
「うう、良心の呵責が……」
 そもそも、今日初めてこの地を訪れたシルバが、この土地が以前古戦場だったとか、そんなの知ってる筈がないのである。もちろん、そこは完全にでっち上げだ。
 だが、ダンディリオンはあっけらかんとしたモノだ。
「ともあれ、これで一応は依頼は解決でしょ? 正体はちゃんと突き止めたんだから」
「……大嘘ですけどね」
「ん、んー。まあ普通に退治される演技でもよかったんだけど、来年以降の事も考えるとねー」
 という事は、来年も変わらずこの館を訪れるつもりでいるらしい。
「そこを自重するのが大人だと思うんですけど……?」
「愛に子供も大人もないよ、将来の娘婿君」
「誰が婿ですか」
 真面目に考えれば、一応知られているとは言え、今のマールの立場で吸血鬼が出入りするのはあまり喜ばしいモノではないだろう。
 騙す形になるとはいえ、ここは関係者全員にとって、黙っておいた方がいいだろうとシルバも思う。
「っていうか、性別バレてるの前提ですか」
「うん。君達の様子を見てれば、分かるよ。自慢じゃないけど、伊達に何人も愛人を作っていないしね」
 えへん、と胸を張る、ダンディリオンだった。
「本当に自慢になりません……!」
 どうして俺の周りにはツッコミが必要な人ばかりなんだ、とシルバは内心叫ばざるを得ない。
 まあ、そんな事をしたって事態は進まない。
 とりあえず、みんなリビングに集まる事には決まっているのだが、歩きながらふと思い出した事を、ダンディリオンに聞いてみる事にした。
「あ、そうだ。一つ確かめたい事があるんですが」
「何かな。カナリーのスリーサイズ?」
「……命知らずですね」
 むしろ娘のそれを知っているのか、とシルバは内心で突っ込む。
「ん? 実際、ノーライフキングだよ?」
「……そういう意味じゃないんですが。とにかくですね、俺はともかく茶店でキキョウを試したみたいな真似をしたのは、一体何だったのかなと。アレは別に必要ないでしょう? いや、素性を謎にしたかったなら、むしろ余計な事だったと思うんですけど」
「あー、そうだねえ。君とは別の意味で興味があったからかなぁ。怖い顔になってるよ、婿君」
「婿君じゃないですから」
 ギギギ……と無理矢理笑顔を作りながら、シルバは小柄な年長者に義理堅くツッコミを入れた。
「ま、ぶっちゃけると、君に次いで、実家から伝え聞いた話の中で登場してたからね。うん、娘のライバルは見定めておかないとと思いまして♪ いやぁ、軽いモノとは言え、まさかあんなにあっさり魅了を解かれるとは思わなかった。精神の支えとなる対象への想いが強いというか、確かに強敵だよねぇ」
「何でそこで俺を見るんですか」
「何でだろうね?」
 ニコッと天使のような微笑みを浮かべるダンディリオンであった。
「で? カナリーはお気に召さないかな? 親の目から見ても、かなりイケてる方だと思うけど」
「……どういう答えを期待しているんですか」
 無邪気にとんでもない事を訊ねる少年(?)に対し、シルバは明確な答えを避けた。
「ふふふ、どういう答えを期待していると思う?」
「というか答えに困る質問ばかりしないで下さい」
「ま、あの子を泣かせるような事がなけりゃ、僕は細かい事は気にしないけどね」

「……僕を一番泣かせているのは父さんだろう」

 静かな怒りを秘めた声が、二人の背後から聞こえた。
 そして紫色の光が、廊下を明るく照らす。
 直後、ダンディリオンは素早くシルバの前に回り込んだ。一瞬前まで彼の立っていた場所を、紫電が貫く。
「うひゃあっ!? ちょ、お、屋内で雷撃はどうかと思うなぁ、僕!」
「……妙な事を、シルバに吹き込まないでくれるかな?」
 全身から紫電を迸らせながら、金髪紅瞳の貴公子は父親と距離を詰めてくる。
 だが、自分が悪い訳でもないのに脂汗がダラダラと流れるシルバとは逆に、ダンディリオンはまるでお気楽だ。
「いや、親としては娘の幸福を一歩リードしてもらいたいというか、あの元気な鬼ッ娘とか小さな猫の子とかみんな、手強そうじゃないか」
「それが余計な事だって言っているんだ!!」
 カナリーが横薙ぎに手を振ると、紫の雷光もカーブを描いて父親を狙う。
「ひゃー、怖い怖い♪」
 むしろ楽しげに、ダンディリオンは必殺の雷撃を跳躍して避けた。
 そのまま軽快なステップで、一足先にリビングに向かっていった。
 ……シルバとカナリーは顔を見合わせると、同時に大きく息を吐き出した。
「……ゴメン、ウチの親が妙な事口走って。気にしないでくれると助かる」
「分かった。全ての一切を忘れよう」
 シルバは苦笑しながら、カナリーと一緒にリビングへ向かう事にした。
 並んで歩くカナリーも、苦笑いを浮かべる。
「……それはそれで、寂しいモノがあるなぁ」
「ややこしいっつーか、複雑だわな、そこは……」


 それからシルバ達は、広いリビングで話をする事になった。
 キキョウ達はまだ戻って来ないので、シルバとカナリーの相手をするのは、ダンディリオンとマールである。
 シルバ達は、旅の目的を、ダンディリオンに話した。
「へえ、乗り物をねえ。実に興味深い」
「……付いて来る気じゃないだろうね、父さん」
 愛人であるマール・フェリーの膝の上に座る父親を見る目は、もはや氷点下の域に達しているカナリーであった。
「駄目?」
「可愛く言ったって駄目だ!」
 目を潤ませ、小首を傾げるダンディリオンをカナリーは一蹴した。
「よし、こうなったら多数決で」
「シルバ、目を逸らすんだ。魅了の術を使う気だぞ。この人が本気になったら、男でもヤバイ」
「やるね、カナリー」
「それぐらい、お見通しさ。さあ、それよりも言っていた賞品を渡して寝るんだ。夜更かしは身体に悪い」
「吸血鬼の父親に言う台詞じゃないよねぇ、それ。あ、その前にその封印についてだけどさ、一つ何とかする方法知ってるよ?」
「マジで!?」
 それまで黙って親娘のやり取りに入れずにいたシルバは、身を乗り出した。
「うん、マジ。まあ、問題点があるとすれば……視力を失ったり、喋れなくなったり、腕力が赤子並になったり、子供産めなくなったりするんだけど」
「……いや、やっぱいいです。ありがとうございます」
 ソファに座り直すシルバだった。
「ま、その辺はリスク高いからねえ。やっぱ餅は餅屋って言うの? 呪いの類なら、そりゃルベラントの教皇さんが一番確かだよね」
 うんうん、と頷くダンディリオン。
 そこに扉がノックする音が響き、キキョウ達が入ってきた。
「シルバ殿、こちらの仕事は終了した。後はマール殿、よろしくお願いいたす」
 キキョウが頭を下げると、マールは頷いた。
「分かりましたわ。あら、そちらの二人はもうおねむのようね」
「むー……まだ起きれるよう」
「に……もう眠い。寝る」
 ヒイロとリフは、ウトウトしながら目を擦っていた。
 リフはそのまま眠たげにシルバに近付いたかと思うと、そのまま膝の上に倒れ込んだ。ついでにキキョウの尻尾がザワリと逆立った。
「……何で俺の膝で寝る」
 いや、分かってはいるのだ。
 つまり、猫の時の癖が出ている訳で。
「あああ、ね、寝ぼけちゃ駄目ですよぅ。えっと……ユシアとミル」
 取り繕うように、重甲冑のタイランがシルバの膝からリフを持ち上げる。
 ダンディリオンをソファに座らせ、マールも立ち上がった。
「ふふふ、お部屋にご案内いたしますわ。どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます」
 マールに廊下に出るよう促され、タイランはペコペコと頭を下げる。
「二人はわたしが運ぶ」
 既に眠りに突入したヒイロとリフは、シーラが両脇に抱えた。
「あ、た、助かります」
 その光景に、シルバは何か死体を担いでいるみたいだな、などと不謹慎な事を考えたりしていた。
 そのヒイロの尻の辺りに、ヒョコッとちびネイトが出現する。
「ま、そういう訳でシルバ、おやすみだ。私もこの子らに付き添う」
「おう、よろしく頼む」
 そしてどうしたものかと迷うキキョウを、シルバは手招きした。
「ま、キキョウはサブリーダーでもある事だし、同席してもらう方向で」
「う、うむ」
 キキョウはそのまま、シルバの隣、カナリーの反対側に腰を下ろした。
「そ、それじゃ、私達は一足先にお休みなさい」
 タイランが律儀に頭を下げ、シルバは頷いた。
「うん、おやすみタイラン。明日は……んんー……寝るのがこんな時間だし、少し遅めに八時ぐらいにホール集合でいいかな」
「わ、分かりました。もう寝ている二人にも伝えておきますね」
 そして、扉が閉まった。
「さて」
 真面目な表情になったダンディリオンの仕切りで、話は戻る。
 と思われたが。
「時にキキョウさんだったっけ」
「ぬ?」
 いきなり、話が逸れそうだった。
「カナリーから聞いているよ。話によると君……」
「な、何であろうか……?」
「ジェント出身なんだってね! あの国の事をもっと詳しく教えてくれないかい!?」
 グッと、ダンディリオンはソファから身を乗り出した。
「は?」
「いや、僕も十回ぐらい通ってるんだけど、行けば行くほど奥の深い国じゃないか。ワビサビ神のごった煮カタナ鍛冶スシ浮世絵! ジェントは美人も多いね! 黒髪サイコー!」
「カ、カナリー……某はどうすればよいのだ?」
 呆気にとられるシルバとキキョウの視線に、カナリーは渋い表情を父親に向けた。
「……あのねえ父さん、僕達はこれでも忙しい身でね? 明日にはもう出発するんだよ。キキョウに徹夜をさせる気かい?」
「何なら交換日記からでも!」
「人の話を聞こうよ!?」
 懐から本当に手帳サイズのノートを取り出すダンディリオンに、カナリーがツッコミを入れる。
 なるほど、ジェントかぶれか、とシルバは納得した。
 そういえばさっきまでのゲームの間にも、鬼面やら分身の術やら、それっぽい言動があったような気がする。
「んー……キキョウ、とりあえずアレ出そう」
 それで、キキョウには通じた。
「ぬ、承知。貸すだけであるぞ?」
 キキョウが袖から取り出したのは、狐面であった。
「ほう! これは見事な狐面! 被ってみていいかな?」
「それは構わぬが……」
 もう既に、ダンディリオンは狐面を被っていた。
「この封印も解いていい!?」
「絶対駄目だ!」
 即座に、カナリーが父親から狐面を引っぺがした。
「ああ! カナリーの意地悪!」
「渡すから、もうちょっと大人しくしてくれ、父さん」
 カナリーは、ダンディリオンに狐面を返した。
「了解了解。それで賞品だけど、これ」
 言って、テーブルに置いたのは先程出した手帳であった。
「まさか、本気でキキョウと交換日記をする気ですか!?」
 しかし、ダンディリオンはシルバの問いに手を振った。
「あ、それでもいいけど違う違う。それは縮緬問屋の隠居として諸国を漫遊してた、僕の旅行記」
「……やっぱり日記じゃないですか」
 っていうかチリメンドンヤって何だ。
「色んな地方の情報が載ってるよ。それに、モンスターの事とか、魔法のアイデアとか、料理のレシピとか」
「料理、するんですか」
 とりあえず、手帳の中身を検めながら、シルバは訊ねる。
 なるほど、手帳は分厚く、かなりの読み応えがあった。
 間には付箋やら、シトラン共和国の劇団のチケットやら、思いついた物が片っ端から挟まれてもいるようだ。
「料理ぐらいするでしょう、普通?」
「…………」
 何となくカナリーを見ると、スッと目を逸らされた。
「どうしたのかなぁ、カナリー。怖い顔になっちゃってるよ?」
「何でもない」
 ニヤニヤと笑うダンディリオンに、カナリーは憮然とした表情で答える。
 手帳の内容をシルバの横から覗き込んでいたキキョウが、顔を上げる。
「しかしこれはかなり貴重なモノだと思うのですが、よろしいのか?」
「あ、いーのいーの。同じのもう三冊あるから」
 言って、ダンディリオンはシルバが持っている手帳とまったく同じ手帳を、懐から取り出した。
「何と!?」
「同じ霊樹から生成した紙を使ってる特製でね。書いた内容を自動的に他の手帳に複写する同調機能があるんだ。だからキキョウさん、交換日記――」
「結局そこにいくのか父さん!?」
「ま、これはこれでもらっておきます。旅の役にはなってくれそうですし」
 シルバは手帳を閉じた。
 強引にゲームに参加させられたが、勝った賞品という事は、間違いなく自分達のモノだ。遠慮はいらないと考える事にした。
「うんうん、役に立ってくれると、書いている僕も嬉しいかな。あ、これオウレンとの連絡にも使ってるから、そこはじっくり読まないでね?」
「誰?」
 知らない名前が出て、シルバはダンディリオンからカナリーに視線を移した。
「……うちの母さん。サフィール出身の吸血鬼なんだ。とにかく父さんは、もうちょっと自重するべきだ。キキョウは僕の友人でもあるんだし、変な事をしでかしたらタダじゃおかないよ?」
「なるほどなるほど、厚い友情だ。シルバ君はどうかな」
「え? ああ、とりあえずこの封印が解けてからですよね。後は回復術を高めないと、今のままだとやっつけられませんし」
「や、やる気充分だね」
 サラッとシルバに言われ、さすがにダンディリオンもその童顔を引きつらせる。
「ウチの者に手を出すからには、全員を相手にすると思って下さい。さ、時間ももう遅いですし、そろそろ休みませんか」
 シルバはアクビを噛み殺しながら、立ち上がった。
 それに釣られるように、キキョウも腰を上げる。
「うむ。カナリー達は平気であろうが、某達はさすがにな」
「いや、僕も寝るよ。昨日から起きっぱなしだしね」
「えー、もっと遊ぼうよー」
「はいはい、明日ね」
 一人元気なダンディリオンを、カナリーは軽くあしらう。
「明日にはもう出発しちゃうじゃないかぁ!」
 こうしていると、どちらが親か分からないな、と思うシルバだった。
「……カナリーも、大変そうであるな」
 どうやら、キキョウも同感だったらしい。
 それに対して、カナリーはやれやれと頭を振るのだった。
「……分かってくれて嬉しいよ、キキョウ」


 普段の習慣で、シルバはついいつもの時間に目が覚めてしまった。
 体操でもするかとまだ肌寒い中庭に出ると、そこには刀で素振りをするキキョウの姿があった。
「うぃーっす、キキョウ早いな」
「うむ、シルバ殿おはよう。何となく目が覚めてしまった。……ま、ほぼ間違いなく、馬車で眠る羽目になると思うが」
 手拭いで汗を拭いながら、キキョウは尻尾を揺らした。
「同じくだ」
 シルバも笑う。
「シルバ殿はこれからどうされるのだ? 某はもう少し朝の稽古をするつもりだが」
「よし、それじゃ俺が相手になってやるとするか」
「何と!? それは是非! ぬ、木刀があればよいのだが……」
「って冗談だ冗談! 本職相手に相手になる訳ないだろ」
「ぬ、別に某は構わぬぞ。何ならこれからでも、剣の腕を上げるもよしと思うが」
 シルバによほど剣を振らせたいのか、キキョウの尻尾はこれまでになく大きく左右に振れている。
「いやいや、大人しく体操でもしとくって」
 シルバは両手を振りながら、軽く退いた。
「ふむぅ、それは残念……」
「じゃー、僕と遊ぼう!」
 横からテンションの高い声が響き、シルバはそちらを見下ろした。
 ニッコリと天使の微笑みを浮かべるダンディリオン・ホルスティンがそこにいた。
「出た」
「出たとはご挨拶だなぁ。将来の義父に向かって」
「いや、いやいやいや。あの、気ぃ早すぎ。あとキキョウも落ち着け」
 何やら尻尾の毛を逆立て赤いオーラを放ち始めるキキョウを、シルバは抑える。
「ぬう、某の妖力が有頂天でとどまる事を知らぬ……」
「まーまー、軽いジョークじゃないか。真面目に体操には付き合いたいかなーと思ってね」
「吸血鬼はそろそろ眠る時刻では?」
 キキョウの問いに、ダンディリオンは気まずそうに笑みを浮かべた。
「そうしたい所だけど、朝市で魚買いに行かないと駄目なのでねぇ……」
「あー」
「ま、自業自得であろうな」
 リフとの約束をしたのは、ダンディリオン自身である。
 今日にはもうこの街を発つ予定なので、後回しにする訳にもいかない。
「あ、そうそう、ダンディリオンさん。一つ聞いときたい事があるんですよ。昨日話してた、この腕の封印を解く術の件」
「ああ、やっぱりシルバ君、興味はあるんだ」
「少なくとも聞いたような副作用がある事を考えると、実行するつもりはないですけどね。でも、何かの手掛かりになるかも知れないと思って」
「んー、サフィーンの方に伝わる刺青の術でね。要するにその腕の模様に刺青を上書きしちゃう訳だ。ただ、呪いの効果自体は殺せない。だから、君の場合、祝福魔術を使えるようにしたら、それと同じ分だけの何かが封じられるって訳さ」
「そ、それが何らかの感覚を失ったりに繋がるという訳であるか」
 キキョウはその場に居合わせていなかったはずだが、シルバ達の話から大体の内容は察したようだ。
「そゆ事。新約魔術の類が代償だったら一番手っ取り早いんだけど、シルバ君の場合は祝福魔術の伸び率がハンパないからねぇ。封印をずらすとして、何になるか分からないってのも割とネックだね」
「なるほど、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。さあキキョウさん! 僕にジェントの事を話すんだ!」
 パン、と手を叩いて、目を輝かせるダンディリオンに、キキョウは怯んでしまっていた。
「ぬ、それはやぶさかでないが、何というか某の話がダンディリオン殿の期待に応えられるとは思えぬのだがな」
「それを決めるのは僕さ。向こうにも何人か知人はいるけどねー、遠いからこれまでの滞在時間を全部足しても半年にも満たないんだよ。立場って辛いよね」
 はぁ、とダンディリオンは、悲しそうに溜め息をつく。
 確かにこんなナリをしているが、ダンディリオンはホルスティン家の当主なのである。そうそう他国に長居もしていられないのだろう。
 ……いや、正に今、諸国漫遊を楽しんでいる真っ最中ではあるのだけれど。
「って言ってもキキョウも、何から話せばいいやらって所か」
「う、うむ。某は武術一辺倒な生活を送っていた故、文化的な内容となると自信がないのだ」
「武術……武術か……んー、じゃあさ、一年半ぐらい前にあった大騒ぎ知ってる? 王都に大妖が現れたっていう」
「…………」
「…………」
 ダンディリオンの話に、シルバとキキョウは目を泳がせた。
「あれ、何で二人揃って目を逸らすの? 何か知ってるの?」
「いや……ごほん、げほん」
 キキョウは嘘が苦手なのか、わざとらしい咳払いをする。
「なーんか怪しいなぁ」
 しょうがなしに、シルバが代わりに話す事にした。
「ないですって。キキョウが俺と知り合ったのがちょうどその頃なんすよ。何となくその辺の話は聞いてるけど、ジェントからの距離を考えると関わってたとかあり得ないでしょう?」
「んー、そっかぁ、残念。シルバ君、どの辺まで知ってるの?」
「何か、あの国の女王や大将軍が、秘術だか古代の技術だかを使って異界に送り出したっていう話……ですよね?」
 一応、アーミゼストまで伝わってきていた情報だ。
 間違ってはいないはずである。
「そうそう。ジェントのミコト女王が死んでない遺跡の力で、この世界から大妖を追い出したっていう話。キキョウさん狐面持ってたでしょ? その戦いで活躍したっていうアキヤマ藩狐面衆じゃないの?」
 ギクリ、とキキョウが怯む。
「……じゅ、充分詳しいではないですか」
「第一、そんな事に興味を持ってどうするんですか?」
「そ、そうであるな。シルバ殿の言う通り」
 シルバの軌道修正に、キキョウも乗った。
「や、事件そのものより、僕が気になってるのは二つ。一つはその、転送技術のある遺跡の事。これは僕も魔術師、錬金術師であるから当然だよね。もう一つはミーハーな理由だけど、その戦いで男を上げたっていう勇者の話が聞きたくてね」
「勇者……? そのような活躍をした者の話ならば大将軍のムラサキ殿や『千翼』のハトバ殿ではないであろうか?」
 これは本当に心当たりがないのか、キキョウは首を傾げた。
「あ、その辺のレポートはもうある程度手帳に書いてあってね。そうそう、シルバ君、足りない部分は自分なりに考察してあるから、何か書き足してくれると嬉しいな」
「だから、俺は知りませんって。キキョウも同じですよ。なあ?」
「うむ……まったく覚えがない」
「そっかぁ。あ、ちょっと長話になっちゃったな。体操よりも、朝市に付き合ってくれないかな。そっちもいい運動になると思うから」
 何でこんな話になったのかな、とシルバは頭を掻きながら、二人と一緒にリフを迎えに行く事にした。


 リフを連れて、シルバ達は朝の魚市場を訪れた。
 海はまだ遠いが、近くに大きな湖と海に繋がる広い川があるようで、左右にずらりと並ぶ天幕の下、結構な量の木箱や樽が並んで生臭い臭いが鼻につく。
 威勢のいい声が響き、エプロン姿の男女が行き来していた。
「にぅ、迷う……」
 リフは尻尾を揺らし、市場を眺め回した。
 そりゃ前後左右魚だらけだ。
 どれを選べばいいかとなると、困るだろう。
 という訳で、シルバは開いた手帳の文字を追いながら、アドバイスを与える事にした。
「全部」
「に!?」
「シルバ君、割と容赦ないね」
 少しだけ表情を引きつらせる、ダンディリオンだった。
「いや、財力的には可能かなと」
「可能だけど、やらないよ。この街で下手に目立つつもりはないんだ」
 街に住む男の子に化けた吸血貴族は、肩を竦める。
 シルバは手帳から顔を上げると、キキョウに視線を向けた。
「それに関しては、キキョウがいる時点で手遅れな訳ですが」
「むぅ……すまぬ」
 魚市場の労働者達の中に突然現れた、美形のサムライは嫌でも人目を引くというモノだった。
 司祭服のシルバも多少怪訝そうな顔はされるが、それでもキキョウよりはマシだ。コート姿のリフは、小さいナリとはいえもっと市場に溶け込んでいる。
「で、リフ、もう少し迷ってもいいぞ。出発まではまだ時間あるし」
「にっ、にっ、にっ」
 シルバに帽子を叩かれたリフは、短くスキップしながら濡れた石畳を進んでいく。
「テンション高いなぁ」
 呟き、シルバは手帳に視線を戻した。
「……シルバ殿、本を読みながら歩くと危険だと思うのだが」
「んーじゃ、キキョウが手でも引いて歩いてくれるか」
「なぅっ!? や、や、そ、それは」
「冗談だ。ま、確かに危ないな……と読み終わった」
 軽く目を通しただけだが、さすがに今はマズイだろう、と手帳を閉じる。
 顔を上げると、キキョウが耳をペタンと倒して残念そうな顔をしていた。
「何と……もう少しゆっくり読んでくれても……」
「……つーか、お前も読んだ方がいいぞ、キキョウ。地味にえらい事になってる」
「ぬ?」
「ん? えらい事って何かな何かな?」
「ま、個人的な事に関わるんで、その辺は秘密にさせてもらいます」
 ダンディリオンの問いを軽く流して、よく分からないという表情をするキキョウに、シルバは開いたままの手帳を渡した。
 首を傾げながら、キキョウはそれに目を通していく。


 ……なるほど、確かに割と詳しく、ジェントでの大妖事件はダンディリオンの手で調べられていた。
 手帳に記されていたのは、その出来事を目撃したり直接関与した人達の証言を集めたモノだった。
 どうして大妖が出現したかとかは、割とどうでもいいというか、力を求めた術者が何百年もの封印を破ったというありふれたモノだ。
 ただその妖怪はべらぼうに強く、ミコト女王やムラサキ大将軍率いるジェントの軍でもどうにもならなかった。
 女王も戦いで傷つき、最終的には生きている遺跡の転送機能を使って、異なる世界へその大妖をジェントから追い出す計画を立てたという。
 まあ、その計画は無事上手く行き、ジェントに平和が戻った訳だが。


 実はこれに裏話があるという。
 この転送装置で送られる先の世界というのは、異なる世界などではなく、星の位置を見る限りこの世界のどこかだったようだ、という偵察兵の証言が記されている。
 向こうの世界には近くに都市もあり当然人も生活を営んでいた。それは女王にも報告が伝えられていたと。
 その事実は一部の者にしか伝えられていなかったらしい。
 だが女王の命令は絶対であり、逆らう事は許されない。
 最終段階でこの計画の秘密を知った、狐面衆のとある武士がこれをよしとせず、女王に直訴した。
「余所の国にアレを送り込み、某達は知らぬ振りを決め込むというのであるか!? それはあまりに卑劣というモノではないですか!」
「口を慎むがよい○○○○。自国を守る事が妾の使命。妾に逆らうのならば、死刑に処するぞ」
 と、もちろん聞き入れられず、反逆者の烙印を押される事となった……というのは、地下牢に入っていた老人の証言。
 牢から脱獄したその武士は、宝物殿に押し入り、封印されていた強力だが危険な武器や法具の類を持てるだけ奪うと、自国の不手際の落とし前を付ける為に単身、まだ作動していた転送遺跡の門を潜ったという。
 その後、大妖が二度と現れぬよう、女王の命令でその遺跡――クズハ遺跡は破壊された。
 女王に逆らう武士など恥以外の何物でもない、という事でその名は完全に抹消された……が、その名もない武士の話は決して表にこそ流れ出はしないモノの、彼の者こそ真のモノノフであろうと伝えられている。
 ……という話が複数の証言から纏められていた。


「……ぬおおぉぉ」
 キキョウはその場にうずくまり、頭を押さえながらゴロゴロと転がり始めた。
 幸い乾いている場所だったが、濡れた地面だったら酷い事になる所だ。
「身悶えてるね」
「まあ、気持ちは分からないでもないかなと」
 やがて力尽きたのか、キキョウは羞恥に狐耳まで真っ赤にし、尻尾の毛を逆立てながら、地面に突っ伏した。
 うん、まあ、気持ちは分からないでもないシルバであった。
「に?」
 戻ってきたリフが、キキョウの奇行に首を傾げる。
「何買うか決まったか」
「にぅ……なるべくおっきいのがよさそう」
 言って、リフは少し困った顔で振り返った。
 そこには、何十匹もの猫が列を作って、リフの後ろに付いてきていた。
「……相変わらず、人気者だな、リフ」
「に……困る」
 だが、困る者ばかりではない。
「や、嬢ちゃんのお陰で今日は猫追い払わないで済むから楽でいいや。ウチで買うならサービスするよ!」
 市場で働く気の良さそうな髭面の親父が、大きな声をリフにぶつけてくる。
「に……にぅ」
 リフは尻尾をピンと立てながら、怯えたようにシルバの後ろに隠れようとしていた。相変わらず、人見知りはするらしい。
「リフ、ここは値切る交渉のチャンスだぞ。盗賊らしく、活躍してみたらどうだ?」
「に、が、がんばる」
「うん」
 ぐ、と小さな拳を作るリフに、シルバは頷いた。
「ま、保存の方は心配いらないよ。昼に食べるなら凍結の魔術でいいし、もっと遅くならカナリーの影世界に入れておけばよしだからね」
「にぅ」
 さて、それじゃ俺はそろそろあっちを立ち直らせるか。
 そう考え、シルバは頭を掻きながら、頭からシュウシュウと湯気を立てているキキョウに近付くのだった。


 朝食を済ませ、シルバ達はマール・フェリーの邸宅の正門前に出た。
 もちろんカナリーやヒイロは変装を済ませている。
 見送りは屋敷の女主人、マール・フェリーと人間の男の子に化けたダンディリオン・ホルスティン、それにアニーら館の使用人達も並んでいる。
「お世話になりました」
「いえ、私も楽しかったですわ」
「……あと、ダンディリオンさんは、普通に出歩いてていいんですか? アニーとかいるんですけど」
「認識偽装って便利だよね♪」
 なるほど、彼女達には認識出来ていないらしい。
 しかし、こんな事に術を使ってていいのだろうか、とシルバは思わないでもない。どうやらそれはカナリーも同じだったようだ。
「父さん、あまり無茶な事はしないように」
「うんうん、分かってるって。さて、僕の方も用事は済んだし、次はどこに行こうかなぁ」
「別にいつまでもここにいて下さってもよろしいのよ?」
 マールの言葉に、ダンディリオンはニッコリと微笑む。
「そうしたい所だけど、僕は愛を伝える流離いの旅人だからね。ウチの地位や財産を狙う兄弟の事も考えると、実家の方もたまには寄らないと駄目だし。カナリー達について行きたい所なんだけど……」
「駄目」
 カナリーが一蹴した。
「ちぇー。ジェントの方は最近不穏な感じだし、サフィーンの宙華料理でも食べに行くかなぁ」
「頼むから大人しく家に帰ってよ、父さん」
「そ、それよりジェントが不穏とは?」
 何気ないダンディリオンの言葉に食い付いたのは、ジェントが故郷のキキョウだ。
「んー、だからさっき話してた大妖の件だろね。お陰で中々入国しにくいのさ。もう一年以上経つのに、まだピリピリしてるのかなぁ……」
「むむ」
「気になる? ねえ気になる?」
 何だかやけに嬉しそうに、ダンディリオンは下からキキョウの顔を覗き込む。
 一方、ヒイロやタイランは、マールにお礼を述べていた。
「朝御飯もおいしかったです!」
「あ、油まで差してもらって、ありがとうございます……」
 そして、ひょいとシルバの肩にちびネイトが出現する。
「シルバ、私には一つ不満があるんだ」
「何だよネイト」
「出掛けるなら私も呼ぶべきだ。君と私は一心同体だったはず」
「アイテムという意味で」
 シルバの後ろに控えていたシーラが、付け加えた。
「うん、その通り。所有物という意味では間違いじゃないな。今度から首輪でも用意してもらうか」
「待て。シーラまで何故俺を見る」
「に」
「リフまで!?」
「君のパーティーは楽しそうだなぁ……」
 羨ましそうに、ダンディリオンはシルバを見ていた。
 それで言い忘れていたことを思い出した。
「あ、ダンディリオンさんは多分、東に向かうと思うんですけど、その時、ウチの上司に会って、俺達の近況を伝えてもらえると助かります。手帳にも書いていきますんで」
「吸血鬼に、聖職者に会えって言うのもどうかと思うんだけど」
「そんなの気にする人ですか?」
「あはは、そりゃそうだ。で、男? 女?」
「女性です」
「よし、なら会おう」
 即答だった。
 そしてダンディリオンはポンと手を打った。
「そうそう。この街からウェスレフト峡谷までなら、多分手前の村を挟んでギリギリ今晩到着って所だけど、その村は入らない方がいいなぁ」
「何でまた」
「この街の司祭長らが留守なのは知っているでしょ? 近くの森に何かモンスターが出没したとかで、そっちに護衛兵士達と向かってるんだよ。村はその討伐拠点になってるはずだし、カナリーが入ると……ねぇ?」
 確かに、そう言った連中と鉢合わせするのは、あまりよろしくないかもしれない。
 一応人間に変装しているとは言え、カナリーも吸血鬼。もし素性が明らかになると、あまり好ましい事態にはなりそうにない。
「ふむ。しかし、下手をするとシルバ殿も手伝わされる可能性もありそうですな」
「高いね。シルバ君は人が良さそうだし」
「……そこの判断は難しい所ですね、仕事柄」
 キキョウやダンディリオンの言葉を、明確には否定出来ないシルバであった。
 確かに話を聞く限り、入らない方が良さそうだが。入ったら絶対首を突っ込みそうだし。
 と、そこに教会の鐘の音が響いた。
「おっと、そろそろ出発の時間じゃないかな」
「そうですね。それじゃ、お世話になりました」
 シルバ達が言うと、ダンディリオンはニッコリ微笑んだ。
「また寄ってくれると嬉しいな」
「それは、館の主の台詞ですよね」
 とにかく、シルバ達はスターレイの街を発つ事にした。


 街の外れ、人目の付かない場所でバイコーンの馬車に乗り込む。
 御者は変わらずヴァーミィとセルシアの二人だ。
 微かに揺れる馬車の中で、カナリーは不安そうな顔をシルバに向けた。
「……それにしても大丈夫なのかい、シルバ? 娘の僕が言うのもどうかと思うけど、父さんは相当な『タラシ』だよ? ストア先生の身が危険かも知れない」
「娘にここまで言われる父親というのも、そうはいないであろうな……」
 キキョウが呟き、シルバも首を振った。
「心配いらないと思う。ウチの先生は、魅了の術に引っ掛かるようなタマじゃないって。例えお前の父さんでもな。それに、転送遺跡だの何だのの話なら、ダンディリオンさんは絶対食い付く。運がよければ手帳の方、都市の方においてもらえるかも知れないだろ?」
「あ……あの森にあったアレですか」
 タイランが思い出したように言い、シルバは頷く。
「そ。どこまで先生が喋るかは分からないけど、多分うまくやるだろ」
「……シルバ、思ったより策士だね」
「カナリーに褒められた」
「そりゃ、僕だって褒める時は褒めるさ。半分は皮肉だけど」
 カナリーとのやり取りに、キキョウが口を挟む。
「それでシルバ殿。村には寄るつもりであるか」
 それは、屋敷を出た時から考えていたことだった。
「ひとまずは挨拶。手が足りているようなら、そのまま一気に峡谷を目指す……ってトコかな」
 大変なようなら手は貸すけど、そうでないならこっちの都合を優先する、と言うのがシルバの考えだった。
 馬車の中を見渡しても、得に不満そうな顔をする者はいなかった。
「ふぁ……ともあれ、昨日遅かったし、少し眠らせてもらうぞ」
 馬車の揺れに眠気を誘われ、シルバは目を瞑った。


※伏線らしいものを一応出しときながら、次は峡谷の手前となります。
 ……思ったより長くなったなぁ、ダンディリオン編。


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