峡谷の奥、薄い白い霧に包まれた狭い荒地に、トゥスケルの二人はいた。
ひんやりと肌寒いそこにはまばらな植物以外に、生命の気配はない。
否、荒地の真ん中にポツンと、無数の蔦が巻き付いたずんぐりとした物体が横たわっていた。
大きさは大型獣ほどはあるだろうが、道をふさぐほどでもない。
「ここも、久しぶりどすなぁ。……もうちょっと感傷に浸らせてくれてもようおましませんか?」
スタスタとその物質に近付くラグドール・ベイカーに、キムリック・ウェルズは弱り顔を見せた。
「感傷でこれが動くのなら、いくらでも待つ」
「よろしゅうお願いします」
「分かればいい」
「それにしても、しばらく見ぃへん内にえろう蔦伸びましたなぁ……」
「問題ない」
ラグドール・ベイカーは腰の細剣を引き抜くと、それを一閃させた。
物体を覆っていた蔦の一部が、刃によって切断される。
ラグドールの剣が瞬くたびに、蔦は次々と物体から剥がれ落ちていく。
やがて蔦のドームから姿を現わしたのは、横倒しになった荷台付きの浮遊車だった。
古び、あちこちに亀裂の入っているそれは、驚いた事に中で何かが稼働しているらしく、低い唸り声のようなモノが微かに響いていた。
「上手くいきますやろか?」
「ここに来て、今更か」
ラグドールは車体の前部に回り込むと、ハッチを開いた。
中心には、微かに脈打つように光る練気炉があった。
もっともそれはひび割れ、そこからうっすらとした煙のようなモノが漏れている。
それでも車自体は死んでいないのだろう、内部のあちこちが微かな音を立てていた。
一方、キムリックは懐から取り出した図面を広げていた。
以前、ここを訪れた時に書き写した、この車の内部構造である。
「んんー、写した図面、専門家に見せたところでは、技術的には問題ないゆー話は聞いとるんですが……」
「その通りだ。少々専門知識が必要だが、この壊れた練気炉と例の精霊炉は互換が可能だ。あくまで接続時点での話に限るが」
ラグドールはキムリックに振り返らず、腰の工具を手に取って、練気炉の停止と分解を開始する。
「まあ、繋がるんでしたら、問題ないでっしゃろ。それよりちょっと急いだ方がええと思いますえ」
「何故だ」
ラグドールは手を止め、初めてキムリックを振り返る。
「彼らが追ってきます」
言って、キムリックは後ろを指差した。
もちろん彼らとは、シルバ達の事である。
しかしそれはどうだろう、とラグドールは首を傾げていた。
「弱った仲間を見捨ててか」
彼らの結束は強そうだったが、と内心思うのだ。
だが、キムリックは口元だけ笑いを浮かべていた。
「そこんトコはちょいと認識の違いどすなぁ。倒れたからこそ追ってくるいう可能性もありますし」
「報復か」
それもあるか、とラグドールは納得する。
半分は巨人のせいだとしても、結果的に動く鎧を一時停止させたのはラグドール達である。
ならば、仲間の仇を討つのは当然だろう。
性能が落ちたとは言え、精霊炉は組み込まれてあるのだ。早期に復活してもおかしくはない。もっとも、それならばそれで、迎え撃てばいいだけの事だ。
「あとは、まだ行方の知れてない仲間を捜しに、こちらに来るいう可能性もありますな」
「それならば、普通に考えてホームに戻るだろう。例のキャンプ地点だ」
「さいですな。せやけど、方角が分からん状況の場合もあります。こちらに来るいう可能性に関しては、否定出来まへんやろ」
「違いない。こんな事なら、寝込みを襲えばよかったのではないか」
ラグドールは修理作業にも取る事にした。
工具を扱うラグドールの背に、キムリックの声が届く。
「難しいどすなぁ。第一にあちらのメイドさんが一番厄介。戦力としては破格どす。第二に夜はあの吸血貴族はんの独壇場どす」
「それが反対していた理由か」
なるほど、その時点でラグドール達は2対2。
それに他の仲間が加われば、作戦が成功する可能性は低い。
「さいで。一回失敗したら、その時点で精霊炉の奪取の難易度は跳ね上がりますからな」
「……面倒な事だ」
「作業の方は、どないな案配で?」
ふと、キムリックの声が近くなっていた。
いつの間にか、ラグドールと距離を詰めていたのだ。
浮遊車の内部を覗く視線が、すぐ後ろにあるのが分かる。
「もう少しだ。触れるな。得体の知れない装置が、まだ稼働中だ」
浮遊車内部の端っこに、鈍く赤色に点滅する装置があった。
墜落した際の衝撃か、わずかにひしゃげている。
車体から発せられる低い唸り音は、ここが発信源だった。
「……えらい大昔から、よう動いてはるわなぁ」
「保存するにはここは環境が非常にいい。力の供給は、地下から汲み上げているのだろう。動けない分、エネルギーはその装置と自己修復装置によるメンテナンスにだけ費やされている」
ラグドールがその装置に手をかざすと、微かに波動が伝わってきた。
これが魔法無効化の原因だ。
もちろん、それが本来の機能ではないのだろう。
ラグドールの見立てでは、おそらくは何らかの防犯装置の役割を果たしていたのではないだろうか。例えば、車体に触れたモノに雷撃を与えるような。
同時に、この低い音だ。
定期的なリズムを刻むそれは、まるで何かの信号のようだ。
ウェスレフト峡谷の三魔獣を始めとしたモンスター達がこの付近に近付かない理由は、これにあるのではないか。
メッセージは『この車に近付くな』、もしくは『この車を守れ』。
犬笛のような印象を受けるそれから、ラグドールはそんな推測を立てていた。もっともあくまで推測だ。正しいかどうかは本人達に聞かなければ分からないし、聞くつもりもない。
ラグドールは装置に伸びるコードをニッパーで切断し、機能を停止させた。
「……それも今、切った」
そして装置を車体から外すと、慎重に地面に置いた。
もっとも、装置の赤い点滅は続いている。
「魔法の無効化がまだ、続いてるみたいどすけど? 完全に壊した方がええんちゃいますか?」
キムリックの意見に、ラグドールは首を振った。
そして、精霊炉の組み込みに取りかかる。
「自動的に力を失うまで待った方がいい。迂闊に衝撃を与えると爆発する可能性がある」
「やめときましょ」
「ああ。それが賢明だ」
「防犯装置を切ったとなると……彼ら――あの三魔獣も、ここに来る可能性があるいう事どすな」
「巨人と鳥はあのやられ方では、当分は動けないだろう。自己修復と言っても、限界がある」
「まあ、あれだけスクラップにされては」
「ああ、一年はかかるだろう」
何故か、後ろでキムリックの言葉が一瞬途切れた。
「……一年で直るんどすか?」
何かから復活するのに、少し時間が掛かったようだ。
「早くてな」
「……早いとか言うレベルの壊れっぷりやかなった思うんどすけど」
ラグドールはそれに答えず、工具を腰に戻した。
接続は終えた。
駆動系の異常は見あたらない……ように思える。
あとは燃料タンクに精霊石を入れれば、動くはずである。
そんな彼らのやり取りを、少し離れた岩陰から覗く小柄な二つの影があった。
「……て、敵かな、あれ?」
「に……キムリックって名前、おぼえある。敵」
「そ、そっか。じゃあ、やっつけるしかないね。今なら2対2だし」
ヒイロとリフであった。
※次回、引き続きリフとヒイロとなります。