【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~~高順伝外伝 河北の王・袁紹伝~~~ 最終話。~~~曹操の場合~~~袁紹を降した曹操は、河北の制圧に乗り出した。最初は手間がかかるかと思われたが、それはある意味で外れ、ある意味では正解だった。官渡の戦いで袁紹軍は北への押さえ以外のほぼ全戦力を投入しており、それを打ち破られては各都市ともに迫り来る曹操軍への対抗などできるわけがなかったからだ。袁紹が行方不明になったこと、その袁紹が戦前に「この戦で自分が負け、曹操が侵攻してきたら無駄な抵抗をせず降伏をするように」と各都市を預かる責任者に手紙を出しており、そこら辺はあっさりと降伏している。多少の時間がかかったのは北への押さえとして残された高幹や蒋義渠(しょうぎしょ)がしぶとく抵抗をしたと言うところだ。また、袁紹の治世を民が慕っているのを見た曹操をして「麗羽(袁紹の真名)は領民から慕われていたようね」と感嘆していたと言う。占領はしても統治は時間がかかりそうで、それこそ「腕が鳴る」と曹操は息巻いている。そして、その中で曹操は新たな臣下を得た。公孫賛・張燕・丘力居・・・北方で盟を組んでいた人々である。袁紹が敗北、行方不明となったことで一応は勢力として生き残った公孫賛であるが、その袁紹の領地をほぼ呑み込んだ曹操に対抗できる筈も無い。これ以上の損害を出す事を望まず、河北を制したとは言え兵士にも厭戦気分が広がっていて、連戦をするべきではないと曹操軍首脳陣は判断。公孫賛・張燕・烏丸の領地を削らず、太守(丘力居は単干)の地位を認める。官民に危害を加えることもしないから帰順しなさい、と公孫賛らの立場などを認める上での使者・勧告を出している。公孫賛らも一応会議は行うが、「袁紹は滅びましたし、曹操は意味もなく約束を破るような真似は致しません。こちらの権利・官民の命の保証をしてくれると言うなら降るべきでしょう。」と沮授から助言を受け、降伏を決める・張燕・丘力居に「私は降るが二人はどうする?」と使いを出し、両者も抵抗意思は無いとして共に降る、と返事を出してきた。時間はかかったが、こんな流れで公孫賛らは曹操に帰順。公孫賛は太守と言う立場でありつつも、曹操の居る鄴(ぎょう)に出仕することになる。(他2人も挨拶は行っている曹操に仕えることになった公孫賛だが、曹操自身は公孫賛に対してそれほどの期待をしているわけではなかった。むしろ、彼女の部下である沮授等のほうに目を向けており「私の直臣にならない?」と打診をしているほどだ。それを聞いた公孫賛は「皆の意思に任せるけど・・・できれば、行って欲しくないかなぁ・・・ははは」と笑いつつも肩を落としていた。結局、沮授・張郃・高覧は「自分達は公孫賛の臣なので」と曹操の誘いを断り、あくまで公孫賛の部下として働くと言う意思を見せている。曹操は「何故公孫賛の下がいいのかしら?」と聞くのだが、皆揃って「あの人のほうがお仕えしやすいですし、我々を必要としてくれています」と答えたと言う。曹操のほうが彼女らを使いこなせるのだが「使いこなせるかどうか、で仕える人を決めるわけではありません。我々が公孫賛殿に仕えるというのは最終的に曹操殿のために働くと言う事です」と返されて「無理強いはしないほうがいいか」と諦めたそうだ。どちらにせよ、自分の力として使うのだから沮授の主張は間違っていない。さて、公孫賛。前述の通り、曹操は彼女の能力に特に期待をしていなかった。北方同盟を組み、袁紹と対抗しえたのも沮授という有能な配下がいたからこそ、と考えていたからだ。だが、公孫賛を実際に働かせてみて、曹操は自分の認識が誤りであることをすぐに理解した。結論から言って、何をするにも「出来る」。それが曹操の下した評価であった。統率力があれば、個人的武勇も悪くない。政治にもそこそこ理解を持って(太守なのだから当然だが)おり、練兵も上手い。どんな状況・仕事でも一定以上の成果を出せる、というのが公孫賛の仕事ぶりである。現在の曹操軍には、こういった「仕事師」が存外に少なかったりする。曹操自身は数に入れず、とすれば夏侯淵、張遼・・・あとは満寵あたりが色々と応用の利く能力の持ち主だ。ただ、彼女達は政務にはあまり詳しくない。戦場で冷静に戦況を見る、とかそういった方面だ。ところが公孫賛は政務にも使える。そのせいか、荀彧や郭嘉・程昱にもあれこれと用事を頼まれていたりする。そして、夏侯惇・淵姉妹とも真名をすぐに教えあって仲良くなっている。と、人格面でも高評価。各方面に適性を持っている、と上層部に認識されたのだ。先ほども出ていたが、曹操軍はどちらかといえば突き抜けた才能を持つ者が多い。夏侯惇は武力・統率は高いが他はテンで駄目。知力・政務はからっきしだ。典韋・許褚は武力のみ。荀彧は知略・政務が群を抜いているが、それ以外はお粗末。特に人格面が酷すぎる。その点で見れば郭嘉・程昱はまだ人付き合いが上手いが・・・やはり、統率や武力は低い。夏侯淵・張遼は知略もあれば統率・武力もあり、人格でも慕われる・・・と、この2人は悪くない。公孫賛は、彼女らに比べれば地味と取られがちだが、それは大きな誤解だ。他が突き抜けて目立たないから能力が低い、ということには繋がらない。確かに、軍を率いさせても第一軍(主力)とはならないだろう。政務でも荀彧らのような仕事ぶりは見せ付けられないだろうし、武力でも典韋達には及ばないだろう。だが、第一線で働き続ける彼女達を後ろから支える、という事に関して公孫賛に及ぶ者はいない。夏侯淵でも可能かもしれないが、政務という事柄では公孫賛に及ばない。今まで暴走しがちだった夏侯惇を抑えるために、脇を締めなければいけなかった夏侯淵を前面に押し出せるようになった。曹操軍の攻撃能力が上がったのである。 北平の太守である為に、時折帰還しなければならないから毎回といかないのが弱点だがこれは大きい。また、意外にも干禁は顔見知りのようだし、張遼も「順やんのダチならうちにとってもダチや!」と偶然の結びつきを大いに喜んでいる。苦労人と言うことで夏侯淵とも波長が合って密かな呑み友達だそうだ。曹操が思うに、自分が拾ったのは公孫賛にとっても良かったのではないかな? と考えてしまう。劉備に拾われたとしても・・・何だかすぐに埋没してしまいそうな感じなのだ。劉備陣営は武将は少ないが諸葛亮や関羽やら、個々の能力が高くてそれだけで事足りしてしまうような人材ばかりである。関羽・張飛に軍師二人。人材が少ないせいで余計際立つものだが、割合から言って曹操よりも「何でもできる」者が多いと言うことになる。それを思えば、自分の下のほうが、働き甲斐があるのかもしれない。曹操が高順にやらせようとした仕事がまさにこの役割であったので、曹操からすれば「意外なところで良い拾い物をした」といったところなのだろう。ここまではいいのだが、公孫賛には弱点があった。まず、人が良い。良いからこそ曹操軍にあっさり溶け込み、全員が真名で呼んでいいとしている。勿論曹操も。その人の良さが、おかしな方向で弱点になる。公孫賛が帰順してからすぐの話だが、公孫賛に任せた仕事の終了が異様に遅いことが何度かあった。その度に曹操は苛々としたもので、そのあまりの遅さに「何をしているのよ!」と問い詰めにいった所。夏侯惇や許褚の書類仕事を手伝わされたり、その間に荀彧から仕事を押し付けられたり。自分の仕事を後回しにして他人の仕事を手伝わされているのだから、終わるはずが無い。1つの苦労で済むものを、2重3重に苦労をして凄まじい遠回りをしていた、ということであった。これを聞いた曹操、仕事を回していた人々に軽く叱責をしたのだが、夏侯惇の公孫賛への頼りっぷりは半端なく、殆どの書類仕事を回すのだけは止まらなかったそうな。2つ目は、普通な性格であるが為に、精神的に強くないという所。仕事を大量に回される(裏を返せばそれだけ頼りにされている)のはともかく、夏侯惇と荀彧という、相反する2人の信頼を得たことが不運である。何かと「おい、白蓮」「白蓮、ちょっと」と、2人同時に仕事を頼まれるケースが多いのだ。当然、水と油な関係の2人。「私が先に白蓮に仕事を頼もうとしたんだぞ!「私が先に決まってるじゃない! 練兵だったらあんただけいれば充分でしょ!」と目の前で喧嘩をされる。「おい、二人とも喧嘩はやm「何だ!」「何よ!」ああああ(涙」と、仲裁をしても聞いてくれやしない。それが何度も何度も重なって、心労の為か激しい胃痛で倒れる・・・と言うことがある。よく夏侯淵が公孫賛を見舞って「・・・すまない。」「・・・うん。」と、苦労人ならではの静か且つ重い雰囲気が展開されることも珍しくない。3つ目は・・・これは公孫賛が悪いわけではないが、極端に運が悪い。夏侯惇、荀彧の喧嘩の仲裁。郭嘉が桃色内容な妄想を全力全開、即死レベルの鼻血を噴出した現場に居合わせる。典韋・許褚の無茶苦茶な量の飲食、そして生か死かの無茶な訓練に付き合わされる、等。生き死にを左右する局面に意味も無く鉢合わせたり、それほどでもないのだが胃痛を増加させる状況に居合わせたり。本人にそのつもりは無いし、周りも悪意があって巻き込んでいる訳ではないのだから本当に運が悪いとしか言いようが無い。(典韋と許褚に誘われるのは慕われているからだし・・・そのおかげでまた胃痛を引き起こして倒れるわ、自室で臥せっている時に寝言で「高順・・・星(せい、趙雲の真名)・・・た、助けてぇ・・・」とうなされるわ。多分、高順が曹操に従っていれば今の公孫賛の立ち位置にいて、同じように伏せっていたのだろう。人の上に立とうが、従おうが、どちらにせよ苦労が離れていかない公孫賛の明日はどちらに向かっているのだろうか・・・。~~~袁紹の場合~~~「・・・んっ」袁紹は目を覚ました。その彼女の目に最初に映ってきたのは、木造の屋根、そして自分が寝かされている寝台。何時の間にやら寝間着姿。鎧も脱がされ、刀も壁に立てかけてある。「・・・?」自分は官都にいたはずでは? と記憶を掘り起こしていくが、烏巣で負けて右太ももを鎌で抉られて・・・そこから先の記憶が無い。太もも・・・と、抉られた右足を見るが、包帯が巻かれていて多少痛みはあるが歩けないほどではない。一体何がどうなっているやら、と袁紹は首をかしげた。審配・顔良・文醜にあと10人ほどの兵士がいるのは覚えている。ここは鄴だろうか、とおも思ったがこんな部屋は見たことが無いし・・・。何がどうなったやら? と考え始めたところで、顔良が部屋に入ってきた。「あ。」「あら、斗詩さん。」あ、と言ったまま硬直している顔良が急に笑顔になった。「みんなっ、れい、麗羽さまが起きましたよーーーーーーー!!!!」「な、なんだってーーーー!?」顔良が扉の向こうに大声で叫んだところ、審配やら文醜が「どたどたどた・・・」と走って部屋に入ってきた。「え? えっ?」「殿、お気づきになられましたか! もう二度と目を覚まさないとばかり・・・」「麗羽様、これが何本か解りますか!?(Vサインを作る文醜)」「・・・2本ですけど。じゃなくて、一体ここh」「おお、2本って解ったぞ斗詩! 頭の中身はやられてない!」「・・・。」何をどうすれば指の数から頭の中身の話になるのかは解らないが、とりあえず心配はしてくれていたらしい。「審配さん、ここは何処ですの? それに、足も治療されておりますけど・・・?」「ああ、それはですね」言いかけた審配だが、そこへもう1人・・・男性だが、入室してきた。「よう、気がついたみたいだな。」赤毛の若い男性で、一見変わった服装をしている。袁紹を見てにっかりと笑い「足の具合はどうだ。まだ痛むか?」と質問をしてくる。「え? え、ええ。まだ少しだけ痛みが残っておりますけど・・・貴方は?」「ああ、すまない。俺の名は華陀。修行の身だが、こう見えて医師でな。」「医師・・・ですの? では貴方が足の怪我を。・・・って、アレから時間はどのくらい過ぎたのです!? 他の者はどうなっておりますの!」袁紹は立ち上がって華陀の胸倉を掴んで揺らす。「おおおお落ち着け。あんたの出血が止まらなくて、この人たちが途方にくれてるのを発見したのが10日前・・・」「10日ですって!?」「俺はその時、たまたま今回の戦いに出くわして・・・曹操軍と、降伏した袁紹軍の兵の治療を・・・ぐ、ぐるじいっ・・・」「あ、すいません。」揺らしていたと言うか、絞めていたらしい。華陀はゲホゲホと咳き込んで「死ぬかと思った」と呟きつつも再度説明を始めた。「兵の治療を終えてから、烏巣ってところを通りがかったんだが・・・あの森の奥まったところにあんたたちがいた、ってことさ。審配が包帯であんたの足を縛り上げてたから、出血もそこまでのものじゃなかった。」「しかし、10日でしょう。どうやったらそこまで眠りこけていられるのです。」「当然、水なんかは飲ませていたぞ。記憶が無いのは麻沸散を使っていたからじゃないか? 足じゃなくて肩にも使用したからな・・・それで意識が飛んでいたのかもな」麻沸散、というのは簡単に言えば麻酔である。縫合手術を行ったり、患部を摘出するような手術の時だけ使用されている。「そうでしたの・・・感謝いたしますわ。ところで審配さん。他の者はどうしたのです。」「・・・1つずつ説明を致します。」審配は、現状で集められるだけの情報を集めている。まず、やはり官渡に集結した袁紹軍は崩壊していたという事。麹義は最後まで抗戦して戦死、他の武将や書記官は降伏。かなりの数の兵が討たれ、曹操側も大いに苦戦したそうだが、降伏した将兵は寛大に扱われたという。一部、曹操領に程近い都市は既に降伏をしているらしく、そこは袁紹の指示通りであったといえる。問題は高幹らであるが、彼らにもきっちりと手紙は出しているし、自分から死ぬような真似はしないだろう。が、この件に関しては袁紹の考えどおりに行かず、高幹は「袁家の一員として、曹操などに降る事はできん!」と反抗。最終的に討たれる事となるので考え違いであり、袁紹も後悔する事になる。そして、つい先ほど入った報告に「田豊が病死した」というものがある。この報告に袁紹は「そう。」とだけ返したが、その表情は相当に苦しそうであった。問題はここからどうするのか、と言うことだ。審配としては袁家復興を、と思わずにはいられないが、曹操が袁家領に食い込んで来ているし、今戻っても戦力はこちらが不利になる。加えて北方勢力も動き出し、田豊もいない・・・となると手のうちようがない。まだ袁紹が元気に歩き回れるほど回復しておらず(これはこれまでの激務で心身ともに疲労しているからなのだが)、田豊の事もあるからやはり無理をさせないほうがいいだろう。華陀も「傷は深かったし、外側が治っていても内側が完全に癒えていない。あと1週間か2週間は様子を見るべきだ」と言っている。馬なら何とかなるのでは、と思ったが馬に乗るというのは太ももに力を入れなければならない。もし無理をすれば内側から裂けてくるぞ、と脅された事もあって袁紹も歯がゆい気持ちであった。問題があるとすれば、自分を曹操が見逃すかどうかだ。聞いてみるとココは北海の街の宿で、いつ捜索が来るかわかったものではない。自分はともかく、自分を助けた人々に危害が来る事を危惧しているのだが・・・不可解な事に曹操は「袁紹は死んだ」と通達を出している。もう袁紹が勢力を盛り返すことが出来ないと見越してのこともあるし、曹操にしては珍しく、損得抜きで袁紹を見逃している。あの決着が本気で悔いになっているらしく、曹操からすれば「これで貸し借り無しよ」とでも言う事かもしれない。実際、袁紹に曹操から追っ手がかかることは一度も無かったりするが、そういった布告があったことを知るのはもう少し後。そしてもう1つ。精神衛生上、とんでもなくアレなことが1つだけ。「あぁ~らぁ、袁紹ちゃん気がついたのかぁ~しらぁ~?」「だぁりん、今帰ったぞ!」「!?」いきなり部屋に入ってきた、おさげ・紐パンの筋肉隆々男(確実にセクハラ)と鬟(みずら)に白い胸当て(と言う名のビキニ)の白髪の筋骨隆々男(こちらもセクハラ体現者)の2人組。その上、股間はもっこりぱっつん。そう、われらが主人公貂蝉と卑弥呼である。「な、ななっ・・・なぁぁああ!?」そんなセクハラ上等、刑法第百七十四条すら知ったこっちゃない(当たり前)彼ら漢女の格好と言うか、その外見と言動が袁紹を思い切りたじろがせた。「な、なんですの、この筋肉お化けは!?」「ぬぁぁあぁああぁあんんどうぇすってぇぇえええっ!!? どぅあれが、アゴヒゲ危機一髪・キモ可愛いのっそり筋肉だるまですってぇぇええっぇ!!!?」(変なポージングをキメつつ迫ってくる貂蝉「ええっ!? アゴヒゲとかそんな事一言も言ってない・・・!」(引きまくる袁紹「ワシらのような純情可憐! 穢れを知らぬ清楚な漢女になんという暴言! だぁりん、例え怪我人といえ赦せぬぞ!」(悩殺ポーズをキメて袁紹を威嚇する卑弥呼まともな感性を持ったものにとっては自決モノの光景である。そして、袁紹は不幸にもそういった「まともな」感性を持っている人だった。人は追い詰められたとき、覚悟をするか逃げるかを選ぶ。袁紹が選んだのは・・・「あぅ・・・はぅぅうあ・・・! 誰か、誰か助けてーーーーーー!!!?」当たり前すぎるほどに逃走だった。「れ、麗羽様ー!? 足がきっちり治ってないのに走ったら駄目ですって・・・!」「ぐはぁぁあぁっ! 足が、太ももが「バクっ」て割れましたわぁぁっっ!?」「ぎゃーーーー!? 血、血ぃぃぃい!!!?」・・・なんという大惨事。精神衛生上、あまりに宜しくないものを見せつけられた袁紹は、誤って傷を悪化させることに。また、この一件が相当恐ろしいと言うかトラウマになったようで華陀の治療を受けつつ「筋肉怖い筋肉怖い」と、暫く悪夢に見るまでにうなされたと言う。これを乗り越えるのに2ヶ月以上かかってしまい、それが袁紹勢力復興の道を完全に閉ざす事になっている。だが・・・。「ああぁぁぁ・・・筋肉が! ふ、褌と紐がぁぁあ(涙」「殿、しっかりしてください!!」寝ていても安息が来ない、というこの現状。袁紹にとってはこれが一番の問題であったかもしれない。いいのだろうか、こんな幕引きで・・・?~~~楽屋裏~~~なんでギャグになるかなぁ・・・あいつです(挨拶すっげぇ情けない理由で袁家崩壊。ですが、原作で貂蝉と卑弥呼が割と平然と受け入れられているのが凄い事だと思います。最初に酷い目に会わされた黄巾3人組の反応が一番正常ですよ、ええ。・・・袁紹のトラウマが1つ出来たようです。さて、これで次回からやっとこ本編。袁紹さんたちは華陀についていくのでしょうかねぇ。高順君と合流させてみてもいいかもしれません。華陀たちも多人数でうろつきたくないでしょうしねwところで、華陀は西涼から(馬超の頼み事もあって)高順を探して東へと戻ってきました。その途中で官渡の闘いに出くわした、ってな感じでしょうか。曹操の頭痛は・・・どうなんでしょうねぇ、原作どおりであれば逃げた?(笑【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~陥陣営・高順伝~~ 異伝その3。高順らが逝ってからの3年という月日は苦労の連続であった。まず、呂布・陳宮・華雄・董卓・賈詡を始めとした、元董卓軍の主だった人々は閻行と共に西涼へと旅立っている。張遼が残されたのは身重であり、公孫賛の元にいるほうが母子にとって良いだろうという閻行の判断である。彼女たちが西涼へ向かったのにはそれなりの理由があって、まず反董卓連合の際に馬騰は不戦・・・敵対はしないと明言したほぼ唯一の勢力。元々、董卓の勢力基盤は西のほうだし、そこならば戦力を集めやすい。呂布らにしても反董卓連合であった公孫賛の下にはいづらい。公孫賛は「そんなこと気にしなくていいけど・・・」と言ってくれたが。閻行から見れば、息子の(一応)婚約者である馬超に事情を説明しなければいけないし、あわよくば馬騰を動かす・・・という目論見があったりする。閻行の相談を受けた賈詡は、自身の考えとほぼ一致する戦略を聞いて「それで行くわ!」と即断即決。呂布達も特に反対をすることなく西涼へと向かっていった。それから、趙雲と沙摩柯が丘力居に蹋頓の遺槍を渡し、また張燕の元へも高順達の死を伝えている。丘力居は叔母(というよりは姉に近いが)である蹋頓と、自分達を拾ってくれた高順の死に驚き、そして怒った。蹋頓が姉なら、高順は兄そのものであった。乱世の習いと言えばそれで終わるかもしれないが、それでも怒りを誤魔化す事はできなかった。この時、丘力居は趙雲に公孫賛への伝言を頼んでいる。「曹操との戦いになったらすぐに呼んで欲しい」と。張燕も「これで上党の恩人達は皆旅立ってしまわれましたか・・・」と悲嘆し、公孫賛との紐帯を更に強めている。皮肉にも、高順の死が三者の協力関係を更に強める結果となった。この後、すぐに袁紹が公孫賛・張燕を降さんと北上。「まともになった」袁紹は田豊を頭脳として攻めてきて、公孫賛ら北方連合を押し込んでいこうと攻めの一手である。公孫賛側にも張郃・高覧・沮授が、そして趙雲らがいた。両者は界橋で激突。兵数は少ないものの、公孫賛側は武将の質で大いに勝っていた。「元」高順騎馬隊の突進力と、それを率いる超雲達。趙雲は大規模であろうと、小規模であろうと率いる兵なりの戦い方が出来る。高順もそういった戦いは苦手ではなかったし奇襲も得意としていたが、どちらかと言えば速さと力で押しつぶす事を得意としていた。趙雲は小規模での奇襲、大規模な兵数での押しつぶしも出来て、その点で言えば高順よりも小気味よい闘いが出来る。兵数の多さで有利と思われた袁紹だが、趙雲隊の夜襲・小規模に分けられた部隊が何十回と奇襲を仕掛けてきて、全面会戦の時も白馬義従・陥陣営の猛撃を止めきれず、得る物無く撤退。十面埋伏も、公孫賛が勝ちに驕らず慎重に進軍したせいで1つずつ丁寧に叩かれて失敗。袁紹も田豊も、何時の間にあれだけの部隊と将を・・・? と自分達が公孫賛を甘く見たことを痛感して鄴(ぎょう)に退いていった。それから、公孫賛は着実に勢力・戦力を増やし鄴を攻囲。半年にも渡る戦いの後に袁紹も降伏を決意。自分の首と引き換えに将兵の助命を願って単身で公孫賛の陣までやって来た。韓馥を殺された恨みのある張郃達は処刑を願うかと思いきや、「話を聞く」とした。袁紹も話に応じ、その中でその韓馥が手厚く弔われ、また当初は殺されたこと自体袁紹が知らなかったことを知る。袁紹は郭図を始めとした三謀臣の独断までは喋ったが「それを統率できない自分に非があるから」と締めくくり首を差し出そうとした。張郃達は最初無言であったが「まずはその首を預けておく」と保留。ここで殺しても袁紹の臣が暴走しかねないし、公孫賛が河北を統治しきった頃にもう一度斬るかどうかを決める、というのが一応の結論だった。結果的に、韓馥殺しを主導した郭図らは処刑。袁紹は斬られずに公孫賛配下の有力武将の1人として扱われる事になる。南進準備が整えている公孫賛は西涼と連携しつつその時を窺っていた。公孫賛が用意した兵力は約20万。この中には張燕軍5万が含まれており、更に丘力居率いる烏丸軍14万が加わる手はずだ。閻行も馬騰を動かす事に成功、高順を殺された事で馬超・馬休・馬鉄が発奮し、先陣を務める事になっている。その先陣に呂布・華雄・閻行が加わり、先鋒部隊だけで3万ほど。賈詡や陳宮は馬騰の軍師の一人として軍勢を支える役に徹している。西涼軍が動かせる兵力は10万。北、そして西の連合だけで40万を超える大軍勢。だが、沮授はもう1つ保険をかけようと、孫策との連絡を取る事を提案している。曹操の支援勢力の1つとなりうるし、できれば敵を増やしたくないからである。その孫策は現状、袁術からの独立を果たさんと戦力と領地を拡げている。孫策からの提案は「自分たちが曹操の背後を襲う事はできないが、曹操の支援は絶対にしない。公孫賛とは不戦同盟を結びたい」というものだ。まだまだ対等な間柄とは言えないし、袁術を倒さないと独立も出来ない。その後に荊州になだれ込み、公孫賛に「倒すにも骨がいる」相手だと思わせておきたい。沮授はそれらの考えを理解した上で「それで良し」と公孫賛の許しを得て形だけの同盟を結んだ。要は曹操の後援勢力でなくなればよいだけだ。公孫賛が開戦時期を遅らせたのはこういった事情があり、また食糧の増産にも積極的であった。ただ、無為に過ごしていた訳ではなかったのだ。趙雲はこの3年間で起こったことをざっと思い起こし、沙摩柯と虹黒を見た。沙摩柯は髑髏龍の鎧と虹黒を受け継いでいる。閻行が持ってきたときは修復はある程度されていたが、穴だらけであって使用できそうになかった。そこで李典が軽量化、沙摩柯の体に合うように板金して苦労しながらも完成させている。この鎧を纏い、鉄疾黎骨朶(てっしつれいこつだ)をふるって戦場を走破して敵を蹂躙していく姿はいつしか「髑髏龍の再来」だの「2人目の荒武者」と呼ばれるほどだったもっとも、外見が変わったのは沙摩柯だけではない。楽進は全身鎧に、現在で言うフルフェイスヘルメットのような兜を着用している。もし高順が見ていたら「どこのSAAですか?」というような・・・なんというか、近代的な兜というか鎧の魔剣というか。趙雲も昔は袖に蝶の羽をあしらった純白の服だったが、今は黒や薄紫を基調とし、袖に骸骨龍が描かれた服である。彼女だけではない。李典も干禁も、張遼ですら黒。どこかに髑髏か骸骨の龍をモチーフとした何かを描いた服装。そのせいか、趙雲の「常山の昇り龍」というかつての通り名が今や「黒髑髏の戦龍」。それがよりにもよって自軍の兵から呼ばれてしまっており、本人も少々凹み気味であったりする。余談だが、張遼と趙雲の2人で「双龍」とも呼ばれ、公孫賛の武の両輪とも言われている。「・・・その鎧は如何にござる。」「ん?」趙雲の不意の問いかけに、沙摩柯は少し間を置いてから「重い」と答えた。「重い、ですか。」「ああ、重いさ。この鎧と・・・今は華雄が持っているのか? 三刃槍はとても重い。」「ほう。」「あの槍は、朱厳と郝萌、高順の槍から作られたのだったな。」私はその2人を知らないがな、と肩を竦める。「あの槍は、朱厳・郝萌・高順の生き様を見つめてきた、と言って良い。干禁の持つ刀の一振りは丁原の遺した物だ。あれだって重いのだろうさ。それに」「それに?」「あいつはこの数年でどれだけの死を見てきたと思う。」丁原を始めとした上党勢、公孫賛の元での対烏丸戦、張燕の晋陽攻防戦、反董卓連合、徐州戦・・・その中で、彼は多くの配下を、仲間を、主君を喪った。この僅か数年で。「そうやって、あれこれと何もかも自分で背負い込んで、それを発散させる事もできないまま奴は逝った。」それに、と沙摩柯は虹黒の首を撫でた。「?」「全部自分で背負い込んだ馬鹿を背に乗せてきたお前だって重かっただろう。」「・・・(ぺろっ)」「えひゃっ」虹黒は自分を撫でる沙摩柯の指を舐める。沙摩柯は未だに慣れていないのか、舐められる度に変な悲鳴をあげる。それを見てニヨニヨとしている趙雲に、バツの悪そうな沙摩柯は「ごほん」と咳払いをして誤魔化した。「何にせよ」「うむ、雌雄を決するのも近い。」二人と虹黒は立ち上がり、南を見る。そこには自分達の倒すべき敵が、曹操がいる。この数週間後、丘力居率いる烏丸勢と合流した公孫賛は南下、官渡へと向かう。この動きに西涼軍も呼応して長安を急襲、陥落させる。二方面に対して戦力を差し向けられない曹操は西の戦線を下げて、両軍を官渡の地にて迎え撃つ覚悟を決める。その兵力は30万ほど。南へ進す白馬長吏と東進する錦馬超。両雄は官渡にて、姦雄と謳われた曹操と対峙する。~~~更に楽屋裏~~~もうこれ以上は書かないぞ! あいつです(挨拶はい、このルートは袁紹さんまともです。曹操の兵力が本編より多めなのは公孫賛の攻め込む時期が袁紹さんより遅かったせいです。でも、兵力が増えても戦力が・・・多分、劉備勢力も曹操と一緒にいるのではないでしょうか。そして、作者特有中二病が発動>双龍とか髑髏の戦龍とか。この戦いの結末は、特に考えていません。ただ、高順とと~とんね~さんの遺骸は陳羣の計らいで上党に(骨だけになってますが)返還されている・・・くらいは考えています。恐らく、高順が建てた丁原・朱厳じーちゃ・郝萌。そして呂布との戦いで死んだ上党兵の墓のすぐ側に、寄り添うかのように2つの墓が作られたのでしょう。(嘘)予告。遠く南の地で愛と勇気と情熱と勝利とアニメ化を謳い戦う華蝶仮面。が、ただ1人孤独な戦いを強いられる彼女は(特殊な格好もあいまって)誰の理解も得られず心身ともに傷つく。そんな時に現れたのは2人の新たな華蝶。行け、そして戦え、華蝶仮面! 共に戦う2人の仲間と!次回、【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~陥陣営・高順伝~~ 最終回。ドキッ! 漢女(おとめ)だらけの水着大会(ポロリしか無し)お楽しみn(拉致前振りと繋がってもいないし・・・ ほんとゴメンナサイ