雨だった。
大降りと言うほどではないが、かといって傘が不要と言うほど弱くもない。
しかしそれでもシルバ・ロックールが外出したのは、何となく小腹が空き、行きつけの肉屋『十八番』の揚げ物を食べたくなったからに他ならなかった。
そのシルバが、袋を抱えたままコロッケを囓った手を止め、固まっていた。
仲間達の集まる食堂『朝務亭』への、帰り道の途中の事だった。
「むむむ……」
道の端に積み重ねられた木箱の中を覗き、シルバは唸る。
木箱の中には、薄汚れた仔猫が一匹、横たわっていた。
弱々しい鳴き声を聞き咎め、誘われるように確認してみたら、入っていた。
「に……」
「これは、見捨てるのは無理だなぁ……」
コロッケを頬張りながら、シルバはぼやいた。
その仔猫と目が合う。碧色の目が、鋭くシルバを睨んでいた。しゃー、と鋭い二本の牙をむき出しにされる。
「超警戒されてるし。いや、まあいいんだけど……」
正直な所、全然怖くない。
近付くと、仔猫はビクッと身を竦ませ、箱の端に逃れる。
「んー」
構わずシルバは指を伸ばした。
逃げようのない仔猫はしばらく身をよじっていたが、頭やアゴの下を撫でると眼を細め始めた。
そして、指を噛んだ。
「痛ぇ……いや、痛くないか」
かぷかぷと遠慮はないが、せいぜい甘噛みといった所だ。
やがて飽きた仔猫は、不意に指から興味を失い、顔を上げた。
視線を追うと、シルバが懐に抱えた肉屋の袋があった。
「……欲しいの?」
「…………に」
仔猫が腹を減らしているのは、明らかだ。
「最後の一つだったんだけどなぁ……」
シルバは楽しみにとって置いたフィッシュフライを半分に割り、箱の中に置いた。
仔猫はそれを貪り始めた。
三十分後、食堂『朝務亭』。
まだ夕餉には早い店内は、比較的空いていた。
「それで、懐かれたと」
事情を聞いたカナリー・ホルスティンは、ワイングラスを揺らしながら読んでいた本から顔を上げた。
「そう見えるか?」
「いや、指を食われているように見えるな」
「だよな」
肉屋の袋の代わりに懐に抱えた仔猫は、シルバの指を囓ったまま離そうとする様子がまるでなかった。
特にダメージもないので、シルバもされるに任せている。
冒険者の出入りする食堂や酒場は、魔法使いの使い魔や動物使いの契約モンスターもよく出入りする為、この程度の小動物はフリーパスだ。もちろん粗相をすれば、その始末は飼い主に降りかかる事にはなるが。
「それもあるけど、どうするんだい? 飼うの?」
カナリーの質問は、シルバにとって目下一番の悩み所だった。
「そこなんだよなぁ。ウチのアパートも一応ペットオッケーだけど、留守の間の世話がなぁ……って、どうした、キキョウ?」
それまで黙っていたキキョウの様子に、シルバもようやく気がついた。
よく見ると、頬が紅潮し、尻尾がパタパタと左右に揺れていた。
「……かわゆい」
「え、これ?」
シルバはまだ自分の指を囓り続ける懐の仔猫を見た。
「そ、そ、某も、触ってもよいか?」
「いや、俺は構わないけど、コイツの機嫌次第じゃないか?」
「そ、そうであるな。ぬぬ……」
キキョウが近付こうとすると、仔猫は警戒を強めたのかシルバの指に囓りついたまま、その毛を逆立てる。
「カナリーはどうする?」
「そ、そういうのは、ストレスが溜まるだろう。僕はいいよ」
再び読書に戻ったカナリーは、本から目を離さないまま手を振った。
「……お前んトコの召使いが寄ってきてるんだが」
赤と青の美女はいつの間にか、気配もなくシルバの懐を覗き込んでいた。その様子に、カナリーは慌てて立ち上がった。そのせいでワイングラスが倒れ、本を濡らしてしまう。
「あ、こ、こら、ヴァーミィ、セルシア!? 余計なちょっかいを掛けるんじゃない! あ、本が!? ワインが!?」
「カ、カナリー、あまり大声を出してはこの子が驚く! ……いやしかしシルバ殿。実際、カナリーの言う通り、どうするつもりか。飼うつもりなら某も協力するにやぶさかでないが」
「んんー……正直な所、里親探すのが現実的だよなぁ。今はまだ暇だから良いけど、冒険に出るようになったら、何日も留守になるだろうし」
「さすがに連れて行けぬよな。あとカナリー。触りたければ素直にそう言うがいい。誰も笑わぬから」
「そ、そそ、そんな事はない! 僕は気にしなくていいから、君達で愛でていればいいじゃないか!」
カナリーは、ワインのこぼれたテーブルを拭くので手一杯のようだ。
「かわゆいなぁ……」
立ったまま仔猫を抱いたシルバを、キキョウ、ヴァーミィ、セルシアが取り囲む。大人気である。
ヒイロとタイランが修練場で稽古中だったのが、せめてもの救いだったかも知れないと、シルバは思った。
「……懐いてくれると、もっとかわゆいのだが」
へにゃり、とキキョウの耳も悲しそうに垂れ下がる。
確かに、仔猫はかろうじて大人しいモノの、キキョウや従者達に懐く様子はない。
「結構ハードな人生……いや、猫生歩んでたのかもな。あと、いい加減お前、俺の指から口離せ」
「ソーセージか何かと勘違いしてるんじゃないか?」
ようやくテーブルを拭き終えたカナリーが、改めて椅子に座り直す。
「……まあ、全然痛くないからいいけどな」
「あと、身体も洗った方が良いな。毛が荒れているように見える」
「うん。……やっぱ気になってんじゃん、カナリー」
「そ、そそ、そんな事はない! 見たままを指摘しているだけだ!」
「ほれ」
指を仔猫の口から抜き、両手で抱えたシルバはそれをカナリーに突き出した。
「に」
「……っ!?」
小さな鳴き声に、カナリーは椅子から転げ落ちた。
その反応に、シルバは察する。
「アレ、もしかしてお前……」
「ち、ちち、近づけるな」
「ひょっとして、遠慮してたんじゃなくて、猫、怖い?」
「そ、そそ、そんな事はないぞ!? 昔、初めて蝙蝠変化に成功した時、猫に食べられかけたとか、そんな過去は一切無い! ぜぜ、全然平気だとも!」
シルバは、赤と青の従者を見た。
「……お前らの主人って、苦労してるんだな」
二人は微笑のまま表情を変えないが、それが今は、どこか苦笑のようにシルバには見えた。
「んじゃまー……どうすっかなぁ。やっぱりコイツの身体は洗ってやりたいし、ここは一つ風呂にでも行くかな」
「む」
ピクン、とそれまで垂れていたキキョウの耳が立ち上がった。
「え、キキョウ付いてくんの? 珍しいな」
かなり意外だった。
これまで、こと風呂に関しては何故か一度も同行した事がないのだ。大抵、用事があったり、既にもう入ったなど、間が悪い事が多い。
「う……い、いや、いい。某はもう少しここで飲んでからにする。某に構わず、行ってくれ」
「ぼ、僕も遠慮しておくよ。もう少し飲んでいたいんだ」
キキョウとカナリーは、同時に首を振った。
しょうがないか、と思いながらシルバは腕の中の仔猫に声を掛けた。
「そっか。じゃあ、行くかリフ」
「に?」
「ん、シルバ殿、その子の名前か?」
「まー、一応、名前がないと不便だしなー……あー、いかん。本当に飼う事前提になってきてるかも」
大家さん猫好きだったよなぁ、確か……ちょっと相談してみよう。
そう考えるシルバに、カナリーが声を掛ける。
「その名前は何か由来があるのか」
「いや、昔実家で飼ってた子の名前。別にいいよなー」
「に」
言葉が分かるのか、いいタイミングで仔猫――リフは返事をする。
二人は、風呂に向かう事にした。
都市の北部に温泉の水脈があり、温泉街となっているのだ。
シルバを見送り、キキョウはふと、店の掲示板に目をやった。依頼や街の事件などが、何枚も貼り付けられている。
「時にカナリー」
「何だい、キキョウ」
ワインに濡れ、へばりついたページを嫌そうにめくりながら、カナリーは答える。
「依頼に、面白い調査事件があるんだが。何だか大型の猫型生物が夜な夜な、街中を徘徊しているのだとか。その正体探り、やってみないか」
「あからさまに嫌がらせだな、それは!?」
「はっはっは」
これで割と仲のいい二人だった。
アーミゼスト北部、グラスポート温泉街。
何十かある公衆浴場の中でも、ペット可の男湯にシルバとリフはやってきた。
タオルを腰、桶を脇に湯煙漂う岩作りの温泉に入場する。
「そして温泉な訳だが!」
「に!」
元気よく桶に入ったリフも返事をする。
「風呂が好きか、リフ」
「に!」
「お前はそれでも猫か! もうちょっと嫌がるモノだぞ!」
「に!」
「……まー、暴れられて、手が爪痕だらけになるよりは、よっぽどマシか」
ボヤキながら、まずは身体を洗う事にした。
岩に腰掛けると、リフが尻尾をゆらゆら揺らしながら、自分を見上げているのに気付いた。その視線を追うと、自分の左胸にある大きな傷痕に辿り着く。
「ん、何だ気になるか、これ」
「に」
「昔、死んだ事があってなー。その時の名残だー」
ざばーっとお湯を浴びながら気楽に言う。
「に!?」
リフの毛が逆立った。
ちなみに、完全に貫通している為、背中にまで到達している。
「まあ、今は全然平気だから、問題ないって。それよりお前も洗うから大人しくしろよー」
「にー」
自分の身体と一緒に、リフの毛もワシャワシャと泡立てていく。
薄汚れた毛皮がどんどん白くなっていき、黒いトラ柄も現れてくる。
「つーか目は瞑ってろよ。泡が目に入ると、ちょっとシャレにならん」
「に」
リフは四本足で行儀よく立ったまま、短く返事を返した。
ゆっくりと湯を掛けると、泡が流され真っ白い仔猫の姿が現れる。
「うっし、出来上がり。……うわ、何だこの美人さん」
「に」
思わずシルバはリフを抱え上げた。
「つーか雄? 雌? あ、やっぱり雌か」
「にー!」
リフの蹴りが、シルバの顔面を捕らえた。
「ぐはあ、猫キックっ!?」
それから二人は風呂で小一時間ほど過ごした。
脱衣所で着替えを終え、フロントに出る。
温かい風呂場から出ると、少し肌寒い気もするが、それもまた今のシルバ達には心地いい。
「んー、いい湯だったー」
「に」
「風呂と言えば上がった後の冷たい牛乳!」
シルバは、売店で買った瓶牛乳を高く掲げた。
「に!」
「……お前はぬるいのな。腹下すと困るから」
「にぃ……」
ちょっと残念そうな、リフだった。
公衆浴場を出た所で、バッタリと見知った顔と遭遇した。
「あれ、先輩?」
首からタオルを引っさげた鬼っ子、ヒイロだった。相変わらず、小柄な身体に見合わない大きな骨剣を背負っている。
「おや、ヒイロ」
ヒイロは、シルバの懐を指差した。
「その子、新しい仲間?」
「……俺が言うのもなんだけど、どこまで種族にフリーダムなんだ、お前は。いくら何でもこんな仔猫が、新しいパーティーメンバーな訳あるかい」
「に?」
よく分からない、とリフは首を傾げる。
「うーん、肉球は魅力的だけど、やっぱり解錠技術とかに不安がありそうだよね。そして先輩、その子をボクに」
大きく両手を広げた。
「パスだ! 撫でたい!」
「にぃ……」
あまりにテンションの高いヒイロに、リフはシルバの懐深くに隠れた。
それを落ち着かせるように、シルバはリフの頭を撫でる。
「お前、言っとくけどコイツ、食い物じゃないからな。食うなよ。絶対食うなよ。パスは無しだ。撫でるだけなら構わん」
「大丈夫だってー。いくらボクが肉食だからって、そんな可愛い子、食べる訳ないじゃん」
「に……」
ようやく落ち着いたのか、ひょこっと再びシルバの懐から仔猫は頭を覗かせる。
「大丈夫だぞー。コイツも俺の仲間だから」
「に」
「……おおー。心と心が通じ合ってる? もしかして先輩、この子と精神共有の契約結んじゃってたり?」
「ないない。出来るっちゃー出来るけど、動物との契約は手間掛かるしな。それよりお前も風呂?」
「あ、うん。修練終わったから」
ヒイロは、背後の大きな個室風呂浴場を指差した。
「タイランは? あ、でも道場違うか」
「いや、途中までは一緒だったんだけどね。ただ、タイランはお風呂じゃなくて……」
ヒイロは、向こうを指差した。
シルバとリフが指の先を追うと、小さな鍛冶屋に辿り着く。
ちょうど、そこから大きな鎧がのそり、と出てきた所だった。
タイランは、ノンビリした足取りでこちらにやってくる。
「も、戻りましたー……って、シルバさん?」
タイランの甲冑は、妙に光沢が増していた。
「……な、なるほど。確かにタイランは、風呂入る訳にはいかないよな」
三人と一匹は、一緒に帰る事になった。
リフも横着せず、シルバと並ぶように自分で歩く。
「あ、大体この辺で拾ったんだよな、コイツ」
シルバは木箱の積まれた場所で足を止める。
「酷い飼い主もいたもんだね」
帰り道、リフを拾った経緯を聞いていたヒイロは憤慨する。
しかし、タイランは首を傾げていた。
「……そ、そうでしょうか? どうも、何か違うような気がしますけど……」
「ん? どゆ事、タイラン?」
「いえ……いくら、薄情な飼い主と言っても、その、一匹だけおざなりにこんな所に捨てるでしょうか。あ、いえ、絶対にないとは言い切れませんけど……! その……だったら、拾って下さいみたいな一言とか、毛布とか……」
「いや、それはどうかな。世の中世知辛いから、タイランみたいに優しい人ばかりとは限らんだろう」
「い、いえ、そうじゃなくて……この子一匹だけ、っていうのもどうも気になるというか……まあ、私が気にしても、しょうがないんですけど……」
「兄弟の可能性か」
確かに言われてみれば、シルバもちょっと気にならないではなかった。
「お前、兄弟とかいるの?」
「にぃ……」
リフは元気なさげに鳴くばかりだ。
その時、背後から声が掛けられた。
「き、君達、ちょっといいかな」
振り返ると、眼鏡を掛けた気弱そうな青年が立っていた。
ローブを着ている所を見ると、どこかの魔法使いだろうか。
「ん? あー、タイランのナイスバディに見惚れるのは分かるけど、この子、男の子だよ?」
「は!? あ……えっ……ナ、ナンパなんですか!?」
ヒイロの言葉に、タイランがたまらず後ずさる。
「……瞬間的にそう言う発想出てくる所、ホントスゴイよなお前」
呆れるより、本気で感心するシルバだった。
しかし、どうやら青年の用はタイランではなかったようだ。
「ち、違う! いや、違います。我々が訊ねたいのは、その子の事です」
「コイツ?」
リフは、シルバの足の裏に隠れていた。
「はい!」
「に……」
元気のいい青年の声に、リフはますますシルバの後ろに隠れてしまう。
リフが喋れるはずもなく、シルバが代わりに訊ねる。
「どういう事でしょう。この子の飼い主なんですか?」
「えー」
ヒイロは眉を寄せた。
「そ、そうなんです! ああ、ホントどこに逃げたのかと思ったら……本当によかった」
彼は、心底安堵している様子だった。
が、シルバは逆に警戒していた。
明らかにリフは怯えているようだ。
それに、青年の手首に冒険者の証であるブレスレットはない。にも関わらず、懐が不自然に膨らんでいるのだ。
……銃を持ってる?
それを、二人にも精神念話で伝えてみた。
(……まあ、自衛の為に武器を持ってる人だってそりゃいるだろうけど、なぁ……どう思うよ、二人とも)
(怪しい)
ヒイロは断言した。
(根拠は)
(ない。強いて言えば、ずっと目が笑ってない点、かな)
(あの……ちょっといいですか? 初めて会った時からずっと気になってたんですけど……)
(何だ、タイラン?)
(……その子、猫じゃないです)
「「うん?」」
たまらず、ヒイロと一緒にシルバはタイランを見上げていた。
(……その子、霊獣です。リフちゃんの話ですと、彼らは自分を捕まえに来たそうです)
霊獣。
霊山や森の奥深くに住む、半精霊の獣だ。
知性は相当に高く、中には人語を話すモノもいるという。
精霊を信仰するモノ達にとっては、半分神のような尊い存在として崇められてもいる。
希少種であり、みだりに人が触れていい存在ではない。
もちろん、飼うなどもっての他だ。下手をすれば、子を掠われた事に気付いた親が里に下りてきて、大暴れしてしまうだろう。
ただ、疑問は残る。
何故、それがタイランに分かるのか、だ。
(その話は後でしますので……それに、相手も焦っているようにも、見えますし……)
確かによく観察してみると、しきりに目を泳がせて周囲を気にしているようだし、ソワソワしている。
一度そう考えてしまうと、何だか目の前の青年がより一層、胡散臭く感じられてきた。
シルバはリフを拾い上げると、彼女は慌てて懐に飛び込んだ。
「あの……?」
青年は、怪訝そうな表情をした。
突然、ヒイロは背後を振り返って、骨剣を抜いた。
「何かいる!」
その叫びに、少し離れた場所で様子を伺っていたローブ姿の男が二人、動揺した。
しかも一人は懐に手をやっている。
チラッと覗いた柄は、やはり拳銃のモノだった。
「こんな街中で、銃を抜く気か!!」
シルバが大声で叫ぶと、一瞬彼らは躊躇した。
「逃げよう!」
「あいさ!」
「し、殿は私が……っ!」
三人は、すぐ脇の路地に飛び込んだ。
「待て!」
「その台詞で待った事のある奴って、今までいるのかなぁ……」
背後からの声に、真ん中を駆けていたヒイロが思わず感想を漏らした。
拳銃の音が響くが、タイランの甲冑がすべて弾き、カキンカキンと金属質な音を鳴らした。
「あああ……せっかく、磨いてもらったばかりなのにぃ……」
タイランは泣きそうな声を上げていた。
先頭を駆けるシルバは振り返る余裕などなく、ひたすら路地を駆け抜ける。
もう少しで、通りに抜ける。
その時、路地全体に大きな声が響いた。
「それは儂のじゃあっ!」
唐突に地面が揺れ、盛り上がった。
「足下ーっ!?」
大地を貫き路地狭しと出現したのは、五メルトはあろうかというタイランを圧倒的に上回る巨大な甲冑だった。
地面の下から現れた甲冑は、指示を与える事で動く機械式の鎧、いわゆる自動鎧と呼ばれる兵器だろう。
イメージ的には寸胴鍋に逆さまにして丸い目を描いたバケツを乗っけて、太い手足を付けたような外観だ。
その背中から白衣を着た鷲鼻の老人が降り、背後に回る。爆発したような白髪が印象的だ。
どうやら、路地を突破するには、目の前の自動鎧を何とかするしかなさそうだった。
「ヒイロは正面の鎧、タイランは後ろのローブ連中で対応! 連中の目的は、リフにある。絶対死守な!」
「うん!」
「りょ、了解です……!」
ヒイロが骨剣を構え、自動鎧に相対する。
次に懐にリフを入れたシルバ。
タイランも足を止め、後方のローブ連中に向き直った。
正面、自動鎧の股の間から、老人が不敵な笑みを浮かべる。
「……ほう、儂に刃向かうというのか。じゃが! ソイツは苦労して手に入れたんじゃ! 貴様らには絶対やらん! やれ、モンブラン四号!」
「ガ……!」
自動鎧、モンブラン四号が短い唸り声を上げる。
「っしゃあっ!」
その横っ面を、跳躍したヒイロの骨剣が張り倒した。
「ガガ……ッ!?」
「ま、待てこの礼儀知らずが! 名乗りぐらい挙げさせんか!」
さすがに、老人が慌てる。
しかし、ヒイロのペースは崩れない。
「勝負の世界にそんなモン、無用無用無用!」
二撃、三撃と骨剣による重い攻撃を繰り出していく。モンブラン四号はかろうじて、それを腕であしらっているが、劣勢なのは明らかだ。
「くっ……何という非常識な! これじゃからガキは嫌いなんじゃ! もうよい! まずは其奴を始末し、霊獣を手に入れるのじゃ! 貴様らも気張るのじゃぞ!」
ビシッとタイランと向き合っている、ローブの男達に老人は叫んだ。
「せ、先生! その事はあまり大声で言わないで下さい!」
銃を構えながら、彼らはフードを被った。
「やかまっしゃい! 無駄口叩いてる暇があったら――」
「――戦えっつー話だよね!」
老人の言葉を、ヒイロが引き継いだ。
そのまま、モンブラン四号の腕を弾き上げ、足下にダメージを与えていく。
「ガガッ……!」
「おお、意外にやる……」
こっちは大丈夫そうだなと判断し、シルバはタイランに振り返った。
「タイラン、大丈夫か? 自分の身体優先。一人ずつやっていけば、大丈夫だから」
「は、はい……いきます」
斧槍を構え、タイランはのそりと踏み出す。
「来るぞ、撃て!」
眼鏡の青年の指示で、三人の男が一斉に引き金を引くが、タイランの鎧はあっさりと銃弾を弾いていた。
しかも銃は単発式で、新たな装填に時間が掛かる。
相手をするのは、タイラン一人でもそれほど難しくなさそうだ。
「つーかやっぱりここはまあ、{豪拳/コングル}!」
背後にいるヒイロに、シルバは攻撃力を強化させた。
「ういっし!」
「ガガ、ガ……ガ……!」
モンブラン四号はかろうじて踏ん張ってはいるモノの、いよいよヒイロの猛攻を捌ききれなくなってくる。胴体や手足に何度も打撃を受け、足が下がっていく。
しかし、それでもヒイロも決定打には到らない。外見に相応しく、相当重い上、頑丈に出来ているようだ。
「出来れば、掩護射撃が欲しい所だけど……」
欲を言えばキリがない。
シルバ自身は、火力がないのだ。そしてもう一つの戦力たるタイランは今、別の敵を相手にしている。
ここはもう一つ、ヒイロに{豪拳/コングル}を重ねるか……シルバがそう考えていると。
「に……」
懐でリフが鳴き、シルバを見上げていた。
「ん?」
「……っ!」
リフがモンブラン四号に向き、小さく口を開いた。
口元から緑色の光が生じたかと思うと、その塊が自動鎧を直撃した。
「ガ……?」
「ぬおぅっ!?」
副次的に生じた爆風に、たまらずシルバやヒイロも顔を覆う。
驚いていないのはリフ本人と、タイランだけだった。
「精霊砲です! リフちゃん、お願いします!」
「に!」
二発目の精霊砲が、モンブラン四号の胴体にぶち込まれる。
「おぉー……やるな、お前」
「にぃ」
「こっちももういっちょ!」
鈍い音と共に、ヒイロも勢いよく振りかぶった骨剣を、自動鎧にぶち込んでいく。
「ガガ……ガ……ガ……」
「カカ……さすがの儂も少しビックリしたが、残念じゃったな」
明らかに不利だというのに、老人は笑っていた。
三発目の精霊砲がモンブラン四号に当たった辺りで、ようやくシルバも気がついた。確かにリフの砲撃は直撃している。しかし、まるでダメージを受けた様子がないのだ。
四号も、ヒイロへの対応にのみ集中している。
「無傷!? ……絶魔コーティングか!」
「その通り! 儂のモンブラン四号に隙はなしじゃ!」
「にぃ……」
自分の効かないのが残念なのか、リフは両耳を倒してしまう。
だが、シルバはそのリフの頭を撫でた。
「いや、いい。そのままお前はヒイロを支援」
「……に?」
「無駄じゃと言っておる」
「そうか? もう一発だ、リフ!」
「にぃっ!」
新たな砲撃が、モンブラン四号にぶち込まれる。
攻撃が効かない為、それ自体には構っていないが、動きは明らかに鈍くなっていた。
「ど、どうした、四号!? 調子が悪いのか!?」
そして、ようやく気がついた。
「……そうか、目眩まし!」
砲撃に合わせて、ヒイロの骨剣が確実にモンブラン四号に叩き込まれていく。
「その、通り! 火力攻撃だけが、支援じゃねーよ!」
「にぃっ!」
言いながら、シルバはヒイロに念波で指示を送った。
(まずは、リフを守るのが最優先。ヒイロは、タイランが後ろの連中を倒しきるまで、気張ってくれ)
(そりゃもちろんそーするけど……)
大きく踏み込みフルスイングした骨剣が、自動鎧の膝をへこませる。
「別に倒しても、問題ないよね!」
「ガ……!」
たまらず、モンブラン四号は跪いた。
「な、何をやっている、モンブラン四号! しっかりせんか!」
「ガ!」
立ち上がった四号は、勢いよく拳を突き出した。攻撃途中だったヒイロは崩した体勢のまま、とっさに回避に移る。
それが幸いした。
拳が、飛んできた。
「うひゃあっ!?」
間に合わず、骨剣を盾に防御する。
巨大な拳がヒイロを直撃し、そのまま真後ろにいたシルバとリフも巻き込んだ。
「ぬおわっ!?」
「にぃっ!?」
そして、そのまま二人と一匹は、タイランの背中にぶち当たった。
「ひぁっ!?」
いいタイミングで体格のいいローブの男の一人が、石の突き刺さった鉄骨をハンマー代わりにし、タイランに襲ってきた。
「うあ……っ!?」
頭を強打され、タイランはたまらずたたらを踏んだが、それでも何とか持ちこたえる。
「くっ、惜しい……! 今のはよかったぞ、四号!」
「ガ!」
飛んだ拳はどうやら腕部とワイヤーで繋がっているらしく、勢いよく引き戻された。
「あ、危なー……ビックリしたぁ」
シルバをクッション代わりにしていた為、ヒイロのダメージはほとんどない。
「ビ、ビックリしたのはこっちだっつーの! いきなり受けんな!」
「にぃっ!」
「や、悪い悪い。それよりタイランのサポートよろしく」
よっと立ち上がり、ヒイロは改めて自動鎧に突撃していった。
一方、背後の方が問題だった。
「今だ! 態勢を崩している隙に、畳み掛けろ!」
どうやら増援が来たらしく、四、五人の男達が鈍器を手に、タイランに迫る。
「わ、や、ち、近付かないで下さい!」
さすがにこの人数を、タイラン一人で捌くのは骨だ。
「タイラン、加速薬追加する!!」
シルバが袖から瓶を一本引き下ろし、タイランの頭に振りかけた。
その液の浸透と共に、敵の動きが鈍くなったように、タイランには思えた。
正面の男の武器を払い、次の男に蹴りを入れて吹き飛ばす。
「ぐ……っ!」
「うあっ!?」
二人の男が同時に崩れ落ちる。
「れ、練習通り、出来ました……」
しかし。
「{爆砲/バンドー}っ!」
詠唱を終えた眼鏡の青年が、魔法を放った。
「シルバさん!」
「そのまま受けろ、タイラン! 防御の必要なしで、次の相手だ!」
「は、はい!」
とっさに魔法を防御しそうになるタイランだったが、シルバの言葉に反応して一番近くの敵に狙いを定める。
「……何だと!?」
爆撃がタイランを直撃する寸前、巨大鎧を覆う絶魔コーティングがそれらを無効化してしまっていた。そのまま突き出した斧槍が、新たに一人、ローブの男を倒していた。
「落ち着けよ、タイラン。さっきも言った通り、順番にやれば大丈夫。お前の防御力なら、大抵の敵は大丈夫」
背中からの言葉が、タイランには心強かった。
「た、助かります……!」
「いや、これが、俺の仕事だから。にしてもトンデモないな、コイツら。――街中なのに、何考えてやがる爺さん!」
「まったくじゃ!」
シルバの糾弾に、何故か老人も同調していた。
「……あ、あれ?」
「馬鹿者共が! 霊獣が死んだらどうするのじゃ!」
あ、その心配ね、とシルバは納得した。
「し、しかしこのままでは時間が……」
「よい、それはこちらで何とかする! 当てれば、儂の方が強い! ならば我がモンブラン四号の本領発揮じゃい! ゆくぞ、無敵モード!」
「ガ!」
老人の宣言と共に、モンブラン四号の身体から見えない何かが放たれた。
「うん……?」
不可視の力場を感じ取り、シルバはわずかに顔をしかめた。
しかしそれがどういう効果を持つのか分からない。
いや、すぐに分かった。
「うわっ!?」
それまで攻撃一辺倒だったヒイロが、おぼつかない足取りで後退してきた。
「どうした、ヒイロ!?」
何せヒイロは防御をほとんどしないので、既に打撲跡でいっぱいだ。シルバが回復の祝福を与えると外見の傷はあっという間に治ってしまうが、心の動揺までは癒せない。
「な、何かゴムみたいな見えない壁に邪魔された!」
無敵モードの宣言と同時に、突然ヒイロの攻撃が弾かれてしまったのだ。
その衝撃に、ヒイロの手は小刻みに震えていた。
まるで、分厚いゴムのような感触だった。
「おっとノンビリしとる場合か?」
「え」
老人の言葉と同時に、ヒイロの身体を濃い影が包み込む。
そして真上から、四号の鋼の拳が大槌のように勢いよく振り下ろされた。
「……っ!?」
直後、ヒイロの身体が粉砕された地面に埋没した。
モンブラン四号の背後で、老人は勝ち誇った。
「カカカ! よし、残るは司祭だけじゃ! さっさと終わらせて撤収するぞい!」
「ガ!」
四号の目が、シルバに標準を合わせる。
しかし、シルバは焦らなかった。
「ソイツはどうかな」
「だはぁっ!」
大きな息を吐く声と共に、地面にめり込んだモンブラン四号の巨大な拳が持ち上がった。
「何ぃ!?」
「今のはちょっと痛かったぞ、コンチクショーモー」
骨剣を杖にしながら、穴から這い上がってきたのは土まみれになったヒイロだった。相当頭に来ているのか、額の二本角が伸び、全身が赤銅色に変化していた。
「馬鹿な……我が四号の攻撃を食らって無事なはずが……ハッ!? 小僧、貴様の仕業か!?」
シルバは否定しなかった。実際、ヒイロが潰される直前に放った{大盾/ラシルド}が、どうやら間一髪間にあってくれたらしい。
……今のヒイロの土まみれからは、ちょっと分からないかもしれないが。
「それが俺の仕事だからな! {崩壁/シルダン}!!」
指を鳴らし、正面の自動鎧に呪文を放った。
「ぬう……っ!?」
四号から、ガラスの割れるような音が響き渡る。
「手応えあり! いけ、ヒイロ!」
「あいさーっ!!」
骨剣を大きく振るい、一直線に突撃する。
「じゃが、甘い」
モンブラン四号を中心に放たれる、不可視の力場は健在。それが、ヒイロの骨剣を弾き――
「ぬうぅっ!!」
――飛ばされるのを力尽くで押さえ込み、半ば足を地面に埋めた状態でヒイロはなおも前に進む。
「くっ……」
しかしそれも長く持たず、結局、再びヒイロの攻撃は見えない盾に防がれてしまった。たまらず後退し、ヒイロのすぐ傍に待機する。
「……攻撃完全無効化?」
回復の祝福をヒイロに与えながら、シルバが眉根を寄せる。
「完全、じゃないよ、先輩」
ズン、とヒイロは骨剣を正面の地面に振り下ろした。
「ちょっとだけ、効いてる」
「おー」
なるほど、言われてみれば確かに、今ヒイロが攻撃を仕掛けた四号の膝が、わずかに火花を上げていた。
「何ぃっ!? 儂の無敵モードに傷を負わせたじゃと!? 貴様まさか……」
老人は動揺したが、慌てて口をつぐんだ。
「と、とにかく小僧、貴様の攻撃はまず効かん! 我がモンブラン四号の無敵モード思う存分味わうがよい! 今度はコチラの反撃じゃあ!」
「ガ!」
モンブラン四号が、ジャキンと拳を構える。
轟、と巨大な拳が飛んできた。
「二回も同じ手は通じないよ!」
ヒイロは防御せず、両手で持つ骨剣の力を引き絞りながら突進する。
シルバの{大盾/ラシルド}が敵の拳を弾き、突進の威力をやや弱めながらもヒイロは突き進む。
しかしそれでも、老人は余裕の笑みを崩さなかった。
「まったく同感じゃい!」
四号のもう一方の手に、見覚えのある眩い光が収束しつつあった。
「二回攻撃!?」
シルバは自分の失敗を悟った。
敵の精霊砲だ。
{大盾/ラシルド}は間に合わない。かといって{小盾/リシルド}では足りない。
「に!」
リフの鳴き声に、シルバは動いていた。
「ちいっ!」
急ブレーキを掛けた、ヒイロの前に回り込む。
「先輩!?」
「何じゃとぉ!? 貴様、霊獣がどうなってもよいのか!」
「やれ、リフ!」
「に!」
シルバの懐から、リフの精霊砲が放たれる。
二つの光の束がぶつかり合い、その威力に溜まらずシルバは吹き飛ばされた。当然後ろのヒイロも巻き込まれる。
何か、スゴイ重い音がした。
「ぐっ……」
「にぃ」
シルバ自身はかろうじて、受け身を取れた。リフもノーダメージだ。
ただし、ヒイロが目を回していた。
「ふやぁ……」
……どうやらさっきの鈍い音は、地面に後頭部を打ち付けた音だったようだ。
「シルバさん、大丈夫ですか?」
まだ敵と戦闘継続状態にある、タイランが斧槍を振り回しながら訊ねてきた。
「ああ、何とか。……ヒイロは魔法系攻撃にゃ極端に弱いからな。俺が盾になった方がマシなぐらいだし。リフも相殺助かった」
「に」
ヒイロが目を回しているだけで済んでるのが、御の字だ。
リフの鳴き声がなければ、シルバだってこんな無茶はしなかっただろう。
「じゃが、これで霊獣を守る盾はなくなった。これで詰みじゃな。ソイツを倒してトドメじゃ、四号!」
「ガ!」
力場を解除したのだろう、四号から感じられる圧力が消失する。
重い足取りと共に、自動鎧が近付いてくる。
確かに、こちらの最大火力が現在、絶賛不能中だ。それでもシルバは余裕を崩さなかった。
「そいつはどうかな?」
「何?」
指を鳴らす。
「……{豪拳/コングル}」
「ほう、貴様がやるというのか」
「いや……」
ヒイロの襟首を掴みながら、自分はタイランの鋼の襟元を半ばぶら下がる形に掴んだ。
「……タイラン、頼む。ちょっと重いけど、強行突破だ!」
「あ……! はい!」
ローブの男は残り二人。
タイランはシルバの意図を察し、真っ直ぐ駆け出した。
「な……っ!?」
突然の相手の突進に、ローブの男達がバランスを崩す。
そんな彼らにタックルを食らわせながら、タイランは路地の出口を目指した。
「うわぁっ!?」
「ぐはぁっ!? くっ、ま、待て!」
何とか銃を向けようとする敵に、リフの鳴き声が響く。
「に!」
路地に生えた短い雑草が突然シュルシュルと伸び、ローブの男達の足に絡みついた。
「な……何だ……雑草が!?」
「何をやっておる! 小さいといえども霊獣じゃぞ! それぐらいお前達も知っておるじゃろが! しっかり足止めせんかっ!」
「は、はい……!」
彼らは懸命に振り払おうとするが、雑草は予想以上の強靱さで、その動きを阻む。
業を煮やした老人は、最も頼りになる部下に声を上げた。
「くっ、頼りにならん連中じゃ! 四号追え!」
「ガ……! ガ……ガガ……ッ」
だが、四号も限界だった。
身体を小刻みに揺らし、活動限界が近い事を訴える。
「くそっ、こっちはこっちで、やはり精霊石では出力が足りぬか……! おのれ……」
老人は地団駄を踏んだ。
「先生、警吏が来ます!」
雑草に足をからまれたまま、眼鏡の青年が叫んだ。
「ええい、撤収じゃ撤収! 皆、そんなモノはさっさと焼き切って、逃げるぞ!」
「はい!」
通りを駆けていたタイランの足がようやく緩む。
シルバも{豪拳/コングル}の効果がなくなり、一気に腕にヒイロ一人分の負荷が掛かってくる。
「……まあ、勝負には負けたけど、任務は達したって所かな」
地面に着地しながら、シルバは大きく息を吐いた。
せっかく風呂に入ったのに、もう泥だらけの傷だらけだ。
「お、お疲れ様でした」
「タイランも」
シルバがタイランの背中を拳で叩くと、リフが懐から見上げていた。
「に……」
「あと、リフもな。……ヒイロは起きてからでいいか。とにかく一端、食堂に戻ろう。タイランのいう霊獣の話も聞きたいし」
「……はい」
「……にぃ」
まだ気絶しているヒイロをタイランが背負い、三人と一匹は仲間の待つ食堂に向かった。
食堂『朝務亭』に戻ったシルバ達は、衣服の汚れもそのまま、風呂帰りの騒動をキキョウとカナリーに説明した。
既に司教であり学習院の先生でもあるストア・カプリスには同じ内容を話し終えている。雑事を全部預かってくれた彼女は今頃、教会所属の警吏らを引き連れて路地に向かっているはずだ。
時刻は既に日も沈みつつある夕刻。
空腹だったシルバらは、そのまま夕餉に移行していた。
「――という事がありましたとさ。おーい、キキョウ大丈夫か?」
海老フライを囓りながら、シルバは何だか妙に凹んでいるキキョウを見た。尻尾も元気なく、へにゃりと垂れ下がっている。
「ぬうぅ……シルバ殿が危難に遭っていたというのに、某は呑気に飯を食っていたとは……何という不覚」
「んな事言ったって、助けを求めようにも精神念話の距離にだって限界があるんだし、しょうがないだろ。終わった事言っても始まらないって。まあ、それよりもうちょい飯欲しいかな」
パンが切れ、シルバはウェイトレスを呼んだ。
その足下で蒸し魚を食べ終えたリフも、顔を上げた。
「に」
「おっ、お前もおかわりか。食う子と寝る子はよく育つぞ。しっかり食え」
サラダから小エビを幾つか取ると、リフの皿に置く。
「にぃ」
一声鳴くと、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら白い仔猫は小エビを食べ始めた。
トマト煮込みのパスタを食べていたカナリーが、タイランの方を向く。
「それで、タイラン。君の話ではこの子は霊獣だという話だけど……」
「は、はい……」
タイランがストローから口を離す。口と言っても空気口だが。
水の入ったジョッキをテーブルに置くタイランを、シルバが制した。
「あ、ちょっと話、待ってくれ。こういうのは、本人から聞いた方がいいだろう?」
「そ、そうしてもらえると、助かります……私、口下手で……」
「む、どうする気だ、シルバ殿」
ボソボソと焼き魚をほぐしていたキキョウも、ようやく復活してきたようだ。
「リフと、精神共有の契約をする。つーか動物相手はちょっと印が複雑でなー」
食事を中断し、指でやや長い印を切る。
指先に灯る青い光芒が軌跡を描き、契約の紋章が完成した。
「よし、出来た。リフ、ちょっとその皿から顔上げろ」
「に?」
指先をリフの額に当て、精神共有の紋章を浸透させる。
視線を合わせる事で、互いの精神が繋がるのをシルバは感じていた。
そして、リフと皿をテーブルの端に上げた。
「――はい、契約完了。全員チャンネルオープンにするから、普通に話していいぞ」
さっきからひたすら骨付き肉を食べ続けていたヒイロが、首を傾げた。今ので八本目だ。
「はに? 喋らなくても、念話でいけるんじゃないの?」
「……そりゃ出来るけど、そうなると、えらい殺伐としたテーブルになるぞ、ここ。全員黙って仔猫を凝視してるテーブルを、ちょっと想像してみろよ」
「た、確かに、ちょっと怪しいかも」
「いいからお前は飯に専念してろ。相当頑張ったし、疲れたろ?」
「疲れたってより、やっぱり運動した分、お腹が空いてしょうがないかなぁ。んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうねー」
「そうしててくれ。で、リフ、事情を話してもらえるか?」
「…………」
しかし、リフはシルバの顔を見上げたまま、無言だった。
「ん?」
「失敗かい、シルバ?」
カナリーの問いに、シルバは自信なく首を振った。
「いや……そんなはずは……」
不意に、頭に舌足らずな声が響いた。
(……話していい?)
どうやらこれが、リフの意識の声らしい。
「いいぞ。事情の説明、始めてくれ」
(ん)
それからリフは沈黙した。どうやら、頭の中でまとめているらしい。
シルバは待ちながら、タイランに確かめてみる事にした。
(なあ、タイラン。もしかして、コイツ)
(……はい、元々無口っぽいんです、この子)
(……やっぱり)
そして、リフは語り始めた。
(注:鳴き声が台詞となります)
「に。リフは、山からきた」
「待った。いきなり話の腰を折って悪いけど、お前、その名前でいいのか? 本当の名前は?」
「リフでいい。リフは、気に入ってる」
「そ、そうか。ならいいんだけど。続きを頼む」
「母上はもう精霊王の元に帰ったと、父上に聞いてる。だから、リフは兄弟達と父上に育てられた」
最後の骨付き肉を頬張っていたヒイロが、シルバの袖を引っ張った。
「モグ……ねえねえ、せいれーおーのもとに帰ったって、どういう意味?」
「もう、亡くなってるって意味だ。飯はもういいのか?」
「まだまだっ。もー、いくらでも入るね。ウェイトレスさーん、お肉もう十本追加ー」
「十本て」
「リフも、おかわり。おさかなふらい」
「はいはい。水もな」
「に」
食事をしながらの、話は続く。
「けど、ずっと山にいるのも飽きて、父上の言いつけを破ってみんなで麓の森に下りた。楽しかったけど、捕まった」
「その、捕まったってのが、さっきの連中か」
「うん」
しょぼん、とリフの耳が項垂れる。
「……兄弟、まだみんな捕まったまま。リフだけ逃げられた」
「どうするつもりだったんだ?」
「……山に戻って、父上に謝る。それからみんなを、取り返してもらうつもりだった」
「冷静だな」
「連中つよい。リフ一人じゃ、たぶんむり……悔しいけど、また捕まるの、ぜったいだめ。リフは残ったみんなの希望だから」
「なるほどね……」
皿の肉を全部食べ終え、暇になったヒイロが唸った。
「んー……そうなると、アレだよね。ボクとしてはリベンジしたかったんだけど、この子を山に送り返す方がいい?」
コイツの腹は一体どうなっているんだろうとか思いながら、シルバは同意する。全然膨れたように見えない。
「そりゃ、そうだ。親が来たら、えらい事だぞ。どのぐらいの格の霊獣かにもよるけど、下手な相手だと、この都市が半壊する」
「そんなすごいんだ」
「一年ほど前、クスノハ遺跡に現れたという怪物も、霊獣という噂らしいな」
ワイングラスを傾けるカナリーの言葉に、「ぶ……っ!」とキキョウが水を噴き出した。だ、大丈夫か、と心配するシルバを余所に、ヒイロが興味を持った。
「何それ、カナリー? どこの話?」
「この都市からだと、そうは離れていないな。せいぜい歩いて二時間と言った所にある遺跡に突然現れ、遺跡を根こそぎ粉砕して消え去ったという巨大な獣の噂さ。もっとも、僕も伝聞でしかないがね。僕が訪れた現場は、もはや獣の痕跡もない、単なる廃墟だったし」
「霊獣っていうのは、半分精霊状態にある、知性の高い獣でな」
前述の通り、霊獣にも格が存在し、それほど位の高くない霊獣なら、ちょっとした山の奥深くで見つける事が出来る。
もっともそれでもかなり、遭遇には困難が伴うのだが。
霊獣はその角や肉に高い薬の効果があるとされ、また希少種故、生きたままでも好事家達のペットとしても、高値で取引される。
その一方で、霊獣と呼ばれるからには精霊としての力は相当高く、弱い霊獣でも小型の自然現象、強力な霊獣が激怒したならそれは自然災害を一つ丸ごと相手にするようなモノである。
そして、リフの父親は、その強力な方に該当するらしい。
「父上強い。怒るとすごくこわい」
「と、取りなしは頼む。悪いのはお前を捕まえた奴らであって、一般人を巻き込むのはちょっと……」
「言ってはみる」
「助かるよ」
卑屈を自覚しながらも、なりふり構っていられないシルバであった。
カナリーがワイングラスをテーブルに置いた。
「ちょっと待ってくれ、シルバ。ちょっと気になる事がある」
立ち上がり、掲示板を目指す。
「奇遇だな、カナリー。某も同じ事を言おうとした」
「な、何だよ?」
「これ」
カナリーは掲示板から張り紙を一枚はがし、それをシルバに投げた。
飛来するそれを受け取り、シルバはそれを見た。興味があるのか、リフもその手元を覗き込もうとする。
「……大型の猫型生物現る……」
少し考え、シルバは首を振った。
「いや。確かにタイミング的にピッタリだけど、これがリフのお父さんとは限らないだろ? リフは、どう思う?」
「うん、分からない」
リフは頷き、しょぼんとする。
「山下りちゃ駄目って、父上言った。言いつけ守らなかったリフ達、こんなトコ連れてこられた。だから、父上は来ないと思う」
「……いや、それはどうだろう。お前のお父さんの事はまだ全然知らないけど、親なら来るよ」
「そうなの?」
「うん、多分。というかもう来ているかもしれない」
リフの頭を撫でながら、シルバは考える。ちなみにキキョウが何だか羨ましそうにしていたが、シルバは全然気付く様子がなかった。
「これと接触してみるのが一番だけど、もし全然違う件だったら時間の無駄だ。例えば、どっかの金持ちが趣味で飼ってた大型獣の脱走とか、あり得ない話じゃない」
「可能性はそれなりに高いけど……」
カナリーの言葉も、考えを口にしただけだろう。シルバは頷きながらも、肯定はしなかった。
「確定じゃない。何より、霊獣に礼儀を示すなら、コイツを山まで送り返すのが一番いい」
「……うん、それについては僕も同感だな」
「リフもそう思う」
「連中に、背を向けるのはシャクだけどねー」
湯気を立てる新しく来た骨付き肉を手に取りながら、ヒイロがぼやく。
「我慢しろヒイロ。まずは、この子の身の安全が第一だ」
「うん、分かってる。それにもしかしたら、連中が追いかけてくるかも知れないしね」
それをちょっと期待している風なヒイロだった。
「だな。それでリフ。お前の住んでた山の名前って分かるか?」
「ヒトはみんな、モースって呼んでた」
ひく、と表情を引きつらせたのは、シルバとカナリーだった。
「……モースって」
「東にある、あの、モース霊山かい、リフ?」
「うん」
リフの頷きに、二人はテーブルに突っ伏した。
「ど、どうした、シルバ殿、カナリー! 急に頭を抱えて!?」
「……あの、さ、リフ。もしかしてお前のお父さん、名前、フィリオって言うんじゃないか?」
出来ればそうあっては欲しくない、という願いを込めながら、シルバは呻くように訊ねた。
「? うん」
その返事に、シルバは唯一心境を共有できる、カナリーに弱々しい笑いを向けた。
「マジか? おい、マジか?」
「……あああああ。白い獣……山……草木を操る……何で僕は気付かなかったんだ、この無能……」
一方カナリーは、ガンガンと額をテーブルに打ち付けていた。
「よ、よく分からないが、何か問題でもあるのか、二人とも?」
他の者には、何が問題なのか分からない。
「要するに」
シルバは、リフの顎下を撫でた。リフは気持ちよさそうに眼を細める。
「この子はすっげええらい霊獣の娘です」
「ああ。霊獣と言っても色々格がある訳だけど、その中でも相当に有名なね」
眼を細めていたリフが、小首を傾げた。
「よく、分からない。リフはリフ」
剣士であるキキョウが知らないのも無理はない。
モース霊山はむしろ魔法使いの間で有名な霊力の高い土地であり、未知の生態系、薄靄に包まれた麓の深い森と高い山はいまだ秘境とされている。
亜神と呼ばれる半精霊体を志す修行者達にとっては聖地の一つでもあり、その山の守護者として崇められているのが巨大な白き剣牙虎フィリオ。
つまり、リフのいう父親がそれであり……要するにとてもおっかない獣なのだ。
その子供達を掠ったというのだから、あの老人達にも恐れ入る。
モース霊山は、密猟者達にとっても、宝の山である。一攫千金を狙って、霊獣を掠う輩がいても、おかしくはない。
「問題はさ、カナリー。それを理解した上であの爺さん連中がリフ達を掠ったのかどうかだよな」
「もし知っててやったんなら、神をも恐れん所行だよ。吸血鬼である僕が神を語るのも、おかしな話だけどね」
「つまりシルバ殿、リフは姫君のような立場にあると解釈して、よいのか?」
「ついでにまだ掠われたままの兄弟は、王子王女になるな」
シルバは顔をしかめ、こめかみを揉んだ。
「何てモノ掠いやがる。こりゃ、一刻の猶予もないぞ。すぐにでも出発しないと」
「だな」
事の重大さが分かっているカナリーも、準備の為立ち上がった。
もしも霊獣フィリオがリフ達を取り戻しに来たら……都市半壊どころでは済まない。地図上から消滅する可能性もある。
すると、今までほとんど発言していなかったタイランが、手を挙げた。
「あ、あの……っ」
いつもなら、オドオドと小さく挙げる手が、今回ばかりは勢いよかった。何かよほど言いたい事があるのだろう。
「どうした、タイラン?」
「何故、リフちゃんは掠われたんでしょうか」
「そりゃ……普通、金目当てじゃないか?」
「……ああ。希少種である霊獣は、相当高値で売れるしね。いや、本人を前にする話じゃないなこれは。失礼した」
カナリーの謝罪に、リフは首を振った。
「いい。気にしてない」
「つまり、シルバ殿は常識的に考えるなら密輸の線が一番可能性が高いと?」
「そういう事だけど……」
しかし、タイランは違う見解を持っているようだった。
「あの老人、見覚えがあるんです……ウチで……名前がもうちょっとで……」
唸るタイランの方を、リフが向いた。
「クロップ」
「え」
タイランが、リフを見る。
「他の人達、そう呼んでた」
「クロップ! 思い出しました! あ、あの人です! 父の知り合いの!」
珍しくよほど興奮しているのか、タイランは両手を合わせて立ち上がった。
「お、落ち着けよ、タイラン。誰だ、そのクロップって?」
シルバも知らない名前だったが、カナリーが考え込む風な表情で呟いた。
「クロップ……精霊砲を使った兵器……とすると、精霊機関の権威、錬金術師のテュポン・クロップかい、タイラン?」
「はい、その、クロップ氏です」
「有名なのかよ、カナリー」
「ああ。僕もそれほど詳しい事は知らないけど、サフォイア連合国出身で、相当な変わり者だったと聞く。数年前の話になるけど、確か所属してた錬金術師ギルドの保管してた一山ほどもある精霊石、全部自分の精霊機関にぶち込んだんだっけ?」
充分知っているカナリーだった。
「は、はい……その、自分の精霊機関の優秀さを実証する為に。確かに優れた機関で、無謀とも思える石の投入にも耐えましたが……その代わり本人はギルドどころかサフォイア連合国そのモノから追放されたそうです……何せ、ありったけの精霊石を、自分の研究の為だけに使い切っちゃいましたから……」
なるほど、自動鎧で地面ぶち抜いて、襲いかかってきただけの事はある。
「……また、とんでもない爺様だったんだな。確か精霊石って一つで相当な高値だったはずだろ?」
「ですから、もし研究を続けていたとしても、どこかの組織に属する事は出来ず、細々とやっているはずだったんですが……」
「この、アーミゼストに現れた」
「はい」
タイランの肯定に、シルバの頭の中でも繋がってくる。
「精霊機関の研究者、それにリスクを冒してでも手に入れた霊獣……つまり、タイランが心配しているのは、そういう事か?」
「……はい」
カナリーも気付いたようだ。
キキョウは眉を寄せているが、ヒイロは明らかに分かっていないようだった。
「どゆ事?」
「俺はてっきり、密輸とかの心配をしてたんだが、状況はもっと悪いって話。爺さんが研究を進めていた精霊機関の核ってのは、つまり精霊そのモノなんだよ。だけど、精霊ってのはなかなか安定しないのが欠点でな。だから、通常は精霊石っていう結晶化されたモノが使われる。確か、人工的な精霊石の開発も進められているほどだ」
シルバは一拍おいて、水を飲んだ。緊張のあまり、喉が渇いてしょうがない。
「だけど、それよりも効率のいい核があるとしたら? 今の爺様のエピソードを思い出したら、半精霊であるリフ達を掠った目的は何か、お前でも何となく想像が付くだろう?」
「待ってよ! じゃあ……」
ヒイロが手に持っていた骨付き肉の骨をへし折る。
キキョウの目も細まった。
ここにいる全員が理解した。
つまり、こういう事だ。
老人達、テュポン・クロップの一味がリフ達を掠った目的は、自身の開発している精霊機関の核にする為なのだろう。
「リフは、みんなを助けに行く」
皿を舌できれいにし終えたリフが、テーブルから飛び下りる。
「ちょ、ちょい待ち」
シルバはその真下に手を滑り込ませ、捕まえるのに何とか間に合った。
「にぃ……はなして。いそがないと」
「そ、そりゃそうなんだけど、みんなの意見も聞かないと」
「に?」
リフを膝の上に載せ、シルバはパーティーのメンバーを見渡した。そして、手を挙げる。
「それじゃ、リフの兄弟を助けに行くのに参加する人ー」
全員が一斉に手を挙げた。
「……いいの?」
見上げてくるリフに、シルバは肩を竦めた。
「いや、お前だって言ってたじゃん。一匹じゃ無理だって」
「だね」
うんうんと、ヒイロも笑う。
「困ってるんだろ? ウチの連中が放っておくなんてそれこそ、無理無理」
「にぃ……」
「ま、僕としては、そのクロップ氏の精霊機関がどんなモノかも興味あるしね。もしかしたら、何らかの研究の足しになるかも知れない」
「ボクとしては、リベンジ出来る訳だし、望む所だよ。あ、もうちょっと待ってね。ご飯食べ終わるから」
「某はシルバ殿に付いていくまで。何より、このまま見捨てては寝覚めが悪くなる故」
「……わ、私としても、知らない人じゃありませんし、その……言い出しっぺみたいなモノですから……」
それぞれが、好き勝手なり理由を口にする。
「という訳で。アジトの場所まで案内頼む」
「にぃ……ありがとみんな」
「そうと決まればみんな、作戦会議だ。爺さん達、アレでなかなか厄介だからな」
テーブルを囲む全員が、一斉に頷いた。
「アジトは、西南のいせきの地下」
「ってそれ、クスノハ遺跡ー! ……いや、そうか、だからこそ誰も今更調べない。うまい手かもしれないな」
「ってゆーかアイツ、攻撃効かないのずっこいってー!」
「ヒイロ、それについては何となく見当が付いてる。キキョウ、ヒイロの武器ってさ……」
「ああ、充分に有り得る話だ。ちょっと見せてくれ」
「……あと、遺跡という事は迷宮ですよね? わ、罠の心配とかないんでしょうか……?」
「夜のこの時間なら、僕の霧化で割と何とかなると思うけどね」
「お{兄/にぃ}、植物のタネほしい。リフもたたかう」
「花屋か……まだ開いてるかな? って、兄って何ーっ!?」
「ず、ずるいぞ、リフ! 大体、リフには本当の兄弟がいるはずでは!」
「みんな、渾名でよんでる。お兄はシルバにぃだけ」
「ずっ、ずるすぎる!」
「……落ち着きたまえ、キキョウ。というか何がずるいのかね」
「う、そ、それは……うう、妹キャラ……何という強力な……っ!」
「ふふふふふ……りっべーんじ! 待ってろ、四号ーっ!」
「あ、あの、シルバさん……私、いいんでしょうか」
「何が」
「どうして精霊の言葉が分かったのかとか……き、気になりませんか……?」
「そりゃなるけど、今の優先順位は低いだろ。この件が終わって、タイランが話してもいいって思ったら、話してくれよ」
「……僕が言うのも何だが、シルバ、君はもうちょっと仲間の素性に気を払うべきだと思うぞ。あと、その手の台詞は死亡フラグと呼ばれる類の一歩手前だ。気をつけたまえ」
騒々しい小一時間の相談(?)の後、準備を整えた一行は都市を出たのだった。
夜空には満天の星。
辺境都市アーミゼスト北部、グラスポート温泉街の細い通りを、酒瓶を片手に酔っ払いがノンビリと歩いていた。
「くく~はろくのだん、どぶろくさんじゅうろっく……うぃっく! いー、天気だなぁ、ったくよぅ」
風呂上がりの酔っ払いは、笑いながら酒をラッパ飲みにする。
「ひっく」
やがて彼は通りを抜け、小さな噴水広場に出た。
時間は相当に遅く、人気はまるでない。
「よっこいせ……っとぉ」
千鳥足で歩き疲れた酔っ払いは、噴水に背を預け尻餅をついた。
そして再び、酒をあおる。
今でこそ上機嫌だが、小一時間もしたらこのまま眠ってしまうだろう。気候もそれほど冷えてはいないし、風邪の心配はなさそうだが。
「うーい…………ん?」
酒臭い息を吐く彼を、大きな黒い影が覆った。雲で月が隠れたかなと、酔っぱらいは思った。
「……おい、小僧」
頭上から声が掛けられた。
「ああ?」
「貴様のことだ、小僧」
「誰が小僧だ! 俺ぁ、こう見えて、よんじゅ……う……」
顔を上げると、真正面に巨大な白い剣牙虎の顔があった。
「そうか。我は齢300を少し超えたばかりだ」
「…………」
図体は五メルトを優に超えるだろう。体長ではない。背丈でだ。
深い知性をたたえた瞳が、酔っ払いを凝視していた。
「子供を捜している。我を小さくしたような、可愛い盛りの仔ら、四頭。見覚えはないか」
「…………」
「聞いているのだが」
「な、ない。ないでふ」
ろれつの回らない口調で、酔っぱらいは首をブルブル振った。
「そうか。失礼したな。この事、あまり他言はするな」
くるりと身を翻すと白虎は跳躍し、建物の屋上へと飛び移っていった。
酔っ払いは小便を漏らして、気絶した。
建物から建物へと跳躍し、彼は都市中央部にある大聖堂の屋上で足を止めた。
「……ここにも、おらぬか」
彼、白虎の名前をフィリオという。
モースという霊山の長だ。本来ならば俗世に興味はないが、言いつけを守らなかった子供達が麓におり、そして人の手に落ちてしまったらしい。
今はそれを探している。
もしも見つけたら、子供達を捉えた者達を八つ裂きに……。
「ぬ、いかん。……落ち着け我。憤りは行動を妨げる」
軽く頭を振る。
妻は子供達を産んでしばらくして死んだ。よってフィリオは父親として一頭で、子供達を育ててきたのだ。心配にもなる。
臭いを追ってこの都市まで辿り着いたのはいいが、ここは余計な臭いが多すぎる。
自然、捜索の効率が落ちるのは、無理もないことだった。
……などと考えていると、背後にいつの間にか人の気配がある事に、フィリオは気付いた。
「誰だ……!?」
「あ、こんばんは」
白い女が、のんびりした声をあげた。
フィリオとは少し距離が離れていたので近付こうとして、
「あいたっ」
こけた。
立ち上がり、服の汚れを払う。
「……ストア・カプリスと言います。この大聖堂の主で、司教をしてます」
何事もなかったように言う、女だった。
「……冗談、だろう?」
「いえ、本当ですよ。聖印もここにあります」
座りますね、と彼女は屋上の縁に腰を下ろした。
フィリオには信じられなかった。
女には山羊のような角があるし、耳も尖っているし、尻尾まである。
今はゆったりとした服の下だろうが、背中には羽もあるはずだ。
「ありえん。世俗に疎い我でも知っているぞ。ゴドー聖教は『人間の神』を崇める宗教だ。角や尻尾のある貴様のような輩が司教など、正気の沙汰ではあり得ない。何より貴様は――」
「ですが、ちゃんと、許可は教皇猊下から直々に頂きましたよ?」
おっとりとした笑顔で、彼女は言う。
どうにも、ペースが狂うフィリオだった。
「……魔女め。何の用だ」
「ちょっと忠告に参りました。モース霊山の長。あまり人前に出られると、困るんです。市民が怯えますから。ウチの教会にも相談に来る人がいますし、もしかしたら冒険者の討伐隊が組まれてしまうかも知れません」
「ほう……我に挑むというのか」
争うのはあまり好きではない。
しかし、フィリオとて暴れたい気分になる事はあり、今がまさにその時だった。
「挑むのは別にとめませんけど、出来れば都市の外でお願いしたいですね。無関係の人まで巻き込まれますから」
「ふん……最初に手を出したのは、人間の方ではないか。知ったことか」
「フィリオさんらしくもないですね。怒りで心に澱みが生じていますよ」
「怒りもする。まだ名前すら付いていない子供が掠われ、憤らぬ親がいるか。何かあれば、タダではすまさん。この都市まるごと消し去ってくれる」
「それはちょっと、困りますね」
「例え貴様が相手でもだ、魔女」
「落ち着きましょう。私を相手に怒るのは八つ当たりです、よね?」
「むぅ……」
諫められ、反省する。
指摘通り、彼女は関係ない。
「……確かにそうだ」
「子供達は禁忌を破って山を下りました。ですから、然るべき報いを受けました」
「何故、知っている……貴様、我が仔を知っているな!」
フィリオは牙を剥き出しにした。
しかし彼女の方は落ち着いたモノだ。
「はい」
「どこにいる」
「今はちょっと、お話しできません」
「何故だ」
「あの子は、自分で決着をつけようとしていますからね。その覚悟を無下には出来ません。実に貴方の子供らしいですし」
「ぬぅ……し、しかし……」
子供の勇ましさを褒められ、フィリオが怯む。
「親として心配するのは分かりますけど、ここはギリギリまで見守りませんか? もちろん、子供達を掠った方達には然るべき報いを。しかしそれを為すのは、まずあの子達にお任せしてもらえますでしょうか」
「よかろう。その覚悟、見届けよう」
しかし、とフィリオは付け加える。
「……ただし、倅達に何かあれば、生かしてはおかんぞ」
「はい。でも大丈夫ですよ。リフちゃんには、強い味方がついてますから」
「…………」
「どうかしましたか」
「今、名前が出なかったか?」
「あ」
彼女は、「やっちゃいました」と口元を抑えた。
しかしここは聞いておかなければならない。子供の将来に関わることだ。
「リフとは何だ? 『ちゃん』という事は娘だな? 誰かが名前を授けたのか。娘が受け入れたのかどうなのか。名付けたのは男か女か。女ならばまだ許す。だが男ならばタダではおかん。事と次第によっては七回殺して崖から突き落としてくれる」
「ところで、その身体では、すごく目立つんですけどどうにかなりませんか」
「あいにくと、人に化けるような術は持ち合わせておらぬ! あからさまに話を変えようとするなーっ!!」
夜空の下、騒ぐ一人と一匹。
そんなやり取りがあるなど露知らず、五人と一匹のパーティーはそのすぐ足下の通りを駆け抜けていったのだった。