バレットボア達の討伐を終え、シルバ達は{強制/ギアス}を解かれた少女達と共にエトビ村『月見荘』に戻ってきた。
夜更けになったのは、言うまでもなく吸血鬼化した少女達が太陽に弱いからだ。
眠たそうな村長にも軽く事情を説明し、リフには霊道を使ってアーミゼストにいるシルバの師匠、ストア・カプリス司教へと伝言を頼んだ。
シルバはカナリーと取った、犠牲になった少女達の調書をギルドや教会に提出する為にまとめ……終わる頃には、夜明けどころか、昼過ぎになっていた。
ギルドや教会の返事を持ってリフがエトビ村に戻ってきたのは、シルバの仕事が終わった直後だった。
睡眠不足のまま、シルバは宿のホールにパーティーの面子を集めた。
「……えー、ひとまずえらい人達が来るまでは、俺達も待機という事になった……」
気の抜けたようなシルバの報告に、元気いっぱいなヒイロは目をパチクリさせた。
「えらい人達って?」
「……リフの話だと、何かギルドマスターとか先生まで直々に来る事になるらしい」
しかも秘密裏にだ。
……秘書官や護衛等、来る人数考えるとお忍びにもなってないんじゃないかとシルバは思うのだが、今は眠気が勝り、頭が回らない。
一方、ヒイロも首を傾げていた。
「ん? ギルドマスターって人がえらいのは分かるけど、先生って先輩の師匠の白い人だよね?」
「……えらそうに見えないけど、アレは一応アーミゼストの司教だ」
「えらいの?」
「かなりえらい」
そこで、大きな篭手……タイランの手が上がった。
「……それまで、私達は、待機……ですが、何をしていいのでしょうか」
「砕いた言い方をすると自由時間だな……。温泉入るもよし、修行するもよし、ヒイロは狩りだっけか……?」
「いいの!? じゃあスオウ姉ちゃん誘って行ってくる!」
言って、あっという間にヒイロは階段を駆け上がって行ってしまった。おそらく、スオウの部屋に向かうのだろう。
あまりにも素早い行動に、シルバ達も止める暇がなかった。
「って、まだ話が……あー、まあいいか。いくら何でも三日間、山にこもりっぱなしって訳でもないだろ」
「……三日後、ですか」
うん、とシルバはタイランに頷いた。
「えらい人達は、色々スケジュールがあるんだろ。カナリーんトコのネリーさんだっけ? あの人は雑用を片付けたらすぐ来るってさ」
ホルスティン家本家からの使いであるネリー・ハイランドは、吸血事件を追っている。その本命がこの村ならば、よほどの事がない限り、すぐに馬車を飛ばしてくるだろう。
「……そうか。もうちょっと街の方でゆっくりしていてもいいのに」
若干過保護気味な親戚に、憂鬱になるカナリーだった。
ふぅ……と溜息をついて、頭を振る。
「それじゃ、僕はアイツが来るまでに、洋館の方を調べてくる。考えてみれば、中はほとんど手つかずだった。ま、特に何もないだろうけどね」
肩を竦めるカナリーに、それまで黙っていたキキョウも手を挙げた。
「ならば、某も同行しよう」
「了解」
何か互いに含みでもあるのか、妙に視線をぶつけ合いながら、カナリーとキキョウは頷きあった。
シルバは少し考え……もう一人いた方がいい事を思い出した。どうにも、頭がボーッとしていて、カナリー達のやりとりは今一つ、ピンと来ない。
「……ユファとか、連れて行かなくていいのか?」
「ああ、それはそうだね。彼女はいた方がよさそうだ。それよりシルバ、大丈夫かい? えらく眠そうだけど」
「……書類整理が、さっき終わった所でな。それを言うなら、お前はどうなんだよカナリー」
「{面倒な仕事/デスクワーク}は、従者に任せる事にしてるのさ」
カナリーの後ろで、赤と青の美女二人が、軽く頭を下げた。
「……うらやましいな、おい」
ギルドや教会に提出する書類と、カナリーが本家に伝える書類では性質が違うので、丸写しという訳にもいかなかったのだ。
「それじゃシルバの為にも、話は早く終わらせよう。他にはもうないかい?」
「……ないな。それじゃ、ひとまず解散」
シルバとしても、さっさと眠りたかった。
カナリー達がいなくなり、ホールに残ったのはタイランとリフだけとなった。
「わ、私は……村の温泉の案内地図をもらいましたし、ちょっと行ってみようと思います。……リフちゃんはどうします?」
「に、行く」
リフは、『えらい人』達を待っている間、それなりに睡眠は取っていたらしい。
二人がシルバを見る。
が、シルバは首を振った。
「んー、俺は後で。……吸血事件の被害者の調書をまとめたら、えらく眠くてね」
「にぃ……お兄、お疲れ」
「お前こそ、ご苦労さんだったな。それじゃタイラン、リフを頼む」
リフの頭をガシガシと撫でながら、シルバはリフをタイランに預けた。
「はい。シルバさんも、ごゆっくり」
……目が覚めると、窓の外には月が出ていた。
「うお」
眠気はすっかり取れ、シルバは驚いた。
ベッドには、仔猫状態のリフが一緒に眠っていたが、シルバの声で目が覚めたようだ。
「に……おはよ、お兄」
精神念話を通じて、リフが返事をする。
「もう真っ暗じゃないか。今、何時ぐらいなんだ?」
「晩ご飯も終わって……ひい、ふう……もうすぐ日がかわる?」
どうやらついさっき、床に潜り込んだらしい。
何にしろ夜中である。
「……ものすごく寝てたんだな、俺」
「に。お兄のごはん、そこ」
促され、そちらを見ると、小さな丸テーブルの上には三角に切られたパンがいくつかと、牛乳があった。
「サンドウィッチか。助かる」
「に」
ベッドに腰掛け、テーブルを引き寄せる。
サンドウィッチを手に取ると、ふとリフの視線が気になった。
「……?」
何かやたら真剣な目つきだったが、今のシルバは何より腹を満たすのが最優先だった。
ツナサンドにかぶりつく。
「うん、うまい。やっぱ相当腹減ってたみたいだな」
「に」
傍らに寝そべるリフの尻尾が、ピコピコと嬉しそうに揺れた。
サンドウィッチはもう一種類あり、そちらはキュウリとトマトが挟まれていた。
「こっちの野菜サンドも悪くないな」
「そっちはタイランの力作」
牛乳と一緒に食べていると、少しずつシルバの思考力も戻ってきた。
「つまりこっちは、リフが作ったと」
「にぃ」
サンドウィッチを平らげ、シルバはベッドから降りた。
「……んじゃま、風呂に行くかな」
「にぃ……リフも」
ついてきたそうだったが、リフのまぶたが沈みかけなのは明らかだ。
「もう遅いし、眠そうじゃないか。いいよ。一人で行ってくる」
「にー……」
シルバは着替えやタオルを袋に詰めると、部屋を出た。
夜道をランタンで照らしながら歩く。
一応月も出ているので夜道も明るいが、いつ曇るか分からない。
「ま、たまには一人も悪くないな」
のんびりと歩きながら、シルバは目当ての温泉を目指した。
その温泉は、疲労回復に効果があるという。宿の主人であるメナの話では、やや奥まった所にある為、人気も少ないマイナーな温泉らしい。
山に近い森……というよりは林の中、砂利道を進むと次第に湯気が濃くなってくる。
「ん……?」
何だか小さな岩に一人、誰かが足を組んで腰掛けていた。
遠目にも目立つ金髪に、豪奢なマント。
カナリーだった。
「よう、カナリー」
シルバの登場は予想していなかったのか、カナリーは軽く目を見張った。
「シルバ、どうしてここに?」
「いや、変な時間に目が覚めて、適当に良さそうな風呂を探してたら、こんな所まで来ちまった。つか、お前は何やってんの?」
「僕はその……」
カナリーは口ごもった。
が、すぐに何かを思いついたのか、ニッと笑った。
「そうだ、シルバ。ここもかなりいい湯らしいし、入っていけばどうだい?」
「……途中からお前が乱入してくるとかいう展開じゃないだろうな」
こういう顔の時のカナリーは、大抵何かを企んでいるので、シルバは大いに警戒した。
が。
「……!?」
シルバの指摘は的外れだったのか、予想に反してカナリーは驚きながら頬を真っ赤にさせた。
「え、ど、どういう事だ?」
シルバも予想が外れて、慌ててしまう。
「ち、ちち、違う。そうじゃなくて、その何だ」
深く悩み、カナリーは俯いたまま、チラッとシルバを見た。
「み、見たいのなら、一緒に入ってもいいけど……」
が、すぐに首を振って、自分の中で決断を下したのか、一人頷いた。
「いや、うん。ここは我慢して、本来の目的を達しよう」
「目的?」
シルバには、何が何だかよく分からない。
やたら不吉な予感を覚えたが、カナリーはもう決めてしまったのか、シルバの背をグイグイと押し始めた、
「ま、とにかく入った入った」
「お、おう。何なんだ一体」
その泉のような温泉は岩場に囲まれており、脱衣所などなかった。
適当な場所で服を脱いで、シルバは湯に浸かった。
「ふぃー……」
身体の中の疲れが、湯に溶けていくような気がする。
このまま眠りそうになるのに気をつけながら、シルバはアーミゼストよりも星の多い夜空を見上げた。
その時だった。
「だ、誰かいるのか?」
湯煙の向こうに、誰かの気配があった。
「……?」
ザバリ、と立ち上がる気配に、シルバはそちらに視線をやった。動物のような耳と尻尾、それに声色でシルバは大体の察しを付けた。
「ありゃ……この声は、もしかしてキキョウか……?」
……その割に、いつもよりちょっと野太いような気がしたが、間違ってはいなかったらしい。
「シルバ殿!? ちょ、カナリーは一体何をしていたのだ!?」
「い、いや、カナリーなら普通に通してくれたから、てっきり誰もいないモノかと」
これはまずいな、とシルバも思う。
キキョウが慌てる理由も大体見当がついているので、自分は下手に動かない方が良さそうだ。
一方キキョウは事情を掴めたのか、しきりに頷いていた。
「そ、そうか……おのれ、カナリー……謀ったな!」
何やら勘違いしているようではあるけれど。
「と、とにかく某はこれで! シルバ殿はゆっくり湯に浸かっていくといい」
「お、おう」
キキョウは大急ぎで、シルバから遠ざかろうとする。向こうの方に、キキョウの着替えがあるのだろう。
その時、風が吹いた。
「あ」
「え?」
それほど強い風ではなかったが、それは湯煙を軽く吹き飛ばす程度の威力はあったらしい。
シルバの眼前に、キキョウの裸体が晒される。
やや細身ながら、全身は引き締まっている。
逞しい胸板に、鍛えられた腹筋。
そして更にその下には。
「……男?」
かなり、立派であった。
キキョウは真っ赤になりながら、ザブンと湯船に沈んだ。
遡る事数時間前、キキョウはカナリーと従者の二人、小人族のユファと共に、エトビ村の外れにあるクロス・フェリーの洋館を再訪していた。
スペアの鍵は預かっていた村長からカナリーが受け取っており、あっさりと中に入る事が出来た。
魔力を使用しているのだろう、室内は自然と明るくなった。
使われなくなってもそれほど時間が経っていないせいか、多少の埃はあるものの、内装は綺麗なものだ。
「てっきり罠が、あると思ったのだが……」
キキョウは臨戦態勢で、大きなホールの周囲を伺っている。
一方、肩にユファを乗せたカナリーは従者達を連れて、リラックスした風情でスタスタとホールを歩いていた。
「ああ、あるね。魔力で反応するタイプのが」
「そ、それでは危ないではないか!?」
キキョウは、慌ててカナリーの後を追う。
「ちょっと落ち着いて考えてみようよ、キキョウ。屋敷は少なくとも表向きは普通に、別荘として使われていたんだろう?」
「む……確かにそう聞いているな」
「いちいち罠を警戒しながら、寛げると思うかい? もしかしたら仲間も一緒だったかも知れないのに」
「それは……確かにないな」
キキョウが唸り、カナリーの肩に乗っていたユファも頷いた。
「つまり屋敷の鍵自体が、解除キーの役割も果たしていたのね」
「そういう事さ。それに、クロスの立場になって考えれば、侵入した人間が傷つくようなトラップがあると、逆に困るんだ。それじゃ、いかにもここに何かありますよって言っているようなものじゃないか。仮に何かに引っかかったとしても、大きなアラームが鳴るとか、その程度のモノさ」
「な、なるほど」
「とはいえ……面白みも何もないな」
カナリーはつまらなそうな表情をしながら、カーブを描いた階段の手前で立ち止まる。そのまま振り返ると、煌めくシャンデリアを見上げた。
「そうか? 某には結構、豪華に見えるが……」
「{本家/ウチ}の模倣だよ。それに無駄な部分に金を掛けているのがよく分かる……あまり上品とは言い難いね」
「……点数辛口ね」
「某もそう思う」
ボソッと呟くユファに、キキョウも同意した。
カナリーが先導して、一階、二階と調べていく。
しかし、特に目新しいものはなかった。
「やはり地上部分には、何もないね。後は地下だけだ」
だが、地下に通じる階段は、少なくとも一階の部屋のどこにも見あたらなかった。
「しまった。リフも連れてくるべきであったか?」
キキョウが悩んでいると、カナリーは無言で応接室に入った。
「…………」
部屋を見渡し、絵の裏を見、本棚の本を取り出し、暖炉の裏に手をやった所でスイッチの入る音がした。
部屋の隅のカーペットが割れ、四角い地下への入り口が姿を現す。
「何と」
「つくづく、古典趣味だねえ」
は、とカナリーは短く嘲笑した。
キキョウの予想を裏切り、地下室は監禁や拘束といった単語とは無縁の造りとなっていた。
「……少なくともクロスという男、女性を雑に扱う性格ではなかったようだな」
「やってる事は、道を外しているけどね」
カナリーの意見は辛辣だ。
そこは、柔らかい照明に包まれた広いサロンのようだった。
十幾つものソファにガラスのテーブル。
壁には絵画が掛けられ、 部屋の隅にはバーカウンターとグランドピアノまで置いてあった。
通路の先はおそらく、捕らわれた女の子達の部屋となっているのだろう。
捕らわれているという閉塞感さえ我慢すれば、暮らしには充分な広さだった。もしかしたら、地上の洋館よりも広いかも知れない。
「ここも懐かしいわね」
ユファも、サロンを眺め回す。
自分で調べるのが億劫になってきたのか、カナリーは赤と青の従者に命じて、部屋を一つずつ、確認させていった。
カナリー本人はというと、バーの棚にあった赤ワインを勝手に取り出し、ソファに腰掛けてワイングラスに手酌し始める。
従者達と精神的に通じているカナリーは、彼女達が何か見つけたらしく薄く笑った。
「マネキンで作った執事とメイドの人形達に、錬金術による氷室には食料と冷凍血液。土属性の精霊炉によるエネルギー変換。なるほどね、これは興味深い。初めてクロスの成果を見られた気がするよ」
「カ、カナリー、悪い顔になっているぞ?」
……勝手に使っていいモノなのだろうかと心配になりながら、キキョウはこれでも仕事中、という事で水だけもらう事にした。
洋館を出たのは、それから小一時間ほどしてからだった。
「思ったよりあっさり終わったな」
キキョウが天を仰ぐと、まだ日は大分高かった。
戻っても、時間をもてあましてしまいそうだ。
「見るべきモノが少なかったからね」
カナリーは少し考え、森の方を向いた。
「……ついでに炭坑跡にあった隠し財産の検品も、しておこうかな。キキョウはいいかい?」
「某は異存ない」
炭坑跡は一度訪れた事があるが、その時はギルドや教会への報告が最優先となっていた。財宝の目利きは、貴族であるカナリーが任されているというのもある。
村への道程は、以前はバレットボア達との戦いがあったが、それがなければそれほど遠くもないのだ。
「あたしもせっかくだし、残してきた子達の様子を見たいわね」
ユファも賛成し、キキョウ達はかつての廃村、マルテンス村に向かう事にした。
村に残っていた娘達の黄色い声と応対に辟易しながら、カナリーとキキョウは急いで炭坑跡の調査に移った。
娘達は残念そうだったが、いちいち相手をしていると、ここで一夜を過ごす事になりかねない。
洞窟の奥は100平方メルトほどだろうか、そこそこ広がっており、壁には木の棚が並べられていた。未分類の財宝は、壁に立てかけられていたり、床に無造作に積まれている。
妙に生活臭がするのは、かつて一度訪れた時、シルバが雑鬼が住んでた痕跡があると言っていたから、それが原因だろう。
「相変わらず埃っぽいな」
キキョウは尻尾を緩く揺らしながら鼻を嗅いだ。
「炭坑跡だからね。見てるのはいいけど、迂闊に触っちゃ駄目だよ」
カナリーは絶魔コーティングの施された手袋をして、棚の品々を一つずつ検品していく。赤と青の従者達が筆記を担当していた。
「む、う……ここいらの刀剣類もか」
大小様々な武器類が、棚に置かれている。
鞘に収められているのは当然だが、刀身を拝めないのがキキョウには残念でならない。
「キキョウはアヤカシだから多少はこういうのに耐性あるだろうけど、それでも変なモノに憑依される可能性がある」
「むむぅ……」
カナリーの言い分はもっともだ。しかし……。
「と、シルバも確か言ってたよね」
「よし、我慢しよう」
キキョウはあっさり諦めた。
「……ホント、扱いやすいね君は」
何だかカナリーが呆れたような目で見てきたが、キキョウは気にしない事にした。
「実際、シルバがいるとこの手の仕事は楽なんだけどね。吸血鬼の{強制/ギアス}みたいなのは別格だけど、司祭だから解呪は専門だろうし」
そこでふと、キキョウは思い出した。
尋ねておかなければならない事があったのだ。
「そ、それよりもカナリー、話がある」
「ああ、血の臭いの件だね」
「な、何故それを!?」
まさしく、その件だった。
吸血鬼は{処女/おとめ}を臭いだけで判断する事が出来ると、以前カナリーは言った事がある。
だとするなら、キキョウにとっては甚だまずい事になる。
「ずっと気になってたみたいだから先回してみただけさ」
「そ、そうか。ならば話が早い。という事はつまり、某の性別は……」
言葉を濁すキキョウに、カナリーは肩を竦めて微笑んだ。
「うん。分かってるけど、別にシルバに言うつもりはないから安心していいよ。実際、今まで黙ってたでしょ?」
「よ、よろしく頼むっ! シルバ殿には黙っていてくれ!」
キキョウは深々と頭を下げた。
その拍子に後ろで何か、ゴツンと音がした。
「あ」
カナリーが声を上げ、キキョウも素早く反応した。
「ぬ!?」
どうやら腰に差した刀の鞘の先端が、棚にぶつかってしまったらしい。
スローモーションのように傾き、落下しようとしていた木製の像を、キキョウはキャッチした。
ふぅ……と一息つき、キキョウはそれを棚に戻した。
牛に横乗りになった女性の像だった。
大丈夫、どこも壊れてはいない。
「だ、大丈夫かい、キキョウ? そこら辺はまだ手つかずな場所だったはずだ。変なモノに触れていないだろうね?」
「いや、ただの偶像で、某にはどこも異常は――」
言葉が途切れる。
まず気付いた異常は声だった。
さっきまでより、やや太くなった気がする。
……それに、胸が妙にスカスカだ。
触ってみると。
「――ない!」
更に股間に違和感が。
「ある!」
「……という訳で、埃も被ってしまった事もあるし、人目の少なさそうなこの岩場の温泉に、身体を洗いに来たのだ」
湯に顎まで浸かったまま、キキョウは説明を終えた。
「ははぁ……」
現状、その偶像の正体が分からないと解呪は出来ないが、牛に乗っている女性像という点から、何となくシルバにはその正体が掴めていた。
ちなみにキキョウとシルバとの距離は、湯気が相当に立ちこめているにも関わらず、かなり離れている。かろうじて、湯にのぼせつつあるのかキキョウの真っ赤になった顔の判別が出来る程度だ。
「後はしばらく誤魔化して、カナリーに解呪の専門家を呼んでもらい、こっそり治してもらおうという計画だったのだが」
ところがどっこい、カナリーは温泉の見張りの役にはまるで使い物にならず、シルバを通してしまったという訳だ。
「なるほど。話は分かった」
「そ、そうか」
「ところでキキョウ」
「な、何だろうか、シルバ殿?」
「お前、自分が実は女だって事、今の話で全部バラしちまってるぞ?」
「し、しまった!?」
バシャアッと、キキョウは派手に水音を立てた。
「……今ので隠しているつもりだったのが、俺には驚きだよ。まあ、俺も結構前からそうじゃないかなーって思ってたけどな」
「何と!?」
動揺しまくるキキョウであった。
湯煙の中、風呂に浸かったままシルバとキキョウの会話は続く。
「というか、男の方は都合よくないか?」
慌てるキキョウが面白く、シルバはついつい意地悪なことを言ってみたくなった。
案の定、キキョウは焦り始めていた。
「な、な、何故にそう思うのだ、シルバ殿」
「いやだってここ温泉だし、もしウッカリ吸血鬼化した女の子と出くわしたりしたらさ。それに見たところ、ちょっと声が変わって程度だし、違和感はないぞ?」
これは嘘ではない。よく見ると喉仏に気付く程度で、それを除けばこれまでのキキョウと、ほとんど大差はない。
「い、いや、それは困る」
「隠してる方が困るだろ。色々とー」
どんどん楽しくなってきているシルバだったが、その表情は湯気に隠され、キキョウに伝わっていないようだった。
「ぬう……っ」
白い湯煙の向こうで、キキョウは唸っていた。
ぶくぶくと顔の半分を湯に浸けていたが、やがて頭を上げた。
「……シ、シルバ殿は、某が男の方がよいのか?」
どことなくしおらしく、キキョウが尋ねてくる。
「いやー、そりゃ可愛い女の子の方が正直嬉しいけどな」
「な、なら某は……」
キキョウに最後まで言わせず、シルバは言葉を重ねた。
「しかし、女人禁制って言ったのはキキョウだったよなー」
「うああ……そうであった」
普段のキキョウなら、シルバの台詞がからかい半分なのをあっさりと看破出来ただろう。
だが、自分が男に変わってしまった事。
おまけに距離をとっているとはいえ、二人きりで全裸で向き合って湯に入っている事が、キキョウの混乱に拍車をかけていた。
その事にシルバも気付き、少しだけ真面目に返事をする事にした。
「何てな。俺がそういうのを利用した公私混同が嫌いなんだってのは、分かってるだろ。それに、ウチの連中は今更……なぁ?」
「となると、残ってる男はシルバ殿とカナリーだけか」
「え、いや? カナリーも女だぞ?」
サラッと言ってしまい、あ、言ってよかったっけとシルバは考えた。
どうやら湯の効果で、シルバの気も緩んでしまっているようだった。
「ななな何と!? いや、そもそもシルバ殿が何故、それを存じているのだ!?」
「あー……」
さて、どう説明したものかなと悩んでいると、頭上から声が響いてきた。
「やれやれ、勝手にバラさないで欲しいな」
振り返ると、月を背に、カナリーが形のいい足を組んで岩場に座っていた。
ただしその服装は、いつもの白地のマントに貴族服ではない。
身体のラインがピッタリと映る、漆黒のワンピース水着だった。当然ながら、豊満な二つの胸も強調されている。
長い金髪も、頭の後ろでアップにしていた。
「ちょっ、カ、カナリー!? 何だ、その格好は!?」
ザバッとキキョウが立ち上がるが、シルバはちょっとそれどころではなかった。
それに気付かず、カナリーとキキョウのやりとりは続く。
「見ての通り、風呂用の服さ。影を織って作ってみた。南方では水着というらしいね」
「そ、そ、その胸は何だ!?」
キキョウの指摘に、カナリーは自分の胸元を見た。ただそれだけの動きで、大きな二つの胸がぶるんと揺れる。
「うん? いや、これが普通だよ。普段はマントの固定認識偽装に、収縮機能付きの魔法下着で隠してるけどね」
「そ、それに、何故シルバ殿を入れた! 見張りの役に立っていないじゃないか」
「はは。こうでもしないと、キキョウはずっと黙ったままじゃないか。他の者なら入れなかったけど、シルバだったし、ちょうどいいかなと思ってね」
二人の視線が、シルバに向く。
さっきから二人の会話は聞こえてはいたが、頭には入っていなかった。
というか。
「でけー……」
カナリーの揺れ乳は、タイランの裸身を見ても動じなかったシルバを以てしても、驚異的な破壊力であった。
「……っ!?」
赤面したカナリーは、今更ながら自分の胸を押さえた。
もっとも腕全体を使っても、全然隠しきれてはいないが。
「シルバ殿!?」
詰め寄ろうとしたキキョウは、自分がどういう状態にあるのか気付き、慌てて湯の中に身体を隠す。
「あ、あんまり見るなよ、シルバ? ……そりゃ、見せるための衣装ではあるけど、これでも恥ずかしいんだからね」
カナリーに見下ろされ、シルバは湯を指差した。
「だったら、そんなところに立ってないで入ったらどうだ?」
「た、確かにね」
さすがに夜だけあって、吸血鬼のカナリーの魔力は高い。
ふわ……と浮遊しながら、カナリーも泉の湯に身を浸した。
ちょうど三人が三角の形位置になっているのは、何かの偶然か。
「……いざ着替えてはみたもモノの、見られていると思うと、やはり恥ずかしいなこれは」
先刻のキキョウと同じように、カナリーも顔の半分ほどをお湯の中に沈める。
「そ、それより酷いぞカナリー! 某をずっと{謀/たばか}っていたのか!?」
「何のことだい?」
「その胸を含めた性別全般だ!」
キキョウは、カナリーの胸を指さした。
カナリーは気にせず息を吐くと、背後の岩に身体を預けた。丸い胸の半分ほどが、風船のように湯に浮かんでいるように見えた。
どうやら開き直ったらしい。
「ああ、その件か。だって僕がバラしていたら、多分キキョウはやりにくかったと思うよ? 表面上、シルバと君だけが男って事になると……例えば今回の旅なんて君、有無を言わさずシルバと同じ部屋になってただろうし」
「……なっ!?」
動揺したキキョウは、シルバを見た。
実際その点はカナリーの言う通りだが、カナリーがさっきのシルバと同じく、キキョウの反応で楽しんでいるのは明らかだった。
「ああ、いや、困らないならいいけどさ。あくまで今のは一例だ。しかし実際、ストレスが溜まったと思うよ。シルバの周りに、四人も可愛い女の子がいて、自分は何も出来ないなんて、ねえ?」
カナリーは、シルバに向かって小首を傾げた。
「……お前、そこで俺に同意を求めるか。しかもさりげなく自分を可愛い女の子に分類しやがって」
「む、僕は可愛くないと」
シルバは頷いた。
「お前は可愛いってのとはちょっと違う。どっちかっていうと綺麗っつー表現の方が合ってる」
バシャリとカナリーは周りの湯が跳ねた。
「き、君はそういう台詞を時々不意打ちで言うな」
顔も茹で蛸のように真っ赤になっていた。
「うん?」
だいぶのぼせてきたのか、シルバもどこがおかしい発言だったのか気が付かなかった。
「シルバ殿!」
一方キキョウはもはや我慢ならぬと、シルバの間近に迫っていた。
「おう!?」
「某の呪いの解呪、是非お願いする!」
シルバの手を取り、懇願する。
「カナリーばかりズルすぎる!」
本音が出て、カナリーが高らかに笑った。
「あっはっはー」
「……あと、カナリーには是非、以前の夜這いの件を今度もう一度、深く追求させてもらう」
「は……」
シルバに頭を下げたままキキョウが言い、カナリーの笑みは固まった。
湯に浸かったまま、シルバはキキョウの呪いの源となった、女性の像について聞く事にした。
「牛に乗った女性像ね……それ、胸大きかった?」
「シールーバーどーのー!」
キキョウはほとんど涙目になっていた。
だが、シルバはからかう風もなく、首を振った。
「いや、真面目な話なんだって。呪いを説く為には、対象のルーツってのは割と重要な要素なんだよ。どこの誰だか確定してたら、解呪も楽なんだから」
「胸は僕と同じぐらいだったね」
カナリーが自身の金髪をいじりながら思い出す。
二人からの話をまとめ、シルバは確信に至った。
「長い巻き毛で……まあ、アレだ。キキョウが触れたのはおそらく、牧神マーニュの像だろう」
「マーニュとは?」
「ゴドー聖教の主神ゴドーの妻の一人でな、こういうエピソードがあるんだーー」
かつて神々が地上にいた頃の話。
旅をしていたゴドーとマーニュはとある牧場で、一夜の宿を借りた。
牧場主が困っていたので話を聞いてみると、ここ数年、何故か牛が牡しか生まなくなってしまった。
この牧場は牛乳を売ることを生業としており、このままでは牧場を閉じなければならない。
そこでマーニュは一夜の宿の恩に、牧場の牛の半分を牝に変えてしまった。
こうして牧場は再び、牛乳を売るが出来るようになったという。
ちなみに牡牛ばかり生まれた原因は、近くにあった別の牧場の主が、異神に祈った結果だったらしい。
「牧神マーニュには性別を変える力がある……と、こういう言い伝えがあってな。マーニュと牛の像って事は、そのエピソードに由来しているんだろう。もちろんよほど出来のいい像じゃなきゃ、そんな現象起こりっこないんだが」
「……つまり、よほど出来がよかったんだね」
カナリーがため息をつく。
「そういう事。本来ならルベラント聖王国の宝物庫か美術館に納められるような代物だ。いい金になるだろうな。しかしこんなモノ、よく手に入れられたもんだ」
「迷宮で手に入れたのかな」
「まあ、多分な。ブラックマーケットで手に入れたって線もあるけど、ノワの性格を考えると、この手のアイテムは買うモノじゃなくて、売るためのモノだし」
「ーー自分が使う為、もしくは使った為だって線は?」
カナリーの言葉に、シルバは一瞬、呆気にとられた。
だが、すぐに首を振った。
「……面白い仮定だなぁ」
ノワが実は元は男だったかもしれないと、カナリーは言っているのだ。
「僕も、そう思うよ。もっとも僕はまだその彼女に会った事がないんだけれど」
「でも、だとするなら、もっと女神像の管理を厳重にしてると思う。他の品と同じように、普通に棚に置いたりなんてしない。実際、危うくキキョウが落としそうだったんだろう?」
「言われてみると、確かにあの辺りは値打ち品が多かったと思う。効果はともかく、値段的な並びではほぼ同じレベルだったかもしれない。しかし……神の力を秘めたアイテムか……まったく、古代の遺産は興味深いね」
「神様の力なんて、あまり頼るもんじゃないぞ。時々、神様自身、事を成した後に、さてこれからどうしようなんていう事、あったりするんだから」
妙に実感を込めて、シルバが言った。
それまで黙って話を聞いていたキキョウだったが、耐えきれなくなったのか二人の間に割り込んできた。
「そ、それでシルバ殿、この呪いは解く事が出来るのか?」
「ああ、ゴドー聖教の説話は大体押さえているし。それじゃ、解くぞ」
「え?」
反射的にか、思わずキキョウが立ち上がったのと、シルバが印を切ったのはほぼ同時だった。
軽い風が吹き、次の瞬間、キキョウの逞しい胸板は慎ましい乳房に、腰回りもくびれ……。
「……い、いや、立たなくても大丈夫だったんだけど」
「ひやぁっ!?」
ぶわっとキキョウの尻尾の毛が逆立った。
ザブン、と派手に水飛沫をあげながら、全身を湯に沈める。
一方カナリーは真剣に焦っていた。
「シ、シルバ。呪いを解きすぎだ。胸まで削ってしまってどうする」
「これは元々だ!!」
叫び、キキョウは恨めしそうに、自分のすべてを見てしまったシルバを涙を浮かべながらにらんだ。
「ううううう~~~~~」
カナリーを見ると「どうにかしろ」と視線が語っていた。散々けしかけておいてそれはないだろうと思わないでもなかったが、確かにフォローは必要だ。
「キキョウ」
「うぅ……シルバ殿……」
弱々しく応えるキキョウに、シルバはグッと拳を作った。
そして断言する。
「大きいおっぱいも、小さいおっぱいも、おっぱいだ。大丈夫! 俺はどっちも好きだし!」
カナリーが盛大にずっこけた。
解れかけた金髪を押さえながら、カナリーは湯の中から身体を起こす。
「……シ、シルバ、今のはフォローになってないと思うんだけど?」
「いや、でも、キキョウは何か救われたっぽいぞ?」
何かキキョウは小さくガッツポーズを作っていた。
「シ、シルバ殿が大丈夫なら、某は問題ない……うむ、頑張れ某……!」
「が」
でんでんででん、とテーブルの上に五本の牛乳瓶が並べられる。もちろん、中身は入っている。
泉の湯での騒ぎから、明けての『月見荘』。
その酒場部分での事である。
「大は小を兼ねるとも言うし、やはり大きいに越した事はないと思うのだ」
ごっきゅごっきゅごっきゅと、キキョウは一本目の牛乳を飲み干していく。
その様子を、大きな甲冑ーータイランが、心配そうに見つめていた。
「お、お腹壊しますよ、キキョウさん……?」
「ボクも飲むー♪」
狩りから戻ってきていたヒイロも、キキョウを真似て牛乳を飲み始める。
ちなみに、キキョウとカナリーまで女性だった事は、つい先程シルバが話したばかりだ。
ヒイロとタイランは素直に驚き、リフはいつから気付いていたのか、特に動じる様子もなくそれを受け入れていた。
もっとも、唯一の男性であるシルバの態度がこれまでと大して変わらない以上、他の面々も劇的な変化など特になかったりするのだが。
……二本目の牛乳に手を着ける二人を頬杖をついて眺めながら、カナリーはパンにせっせとチイチゴのジャムを塗るリフに尋ねた。
「リフは飲まないのかい?」
「に……自然がいちばん」
一方ある意味主犯とも言えるシルバは、のんびりとミルク入り豆茶を啜っていた。
「大きさは、バリエーションがある方がいいと思うんだけどなぁ」
「……君は君で、僕にどういうコメントを求めているんだい?」
あまりにも俗っぽい司祭の言葉に、呆れるカナリーであった。
※ちょっと慣れない環境で文章を書いたため、いつもとノリが違うかもしれません。
シルバとカナリーは、何というかSっぽいというか、単にキキョウがいじられ易いキャラというべきか。
ちなみに牧神マーニュの名の由来は、魔乳です。