シルバ達を乗せた馬車は午後いっぱいを南西に向かって駆け、湖畔で休む事となった。
「今日はここで野宿か」
「本当なら、もう少し先にある大きめの村の宿を取るつもりだったんだけど、昼間にあんな事があったからな」
カナリーの独り言に、シルバは夕日を水面に浮かべる大きな湖を眺めながら応えた。
人の気配はない。どうやらこの辺りにいるのは、自分達だけのようだ。
「よいのではないか? こういう湖畔も悪くない」
尻尾を揺らしながら、うむうむと頷くキキョウ。
シルバの肩の上で、ちびネイトは大きく両腕を広げた。
「よしデートをしよう、シルバ。夕日を眺めながらロマンチックが止まらない」
「待て待て待て! まずは野営の準備だろ!? カナリー、テントはもう出せるのか?」「まだ時間には早いが……ああ、もう月は出ているな。なら、大丈夫だ」
言って、カナリーは大きく伸びた自分の影から、野営道具を出現させた。
「……ほ、本当に便利ですね、カナリーさんの影って」
「夜限定だけどね」
甲冑姿に戻ったタイランの言葉に、カナリーは肩を竦める。
一方張り切っているのは、ヒイロだった。
「んじゃまー、やりますか、シーラちゃん」
「了解」
力仕事の得意な二人は、まとめられていたテント用具を解くと、布と鉄棒のそれを手際よく組み立てていく。
それを眺めながら、シルバの自分用のテントを作り始める。
「さすが、手慣れたモンだな」
「得意中の得意だからねー。あれ、先輩のは小さいね」
「一人分だから、これで充分なんだよ。……で、何やってるんだ、キキョウとカナリー」
見ると、何故かキキョウとカナリーは、ロープでがんじがらめに絡み合っていた。
「……や、テ、テントを張ろうとロープを解いていたのだが」
「何故か絡んでしまったんだ」
たった二人でこれだけ不器用な真似が出来るのも、ある意味才能なのかもしれない。
「千切る?」
リフが見上げてくるのに、シルバは首を振った。
「ロープが勿体ないからやめて」
三十分も掛からず、二つのテントは出来上がった。
日はあっという間に沈み、既に月が浮かび上がっている。
星の明るさもあり、それほど暗くはない。
「ひとまずテントは出来たか。晩飯はまあ、野菜シチューで決まりだけど」
もちろん材料は昼、村でもらった野菜類である。おまけに水ならば、すぐ傍の湖に豊富にある。
一部の野菜は馬車を牽いていたバイコーン達が、既に食べ始めている。従者二人は、テント用具を入れ替わるように影に潜り、休憩を取っていた。
「あ、ボクちょっとお肉調達してくる!」
元気よくヒイロが手を上げた。
「調達って」
「そこの森から、動物の気配がする!」
ヒイロはビシッと、少し離れたところにある大きそうな森を指差した。
「に、する!」
さらにリフも同意する。
野生の勘が鋭い二人が言うのなら、おそらくいるのだろう。
「ならば、某達も……」
キキョウやカナリーも申し出ようとしたが、ヒイロはヒラヒラと手を振った。
「あ、いーよいーよ。そんな大勢じゃなくて、ボクとリフちゃんだけで充分だから。よし、行こう!」
「にぃ」
「あ、ならついでに木の枝も拾っておいてくれ。たき火の足しに使うから」
「あいあいさー」
シルバに返事をし、ヒイロとリフは連れ立って森に向かった。
「張り切ってんなー」
シルバ達は小さくなっていくその背を見送る。
夜の森など本来は危険なはずだが、あの二人なら心配は要らないだろう。
「得意分野だからだろうな。君達はあれだ、旅の疲れもあるだろうし、水浴びでもしてきたらどうだ」
ネイトはキキョウ達を振り返り、湖を指差した。
遠くに岩場で遮られた場所があるので、そこならば誰か(というかこの場合はシルバ一人に限られるのだが)に見られる心配もない。
「お主とシルバ殿はどうするのだ?」
「俺達はま、飯の準備でもしてるよ。混浴の温泉じゃあるまいし、一緒に入るってのもちょっとな」
「そ、そうですね……」
「なら僕は、お言葉に甘えさせてもらおう。キキョウ、タイラン行こう」
「……うむ」
「あ、は、はい」
カナリーはキキョウとタイランを連れて、湖に向かった。
残ったのは、シルバとちびネイトだけとなった。
「さて」
「二人っきりだな、シルバ」
「やかましい」
ネイトの言葉を一刀両断にし、シルバは懐から札を取り出した。
今は、何も絵柄のない、ただの透明な板にすぎない。
「早速実験か。熱心だな」
「そりゃ、命に関わる事だからな。熱心にもなるさ。……何より、こういうのは男の浪漫だ」
シルバも男であり、新しい技術には、どうしても心躍ってしまうのだ。
「まずは水と火を何とかしてみよう」
シルバは札を湖にかざした。
そして封印の言葉を紡ぐ。
「{封鎖/シーリン}!!」
本来こうした単語は必要ないのだが、呪文などと同じようにシルバは自分なりのスイッチを作っていた。いわゆる習慣だ。
鍵の言葉と共に札に力が流れ込んだのを感じ――次の瞬間には水を暗示する『杯』の絵柄が浮かび上がった。
直接触れる必要がないのは、最初にタイランを取り込んだ時から何となく分かっていた。……第一、触れなければならないのなら、『太陽』の札なんてどうやって作ればよいのだ。
魔力を込めた『杯』の札を鉄鍋に向けると、その直後、鍋の中を水が満たしていた。
シルバはふと思い付き、今度は札から『杯』の力を解き放つ。
「{解放/リリース}」
ザバリ、と桶一杯分ほどの水球が虚空から出現し、地面に落下して破裂した。
そのまま再び透明になった札を、ランタンに向けた。
札に浮かんだ絵柄は火を司る『杖』だった。何で杖が火を現わすのかは、シルバにはよく分からなかったりするのだが。
そのまま魔力を込めるだけで、火打ち石を使うことなくランタンに灯がついた。
「……便利だ」
「圧倒的効率……!」
自分でやっておきながら呟くシルバと、グッと拳を作るネイトであった。
それから二人は色んなモノで試してみた。
金袋はそのまま地を司る『コイン』となり、星空は『星』となった。
「テントは『塔』になるか」
「妥当なところだろう。不吉ではあるけどな」
シルバが言うと、うむ、とネイトは頷いた。
絵にある『塔』は空から稲妻が落ち、あちこちから火を吹いて亀裂を作っていた。
「『塔』か……」
「何を考えているんだい、シルバ」
「いや、墜落殿の攻略法。幾つか問題はあるけど、いけるかもしれない。……もっとも、真面目に探索やってる人達は絶対怒るやり方だけどな」
そんな事を二人で試していると、背後に人の気配がした。
「便利だねー」
振り返ると、そこには肩に担いだ太い枝に小動物をぶら下げたヒイロがいた。
「帰ってきたのか。思ったより早かったな」
「に、ただいま」
「本日の獲物はウサギと雉!」
戻ってきたヒイロとリフも、シルバの持っている札に興味津々の様子だった。
「ねーねー先輩、その札って、ボク達も封じたり出来るの?」
「やってみるか? 出来るはずだけど、基本的に札に入った人間は何も出来ないぞ?」
「うん、それでもいーよ!」
シルバが差し出した札の端を、ヒイロは笑顔でつまむ。
「…………」
「どしたの先輩?」
キョトンとするヒイロに、シルバはボリボリと頭を掻く。
「……いや、普通ちょっとビビるとかさ。仮にも、ある意味封印なんだぞ?」
「でも、タイランもやったし、先輩が危ないって思うこと、する訳ないもん。だいじょぶだいじょぶ」
ニパッと笑うヒイロに、リフもコクコクと頷いていた。
「に、信頼。リフもやってみたい」
「ふふふ、妬けるねぇ」
そんな二人を、肩の上のちびネイトは微笑ましそうに眺めている。
「……うっさい。そんじゃやるぞ。――{封鎖/シーリン}!!」
「う、わ」
シルバの声と共に、ヒイロの姿が掻き消える。
次の瞬間には、札の上に小さくなったヒイロが立っていた。
「ひゃあ!」
落ちつかなげに周囲を見渡すヒイロに、リフが顔を寄せた。
「に、ヒイロちっさい」
「リフちゃんおっきい! 先輩も大きい! すごいすごい! 耳たぶぷにぷに!」
右肩に跳び乗ったちびヒイロは、シルバの耳に両腕で抱きついた。
「って何で耳たぶに抱きつくんだよ!?」
「柔らかーい!」
ヒイロは聞いちゃいなかった。
そして、それを少し羨ましそうにリフが見ていた。
「にぅ……ヒイロ、次リフの番……」
「うん! あ、でもその前に先輩質問。絵札はどーなってんの?」
テンション高めのヒイロに諦めたシルバは、自分の札を見た。チャンピオンベルトの中央で、獅子娘が吠える絵札になっていた。
「……『力』、なんだろうなこれ」
「んんー。って事は先輩力持ちになる?」
「っていうか多分、{豪拳/コングル}をみんなにまとめて掛けるような感じに出来たり、逆位置にして敵の力を弱めたり出来るんじゃないかな」
『力』、で思いつく術を、シルバは言ってみる。
「おぉー」
何だかヒイロは嬉しそうだ。
「それじゃ、元に戻すぞ」
「うん! でも面白いからまたやってみたいかも!」
「ま、暇な時にな――{解放/リリース}」
札が一瞬輝いたかと思うと、勢いよく飛び出した光の塊が、近くにあった大岩を轟音を立てて派手に砕いた。
「とうっ」
岩を粉砕した光が、ヒイロの姿になる。
「……シルバ。もう少し穏やかに出せないのか」
珍しくネイトが、何とも言えない表情になった。
「まだ力加減がうまく出来ないんだよ。それに『力』の解放だからな。らしいっちゃらしいかも」
「新必殺技ヒイロボンバーの誕生であった!」
「作るな」
大きく腕を突き上げるヒイロに、シルバは突っ込むのだった。
岩の破砕音は相当に派手だったらしく、湖の方からキキョウとタイランが駆けつけてきた。
「シルバ殿、何の騒ぎだ!?」
「す、すごい音がしてましたけど……」
「うん、驚かせて悪い。ちょっと札の使い道で色々実験してたんだ」
「な、何だ。そうであったか」
ホッと安心するキキョウ。
「キキョウはひとまずちゃんと服を着ような」
「!?」
キキョウの顔が真っ赤になり、二本の尻尾が大きく逆立った。
タイランはともかく、キキョウはよほど慌てて来たのか、着衣がメチャクチャだった。着崩れた着物から除くサラシは解けかけているし、袴もずり落ちそうになっている。
おまけにまだ身体も拭ききっていなかったせいか、髪も濡れたままだ。
「やれやれ……相変わらず慌てん坊だな、キキョウは」
のんびりと夜空から完璧に身だしなみを整えたカナリーが下降し、ガションガションと重い足音を立てて、重甲冑が駆け寄ってくる。
「ガガ……たいらん、我、置キ去リ。忘レ物。身体大事」
「す、すみません……」
ペコペコとタイランは頭を下げる。
「もうじきシーラが残った荷物を持ってくるよ」
たき火を囲んで、夕食の時間となった。
ウサギ肉と野菜のポタージュとパン、それに塩で味付けした焼き鳥である。
「リ、リフ、つ、次は某の番だからな!」
「にぅ……分かった」
キキョウに言われたリフは、約束通り、小型化してシルバの肩に座っている。
もっとも、仔猫状態と視点はほとんど変わらない為か、ヒイロほどにはテンションは高くない。
シルバの手にある札の絵柄は、明かりを灯したランタンと杖を持って、目深にフードをかぶったローブ姿の幼女である。ちょっとしたオバケのようだが『隠者』の札だ。
「その札は、実に興味深いね。触れた状態と映した状態では、何か変わるのかな。テントで出来るんなら、馬車もいけると楽なんだけど。いい馬車だから、狙われそうだろう?」
札は別に相手に持ってもらう必要はなく、相手の身体に押しつけても有効だ。
カナリーの馬車に繋げられている二頭のバイコーンは、食欲も満たされたのか、今は大人しく眠っている。
「……札に換える俺も、馬車を狙う奴の命もなさそうだけどな。ま、そもそも無理なんだ。札使ってて感じたけど、自分の体重が限界っぽい。テントでも割とズシッときた」
「札そのモノが重くなったりは?」
カナリーが洗ったトマトに塩を振りかけながら問う。
シルバは持っている『隠者』の札の重みを確かめた。
「それはないな。一回封じたら、ただの札の重さだ」
「そうか。馬車とか封じる事が出来るなら、一発逆転の必殺技が出来そうだったのに」
シルバはその光景を想像した。
小さな札から出現する、二頭のバイコーンが牽く馬車の突撃攻撃。
不意打ちのインパクトとしてはこれ以上のモノはなかなかないだろう。
「……確かにすごいな。絵札は『戦車』だったし」
「に」
ふわっと宙に浮いた小さなリフが、手を上げた。
「何だ、リフ。いい案でもあるのか」
「お兄が、いっぱい体重をふやす」
理論上は、より重い物を札に取り込むことが出来る、と言いたいらしい。
「……悪くないけど、動きが鈍りそうな案だ」
「……に。お兄がぶたさんになるのは、リフもちょっとや」
札から戻ったリフも、夕食を食べ始める。
キキョウの札化は、食事の後という事になった。
ガジガジと手羽先を囓るリフを眺めながら、シルバもポタージュを口に運んだ。
「直接取り込んだ方が、若干パワーが増してるかな。あと、俺の魔力消費が半分ぐらい軽減されてるっぽい」
ふむ、と肩の上で腕組みをしたネイトが言う。
「吸収する場合は、敵を札に封じたり出来るな」
「それも、悪くないアイデアだと思う」
「よし、褒められた!」
「お前はそれがなければなあ……」
シルバは微妙な表情をした。
おずおずと、精霊体のタイランが手を上げる。
「あ、あの、シルバさん。シーラさんの話では、聖職者の札があるそうですけど……」
「『女教皇』か『教皇』、もしくは『杯』」
水の入ったコップを傾けつつ、シーラが答える。
「その力を使えば、シルバさん、祝福魔法を使えるようになるんじゃないでしょうか?」
「うん、それを考えて、昼間の村で司祭さんいないか聞いてみたんだけどな」
「必要ない。この中の誰かが、主に向かって札をかざせばいい」
「……やってみるか」
シーラに言われ、シルバはやる気になった。
数分後。
自分に札を当てる事によって『教皇』の札を作る事に成功したシルバだった(というか、シルバより体重が重いと自分から立候補する者がいなかった)が、祝福魔法を使おうとしても、うんともすんとも言わなかった。
「……駄目だー」
「件の呪いは、よほど根が深いと見える」
試してみた結果、吸血鬼であるカナリーも使えない。
その一方でキキョウやヒイロは『教皇』の札で、{回復/ヒルタン}が使えていた。これは同時に、絵札を作った所有者でなくても、札が使えることを意味している。
「……ま、期待は半分ぐらいだったから、落胆もそれほどじゃないけどな。それに、『杯』である程度代用は利くし」
溜め息をつきながら、シルバは赤ワインを煽った。
酒が入りながらも、シルバとカナリーを中心とした魔法談義は続く。
「他にも遊べるだろう。ヒイロの『力』による強化とか、リフの『隠者』による隠形術とか」
「もちろんそれはそれでアリだけど、戦闘中は実はあんまり自由が利かないんだよ、この札」
「っていうと?」
「基本的にこの札は、シングルタスクなんだ。一つの絵札が表示されている間、他の力を用いることは出来ない。戦闘中、俺が考えることはみんなのサポートであって、札の使い方じゃない。……そうだな、メイン『杯』だとして、他に『力』や『戦車』を使うとする。いちいち札の柄を切り替える作業ってのは、こりゃ想像するだけでもなかなか手間なのは分かってもらえると思う」
札にヒイロを経由して『力』の力を封鎖して、強化の術を発動。
その後、札から『力』を解放し、次にタイランから『戦車』の絵札を作り……。
一つの術を行使するのに、最低でも2アクションが必要になる。これが異なる絵札まで用いるとなると、随分と面倒くさい話だ。
「うーん……確かに言われてみると、そうだね」
カナリーが唸る。戦闘において、スピードが重要な要素なのは、カナリーにも分かるようだ。
「なら、最初から一つに絞った方がいい。ま、あくまで戦闘に限った話だけどな。カナリーが大技の魔法を使う時『節制』があったらすごく便利だと思うし。……これの問題は、何をこの札に映せば『節制』の札が出来るかだけど」
「他のみんなは、シルバにはどう映ってるんだい?」
言われ、シルバは透明になった札をカナリーにかざした。
ボンヤリと、札に絵柄が浮かび上がる。
弧を描いた月に乗った女性の絵柄。
それに冠を被った、豪奢な衣装を羽織った女性の姿も映し出される。
二つの絵柄は揺らぐように交互に表示されていた。
「んー、まずカナリーは『月』。もしくは『女帝』」
「そりゃボクは貴族だけど、女帝は言いすぎだと思うね」
カナリーは苦笑し、肩を竦める。
「イメージの問題だからなぁ」
「シ、シルバ殿、某は?」
身を乗り出してきたキキョウに札を当てると、剣を掲げた女騎士と、やはり剣と天秤を手に持った法衣姿の女性が浮かび上がった。
「『剣』かな。あと『正義』も出る」
「う、うむ! 割と格好良くてよかった」
ちょっとホッとするキキョウであった。
三杯目のポタージュを食べ終えたヒイロが、皿から顔を上げる。
「ボクは『力』でリフちゃんは『隠者』だったでしょ。んでタイランが『杯』で」
「あ、でも重甲冑の方は『戦車』だけどな。多分それは、タイランが入ってても変わらない」
「……分かるんですけど、とても複雑な気持ちです」
「確かに、女の子に『戦車』はちょっとなぁ」
「ガガ! 戦車強イ! 我、納得!」
精霊炉に水を注ぎながら、モンブラン十六号はご満悦の様子であった。
シルバは、シーラにも札を向けてみた。
身の丈より長い杖を持った女性の絵柄と、ヒイロの時と同じくチャンピオンに獅子娘の絵柄が浮かび上がる。
「シーラは『杖』。金棒のイメージから何だろうな。あと『力』も使えるか」
「シーラちゃん、ボクとお仲間ー♪」
「仲間」
ヒイロとシーラが、両手を合わせあう。
「ふふ、私は何になるのだろう」
「言わせるのか。それを俺に言わせるのか、ネイト」
やってみたが、やはり『悪魔』以外の何者でもなかった。
「でも、不思議ですね……一人に対して、複数の絵札が使えるなんて」
タイランが首を傾げ、それにネイトが応えた。
「人には様々な側面があるという事だ。そしてそれを決めるのは、札の所有者の主観となる」
「は。まるで旧約魔術だね」
「言えてる」
皮肉っぽく笑うカナリーに、シルバは頷いた。
「ん? 何それ」
キョトンとするヒイロに、カナリーは赤ワインの入ったカップを掲げて見せた。
「ずーっと大昔、系統立ってない頃の魔法さ。使い手の主観が全てだから、ほぼ完全なスタンドアロンな魔法であり、他の人間が使うのは難しいって言われてる」
「うぅ~~~~~、頭から熱が出て来そうだよう」
実際、ヒイロの頭から湯気の上がりつつあった。
もうちょっと分かりやすい方がいいかな、とカナリーは考えたようだ。
しばし悩み、やがて顔を上げて、シルバの持つ札を指差した。
「ま、例を挙げるとこの札で『月』の絵札を作るとしよう。ヒイロが『月』の魔法を使えるとしたら、どんな魔法を編み出す?」
「何でもいいの?」
「うん、何でもいい」
「じゃあ、狼男になる魔法! ロンさんになる!」
「む、それはつまり狼娘に変身するという事かね」
「うん!」
二人の話を聞きながら、シルバは角の生えた狼娘を想像した。……何か、すごくややこしくないだろうか、これ?
しかしシルバの苦悩に気付くことなく、カナリーは話を続けていた。
「ちなみに僕の場合は、相手を発狂させる魔法を編み出す。月は狂気の象徴でもあるからね」
「怖っ!?」
シルバが突っ込む。こっちはこっちで物騒であった。
「考えてみれば、あのノワが『女帝』のカードで男性に強制力を働かせていたのも、一種の旧約魔術だね。とまあ、一つのモチーフでも魔術師によって、異なる魔法が編み出される訳だ。弟子に継承される事はあるだろうけど、基本的にはバラバラで、決まった術の名称もない。これが、古い時代の旧約魔術。反対に、今の魔法は新約魔術とも呼ばれている」
「ぬー、奥が深いねー」
やっぱりヒイロには難しかったらしい。
雉の骨をバリバリとスナック菓子のようにかみ砕きながら唸る。
「今じゃ、旧約魔術なんて、ほとんど使い手もいないって聞くよ」
「某の国では、細々と受け継いでいる所もあると聞くがな」
二人の会話にそれまで黙ってポタージュを啜っていたキキョウが、口を挟んできた。
「へぇ……それはまた、機会があれば、行ってみたいねぇ」
「ま、俺は札の種類云々よりまず、『杯』の旧約魔術を幾つかストックする必要があるなぁ」
シルバは指の上で札を回した。
生憎とシルバはそれほど自分が器用とは思っていない。
ひたすら自分の持っている手札を考え、最悪の展開にまで備えておくのが、どちらかといえばシルバのスタンスだ。
ノワの時もカーヴの時も、それで切り抜けてきたシルバである。
ただそれも、逆に選択肢が多いと迷いが生まれてしまう。
こういうのは絞った方がいい、とシルバは考える。
「そりゃ、札の種類は多い方がいいんだろうけどさ」
それはそれで、別に悩みの種だ。
シーラの話では、札の種類は26種類。
しかし作りやすい絵札とそうでない絵札があるのは、札を使い始めてまだ半日のシルバでも理解していた。
シルバは、ボリボリと頭を掻く。
「『運命の輪』はまだ作れるとしてだぞ? 『節制』だの『審判』だの、どうしろっつーの」
途方に暮れるシルバだった。
「ふふふ、私に札を預けてくれれば『恋人』の札は、即座に作れるぞ、シルバ」
「……幼馴染みってのは、札にするとどういう分類になるんだ? あとお前ら、いきなり身を乗り出してくるんじゃない」
ネイトに突っ込み、無言でプレッシャーを掛けてくる仲間達に、シルバは思わずたじろいだ。
「たまにはお前も、女子同士で親睦を深めてこい」
「――とシルバに言われて、追い出されてしまったんだ。誠に残念だ」
『悪魔』の札をクッション代わりに座りながら、ネイトはやれやれと首を振った。
女子の円筒形テントはかなり大きく、中央の二本の柱で支えられている。
『悪魔』の札が置かれているのは、その間に置かれているストーブの脇だった。ストーブから天井に向かって伸びているのは、換気用の筒である。
その周囲に、カナリー達は寝間着で車座になっていた。
「そうは言うけど君、いつもシルバと同じ部屋で寝ているじゃないか。残念というのは、贅沢すぎるぞ」
部屋の魔法明かりを調整しながら、カナリーが言う。
「せっかく今日も、シルバ好みの淫夢を見せようと思ったのに」
「……『も』って言ったな。今、君、『も』って言ったな」
「修業の一環でもある。聖職者はあらゆる誘惑に耐えなければならない」
「な、なるほど……そんな立派な理由があったんですね」
普段と変わらない服装のタイランが、感心したように頷くのを、カナリーが制する。ちなみにタイランの寝床は、部屋の隅に置かれた水瓶である。
「騙されるな、タイラン。ネイトは単に面白がっているだけだ」
「でも先輩一人で寝ちゃうなんてかわいそう。一人だけ仲間はずれみたいじゃない?」
床に敷かれた布団の上に胡座を掻き、ごく素朴な疑問を呟くヒイロだった。ちなみにもう一つの布団はシーラ用だ。
「いや、普通、この中で寝る方がよほど落ち着かないと思うぞ、ヒイロ。一応は、シルバも男の子な訳で」
「もっとも、シルバは昔、姉妹と同室だったから、その辺の免疫はあるけどな」
カナリーの反論に、ネイトが口を挟む。
「にぅ……」
仔猫状態のリフは、既に半分眠りの中にあるようだが、今のネイトの話にノロノロと顔を上げていた。
「リ、リフ、興味あるようだな。某もその話、もう少し聞きたいぞ」
加えて、キキョウも参戦する。
キキョウとリフは二つある壁際のベッドを一緒に利用する事になっている……といっても、リフは枕元で丸まるだけだが。
ふむ、とネイトは考え込んだ。
「シルバの昔話か……分類的には『旅立ちの村編』『修道院編』『戦火逃亡編』『邪教と悪魔編』『神と魔王の邂逅編』『補給部隊編』『新たなる出発編』などがあるが」
「何だその壮大な昔話は!?」
「主の人生が波瀾万丈すぎる」
カナリーとシーラが同時に突っ込んだ。
「……このプロローグ、半年でも語りきれるかどうか」
「長っ!? プロローグ長っ!?」
本来ツッコミ役のシルバが不在な為、これはもうカナリーの独壇場だった。もちろん本人は望んでいない事だが。
「ボク的には『戦火逃亡編』かなー」
「いいだろう、ヒイロ君。主役はもちろん男子修道院に入っていた修業時代のシルバ・ロックール。ヒロインはクロエ・シュテルンとフィオレンティーナ・ストラデルラ。物語は悪しき女子修道院の長を悪知恵と小細工と暴力で倒し、20名のシスターを率いて三人は修道院の焼け跡からルベラントへ向かおうという所から始まる」
「落ち着くんだヒイロ! 間違いなく夜更かしどころか最悪徹夜コースだし、しかも何か微妙に詐欺臭いぞこの話!?」
「……カナリー、元気であるな」
「夜行性だからだし、キキョウももう少し頑張りたまえよ!? 僕一人にツッコミ役をさせるんじゃない!」
「つくづく……シルバさんの存在が偉大だと思います」
しみじみと、タイランは感想を述べるのだった。
「まったく同意だけど、こういう時に思われてもシルバは不本意だと思う!」
カナリーは、頭痛を堪えるように自分の額を抑えていた。
「っていうかええい、ストラデルラってアレだ! また貴族だ! いや、貴族の娘が修道女になるなんて、珍しくないけど!」
「あれ、カナリーさんも、貴族だよね?」
「吸血鬼がシスターになれるかーっ!!」
ヒイロの本気かボケか分からない発言に、カナリーは半ばキレ気味に突っ込んでいた。
やがて息が切れたカナリーは、自分が座っていた寝床の蓋を開けた。
「……疲れた。僕は一足先に寝る」
「敢えて某がツッコミを入れるとするならば、お主の寝床も大概だと思うぞ。しかもベッドの上に置かれる意味が分からぬ」
「吸血鬼は棺桶に寝るものだ。天蓋付きのベッドでもよかったけど、残念ながらテントに入らなかった」
「……入ったら入ったで、某達の寝る場所が狭められていたであろうよ。ともあれ、明日も馬車の旅だ。早い目に寝るに越した事はないだろう」
キキョウの言う事ももっともだという事で、女子はそれぞれ寝床に入っていく。
カナリーが魔法光球の光量を少しずつ抑えていく中、ヒイロがまだネイトと話を続けていた。
「ところでネイトさんは、あくまで獏なんだよね」
「ああ」
「って事は好きな夢とか見れるの?」
「シルバとデートする夢とかなら、全然楽勝だ」
魔法光球がいきなり明るくなり、全員が再び起きた。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「うむ!」
「うわ、みんな寝たんじゃなかったの!?」
ヒイロが仰天する。
「で、でも、興味はありますよね」
タイランすら、水瓶から少し、身を乗り出していた。
「要求があるなら先に言ってくれると、私も作りやすいぞ」
テントの中に再び、活気が戻ってきていた。
「ボク、お昼が食べ放題のデートがいい!」
「わ、私は別にそこの湖でも……」
「僕の実家の古城でのパーティーというのもあるいは……」
「いやいや、シルバ殿は以前、大使館のお呼ばれでも疲れた風であったぞ? しかし、故郷というのは悪くない……」
「闘技場の観戦で。相手の戦力を計る事も重要」
「にぅ……」
既に睡魔に両足を突っ込みつつあるリフだけは、ベッドの上で丸くなっていた。
「ガガ……りふモウオ眠。我モ寝ル」
壁際に、調度品のように立てられていた重甲冑――モンブラン十六号も、機能をスリープモードに移行させるのだった。
女子テントから少し離れた場所に設置された小さなテントで、シルバは半ば夢現の状態にいた。
「……ずいぶんと賑やかだなぁ」
呟き、寝返りを打つ。
「ま、女子は女子同士、仲良くて結構結構」
こうして、ウェスレフト峡谷への旅の一日目の夜は更けていくのだった……。