北高の校門前で私たちは手持ちぶさたになっていた。
「全くバカジョン、この私に隠れてろなんて何様よ」
涼宮さんが憤懣やるかたなしといった感じで呟く。
何故こんな所でたむろしているかというと教師に見つからないよう、そそくさと校門の向こう側へと追いやられていたためだった。
あの人曰く、全校生徒の顔を把握している先生らしい。って、そんな先生この学校に居たんだろうか?
あれ? そもそも校内の生徒を把握してるだけなら私は隠れる必要がなかったんじゃ?
「まぁまぁ落ち着いてください涼宮さん」
なだめる古泉さんもどこか適当な気はする。その口調には気楽さが漂っていた。
「それにしても、どいつもこいつも北高生ばっかりね~、なんかさえないのばっかり」
北高の近くに居る以上、北高生が多いのは仕方ないような。
内心どうしたらいいのか途方に暮れてしまう。
そもそもどんな話を振ればがいいのか私にはよくわからない面もある。
「ジョンも物好きよね~、こんな見るからにつまらなそうな学校選ぶなん、て」
しかし、そこで涼宮さんの言葉が止まっていた。
不自然な止まり方に私は思わず彼女を見る。
その視線はある方向を凝視したまま固まっていた。
「え?」
驚きを声にしたのは涼宮さん。
でも、それは彼女だけじゃなかった。私も、古泉さんも驚きのあまり言葉を失っていた。
微笑みながらこちらを眺める制服姿の男子生徒が居た。
見覚えがある整った目鼻立ち、割と背は高くて穏やかそうな雰囲気、髪はやや明るめで男子としては心持ち長め。
彼を見つけた私たち全員が言葉を失う。
だって、そこにいたのは……思わず私は涼宮さんの隣に立つ男子生徒に視線を動かしていた。
「ねぇ、古泉君」
最初に言葉を発したのは涼宮さんだった。
「あなたそこにいるわよね?」
「えぇ、間違いなくここにいますよ」
動揺が滲む声で言葉少なに答える。
「……っ」
涼宮さんはもの凄くキラキラした瞳と満面の笑みを浮かべながら肩を震わせていた。
「へぇ、ってことはあそこにいるのは誰かしらね?」
「……とりあえず僕に双子の兄弟が居たという話はありませんね」
視線の先の彼は私たちが気づいた様子を確認するやいなや、クルリと振り返って歩き去ろうとする。
「なるほどね~、これは確認しなきゃいけないわね、行くわよっ」
言うが早いか既に飛び出し二人はあっと言う間に駆けていってしまった。
二人が追われる制服の古泉さんが少し向こうにある曲がり角の向こうへ消える。
「あ、あの」
私も思わず手を伸ばそうとしたものの、あっという間に行ってしまった。
敢えて追いかける気持ちにもなれずその場でため息を一つつく。
はぁ、どうしよう。
いきなり引っ張ってこられたと思ったら、またあの人達はどこかへ走っていってしまうし。
いきなり独りぼっちにされて困り果てるしかない。
不意に今日の部室での出来事を思い出す。
ほかの誰でもない。あの人の事もつられて思い出す。
今日も来てくれた喜び、他の人を連れてきた衝撃、彼に気安く話している涼宮さんという女性への羨望。
そう、私は羨んでいる。
涼宮さんって美人だ。同姓の私からから見ても掛け値なしと言っていいと思う。
やっぱり彼も、彼女みたいな美人に好かれた方がいいよね?
ふと脳裏を心配そうにしている朝倉さんの顔がよぎった。
ごめん朝倉さん、応援してくれるって言っていたのに、もうくじけちゃいそう。
泣きはしない、でも泣きたい気持ち。
どうしようもなくネガティブ思考にとらわれてしまっていたそんな時だった。
「ちょっとキョンっ!! なにやってんのよ」
突然すさまじい大音声が響きわたっていた。校庭、いや校舎の方から信じられないような大声が鳴り響いて私の背中を殴り飛ばし仰天させた。
その声はついさっき走り去っていった人の声にそっくりで、って、どうしてそちらからあの人の声がっ?
声が飛んできた方向を振り返ってみる。2階か3階あたりからかと当たりをつけて見ると身を乗り出して居る女生徒の姿。
さっきの今ではさすがに見間違えようがない。
そこにいたのは涼宮さん。ただし、その髪はうなじから肩に掛けたあたりでばっさりとカットされていた。
しかも彼女の格好は先ほど着ていたジャージではなく北高のセーラー服。
ついさっき逆方向に向かって走っていったのを私は見ていた。とてもじゃないがあの勢いで走っていった後、このタイミングで校舎に戻るのが不可能以外の何者でもない。
どうして? 何がどうなってるの?
思考回路にクエスチョンマークが大量発生する。
校庭にいる誰かに向かって呼びかけているが私のいる場所からその校庭にいる誰かは見ることはできない。
けれど、彼女が誰に向かって話しているのか私には何となく予想がついた。
きっとあの人。
「ちょっと聞いてんの?」
変わらず勢いよく問いつめている。
「ちょっとあんた私の言ったこと忘れたんじゃないの? みくるちゃんといちゃついてる場合?」
ピクッ
今聞き逃しがたい単語が聞こえたような気がする。
うん……私がとやかく言う権利がないのは分かっているけど、胸の奥に起こるくすぶりに似た感情のゆらぎを否定する気はない。。
「へいへい、ちゃんと用事は分かってるよ」
応じているのは予想通りのあの人の声だった。
「ふんっ、まぁいいわ。あんたが真面目にやってるかは明日になれば分かるんだし」
お世辞にも満足したとはいいがたい捨てぜりふにしか聞こえなかったけれど、ひとまず彼女はあの人を解放したらしい。
どうなってるんだろう?
さっき走っていったはずなのに校舎から大声を張り上げていた涼宮さん。二人もいる古泉さん。
私には全然何がなんなのか理解できない。
頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
「ふぅ、まったく無駄にハラハラもんだったな」
「なんだかすごそうな人でした」
とりあえず校門を出て来る彼と目が合った。
「あ……」
一瞬遅れて声を上げていた。
先ほどのやりとりから予想はしていたが、隣に女生徒を一人伴って……あれ? この人はさっき部室にいた人だ。
誰かの名を呼びながら部室から逃げ去ったのは記憶に新しい。
「あれ? ハルヒ達はどこ行ったんだ?」
彼は周囲を軽くキョロキョロと見回しながら私に問いかける。
「あ」
彼の問いかけにどう答えればよいのか分からなかった。
どう言えばいいのか?
そもそも私がさっき見たのは同じ顔をした人が居た。それを追いかけてさっき居た二人は走っていった。その後、校舎から叫ぶ彼女も見た。
着ている服は異なるが同じ顔をした人物が居た。それも二人だ。
これはどう言えばいいのだろう?
どうしよう、迷いが答えを詰まらせる。
手が曖昧な位置でただよう。唇は何度となく言葉を紡ごうとして挫折を繰り返し、何とか言葉にしよう努力を徒労に変える。
もう訳が分からない。さっき彼女たちが走っていったのは完全に逆方向、しかも服は全く別物、こんな話をしたらきっとおかしくなったと思われてしまう。
何をどうすればいいのかどんどん分からなくなっていく。
「その、人を追って……走っていった」
結局、最終的に出てきたのはそんな言葉だった。
彼は私の言葉に眉根を寄せている。
しばらく顎に手を当て思案を巡らせているようだった。
そして、ふと何かに思い至ったのか、にわかに冷や汗が浮かせていた。
「なぁ、長門、俺の質問に答えてもらっていいか?」
「そう」
次に彼が言ったのは私にとっては衝撃的な一言だった。
「まさか追っていった誰かって見覚えのある顔か?」
「っ」
まさに私の煩悶を探り当てたような言葉に思わず心臓が激しくふるえる。
「そうっ」
「もしかして、そいつはそこにいた誰かか?」
まさしく私が伝えたくて言葉にできないことだった。
私の苦悩を汲み取ってくれたの?
うぅん、それはわからないけれど嬉しいのは事実だった。
「そう」
淀みのない回答ができた。私の答えに彼は渋面を作りながら続く質問を口にする。
「まさかハルヒ……えっと、さっきのやたらうるさい髪の長い女と同じ顔した奴を見た……とか」
あ、そう思ったんだ。
「違う」
でも、それは彼の予想とは異なるのでしっかりと断りを入れておく。
意外だったようでキョトンとした表情を見せていた。
あ、驚くとそんな顔をするんだ。って違う、そうじゃなくて。
「その、さっき声は聞こえたが、その時は既に」
立ち去ったばかりの彼女の声が反対から聞こえた時は心臓が飛び出すかと思ったが、今思うと大したことでもない。
私の言葉を聞いて彼は心底ホッとした表情を浮かべて壁にもたれていた。
よほどの懸念事項だったんだろう。
それからしばらくの間、私と彼の間でいくつかの質問のやりとりが続く事になった。
単なる質問のやりとりなのに、こんなに沢山彼と言葉を交わす事ができて少し興奮している自分が居た。
私って馬鹿だ。さっきまであんなに落ち込んでいたのに。
こうやって彼と言葉を会話するだけで、いつの間にか元気が出ている。
なんて単純なんだろう。けれど、やっぱり嬉しい物は嬉しかった。
「ったく、古泉の奴、一体どういうつもりなんだ」
一通りやりとりが終わる頃、彼が独り言のように毒づいた時の事だった。
キッ
不意に呼んでもいない黒塗りのタクシーが短いブレーキ音と共に横付けしていた。
バムッ
後部座席のドアが開き、ビクリと体が震える。思わずもう一人の女生徒……朝比奈さん……共々、彼の背中に隠れてしまっていた。
彼はそんな私を見て最初キョトンとしてその後、楽しげな苦笑を浮かべる。その目は何とも穏やかな色が浮かんでいた。
「乗ってください」
車内から聞こえる呼びかけに、私たちは身を竦ませる。
正体不明のタクシーの後部座席が開いて警戒するなと言うのも無理な注文だと思う。
そんなことを考えていると助手席の窓が開いていた。
「やぁ、どうも」
窓から覗くのは先ほどまで一緒にいた微笑みを絶やさないあの人だった。
思わずどう反応して良いか分からないまま固まっていると、男性二人はどんどん話を進めていく。
ほどなくしてキョンというあだ名を持つ、私の意中の人は宣言するようにこういった。
「よし、朝比奈さん、長門、乗るぞ」
え?
そんな、タクシーに乗って一体何処へ?
驚き戸惑う私たちを、彼は困ったように見ている。
彼は何処へ私たちを連れて行こうとしているのだろうか。
彼は困り果てた顔で重ねて大丈夫という。
そして、車に乗って見せようとしているところで私は彼の袖を小さくつまんだ。
「ん?」
振り返る彼の瞳をジッと見つめる。
「信じて、いい?」
驚いた表情もつかの間、私の瞳をまっすぐに見返してくれていた。。
「あぁ信じてくれ。悪いようにはしない。もし長門によからぬ事を考える奴が居たら俺がぶちのめしに行ってもいい」
あ……思わず言葉を失ってしまう。そんなまっすぐに私を見つめて。
そんな嬉しい言葉を言われてしまったら。
心臓がドキンドキンと早鐘を打っている。
見る目に思考が焼けて心に幸福感のスパイスが効いたモヤがかかる。
私はもうもう何も考える事ができなくなっていた。
「……わかった」
短く呟いて、赤くなった頬の色をごまかすようにタクシーの後部座席に乗り込んだ。
彼のホッとした表情が心地よかった。
さっきまでのやりとりで彼の熱意は私に伝わってきた。そして、私は彼を信じたかった。
「おやおやこれはこれは」
様子を見ていた古泉さんがククッと押し殺したように笑う。
「なんなんだ? その近所の小学生が手をつないでいるのを見たようなにやけ面は?」
「いえいえ、大したことではありません。あなたが長門さんに信用されているのが微笑ましかっただけですよ」
その表情は随分と楽しそうだった。。
その後、気恥ずかしさの余り硬直していた私が我に返るのは、隣に彼が座る事になり改めてパニックに陥る直前だった。