【習作&ネタ?】真・恋姫†無双 ~~陥陣営・高順伝~~ 第114話。孫策、周瑜。孫家の他の面々も見守る中、烈火を纏った突撃船が曹操船団の前衛に激突。(突撃船に乗っていた兵士は脱出し、仲間の快速艇に拾われている。前衛船団を燃やす炎は東南からの風で煽られて瞬く間に燃え広がり、激突の際に飛び散り水に広がった大量の油が曹操船団のほうへと流れて、更に被害を拡大させていく。焼き払われていく船団を確認し、周瑜は兵(今回は火矢を合図にする)に指示を飛ばす。「待機している各部隊に合図を! 第一突撃艦隊から第四突撃艦隊、その他も火の被害を受けぬように東より進み、曹操軍を追いたてよ!!!」兵達は「はっ!」と応じるものの、火矢を空に放とうとしたところで幾人かが「・・・あれは、劉備殿の・・・」と、劉備の軍船が進んでいくことに気がついた。真っ先に突撃した艦が曹操船団前衛を燃やした後、待機をしていた孫家突撃船団の前に割り行って進軍を開始している。見ようによっては、劉備軍が孫家を出し抜いたとも、先鋒として進んでいるようにも、あるいは率いているようにも・・・見えなくは無い。周瑜には解っていたし、前線の将兵にも前述のように見えているが、孫策は全く意に介さない。「劉備軍に構う必要は無いわ、好きにやらせておきなさい! あいつらの事は気にせず自らの役割を全うするのよ!!」「・・・っ、は、申し訳ありません! 全兵・・・撃ち方始めぃっ!!!」孫策の激を受けた兵長の掛け声と共に、矢を番えた兵が一斉に合図の火矢を次々に空へと射る。数百の火が空へと飛び、その様子は前方で合図を待ち侘びていた将兵の目にきっちりと映っていた。「蓮華様、合図の火矢です」甘寧の言葉に「ようやくね。」と孫権は倚天の大剣の柄を握り締めた。「進撃を開始する。思春、操舵は貴女に任せる。」孫権の艦には張承や歩隲も乗船しており、功を上げる機会、と彼らも息巻いていた。そんな様子を見て孫権は苦笑しながらも、少しだけ彼らを気の毒にも思っている。訓練だけではなく盗賊退治などで多少の実戦も経験させているが、軍勢としての戦はこれが初めてだ。その初めてがこれほど大規模な戦、というのは相当辛いものがあるだろう。だが、こういった戦で生き残り戦功の1つも挙げれば自信がつくだろうし、自分自身も初めて体験した本格的な戦が反董卓連合である。冷たいようだが、生き残れなければ所詮それまで、くらいでしかなく、死んでもらっても困る。これから、益州の成都攻略が自分に任される事となっているのだ。進み始める艦の揺れを感じながら、孫権は「必ず勝ってみせる」と気合を入れる。別の艦に乗る黄蓋も「他の艦に遅れを取るでないわ!!!」と部下を叱咤している。放っておけば「ああ、まどろっこしい!」と自分で舵を取りそうな勢いだ。他の艦には程普、韓当、朱治など孫家宿将もいれば陳武・周泰・太史慈などの若手の武将の姿も在る。彼らは燃え盛っている船団を迂回、東回り・・・風の上流から曹操軍の中衛船団に攻め込まんとしていた。しかし中衛船団は鎖で連結されて、しかも東回りで攻めて来ることを予測していたのか、既に戦闘態勢を整えていた。どころか、攻めかかってくる孫家船団に対して逆に突撃を開始していく。~~~孫家が攻めてくる少し前、曹操側~~~郭嘉の「撤退の頃合かと存じます」という進言に、曹操は不機嫌さを隠さなかった。「撤退ですって? この曹孟徳に敵に背を向けて逃げろと言うの?」「はい。その通りです」不機嫌そうに言った言葉に郭嘉が首肯、肯定したのを見て曹操は怒るが・・・その怒りが、郭嘉の次の一言で急速に覚めた。「私が周公瑾であればこの機を逃がしません。そして、私が曹孟徳であれば、やはりこの機を逃がさないでしょう」曹操と言う人は、仕え難い部分と仕え易い部分の、両極端な部分がある。高順が嫌うのは仕え難い・・・有能な人物でなければついていけない、という、まさにその部分だ。気難しいとか、そういった所も多々ある人なのだが、だからといって弱者に厳しいとか、そういった面はほとんど無い。自身の理想、部下に求めるラインが高すぎるせいで厳しいと思われがちなのだが、力ない人々にまで厳しいわけが無いのだ。厳しいとすれば、力も意思も無いくせに私腹を肥やし権力を得て、暴力を弱者に向ける典型的な連中にだ。脱線したが、ともかくそういう人なので率直に「撤退しましょう」というよりも遠まわしな言い方をしたほうが、発言者の意思を汲み取ってくれたりする妙なところがある。今、郭嘉の発言した「撤退」よりも「私が」の言葉のほうが、曹操には理解しやすかった。「良いわ。退きましょう」郭嘉は、周瑜は確実に火攻めをしてくると読み、その予見は外れなかった。船団前線部に火計を仕掛け、先ほどから吹き始めた東南からの風によって船団そのものを焼き払おうという策。現状、疫病に冒されて戦闘に堪えない兵士が相当数。これでは戦にならないのは曹操も理解している。曹操の悪い癖だが、自分が絶対的有利であると考えると、その後の対策が微妙に甘いという時がある。その為に失敗して痛い目に合うのだが、それを反省点として二度と同じ失敗をしないように心がけているのは大したものだ。一度劣勢と見るや、対策をしていしなくても見切りよく退く、というのは中々出切るものでもない。だから、最初に撤退を進言しなかった。曹操の性格・・・「よほどの劣勢にならない限り、撤退と言う手段をとらない」ということを十分に理解していたからだ。郭嘉が提示する撤退案は簡潔に言うと「戦えない兵士を盾にして、前線部が派手に燃え上がっている間に撤退する」というものだ。つまり、疫病で動けない兵士を見捨てて退くということになる。そんな案を採用しろと言うのは曹操にとって辛い選択だが、郭嘉はその弱音を聞く前に「では、ここでご自身の理念と共に藻屑と成り果てますか?」と冷静に曹操を見据えた。「ただ一度の敗戦で全てを失った者もいれば、一度の勝利で全てを手に入れた者もいます。貴女はそのような終末を迎えるお方ではない。すぐ撤退をご決断なされば、被害は「兵と船」だけで済むでしょう。逃げることが負けになる訳でもなし・・・」それを言えば、劉備は何度終末を迎えれば気が済みます、と郭嘉は皮肉な笑みを浮かべた。心中では「張遼・干禁の話を聞くに高順殿は幾度も逃げているが、あの方は本当の意味で負けていないではないか」と、曹操には失礼かもしれないが二人を重ね見ている。「・・・。けれど、どうして今が時期だと?」「風、ですね。」「風・・・?」「は。この東南からの風を孫家は待っていたのでしょう。普通に戦っても同等ならば、勝利のためにそこに更なる一手、今回では火を加える。」「火攻めでの効果を増加させる為、か。けれど、風だけでそこまで読めるものかしら?」「いえ、先ほど申しましたが、私が孫家の軍師であれば同じ策で戦うでしょう。」それだけのことにございます、と郭嘉は事も無げに言う。「・・・ふっ。恐ろしいわね。で? 退く策はあるのかしら? 追撃をかわせる?」「策と言うほどのものではありませんが、夏侯の両将軍と程昱に頼んで配置を変えて頂きました。完了したとは言いませんが、退きやすい配置にはなっています」「前線を抜かれても、殿軍が退きつつ応戦?」「場合によってはそのまま体当たりです。時間を稼ぐのならそちらのほうが良いかと。」「本当に怖いわね。良いでしょう、貴女の策の通りに動くわ。指揮を執りなさい、郭嘉。・・・戦死した兵の遺族には篤く報いる。」貴女もすぐに退きなさい、と曹操は踵を返した。予想し、また期待していた言葉に郭嘉は頭を下げつつも、難しいことを仰る・・・と苦笑する。彼女は橋で連結されていた別の船に移り、自分が渡ってきた橋を落として曹操の船が退いていくのを確認してから、指示を出し始めた。見れば、自軍の前線は既に交戦・・・というか火計にあったようで、燃えているのが解る。このまま前線部を突破されるのは時間の問題だが、それは仕方が無い。だが、中衛の陣は慌てながらも応戦の準備を行い、一部の場所では既にそれが終わっている。この中衛、鎖で横一列に繋げてあるがこれは反撃の為で、船揺れを沈める為のものではない。孫家軍団の突撃を、こちらから捨石の船団をぶつけることで一時的に足を止める。東南の風が吹き、すでに火が回り始めている現状では効果は薄いかもしれないが、無いよりはマシなのだ。そして後衛、つまり武将級の乗艦は後方に下がり戦列を離れ始めている。こちらは前線の犠牲によって撤退が間に合うだろう。郭嘉が乗る船も、少しずつだが後方に下がる。下手をすればこの船もぶつけて時間稼ぎにせねばなるまい、とは思うが。見ていると、攻め寄せてくる孫家船団に中衛船団が突撃を開始している。鶴翼の陣のように、両翼が進んで行き孫家船団を包み込むような流れになるはずだ。当然、取りこぼしと言うか先登のような艇は包みきれずに突破されるだろうし、最初からすり抜けてくる艦もあるだろう。それらを迎撃、足止めしつつ退くのが自分達の役目だ。ちなみに、劉備軍はと言うと。「あつ、あつーーーー!?」「はわわわわわ・・・火がーーーーーー!!!」何かよく解らないが、火計に巻き込まれていた。その後・・・言ってしまえば、曹操は撤退に成功。郭嘉も無事に戦場を離脱し、曹操軍の被害は「兵士だけ」に留まった。郭嘉の船も沈む寸前の被害を受けるも、曹操の殿を務めた夏侯淵が、少数だが救援を送りそのおかげで負傷しながらも撤退できている。南荊州を失陥したのは痛いが、襄陽など北荊州の守りは堅く、現時点では孫・劉共(事情が違えど)攻め入る余力は無い。孫家は攻め立てるも曹操軍中衛船団の思わぬ反撃で追撃が鈍り、後方船団までは届かなかったが、向かってきた船団を火で焼き、壊滅させている。この後に、孫策は軍勢を再編。孫権に多数の将兵をつけ(この中には黄蓋も所属)、すぐさま征西軍として交阯、そこから北上させて零陵へと派遣させる。劉備領を通らないのは、足止めをされる可能性を鑑みてのことで、零陵に行かせたのはこちらより先に劉備が益州へと向かわないようにさせる為。加えて、馬騰らが劉備に攻められないようにという配慮でもある。彼女達が益州へ向かうのは、高順が永安・江州を攻めることが出来るように「地ならし」をする前提だ。途中で交阯に寄るのは、そこで多少は休息しても良いと言う孫策の配慮でもあろうが、残念ながら孫権率いる征西軍が到着する前に高順は南中に向かったので、ここでの再会は無かった。ところで、地味に火に巻かれていた劉備だが・・・。彼女は何とか逃げ延びたが、向かったのは赤壁に程近い長沙で江夏ではなかった。これは、既に江夏が曹操・孫策両者の狭間にあって危険すぎるという諸葛亮の判断に基づくものであり、事実赤壁から撤退した後すぐに曹操本人が兵を率いてが江夏を強襲、陥落させている。曹操としては「なめるなよ」という意思表示、さらに得る物無く撤退する羽目になった赤壁での意趣返しとも言える。劉備は難を逃れたといっても良いが、悲惨なのは江夏で留守を張っていた劉琦で、彼は残された数千の兵で立て篭もらざるを得なかった。曹操軍の怒涛の攻撃に劉埼は「皆諦めてはならない! 玄徳殿が必ず救援に来てくださる!」と兵を激励しながら防戦していた。だが、救援が来ることは無く数日で城門を突破され、江夏は陥落。劉琦自身も剣を取り奮戦するも力尽き戦死。その首は曹操が直々に検分した。曹操は、病弱と評されながらも必死に戦って散った劉琦の最後を聞き「劉表の子は豚や牛みたいなものだと思っていたけど。劉琦はそうでもなかったようね・・・」と、胴体も運ばせ、晒し者にする事無く弔ったと言う。厭戦気分のあった将兵も、この勝利で多少は戦意を取り戻して意気揚々と帰還しているところから、孫・劉に比べて得るものは少なかったとはいえ、三者全てが多少の損と利益を得たという格好になった。何とか逃げ延びた長沙で、かなり時間が経過してから劉琦戦死の報を聞いた劉備だが、悲しむ間もなく諸葛亮の献策によって、それまでは劉琦の職であった「荊州牧」を名乗るようになる。諸葛亮らが「劉琦が生前から劉備に州牧の地位を譲ると言っていた」からそうしたのだ。と、荊州全域を傘下にする大義名分が劉備にあるのだぞ、という正当性を主張する為のものであった。これには劉備はともかく、関羽が「助けることは出来なかったかもしれないが、そんな素振りも見せずに見捨てて・・・その上に牧を勝手に自称するというのか!?」と猛抗議をしている。諸葛亮はこの剣幕に驚きつつも「こうする事が桃香様にとって有利になるんです」と主張。関羽と対立している。このせいで関羽は益州攻略参加を許されず、南荊州守備として残されてしまう事になるが・・・それはまた別の話である。~~~余談、交阯(こうし)の高順~~~交阯、政務室。ここにいるのは高順隊の面々と劉巴である。高順隊は南荊州争奪戦が終わってから1月ほどで交州へときかんしていたのだが・・・。皆、帰還してくるなり政務室に呼び出されて、そして高順だけが劉巴の目の前で正座させられていた。「さて、太守様・・・なにか申し開きなどはございましょうか? あるのならばこの劉子初(子初は劉巴の字)、いくらでもお聞き致しましょう」「(高順正座中)いえ、何もありません・・・ていうか、何で劉巴殿そんなに怒っていらっしゃr「怒っている? そうですか私が怒っているように見えますか太守様っ!!」どぉんっ! と手近な机を拳で叩き、劉巴はギリギリギリギリ・・・と歯軋りをたてた。(他の武将、蹋頓ですら「こ、怖い・・・」とびびっていて、怒らせないようにしよう、とか考えている)「はいごめんなさい!」「太守様の仰るとおり、私は と て も 怒っていますっ。何故怒っているか・・・それはお分かりですよね?」「え、えええ? え、えーっと・・・その、沢山移民を受け入れてしまったから、でしょうか・・・?」「そう、その通りです! 事前に伝えればそれで良いとお考えだったのでしょうが、流石に数万もの民が流入してくるとは思いませんでした! どれほどの食料・資金・・・仮とはいえ一時的な住まいを作成する為の資材と土地が必要とお思いで!? 太守様が食料を持たせてから領地に入ってきたのでまだ何とかなりましたものの!!!」「あ、あう・・・」「その上私に伝えても国境の守備兵に知らせて無かったでしょう! 最初、現場の守備兵が「あれだけの大軍勢をどう防ぐか。高順様がお帰りになるまで、何が何でも守らねば」と協議して臨戦態勢まで・・・異民族であれ受け入れる、と言う太守様のお志、それは大変立派だと思っています。が、しかし! その影で私や他の文官や兵がどれほど、どーれーほーどー! 苦労しているのか、解っておいでですかっっ!!!?」「・・・普通にゴメンナサイ」「はぁ!? なんと仰いましたか? 耳には届きましたが私の心には届いていませんさあもう一度!!!」「ま、まことに申し訳ありません!! もう二度とこのような事態を起こさないように誠心誠意頑張らせていただきますのでどうか、どうか平にご容赦を!!!(泣」「駄 目 で す」「謝らせて置いて酷くないですか!?」と、こんな感じで文句をたらたら述べつつも、劉巴は仕事面では決して手を抜かなかった。先ほどの異民族(武陵蛮)を幾つものグループに分けてから各地の代官に「強い者は兵に、弱い者は戸籍に組み入れなさい。それらは全て貴方の裁量に任せます」と送り込んでいる。大まかに分けただけだが、その分け方も家族単位であり不公平な部分は無い。これらを高順が帰還してくるまでにやり終えているのだから大した才能である。その代わりに、文官総出で事に当たっていて、許靖などは途中で倒れてしまっていたりする。なるほど陳羣の言う通り、使え甲斐があ(りすぎ)る、とでも思っているのかもしれない。政治のことに関して高順は全くの素人で「出来る人に任せます」とほぼ全投げして、自分は外で戦うと言うスタンスを取っている。そのせいで現場の苦労が絶えない訳だが、それでも「辞める」と言い出さないのは、給与面・待遇、そして高順が現場の人間に全幅の信頼を置いているから、であったりする。劉巴は不正などは許さず、自身でもしない硬骨な部分があり、そういった堅物な性格も信頼されている面がある。どこかでガス抜きも必要で、そのあたりは高順が担っていると言えなくも無いがともかく「俺がやるよりかは絶対に良いし」と、劉巴達の判断を信頼して実行する。成功もあれば失敗もあって、それで劉巴らが謝罪することもあるが、次から気をつけてねー。とか、そんな程度で済ませてしまう。劉巴は、人の上に立つ立場としてそれはどうかと思い、私自身の降格を・・・と願い出たこともあるが、高順はそれについては拒否した。勝敗は兵家の常なら、成功失敗も人の常。反省は大事だけど失敗を責めてばかりじゃ、やる気無くすよ? と反省を促しても声を荒げたりはしなかった。その代わりに劉巴が厳しくなって、というか高順に人一倍厳しくなった気もするが・・・。高順は後に蛮族王に加えて南方王などと(本人の意思はともかく)呼ばれるが、劉巴は政治能力で高順を支え続け、だからこそ高順は安心して外地に出征し続けることが出来た。曹操に於ける荀彧、孫策に於ける周瑜、孫権に於ける諸葛瑾・・・これらに比べれば能力こそ劣るが、主君と決めた高順とその家族を生涯支え続けた劉巴は、三国時代の名宰相の一人として名を残す事となる。~~~もう1つ、余談~~~赤壁の話だが、曹操と孫策の会戦はグダグダな終わり方である。しかし、勝・敗者の区分は決定的で、これはすぐに民衆の知るところとなった。勝者:劉備敗者:曹操であると。劉備陣営が「先頭きって突撃して曹操の船団を焼きました。勝ったのは私達です!」と言ったかどうか知らないが、どういうわけか民衆には劉備が勝利し、曹操が兵を退いた、と伝わっているのである。それを聞いた孫策は「放っておきなさいよ」と苦笑することしきりであったが、納得がいかなかったのは曹操である。この話を聞いた曹操は、この話がどれほど民衆に浸透しているかを調べてみて「劉備が孫策を従えて曹操を大いに打ち破った」という形で伝聞されている、と突き止めた。誰がどんなつもりで流した噂かは知らないが、この時の曹操は「どーいう事よ!?」と怒っている。その怒りっぷり、わざわざ孫策に手紙を送ってしまうほどであった。内容:「孫策や周瑜に負けたのなら恥と思わないけど、劉備に負けたって話になるのは本気で納得できないわ! どーしてそんな誤った内容で民衆に伝わっているのよ? 何とかしなさい!!」劉備が勝利したという話で、その名声が高まっているのは思いもよらない事だ。という事なのだが・・・こんな手紙を送りつけられた孫策や周瑜からすれば「そんな事を言われても」という話だし、こんな事で敵地に派遣されてしまった使者も可哀想なものである。~~~楽屋裏~~~現在総容量が244MBだと!? あいつです(挨拶ネタ張含めての数値ですが恐ろしい(汁かなりあっさりかつグダグダに終わった赤壁。曹操が「周瑜に負けた事を恥と思わぬ」とか「周瑜の名が高まったことが意外だ」なんて手紙を送りつけたという話がありますが、あれってどうなんでしょうねぇ?この世界のSSでは「郭嘉がいたから兵士を失うだけで済んだ」という流れにしました。史実では名のある武将が曹操・孫権ともに死んでないのですよねぇ・・・黄蓋が違う意味で死に掛かってたみたいですが。劉琦は病死ではなく戦死となりました。演技・正史ともに同様ですが、劉琦は劉備、それと孫権にとって凄く都合の良い頃合に「病死」しましたね。病弱であったと記述がありますが、毒でも盛られたんじゃなかろーか。劉備・・・とは言いませんが、孔明か、それとも孫権か。劉備さんマジ疫病神。ここからの流れ・・・孫権率いる征西軍と合流して成都攻めに移行します。その前にもう一悶着あるかな。そして、この時点で劉備の勢力が本来のものより縮小されることが確定しています。・・・え? どうでもいい?あと、名宰相で孔明が出ないのは・・・わざとです。あと、華佗は赤壁での負傷者治療で大忙しのはず。残りは最後の戦地がどこになるか、ですねぇ・・・さて、どう組み込んでいきますかね。ではまた次回。