初心者用訓練場でひとまずシルバ達は解散した。
それぞれ、自分の宿に戻ったり、用事を片付け、昼過ぎに再合流という事になったのだ。
「この時間だとこっちだよな……」
そしてシルバとシーラは、大聖堂に来ていた。
時折、通路をすれ違う助祭やボランティアに頭を下げながら、向かう先は師匠であるストア・カプリスの私室である。
「普通は、礼拝堂や研究室だと思うがね」
シルバの肩に腰を下ろしながら、ちびネイトが言う。
「あの人は普通じゃないからな。そして問題は、俺が留守の間に、部屋がどれだけ荒れているかだ。覚悟する必要がある」
部屋の前に到着し、ノックをしてみるが案の定返事はない。
とはいえ、留守ではない証拠に壁に掛かったプレートには『休息中』の文字が出ているので、やはり寝ているのだろう。
扉の左右に出前の皿が重なっていないのは、シルバにとっては意外であった。
合鍵を使い、部屋に入ってみるとこれまた予想外。
シルバはてっきり、前よりも書物が積み重なっている酷い私室を想像していたのだが、それらはまったくない。
つまり、普通の部屋だ。
司教の部屋は、部下のモノよりも多少広いとは言え、基本ワンルームなのに変わりはない。
手前にテーブルと姿見、奥にクローゼットとベッド。
他は部屋の主のデザイン次第であり、ストアの部屋の場合は大きめの本棚が空いている壁に並べられている。
驚いた事に、部屋の床が見える。
丸められた失敗原稿がない。
脱ぎ散らかされた法衣や下着もない。
本棚にはちゃんと書物が並んでいる。しかも巻順に。
テーブルの上に飲みかけの豆茶カップや食べ終わった皿がない。
「思ったよりも、片付いているね」
「まさか、何か悪いモノでも食って具合でも悪くなったか……」
シルバは本気で心配した。
それとも、自分がいなくなった事で、自立心に目覚めたか。
「んぅ……」
ベッドの上に丸まった毛布が蠢き、小さな呻き声を上げた。
今の声は間違いなく、ストアのモノである。
「……怠惰なのは、相変わらずのようだけど」
「ん~……」
「先生、起きて下さい。説法の時間や、学院での講義はどうするんですか」
「休む~……って、あら、ロッ君……?」
寝癖だらけの白い髪と、ややへたれた山羊のような二本の角、そして寝惚け眼をこすりながら、ストア・カプリスは身体を起こした。
「戻りました。と言っても、すぐに出発の予定ですけど」
「お土産は~?」
パタン、と身体を前に突っ伏すストア。
シルバは小さく溜め息をついた。
「……第一声がそれですか。あんな峡谷に土産になるようなモノを買えるような施設は……」
ふと、頭に浮遊城フォンダンが浮かんだ。
買い物はともかく、土産っぽいモノぐらいは何かナクリーに頼めば、持ち帰れたかも知れない。
がまあ、無いモノはしょうがない。
「とにかく! さっさと起きる! 俺がいないと、何にも出来ないって訳じゃないんでしょう!?」
「むうぅ……」
上半身を突っ伏したまま、ストアは小さく呻き声を上げた。
眠いらしい。
「――主、誰か来る」
不意に、後ろに控えていたシーラが呟いた。
「うん?」
「――この足音は、以前遭遇した事がある」
が、攻撃態勢に入らないところを見ると、どうやら敵とは認識していないらしい。
「チシャか?」
「いや」
答えたのは、ネイトだ。
そして、扉が開き入ってきたのは、金髪と銀髪のメイド美女二人であった。
金髪の方が朝食のトレーを持ち、銀髪の方が取り込んだ洗濯物の入った籠を抱えている。
「あ、ご苦労様です。……どうしたの、ロッ君。何か躓くモノでもありましたか?」
「……いや、誰が暗躍してるか把握しただけです」
念の入った事に、二人はメイド服まで金色と銀色であった。
確か、オーアとアージェントと言ったか。
微笑みに近い無表情の人形族の従者で、その{主/マスター}は――。
「ちょっと前に知り合ったんですよ? カナリーさんのお父さんだそうですねぇ。西のスターレイで、ロッ君達とも会ったとかいう話ですけど」
「……ええ、とっても忘れられないインパクトと共にね」
「他にも、世話になったという人がいたはずなんですけど……今は、訓練場の方でしょうか」
「……?」
まさか、愛人まで連れてきたんじゃないだろうな、と一瞬心配になるシルバだったが、もう面倒くさくなってきた。
というか、その辺は全部カナリーに投げよう、と本人が聞いたら間違いなく怒りそうな事を考えていたりする。
「とにかく、旅であった事の概略だけでも話しますよ」
「今、話されても、忘れる自信がありますよ?」
「さっさと顔を洗って、目を覚まして下さい!」
いつの間にか、ストアの傍らに立ったオーアが、湯気の立つおしぼりをストアに差し出す。
「そもそも、概略だけ話されても困りますし」
おしぼりで顔を拭き、少しだけ声に張りの出て来たストアだった。
「……詰めた話となると、乗り物の持ち主と話すべきだと思うんですが……」
当のナクリーは、タイランの案内で刑務所に向かっているはずだ。
自分の子孫に興味を示したのと、造った人造人間の動きを見たいという話である。
アレと、この先生の『素性』を考えると、話は大いに盛り上がるに違いないだろうが……。
「それは、一日じゃ、終わりそうにない」
「だよなぁ」
ちびネイトの言葉に、全面的に賛成するシルバだった。
「では、報告書の形で随時、送って下さいな」
「了解です」
「これから、ルベラントですか?」
「ええ」
「じゃあ、おみやげにルベラント饅頭をお願いしますね」
「……そんな土産、あったかな」
一方、カナリーは二人の従者と共に自分の屋敷に戻り、余計な荷物を整理した。
留守を預かる執事に再び出掛ける事を伝え、郊外から市内に入って、大通りを学習院の研究室に向かう。
今回の旅はやはり色々有意義であり、レポートの量も半端ではなくなるだろう。
などと考えながらも、少し引っ掛かる点があった。
「どうも、執事の様子が変だったような気がする」
「に……?」
同行するリフが、カナリーを見上げる。
父親であるフィリオも、この時間ならもう学習院にいるだろう、という事で、一緒に向かう事にしたのだ。
「いや、何か隠しているというか……言いたい事があるのに、まるで察してくれと言わんばかりなあの態度は、妙に気になる……」
「にぅ……このままだと、柱に頭ぶつける」
考えながら歩くカナリーのマントを、リフは引っ張った。
「おっと、危ない危ない。考え事をしながら歩くと、どうも注意力が散漫になってしまう」
立ち止まり、大通りを見渡す。
午前の通りは昼ほどではないにしても、それなりに人の行き気は多い。
洗練されているとは言えないが、一般市民の中に冒険者が混じり、種族も様々、雑多な活気に満ちていた。
「人、いっぱい」
「ああ、何というかこういう喧噪も久しぶりだねぇ。ずっと人のいない環境だったから、こういうのも悪くない」
「に」
のんびりと歩きながら、カナリーの呟きにリフも同意を示す。
学習院の正門を抜けたところで、女生徒達がカナリーの存在に気がついた。
「あ、カナリー様だわ!」
「本当! みんな、カナリー様よ!」
黄色い声と共に、次々と女生徒がカナリー達の周囲に集まってくる。
かろうじて正面は、赤と青の従者に防いでもらっている為、進む事は出来るが……やはり笑顔は引きつってしまう。
「……こういうのは、出来れば味わいたくないんだけど」
「にぅ……」
リフはすっかり人混みに呑み込まれ、かろうじて猫耳と帽子だけがカナリーの視界から外れないで済んでいた。
そんな中、女生徒の一人が声を上げる。
「弟様が食堂でお待ちですよ!」
「……は?」
食堂端のテーブルに、二人の男が座っていた。
一人は髭を生やした壮年の偉丈夫。
それでいて、瞳には理知的な光が宿っている、学者風の男だ。
リフの父親であり、モース霊山に棲む剣牙虎の霊獣、フィリオである。
「だが、リフはまだまだ幼い。過保護なのは認めるが、父親として、心配するのは当たり前ではないか。見るがよい。このような幼子が、危険なモンスター達と相対するのだ」
彼の言葉に応えるのは、足をブラブラとさせている端整な顔立ちをした小柄な燕尾服の少年。
金髪に紅い瞳は高貴な吸血貴族の証だ。
後ろには、目をハートマークにした女生徒達が何人も待機していた。
「だからね、子供と言っても一人の人間なんだから、そこまで心配する事はないと思うんだよ。やり過ぎると、逆に避けられてしまうよ? ああ、でもリフ君は確かに可愛いねえ。ところで僕のカナリーお兄様もなかなか……」
「――{雷閃/エレダン}」
カナリーが指先から放った収束された雷撃が、二人のテーブルを木端微塵に粉砕した。
もっとも、フィリオの方は反撃どころではない。
立ち上がり、攻撃してきた相手をロックオン……した直後に、その斜め下にいた愛娘に気がついたのだ。
「リフ! 帰ってきていたのか!」
ほとんど瞬間移動のような速度で、リフを抱きしめようとするフィリオ。
突風が生じ、傍らにいたカナリーの金髪が大きく揺れる。
「に!」
間一髪、リフは大きく後ろに飛び退き、とんぼを切って着地した。
「避ける事はなかろう! 冷たいぞ!」
「にぅ……骨がくだける」
ジリ、ジリと互いに間合いを計る獣人親娘。
「大丈夫だ。優しく再会の抱擁をしよう。父を信じるのだ」
「に……人が見てるからダメ」
「ならば、人気のないところへ行こう」
言ってる事はまるっきり変質者な父親であった。
これで、霊山の気高き霊獣である。
一方、飛びかかってきたのはフィリオだけではない。
椅子から降り、可憐な笑顔で両腕を開き、金髪美少年がカナリーの胸に飛び込もうとする。
「カナリーお兄様!」
「誰がお兄様だっ!!」
カナリーが再び放った紫電を、美少年――ダンディリオン・ホルスティンはひらりと回避する。
「ああっ、冷たいなぁ、お兄様ったら」
「……それ以上、その言葉を口にしたら、本気でやらせてもらう」
実の父親に向けて、カナリーは氷点下の視線と共に、指先に最大級の魔力雷を溜め始める。
もっとも、その程度でプレッシャーを感じるダンディリオンではなかった。
「おやおや、久しぶりに会う肉親に、ずいぶんと冷たい仕打ちじゃないか。人気が落ちるよ?」
「元々僕は、そんなモノは気にしていない」
「むしろ、一人気に掛けてくれる人がいればそれでいいと。うんうん、それもまた愛の形の一つだね☆」
右手の三本指を目元にかざしながらポーズを取る、ダンディリオン。
……二組の親子再会は、実に波乱に満ちたモノであった。
※次回、キキョウ、ヒイロ、タイラン。
タイランの目的地は、今回書いた通りです。
まあ、あっさり終わらせて出発と行きたい所です。